三回目の1

4月12日

朝五時半に私は家を出た。

皆さんも、もうわかっているとは思いますが、家出では

ありません。

お遍路の旅ではありますが、出家をする気も、毛頭ございません。

冒頭からふざけた事を言って申し訳ありません。

が、ギャグが私の真骨頂、今後も続けて行く所存にございます。

 

四ケ月の間、洞穴で冬眠をしておりました。

しかし寝てばかりもいられないので競馬のデータを収集しておりました。

過去20年の全競馬場の全レースの成績表をキーボードから

入力してベースを作る仕事です。

もう15年やっていますが、いまだ完成には至っておりません。

知り合いに「お前のやってることは正気の沙汰ではない。

まるで一本づつ梯子をつないで月まで行く行為によく似ている」

と言われました。

さらに知り合いは「いちいち地上まで梯子を取りに来るのは

無駄な工数だから、せめてベルトコンベアーでもつけたらどうだ」

と提案してくれました。

「なにこいてけつかる。お前も一緒に精神病院へ行くか」

 

JR四国にはバースデイきっぷというのがある。

誕生月にJR四国全線および土佐くろしお鉄道全線が乗り放題

になるというきっぷだ。

有効期間は3日間、JR四国の駅のみどりの窓口、ワープ支店

駅ワーププラザおよび四国内の主な旅行会社で10,280円

で発売している。

もちろんJR鴨島駅でも発売しています。

あれ、いつの間にか私はJRのコマーシャルをしている。

特急にも乗り放題、乗り降り自由な素敵なきっぷなのである。

実は何を隠そう、別に隠す必要はないですけど、私の誕生月は

1月、やぎ座だったのです。「めえー」

そこで1月にこのバースデイきっぷを利用して3回目のお遍路を

敢行しようと思ったのですがいかに暖冬とは言え、冬ですよ、

もし宿が取れなかった時 私はどうなると思いますか。

凍死、私の脳裏にはこの二文字が駆け巡り、追い払っても

追い払ってもどこかから姿を現すのでした。

そんな訳で1月のお遍路は断念いたしました。

夏はともかく、1、2、3、月生まれの人は凍死というリスク

があるだけ不利ですよね。

誕生月というのは普通、年に一度しかないですよね。

突「2度ある人を見たことないぞ」

すいません、スペースを開けるのが勿体ないので今回から

このようにいたします。

だったら誕生月ではなく、年に一度使えるとか、それが

出来なければ123月生まれの人は456月に使えるとかして

救済策をとってほしいものです。

鴨島さんがこのブログ読んでてくれたらなあ、と思うが

渡してこなかったからなあ。残念。

突「いい加減、敷地を出ないか、電車に乗り遅れるぞ」

突っ込みが怒っていますので駅に向かいます。

それでは私が去年1回目のお遍路から帰って来てから

蒔いた種で作った花壇を見てやって下さい。

 

 

それではもう1枚。

 

 

一部に球根もありますが、ラナンキュラス、忘れな草、

ムルチコーレ、スイートピー、おだまき等々全部で20種類

ほどの草花が乱舞しております。

 

それでは例によって駅に着くまでに、また猫の話でも

して行きましょうか。

以前テレビのクイズ番組で、猫の乳首はいくつあるかって

問題が出されてました。

私は早速フックンを、とっ捕まえて調べてみました。

ギョッ、ギョェー(さかなクンではないぞえ)

な、なんとフックンには乳首が七個もあったのです。

本来あるべき六箇所のうちの一箇所にポチョン

ポチョンと二つ並んでついていた。(兄弟船ではないぞ)

ギョッ、ギョェー(あくまでもさかなクンではない)

早速インターネットで猫、乳首、奇数と入力して

検索をしてみた。

するとそのようなちょっとした奇形なら、猫の場合

宝くじの下三ケタ的中くらいの確率で存在するのだそうです。

なにせ猫の妊娠期間は60日、その間に人間と同じくらいの

パーツを作らなければならないのだから染色体の印刷屋に

勤務する小僧さんも徹夜で働かされて、つい居眠りをして

印刷ミスも出てしまったものと思われます。

フックンを動物番組に出してやろうと目論んでいたが

そんなに沢山同類がいるんではとあきらめた。

「でもいいじゃない、君は7匹まで赤ちゃんが産めるよ」

と言うとフックンは「僕は男の子だから赤ちゃんは

産めないの」と猫語で私に言いました。

 

そんな話をしていると駅へと続く道に出た。

この道を、踏切を越えて進み、最初の信号を右折して

しばらく行けば数代前のトヨタ自動車社長の邸宅がある。

信号をまっすぐ1,5キロほど行くとトヨタ自動車堤工場がある。

テレビのニュースでも度々お目にかかる工場である。

この街で一番の著名人と言えば福田彩乃である。

彼女の出た小学校は私の家から2キロほどの所にある。

今年の正月の広報では市長とツーショットで表誌を飾った。

2月に市長選挙があったからだろう。

現職の強みだね。

踏切の手前を左に曲がり駅に着いた。

600円を払い名古屋までの切符を買い、ホームへと出た。

5時50分の電車はすぐにやって来た。

ローカル線ではあるが一時間に4本の便がある。

さすが愛知県である。

しばらく進むと無量寿寺のカキツバタ園がある。

なんでも、その昔、在原業平がこの辺りを通った時

○グソをしたとかでよく知られている。

突「伏せる場所を間違えてる」

野○○をしたので有名である。

突「訂正してもアフターザフェスティバルじゃ」

その栄養豊かな野○○を吸収し、現在の、県内でも有数の

カキツバタ園になったのだそうだ。

そしてこの時詠まれた有名な歌が次のものです。

東風吹かば匂いきついぞわしの糞

 

知立で名鉄本線に乗り換え、一路名古屋へと向かう。

ここまで私は十五人ほどにこのブログの存在を

知らせて来た。

しかし、それに対するコメントの数はゼロである。

それどころか、このブログのドメイン名を書いた

メモ用紙を渡した途端、私の前から姿を消した人も

数名いる。

恐らく、このブログに対するコメントを求められる

のを嫌がって、さりとてこんなブログ死んでも読みた

くないので、私を避けているものとみられる。

無理もない、こんな年寄りの、しかもお遍路の

ブログだと言われれば、もらったメモ用紙も

たちまちinto the garbage can ゴミ箱行きだろう。

まるで、ごみ屋敷のような喫茶店の店頭で、お茶でも

飲んでいきませんかと誘われているようなものだ。

恐らく中へ入れば足の踏み場もないほどのゴミが

あふれ、冷蔵庫から出されたペットボトルのお茶は

賞味期限をはるかに超え、それを立ったまま、暗い

、臭い店内で金払ってまで飲む意味が見いだせない

と人がイメージするのは至極当然なことであろう。

本当はそういうの、食わず嫌いというのですけどね。

そんな訳で、もはや私は市内での布教活動は終了する

こととした。

あまりに手渡しの数がふえると、私の正体がバレてしまう。

これからは旅先であった人にだけ広めていくことに

方針を換えた。

理想は、最初の一人だけにこのブログを告げ、それが

口コミで日本中に広まって行ってくれて、その一人が

謎の交通事故死を遂げたら正体も知られずに

済むのになあと思う。

ふふふ、冗談ですよ、皆さん。

おそらく全国で15人はいないであろう皆さん。

もし、あなたの回りで、このブログを好みそうな

人がいたら、どうか知らせてやって下さい。

このブログ、ネットサーフィンでは絶対みつからない

もので、皆さんの口コミだけが頼りなのです。

ま、気長に待ってます。

そしてこのブログの影響を受けて、一人でも多くの

人がJRを利用し、お遍路をしていただく事が私の

本望とするところで御座います。

 

昔、私が会社に在籍中、長期休暇が来ると会社の

女の子が「○○さん、今度の連休、旅行に行くん

ですか」と訊いてきた。

「おー行くけど、なんだ一緒に行きたいのか、部屋は

別にとってやるから行くか」と本気まじりの冗談を

言うと彼女は「そうじゃなくってぇー、○○さんが

旅に行くとあとで作文を書くじゃないぃー、あれが

とってもぉー面白いから今度も行ったら書いてほしいと

思って頼みに来たのぉー」

当時まだパソコンというのは、それほど一般には

普及していなかった。

だから私は紀行文を原稿用紙に書いていた。

学校を出て間もない彼女はそれを作文と言った。

一瞬ムカッとはするが嬉しかった。

古い言い方で言えばウレピー。

「わたし今まで本なんて一冊も読んだことがなかったの。

でも、○○さんの作文はとっても面白くて、読みやす

くって一気に最後まで読んでしまったの」

これって褒め言葉ですよね。

彼女によれば、私の作文、いや紀行文は女の子たち

の間で、たらい回し、ちょっと表現が悪かったかな、

回し読みされていたらしく、評判も良かったらしい。

「そうか、じゃまた旅に行ったら書いてあげるよ紀行文」

「えっ、奇行文?」

「そうじゃなくって紀行文」

「だから奇行文でしょ」

「あのなー、ワシはチミとコントやってる暇はないんだよ」

そんな訳で私はワープロを奮発し、紀行文を二部の本

に作製し彼女に手渡した。

しかしあの本、一部も戻って来なかったよなー。

あんなにうけていた紀行文も、今ではまったくうけない、

時代が変わったのだろうなぁ。是非もない。

突「お前は織田信長か」

 

そんな昔の自慢話をしているうちに、前後、鳴海、堀田、

神宮前、金山と停車して電車は名古屋駅に着いた。

私はいつものようにJR切符売り場に立ち寄り、宇和島行き

の切符と観音寺までの特急券を購入した。

駅員は往復切符を勧めてきたが私は「お遍路の旅なので

牟岐線も使うからそれは出来ない」と断った。

以前にも紹介したがJRは片道601キロを超えると、

往復切符を購入した場合、一割引きになる。

しかしデメリットも多い、例えば来た道を引き返さ

なければならない、有効期間が限定されてしまう。

例えば宇和島まで往復切符を購入したとしよう。

片道が600キロを超えるのであるから10日間の有効

期間である。

しかしこれは数字のマジックである。

行きの切符を使い切った翌日から帰りの切符の

使用期間に入るのである。

つまり宇和島で2週間遊ぼうと思う人には不向きな

切符であると思われる。

こういう人は2週間遊んでから帰りの切符を

買えばよいのである。

それに割引をするのであるからJRにとっても

メリットはないはずである。

ではなぜ駅員は勧めるのであろうか。

それはおそらく、名古屋駅での売り上げを増やそう

という我田引水的営業活動であろう。

いつものように16、17番ホームに上がると、のぞみ

97号車はまだいなかった。

1回目の時より早い名鉄電車でやって来たからであろう。

しかし間もなく列車は私の予想に反して西の方からやって来た。

おそらく西の方に車庫があるのだろう。

私は2号車後部に乗った。

座席は8割がた埋まり7時6分に定刻通り発車した。

昨年の9月21日の祝日よりも明らかに客は多い。

ここから、新幹線の主たる客はビジネスマンで

あるということが明白になった。

この4ケ月の間に私には大きな2つの関心事が

ありました。

一つはJRの函館新幹線の営業開始、もう一つはJRAの

16年振りの女性ジョッキー藤田菜七子ちゃんの

デビューです。

しかし函館新幹線は北陸新幹線の時のような盛り上がり

がイマイチ感じられません。

私の思うに、やはり北海道のメインは札幌です。

私も以前に北海道は行きましたけど、確か函館から

札幌まで特急に乗っても3時間ほどかかった記憶が

あります。

函館まで行っても、なお3時間かけて札幌じゃ大抵の

人は飛行機を使いますよ。

でも私は飛行機が大嫌いだからJRを使いますけどね。

近い将来に函館新幹線を利用して函館競馬を満喫

して来たいと思ってもいます。

しかし早く札幌まで開通するといいですね。

きっと売れますよ、いつ頃の開業になるんですかね。

 

さて全国各地でフィーバーを起こしている菜七子

ジョッキー、新たな競馬ファンを開拓し

馬券の売り上げが増えるといいですね。

そうすると私の収入も増えるから。

突「コメントはそれだけですか」

以前やはり女性ジョッキーで西原玲奈ちゃんが

落馬して大怪我をしたことがあるんで落馬だけ

には気をつけて下さい。

できるだけ被害が少なくなるように受け身の

練習だけは怠りなく。

 

そんなことを言ってる間にのぞみは京都、新大阪、

新神戸を過ぎた。

その時突っ込みから突然声がかかった。

突「猫さん、電光掲示板の英語のメッセージが

間違ってますよ」

猫「え・・・、何もまちがってないぞ」

突「そうじゃなくって、猫さんが書いた1回目の

お遍路の時のメッセージがですよ」

猫「え・・・」

突「Smoking is not allowed on this train

except the designated smoking rooms って

やつですよ」

猫「ううっ・・・」

突「エクセプトとザの間にインが入らなければ

ならないですよ」

猫「ふふふふ・・・ハハハハハハ」

突「何を笑ってごまかそうとしてるんですか。

この前メモ用紙を渡したTM高の女の子は現役

ですからね。きっと気づいて「あのおっちゃん

アホや、間違ってる」なんて笑われてますよ」

猫「ふふふ、実はわざと間違えておいたのだ。

いつお前が気づくかと首を長くして待っていたのだ」

突「また負け惜しみ言ってる」

猫「exceptという前置詞はちょっと特殊な言葉で

後ろにいろんな品詞が入って来る。何々を除いて

と言う意味で喫煙室以外ではという意味だから

in the designated smoking rooms となる。

ちなみに喫煙場であれば部屋ではないのだから

at になるのですね。前置詞が二つ続くのでよくまちがい

を起こす言葉だからと、作っておいたんだ」

突「林修のようなこと言うんじゃない。間違えるのは

あんただけだ」

猫「早くみんなが気づいてexceptとtheの間に

inをインしてくれることをexpectして、長い間

衆目の前に、未完成のままさらしておいたのですよ」

突「み、未完成・・、ただの間違い文じゃないか。

自分のミスまでギャグにしてしまおうなんて、

あんたは恐ろしい人だ」

言いたいことを言え、と恐ろしい男しろひ猫は車窓

の世界遺産姫路城を眺めるのであった。

 

岡山に着いた。

岡山も3度目なので8番ホームへは5分もあれば

着けるようになった。

途中トイレに寄ると行列ができていた。

今朝の最低気温は4度、膀胱も縮み上がってるから

無理もない。

四国からやって来た「しおかぜ6号」は折り返し

「しおかぜ5号」となって9時25分発車となる。

普通は6号の折り返しだから7号なのだろうが

5号というのは合点がいかない。

時刻表の間違いなのか、JR四国の配車係の間違い

なのかよくわからないが釈然としない。

相も変わらず清掃係がちまちまと社内の掃除をしていた。

が、やがて作業は終了しドアが開いた。

私は4号車の最後尾の左側窓際に座った。

別に会社にいた頃窓際族だったから習性で

そうなってしまうとかいうのではない。

景色が見たいという人間の本能がそうさせるのだと思う。

現に、すべての人が窓際に座っているのでもわかる。

結構混んでいて、二席がすべて空いているところは

すぐになくなった。

やがて二人の女性が通路をこちらに向かってやって来た。

先頭のお母さんらしき女性と目が合った。

ヤバイと思う間もなく彼女は私の横に腰掛けた。

そして娘さんらしき女性は向こうの座席の

通路側に座った。

女性というのは二席あいてない場合、こういう

座席のとり方をするものだろうか。

私は女性ではないからよくわからないが。

出来ることなら娘さんがこちらに座ってくれたら

嬉しかったのだが、自律神経の交感神経が活発

になり精神衛生上よくないというお大師様の配慮

からこうなったのかも知れないと自分を納得させる。

私は自律神経失調症という持病を抱えており

娘さんが横に座ると北京あたりまで失調してしまう

かも知れませんね。

突「それも言うなら出張」

2人はベラベラと喋り続けた。

何を喋っていたのか記憶がない。

記憶がないということはおそらく、不毛で非生産的

な会話に終始していたものと思われる。

やがて雲の間からお日様が出て来た。

女性は眩しそうにしていたが、私はカーテンを

閉めなかった。

瀬戸大橋線の車窓にもいささか飽きがきていたが、

私はそれでもカーテンを閉めなかった。

女性は日焼けを気にしてか、体を少し通路側に

移動させた。

女性の困惑する表情を見た時、えも言われぬ快感

が私の背すじを走った。

皆さんウソですよ、私こんな意地の悪い男では

ありません、話を面白くするためちょっと脚色

したんですよ。

 

わたしは通路を歩き適当な座り場所をさがした。

仲々、二席通しの空き座席がない。

そんな時私は最後尾の通路側二席の空きをみつけた。

ここならトイレも近いし、トイレに行く姿を他の乗客

にも見られないだろうと、右側の不細工な男の

横に座り、娘には左側の席に座るように促した。

なぜわたしが右側に座ったかと言えば深い理由は

ない、右側に人を置いた方が話がしやすいからだ。

嫁にやった娘とは半年ぶりの再会である、積もる話も

一杯あるのでと、わたし達は大いに喋った。

多分隣の女性を主人公にした小説を書かせれば

こうなるのであろう。

 

宇多津駅が近づいた。

いいタイミングで左から、高松9時40分発いしづち5号

がやって来るのが視野の片隅に入った。

宇多津でしおかぜ7号じゃなくて5号と連結するのだ。

早く鴨島さんにJR四国の女性社長になってもらって

、6号の折り返しなんだからと7号に変更してもらわ

なくっちゃ。

母娘は宇多津で降りた。

私は床に置いておいた荷物を隣の席にあげた。

やはり一人だとゆったりとして気持ちいい。

その時再び突っ込みが声をかけてきた。

突「猫さん、在原業平の件で苦情がきてますよ」

「何て」

突「あれじゃ五七五の川柳だ。七七が足りないと」

「七七(イチイチ)うるさいなぁ。作ればいいんだろ。

東風吹かば においきついぞ わしの糞

大あんまきを 食い過ぎたかも どうだ参ったか」

と私は短歌(タンカ)をきった。

へへへ、ダブル親父ギャグでした。

ギャグの解説なとどいう不粋なまねはしたくないの

ですが、大あんまきというのはこの地方の名物で、

それを食い過ぎた業平がこの辺りまで来た時、俄かに

催してきて脱糞行為に及んだということです。

数少ない四国の読者さん、わかっていただけたでしょうか。

 

 

浦島と金田一は竜宮城を出た。

表で亀がゆらゆらと待っていた。

浦島は先にそれに乗ろうとした。

金田一は浦島の袖を掴んで言った。

「このまま、乙姫さんを見殺しにしてもいいのか。

長い間お世話になっていた乙姫さんだろ」

2人は居間に戻った。

「たたりじゃー、たたりじゃー」

焦点の定まらない目で、乙姫は二度叫んだ。

へたり込む乙姫の、金田一が右腕を、浦島が左腕を抱え

ともかく三人は城を出た。

「たたりじゃー、たたりじゃー」

乙姫が再びうなった。

「大丈夫ですかね、乙姫。気が変になったん

じゃないですか」

浦島が心配そうに言った。

「乙姫、床に敷くものは」

「たたみじゃー、たたみじゃー」

「かつおの」

「たたきじゃー、たたきじゃー」

「関ケ原は」

「たたかいじゃー、たたかいじゃー」

「大丈夫だな。精神的なショックで落ち込んでいるが

脳に損傷はないようだ。さあ、乙姫を亀に乗せよう」

金田一は言った。

亀の背に乙姫、しっぽを掴む浦島、その足首を

掴む金田一。

その体勢で三人は来た砂浜を目指した。

乙姫の白い髪が素麺のように揺らいでいた。

背後で大きな音がした。

主を失った竜宮城が地響きと共にスローモーション

で崩れていく。

 

「さあ、乙姫さん、ここに正座してください」

金田一は畳の上に乙姫を座らせ、目隠しを施した。

「どうするんですか、金田一さん」

「今から、乙姫を若返らせるのです」

「どうやって」

「実は私は竜宮城の隅から隅まで家宅捜索したのです」

「何を求めて」

「もちろん玉手箱です。年をとる玉手箱があるのなら

当然若返る玉手箱があっても不思議ないと思ったから

です。そしてそれは・・・あったのです」

金田一は背後に持っていた玉手箱を差し出した。

「本当に大丈夫なんですか」

「大丈夫だと思います。玉手箱に「若」の一文字が

書いてあったから。さあそれでは蓋を開けますよ」

金田一は正座する乙姫の前に玉手箱を置き、物干し竿

で蓋を開けた。

たちまち白い煙が乙姫を包んだ。

浦島と金田一は成行きを見守った。

やがて幼女となった乙姫が姿をあらわした。

「乙姫、君は今何歳かね」

「はい、四歳で御座います」

「あっちゃー、ちょっと若返らせ過ぎちゃったかな」

金田一は箱の中の効能書を読んだ。

この玉手箱は80歳若返ることができます、と書いてあった。

「おい浦島、彼女は随分と若造りをしていたんだな」

「どうしてそんなことがわかる」

「だってこの前の老化玉手箱には30歳老けますと

書いてあったもの。X+30-80=4だとするとXは」

「ご、54、うちのおかんと同い年や」

 

こうして乙姫は若返り、金田一の養女となり、名を

音姫と改めた。

最初は玉手箱を落とされたのだから、落姫(おとひめ)と

名付けられていたが藤田菜七子ジョッキーのデビューを

機にこの名に変更された。

彼女は幼稚園に通う傍ら、金田一の知り合いマリアの

もとで占い師となるべく教育も受けた。

その名からもわかるようにヤマハ音楽教室に通い

ピアノのレッスンを受けていることも付け加えておこう。

一方浦島は実家に帰ったが病気の母はいまは無く、

家業の漁師も資源の枯渇で生計は立てられず、コンビニ

のアルバイトをしたり時々金田一の仕事を手伝って

なんとか食いつないでいた。

また亀の亀代は乙姫の家臣として金田一ファミリーに

留まり、名を金田一亀代、通称キンカメと名乗った。

そんな金田一探偵事務所を、ある晴れた昼下がり

初老の夫婦が訪れた。

 

ご存知金田一平助シリーズ「新たな旅立ち」より一部抜粋

 

10時28分、1回目のお遍路の最初の降車駅観音寺を

再び私は訪れた。

早速、私は駅前の観光案内所に行き、太興寺への

地図をもらった。

「出来ましたら、太興寺までの、わかりやすく

なおかつ最短ルートの道を赤ペンでなぞって

もらえますか」

と私は女性職員にお願いをした。

ついでにこの辺りでレンタサイクルをやってる所が

あるときいたのですが、と切り出すと女性職員は

それはここですと言う。

なるほどママチャリが3台ほど止めてある。

料金はいくらですかと訊くと、保証金を含めて500円

返却時に400円返金をいたしますと言う。

私は住所氏名を記入し、500円を払い自転車の鍵

を貰った。

サドルが高かったら低く調整してください、と彼女は

言ったが大丈夫ですよと私は顔をひきつらせて言った。

その後、彼女の目の届かない所まで行って、サドルを

10センチほど下げたのは言うまでもない。

まったく、やんなっちゃう昔の日本人の体形というやつは。

私は地図に示してある道路を忠実に進んだつもりで

いたが、4人目くらいに訊いた畑仕事の夫婦は、私が

お門違いな方向に進んでいることを教えてくれた。

またこれだ、方向音痴な自分がいやになってくる。

それにもまして、この観音寺の複雑な道路と住民の

身勝手な主観にも悩まされる。

真っ直ぐ行って2つ目の信号を右折すると云々。

しかし行けども行けども信号などない。

客観的にみれば右折の道路も、彼らの中では真っ直ぐ

なのであり、固く信じ込んでいるみたい。

それに道案内も悪い。

上の方に太興寺の方向を示す標識がある。

しばらく行くと道が分岐している。

斜め右へ行く道と、斜め左へ行く道と。

2つに一つだから確率は50%なのだけど、私の

場合90%の確率ではずす。

どうして進むべき道の路面でもいいから矢印と

太興寺という文字をペンキ標示をしてくれないのか。

私はこのブログを書く場合、いつでも、どうしたら

読者が喜んでくれるか、笑って下さるか、読者の

立場に立って書いている。

四国の行政も、右も左もわからないお遍路さんの立場

に立って標識などを立ててもらいたいものです。

 

夫婦の教えてくれた、大雑把な太興寺の方角へ

軌道修正をする。

自宅の庭の松の木の剪定をしている男性を発見。

男性は私の持ってる地図を見て、現在地を

教えてくれる。

この現在地を教えてくれるのが一番有り難い。

観音寺では珍しい、まだ脳がしっかりした人だ。

男性の教えてくれた道を進むと377号線に出た。

乳母車に赤ちゃんを乗せたお母さんと出くわす。

彼女は、右の方へ進むと信号があり、その信号から

数メートルいくと左側に入る道があり、立札も

あるからすぐわかると言った。

彼女に礼を言った。

もう、あとは道なりである。

ここまでは割と平坦な道が続いた。

いつも言うように四国は総じて平坦である。

しかし、左折してしばらくすると上り坂が続く。

自転車での上り坂というのは労多くして功少ない。

私は自転車を降りて、引いて歩いた。

ただ歩くのに比べてそんなに辛くないし、上り坂の

自転車のスピードとも大差ないからだ。

1キロも行くと、やがて右側に太興寺が見えて来た。

ここで自転車に跨り、下り坂を猛スピードで進む。

自動車の駐車場の片隅に自転車をとめ、私は山門

へと向かった。

運慶作の金剛力士像が私を迎えてくれる。

どちらかと言えば、剛力彩芽に迎えてもらった

方が嬉しいが。

そう言えばコンゴウリキシオーと言う馬もいたなー。

たしか、新馬戦でディープインパクトに5馬身ちぎられたな。

こんなことを言っても競馬を知らない人には

わからないだろうが。

一通りの参拝を終え私は駐車場に戻った。

ソメイヨシノがまだ半分くらいは残っていた。

どちらかと言えば木村佳乃のほうがいいが。

朝は寒かったが、段々と気温も上がって来た。

私は薄手のジャンパーを前かごに入れ、シャツを

腕まくりした。

絶好のお遍路日和だ。

ゴルフ好きにはゴルフ日和、競馬好きには競馬日和

運動会があれば運動会日和である。

帰り道はお寺の前の坂道を歩き、後は377号線までは

殆ど漕ぐこともなく辿り着いた。

途中で先ほど道を尋ねた若いママさんに出会った。

「やあ、また遭いましたね」と言うと彼女は「えっ」と

言った。

「さっき道を尋ねた人ですよね」と言うと

「いえ、初めて会います」と言う。

乳母車といい、赤ちゃんといい、お母さんの年恰好

といい、よく似ていたので私は間違えてしまった。

でも、まあいいや、ここであったが100年目とばかり

私はブログの宣伝をした。

「実は私お遍路をしているんですよ」

「えーっ、自転車でお遍路をしているんですか」

と彼女は驚いた。

「いえ、これはレンタサイクルで借りて来たものです」

こんなママチャリでお遍路したら死んでまうわ。

「私、お遍路の紀行文をブログに載せているんですよ。

ぜひ読んでください。ドメイン名はフクスケドットネット

です」

「えっ、フクスケって聞いたことありますよ」

と彼女は言う。

まさか私のブログがこの辺りまで浸透しているのかな。

たしか四国で最初にブログを伝えたのも、この観音寺の

棟梁だったから可能性としてはゼロではない。

棟梁の奥さんにしては若過ぎるが、しかし棟梁の

ところで働いている若い衆のお嫁さんかも知れない。

しかしフクスケなどというドメイン名はゴマンと

あるのであるから彼女は勘違いしていると思う。

「フクスケのフはfuではなくhuです。よろしく

お願いいたします」

と彼女に告げると

「頑張って下さい」

と激励の言葉が返って来た。

小西真奈美を一回り若くしたようなと言っても、けっして

褒め過ぎではないポチャポチャとした若いママさんでした。

赤ちゃんも旦那さんも幸せにしてしまいそうな

優しそうな人でした。

嘘でもいい、激励の言葉にモチベーションもあがる。

道に迷って、くさっていた私に対する、お大師様の

配慮だと解釈しておこう。

あと数秒遅かったら彼女は道を曲がって

行ってしまうところだったもの。

お大師様もよく知ってなさる、私が女性が

大好きなのを。

決して女性が好きなのは悪い事ではないですからね。

と言って女子中学生監禁事件や劇団員殺害事件の

ような目的のためなら手段を選ばぬ卑劣な奴らは

論外ですけどね。

女性の好きな人は女性を殺したりしません、

いやがることもしたりしません。

 

すっかり機嫌のよくなった私、自転車を漕ぐ筋肉

にも力がはいる。

サイクリングサイクリングヤッホーヤッホー

突「そりゃ、いつ頃の歌だかや」

帰り道もまた道を間違えたが、何とか12時40分

に観光案内所に着いた。

女性職員はいなく、昼食に行ってますという張り紙が

してあった。

私は急いで自転車のサドルを10センチ上げた。

なんという見栄っ張りな私でありましょうぞ。

12時50分駅のコインロッカーからリュックを

取り出す。

ここまでの一連の行程を公共交通機関のみで行った

なら、11時53分のバスに乗り12時22分向新田着

参拝をして向新田15時41分発のバスに乗り16時

10分観音寺駅着となる。

あとは16時40発の特急で18時26分松山着となる。

私の知恵と自転車漕ぎ筋の活躍でおよそ3時間20分

も時間を浮かせることが出来た。

この時間を使って何かできないものだろうかと、

私は考えた。

一駅戻れば70番札所本山寺がある。

時刻表をみると、13時17分発サンポート南風

リレー号がある。

私は210円を払ってきっぶを買った。

駅の売店で買ったサンドイッチを頬張り缶コーヒー

を流し込んでいると13時22分本山駅に着いた。

駅前で本山寺への行き方を訊く。

真っ直ぐ行って突き当たりを右に50メートルほど

行くとそれはあると言う。

これほど簡単にわかった寺も珍しい。

 

 

境内に御覧のような馬の像があった。

このお寺は88ヶ所中唯一の馬頭観音がご本尊である。

納経所で馬のバッジも販売していた。

最近競馬の調子も悪いので一個買って

行こうかと思ったが踏みとどまった。

「馬鹿か、お前は」と罵倒観音に一喝されそうな

気がしたから。

実は私、まだ今年競馬の的中がないのです。

2つほど惜しいレースはありましたが。

一つは阪急杯、軸馬サドンストーム(4着)ワイドで

ミッキーアイル(1着)65×1000=65000円

オメガヴェンデッタ(2着)70×1000=70000円

もう一つは高松宮記念軸馬アクティブミノル(4着)

で相手はビッグアーサー(1着)110×2000=220000円

ミッキーアイル(2着)100×500=50000円

アルビアーノ(3着)100×500=50000円

競馬にたらればはいけませんが、40万円近く獲れてた

はずです、運が良ければ。

今年の現在までの収支はマイナス90000円です。

しかしコツコツと努力すればいつかは、今年も

黒字になるでしょう。

私の場合大穴狙いだから一発当てればたちまち

黒字になると思います。

そのうち大きな的中馬券を披露して皆さんを

地団駄踏ませてやりたいと思っております。

参拝も終わり本山駅へと向かう。

次の電車は14時56分発で15時に観音寺に着く。

そして15時39発の特急に乗れば17時24分に

松山に到着する。

駅へと向かう途中、もう一度時刻表で再確認をする。

一本前に14時23分というのがあるが、観音寺14時38分

にはわずかだが間に合わない。

とずっと思い込んでいたが、よく見るとこの電車は

観音寺27分着41分発である。

私はこの41分発のところを見て、38分発の特急に

間に合わないと思い込んでいたのだ。

しかし観音寺着は27分なのであり、38分発の特急まで

にはまだ若干の余裕があることがわかった。

特急の通過を待つため、普通は長く一駅に停車を

することがあるのでくれぐれも着時刻の方を重視

するようにして下さいな。

私は駅へ向かう足を速めた。

ホームで電車を待っていると孫を連れた年配の

方が声をかけて来た。

「お遍路ですか」多分同行二人の私のバッグを

見たのだろうと思う。

「はいそうです」

「今日はどこを廻って来ましたか」

「大興寺へ行ってまだ時間があったので本山寺へ

来ました」

「明日はどこを打つのですか」

「44、45番札所へいくつもりです」

老人もつい最近まで車でお遍路をしていたそうだ。

45番札所は難所で歩いて行くのは大変だと言った。

やがて電車はやって来た。

老人は電車に乗るのではなく、孫とホームまで

散歩がてら遊びに来ただけで私に気を付けて

行きなさいと言った。

観音寺に着いてまだ10分ほどの時間があった。

私はみどりの窓口で松山までの特急券を1180円

はたいて買った。

こんなことならリュックはコインロッカーに置いて

おけば良かったと後悔もした。

 

しおかぜ13号に乗車した。

三角寺の伊予三島、横峰寺の伊予西条、香園寺の伊予小松、

雨に見舞われた今治、半年前の思い出が鮮明に甦って来る。

列車は4分遅れで松山駅に着いた。

下手をすると一寺廻るだけで、しかも18時26分に松山に

着く羽目になっていたかも知れないところを二寺廻って

16時20分に着いた。

私も大分旅慣れてきたのかな。

早速宿を探す、予約はしてないが一応決めている。

そう、昨年宿がなくて困っている時に救ってもらった

ホテル松山ヒルズである。

逆境の友は真の友である。

フロントに、予約はしてないが空いてる部屋はありますか

と尋ねると相も変わらず喫煙の出来る部屋ならあります

と言う。

朝食付きで4880円、昨年より更に安くなっている。

前金で払い(夜逃げされないように)鍵をもらい

エレベーターに乗る。

高橋英樹親子の写真がある。

何でもこのホテル(全国にチェーン店を展開しているら

しい)の名誉チーフコンダクターらしい。

部屋に入る。

確かに煙草の嫌なにおいがする。

旅装を解き街へ出る。

やっぱり城下町はいいね、独特の雰囲気がある。
どのような雰囲気なのか具体的に50文字以内で
述べよ、と言われても私には出来ないが、なにか
のんびりとした、おっとりとしたものを感じる。

駅構内にあるコンビニで夕食のおにぎり、サンドイッチ、

お茶、コーヒーを買う。

帰り道、地元の人にケーキ屋さんのありかを訊く。

昨年世話になった友人の綱義を尋ねる時の事を考えて。

言われた店を訪ねる。

本業は一六タルトの店であり、ケーキは副業で

やってるみたいで、6品ほど置いてあったケーキは

パッとしなかった。

開店時刻が8時30分なのはいいが、やはり市駅の

デパートで買ってバスに乗る方が賢明かも。

部屋に戻ってテレビを点ける。

この地方のニュースをやっていた。

やはり早めのチェックインはいいね、体への

負担が少なくて済む。

でも明日への不安がないわけでもない。

何十年振りかに乗った自転車、使ったことのない

自転車漕ぎ筋の筋肉痛が出て歩行もままならない

ことになっているかも知れない。

風呂に入り、夕食を食べ、明日のスケジュールを

確認し、8時には床にはいる。