5月7日
気温11℃の中、長袖で駅へと向かう。
天候は快晴、あたかも私の旅立ちを
お大師様が祝ってくれていると感じる
のは私だけであろうか。
突「他に誰がいると言うのだ」
名鉄三河線を行く。
行きつけのグリーンセンターが車窓に
見える。
しばらく行くと「中根に駅を」という看板が
2枚立っていた。
一体この看板は誰に訴えているのだろうか。
我々乗客に訴えているのならお門違いだ。
また一つ駅が増えれば帰りが遅くなる。
と、そのうち誰かがあの看板の下に1行
加えに行くだろう。
「中根に駅を、作るな」
ま、安倍総理が中根に住めば可能性が
ない訳ではないが。
そうなると駅名は「三河忖度」かな。
JR全線きっぷ売り場で日和佐行きを
買う。
この前、13900円かかったが、今回はどう
だろうかと注目していたがやはり13900
円であった。
突「当たり前だろが」
前回は日和佐のお土産屋のおばさんから
購入したものだから、間違ってるかもし
れないと思って。
突「もし、おばさんのきっぷのが安かったら」
黙っている。
突「高かったら」
差額を請求しようと思う。
7時6分発のぞみ97号に乗る。
10日連休の明けなので乗客はいつもの半分
くらいであった。
岐阜羽島、米原、西明石、姫路、相生と
通過駅を表示しながら8時43分岡山に着いた。
「マリンライナー」に乗り換える。
9時58分高松着。
ここまでは前回と同じである。
前回は10時02発の徳島行き普通に乗った。
たった4分しかないので駅のことを知らないと
乗り遅れる人も出るかも知れない。
今回の私は10時10分発の「特急うずしお」
である。
最初の停車駅は栗林である。
常宿のサンシャインホテルが見える。
あの道を通って私は昨年屋島に向かった。
次の停車駅は屋島である。
昨年知り合った屋島中学バレーボール部
の少年はどうしているだろう。
今年はレギュラーになれたのかな。
それより私のブログは読んでくれている
のだろうか。
あまり期待はしていないけど。
屋島と言えば初めてのお遍路で知り合った
森田さんもいる。
歩き遍路でかかった費用が100万円だとか
言っていた。
いい旅館に泊まって美味しいものばかり
食べてたらしい。
それもまた遍路ですけどね。
しかし前回と違って特急というのは会話を
する機会というのがありませんね。
やっぱり鈍行に乗って地元の人と話して
いくのも旅の楽しみなんですがね。
11時25分徳島着。
日和佐行きは30分発である。
ここもうかうかしてると乗り遅れる。
列車は1番ホームに着いた。
改札側の奥の方である。
手前が2番ホーム、階段を登って線路を
跨ぎ、降りたホームの改札側が3番
、反対が4番ホームである。
どうです、丁寧な説明でしょ。
私のブログを読めば四国の旅行も不安
なしですよ。
海部行きは動き出した。
それにしても牟岐線に乗っていつも
感じることは若い乗客が多い。
10代の人が圧倒的に多く、あとは観光で
ない旅行者が多く、会話もないまま13時
01分日和佐に着いた。
勿論、今日の泊まりはここではない。
今日中に牟岐まで歩かなければならない。
いつものように道の駅でたこ焼きを買い、
55号線を南へと向かう。
いきなり今までと違う田舎がやって来る。
それでもレッドバロンの看板がある。
これはうちの辺りのバイク屋さんだけ
かと思ったら、こんな田舎にもあったの
ですね。
突「バイク屋だけに全国チェーンなんですよ」
うーん、78点。
突っ込み、腕を上げたじゃないか。
さらに田舎は深まる。
ヤギが草を食べていた。
他に何もないので写真に撮った。
お友達から来た手紙は食べないのと訊くと
僕、友達がいないんだと言った。
なにか気の合いそうな八木さんだった。
子供の頃我が家でもヤギを飼っていた。
乳も飲んだ記憶が微かにある。
勿論器からですよ。
直に飲んだら蹴飛ばされます。
突「そんな奴がどこにいる」
2つのトンネルを抜け山河内駅近くの
ベンチでたこ焼きを食べる。
この辺りは牟岐線と55号線が並走して
いるので安心感がある。
突「へい、そうなんですか」
殴るぞ、ちょっと褒めてやったら
これだ、0点。
例えば土砂崩れで55号線が塞がっても
牟岐線がある。
牟岐に着く前に真っ暗になってしま
ったら「へがわ」から牟岐線に乗れば
いいってね。
そのへがわあたりからへんろ道に入る。
前回は55号線を歩いたが、たまには
へんろみち保存協力会の言う事を聞く。
へんろ道にありがちな難しさはなかった。
しばらく行くと自動販売機の沢山ある
休憩所に来た。
お遍路さん風のサイクリストがいた
ので話しかけた。
彼はほぼ野宿で廻っているらしい。
前回、廻った時の全費用は16万円だと
言っていた。
コインランドリー、銭湯、納経料、食費
、5回の宿泊費などでそれくらいは
かかってしまうと言っていた。
焼山寺はと訊くと、反対側(鍋岩)から歩いて
登って降りたと答えた。
鶴林寺と太龍寺はと訊くと、小学校跡に
自転車を停めて、どちらも登って戻って
でやりくりをしたと答えた。
写真を撮らせてくれと言ったら快く
応じてくれたが、ブログに載せていい
かと許可を求めたらそれは困ると拒否
された。
じゃ自転車だけ載せますと言うと後ろ姿
なら構いませんと彼は去って行った。
さわやかな一期一会であった。
これについて彼の感想は聞いてないが。
牟岐駅前に着いた。
一昨年泊まった「あづま」が見える。
通りかかった地元の人に、この民宿
やめちゃったんですかと訊いた。
みたいですね、でもおばあさんは
元気ですよと言った。
駅前の信号を左に曲がり、橋の手前を
右に行くと「民宿杉本」はあった。
午後5時のことであった。
ご飯まで1時間あるのでスーパーで買って
来たビールを飲みテレビを見ていた。
6時、食堂に行くと一人の女性がいた。
東京から来たと言った。
髪は真っ黒だが、私と同世代だと見た。
仕事もリタイアし、かねてからの希望の
お遍路にやって来たと言った。
前回は平等寺で終わって新野駅から帰り、
今回は阿波福井から始めたと言った。
そりゃ、あんた一駅ズルしてるじゃない
かとは私は言わなかった。
女の人は結構アバウトなものなのだ。
飛行機でやって来たので宿のチェック
インより早く着きそうで暇をつぶす
のに苦労したと言った。
だったら新野駅から歩けよと私は心の中
で息巻いた。
が、上部(うわべ)はそういうこともあり
ますよねと、破れそうな笑顔で言った。
おいしい料理とビール一本で7時にお開き
となった。
風呂に入り9時前には眠りに入った。
本日の歩行距離20,55km
5月8日
5時に目が覚めた。
今日の宿泊地は東洋町なので慌てる
必要はないのだ。
本当はもう少し先まで行けたら、理想で
あるが、ない宿には泊まりようがない。
歩き遍路さんなら誰もが思っている。
野根の5km先くらいに宿があったら
24番札所宿坊までが楽なのになぁって。
旅支度を整えていると、女将の言ってた
6時半の朝食タイムになった。
食堂に行くと、またしても東京の女性は
朝食を食べていた。
今日はどこまで行くんですかと訊くと
東洋町だと言う。
私と一緒ですね、私は「みちしお」に泊
まるんですよと言うと、彼女はわたしは
室戸岬に一番近い宿ですと言った。
ああ、南とか言う文字の入る宿ですねと
言うとそうですと彼女は答えた。
私も候補の宿として挙げていたので、よく
覚えている。
しかし朝食が何だったのかは全く覚えて
いない。
ご飯と味噌汁と焼きのり以外は。
6時45分出発、55号線をひたすら南に進む。
トンネルの手前に内妻荘なる宿をみつける。
無理すればここまで来られなくもない。
同行二人の巻末の評価も○である。
にもかかわらず牟岐に泊まるのは、牟岐駅
に近いという安心感がそうさせるのかも
知れない。
トンネルを抜けると鯖大師の大きな看板
が出ている。
右に矢印で出ているので右の道に行く。
しかし鯖大師はなく再び55号線に出る。
あの看板の矢印は、しばらく行ってから
右に入るのですよという矢印だったのだ。
皆さんも気を付けて下さいよ。
突「そんなとんまな奴はお前だけだ」
500mも行って横断歩道を渡り、右への
道を行く。
牟岐線の下をくぐると鯖大師はすぐだった。
なんでも、鯖を3年断つと願い事が叶うとか。
逆に言えば鯖を食べ続ける限り願いは
叶わぬと言うことか。
鯖は美味しいし、健康食品だし、私は
断つ気にはなれません。
何の根拠もないこのスローガン早く
取り下げた方がいいと思います。
魚屋さんを敵に回して、徳島せん。
突「ハラホロヒレハレ」
そう言えば、ここは宿坊がありましたよね。
夕食に夜な夜な焼き鯖が出たりなんかして。
突「キャッイーン」
帰り際、東京の女性とすれ違った。
さいしゅうでんしゃで きみにさよなら
いつまたあえると きいたきみのことばーがー
55号線に戻る。
この辺りから海が現われる。
砂浜を犬の散歩をする女性がいた。
大きな黒い犬だった。
その犬、なんて犬ですかと私は訊いた。
雑種ですよ、と彼女は答えた。
立派な犬ですねと言うと、有難うございます
お気をつけて行って下さいと彼女は言った。
これも一期一会だ。
やっぱり犬は雑種が一番素敵だ。
右手に「民宿大砂」が見えて来た。
目の前にはバス停もある。
きっと大晦日の夜は初日の出見たさに満室
になるだろう。
いやすでに、予約で満室になっているはずだ。
更に進むと砂浜で二人の男が海を見ていた。
何を話しているのだろう。
出来れば「二人の男の海岸物語」にしたいと
思うが時間がかかるのでパス。
いつか作りますので時々この辺りを覗いて
やって下さいな。
浅川の駅近くに公衆電話があった。
明後日の宿を「ホテルなはり」にとった。
津波避難経路の立札があった。
生々しい。
今ここで南海トラフ地震が発生したならば
私はこの経路をたどって避難所に行くだろう。
へたをすれば当分は家に帰れないだろう。
石碑もあった。
牟岐線の終点「海部駅」の前を通り、ふれあ
いの宿遊遊NASAの横を通り、時々通る阿佐
海岸鉄道の車両をカメラに納めようとするが
なかなかうまく行かないまま海陽町に入った。
私はこの前の遍路で寄ったうどん屋で空腹
を満たそうとしたが店はお休みだった。
よく考えればここはまだ徳島県、しかも今日は
水曜日である。
飲食店の定休日が水曜日であるというルールは
無残にもここでも適用されていたのだ。
すでにコンビニは通過してしまった。
目の前には「道の駅宍喰温泉」があった。
こういう所には食堂があるものだと寄って
みたが1000円~2000円の高額な料理ばか
りなので袖にしてやった。
しかしこの先地図を見てもコンビニのC
もスーパーのSもなかった。
宍喰大橋を渡ると右手にお遍路さんの
休憩所があった。
興味があったので寄ってみた。
鍵のかかる小屋であった。
エアコン、冷蔵庫、カーテン、そして
四畳半の畳まであった。
どこにも宿泊禁止とは書いてないから
泊まれると思う。
ただし期限は8月末までである。
今、宍喰大橋は工事をやっている。
その建設会社が休憩に使う小屋である。
工事は8月末で完了とあるので、そこで
取り壊すのであろう。
日和佐を朝出れば絶好の宿泊地に
なりますぞ。
水床トンネルを抜け高知県に入る。
東洋町に入ると海の駅があった。
私はここでうどんとおにぎりで餓死を
免れた。
時刻はまだ午後2時、30分ほど海を見つめて
時間を潰した。
午後3時生見ちゃんに着いた。
この生見海岸には6つの民宿があり、客の
ほとんどはサーフィンが目当てである。
ここはサーフィンのメッカなのである。
レストランみちしおの入り口には定休日
の札がかかっていた。
普段は客でごった返しているが、店に入る
と主人だけがいた。
早速宿賃を払い部屋に通された。
2日分の洗濯をし、風呂に入り、6時に
レストランへ行った。
一緒に食事をしたのは、滋賀県から来た
お遍路さんである。
今回が3回目の遍路であると言っていた。
しかし十数年かけて3回目というから、
忘れかけた頃にやって来てるみたいである。
四万十の辺りで宿がみつからず、奥さんに
電話してパソコンで宿をとってもらったら、
それが10km先の宿で、通りかかった車で
宿まで送ってもらった。
翌日タクシーで戻って来たら7000円とら
れて奥さんに叱られたと言っていた。
男は、女と違って正直ですものねー。
1時間ほど談笑し、明日のおにぎりを貰っ
て部屋に戻った。
明日は宿坊が休みなので、24番札所越え
になる。
気合を入れていかないとね。
気合いだ気合いだ気合いだ。
21時就寝。
本日の歩行距離30,07km
5月9日
予定通り5時に宿を出る。
正確に言うと4時55分であった。
あたりは明るい。
しばらく歩くと前に菅笠のお遍路さんが
歩いているではないか。
きっとあの人も宿坊越えの人だと思う。
やがて休憩所があった。
お遍路さんの姿が見えた辺りだ。
彼はここで休憩をしていたのだろう。
地図には載ってないが、この辺りは
民宿が立ち並ぶ。
サーファーのための民宿なのだから
同行二人の地図には載ってないのだ。
東京の人が泊まると言ってた「民宿南国苑」
も右手に見えた。
トンネルを抜けて野根に入る。
「野根まんぢう」の店が見える。
きっとこの辺りの名物なのでしょう。
「まんぢう」がいいですね、まるで大名古屋
ビルヂングみたいで。
休憩をしている菅笠さんを抜く。
海と山だけの単純な風景が続く。
室戸市に入る。
10kmほど歩くと次の集落佐喜浜に着く。
新佐喜浜橋より
途中で菅笠さんに抜かれる。
年は召されているが、かなりの俊足だ。
ここで朝食兼昼食をいただく。
前回と同じバス停だ。
佐喜浜港あたりで休憩している菅笠さん
に追い着く。
休憩が終わって55号線に戻ると、目の前を
1人の女性が歩いていた。
足が長くてスタイルがいい。
少なくとも我々団塊の世代のスタイルではない。
しかも足も速い。
彼女はどんどんと私から離れていった。
ま、それほど気にもならないけど。
きのう宿で一緒だった滋賀県の人が泊る
と言ってた「ロッジ尾崎」つづいて「民宿徳増」
が見えて来た。
椎名の辺りまで来るとようやく室戸岬の
灯台が見えて来た。
山の頂上にちょこっと見えるのが灯台である。
菅笠さんも女性も、遠くではあるが見えている。
途中の三津丸山のバス停あたりに新しい
宿を見つけた。
その名も「民宿宇宙くん」だった。
こんなところに作られてもねぇ。
できることなら野根のあたりに「民宿
まんぢうくん」を作って欲しかったな。
青年大師像の前を通り御蔵洞に寄ると
菅笠さんがいた。
今日が2日目で、1日目は海部駅から「民宿生見」
まで歩いたと言った。
今日は「うまめの木」に泊まる予定だと言う
ので、じゃ私と一緒ですねと言った。
万歩計の歩行距離を見ると39km近かった。
それを彼に告げるとそれはちょっとおかしい
と言われた。
彼の手帳によれば生見海岸からここまでは
35kmなのだそうです。
歩数で言えば6万6000歩だと言うが、私の
歩数は8万歩を超えていた。
しかし私は彼に歩数だけは告げなかった。
確か前を歩いていた女性とピッチを測った
時も私の方が速かった。
にもかかわらず彼女との距離は離れて行
くばかりだった。
これは一体、何を意味するのであろうか。
考えるのはよそう、惨めになるばかりだ。
菅笠さんより先に発つ。
いつも言うだろ、のろいが最後は私が勝つ。
私はのろまな亀です。
どっかで聞いたセリフだな。
40km近く歩いた後の最御崎寺は辛い。
途中の休憩所で一服していると後から
人がやって来た。
菅笠さんではなかった。
やっぱり坂道はしんどいですね、と
彼は言った。
4回目の遍路だが、この坂を登るのは
初めてだと言う。
今回は車と公共交通機関を使った歩き遍路
なのだそうだ。
なにか意味不明で頭の中がぐしゃぐしゃ
になりそうである。
つまり車で次の宿泊地まで走る。
それから公共交通機関でスタート地点
に戻る。
歩いて車まで辿り着き車中泊なので
あるとさ。
車はいいとしても、田舎の公共交通機関
であるから随分時間がかかりそうですね。
この歩き遍路の弱点は、会話がほとんど
ないことだそうです。
いいじゃん、今日は私が話し相手になって
あげたから。
15時半山門到着。
金属音のする石を叩いて本堂に向かう。
宿坊も休むことがあるんですね、と納経所
の人に言うと、この10連休はお客さんが
凄く多くて宿の人もヘトヘトだったそうです。
そんな宿の内情を聴いてスカイラインを
降りて行く。
見事なまでのヘアピンカーブだ。
16時少し前、目的地「うまめの木」に到着。
名を告げると予約表に私の名はないと
言われた。
○○さんは明日の予約になっていますが、
と、このまま室戸の海に身を投げたくなる
ような言葉が返って来た。
宿がそう言うのであれば、恐らく私が日付
を間違えて予約したのだろう。
しっかりしてるように見えて、どこか間が抜
けてる所が私にはあるから。
宿の人は知り合いの宿に電話をしてくれた。
部屋は空いていた。
時刻は16時、急げば津照寺の納経時刻
に間に合うかもしれない。
私はかつてないほどの全速力で歩いた。
すでに40kmは優に歩いているというのに
・・・・私は人間の底力を己に見た。
なんちゃって。
16時50分津照寺到着。
掟破りの納経所直行。
それから長い階段を登り本堂へと向かった。
思い返せば今朝「みちしお」を出て、よく
ぞここまで来れたものだ。
おまけに今日は午後から雨の予報であった。
それを思うとやはり私はお大師様に守られ
ていると思った。
お大師様、他の人はどうでもいいけど
私だけはこれからも守ってね。、
突「ハラホロヒレハレ、それがいかんちゅうに」
あくまでも冗談ですよ。
お参りを終え帰って来る階段の途中で
納経をして下さったお寺さんとバッタリ
会ってしまった。
非常にばつが悪かった。
スーパーで買って来た夕食とビールを
飲んで寝た。
しかし疲れすぎたのか、なかなか寝付かれ
なかった。
追い打ちをかけるように、私の顔面を
音を伴って未確認飛行物体、いわゆる
UFOが飛び始めた。
世間一般ではコガタアカイエカと呼ばれ
ているが暗闇の中で確認してないから
UFOなのだ。
あの「ブーン」という音が気になって
眠れなかった。
12時が来て、1時が来た。
依然として私は眠れなかった。
その時である。
私は、ある偉い方の言葉を思い出した。
世の中に無意味な存在など一つもないと。
つまりこの蚊は、私がどう処理するか
試すためにお大師様が放たれた蚊なのである。
居ても数匹である、吸われても失血死する
ことはない、満腹になれば2度と襲ってく
ることはないだろう。
そう考えた時、私は深い眠りに陥った。
本日の歩行距離50,48km。
5月10日
6時半に宿を出る。
今日の宿泊地は奈半利、距離にして20km
ほどだからあわてる必要はない。
しかし、だからと言って7時過ぎに出るので
あれば昨日津照寺の納経を済ませておいた
意味がない。
昨日は私のお遍路史上初めて50kmを越える
距離を踏破した。
さらに3時間という睡眠時間で目に見えない
疲れも溜まっているかも知れない。
なので早目に出て、ゆっくりと歩きたか
ったのだ。
津照寺あたりの繁華街を抜け55号線に出る。
昔懐かしい郵便ポストがあった。
公衆電話があったので安芸に宿をとる。
しばらく行くと二手に分かれる信号があった。
55号線と集落を通る道である。
私は集落を通った。
元橋のバス停が見えて来た。
過去2回私はここでバスを降り金剛頂寺に向
かった懐かしいバス停である。
室戸病院で診察を終えたおばあさんに逢っ
たこともある。
私が死ぬまで地震は来ないで欲しい、と言
ったおばあさんの声が今も耳に残っている。
きつい坂を登り8時頂寺に到着。
納経を終え、宿坊の前を通り、へんろ道を行く。
神峯寺や不動岩への道案内が随所にある。
どちらかと言えば不動岩へ誘いたいという
気持ちが道標からうかがい知ることが出来る。
きっと信仰心の厚い人は不動岩へ向かうので
あろうが、納経所もないお寺を私はバスする。
草の繁茂する道を行く。
マムシを踏んづけるといけないので杖で
探りながら歩く。
不動岩と神峯寺との分岐点に来た。
うっかりするとここで間違える。
真っ直ぐ行く道には不動岩と神峯寺と書かれ
ているが、右へ行く道には何もない。
あるとすれば少し入った所に「四国の道」だけ。
しかも道標をよく見ると、不動岩経由神峯寺
とある。
経由という文字を見逃した初心者なら
そちらへ向かってしまうだろう。
どうしても不動岩に向かわせたいという
へんろみち保存協力会の意図がくみ取れる。
あのなー君たち、そういうのは「不動心」
とは言わずに「頑固」と言うんだよ。
分岐点を右に行く、右ですよ。
落ち葉のたまったへんろ道である。
もう、こんなへんろ道が涼しいと感じる
季節になってしまったんですね。
30分ほどで55号線に出る。
鯨館がある。
突「ここには何があるんですか」
私にもわからない。
鯨の釣り堀でもあるんじゃないか。
突「キャインキャイン」
それとも鯨のショーかな。
ジャンプするとプールの水が空になったりして。
突「ザップーン」
55号線を歩く。
所々にへんろ道の引込線はあるが、さしたる
見どころもないので黒耳第一第二第三と歩く。
しかし吉良川町あたりからは繁華街を歩く。
遍路宿蔵空間茶館(くらくうかんさかん)がある。
テレビで紹介されたことがある。
たしか宿の人がピアノを弾いてくれるのだ。
しかしここに泊まる人の前日の宿は、民宿徳増
あたりになる筈だから私が泊まることは今後も
ないだろう。
前回も寄ったパン屋さんで卵焼きのトーストを
二枚買う。
フランクフルトも買いたかったが、まだ時刻が
早く、在庫はアンパンとこれしかなかった。
西灘第一のバス停で食べていると、近所の人が
お接待ですと琵琶を7個ほど下さった。
よく肥えた色の良い琵琶であった。
さらに彼は空になった「綾鷹」のペットボトル
に冷たい水まで入れて来て下さった。
大坂在住で、たまたま実家に帰っている時
お遍路さんを見たのでお接待を持って来た
との事です。
彼は歩き遍路さんを尊敬していると言った。
そんなに大したことはないので照れる。
二人で写真を撮る。
まなちゃんの時以来の、人のスマホに残る
私の写真である。
当然私も私のブログを伝える。
大阪の人だから、きっと私のギャグは
受けるだろう。
しかし写真はあまり人に見せないで下さいよ。
ブログは多くの人に知られたいけど、顔だけ
は知られたくないのです。
お遍路が楽しくなくなってしまうかも
知れないから。
彼に別れを告げた。
この人とは出逢うべくして出逢った人の
ような気がした。
きっと私のブログの登場人物としてお大師様
が配慮して下さったのだろう。
55号線を再び歩く。
ドライブインオハラの前を通り羽根に入る。
再び繁華街への引込線はあったが私は行か
なかった。
前回騙された中山峠道へと続く道だ。
地図によれば1,2km短いとあるが、時間的には
国道の方が早い。
向こうは酷道だ。
なんなら試してみるがいい。
海岸線を歩き加領郷(かりょうごう)を過ぎ
ホテルなはりの横を通った時、午後二時
であった。
チェックインにはまだ早すぎるので先を行く。
この辺りの地図を見る。
ホテル付近にはコンビニもスーパーもない。
ということは引き返すバス停は夕食を売っ
てる店の近くでなければならない。
奈半利を過ぎ、田野駅を過ぎた。
ここで私はあるお店から出て来た女性に
逢った。
彼女は私に会釈をした。
私も彼女に会釈をした。
彼女は駐車場の車に乗った。
これって、ブログ売り込みのチャンスでは
ないか。
偶然にも今朝書いておいたブログのメモ
用紙があったので彼女に渡した。
ギャグが一杯入れてありますからねと言って。
彼女は快く受け取ってくれた。
年の頃なら三十代後半といったところか。
一番お笑いを好む年代ですよね。
それより若かったら私のブログは読んで
もらえないだろうな。
一連の動作は流れるようにスムーズに
完結した。
これも渡すべく運命であったのだろう
と私は感じた。
さらに55号線を進む。
地図によれば「安田役場通」バス停近くに
「輝るぽーと安田」なるスーパーがある。
ここで夕食を買って「法恩寺通」まで帰ろ
うと、歩きながら私は計画を立てた。
「輝るぽーと安田」は小さな店だった。
当人がスーパーと言うんだから否定は
出来ないが、まだコンビニの方がましな
スーパーだった。
勿論酒類も置いてなかった。
スーパーで教えてもらった酒屋でビールを
買い安田西新町のバス停から15時37分の
東部バスで16時ホテルなはりに戻った。
しかし神峯寺の麓の唐浜には明るい内に
着いたことを思うとホテルなはりを予約
したことを私は悔いた。
ま、それはうまめの木の予約日違いが生んだ
けがの功名的結果なのだから仕方ないけどね。
私の言ってること日本語になっているの
だろうか。
結果だけ見てあーだこーだと言ってはいけ
ないということだ。
競馬の結果論と一緒だ。
当たってたら買っててよかったと思うだ
ろうが。
ホテルに着くなりビールを喰らい、テレビの
吉幾三の歌番組を見た。
夕べは3時間ほどしか寝ていないので、風呂
に入り19時には眠りに就いた。
やっぱりホテルは蚊がいなくていいなぁ。
本日の歩行距離34,34km。
5月11日
6時半に宿を出る。
夕べは1時頃に目が覚めてしまった。
しかし再び5時頃まで寝てしまった。
したがって頭はスッキリしている。
法恩寺発の一番バスは6時50分である。
乗客は私を含めて4人で、想定の範囲内
であった。
昨日歩いた風景が車窓に展開して行く。
田野の女性、外国人カップルのお遍路さん、
レストランを過ぎた辺りの信号。
前回は地図の赤線に従って右へ行ったっけ。
猫と戯れているうちに辺りは真っ暗になり、
地元の人に唐浜駅近くまで送ってもらった。
そんなことを考えていると西新町に着いた。
7時04分であった。
道路を渡り、右側の歩道を西へと向かった。
1kmほど行くと「ドライブイン27」があり、
それを過ぎると札所へ行く道がある。
次の交差点で私は「民宿旅館浜吉」を見つけた。
同行二人の地図には載ってない宿だ。
今度来た時のために心に留めておく。
くろしお鉄道の下をくぐり二手に分かれた道を
右に行く。
室戸方面から神峯寺を目指すなら、これが
一番わかり易いルートだと思う。
どう考えても私には、へんろ道がお遍路さん
のことを慮(おもんぱか)るルートとは思え
ないのだ。
しばらく平坦な道が続く。
前回来た時はいきなり山道を登ったような
気がしたので道を間違えたのかと思った。
そう言えば、さっき急な坂道があったが、
あれだったかもしれないなと人に尋ねると
もうすぐ坂道が始まりますよと言われた。
途中の道標に神峯寺まで60分とあった。
時刻は7時33分であった。
ほぼ直線の坂道をグングンと登って行く。
左から来る新道と合流する。
ここから坂道はさらに厳しくなるし、打ち
戻しなので草むらにリュックを隠し進む。
へんろ道は無視し車道を突き進むと山門
に着いた。
時刻は8時33分。
道標からかっきり一時間であった。
別にそんな事私は意識してないし、
ここまで一度も時計も見たこともない。
人は人、自分は自分。
遅くても劣ってる訳でもなく、速くても
優れている訳でもない。
他人の評価など気にせず、自分らしく
マイペースで生きて行けばいいんですよ。
東京へは もう何度も行きましたね
君の住む 美し都
境内に入りベンチで小休止していると
見慣れた顔に遭遇した。
東京の人だ。
昨日はホテルなはりに泊まったと言った。
(それじゃ私と一緒じゃん)
今朝は6時にホテルを出て来たと言った。
(それにしては速い、ひょっとしたら室戸へ
向かう途中私の前を歩いていたのは彼女
だったのかも知れないな)
室戸ではどこに泊まりましたと訊くと
室戸荘だと言った。
だとしたら登山道のどこかで逢いそうな
ものだが逢ってない。
きっと境内でゆっくりしていたのでしょう。
頑張って下さいと言って、私は本堂に
向かった。
本堂太子堂とお参りをして私は駐車場の
うどん屋に入った。
遅い朝食だ。
メニューはなかった。
とりあえず「うどんを下さい」と言った。
ご主人は「はい」とだけ言って作り始めた。
「何にします」と訊かれるかと思ったが
これはどういうことだ。
やがて登場したうどんには野菜がいっぱい
入っていた。
なす、パプリカ、かぼちゃ、ジャガイモ、
タケノコ、それに長く黒っぽい高知特産
の何とか言う野菜もうどんの上にのっていた。
メニューがないのは、とご主人に訊くと
これしかないからですと言われた。
単純明快な答えだ。
ヘルシーで美味しいうどんだったと私は
思います。
突「次来た時は」
お腹が空いてれば食べます、と言うか
お腹を空かしてここに来ます。
9時20分下山を開始、途中でリュックを
拾い新道を進む。
いつも吠える犬たちは今年は一匹もい
なかった。
飼い主が高齢化したのか、お遍路さんに
噛みつく事件でもあったのか、いずれに
しても私にとっては嬉しいことである。
安田明神の辺りで55号線に出る。
途中でコスモ住建遍路宿というのを見つけた。
が民宿旅館浜吉を見つけた私にとっては
どうでもいい存在であった。
民家の玄関に可愛い猫を見つけた。
やっぱり猫は可愛いな。
道の駅大山に寄りソフトクリームを食べる。
地図を広げもうすぐサイクリングロードが
始まることを確認する。
しかし入り口が見つからず国道を進む。
途中で強引にロードに乗った。
前を夫婦が歩いてる。
奥さんが杖を2本ついている。
仲のいい夫婦だ。
例によって私はどんどん離されて行く。
サイクリングロードは思ったよりも暑い。
日差しを遮るものがない上に、防波堤
が海風を遮る。
これなら国道の方が良かったかも。
やがて夫婦の影は消えた。
伊尾木駅辺りで道は終わっていた。
伊尾木の休憩所にいると夫婦がやって来た。
どこかで飯でも食ってたのかな、いや飯に
しては早すぎる。
私もすぐに後を追う。
いつの間にか夫婦の姿は見えず、また
後からやって来る。
夫婦は右(歩道)へ行ったり左(歩道)へ行
ったりと、不可解な行動をとりながらい
つの間にか私の視界から消えた。
13時、泊まる予定のホテル前を通過。
球場前駅の公園で小休止。
高知東部交通の社員さんにサイクリング
ロードの入り口を訊くとこの辺りは現在
通行止めになっているのでしばらく55号線
を行ってから左に入って下さいと言われた。
今度はお遍路さんは誰もいなかった。
サイクリストも全く見なかった。
たまに見るのは近くの小さなサイクリスト
だけだった。
そうだ今日は土曜日なのだ。
穴内を過ぎ赤野に近づいた頃猫ちゃん
を見つけた。
白のつぎに好きな茶トラの男の子だ。
5分ほど遊んでもらって更に進む。
和食近くまで来た。
もう引き返す時が迫っている。
ここで私は思案した。
和食にするか西分まで行くか。
現在16時10分で安芸行きは16時29分
がある。
しかしこのまま行っても16時26分の
西分発には間に合わない。
その次の西分発は17時36分である。
私は迷うことなく和食発を選んだ。
安芸に着き夕食を買って宿に着くと
17時であった。
早速3日分のクリーニングを400円払って
した。
一時間で乾燥まで一括でやってくれてしっ
かりと乾いていた。
これなら400円は安いものだと思った。
洗濯で思い出したが、桃太郎のおばあさん、
川へ毎日洗濯に行っていた。
これを読者は疑問に思わないかい。
当時毎日洗濯をするほどの衣装を庶民が
持っていたとは考えられない。
つまりおばあさんは洗濯を生業として
いたのではないかなと私は推理している
のですよ。
今で言えばクリーニング屋さんですね。
同様におじいさんも枯れ枝を集め、街に
売りに行って生計を立てていたのでは
ないでしょうか。
今で言えば燃料屋さんだ。
話は変わるが高知の交通費は高いと感じた。
昨日の西新町から法恩寺も、今日の和食
安芸間も400円である。
我がバンブービレッジから名古屋が600円
であることを思うとべら棒に高いと思う。
所得が少ない上に交通費が高くて、高知の
人は生活が大変だと思う。
飯を食って、久々に頭を洗って20時に
寝る。
本日の歩行距離36,03km。
5月12日
5時に起きる。
5時半に宿を出て、安芸駅に向かう。
そして5時59分の気動車に乗る。
もっと早いのがあればそれに乗りたか
ったが、これが始発なのだから仕方ない。
6時11分和食到着。
3時間余り歩いた距離も鉄道ではわずか
12分で用が足りてしまう。
言い換えれば、それだけ歩き遍路は
価値があるということだ。
一度歩き遍路をしてしまうと、それ以外は
したくなるのはこのためではないだろうか。
和食の駅で、安芸から一緒だった人も
降りた。
お遍路ですかと彼は言った。
はいそうですと答えると次の札所は昼前
には着くよと言った。
その恰好から観光客にはとても見えなかっ
たが、私は彼に旅ですかと探りを入れた。
日曜日の朝に、作業服らしきものを身に
まとい安芸から和食まで移動するこの人
のこの先の行動を私は推理することが出
来なかった。
いや仕事だ、ナスを作っているんだ、と
彼は言った。
自然界ではナスの収穫にはまだ早い。
恐らく彼はビニールハウスの中で働いて
いるのだろう。
昨日食べたうどんに入っていたナスも
ここら辺りで採れたナスかも知れませんね。
がんばってねと彼は言った。
頑張って下さいと私も言った。
一期一会である。
が、いちごは作ってないと言ってた。
サイクリングロード兼へんろ道に入る。
前回の一回目の遍路を終えた西分駅の
横を通る。
しばらく行くと善根宿があった。
内から鍵のかけられる宿である。
ここらに宿があったらなと思っている私で
あるから考慮に入れる。
女性には我が家に泊まってもらいますと
貼り紙もあった。
なかなか良心的な宿主である。
少し行くと道端ではないが三軒の宿がある。
唐浜あたりに宿をとれば充分に到達できる
距離である。
夜須を過ぎ55号線に戻る。
少し行くと左手に遍路宿がある。
お遍路さんが1人寝ていた。
すぐ近くにコンビニもあり、安心感のある
遍路宿である。
野宿するほどのベテラン遍路さんであれば
私の説明など必要ないかも知れませんがね。
月見山あたりからへんろ道は右に入って
行くが私は55号線を行く。
私の歩行距離が長いのもこのためかも
知れない。
が、へんろ道で迷えばかえって時間がかか
るのでこれでいいのだ!
赤岡あたりから55号線は大きく右に曲がり
くろしお鉄道とは離れていく。
そしていつの頃からか私は目の前に
キャリーバッグを押しているお遍路さん
がいるのに気が付いた。
初めて見る光景だ。
しかし私は彼に追い着けなかった。
いや、心の中に追い着きたくないという
気持ちがあったのかも知れない。
やがて前回泊まった高知黒潮ホテルが
見えて来た。
高いホテルだった。
その信号で55号線と別れを告げ右側の
22号線に入る。
スーパーマルナカの信号で右折して
一路大日寺へ。
途中から右へ行く道がある。
沢山の車がそちらへ走る。
今日は日曜日、野市動物公園がお目当てだ。
テレビが言ってた。
ゴールデンウィークで賑わった高知の
観光地は高知城と野市動物公園と室戸の
あたりに出来た小学校跡の水族館だと。
水族館も動物園もそばを通りながら寄
れないのを申し訳なく思う。
ごめんね、動物さん、いつか寄るからね。
暑い、ギラギラと太陽が照りつける。
観光バスの駐車場から階段を上がり
大日寺に到着。
10時30分だった。
当初の予定ではこの辺りが6泊目の
宿になるはずであった。
予約をしてなくて良かったと思う。
やはり宿はあまり先まで予約はしな
い方がいいですね。
納経を終え国分寺へ向かう。
国分寺と言うくらいだから各県に
一つづつある。
ビニールハウスの横を通り西へ進む。
234号線に出て橋を過ぎてから横断歩道
を渡る。
自動販売機で飲み物を買ってる間に
後ろから来たお遍路さんに追い抜かれる。
ま、後からついて行けばいいのだから
楽だと言えば言えなくもないが。
田園の中を黙々と歩く。
前を行くお遍路さんは所々の分岐点で
悩んでいるように見える。
ん、年はいってるが初めてかも知れな
いなと私は思った。
松本大師堂でお遍路さんは休んでいた。
私も向かい合って座った。
どこから来たと訊くので愛知県と言う。
愛知県の何処だというので豊田市だと言う。
彼も愛知県だと言うが、愛知県のどこか
はど忘れしてしまった。
名古屋より西であることは確かだが。
ついでに初めてのお遍路だと言った。
私の予想は図星であった。
払戻金がないのは残念であるが。
さっきも七宝町の人に出逢ったと言って
いた。
やはり愛知県人はリッチなのである。
今日の宿はと訊くのでまだ決めてない、
今日は日曜日だし、ゴールデンウィーク
も明けたばかりなので空いてるでしょと
私は言った。
彼もまだ決めてないと言った。
国分寺には13時前に着いた。
境内に入ると、東京の人がいた。
やはり速い、女の人にしてはかなり速い。
若い時スポーツをしていたと言うから
その賜物だろう。
お参りを終え寺を出る。
酒断ち地蔵はお参りをしなかった。
私のように、いつでも決められた期間
やめられる者には必要ないから。
門前のお遍路グッズの店に寄った。
同行二人の地図を姉のお土産に
しようと思って。
しかしいくら呼べども店の人は出て
来なかった。
多分店主はお年寄りで、もう何年も店
のものが売れたことのない店なんじゃ
ないかな。
一応店の中を物色、失礼、見渡したが
目的の本は存在しなかった。
この本を売ってる店は、今回の旅で
は最御崎寺と金剛頂寺とこの店だけ
なのである。
最御崎寺の売店は休みで、金剛頂寺は
後で気が付いて国分寺はこの有様だ。
もはや一縷の望みはあの札所だけである。
店を出ると右へ行くへんろ道があった。
一度も通ったことのないへんろ道であった。
やがて覚えのあるへんろ道に合流し、
田園の中を歩いた。
まさに田んぼしかない完全無欠な
田園である。
32号線の下をくぐり、252号線に出る。
橋の手前を右に入る。
500mも行くと畑で作業をしている人が
少し前にお遍路さんが行きましたよと
言う。
くねくねとした道で先は遠くまで見えない。
視界が広がったところでそれは東京の人
だとわかった。
彼女は私より足が速いのに追い着けたのは
何故だ。
きっとわかりにくい道だったので不安が
彼女にブレーキをかけたのだろう。
しかし小蓮橋を過ぎた辺りから道も良く
なり道標も整備されているので速かった。
どんどん私は離されて行った。
同時に室戸への道で先に歩いていたのは
彼女だったと確信した。
私と同い年くらいだと言ったが私より
一回りくらい若そうである。
蒲原の休憩所で休んでる間に完全に
彼女を見失った。
なんかこの辺り人相の悪いドライバーが
多く女性には危ない場所のように見える。
15時前に善楽寺到着。
お参りを済ませ納経所に行くと東京の人
はいた。
今日はどこに泊まるのかと訊くと高知駅前
のホテルに泊まると言う。
きっとバスで行くのだろう。
今日は日曜日で団体のお遍路さんが多い。
なので納経帳が山のように積まれている。
こりゃ駄目だとベンチに戻って来ると
愛知の人がやって来た。
レインボー北星に泊まると言った。
私も境内の公衆電話からサンピアセリ
ーズに予約の電話を入れる。
OKだった。
納経を終えマルナカで食料品を買い込んで
宿に向かう。
店頭でお遍路さんに今日はどこに泊まる
んですかと声を掛けられた。
彼は近くに宿を取り宿の自転車で買い物に
来たと言った。
きっとレインボーだ。
いいですよー、私は3km先まで行って、その分
明日楽しますからねーと。
しかし食料品を抱え3km歩くのは辛かった。
ついでにホテルも見つからなかった。
消防署の近くのコンビニまで来てしまった。
地図によれば私はサンピアセリーズを
通り越している。
しかしサンピアセリーズなどというホテル
はどこにもなかった。
しかしそれらしきものはあった。
建物にただ一言「CHRES」とあった。
CHの後にRというつづりはあまり英語
にはない。
あったとしたらあれはクレスと読むはずだ。
セリーズではない。
そんなことを考えていると女の子が
通ったので訊いた。
知らないと言う。
また女の子が来た。
知らないと言う。
40代くらいの自転車の男性が来た。
CHRESがサンピアセリーズなのだそうだ。
もし泊まることがあったら気を付けて。
CHRESですよ。
もっともフロントは近いうちに名前を
変えると言ってましたけど。
苦情が多いのじゃないですか。
17時ホテル到着、旅装を解く。
本日の歩行距離41,81km。
5月13日
5時半に宿を出る。
ここの料金は素泊まりで8300円である。
しかしお遍路さんは3100円の値引きの
5200円であった。
いわゆる接待料金なのである。
確かに部屋も風呂も広く納得の出来る
価格であると思う。
別に私はそれが目的でここに泊まった
訳ではない。
出来れば今日中に清滝寺まで行きたい
と言う別の理由からだ。
この料金はホテルに着いて初めて知った。
巻末の評価が◎◎◎◎◎であるのは
恐らくこのためであろう。
私にとってはホテルは出来るだけ安い
方がいい。
トイレもバスもテレビもベッドも、私に
とっては大差はないからだ。
へんろ道を行く。
わかりやすい道である。
川に鳥がいた。
結構きつい坂を登り植物園の中を通る。
私の家にも咲いている花がいくつかあった。
緑化センターへ行くなら○○さんの家の
花を見ておけば十分ねと言われたことが
ある。
すいません、事実をありのままに伝えると
自慢話になっちゃって。
でも嘘をついてまで謙遜するのもおかしい
と思って。
突「イヤミなやっちゃなー」
植物園はまだ開園前、私1人の植物園である。
竹林寺の階段を登る。
まだ6時40分である。
売店の横のトイレで用を足す。
本堂太子堂と丁寧にお参りし、般若心経
を唱える。
もちろんカンニングペーパーなどない。
持っていればカニさんに覗き見されるこ
とだろう。
納経所へ行く。
新設された納経所で納経をしてもらう。
ついでに禅師峰寺への地図もいただく。
親切な人だ。
こら突っ込み点数付けろ。
突「ブログの汚点」
キャイーーーン。
時刻は6時58分であった。
階段を下りると、目の前にへんろ道が
待っている。
地図を見ると下まで0,5kmとある。
車道よりかなりショートカットできそう
なのでこちらを利用する。
道もそんなに悪くないので、これからは
常用しようと思う。
小学校の横を通り32号線に出る。
そのまま2kmほど東に進み、瑞山橋から
右折する。
自転車通学の高校生に沢山逢う。
高知東部自動車道の下をくぐり更に行
くと禅師峰寺への道標がある。
突き当たりの道を右に折れ、池のほとりを
通って石土神社からバス通りに出る。
後はいつものへんろ道である。
県立大方面から来るよりもはるかに
わかり易く、イメージしてたよりも立派
な道であった。
駐車場の休憩場に寄った。
この前来た時よりもすっきりしている。
泊まる時は断りを入れるようにと書いて
あるので宿泊可能なのであろう。
泊まる気はサラサラないが、どうしようも
ない時の最後の手段として頭の中には
留めておく。
お参りも納経も済ませると9時10分だった。
種崎の渡船場までは6Kmで、十分間に合う
とは思うが、何があるかわからないので
急ぐ。
路線バスの旅でも言うではないか。
行ける時は一歩でも先まで行けと。
10時10分は無理だが11時10分なら
間に合う。
それに乗れなければ12時10分となり
今日の計画はおじゃんとなる。
種崎までの三本ある道の真ん中を歩く。
通行量が少なく安全だからである。
コンビニを過ぎてしばらく行ってから278号
線に入る。
左手にくずもちの店をみつける。
こんな田舎なのに結構お客さんがいる。
きっと近所でも評判のうまい店なのだろう。
渡船場への案内がある。
10時40分渡船場に着いた。
待合室で朝食兼昼食をいただく。
そのうち一人のサイクリストがやって来た。
この近所の人で、孫のためにくずもちを
買いに来たと言った。
きっとさっきのお店だと思う。
向こうの渡船場から来ればすぐなのだが、
わざわざ遠回りして浦戸大橋を回って
来たらしい。
彼の話を聞いていると、この渡船場へ来て
お遍路さんと話をするのをとても楽しみ
にしているようだ。
きっと私もこの辺りに住んでたなら同じ
ことを趣味にしてかも知れない。
お遍路さんの話を聞くのは楽しいし、八十
八ヶ所の中でもここが一番その機会に恵
まれてますものね。
更にチャリお遍路さんもやって来た。
料金はいくらだと訊くのでタダだとおじさ
んは言った。
この船の上は県道なのだから無料だと重ねて
言った。
3日に霊山寺をスタートして今日が10日目
だと言うとそりゃ遅いなとおじさんは言った。
焼山寺はどうしたと私が訊くと、藤井寺に
自転車を置いて登り、バス、鉄道を乗り継いで
戻ったと言った。
そりゃ時間がかかるわ。
みんな最初はバス、鉄道、自転車、自家用車
でやって来るけど、物足りなくなって最後は
歩く遍路になるものだ。
歩き遍路さんに訊くと、みんなそう言うと
おじさんは言った。
あんたもこの次は歩き遍路だろうよと、催促す
るようにおじさんは言った。
ただおじさんは大事なことを見逃している。
最後まで自転車、自動車、公共交通機関で
廻る人も大勢いることを。
11時10分の船に乗った。
わずか5分の船旅であった。
おじさんは私にもチャリさんにも、気を付け
て行きなさいよと言った。
一期一会にはならないような気がする。
なぜならば彼はこの渡船場によく来るからだ。
運が良(?)ければまた逢えるかも知れない。
この次は私もくずもちを買うぞ。
雪蹊寺に着くとチャリさんに逢った。
チャリさんは私を見て信じられないと言った。
私の足の速さをそう表現した。
10日間かけて雪蹊寺に来る人に、そう言われ
ても少しも嬉しくない。
あんたがのろすぎるんだよ。
境内では中学生の子たちが掃除をしていた。
こんにちわと挨拶もした。
この前来た時も小学生が掃除していた。
いい心がけである。
雪蹊寺はこの辺りの宝物ですからね。
宝物は慈しみ、大切にしましょうね。
11時45分雪蹊寺を離れる。
278号線を通り、郵便局、スズメの森、西諸木
と進む。
左折して山の麓を通り、橋を越えて279号線に入る。
狭い道が続く。
確か種間寺の前の道路は広かったのに、道を
間違えたのかなと不安な気持ちで進む。
やがて種間寺の案内板が出た所で、右から来た
道と合流する。
ここから道は広くなった。
この次来る時は覚えていろよ。
種間寺に着いた。
門前でアイスクリンを販売していた。
お参りを済ませ納経所へ向かう途中で
安芸の辺りで逢った夫婦に呼び止められた。
良く焼けましたねと奥さんに言われた。
納経所へ入った。
いつものようにお接待の饅頭が出た。
野根まんぢうではない。
ここで私は納経所の人に尋ねた。
実は1年半ほど前に公衆電話の中に同行二人
の地図を忘れて行ったんですよ、こちらに
届けられていないでしょうかと。
届いてませんが、と納経所の人は言った。
あきらめていつもの公衆電話から宿の
予約をする。
今度はメモ用紙を見てですよ。
前にも言ったが同じミスを二度する奴は
本当の愚か者である。
宿は空いていたが素泊まり6000円の
高い部屋であった。
大抵の場合、部屋は安い方から埋まっ
て行く。
それを思うとこれが最後の一部屋であっ
たのかも知れない。
が、泊まれたのだから有難い。
境内を出ると奥さんはアイスクリンを
買っていた。
旦那さんは道路付近で待っていた。
私はブログのメモ用紙を渡した。
ろくなことは書いてませんがと私は言った。
実際、お遍路のブログと言っておいて、この
中身では驚くだろうな。
まともなことなら、それなりの本を読んで
勉強して下さいな。
時刻は13時30分、清滝寺までおよそ10km。
いつもの動物屋敷の前を通った。
来るたびに庭の風景は少しづつ変わって行く。
今年は、生の動物、黒いヤギがいた。
友達がいないと言ってたから、日和佐の
ヤギに紹介してやろうかな。
馬には成人女子の人形が跨っている。
なにか艶めかしくて、穏やかな気持ち
ではいられなくなる。
ご主人は、私の想像してたよりも若い
かも知れない。
庭の風景を良くしていこうという意欲に
若さが見られる。
清滝寺へ急ぐ。
途中の自販機でお茶を買っていると夫婦が
やって来た。
種間寺で帰ると言ってたがどしたんだろう
と思っていると、大橋北詰まで行くと言った。
役場前のが近いが北詰まで来れば3,8km
次の時に楽出来る訳だ。
私は抜かれまいと必死で歩いた。
大きな通りを横切った所で、夫婦の姿が
見えなくなった。
あの通りがバス通りだと思っているのでは
ないかとそばにいた女性に訊いた。
今は走っていませんよと言う。
夫婦の姿が見えたので、こちらですよと手招き
した。
少し道に迷いながらも、何とか仁淀川大橋
まで辿り着いた。
ここで夫婦とは別れた。
爽やかで、幸せそうな夫婦だった。
夫婦で歩き遍路に来る人は仲がいい
ですよ。
仲の悪い夫婦は絶対こんな所を二人で
歩いたりしません。
最近悟りました。
ただし私の言ってることにも大きな
見落としがある。
お遍路に来なくても仲のいい夫婦は
いくらでもいます。
彼らとの競り合いで予定より早く清滝寺まで
行けそうである。
身勝手な言い方をさせてもらえば、清滝寺に
間に合わせるためにお大師様が登場させてく
れた夫婦だと私は思っている。
逆に彼らにとっては私はどんな存在だった
のかな。
意味のある存在であったら嬉しいのだが。
ほんの短い時間だったけど楽しかったですよ。
まだ時刻は14時半にはなってない。
56号線を歩く。
サニーマートが見えて来た。
サニーマートと言えば、そんなにビジネスイ
ン土佐から遠くない。
そこで直行を急きょ変更し、ホテルに
荷物を置いてから出かけることにした。
道路を渡り、市役所前を通り、いつもの道を
清滝寺に向かった。
しかし楽しみにしていた猫の「道端アンちゃん」
には逢えなかった。
時間帯が悪かったのかな、昼寝でもして
いるのかな、気にかけながら16時12分お寺
に着いた。
昨日レインボー北星に泊まっていたら
多分ここまで来られなかっただろう。
やっぱり一歩でも先へ、という言葉は
生きている。
お参りを終わり納経所へ行く途中で、よく
肥えた高齢猫を見つけた。
もう納経は大丈夫なので5分ほど遊んだ。
納経を終え、アンちゃんのいた場所まで
戻ると農作業をしているおばさんがいた。
私は、この辺りにいつもいた猫は元気で
すかと尋ねた。
以前はここへ農作業をしに来るおじさんや
お遍路さんに餌をもらっていたけどね、
最近はそのおじさんも来なくなって、猫ち
ゃんの姿も見なくなったねと言った。
飼い猫じゃないんですかと訊くと、以前
はおばあさんが飼っていたけど高齢化で
飼育放棄をしてしまったんですよと言った。
どれくらいの期間見てませんかと私は
訊く勇気はなかった。
それより私はアンちゃんのことを訊いた
ことを後悔した。
知らなきゃそれで済んだのに。
暗い気持ちで下山し、スーパーで夕食と
ビールを買って宿に戻った。
そして私はトイレで小便をすると黒い
おしっこが出た。
なんじゃー、こりゃー。
少なからず私は衝撃を受けた。
しかし私は夕食もビールもきれいに平ら
げた。
どこにも痛みはないし息苦しさもない。
だが、この現実は私の明日からのスケジュ
ールを変えさせることになる。
無理するなよと言うお大師様の警告だと
受け止めて。
突「コカ・コーラの飲み過ぎじゃない」
それじゃ何かい、トマトジュースを飲んだら
赤い小便が出るとでも言うのかえ。
多分私の思うには、今日は水分を沢山飲んだ、
にもかかわらず汗で殆ど出てしまった、故に
小便が濃縮されたのではないか。
突「冷麦のつゆみたいですね」
そんな訳で大事をとって明日青龍寺までで、
この旅は終わることとした
毎日40kmも歩く元気があるのだから
大丈夫だとは思いますけどね。
本来は須崎で一泊、早朝の特急で琴平で
途中下車、神野寺の打ち戻しで帰宅で
あった。
残念だが腹八分で我慢しよう。
足ることを知れと言う言葉もあるし。
本日の歩行距離43,81km。
午後8時半就寝。
5月14日
朝、小便をした。
普通の小便だった。
これが黒かったら目の前のバス停から
帰るつもりであった。
5時45分に宿を出て東に向かう。
2つ目の信号からへんろ道に入る。
前回は気が付かなかった道である。
決して私はへんろ道を毛嫌いしている訳
ではない。
便利な道であれば採用する。
が、何が何でも踏襲しようと言う気はない。
39号線に出る。
しばらくすると前回軽井沢の人と出会っ
た場所にやって来た。
地図本を無くした私は本を見せてもらった。
いくつかの宿の電話番号をメモしたっけ。
もし私が本を失ってなければ、道路の反対
側に居た彼女と知り合うこともなかった
だろう。
何度かのめぐり逢いの後に、久百々で酒を
酌み交わした。
自分を持った、楽しい女性であった。
年は確か、あの時で76歳だったかな。
塚地の休憩所がやって来た。
自動販売機もトイレも寝場所もたくさん
ある。
ここなら仲間がいれば安心して寝られそうだ。
ここからへんろ道も始まる。
最高到達点は190mとある。
そのくせ距離的にはトンネル道と変わりはない。
こういうへんろ道はよした方が良い。
ま、行く人は余程の偏屈者だと思うが。
突「猫さんの、携帯を持たないのと同じですね」
ちょっと違うな。
昔はこの道しかなかった。
今はトンネルが出来た。
だからトンネルを進めばいいのです。
トンネルはただだから。
突「キャイーン」
公衆電話が見えて来た。
前回「なずな」に電話をしたが050の電話で
繋がらなかった。
青龍寺から須崎の間にもっと旅館があっ
たらいいのになと思っているお遍路さんは
少なくないと思う。
土佐に泊まって須崎は少し長いような気がする。
清滝寺を打ち終わっていれば話は別だが。
この辺りはバスも鉄道もないので工面の
しようがないのだ。
地元の人、民宿でも始めてくれよ。
お遍路さん専門の民宿を。
塚地坂トンネルを抜けて海岸通りに出る。
すでに前方に宇佐大橋は見えている。
バス停では高校生がバスを待っている。
通りがかりのコンビニでサンドウィッチを
買い、橋の手前のベンチで貪る。
雨がポツポツとやって来た。
しかし私はポンチョを出さなかった。
このまま須崎まで行くのであれば出し
たかも知れないが打ち戻ってバスに乗る
のである。
当然そのままリュックに入れられる訳がない。
プラスチックバッグに入れて持ち歩けば
手荷物が一つ増える。
小降りなので私は我慢して歩いた。
地元の散歩の集団に逢った。
三陽荘に観光バスが数台停まっている。
ここは団体さんが泊まる旅館で、お遍路
さんは大事にしてもらえないような気がする。
やはり私はお遍路さん専門の宿がいい。
歩き遍路さん以外に誰が泊るって場所にある
宿がね。
8時半青龍寺到着。
長い階段を登って本堂をお参りする。
その時ふっと気が付いたことがあった。
高知のお寺は高い所にある。
高くないのは雪蹊寺、種間寺くらいのもの
である。
これって大昔から繰り返される津波を
考慮して建ててあるのでしょうね。
皆さん、私ってボーっと生きてませんからね。
納経所へ戻る。
同行二人の地図の話をする。
地図によればここにその地図があるはずだ
と言ったら前回の人はここにはない
と言われた。
地図をよく見るとそれは国民宿舎土佐の
売店だったんですね、と言うと土佐は
廃業しましたと言った。
汐浜荘も廃業したし、三陽荘のひとり勝
ちですねと私は言った。
その本、どうするんですかと訊くので
姉へのお土産に欲しかったんですよと言
うと誰か一冊置いて行ったのがそこらに
ありますと言う。
捜したらあった。
私が持ってっていいですかと訊くと
どうぞと言った。
そうかどこでも手に入らなかったのは
ここにただの本があったからなんだ。
雨はまだ降っていた。
3人のお遍路さんがやって来た。
また逢いましたねと、1人が言った。
ああ、清滝寺でと私が言うとよく覚えて
いますねと笑った。
別にこの人を覚えている訳ではない。
一緒にいた女の人が綺麗だったからだ。
他に年老いた女性がいた。
年老いた女性と美人は親子であること
は間違いない。
問題はこの男性と親子の関係である。
夫と妻あるいはお寺さんと檀家か。
雨が小降りになったので歩き出す。
先程の3人が車で追い抜いて行く。
運転をするのは美人、助手席には母、
男性は後部座席で私に手を振っていた。
家庭を持ったことのない私には3人の
関係は分からない。
誰か教えてくれ。
ちなみに美人はニコリともせずにわた
しは美人よって感じで気取っていた。
雨は上がっている。
私は終点の「宇佐」まで歩いた。
大橋北詰まで歩いた夫婦と魂胆は同じだ。
次の時に楽したいからである。
もっとも雨が降っていれば宮前スカイラ
イン入り口から乗ったであろう。
10時25分宇佐発11時28分高知駅着。
キオスクでお土産の「土佐日記」を2つ
買う。
上品な味で人気の一品である。
出来れば種崎のくずもちなんか持って
帰りたいのですけどね。
ついでに唐揚げ弁当も買って「南風14号」
に乗り込む。
ちなみに運賃は14200円で日和佐より
やや高かった。
岡山まで特急ですもの、仕方ありませんね。
14時41分岡山着。
14時53分「のぞみ32号」東京行きに乗る。
東京の人はまだ歩いているのだろうか。
彼女にはブログは伝えてない。
車内に入ると3人シートの真ん中が空いている。
怖そうな顔をした外国人は避けて後席の女
の人の横に座る。
やはりいつもよりは空いている。
新神戸駅で外国人は通路側から窓際に移った。
私の隣の通路側の女性も降りて行った。
大阪駅でどやどやと人が乗って来た。
誰も外国人の隣に座る人はいなかった。
私でも躊躇するような怖い顔をした
人でしたものね。
私の隣も空いていた。
しかし女性は誰一人座ってくれなかった。
なにかちょっと変わった感じの人が
座った。
その人は座るや否や「古事記」を読み始めた。
ま、そんなものでしょ、私の隣に座る人は。
でも名古屋まで隣に座る人のいない外国人
に比べればまだましだ。
さあ総括に行きましょうか。
宿泊代40000円がちょっと切れるくらい。
飲食代10000円をちょっと越えるくらい。
ペットボトル代2500円、暑いですからね。
交通費30000円を突破。
納経料4200円。
経路 別格1番鯖大師 24番最御崎寺 25番津照寺
26番金剛頂寺 27番神峯寺 28番大日寺
29番国分寺 30番善楽寺 31番竹林寺
32番禅師峰寺 33番雪蹊寺 34番種間寺
35番清滝寺 36番青龍寺
使用した交通機関 名鉄三河線 本線 高知東部交通バス
土佐くろしお鉄道後免奈半利線 とさでん交通バス
JR土讃線 予讃線 瀬戸大橋線 高徳線 牟岐線
JR東海道山陽新幹線 &種崎渡し舟無料
出逢ったお遍路さん 30数人
そのうち言葉を交わした人 13人
出逢った猫 11匹
そのうち触らせてくれた猫 3匹
出逢った犬 8匹
そのうち私に吠えた犬 4匹
出逢ったヤギ 2匹(黒ヤギさんと白ヤギさん)
賽銭 87万5000円
その他 記憶喪失分 2000円
総歩行距離 277,58km
16時43分の豊橋行き急行に乗った。
私の座ったシートには3人、向かい側には
4人の10代とおぼしき娘さんが座った。
いずれもスマホをいじっていた。
今の若者って本当に幸せなのだろうか。
幸せって何なのか、わかっているの
だろうか。
私には心底幸せな若者なんていないん
じゃないかと思えて仕方ない。
多分幸せって心の平安なのじゃないかと思う。
大きな堪忍袋と小さな幸せ袋を持って、溢れ
出した幸せで、本当に困っている人を助けて
あげて欲しいと思う。
大きな幸せ袋を持ってると一生幸せに
なれないし、人も助けてあげられないと思う。
渋5時でつんくさんも言ってた、幸不幸は
自分で決めればいいと。
18時少し前BVに着いた。
皮肉にも、ここに来て、この旅初めての
雨が降っていた。
なにか落ちを決めなきゃいけないな。
雨降って やっと出番と ポンチョ笑む
我が家への道 二人で歩く
ご精読有難うございました。
この次は未定です。
すでに30℃近い日々が続いていますので
天気と相談になります。
じゃあね!