猫、ついに歩く。その1

10月3日

5時20分、朝食を済ませ駅へと向かう。

昨夜から降り続いた雨も止んでいた。

やはりお大師様は私の味方だ。

これから12日間の旅が始まる。

トーマスには申し訳ないが、これも修行

だと我慢してもらうことにした。

もちろん姉に餌の事は頼んであるし、

宿は生まれ故郷の隣の○○さんの納屋が

ある。

竹の台橋を渡る。

下は東名高速道路が流れる。

途中でコンビニに寄り、ATMで10万円

ほどをおろす。

少し足りないとは思うが、あとはまた

どこかでおろせばいい。

最寄り駅のバンブーヴィレッジに着いた。

無人駅、1日の乗降客数3,159人、近くに

トヨタ自動車堤工場がある、とウィキペ

ディアには載っている。

人口の割に乗降客数が少ないのは、車の街

豊田であるからだ。

通勤も90%の人が車を使う。

車所有率もナンバーワンなら死亡事故も

20年連続日本一の県である。

5時53分の知立行きに乗る。

6時06分名鉄一宮行きに乗り換える。

辛うじて空いた席をみつけ座る。

相変わらず乗客の7割はスマホを、2割は

睡眠を、1割は読書をしている。

私のように車内をつぶさに観察する人は

皆無である。

6時37分名古屋着、いつものようにJR

きっぷ売り場で板東行きを買う。

いつもここへ来ると、いよいよ旅が

始まるんだなという気分になる。

7時06分名古屋発博多行きのぞみ97号

に乗る。

1人旅の人は2席シートの窓際に、二人連れの

人は3席シートに間を開けて座る。

皆、空いたシートに荷物を置きたいのだ。

窓の外を見る。

雨は降ってない。

が、山にはモヤがかかっている。

まるで野球部の少年の、練習後のいが

ぐり頭から出る湯気のように。

田園に「727」の看板が見える。

初めてお遍路に訪れた頃から気に

なっていたが、あれは化粧品会社の

社名らしい。

前席の背もたれの背後に

Please notIfy the train crew immediately

if you find any suspicious items or

unattended baggage

と英語で書かれていた。

早い話が不審物をみつけたら直ちに

乗務員に知らせて下さいということであろう。

いくつになっても好奇心を持つことは

決して悪い事ではない。

新大阪を過ぎた頃、車内放送があった。

修学旅行の生徒さんたちは、他の乗客の

迷惑にならないように無闇に通路を歩か

ないで下さい。

そうか、この列車には修学旅行の子供

たちが乗っているのだ。

私は遅くまでオネショをする子供であった。

修学旅行が近付いた頃、先生はオネショを

しそうな子は先生の所まで知らせて下さい

と言われた。

私は職員室まで行き素直に告げた。

旅行の夜、それらしき人物は他と区別

された。

他にはわからないように。

48人のクラスにそれらしき人は8人いた。

男4人、女4人。

今なら問題になるかも知れないが、色気も

へったくれもないその頃だ、8人は雑魚寝した。

そして先生は2時間おきくらいに私たちを

起こしトイレを促した。

お蔭で恥をかかずに修学旅行を終えた。

今思えば楽しい思い出だ。

だってオネショは体質だもの、恥ずかしい

なんてこれっぼっちも思わない。

8時43分岡山着。

8番ホームへと向かう途中、小学生の一団

が床に座って先生の話を聞いていた。

みんな、楽しい旅をしろよ、オネショ

だけはするなよ。

9時05分マリンライナーに乗り9時59分

高松着。

とても人気のある列車で高松へ行く人

以外でも利用する。

例えば坂出9時43分着、9時52分発に乗

り換えれば10時07分多度津に着く。

9時25分発の「しおかぜ5号」よりも

6分早く着くし、特急料金もいらない。

久し振りにJRの広報係を勤めさせて

いただきました。

10時02分の鈍行に乗る。

栗林駅の近くの、いつも泊まるサンシャ

インホテルの横を通る。

車窓に見えるそれはすぐ近くに感じる。

ホテルから見た列車は凄く遠くに感じ

たのに。

松原で有名な讃岐津田を過ぎる。

今夏の甲子園を沸かせた三本松高校の

三本松を過ぎる。

11時48分一番札所の最寄り駅板東

に到着する。

駅を出ると早速、駅前の食堂のおば

ちゃんが訊きもしないのに霊山寺まで

の行き方を教えてくれる。

やっぱり四国はお節介焼きのおばちゃん

が多い。

私は大好きだがね。

突き当たりを左に折れ、数十メートル

行くと接待所のおっちゃんが出て来て

コーヒーでも飲んでいきませんかと言う。

去年は忙しくて、お断りしてしまった

ので、今年は罪滅ぼしの意味で、接待所

に立ち寄った。

彼は最初、私がお遍路さんの恰好をして

いないので声を掛けていいものかどうか

迷ったそうだ。

しかし同行2人の袋で、辛うじてお遍路

さんであることがわかったと 言った。

折角お遍路にきたのだから、地元の人に

わかるようにした方が良い。

その方がお接待をより多く受けられる

とアドバイスをいただいた。

いただいたコーヒーが濃すぎたせいか、

ちょっと自律神経の調子が悪くなってきた。

霊山寺を目前にしてパニック障害では

洒落にもならないと、半分ほど残し

お礼を言って霊山寺へと向かった。

12時20分1番札所に到着。

 

早速門前のお遍路用品店でポンチョ

1800円とライターを買う。

本堂、太子堂とお参りし納経所へ行こう

としたが、現在工事中で移転したとの事。

新しい納経所で納経帳を買う。

本来納経帳というのは一冊を、真っ赤に

なるほど何度も朱印を押してもらうもの

だと聞いたが、私はその都度新しいものを

購入する。

その方が何度お遍路をしたか明確であるし

、300円の納経料を払ったのだから納経所

の人にもそれなりの労働をしてもらわな

くては納得がいかない。

朱印を押すだけなら誰でも出来る。

山田君の座布団運びと同じだ。

2番札所に向かう。

途中のコンビニでおにぎりとお茶を買う。

どうしてもお遍路の食事はこうなる。

2番札所に着いた。

 

本堂は階段を上がった所にあったが、

過去2回ここに登った記憶がない。

おそらく、慌てていて太子堂だけ

お参りしていたのだろう。

3番札所に向かう。

去年嗅いだ強烈な悪臭の豚糞は今年は

臭わなかった。

1ヶ月早い訪れなので、まだ蒔かれて

いないのであろう。

途中の猫屋敷で白猫3匹と黒猫1匹を見た。

3番札所に着いた。

 

境内で遅い昼飯を食べる。

納経所で、今日中の5番札所の納経時刻

に間に合うかと尋ねる。

充分間に合いますよと4番札所への遍路道

の地図をくれる。

13時40分4番札所へ向けてスタート。

いきなり道に迷う。

大通りまで出ず、手前の道を右折して

しまったためらしい。

いかにも私らしい。

このまま行ったら、84の札所をショート

カットして88番札所に着いてしまう。

いかに私が阿漕な男だとはいえそんな

まねは出来ない。

5分間のロスタイム。

心を引き締めて地図に忠実に進む。

しかし遍路道というのは、枝分かれ

した道が多く、迷いやすい。

事実この日も数回、頭を悩ます箇所が

あった。

徳島自動車道を過ぎ右折して、左に、

ウソだろーと言うようなあぜ道の

遍路道があった。

私は車道を進んだが、やがてその

遍路道と交わった。

後は人がやっと通れるくらいの道で、

両側は草むら、いつまむしが飛び出して

きても不思議でない道が続いた。

一度、人に道を尋ね、なんとかアスタム

ランドからの路線バスの道に出た。

まだまだ遍路道は続いたが、あとは

車道を進んだ。

大日寺前のバス停付近で赤マムシの

轢死体を見た。

やっぱりヤバいですよ遍路道は。

ちなみにマムシの毒はハブの数倍

強いそうです。

途中の東屋で夫婦のお遍路さんが

休憩をしていた。

そばに車が置いてあった。

きっと歩き遍路の雰囲気を味わいた

かったのだろうと思う。

夫婦のお遍路さんってのはよく見かける

けどきっと仲がいいのでしょうね。

普通、お前と二人っきりの旅なら、家で

寝てた方がましだと、出かけないですもの。

口にはお互い出しませんけどね。

まさに二人の世界ですね。

途中から雨が激しくなってきた。

やっと折り畳み傘のデビューの時が来た。

そのため大日寺の写真は雨で撮れなかった。

お参りを済ませ納経所のドアを開けると

一緒に猫が飛び込んで来てカウンターの

上に座った。

可愛い猫だった。

私は納経をしてもらう間、猫を撫で

回した。

四国お遍路歩きなのか、四国猫歩き

なのかわからなくなってくる。

でも猫ちゃんに元気をもらったこと

だけは確かだ。

地蔵寺に向かう。

途中に五百羅漢があった。

が雲辺寺や善通寺で見ているのでパス。

お参りを済ませ、納経所へ寄る。

まだこの時点で今日の宿は決めてない。

インターネットで調べた善根宿のなんとか

工務店のことについて知りたいと思い

「あのー、私今日泊まるところが決めて

ないんですよ、それで」

と言うと納経所の人は私の言葉を遮るように

「次の札所に宿坊があります。電話して

きいてあげます」

と言われた。

電話の結果空き部屋はあると言われ、私は

電話を変わり自宅の電話番号と名前を

告げた。

5時半からお勤めがありますけど出ますか

と訊かれ、今地蔵寺に居るので無理だと

思いますと答えておいた。

どうせお勤めとはいえ、去年と一字一句

違わないお説教だろ。

授業と同じだ。

時刻は4時半、急いで5時半のお勤めに

間に合ってしまうといけないので、

境内で缶コーヒーを飲んで時間を潰した。

銀杏が沢山落ちていた。

境内の掃除をしているおばさんに、

小遊三が見たら喜びますねと言ったが

無反応だった。

どうやらこの辺りでは「笑点」は放映

されていないのかも知れない。

ん、デジャヴーか。

去年もこの場で同じことを言ったような

記憶がある。

道を降り交差点を右に曲がり、郵便局の

前を通りしばらく行ってから並行する

12号線へと降りる。

雨は降ったり止んだりを繰り返している。

折りたたみ傘を持ってきたのは正解だった。

当然こんな時刻の宿の予約であるから

今日は素泊まりである。

どこかで食糧を買いだしていかなければ

ならない。

私は地図でそれらしい店を探した。

その結果スーパー出口が最有力候補と

して浮かび上がった。

コンビニよりもおいしいものが

沢山あるのは経験上わかっている

からだ。

途中で、私が訊き損ねた工務店の

善根宿をみつけた。

 

ドアを開けて中を見た。

ソファーが2つ、その上に毛布が乗っている。

他にも寝袋さえあれば3人は泊まれる

スペースはある。

ただではない、500円は必要である。

無料の部分が消してある。

なにか毛布に蚤かシラミがいそうで、

私には生理的に受け付けられそう

もない感じがした。

はなっから泊まる気はないが、一応読者の

ために立ち寄った。

やがてスーパー出口にさしかかった。

が駐車場に車は一台も無かった。

そう、ご想像の通りスーパー出口は

とうの昔に廃業をしていたのです。

私はバケツの水をぶっかけられ更に

小麦粉を頭上から振りまかれたような

衝撃を受けた。

突「そりゃ、どんな衝撃やねん」

ま、しょうがない、潰れた店があるの

だから新たに出来た店もあるかも知れない。

希望を持って私は進んだ。

いまさらコンビニまで戻る気には

到底なれなかった。

目の前の家から母娘が出て来た。

虹が出てる、という声が聞こえた。

私は振り向いた。

 

二重にかかった虹である。

あたかもお大師様が私を虹で迎えて

下さっているような気がした。

突「ひょっとして時刻は午後虹二重分だっ

たんじゃない」

それじゃ、あんまり出来過ぎだ、その倍の

4時40分だった。

気を取り直して私は進んだ。

道路の反対側に鶏のマークの店が見えた。

フライドチキンの店かも知れないと

一縷の望みを持って駐車場にいる人に

「その店、食料品を売ってますか」

と訊いたが手を左右に振られた。

後で聞いた話だがホームセンターの

コメリと言うんだって。

これはコメリましたなどと冗談を言っ

てると5時40分安楽寺に着いた。

お勤めをしている間に急いで風呂に

入り、持っていたくるみで飢えをしの

いで初日を終えた。

本日の歩行距離21,98km。

 

10月4日

最御崎寺の宿坊は宿泊者には納経時刻を

過ぎていても納経をしてもらえる。

しかし安楽寺は5時で係りの人が帰って

しまうため翌日の7時までしてもらえない。

私は6時50分、出発のため玄関にやって来た。

既に玄関で靴を履いている女性がいた。

彼女は初めてのお遍路だと言う。

ちょっと得体の知れない女性ではあったが

、心は強そうである。

私はまだお参りもしてなかったので二言三言、

言葉を交わし本堂へと向かった。

納経所はまだ開いてなかったが、すぐに開き

私は今日の一番乗りとなった。

7時05分安楽寺を後にする。

 

実はこの安楽寺の山門も2階は無料宿である。

山門の中に階段がある。

きのう着いた時に上がろうかと思ったが

誰かいるといけないのでやめた。

十分ほどで十楽寺に着いた。

だから十楽寺と呼ぶのかも知れない。

じゃ何かえ、足の速い外国人が七分で

着いたら七楽寺とでも言うのかえ。

そうだねラッキーセブンテンプルだね。

山門の写真は過去二度載せているので

割愛させていただきます。

宿坊で会った女性が先に来ていた。

彼女は般若心経を最後まで唱えていた。

私は相変わらず、家族親戚一同が大過

なく生きられるように、いつまでも

お遍路が続けられる健康が維持できます

ように、とあと 1つお願いをした。

59番札所の国分寺の、お願いは1つだけに

して下さいという断り書きを思い出し

笑ってしまった。

突「どうせ競馬でしこたま儲かりますように

ってお願いしたんだろうが」

そんな次元の低いことではありません。

世界人類が平和でありますように。

突「どこかで聞いた文言だなぁ」

熊谷寺へ向かう途中で例の女性に追い抜

かれた。

二人連れである。

一緒にいるのはお父さんかも知れない。

私はここで、この旅初めての、ブログの

ドメイン名を書いたメモ用紙を彼女に

渡した。

出逢って数時間、この人は私のブログを

好んでくれる人だと判断したからだ。

二人はどんどんと私から遠ざかって行く。

はっきり言って私の歩みはのろい。

散歩してても抜かれることはあっても

抜くことはめったにない。

仕方がない、これが私のペースなのだから。

でも私は休むことなく歩き続けるから

最後には勝つ。

勝つと言う言葉はとげがあるから、先着する。

会社にいた頃同僚から

「○○さんは競走馬に例えると4000mでも

足りないステイヤーだな」

と言われた。

どういう意味で言ったのか定かではないが

私は誉め言葉としてとらえている。

兎に角自分のペースを守らないと体に

変調をきたしてくるから、これでいいのだ。

二人連れは大通りまで行きかけたが戻り、

本来の遍路道を山門へと向かった。

私も後を続いた。

熊谷寺には、今までと違い多くの

巡礼者がいた。

私を追い抜いていったスキンヘッドの

外国人もいた。

本堂、太子堂とお参りし納経所へ行く。

実は一回目のお遍路の時、私はここで

「お姿」をいただくのを忘れていた。

そのことを話し、2枚いただいた。

多分その時、檀家さんの誰かが亡くなられた

とかであたふたとしていた所為だと思う。

熊谷寺を後にし、法輪寺へ向かう。

方角としては斜め右だが姿は見えない。

途中で一度道を間違えたが、田園地帯を

通り何とか着いた。

門前にお遍路さんの恰好をした物乞い

がいた。

去年も見たから、いつもここを職場として

いるのだろう。

蝋燭を付けようとした時、箱を落下

させてしまった。

蝋燭が境内にばっ散らかった。

しゃがんで拾っていると、どこからともなく

可愛い子がやって来た。

 

おぢさんは胸がキュンキュンとしてしまった。

ラブちゃん、私は彼女をそう名付けた。

法輪ラブちゃん。

もう、たまらない。

山門を出ると目の前に、ちょっとした店が

ある。

一回目に来た時、私はここの女店主に

熊谷寺への道を尋ねた。

二回目に来た時はコーヒーと大福を

いただいた。

今回もコーヒーと大福を頼んだ。

と言うよりも、実情はこれしかメニューは

ないのだ。

先客がいた。

私は彼の向かいに座った。

もう宿は決まってますか、と彼は訊く。

いえまだです、駅近くのビジネスホテル

にしようと思ってますと言うと彼は

もう殆ど駅前の宿は埋まってますよと言う。

それじゃ、わたしの知ってる民宿に

泊まりませんかと、女主人は宿のチラシ

を持って来る。

料金4500円、実は私は今まで2回の

お遍路で一度も民宿に泊まったこと

はない。

あまり気乗りはしないが、20数キロ歩いた

挙句にホテル探しに右往左往するのも苦痛

と、総てを女主人に委ねることにした。

結局2年前からのこの店との係わりが伏線と

なり、目の前の男性との宿談議をきっかけ

とし、私は民宿富士のお世話になること

となった。

これを因縁と言う。

切幡寺へ向かう。

途中に突き当たりがあり、左折して

すぐ右折のところがある。

一回目は逆回りだったのでここで道に

迷った。

やはり道標は逆打ちには見にくくなっ

ている。

とりたてて文章にするほどの物も

なく進む。

いや、1つあった。

 

この辺りで時々見かける屋根だ。

詳細はわからない。

茅葺屋根でないことだけは確かだ。

今度この地を訪れた時訊いてみようと

思う。

やがて139号線と合流し、しばらくすると

切幡寺の案内板が出ている。

右折して、すぐに

「お荷物預かります」

と言う接待があった。

結構この坂はきつい。

地図で見ても水平距離700mに対して

高度差90mある。

有り難く預かっていただく。

やはり荷物が少ないと333段の階段も

楽勝である。

そりゃそうだ、ディープインパクトだって

他より5kg重い斤量を背負っていたら

三冠馬にはなれてないはずだもの。

納経所へ行く。

3度呼び鈴を鳴らしたが誰も出て来なかった。

「ここの人はおばあちゃんだからな。

ひょっとしたら死んでるかも知れないぞ」

呼ぶよりそしれとはよく言ったもので、

おばあさんは、すいませんねぇと出て来た。

帰りは法輪寺のお店で知り合った男性と

一緒だった。

荷物の預り所に戻った。

私が預かってもらった時の10倍くらい

のリュックがあった。

みんな考えることは一緒だ。

お接待の冷たいお茶をいただく。

とてもおいしかった。

法輪寺で知り合った彼は滋賀県から、

高速バスを使って鳴門まで来たと言った。

私は名古屋から岡山、高松、板東と来た、

と言ったら新神戸からバスの方が速いん

じゃないですかと言う。

私は乗換えのたびに待ち時間が出来る

ので現状の方がいいと言った。

本当は電車の方が好きなのですがね。

彼とは変電所の交差点で別れ、近くの

うどん屋「八幡」に寄り、カキフライ

定食を頼んだ。

名古屋弁で言うと「カキフリャー」だでよ。

時々逢う金髪の女性が私を見てほほ笑む。

うどんをガッツリいただいている。

やはり外国人女性は迫力が違う。

二つ隣の席では、やはりよく顔を合わせる

お遍路さんがビールを飲んでいる。

私も、てんこ盛りのご飯と、うどんをつゆ

まで飲み干し、二食抜けの鬱憤を晴らした。

店を出る。

まだ12時が少し前である。

私は237号線へ戻り、藤井寺を目指す。

小学校、交番、郵便局と過ぎ左手に

牛舎が見えてくる。

写真を撮ろうと牛を呼ぶ。

「おぢさんは、もう牛肉を20年も食べて

いないんだよ。だからおぢさんは怖くな

いんだよ。さぁ、こっちへおいでよ」

すると牛さんは寄って来ました。

 

突「金がなくて食べられなかっただけ

だろうが」

ほんの数メートルいくと今度は神社の

鳥居が見えてきました。

 

ミラーからもわかるようにここから

右折して行くのです。

ここが藤井寺への一番のポイントと

なるところです。

まっすぐ行くとまた法輪寺の方へ

行ってしまいます。

ラブちゃんと遊ぶならそれもいいですが。

後は道なりで122号線まで辿り着きます。

途中で金髪の女性と逢いました。

川島橋にて

 

どこから来たのか英語で訊くと、ドイツ

からだとドイツ訛りの日本語が返って

来ました。

少しホッとしました。

明日は焼山寺なのでとても心配している

と彼女は言いました。

慌てることはありません、ゆっくり

登ればいいのです、と私が言うと彼女は

「ホップステップジャンプ」とか言ってました。

突「ステップバイステップ」

途中に寄るところがあると、彼女は足早に

去って行きました。

やはり外国人は足が速いです。

身長は私とかわりはしないのに。

122号線までに休憩所は三ヶ所ありました。

最初のは宿泊禁止と書かれていましたが、

122号線にあるのはOKみたいです。

蛇口もついていました。

この休憩所から左に折れ、徳島線を渡り

192号線を越え240号線に入ります。

お遍路シールもあるのでわかり易い

道だと思います。

それから2kmほどして右への遍路道

に入りますが、この道はやがてきつい

上り坂となり藤井寺に下ります。

無駄なエネルギーを使います。

だからここで曲がらず次の遍路道に

入り少し行った所で左折し、藤井寺には

下から行った方が楽であることをこれ

から行く人に告げておきます

藤井寺には2時ころ着いた。

ひどく疲れた。

恐らく八幡で満腹食べ、すぐさま歩き

始めたのがいけなかったのだと思う。

途中で何度も吐きそうになった。

やっぱり腹八分目ですね。

ベンチで休んでいると納経所から出て

来るドイツ人女性と逢った。

しばらくすると安楽寺の玄関で知り

合った女性がやって来た。

帰り道、滋賀県の人にも逢った。

こうしてみると、同じ日に霊山寺

をスタートした人は、色んな所で

出逢いますね。

みんな一人旅だけど、団体旅行みたい

なものです。

歩き遍路の紀行文を読むと、同じよう

なことが書いてあるが、実感しました。

よくわからないチラシの地図に悩み

ながらも3時、民宿富士に着いた。

それは民家の裏に民家とは離れてあった。

大将が出て来た。

こわそうなオッチャンだった。

丸刈りの助手がいた。

ひょっとしたら暴力団が副業でやってる

民宿ではないかと思った。

帰りの清算時、20万円くらいぼったく

られるんじゃないかという恐怖にかられた。

(大丈夫、宿にはこのブログ知らせて

ないから)

うちは素泊まりの民宿で、近くにコンビニ

がないから夕食朝食買いは車で連れて行って

上げます。

洗濯物は洗濯乾燥とも無料でし部屋まで

届けます。

17番札所までは送迎をいたします。

その間は巡拝に必要な荷物以外は

宿に置いててください。

風呂は9時までの好きな時に入って下さい。

大将から宿の基本方針を聞き、部屋へ案内

された。

玄関で靴を脱いだ時、大将は私の靴を見て

これは焼山寺へ登る靴ではないと言った。

助手も、靴底を見て、つま先も踵も反り

あがっている、おまけにエアクッション

もついている、これは履く人をふらつかせ、

体幹を鍛えるダイエットのための靴だ、と

言った。

5時半夕食を買うため車に乗った。

大将はまず鴨の湯に設けられた

善根宿に立ち寄った。

沢山の外国人がいた。

中に今日数回逢ったスキンヘッドの

外国人がいた。

大将は宿からあぶれた人で、民宿に

泊まる人はいないか捜している

ようであった。

残念ながらいなかったみたいだ。

あぶれた人達は表の駐車場でテントやら

寝袋で寝るようだ。

大将の話によるとスキンさんはゆうべ

安楽寺の山門で寝たらしい。

上がって行かなくて良かったと思う。

無料宿にたむろする外国人、日本人から

不良外国人のように受け取られそうだが

彼らは非常に真面目な人が多い。

みんなはるばる外国からやって来るわけだ。

若い人が多いからお金もあんまりない。

旅費を切り詰めれば当然無料宿と

なるわけである。

若いながらも遠い異国の文化を学ぼう

とする真摯な姿勢に脱毛、いや脱帽。

日本の若者も見習ってほしいものだ。

それから大将は靴屋に寄った。

大将は靴底の平らなスニーカーを

薦めたが私は断った。

新しい靴を買えば荷物が増える。

もうリュックは満杯だ。

まだこの先何百キロも歩かなければ

ならないのにそんなものを買えば

命取りになる。

大将は店長とは顔馴染みだ、おそらく

今まで何百足と客に靴を買わせたこと

だろう。

大将の言う事もわからないではないが、

私はきっぱりと断った。

買うなら家に帰ってからにして、次回の

お遍路に備えようと思う。

その後鴨島駅に寄った。

今日で6泊目になる客を迎えるために。

その人は5日目に一番きつい焼山寺に登り、

すでに巡拝の終わっている17番まで

今朝送ってもらったそうだ。

そして今日立江寺まで歩き、JRに乗って

鴨島駅まで帰って来たそうだ。

それにしても懐かしい鴨島駅、2年前に

間違い切符でお世話になった女性職員

、今でもいるかなと逢いたくなったが

逢うのはやめた。

100%向こうは覚えちゃいないから。

しかし同じ宿に6泊もするということは

富士さんが余程信頼されているという

ことだろうと、その件については

一安心した。

その後スーパーに寄り夕食を買い

宿に戻った。

大将のお母さんが作ってくださった

お吸い物で夕食を食べた。

風呂に入り、9時に大の字になって寝た。

ZZZZ・・・・・

本日の歩行距離26,28km

 

10月5日

いよいよ今日は焼山寺が待っている。

5時半に起き、きのう買っておいた

朝食のおにぎりを1個食べる。

山に登るのであるから食事はこれ

くらいでいい。

きのうの八幡の食事がいい教訓と

なっている。

身支度を整え、玄関で、きのう靴辱を

味わったリーボックの靴を履く。

6時5分前にロビーに行く。

早い話がテーブルを置いただけ

の土間である。

山に登るのであるから、杖は2本持って

行きなさいと、大将は宿の杖を貸してくれた。

しかしどうも心配だな、その靴では、

豆ができたり、足を痛めたりしそうで。

大将はコンビニに向かう車中でも

私の靴のことを盛んに気にしてた。

昼食のサンドイッチを買い、車は

一路藤井寺へと向かった。

6時20分、焼山寺の登山口に立つ。

 

いよいよ、あこがれの遍路転がしに挑戦だ。

胸がワクワクする。

最初はそんな急坂ではない。

しばらくすると老人が向こうからやって来る。

老人は、あなたが今日2番目の登山者

だと言う。

おそらく地元の人で、毎日この道を

散歩している人だと思われる。

ま、時間的にみて一番だとは思っても

いなかったが。

さらに進み車道に出る。

 

ここから道は険しくなる。

が、今まで経験したことのないきつい坂

というものではなかった。

国分寺から180号線の道とか、最御崎寺

の遍路道とか、仙遊寺の方がきつい

と思う。

黙々と山を登る。

すでに汗でシャツはびっしょり濡れている。

ペットボトルの水をグビグビ開ける。

夏なら4本、この時期でも最低2本はいる

と大将から言われ2本持ってきた1本目だ。

すでに半分は消えている。

登り始めて20分、前を行く人を視野に捕える。

どうやら一番乗りは滋賀から来てる人だ。

以後彼を滋賀さんと呼ぶ。

滋賀さんは道を譲ろうと立ち止まった。

が、私が休憩をしたので再び歩き始めた。

途中で安楽寺の女性に抜かれる。

今日はお父さんの他に若い女性も加わっ

ている。

逢う度に違う友達を連れている。

友達作りの名人のような人だ。

なんとなく性格的にタレントのイモト

アヤコさんに似ている。

以後彼女をアヤコさんと呼ぶ。

長戸庵(ちょうどあん)に7時48分に着く。

藤井寺から距離にして3,2km、時間にして

1時間半。

距離的にも時間的にもちょうど1/4だ。

6時間で登りきるにはいいペースだ。

長戸庵を過ぎて、ドイツ人女性と八幡で

ビールを飲んでた男性の、二人に抜かれる。

ドイツ人女性にはこの後もしばしば逢う。

面倒なので以後彼女をカレンと呼ぶ。

なぜカレンなのかと言えば、ドイツ人女性の

名前というところで調べ一番簡単で覚え

やすい名前だったからそうした。

こらこら、そこの人、いちいち調べなく

ても良い。

やがて、追い抜いて行った一団が休憩し

てる所に辿り着いた。

見下ろすと鴨島の市街地が一望出来る

休憩所だった。

 

絶景かなってやつですわ。

のろいので小休止で動き出す。

しかし、またしても皆に抜かれていく。

山を下って柳水庵、9時20分到着。

すっかり顔馴染みとなった面々がいた。

ここは道中、唯一水を補給できる地点

だと聞いた。

宿の大将に生水だけは飲むなと言われた。

と私が言うと、すでに飲んだ人が数人いた

みたいだ。

私も腐った物を食べても何ともない

人間ではあるが、いかんせん歩き遍路の

身である。

万が一にも道中で液体ウンコを生成しよう

ものなら即お遍路中止となってしまう。

故に私はここの水をペットボトルに

補給しようとも思わなかった。

軽トラックのおじさんがやって来た。

ここらは車が通行可能な地域みたいだ。

おじさんは今からマツタケ狩りに行くと

言った。

アヤコさんは行きたい、と言った。

おじさんはマムシが出るぞと言った。

真っ先にカレンが休憩をブレイクした。

続いて私が動いた。

少し行くと宿泊可能な小屋があった。

私がカレンに

You can sleep here

と言うと、泊まりたくありませんと言った。

この小屋の近くに道路が通っている。

もしこの小屋に若い女性が泊まったら、

血気盛んな若者が車でやって来て襲われる

かも知れない。

宿の大将は、若い女性のお遍路さんが

野宿して襲われることはしばしばあると

話してくれた。

しかし世界文化遺産がかかっているので、

そういう事件は表沙汰になっていない

と言う。

闇から闇に葬り去られているらしい。

どうか女性の皆さん野宿だけはしない

ようにお願いいたします。

野宿するなら、僕の胸でお休み。

突「死んでもいやだ」

しばらくなだらかな登りが続き、その後

きつい上り坂が待っていた。

またしても私は皆に抜かれてしまった。

滋賀さん以外の皆に。

745mの浄蓮庵に着いた。

 

別名一本杉だ。

10時だった。

シャツは絞ればボトボトとこぼれ落ちそうな

ほどの汗を含んでいた。

これからずーっと下って、また700mの

焼山寺へ登るのか。

無駄な工数だよな。

いっそ、ここから焼山寺へ橋を架ければ

いいのにと思うのは私だけではないだろう。

またアヤコさんは休憩をしていた。

そして今回は私より先に出発した。

激しい下り坂が待っていた。

苦あれば楽ありという諺がある。

しかし焼山寺は、苦あれば更に苦ありで

一般の諺が当てはまるゾーンではない。

ひざに大きな負担がかかる。

二本の杖で必死に支える。

時々滑って尻餅をつく。

まさに遍路転がしを実感する場所である。

8年前、この焼山寺で急斜面を滑落し

1ケ月後に死体として発見されたお遍路

さんがいたそうな。

大将がそう言ってた。

私が8年ぶりの腐乱死体にならないように

慎重に降りる。

その結果なんとか麓まで死なずに

辿り着いた。

 

わたしはここで道に迷った。

下へ降りて行くと車道に出た。

右に行くのか左に行くのか、どこにも

お遍路シールがない。

近くの民家で尋ねようと

「ごめんください」

と言う。

返事はあるが一向に家人は出て来ない。

三度ほど呼ぶと家人は畑の方から

やって来た。

なんとか道はわかった。

車道からまだ少し下がり、そこから

凄まじい上り坂が待っていた。

体が求める酸素量を供給してやることが

出来てない。

しばらく休むとなんとか足りる。

再び歩く。

この繰り返しでやっとあと1Kmの地点

まで漕ぎつける。

別に船に乗ってるわけじゃないんで

すけどね。

苦しいのはここまでで後は殆ど平坦な

道を通り山門をくぐる。

 

 

時刻は12時15分、道に迷わなければ

5時間と50分で到達出来たと思う。

お参りを済ませうどん屋に寄る。

顔馴染みの面々がうどんをすすっている。

私もうどんを注文する。

いたってシンプルな、巷で言う

素うどんだったが、空腹は最高の調味料

でおいしかった。

みんなおにぎりも食べていたが、食堂

のメニューにはなかった。

きっと宿が作ってくれたおにぎり

なのだろう。

ああ、それにしてもついにやったぞ焼山寺。

初めてガイドブックを見た時、歩いて

焼山寺に登ることなど夢のまた夢だと

思っていたが、やれば出来るとお大師様に

教えて頂いたような気がする。

心の中で合掌をする。

納経を済ませ、公衆電話から宿に

電話をする。

コカ・コーラを飲みながら下山する。

この道はさほど滑りやすい道ではなかった。

杖杉庵まで来た。

梅干しの無人販売があった。

料金は300円、財布をみると500円玉しか

なかった。

すぐ近くに民家があり表に男性がいた。

「これ、お宅の梅干しですか」

大きな声で訊くと

「はいそうです」

と言う。

「お釣りが欲しいのですが」

と言うと男性はやって来てつり銭を

くれた。

無人販売でつり銭をもらったのは

私が初めてであろう。

「おいしそうな梅干しですね」

「これだけ入って300円なら断然

お得ですよ」

「私もそう思います」

今日は焼山寺に登られたんですか、

はいそうです、大変でしたでしょ、

たいしたことはありません、毎年

4月頃この山に100人くらいの人が

登る行事があるんですよ、それって

地元の人たちですか、いえどこかから

やって来る団体さんなんですがね、

地元の警察やら消防団員も同行するん

ですよと私と男性は会話をした。

会話が途切れたところで私はお大師様

の像を写真に収めようとした。

 

 

何なんだ、この正体不明の絶世の美女は。

たしかこの時、私のカメラのレンズと

お大師様の間には何も存在しなかった

はずなのに。

ひょっとしてこれ・・・・世に言う・・

心霊写真とかいうのじゃないかな。

それにしても鮮やかすぎる心霊写真だ。

私は霊とテレパシーでやりとりをした。

それによると彼女は父がイギリス人で

母が日本人のハーフで九州から

ヒュールルーと飛来したらしい。

名前は聞き損ねたが、私は彼女を

キャサリンと呼んでいる。

突「わたしにはどう見てもカメラは

お大師様より彼女を捉えているように

思いますがねー」

キャサリンは美人であるだけでなく、

とても優しく、聡明な霊でした。

大体お遍路に来る女性は大らかな人が

多い。

読者の中にも若い方がいたら、是非

お遍路に来てこういう女性との交流

を深め、やがて結ばれ子供を作り、

少子化に歯止めをかけてほしいと

私は個人的には思っています。

お遍路を男女の出会いの場所に

したいものです。

子供の少ない世の中は淋しい。

ジジババは病気の話ばかりしている。

男性ばかりか女性にも来てほしいものです。

外国人の若い男性も一杯来てますよ。

仲良くなればいい。

ちょっと悔しいけど。

鍋岩まで下山すると宿の大将はすでに

来ていた。

宿に帰る途中、一緒に来たお遍路さん

が歩いていたので大将にあの人乗せて

行ってあげて と頼んだ。

うどん屋で私の前に居た人で、彼は12番で

帰ると言っていた。

寄井のバス停まで送って行った。

大将は自分の宿のピーアールを

盛んにしていた。

今度、板東駅まで来て電話をすれば

大将は鍋岩まで乗せてってくれるはずだ。

ただし連泊が条件とはなるが。

寄井で彼を降ろし、石井を経由して

スーパーで夕食を買い宿に戻った。

焼山寺登頂記念に108日ぶりにビール

を飲んだ。

生涯で一番おいしいビールだった。

本日の歩行距離19,21km

 

10月6日

今日も身支度を整え5時50分玄関に行く。

大将の予想を見事に靴返したリーボック

は下駄箱で靴ろいでいた。

ロビーで杖を借り、6時鍋岩に向けて

スタート。

今日は平坦な所が多いから一本でいい

だろうと、大将に一本とられた、参った。

コンビニで昼食を買い、石井経由神山

高校行きの路線バスのコースを辿り鍋岩

まで行った。

酒屋の駐車場で降ろしてもらうと、すだち館

を出て来た外国人と逢った。

大将は彼に「ワン」と訊いた。

彼は「ワン」と答えた。

近所で犬が「ワン」と吠えた。

今日はすだち館は客は1人らしいと、大将は

私に言った。

そんな馬鹿な、昨日カレンもすだち館に

泊まると言ってました、と言うと、それ

じゃ、俺の質問が悪かったかなと言った。

ワンだけでは、きっと彼は一人旅かと

訊かれてワンと答えたのだと思う。

せめてオンリーワンゲストくらい言えば

意味は通じたと思うのだが。

突「それじゃ犬がワンと言ったのは」

喧嘩を売られた思ったんじゃないのか。

6時45分鍋岩をスタートする。

空は今にも泣き出しそうである。

左に入って行く遍路道がある。

いきなりの急坂である。

しばらく行くと今度は下り坂であり、

やがて右から来るアスファルトの

道と合流する。

鍋岩荘に泊まった人は、この平坦な

道を利用したはずだ。

遍路道も平坦だとばかり思っていた

ものだから何か損した気分。

ゆるいアスファルトの登りが続き、

またしてもきつい上り坂が待っていた。

私はここでついにポンチョを被った。

山道で土砂降りになっても困る

と思って。

風があったらポンチョはめくれ上がる。

そんな時はポンチョの裾に穴を開け、

ひもで石をぶら下げなければならない。

ポ、ポ、ポンチョの吊るし石

かぜにふかれてぶーらぶら

しかし幸いにも風はなかった。

そこは、距離は短いが焼山寺でも

経験したことのない壁のような坂だった。

おまけに道は整備されておらず至る所に

倒木があり、ゴツゴツした大きな岩が

あり、足の短い私にはイヤミな遍路道

であった。

もし私が富士に連泊しなかったら、まだ

時間があるのだから鍋岩から神山町まで

歩き、そこで宿をとって翌日20号線を歩い

ただろう。

事前にこの坂道の厳しさがわかって

いたのなら。

玉ヶ峠に着き小休止。

あとはアスファルトの道を下るだけだ。

所々に枝分かれした道はあるが、民家

への引込線のような道路でわかりやすい

一本道だ。

迷子の達人の私でも大丈夫だ。

途中に遍路小屋があった。

下はトイレになっている。

20号線に着く少し前に、女性から

お接待のミルクの国を2個いただいた。

やっぱりお接待は嬉しいものです。

20号線と交わる直前の道路がヤバ

そうである。

近い将来20号線へ崩落することだろう。

行政の方、点検しといて下さいよ。

9時18分植村旅館の前を通る。

鍋岩から2時間半である。

無理をすれば朝、焼山寺に登り、ここまで

来ることは十分可能だと言う事だ。

ちなみに大将によれば、大日寺まで行った

人を5人知ってるそうだ。

そして井戸寺まで行った人も一人いたそうだ。

その人は一日中走っていたそうで、大将が

景色は見えたかと訊いたら何も覚えてない

と答えたそうな。

そんなものお遍路じゃない、ただのスタン

プラリーだ。

右へ行く橋がある。

正式な遍路道である。

近くにいたおばあさんに訊いてみると、

下が悪いから行かない方がいい、皆、車道

を行きますよと言うので素直に従う。

石井中経由徳島駅行きのバスに追い越される。

雨は降りそうで降らない。

前日大将から言われていたJAのスタンド

の所の橋を渡る。

20号線から21号線への移動だ。

10時30分広野小学校の前を通る。

名東経由徳島駅行きのバスに追い越される。

思い起こせば2年前、私はこのバスの中

からこの道を歩くお遍路さんを眺めて

いたものだ。

焼山寺から大日寺まで20数キロ、よく

やるなぁと。

それを今自分がやってるのかと思うと

感慨無量である。

11時30分神山町に別れを告げる。

4日前に鶴瓶の家族に乾杯が放映

された町だ。

12時入田中学校前を通過。

校庭のキンモクセイがいい香りを放つ。

本日初のコンビニが、大日寺が近い

ことを知らせてくれる。

12時半ついに大日寺到着。

雨は本降りとなって来た。

一礼をして境内に入ると鍋岩で逢った

外国人が軒下のベンチで昼食を食べ

ていた。

私も軒下にポンチョとリュックを置き、

お参りと納経を済ませ昼食をとった。

彼は常楽寺へと動き始めた。

どこから来たと訊くとオーストラリア

からだと言う。

190cmはあろうかという大男だ。

お坊さんとお遍路さんがやって来た。

多分真言宗の僧侶とその檀家さんだろう。

一行は寺務所へと入って行った。

食事が終わり常楽寺へと向かう。

一昨年常楽寺へ送ってもらった人の

駐車場はもぬけの殻だった。

ま、お土産も買って来なかったので

寄る気もないが。

それにお接待のお返しは失礼にあた

ると聞いたので。

ここから一の宮橋までの道が結構

ややこしい。

慎重にお遍路シールを確認し、何とか

一の宮橋に乗る。

その後も苦労して常楽寺山門に辿り着いた。

何度来ても、この道は苦手だ。

山門に雨に濡れた猫が待っていた。

私は撫でてやった。

それにしてもこの旅はよく猫に逢う。

やはり歩き遍路だからだろう。

勿論嬉しいに決まっている。

境内に入りまずはポンチョを脱ぎ、

杖も置く。

それから本堂、太子堂とお参りし納経所へ

行く。

納経所から出て来る例の外国人と会う。

彼は私と逆で、まずは納経所へ行くみたいだ。

ポンチョと杖を外に置き納経所へ入る。

山門の猫の話などしながら納経をして

もらっていると突然納経所の人が

悲鳴を上げた。

振り返ると外国人が顔面を血だらけに

染めている。

どうしたWhat happendと訊くと彼は

岩の上で滑って転倒し、顔面を強打

したとのこと。

私はバッグに持っていたティッシュを

2つだし顔面を拭いてやった。

しかし血はとめどなく流れた。

納経所の人は近くに病院がある、車で

送ってあげましょうかと言った。

ハウアバウトアホスピタルと適当な

英語を使うと彼はノーと拒絶をした。

保険証もない外国人が病院にかかれば

法外(言葉としてはおかしいが)な治療費

を請求されることは彼らの予備知識の

なかにあるのだろう。

おばあさんが救急箱を持って来て、血止

めの薬を塗った。

娘さんがガーゼを当てテープで止めた。

なんとか事態は収拾しそうだったので

私は失礼することにした。

「ドウモアリガトウ」

彼は片言の日本語で言った。

常楽寺は岩盤の上に建てられた寺である。

したがって境内も岩ばかりである。

しかも、この岩が雨でよく滑るので

皆さんも気を付けて下さいよ。

国分寺に着いた。

雨は間断なく降り続いている。

お参りを済ませ納経所へ行く。

今日は例の外国人以外のお遍路さんに

会っていない。

納経所で、一番特徴のあるキャサリンを

思い出し、ハーフの女の子は来ましたか

と訊いた。

納経所の人は来ましたよと言った。

だろうね、抜かれることはあっても

抜くことのない私だもの。

もし私が鍋岩一番乗りだったなら

全員に抜かれてるはずだ。

怪我をした外国人以外抜けなかった

ということは私が最初からビリ

のスタートだったということだ。

6時45分のスタートだものね。

外国人がやって来た。

血はすっかり止まったようだ。

彼はアイアムストロングとかほざいてた。

血は沢山出たが大した傷ではなかった

ようだ。

これで流血のプロレスラーも大した

ことはないことがわかった。

沢山血のでそうな所をちょこっと

切って大騒ぎしてるインチキ野郎だろうな。

そんな訳で、以後彼のことをレスラー

と呼ぶことにした。

観音寺に行くと彼はすでに来ていた。

抜かれていないところをみるとショート

カットを使ったとみえる。

近頃はスマホなる便利なものがあるから

簡単に道は探せるのだろう。

お参りを終えレスラーにトゥデイズ

ラーストテンプルと言うと彼はうな

ずいていた。

私は井戸寺を指してそう言ったつもり

だったが、その後彼を見なかったところ

をみると彼はここで終わったらしい。

宿を確保するため、早めに善根宿の

栄タクシーに行ったのかも知れない。

井戸寺までの道を少し迷った。

府中駅(こうえき)で出会ったお遍路

さんに教えてもらいなんとか軌道修正

する。

お寺近くで、キャサリンに出会った。

しばらくして滋賀さんに出会った。

井戸寺に着いた。

ベンチはすべて雨ざらしなので、荷物

を山門に置いた。

この山門は徳島城の大手門を移築した

ものらしい。

間違ってたら富士の大将に文句を

言ってくれ。

彼の受け売りだから私には1%も責任

はない。

お参りも納経も終わり、公衆電話から

富士に電話する。

すると受話器の向こうから

「後ろにいるよ」

と声がする。

振り返ると大将がいた。

あと数秒早く来てくれてたら

20円使わずにすんだのに。

車に乗ると、鍋岩から運んで来た、昨日

からの宿泊者がいた。

スーパーへ寄り、宿に帰り、今日も

1日無事にお遍路を終えることが出来た。

雨なのでカメラは持って行かなかった。

本日の歩行距離31,58km

 

10月7日

いつものように6時に井戸寺に向けて

スタート。

今日は町中を通るお遍路なので

コンビニには寄らなかった。

渋滞もない道路をスイスイ飛ばして6時

40分に井戸寺到着。

大将に3日間のお礼を言って別れる。

本当に富士さんのお蔭で随分と助け

られた。

まずは宿探しに奔走しなくて済んだこと。

軽い荷物で動き回れたこと。

朝早くに藤井寺まで送ってもらえたこと。

早かったから皆さんと一緒できたことを

思うと、法輪寺近くの女主人にも、滋賀さん

にも、ひいてはお大師様にも富士さんと

出逢えたことを感謝しなければならない。

ただ大将の速射砲のお喋りには、いささか

閉口した。

情報が多すぎて殆ど頭に入って来なかった。

それと、とてもいい宿だとは思うが、一人

旅の若い女性にはあまりお勧めできない。

泊まるのなら二人以上にしてね。

昨日の公衆電話からいつもお世話になって

いるステーションホテルにかける。

手続きに時間がかかるので100円を入れる。

あっさり満室ですと断られる。

10円で足りる通話時間であった。

よく考えてみたら今日は三連休の初日で

あった。

いつも空いてる、不人気のステーション

ホテルが満室ということは他も推して

知るべしか。

このままじゃ電話代だけで1000円以上

かかりそうだと思った私は直談判しか

ないと徳島駅に向かった。

路線バスの道を通り30号線に合流、

黄色い地図によるとサンクスの手前を

右折とあるがサンクスなど、どこにも

なくかわりにコインランドリーがあった。

こら、編集者、ちゃんと直しておけよ。

とくに徳島に潰れる店が多いことも告

げておく。。

遍路道を無視して次の信号を右折、

1号線に入る。

そのままずんずん進み突き当たりの

192号線を左折する。

3kmほど進み左に折れると、我が庭

のような徳島駅である。

駅の構内に入る。

観光案内所を捜すがどこにもない。

きっぷ売り場に行って尋ねる。

駅の外にあると言う。

行ってみるとシャッターが閉まっていた。

こういう場所というのは始まるのが

遅く閉まるのが早いのが常である。

それではホテルをあたろうと動き出す。

サンルート、満室です、アパホテル、

満室です、アストリア、満室です

東急イン、満室です、なんてこった

すべて満室だ。

こんな三連休でも恐らく郊外へ行けば

空き部屋はある。

しかし探し当てるのに1日かかり

そうである。

再び案内所に戻る。

まだシャッターは閉まっている。

駅前で交通整理をしているおじさんに

訊く。

案内所は9時に開くと言う。

もう今日は駅前はすべて埋まっています。

案内所の人は言った。

どうして駅前なんですか、生名のあたり

じゃ駄目なんですかと言う。

一応今日生名まで歩く予定なんです、それで

生名から徳島まで戻りまた明日早朝バスで

生名まで行くつもりなんです、三連休

だし、お遍路シーズンだし、あの辺りは

とても宿が取れないと思って。

それじゃ往復のバス代が勿体ないし、

スタートも遅れますよ、わかりました

生名の辺りで空いてる宿探しましょうか。

お願いします。

案内所の人は鶴風亭という民宿が一部屋

空いていると言った。

じゃ、それでお願いしますと私は言った。

出来れば鶴林寺に近い宿にこしたことは

ない。

黄色い地図には載ってないが、信頼の

置ける夫婦がやってるから大丈夫

だと言った。

窮すれば通ずか、お大師様に感謝する。

9時10分恩山寺に向けて出発。

やはりその日の宿が決まると爽やかな

気分で行動出来る。

黄色の地図の遍路道を進む。

192号線、55号線と距離的には大差

がないが、信号の数がこちらの方が

少ないと思って。

しかし少し道に迷った、やはり王道を

進む方が早いと思う。

王道は大抵信号も青ですしね。

沖須賀橋の辺りで二人のお遍路さん

に抜かれた。

男性は私を無視して抜いて行った。

女性は私に会釈をした。

「今日はどこからスタートしたん

ですか」

私の質問に彼女は答えなかった。

が何か言いたそうだった。

日本人と同じ顔をしているが、韓国

の人かも知れない、日本語が理解

出来ないのだ。

私はそう思った。

55号線の交通量は私の想像より

多かった。

コンビニも自販機も結構ある。

ちょっと棘のある言葉だったかな。

抜いて行った夫婦らしき二人は、時々

景色を楽しんだり、写真を撮ったり

している。

その都度私は彼らを追い抜いて行く。

が、また抜かれる、の繰り返しであった。

二人は私に手を振ったり、笑顔を

振りまいたりと好意的であった。

とても仲のいい夫婦で、見ていて

気持ちがいい。

去年、小麦色の白い太ももの女子高生

を見た勝浦橋を渡る。

やがて小松島警察署が左手に見えてくる。

そして芝生川橋を渡ると右手にお遍路

シールの道があった。

本来この道は遍路道ではないのであるが、

我が家の庭からお遍路さんが見たいという

わがままな人のなせる業であろう。

数十メートル行けば遍路道と交わる

ので私はわがままな人の言う事を

聞いてあげることにした。

しばらく行くと恩山寺まで700mの

案内板を見る。

バスでもよく見てたやつだ。

恩山寺前のバス停を過ぎ、右に曲がる。

降りてくるキャサリンに出会う。

一昨日は2本、昨日は1本、今日は杖が

ないんですね、とキャサリンは言った。

宿の借り物だからね、でも明日は

鶴林寺、太龍寺だから立江寺で

杖を買うつもりですよ、と他愛も

ない会話をしてキャサリンと別れた。

相変わらず可愛い。

恩山寺の山門は少しわかり難い所

にある。

最初は見逃したが今回は3回目だ。

ちゃんと山門を通って結構きつい

遍路道を登る。

境内でアヤコさんに出会う。

彼女は私に声を掛けて下さった。

多分、これが沢山の友達を作るコツ

なんでしょうね。

とても嬉しく思いました。

彼女は今日の宿について訊いてきた。

私は徳島駅前でのいきさつを話した。

でも宿が決まってよかったですね、

と彼女は言った。

アヤコさんは今日は立江寺近くの

「鯉の里」に泊まると言った。

突「鮒の里」

残りの距離は少ないので彼女は

境内でのんびりしていた。

私は生名まで行くので急いでお参りを

済ませ、そそくさと恩山寺を後にした。

生名まで行くなという超親父ギャグは

去年使ったので今年は控えさせて

いただきます。

突「今年も使っとろうが」

帰りはトイレに寄りたかったので

車道を利用したが駐車場でアンケート

の住民に掴まった。

車道を下りて行くとレスラーに逢った。

床屋に行って少し髪を切ったみたい。

ガーゼもとれて絆創膏だけに

なっている。

仲の良い夫婦にもあった。

英語が理解できるようなので近道の

遍路道がありますよと英語で教えてあげた。

でもスマホがあればその必要はなかった

みたい。

本当に歩き遍路って楽しいなと思った。

途中で3人組の男性にあった。

なにか3人組と言うと犯罪者みたいだな。

3人連れに逢った。

3kmほど歩き立江寺近くに2つに分かれ

た道があった。

右にお遍路シールがあったので右へ

行った。

おかしい、立江小学校は左のはずだが、

と思いつつも。

鯉じゃなくて鮒の里があった。

アヤコさんの泊まる宿だ。

左へ曲がる道があり立江寺と案内がある。

立江橋を渡り立江寺に着く。

お参りを済ませ、杖を買う。

店のおじいさんは袋はどうですか、と

言うので、じゃそれも下さいと言う。

杖だけじゃ素気ない。

帰り道、食堂からまたもアヤコさんの

呼ぶ声が聞こえて来た。

13時半、腹も減っていたので私も

食堂に入る。

がメニューを見て、私の口に合うものが

なく店を出る。

少しアヤコさんと話がしたいなと思ったが。

少し行った所に団子屋さんがあった。

団子を買おうと思ったが売り切れ

だと言う。

売れ残るといけないから少ししか

作らないのだろう。

3人組、いや3人連れが先程買って

いたがあれが最後だったのだ。

再び立江橋を渡り一路生名を目指す。

 

喉が渇いたので自販機を捜すが

なかなかない。

ようやく見つけた自販機は全部売り切れ

ていて、暖かい飲み物だけが残っていた。

「馬鹿にすなー」

法泉寺前のバス停にさしかかった。

ここにも善根宿があると聞いたので

探してみた。

すぐにみつかった。

結構広い室内で無理すれば7、8人は

泊まれるだろう。

ふとんは2つしかないそうだが。

ベンチでしばらく休んでいると、仲の

いい夫婦がやって来た。

私が善根宿がありますよ、ただですよ

と言うと二人は室内を見ていた。

そして奥さんは、あなたは今日ここに

泊まるのかと訊くので、ノーノー

アイへヴマッチマニーと言うと笑って

いた。

彼らは台湾の人で名を陳さんと言った。

二人はバス停のベンチで仲睦まじく

語っていた。

私は先に腰を上げ歩き始めた。

車道の22号線と交わり、28号線を右折し

16号線を左折する。

後は道なりで生名に着く。

 

道路にある温度表示計は30度を示して

いる。

背中のリュックはピタリと体に密着し、

バッグはお腹に張り付き、外気に触れる

ところが少ないのでシャツはぐっしょり

である。

5時近く道の駅に着く。

ここで何か食べようとしたが食堂は

閉まっていた。

人に訊くと道の駅は5時に閉店なのだ

そうだ。

隣がコンビニだったので夕食とビール

を買い3分ほどで鶴風亭に着く。

10畳ほどの、本来はこの家の居間として

使われているであろう部屋に通された。

囲炉裏まである。

まずはビールで疲れをいやし、おにぎり

を食べる。

大きなテレビはあるが、まず見ること

はない。

荷物の整理をし、風呂に入り9時

には寝る。

道路沿いの宿だ。

車の走行音がもろに伝わって来る。

カーテンがなければ私は寝姿を

通行人に見られてしまう。

そんな宿である。

電話のベルが鳴る。

奥さんがとる。

12日の予約はキャンセルだとか

言う声が聞こえてくる。

そんな宿である。

明日の食事は何時にしましょう。

鍵のかからない襖をあけて主人が

入って来る。

そんな宿である。

民宿そのものである。

いつしか私は深い眠りに陥って行く。

本日の歩行距離37,09km

 

10月08日

散歩する近所の人の会話で目が覚める。

そんな宿である。

6時のチャイムの音がどこかから

聞こえてくる。

そんな田舎である。

今日の天気が知りたくてテレビを

点ける。

晴だと言う。

出来れば山登りだから曇りで、やや風が

強いのが理想ではあるが贅沢は

言ってられない。

6時半朝食を食べる。

結構おかずも多く、よい朝食であったが

山登りがあるので腹八分にした。

トイレに入り身支度を整え宿を出る。

宿帳に載せるので宿泊者の写真を

撮ると言う。

絶対公開しないという条件で、玄関で

写真を撮って宿を後にする。

途中で例の3人連れに逢う。

彼らは金子屋に泊まったみたいだが、

特に変わった様子はない。

悪評はうそだったのかも知れない。

7時02分生名のバス停をスタート。

険しい上り坂を行く。

去年よりきつく感じるのは、荷物が

多く、なおかつ私の体重が5kg増えた

ことに起因するものだろう。

去年は息も切らさずに一気に頂上

までいけたのだが。

今年は一休みした。

眼下の景色が素晴らしかった。

写真が悪いので申し訳ないが。

 

休んでいると1人登って来る人がいた。

彼は焼山寺の下りで足を痛めた、と

言ってた。

再び登り始めると彼はどんどんと

遅れていった。

8時25分鶴林寺到着。

 

お参りを済ませ、納経所へ行くと

行列が出来ていた。

1人で何冊も納経してもらう人が

いるからだ。

一冊納経してもらったら、行列の後ろ

に並ぶべきだろうが。

それが公平と言うものだ。

納経所の人は携帯で支援を

求めていた。

すぐに応援はやって来て、渋滞は

解消された。

長居は無用と太龍寺への遍路道を

急ぐ。

この下りもかなりきつかった。

地図によれば1,3kmの水平距離に

対して310mの降下である。

逆打ちする人は大変なことだと思う。

段差が大きいので短足の人には、

やはりイヤミな遍路道である。

股関節を脱臼しそうである。

しかし車道を使うとかなり遠回りと

なるためやむを得ず行く。

足の親指で踏ん張るので、爪が痛い。

遅かれ早かれこの爪は内出血を

起こし真っ黒になることだろう。

なんとか19号線まで降りた。

と言って国道ではない。

右手に行くとすぐに休憩所があった。

二人の先客がいた。

二人は疲れたので途中から車道を

使って降りて来たと言った。

すぐにレスラーが降りて来た。

私の予想では彼は法泉寺の善根宿

を使ったと思う。

今朝はそこを6時に発って来たとすれば、

丁度勘定が合う。

誰よりも早く発つ。

足はのろいが短い休憩でもへいっちゃら

なのが私の取り柄だ。

どんなきつい坂を登ってもすぐに

正常な脈拍、呼吸数に戻る。

しばらく行くとスーパーカブのお遍路

さんが道路脇で休憩をしていた。。

後ろにボックスを積んでいる。

この中にテントが入っているんですか

と訊くと、いえ泊まるのは宿ですと

言った。

年の頃なら70代半ば、下松ナンバーの

人だった。

頑張って下さいと言って別れた。

橋を渡り、階段を降りて行くと逆打ちの

お遍路さんが登って来た。

こりゃ大変だ、と思ってたら奥さんらしき

人が息も絶え絶えにやって来た。

次の日の新聞を見たが、この日鶴林寺で

お遍路さんが登山途中で死んだという

記事が出てなかったところを見ると

なんとか無事に登れたのだと思う。

めでたしめでたし。

太龍寺への登山道に入った。

狭いが車も通れる道だ。

車輪の跡がある。

緩やかな坂道で苦痛はまったく感じない。

車道が終わり、少し行った所から

本格的な坂道に入る。

焼山寺に比べればまだまだ甘い坂

だが重い荷物を持っているので

焼山寺よりきつく感じる。

11時半ようやく駐車場から来る道と

交わる。

やれやれと思うが、まだそこから

坂道を登り、いくつかの階段を通り

12時過ぎに本堂に到着する。

今日も厳しい真夏のような暑さだ。

シャツもリュックもカバンも

ずくずくである。

納経所へもどり納経をしてもらう。

売店に手拭いがあったので星野の

おばあちゃんへのお土産として買う。

ベンチに座って宿からもらった

昼飯のおにぎりを頬張る。

となりにレスラーが座った。

沢庵が二切れあった。

一切れをレスラーにやった。

「ジャパニーズフードコールドタクワン」

レスラーはおいしいと言って食べた。

本当に外国人にとって沢庵って、おいしい

のだろうか。

バナナもあったが食べきれそうもないので

彼にやった。

それを見ていた他のお遍路さんも彼に

カロリーメイトを箱毎与えた。

日本人なら俺は乞食じゃねえぞって

怒る人もいるかも知れないが、素直で

よろしい。

与える人は与えたくって与えている

のであるから拒否するのは一番失礼に

あたる。

彼らは礼儀をよく知っている。

ちなみに私も戴くものは拒否したことが

ない、例え欲しくないものでも満面の

笑みを持って戴きます。

これを決して腹黒いとは言わない。

レスラーと私は一昨日、溢れ出る血を

拭いてやった、言わば義兄弟のような

仲だ。

レスラーだってきっとそう思っている

はずだよ。

おやのちをーひくーきょうだいよりーもー

かたーいーちぎりーのーぎきょうだーいー

天皇賞はキタサンブラックが来ますからね。

ちなみにカロリーメイトの箱の中身が

幾つあったか私には知る由もない。

カロリーメイトもらったら はーこだけー

やっぱり天皇賞はキタサンブラックですね。

そうこうするうちにカレンと滋賀さんが

やって来た。

私は目の前の公衆電話で今日の宿探しを

始める。

この辺りで大将の一番のお薦めは

民宿ゆき。

早速電話してみるが満室ですとNG。

平等寺のとなりの「山茶花」はすでに

満室とどこかから情報が入っていたので

民宿樹園に電話すると空いていると言う。

一応これで宿は確保できた。

時刻は1時20分目指すは平等寺。

車道を通るか、舎心ヶ嶽を通るかここが

思案のしどころだ。

大将は舎心ヶ嶽を通り阿瀬比に向かう

遍路道を薦めてくれたが、どう見ても

地図によると車道の方が距離が

短く見える。

隣にいたお遍路さんに訊くと、やはり

彼らも舎心ヶ嶽を通るらしい。

ロープウェイ乗り場の近くに遍路道の

道標があった。

それは厳しいアスファルトの道であった。

恐らくこけたらどこまでも止まりそうも

ないほどの上り坂。

結局麓まで降りるのに、なんで登らせる

のかよ、と天に向かって不平の一つも

言ってやりたいくらいだ。

突「お大師様が怒っておられるぞ」

私が悪うございました。お大師様。

お大師様が修行をなされた舎心ヶ嶽

に来た。

そうか皆これが拝みたくてこの道を

通るのだ。

ロープウェイで来た人はこれを見て

引き返すが歩き遍路は前に進む。

写真を撮ったが映像はどこにも

なかった。

舎心ヶ嶽だけに、写真はダメーと

神通力をかけられたかな。

やがて下り坂が来る。

危険な道ですので午後2時以降の

通行はやめて下さい、と立札が

あった。

時刻は13時50分、ギリギリセーフだ。

凄まじい下り坂だった。

危険な箇所もかなりあった。

人間あまりにも恐ろしい目に遭うと

記憶が飛んでしまうと言う。

10回くらい転倒したこと以外、ほと

んどこの道の事は覚えていない。

15時50分、阿瀬比の交差点に着いた

あたりから私の記憶は戻った。

またしても坂を登り、そして下り

16時50分、平等寺に着いた。

誰一人追い抜くこともなければ、追い

抜かれることもないさみしい遍路道

であった。

これではブログも出来やしない。

階段を登り本堂へ行く。

お参りを済ませ、後片付けをしている

寺の人に公衆電話のありかを尋ねる。

宿への電話ですかと寺の人は逆に

質問して来る。

はいそうですと言うと納経所へ行けば

宿に連絡してくれますよと言う。

納経を済ませ、その旨伝えると樹園に

電話してくれた。

私としては出来るだけ樹園に近い所

まで歩いて行くつもりであったが、

山道故に思うように歩を進められ

なかった。

樹園に連絡はとれた。

後は来てくれるのを待つばかりだ。

杖を忘れたので本堂に取りに行き

門前に戻る。

台湾の仲良し夫婦がやって来た。

どうしたんですかと尋ねると、旅館の

車を待っていると言う。

あなたはと訊かれたのでミートゥーと

答えておいた。

陳さん夫婦の車のお迎えが先に来た。

私はシーユーアゲインと言った。

二人はシーユーアゲインと言った。

奥さんからみかんのお接待をいただいた。

本当に歩き遍路は楽しいな。

適当な英語でも同じ人間同士だ。

心が通い合うことがよくわかった。

やがてカレンと滋賀さんがやって来た。

カレンは山茶花に泊まる予定らしく

宿に入って行った。

滋賀さんはえもとビジネス旅館に

泊まるらしい。

今度は私の迎えのほうが早かった。

滋賀さんに別れを告げた。

樹園の迎えの車に乗った。

平等寺から13kmもある民宿である。

前回の遍路で一緒だった浪速のおっち

ゃんから聞いていた宿だったので

これに決めた。

おっちゃんによれば料理が美味しく

食べきれないほど品数も豊富だとの

こと。

言うなれば料理民宿みたいなものだ。

迎えに来たのは宿の主人で、高齢にも

係らず時速80kmくらいでぶっ飛ばす。

生きた心地はしなかった。

料理は噂に違わぬ、美味しいものだった。

私はビール大瓶一本を頼み、すべてを

平らげてしまった。

隣の席には大阪から来たと言う女性が

いて、楽しいお遍路談義などしながら

夕食を楽しんだ。

たまにはこういう贅沢もいいもんだ。

本日の歩行距離23,44km

 

10月9日

6時半に朝食をいただく。

味噌汁、卵、焼きのりと一般的な

朝食にお頭付きの焼き魚もあった。

私は珍しくご飯を2杯食べた。

ご主人は、もう少し待ってて下さい、

と言うので部屋に戻った。

いつでも旅立てる準備をしてテレビを

見ていると部屋の電話がなった。

下へ降りて行って清算を済ませる。

7000円の基本料金にプラスビール一本

500円の7500円である。

あれだけの料理でこの料金を私は

安いと思った。

お接待とかでライト付きのボール

ペンも戴いた。

夜中に時計を見るのに重宝しそうだ。

さあ出かけようとした時、俄かに

大を催して来た。

まさに快眠、快食、快便である。

レスラーのためにティッシュは総て

使い果たしてしまった。

もはや野○○もままならぬ境遇に

あるのが今の私である。

道中、額から油汗を流しながら

トイレを捜すのはだけは避けたい。

7時15分、12kmの道のりをスタート

し15分で平等寺に到着。

もし事故でもしようものなら、ご主人

も私も即死は免れないスピードで

あった。

またいつか樹園にお世話になる事が

あったとしても、今度は歩いて伺う

ことになるだろう。

平等寺到着前に台湾の夫婦とすれ違った。

7時半、私も彼らの後を追う。

自販機で早速今日1本目のペット

ボトルを買う。

まず最初は綾鷹である。

仲良し夫婦に追い着こうと思うが、逆に

後から来た滋賀さんに追い越された。

滋賀さんは今日の宿はどうすると

訊いた。

行ける所まで行って近くの宿にあたって

みる、なければ最寄りのJR駅から戻り

また日和佐の辺りで捜そうかと思って

いる。

そう言うと滋賀さんは日和佐の辺りは

殆ど満室です、期待はしない方が

いいですよと言う。

彼もやはり出来るだけ前に進み、JRで

戻って来ると言っていた。

少しでも先に行っておきたい、彼と私は

基本的に同じ考えを持っている。

一応、行った所まではJRに乗れるん

ですものね。

やがて山道に入って行った。

4人のお遍路さんが立ち止まって、

なにか騒いでいる。

中にアヤコさんとスキンさんもいた。

「猪の子供が怪我をしてるの」

アヤコさんは言った。

溝にうずくまっている、俗に言う

うり坊を見た。

アヤコさんたちは先に行ってしまった。

ホールド、私がスキンさんにそう

言うと彼はタオルをうり坊の前に

垂らした。

うり坊はそれを激しく咬んだ。

デンジャラスとスキンさんは言った。

なるほどこれは危ない。

どうしょうもないので私もその場を

去った。

やがて軽トラックの地元の男性と逢った。

この辺りに交番か動物病院はないか

と尋ねると、ない、とあっさり言われ

てしまった。

もはやうり坊のことは諦めるしか

なかった。

スキンさんもやがて諦め、うり坊は

今晩あたり軽トラのおじさんの食卓

に上がるかも知れない。

道はやがて上り坂となり55号線へと

出た。

トンネルを抜けると台湾のカップルが

はるか遠くで体操をしていた。

イーリャンサンスーと掛け声でも

掛けているのだろうか。

奥さんが手を振った。

私も振り返した。

奥さんのいた所は遍路小屋の前で

中にアヤコさん他2名がいた。

2日前とも4日前とも違うお連れさん

だった。

彼女に今日はどこに泊まるんですか

と訊くと民宿ゆきだと言った。

きのう私が断られた宿だ。

しかし、ゆきと言えば平等寺から

わずか11kmの地点にある。

まさか今日のノルマがそれだけとは、

ちょっとおかしいとは思ったが深くは

訊かなかった。

私も訊かれたが、滋賀さんに答えた

ように行けるとこまで行ってJRで

戻って来ると言っておいた。

アヤコさんは歩道に出てカップルと

同じような体操を始めた。

なにか、とても面白くて心に残った。

私は彼女達よりも先に発った。

地図をみると、この先で55号線と25号線

に別れている。

距離的には55号線のほうが2km以上

短いし、25号線は少し道がややこしく

迷子の達人の私なら3回は道に迷い

そうだったので55号線を選択した。

何もない道路だった。

 

 

コンビニゼロ、スタンドゼロ、民宿ゼロ

、食堂ゼロ、バス停なし、民家だけは

僅かにあった。

通行量も極めて少なく、何のために

作られた道路か意味不明である。

それでも自動販売機は一台設置

されていて、私はコカ・コーラを

買った。

実に本日3本目のペットボトル

である。

途中で放し飼いの犬2匹に逢った。

とてつもない田舎である。

まるで東南アジアの片田舎に来た

ような錯覚に陥った。

一匹は妊娠中のようであった。

じっと私をみつめていた。

通り過ぎて振り返っても私を

みつめていた。

やっとわかるくらいの大きさに

なっても犬は私をみつめていた。

そんなに私の顔が可笑しいのかえ。

突「可笑しい」

きっと私の体に後光が射していたんだ。

それがあの犬にだけは見えたんだ。

いい犬だな、あの犬は。

突「長生きするよ」

この通りで初めて人に会った。

農作業をしているおじさんで、歩き

遍路はえらいだろーと話しかけて

来た。

やはりこの辺りでも疲れることを

えらいと言うんだ。

急にこのおじさんに親近感を覚えた。

東京から来たのかと訊かれた。

徳島に来ると、必ず私は東京人に

間違われる。

そんなに垢抜けているのかな私は。

突「きっと三宅島あたりから来てる

と思ってるんじゃない」

キャイーン。

おじさんは今日の宿は決めている

のかと訊く。

まだだと言うと鯖大師がいいと言う。

じゃ公衆電話が見つかり次第、電話して

みますと言っておじさんと別れた。

お遍路さんとの交流も楽しいけど

地元の人との触れ合いもまた楽しい

ものだ。

時々野菜をやろうかと言う人がいる

けど荷物になるのでと遠慮する。

道はいくつかのトンネルを抜け、大きく

左に曲がり、初めてのドライブイン

に出会う。

あと僅かで日和佐だよ言われてるみたいだ。

北河内で日和佐道路と交わり、川を

渡ると右手に薬王寺が見えてくる。

 

 

12時45分だった。

やはり55号線でも、抜いて行くお遍路

さんにも、すれ違うお遍路さんにも

会わなかった。

みんな25号線を利用しているのだろう。

あちらのほうがお店も一杯あって

楽しいだろうから。

お参りを済ませ納経所へ行く。

となりの自動販売機で本日4本目の

ペットボトルを買う。

駅へと急ぐ。

別にJRに乗るわけではない。

駅前に公衆電話があるからだ。

まず鯖大師の宿坊にかける。

空いているが何時に来れると訊く。

今、日和佐にいるから19時頃になる

と言う。

うちは17時までに来られない人は

お断りしていると言う。

ああだこうだと説明をしていたが、

無視して電話を切る。

お遍路さんが困っているんだ、もう

少し広い心を持ってもよさそうなも

のだが。

お大師様がそばにおられたら、きさん

、破門されとるぞ。

次にあずまと言う民宿にかける。

OKだと言う言葉がいただけた。

いやー、毎日が綱渡りだ。

道の駅に戻る。

すごい人出だ。

何もない田舎だから、休日になると

皆ここへ集まって来るのだろう。

いつも寄る一番端っこの店で、たこ焼き

を買う。

13時40分あずまに向けてスタート。

暑い、とにかく暑い。

日陰になる部分がどこにもない。

しかし日陰になる所がやがてやって来た。

日和佐トンネルだ。

やはりトンネルはすべての風を寄せ

集めて流れるからヒンヤリとしている。

夏日の日 日和佐隧道 秋の風

実は私は松尾芭蕉の12,327番目の

弟子で俳名を松尾罵倒と言う。

作品を発表するたびに皆の者から

罵倒されるのでこの名がついた。

事実この作品が出来た時も、トンネルの

名を変えればいくらでも出来る作品だ

とか、秋だか夏だか季節がわからない

といちゃもんをつけられた。

55号線はほぼ牟岐線に沿っている。

所々に最寄り駅の案内が出ている。

牟岐駅も近くなった頃右へ行く遍路道

があった。

小松大師である。

無視して55号線を進む。

再び小松大師の案内がある。

55号線から入ったすぐのところである。

何も遍路道を進む必要はないって

ことだ。

自販機で本日6本目の、缶コーヒーを

買う。

さすがにお腹はダボダボしてペット

ボトルは受け付けない。

素泊まりなので牟岐駅近くのコンビニで

夕食とビールを買う。

宿の女将は目の前にスーパーがあるので

そこで買えばいいと言ってたが地図には

乗っていなかったから。

秋の日はつるべ落とし、さっきまで

明るかったのに一気に闇が迫って来た。

さらに55号線を進むと、あずまは

駅前のわかり易い場所にあった。

そして目の前には女将の言う

通りスーパーはあった。

こら、黄色の地図の編集者、お前ら

職務怠慢だぞ。

女将は、ずーーーーーーーーーっと昔から

このスーパーはあると言ってた。

これで3つ目の間違いだ。

2500円の価格だが2000円にまけろ。

宿は古く、台形のような部屋だったが、

女将は四国人らしく、愛想はあまり良く

ないが優しい人だった。

明日の宿は予約してあるかと訊くので

ないと答えた。

宿は地図に載っている以外にはないのか

と逆に質問するとないと言う。

すると次の宿は25km先か、45km先に

しかないんですねと言うとその通り

だと言う。

45kmはいくら何でも遠すぎるから

25Km先にしたら、私の知ってる

宿もあるからと女将は提案する。

女将の言う通りで45kmは確かに

きついと自分も認めるので、じゃ

お願いしますと言う。

こうして次の宿は「みちしお」に

決まった。

富士以外では初めてである、前日に

予約した宿は。

風呂に入り、暑かったので扇風機と

エアコンをつけて21時に眠る。

本日の歩行距離38,81km。

 

10月10日

やはり住民の立ち話で目が覚めた。

何日か民宿を利用しているが、満更

悪いものでもないと見直した。

これからも3回に1回くらいなら

利用しようと思う。

ただ鍵がないので(中からはかけられるが)

貴重品は風呂場に持って行かなければ

ならない。

今日は25kmほどの行程なので7時に

出発する。

女将は信号の所まで送ってくれて、

55号線をずっと行って下さい、絶対

脇道に入ってはいけませんよと言った。

私は女将の忠告を、鶴の恩返しの鶴のそれ

と思い、ただひたすら55号線を歩いた。

しばらく行くと数軒の宿があった。

にもかかわらず、私があずまに決めた

のには訳があったのです。

私が、民宿富士に着いた日のことである。

大将は例の黄色の地図の本を私に渡し、

ここに良い宿と悪い宿の印が

つけてある、よかったら写しておきな

さいと言った。

見ると巻末の宿の一覧表に印がついていた。

どうしてそんなことがわかるのですか、

と訊くと彼は、うちに泊まったお客さんが

メールで情報を送ってくれるんだと言った。

そして、この辺りで丸印がついていた

のが、「あずま」と「杉本」であり最初

にかけたあずまに空室があったからそう

したまでのことです。

ちなみに印のつけてないのは、未確認

の宿、言うなればUIです。

突「なんじゃそれ」

アナイデンタファイドイン ユーアイ。

更に進むと左手に大砂の海岸が見えて

きた。

 

わーいだずざさんごーおんしゃいにんぐ♪

わーいだずざしーらっしゅとぅしょぁ♪

今までも、ちらちらとは見えていたが、

この旅初めての本格的な海だ。

更に歩を進めると右手に鯖大師の

案内板があった。

昨日は私はこの寺の悪口を言ったが、

よくよく考えると「あずま」まででも

結構しんどかった。

行けなくもないが、行けば44kmの道程

になるし、そうなると次の宿が40km先に

あるので私の性格では20km先の宿を

通り越して40kmの宿にするだろう。

結構な強行軍となる。

きっとお大師様がそれを見越して、

修行僧にそう言わせたのだろう。

日和佐からこのへんろ会館まで

20kmの距離がある。

朝立てば間違いなく17時には着ける。

ゆきの辺りで30km、朝立てばぎりぎり

17時に着ける。

逆に平等寺を朝立ったとしたら17時

までに、余程の健脚でない限り着けない。

つまり門限を定めたのは鯖大師の、無理を

しないようにと言うお遍路さんへの配慮

なのではなかろうか。

そうとも知らず私は悪意として捉えていた。

自分たちの都合だけを考えたデッドライン

の設定だと思っていた。

了見の狭いのは私の方でございました。

修行僧よ、破門だなんて言って申し訳

ございませんでした。

修行僧か・・・昔、古典で小僧さんの

出て来る話を読んだ。

ま、一休さんみたいなものだ。

ある日お寺のお餅つきがあった。

お餅つきは延々とつづき終わったのは

夜であった。

小僧さんはもう寝る時刻なので

仕方なく寝た。

やっと餅が出来上がり、僧たちは小僧さん

を餅が出来ましたよと起こしに来た。

はいと起き上がったら、狸寝入りを

してたと思われるので、もう一度呼ば

れたら起きようと待った。

僧たちは、折角寝ているものを起こし

ては可哀想だと、持ってきた餅を持って

引き返そうとした。

このままでは餅が食べられないと思った

小僧さんはしばらくたってから、はいと

言って起きたので僧たちは腹をかかえて

笑ったという話だ。

時は平安時代だろう。

このころから日本には笑い話があったの

ですね。

へたをするとこのころの日本人のが

現代人より頭がよかったのかも知れ

ませんね。

スマホばかりに頼っているから、脳みそに

青カビが生えてきている。

ちょっとイヤミを言ってしまいました。

海部高校の最寄り駅阿波海南の前を

通る。

遍路小屋があった。

結構大きな小屋でトイレも水道もつい

ていた。

宿泊可能な遍路小屋であるみたいだ。

牟岐線の終点駅海部の前を通る。

左手には相変わらず海は見えている。

が、あまり見る気もしない。

食堂兼民宿のはるる亭がある。

そこから数百メートル行った所の

食堂に私は入った。

何となく私には入りやすい昭和時代

の匂いがする食堂のように思えた。

店内は賑わっていた。

お遍路さんも一人いた。

テレビは私の大嫌いな「バイキング」を

やっていた。

私は天ぷらうどんを注文した。

やはり今日は余裕があるのでこういう

所に寄れる。

歩きスマホならぬ、歩きおにぎりを

しなくてよいのは有難い。

うどんが来た。

2尾のエビがのっていた。

うどんの量もたっぷりとあった。

おつゆまできれいに平らげた。

どうせ再利用できるものではない

し後片付けも楽だ。

きれいに飲んであげるのはエチケット

だと私は思っている。

そう、レスラーの頂き物のように。

850円を払って店を出る。

別に感想はない。

黙っているのは美味しい証拠だ。

いちいち野暮ったいことは口にするな。

時刻は午後一時。

宍喰川をわたる。

 

すぐに水床トンネルが大きな口を開けて

待っている。

全長638m、スカイツリーより4m長い。

歩いて10分ほどかかった。

スカイツリーは登ったことはないが、

恐らく階段を使えば3時間はかかるだろう。

そう言えば、700mの山を2度登る焼山寺

の楽しさが読者にもわかって頂けると思う。

甲浦の東洋町へやって来た。

いよいよ高知県に入ったのだ。

 

いくつかの宿が立ち並ぶ。

右手に甲浦駅の案内がある。

谷口、民宿いくみ、南風、そして目指す

民宿みちしおが私を待っていた。

 

駐車場からレストランの入り口に向けて

1人のお遍路さんが歩いていた。

お遍路さんは振り向いた。

なんとその人は民宿富士で一緒だった

女性でした。

私達が入って行くと一人の男性が

テーブルに付いていました。

私達もそこに座りました。

店は3時だと言うのにサーファーたち

でごった返していて店の人は一段落

するまで待っててくださいとサービス

のアイスコーヒーを持って来た。

ここらあたりはサーフィンの一大メッカ

みたいです。

私は女性にあれからどうしてましたと

訊いた。

女性は、私が焼山寺に登った日に、立江

からふれあいの里さかもとまで歩いた

そうです。

そして翌日は雨だったので宿に缶詰め

状態だったそうです。

雨の登山は危険ですものね。

その翌日、同じ宿に泊まったお遍路の

ベテランさんについて、鶴林寺、太龍寺

と制覇したそうです。

女性はあのベテランさんがいなかったら

私はとても登れなかっただろうと

述懐してました。

まさにそれはお大師様の導きですよ、と

私が言うとその通りだと思いますと

女性も言った。

店内が静かになった頃、店の人が

宿帳を持ってやってきた。

私たちはそれぞれの住所と名前を書いた。

宿の人は、私達に夕食時刻、朝食時刻、

風呂トイレ、洗濯機など宿の施設を一

通り説明し宿に通した。

まだ午後4時前である。

やはり歩く距離が短いと楽である。

疲れなどみじんも感じない。

洗濯機の使い方を女性に教えて

もらいなんとか乾燥まで出来た。

午後6時夕食のためレストランへ行く。

本業がレストランなのだから当然

美味しい。

今日の宿泊客は私たちお遍路の3人

とサーファーが1人でした。

女性は料理を写真に収めていました。

彼女は、どんなものを食べているか

娘たちが心配するもので3度3度送っ

ていますと言った。

旦那さんはと言うとまだ勤めがある

ので一緒に来れなかったと言った。

優しい旦那様だと思う。

彼女は1日20kmしか歩かない、

だから明日は民宿ロッジ尾崎だと言った。

前の人は明日、民宿の前から出ている

東部交通のバスで室戸岬まで行き金剛頂寺

の宿坊に泊まると言った。

私は明日は、まだ予約はしてないが、

最御崎寺の宿坊に泊まる予定だと言った。

風呂に入り21時に寝る。

本日の歩行距離26,96km

 

10月11日

5時に目を覚ます。

ハンガーにかけてあった洗濯物を

たたみリュックに入れる。

前日に作ってもらったおにぎりを

冷蔵庫から取り出す。

忘れ物はないか部屋の中をチェック

して5時半宿を出る。

まだ辺りは薄暗い。

しばらく行くと今日最初のトンネル

があった。

トンネルを抜けると、先の方に、せり

出した山が海に沈み込んでいるの

が見えた。

それが一つの時もあれが、幾つも

重なっている時もある。

まず最初のせり出しを目指す。

昔、あるマラソン選手がどうにも

苦しくて止めてしまいたい時、あの

電柱まであの電柱までと頑張った

という話を聞いたことがある。

マラソンと一緒にするのはおこがま

しいが私もそれに習ってみた。

休憩所にサイクリストがテントを

張っているのを見た。

自転車はいいな、たくさん荷物が詰

めるからと恨めしく思った。

歩き遍路を終えたなら、次は自転車の

遍路も考えている。

野根の町を通り過ぎる頃、公衆

電話があった

時計を見ると7時を過ぎていた。

私は最御崎寺の宿坊に予約の電話

を入れた。

電話ボックスのそばに一人、休憩を

とっている若者のお遍路さんがいた。

が私を見るとそそくさと歩き出した。

予約はとれた。

これで安心して24番札所までの旅を

楽しめる。

空は青空、そして海は広い。

水平線を見ると微妙に弧を描いて

いることがわかる。

この空と海が夜須のあたりまで

続いている。

お大師様はきっとここで空海の

名を思いついたに違いない。

もう1週間ほど晴が続いていて

連日30度近い高温である。

右手が山、左手が海で日射しを

遮るものが殆どない。

しかし雨よりはましだから、文句も

言ってられない。

右手に休憩してる人がいた。

滋賀さんだった。

久し振りに見る同期生だった。

すぐに先程の若者がやって来て

滋賀さんと話をし始めたので

私はまた歩き始めた。

追い抜いた覚えもないのに不思議な

ことだ。

せり出した山のふもとを一つまた

一つと通過して行く。

地図で見ると海に突き出した部分だ。

はるか先までせり出しがないという

ことはほぼ海岸線が直線で続いて

いるということだ。

佐喜浜の手前あたりのバス停で

おにぎりをパクつく。

10時過ぎだ。

滋賀さんが追い越していく。

朝飯ですか、と滋賀さんが問う。

兼用ですと私が答える。

10時半、佐喜浜のスーパーの店頭で

ストレッチングをしている滋賀さん

がいた。

地元の人に、この先も自動販売機

はあるかと訊くとあると言うので

スーパーはパス。

防波堤の道を行く。

「カニさんの特技はカニング」

 

波濤が岩を打つ。

 

 

微動だにしない岩。

のように見えるが少しづつ砕けて行く。

数百年後にはきっと砕けた岩が

この辺りを美しい砂浜に変えて

行くことだろう。

よう知らんけど。

あの波濤の水しぶきは恐らく私が

一生に飲む水の量よりも多いで

あろう。

人間なんてちっぽけなものだ。

途中でまた滋賀さんに抜かれる。

しかしまた民宿ロッジおざきの前の

ベンチに座っている滋賀さんに

追い着く。

同期生はみんなどうしてるんだろ、

と私が訊くと彼は、まだ後ろの方に

いると答えた。

アヤコさんもキャサリンもカレンも

逢わなくなって久しい。

滋賀さんばかりに逢っててもなぜか

空しい。

きっと滋賀さんも同じことを考えて

いるだろうと思う。

スキンさんもレスラーもあの体格だ、

私などいとも簡単に追い抜けるのに

追い抜けないのは善根宿が絡んで

いるのだと思う。

腕まくりをした腕を見る。

ここ数日で真っ黒に日焼けしている。

これじゃ女性達も大変だと思う。

休憩している滋賀さんを後にして

私は進む。

民宿徳増を過ぎ、大きなせり出しの

前に大きな岩を幾つか発見。

 

地図で見ると夫婦岩とあった。

二見ヶ浦のパクリだな。

などと言ったら地元の人に叱られる

かな。

しかし岩が3つも見える。

あれじゃ三角関係じゃん。

1つダイナマイトでブッ壊さなければ。

間違って妻岩を吹っ飛ばして、おかま岩

になったりして。

バカヤロー、ふざけやがってという声が

どこかから聞こえてきそうだ。

民宿椎名の前を通り過ぎる。

バス停椎名学校前を通り過ぎる。

椎名郵便局を過ぎ、椎名川、椎名橋、

バス停椎名と通り過ぎる。

「もういい加減に椎名」

室戸世界ジオパークセンターの

案内がある。

歩いていると観光案内の看板などを

よく見かける。

車なら10分で行ける所も歩けば

半日仕事になるので無視して進む。

しばらくして右手に石垣に囲まれた

民家を見た。

 

 

よく沖縄で見るやつだ。

きっとご主人は石垣島の出身だろう。

ここらでも海辺だから台風の直撃

を受けることもあるのだろう。

ロッジ室戸岬、ホテル明星、岬観光

ホテルの前を通り最御崎寺の登山口

までやって来た。

いずれの宿泊施設もまだ営業は

いたしておりました。

念のために。

やはりこの登山道はいつ登っても

きつい。

すでに35km以上歩いている私は

ヨレヨレ、ヘロヘロになりながらも

何とか本堂へ辿り着いた。

まだ16時が少し前だった。

ここでも、去年もらい損ねたお姿も

含めて2枚もらった。

腹が減った。

当然だ、10時の、兼用のおにぎり以来

何も食べていなかったのだから。

兎に角、この登山道、暗くなってから

登るのは非常に危険なので必死で

歩いたからだ。

18時の夕食に一番乗りしたのは

言うまでもない。

ここの料理はいつも豪勢だ。

私はビールを飲みながら料理を

口に運んだ。

隣に一人の若者が座った。

フロントで私より一足先に来て

手続きしていた男だ。

どこから来たと問うと、彼は中華人民

共和国からだと言う。

随分日本語がうまいじゃないかと

誉めると大学で日本語を専攻していた

と言った。

今は徳島で、民間の日中友好の団体で

働いていると言っていた。

前から日本のお遍路というものに

関心があり少し休暇を貰ってやって

来たとも言った。

どこまで行くんだいと訊くと、明日は

ホテル奈半利に泊まり、神峯寺まで

お参りをしてJRで徳島まで帰ると

言っていた。

昨日はどこに泊まったんだと訊くと

「民宿いくみ」に泊まったと言う。

私が今朝公衆電話からここの予約を

入れたと言うとその時僕はそばに

いましたと彼は言った。

それで滋賀さんと仲が良かった理由が

わかった。

滋賀さんも昨夜「民宿いくみ」に泊まっ

たと言ってたからだ。

そんなやりとりをしていると、目の前に

1人の少年が座った。

まだ15歳の高校一年生だった。

自転車でお遍路をしていると言う。

宿はと訊くと、基本的には野宿だが

時々こうして宿に泊まると言っていた。

いつかテントを張ってたサイクリスト

がいたが彼だったのかも知れない。

10月に入りお遍路を始めたが、出来れば

今月のうちに結願したいと言っていた。

現役の高校生がお遍路か、しかし私は

野暮なことは訊かなかった。

それよりも私は知り合いの息子さんの

話を彼に聞かせてやった。

その子は16歳の時に世界一周の旅が

したいと知り合い、つまりお母さんに

言い出したそうだ。

知り合いは何も言わず50万円だけ

渡し旅に出したそうだ。

そして息子は世界各地を回り、5年後

に無事に帰って来たそうだ。

言葉はどうしたの。

中国の若者が口を挟んだ。

あんなもの単語さえ知ってれば、それを

並べれば何とでもなるものだ。

二人の若者は頷いた。

きっとその子は立派な若者に育った

と思うよ、学校に行って役にも立たない

勉強をするよりも中身の濃い授業だ。

少年は瞳をかがやかせながら私の話を

聴いていた。

まるで私は、ドラマの主人公になった

ような気がした。

これで顔がよければもっといいんだが。

今日の宿泊客は全部で6人。

隣のテーブルでは夫婦が、離れたテー

ブルでは男性が1人食事をしていた。

なぜ私たち3人が同じテーブルになった

のか私にはわからない。

考えられるのは私が、宿の人から若く

見えたからではないでしょうか。

中国の若者、現役男子高校生、との出会い

、これもお大師様の導き合わせと感謝をして

食堂を去る。

それにしても楽しかったなぁ。

本日の歩行距離37,57km。

 

10月12日

5時に目が覚めた。

昨日はよく歩いたからよく眠れた。

5時30分、荷物を持ってフロントに

鍵を返しに行く。

宿の人は朝ご飯の支度をしていた。

この宿も3度目だ、何もかもが

わかっている。

フロントのベルを鳴らす。

宿の人がやって来る。

お世話になりましたと挨拶をすると

宿の人はお接待とやらでかえるの

付いたお守りを下さった。

無事に帰るだとか言ってた。

帰りは来た登山道ではなく表から

スカイラインを歩く。

下りだから距離は2倍あっても時間

的には早い。

去年バス停を尋ねた山本さん宅の

前を通る。

我ながら記憶力がいいなと思ったが、

あれは去年ではなく今年の4月だった

ことに気付く。

それじゃちっとも記憶力がよくない

じゃん。

住宅街を通らず、ひたすら55号線を

歩く。

この方が間違いは少ない。

 

街路樹のハイビスカスが咲いている。

さすがは南国だ、私の地域では地植え

は出来ない。

やがて漁船が係留されている場所に

近付いた。

去年、いや今年の春も見た場所である。

津照寺が近いことを感じ取る。

信号を左に折れ、300mも行くと

右手に津照寺は見えてくる。

長い長い階段を登り本堂をお参り

する。

降りて来て太子堂を参り納経所へ

行く。

奈半利の宿を訊く。

奈半利には黄色の地図に載ってる

二軒しか宿はないと言う。

その先、唐の浜まではどうかと訊くと

それもないと言う。

調べて下さった納経所の人に

礼を言って津照寺を後にする。

地図に従って西へ進む。

豚太郎とか言う変わった名前の焼き

肉屋があった。

ブタヤローなら知ってるが。

大体変わった名前の店って言うのは

大したことはない。

奇をてらった名で客の気を引こう

としている。

味に自信があるなら、てやんでー

「焼き肉屋」で文句あるか、

でいいんだよ。

突「しろひ猫といっしょだね」

キャイーンキャイーン・・・・・・・

・・・・キャイーン。

魚屋さんのところで拓郎の「落陽」が

流れていた。

涙が出るほど懐かしかった。

おんなやさけよりー けいばがすーきでー

すってんてんのー あのしろひ猫ー

突「どうして猫だけ漢字なの」

猫をカタカナにすると、逆さまに読んだ

時にコネひろしになるんだよ。

コネひろしじゃなんか、世渡り上手な

お調子者みたいじゃない。

突「アヤコさんみたいだね」

コラー、失礼なことを言うな、彼女は

愛情深いだけなんだ。

アヤコさん、突っ込みが無礼なことを

言って申し訳ありません。

突「偽善者!!」

少し道を間違えたが、何とか55号線に出る。

やがて公衆電話をみつける。

早速宿に予約の電話を入れる。

本当は昨日宿に早く着いたので、フロントの

前にある公衆電話から予約をしようと

思ったのだが電話が壊れていたのだ。

奈半利のたった2件の宿は満室だった。

距離的には最御崎寺から28kmのここが

最適だったのだが、ここより前にも

ここより先にも適当な位置に宿が

ないのだから混むのも仕方ない。

私の心の片隅に野宿の二文字が

浮かんできた。

唐の浜にドライブイン27と言うのがある。

しかしドライブインだ。

きっと二階が宿になっていて、賑やかな

お客さんが夜遅くまで続く。

うるさくて寝ていられない。

私にはドライブインに対してそんな

先入観念しかなかった。

それならいっそ野宿の方が気楽かも、

そんなに冷え込むこともないし唐の浜の

駅の待合室に結構いい寝場所がある

ことを私は記憶していた。

それに一度くらい、野宿を経験して

おきたいと思っていたのでいい機会

ではないか。

人殺しを経験してみたいと言ってた

女子大生もいたな。

姉に、この旅初めての電話をする。

姉は、あんまり電話がないものだから

どこかで死んでるのかと思った

と言った。

きっと焼山寺の腐乱死体のことだろう。

姉への電話も時間切れで終わった。

しかし腐乱死体になっていないこと

だけは伝えられたのだからよしと

しなければならない。

揺らいでいた私の気持ちは完全に

野宿に固まった。

後は唐の浜の駅まで歩くだけである。

なにか肩の荷が降りたような気がした。

この気持ち、何かに似てるなと思った。

そうだ女性に振られたときだ。

次の信号で、交通整理のおじさんが、

金剛頂寺へ行くなら右へ行った方が

いい、室戸病院を過ぎ、元橋を過ぎて

右に曲がると金剛頂寺へ行けると

教えてくれた。

お遍路も3度目だ、言われなくても

わかっているが、初めての振りを

して、有難うございますとお礼を言った。

突「偽善者!!」

しかし、わかっていて訊くのも結構

面白いかも、その人の頭脳がわかる。

うーん、36点とか言って。

突「偽善者!!」

ビニールハウスの横を通る。

暖かい風が出て来る。

今は何を作っているのかなと見ると

茄子であった。

たしか春はトマトを作っていたが、

同じナス科の作物で連作障害は起き

ないのだろうかと他人事ながら心配を

しつつ山へ向かう。

突「偽善者!!心配などしてないくせに」

ま、プロのやってることだ、間違いはない

でしょ。

金剛頂寺の坂は思ったほどきつくは

なかった。

境内には私の他に一人お遍路さんが

いるだけでひっそりしていた。

納経所で27番へ向かう遍路道を訊く。

言われた通り進む。

途中で27番へ行く道と不動岩へ行く

道が別れる。

地図で見ると不動岩経由は明らかに

遠回りとなる。

遍路道を進む。

結構厳しい下り坂が長く続き、やがて

55号線に出る。

1時間ほど歩き、集落のある裏道に入る。

遍路宿の蔵空間茶館があった。

何と読むのかインターネットで調べた

が、あくまでも蔵空間茶館でしか

なかった。

仕方がないので私はくらくうかんちゃかん

と呼んでいる。

時刻は11時である。

いくらなんでも泊まるには早すぎる。

逆算すればここに泊まる人は前日

民宿ロッジおざきに泊まった人では

ないだろうか。

しばらく行くと右手に、製造直売の

パン屋さんがあった。

私は焼きそばパンと棒付きフランクフルト

とベーコンのパンを買い、少し行った所

の西灘のバス停のベンチでむさぼった。

記憶にはないが、今年も去年も私は

バスでこの道を通ったはずだ。

まさかその時、ここで昼飯を食べる

とは夢にも思っていなかった。

しみじみと人生の面白さを感じる。

そこそこ長かった裏道も終わり、再び

55号線に出る。

1時間も歩くとまた裏道があった。

前回の裏道が結構味わい深かったので

再び裏道、恐らく地元の人に言わせれば

繁華街を歩く。

途中から遍路道に入るところがあった。

道標を見ると中山峠道は海岸道より

1,2km短いと書いてあった。

私は中山峠道を選んだ。

ところがこれがとんでもない悪路で、もし

倒れたら3日間くらいは発見されないで

あろうという道であった。

悪戦苦闘の末、1時間くらいでなんとか

悪路を脱出し、路地裏を通った。

昼下がり、二人の男が世間話をしていた。

ひどい道だった、私は二人の男に

吐き捨てるように言った。

そりゃ昔はこの道しかなかったからな。

海岸通りの方が時間的には速いですね、

と私が言うと、まあそうだろうなと言った。

1,2km短いというのは事実だろうが、時間

的には長くなるとはどこにも書いてな

かった、遍路道保存協会の悪意を感じる。

せめて、きつい坂道ですよ、それでも

昔の遍路道を楽しみたい人はどうぞって、

優しさのかけらでもあるなら書いといて

欲しいな、と、無関係な二人に言っ

て私は先を急いだ。

だまし討ちにあったような後味の悪さ

だけが残った。

じゃ、もう二度と中山峠道は通らないのか

と言えば、私は中山峠道はどういう道か

知ったのである。

平地から高度110mの地点を通過する

道である。

2回に1回は、この苦しい道をエンジョイ

したいと思ったらおかしいかい。

やっぱり私はマゾヒストなのだ。

道に罪はない、許せないのはだまし討ち

した遍路道保存協会なのである。

私のようなマゾヒストは世の中にいくら

でもいるのだから、ひどい道ですよと

正直に公表することが大切だと思います。

相変わらず左は海、右は山の風景が

つづく。

もはや海を見ても何の感動も沸かない。

西洋の諺に、虹も5分出ていれば誰も

見なくなるというのがあるがまさに

それだね。

黙々と、機械的に歩く。

15時奈半利の街に入る。

右手にホテル奈半利が見える。

中国の青年が今晩泊まると言ってた

ホテルだ。

今日もここまで、逆打ちのお遍路

さんに1人あっただけだ。

抜きも抜かれもしないということは

歩くお遍路さんの数が少ないから

だろうか。

やはり札所間の距離が長くなると、

本格的な歩き遍路の人以外は公共交通

機関を利用する。

そのせいであろうと私は分析する。

市街地もそろそろ終わりかけた

頃スーパーのサンシャインに

寄った。

野宿だからアルコールが欲しい。

しかしビールじゃ飲むまでに温まって

しまうので土佐なんとかいう清酒と

寿司と、サバの缶詰を買う。

すぐそばにくろしお鉄道田野駅がある。

ホテルに泊まりたいのであればまだ

手立てはある。

ここから安芸まで行けば宿は5件ある。

どこかに空き部屋はあるはずだ。

なにせ安芸と言うくらいだから。

どうする、私は自問した。

野宿でいい、私は自答した。

街を出ると道は上り坂にさしかかる。

レストランがある。

チェーン店なのか、ここにも豚太郎が

あった。

ブタヤローなら知ってるが。

しばらく行くと交差点があった。

地図を見ると赤い線は右にある。

赤い線に沿って進む。

「安田小学校の生徒は全員無事に、

午後五時にホテルに着きました」

安田町役場のスピーカーが、生徒たち

全員の無事を町内に知らせた。

きっと修学旅行に行ってるのだろう。

10月だから今、シーズンなのかも

知れないな。

おしっこだけはするなよ。

きょうび、そんな子供はいないか。

安田川を渡り、安田町の繁華街を通る。

随分寂れた繁華街だ。

それでも昔は数軒の宿があったのだろう

という形跡は窺える。

猫屋敷があった。

四国には結構猫屋敷がある。

ついつい写真を撮ってしまう。

 

辺りがだんだんと薄暗くなってきた。

やはり秋の日は釣瓶落としである。

あっと言う間に真っ暗闇になってし

まった。

そばを一人の男性が追い抜いて行く。

唐浜の駅はこの道でいいんです

よね、と私は訊いた。

ええもう少し行った突き当たりを

右にいくんですよと男性は言った。

なんなら、わたし車でそっちの方へ

行くので乗せて行ってあげましょ

うかと優しい声がかかる。

いえ、歩き遍路ですのでと、お断り

をする。

しばらく行くとさっきの男性が、ここから

唐の浜の駅まで道がややこしい、

灯りもないから道に迷いますよ、と

運転席から言った。

私は男性の好意に甘えることにした。

そんなに固いこと言わなくても、

お大師様は許してくれますよ、こんな

状況だから。

私は最悪の状況の中で、信じられない

ような優しい男性に巡り会えた。

やはりお大師様は私を守って下さった。

そんな訳で距離にして500mほど、私は

ルールを破ってしまいました。

突(お大師様の声色で)「わしは5分ほど

居眠りをしておったぞ」

唐浜の駅に着いた。

18時であった。

待合室に行った。

宿泊は禁止しますの断り書きがあった。

ひょっとしたらという一抹の不安は

持っていた。

しかしここまで来て、今さら予定を

変更するわけにもいかない。

とりあえず公衆電話の前のベンチで

夕食を食べながら対策を練ることにした。

待合室は照明がついていて、スイッチは

ない。

恐らく終電が過ぎてしばらくしてから

消えるように設定されているのだろう。

いずれにしても待合室は、見回りの人が

来たら広い駐車場から見るだけですぐ

発見されてしまうだろう。

だとしたら寝るのは暗い自転車置き場

しかない。

時刻表を見に行く。

最終便は23時07分、しかし田舎の駅

だから遅くとも21時が最後の客と

なるだろうと私は推理した。

私は21時までベンチでちびりちびりと

酒を飲み、時間を潰した。

野宿を選んだことは後悔しなかった

が、もう少し多く酒を買って来なかった

ことだけは後悔した。

広い駐車場でアスリートがトレー

ニングをしていた。

少しは淋しさが紛れた。

私の予想通り20時59分で1人の

高校生が降りて来た。

高校生が去ったあと、私は自転車置き場

に移り、ポンチョを敷いて、リュックを

枕に寝ることにした。

しかし見回りが来るんではないかと、

考えるとなかなか寝つけなかった。

そのうち気温がだんだんと下がって来た。

シャツを2枚重ねた。

それでも寒かった。

ジャンパーも着た。

それでも寒かった。

ポンチョを着た。

なんとか寒さはしのげた。

激しいスコールがやって来た。

一時間は続いただろうか。

雨のせいで見回りの心配はなくなった。

代わりに雨のせいで蚊が集まってきた。

顔の上をブンブンと飛び回っている。

持って来たマフラーを顔に巻く。

雨のためのゴム手袋をはめる。

ほぼ盤石の蚊対策だ。

しかし蚊がうるさい。

10数匹はいただろうか。

輪唱をしている。

やぶかのおとがー きこえてくるよー

ブーンブーンブーンブーン

ブブブブブブブブ ブンブンブン

突「ブーンはわかりますけど何ですか

そのブブブブは」

すまんのう、私のおならの音声が

入ってしまったんじゃ。

突「ハラホロヒレハレ」

結論、スプレーさえ買ってくれば、蚊は

追い払えると思います。

しかしそれがなくても、やはり野宿は

熟睡できるものではありません。

しっかり眠って、鋭気を養って、翌日に

備える。

やはりお遍路はそうあるべきだと

思いました。

いい経験をさせてもらいました。

本日の歩行距離39,91km。

 

10月13日

あまり眠れないまま朝を迎えた。

朝と言ってもまだ辺りは暗い。

手探り状態で、もしそのあたりに

女性の乳房があったとしても私は

わからずに触っていただろう。

突「偽善者!!」

野宿のメリットを生かして、5時

30分神峯寺を目指す。

暗いので天気がよくわからない。

が、星が見えないので曇って

いるのだろう。

去年と同じ木の下に、ポンチョと

リュックを置いて歩き出す。

明らかにリュックは見えている。

しかし誰も持って行く人はいないと思う。

それよりもこの暗い道を歩くことの

方が不安である。

通り道に数匹の犬を飼っている家がある。

この犬たちがよく吠える。

早朝の山の中だから人は誰も通らない。

故にこの凶暴な犬たちが放してあるの

ではないかという心配だ。

もし放してあれば私は確実に咬まれる

であろう。

が、心配をしても仕方がない、お大師様を

信じて出発する。

10分ほど歩くと少し明るくなってきた。

20分ほど歩くとかなり明るくなってきた。

交わった旧道を左に進む。

緩やかだった坂道が険しくなる。

所々に遍路道への誘いがある。

が、昨夜のスコールでかなりぬかるん

でいるのではないかと車道を進む。

春よりきつく感じる。

駐車場を過ぎ、坂はますますきつくなる。

山門を通り、本堂への長い階段を登る。

 

 

つづいて太子堂をお参りし、納経所

へ降りる。

まだ7時前である。

5分ほど待つと納経所は開いた。

安楽寺に続いてこの旅2度目の一番乗り

である。

野宿で何の情報もない私は、納経所の

人に今日の天気予報はなんて言ってま

したと訊いた。

雨ですと、それだけ言った。

昨夜はあれほど寒かったのに、山を登っ

て来て今はぐっしょり汗をかいている。

駐車場の自販機でコカ・コーラを買い

7時11分下山開始。

雨が降ればリュックが濡れてしまう。

私は歩を速めた。

途中の新道で1人のお遍路さんに逢った。

突き当たりを左に行って下さいと言って

先を急いだ。

幸いにも雨に降られず駅に着いた。

リュックは盗られることもなかった。

総てが私の思い通りに進んでいる。

8時10分どこまで行けるかわからないが、

西へ向けてスタート。

8時半、55号線と合流。

地図によると大日寺まで33kmとある。

野市の駅でも30km以上ある。

無理すれば宵闇迫るころ野市に到着出来

なくもないが、そうなるとまた宿探しで

苦労する。

となると出来るだけ野市に近い駅まで

進み、お遍路の旅は終わりとしよう。

私の残量メモリーも少なくなって、初日の

記憶も薄れつつあることも理由ではあるが。

遅まきながら、私の中で今日のスケジ

ュールが決まった。

浜千鳥公園で2匹の猫とじゃれて、道の駅大山

の横を素通りし、海は見飽きていたので55

号線をひたすら歩いた。

伊尾木の駅前を通り、伊尾木川を渡り、

55号線は私を安芸市内に招き入れた。

通りにいくつかのホテルが立ち並ぶ。

安芸市役所、安芸警察署、安芸郵便局を

通り過ぎ、私はスーパーでサンドイッチ

を買い、近くの公園で食べた。

正午の時報がどこかから聞こえてきた。

今日も、55号線に入った所で1人お遍路さん

を見ただけである。

なかなか完全な歩き遍路さんっていないん

ですね。

今、四国を歩いている歩き遍路さんは

500人はいないかも知れませんね。

少し休んで元気も出たので歩き出す。

球場前駅を過ぎ、いよいよ安芸市の真打ち、

安芸球場が見えてきました

 

この辺りから海辺にサイクリングロード

が設けられている。

勿論お遍路さんも歩けます。

穴内を過ぎてしばらくすると大きなレス

トランがあり観光バスのお遍路さん

たちが入って行った。

赤野の辺りで地元の女性に、西分までの

距離を訊いた。

赤野の駅なら近いのですけど、西分は

3つ先になります、どうして赤野じゃ駄目

なんですかと言う。

電車に乗ると言う事は、お遍路を打ち切る

と言う事なのです、当然次は打ち切った駅

から始まるのです、だから出来るだけ

大日寺に近い所で打ち切りたいのですと

言うと彼女は持っていた時刻表をくれた。

さらに私は西へと進む。

和食の駅前を通り堀切橋の信号から左の

集落への道に入る。

1kmほどで左に西分の駅が見えて来た。

時刻は15時。

次の夜須駅までは距離にして4Km、うまく

電車が拾えないと、高知駅の観光案内所

が閉まってしまうかも知れない。

ここらが潮時だろうと、私は決心した。

 

 

15時10分の後免行きに乗り、乗り換えて

高知には16時ころに着いた。

昨夜の睡眠不足から危うく乗り過ごす

ところであった。

駅を出ると雨が降っていた。

突「なにか言いたいことがあるんじゃ

ないですか」

君は私に何を言わせたいんだ。

突「やはりお大師様は私の味方だ、とか」

そんなことを言ったら、アヤコさんや

キャサリンを敵に回すことになる。

私は、そんな意地の悪い思いは

微塵も持ってない。

突「偽善者!!」

雨に濡れて、水も滴るいい女になって、

いい男をたぶらかして幸せになって下さい。

観光案内所「?」に寄る。

ホテルを紹介してもらう。

春に泊まったロスインは満室、なので

プチホテル高知に泊まることにした。

もちろん駅前だ、斜め右400m先って

とこかな。

やはり高知はホテルが多い、案内所

で探してもらえば間違いなく部屋はある。

何とかいう、祭りの期間中以外は。

この期間に予約なしで来れば野宿必至だ。

予約しとけばよかったと、悔やんでも

、祭りの最中なのに、後の祭りとなる。

インチキ英語で言うと、アヤコさん

何でしたっけ。

今回私のブログを教えた二人の女性

は英語がぺらぺらなんでとてもヤバく

思っています。

ま、冒頭で断ってはいますけどね。

ルー大柴ばりの、怪しげな英語を

駆使すると。

実は私もねー、脳みそだけはぺらぺら

なんですよ。

隣のスーパーエースワンで寿司2人前と

ビールを買って打ち上げの祝杯をあげる。

本日の歩行距離32,60km。

 

10月14日

5時半に起きる。

朝風呂に入る。

とても気持ちがいい。

小原庄助さんの気持ちがよくわかる。

財布の中身を調べる。

残金は一万円しかなかった。

来る時、手持ち7,000円に10万円を卸し

107000円だったのだから、ここまで

97000円使ったことになる。

このままでは帰りの運賃が足りないの

でコンビニで卸す。

高知駅に7時半に着く。

 

 

時刻表を見ると8時01分南風6号岡山行き

があった。

キオスクでお土産を買う。

やはりお土産は帰りの始発駅で買う

のが荷物にならず一番楽だ。

きっとキオスクはがっぽり儲けて

いるんだろうな。

8時01分南風6号は定刻通り、ゆっくりと

動き出した。

さあ今回は早めの総括といきましょうか。

使用した鉄道および路線名、名古屋鉄道

三河線、本線、JR東海道新幹線、瀬戸大橋線

予讃線、高徳線、土讃線、土佐くろしお

鉄道ごめんなはり線。

宿泊費51400円くらい。運賃30000円じゃないかな。

飲食費20000円メイビー。お土産代4000円アバウト。

納経料8100円確実。記憶喪失分2000円大雑把。

歩いた距離335,87km。

訪ねた寺の数27。

出会った猫の数28匹、そのうちしろひ猫8匹。

触らせてくれた猫7匹。

出会った牛1頭。

飛んでた鳶37羽。テキトー。

カニングの上手い蟹一匹。

出会った犬2匹、うち一匹私に一目ぼれ。

とにかく楽しかった。

今までで一番楽しいお遍路でした。

やはりお遍路は歩きが一番楽しい

かも知れませんね。

あっ、忘れていました、ブログを

告げた人3人。

もう恐らく逢うことはないと思います

けど楽しい出会いを有難うございました。

出来ましたら引き続き、ブログを

読んでやって下さいまし。

年内にもう一回計画をしておりますので

乞うご期待。

本日の歩行距離4,4km

 

追伸、帰って来て荷物を片付けていたら、

なんてこったキャサリン、あの時の梅干し

がリュックの中で潰れちまっていたぜ。

 

 

これじゃ、星野のばあちゃんのこめかみに

貼ってもらうしかないなぁ。

これが本当の○○し○○ァなんちゃって

          終