猫、108寺を歩く。その4

10月20日

朝5時10分に私は家を出た。

これは広い意味で言えば家出である。

長らく餌は与えられないのでいつもの3倍

の鶏肉を猫たちに振舞った。

「それじゃ、行ってく」

と猫たちに言おうとしたが猫たちは私を

無視して鶏肉をむさぼっている。

こらー、それじゃ私の立場がないじゃん。

あたりはまだ薄暗いが、長袖1枚だけで充分

な暖かさはある。

駅に着くと、また同級生のK君に会った。

K君は最近家を新築したので、まだ働いている。

家のローンが総て彼の双肩にかかっている

訳ではないが、少しは協力したいという

ことと、ボケ防止のためらしい。

勤務は3日に一度24時間労働であるとK君は

言った。

そりゃ大変だねと私が言うと、大丈夫仮眠も

あるからと言った。

きっと警備員かなにかの仕事だと思う。

5時40分の一番電車に乗る。

殆ど座る所がないほど混んでいる。

が私は目ざとく空席を見つけた。

K君はいつもはこんなに混んでないと言った。

恐らく大きなイベントがあるんじゃないか。

(後日、この日が名古屋まつりであることを

知った)

随分杖が短くなったねとK君は言った。

ああ、もう一度結願まで使うつもりだ。

その後は家宝にし、死んだら棺桶に一緒に

入れてもらうつもりだと私は言った。

それはグッドアイデアだと彼も言った。

彼も二度ほどお遍路の経験はあると言った。

一度は仏木寺で、一度は明石寺まで打ったと

ころで家族や親戚の訃報で帰らざるを得なか

ったと言った。

知立が近付いた。

いつもは4番ホームへ入るが、今日は日曜日な

ので2番ホームに入る、したがって高架橋を

渡らなければならないとK君は教えてくれた。

私たちは階段を登った。

心臓が悪いと言ってたK君ではあるが結構元気

良く登って行く。

若者が履く踝までのソックスを履いている。

実は私も持っている。

いつかのお遍路で持って行くのを忘れて、コン

ビニで買ったやつである。

それしかないのであるから仕方なく買った。

あんなの蚊に刺されるからやであるが。

子供の頃の話をしながら神宮前で彼と別れた。

K君、楽しいひと時を有難う。

名鉄名古屋駅に着いた。

彼の教えてくれた通りの経路を進む。

電車を降りて左に進む。

突き当たりを右に曲がると改札があり、更に

右へ曲がるとJR構内へと繋がる道に出る。

JRきっぷ売り場に寄る。

窪川、宇和島経由の内子行き乗車券と、新幹線

、岡山須崎間の特急券を下さいとオーダーする。

駅員は時刻表やパソコンを見ながら10分後に

やっと乗車券を売ってくれた。

若い駅員である。

もし私の乗る新幹線車両が7分後の発車であり

、私が暴力団員であったなら彼の顔は3倍くらい

に腫れあがっていただろう。

お前な、ちゃんと勉強してから現場に出て来い。

それがプロだろが。

JRさんよ、雇うなら鉄道オタクみたいな人が

いいですよ。

7時06分の「のぞみ」に乗る。

徳島、高知へ行く時はこれである。

松山へ行く時は6時35分の「ひかり」である

新幹線ってのはつまらない乗り物である。

私はかつてここで他の乗客と言葉を交わした

ことは殆どない、

みんな気取ってやがって面白くもない。

というか、スマホの世界にどっぷりと浸かっ

ている。

新幹線の楽しみというのは、車窓の景色を見

飽きた私にはもはやない。

したがって実質的な旅は岡山から始まる。

8時52分発「南風3号」に乗る。

席はどこも見事に一席づつ埋まっていて、

二席空いた所はない。

私は1人の同年配の人の隣に座った。

それは私の意志であったと思うが、或いは

宇宙の目に見えない何者かの意志であった

のかも知れない。

なんちゃって。

彼は宝塚から故郷の中村へ向かう途中だった。

呼気から酒のいやな臭気が漂ってくる。

さすが酒好き高知県の男性だ、背もたれの

網の中にスーパードライが見える。

今日は親の百歳の誕生日のために帰省する

と言っていた。

いつもは三宮から夜行バスで中村に向かうが

急遽誕生会が決まったためJRで行くことにな

ったとも言っていた。

どこから来たと言うので愛知県からだと言う。

俺も高校を出て初めて勤めたのが名古屋の

テレビ塔の近所のガソリンスタンドだと言った。

半年で辞め、その後自衛隊に入ったと言った。

汽車は高知で終点だった。

9分後に「あしずり3号」が出た。

私たちはそこでも同席した。

他にいくらでも席は空いているのに、すっかり

友達になっていた。

酒臭いのだけは気に入らんけど。

やはり酒は寝る前に飲むものですね。

彼は故郷の妹に電話をしていた。

すべて順調に進んでいる、あと1時間足らずで

そちらに着くと。

彼のスケジュールによると、13時24分中村着、

誕生会に出席して15時10分の汽車で帰途に

着くとのことであった。

他の日にずらしてもらえばいいのにと私が言うと

兄貴にも都合があって押し切られたと言っていた。

12時22分須崎に着き、彼に別れを告げた。

彼は本当に15時10分の汽車に乗るのだろうか、

と私は考えた。

きっとついつい飲み過ぎて兄の家に泊まり、

明日の勤めはお休みするのではないかなどと

考えながら大善寺を目指して歩いた。

街中なので道も多く、少し迷ったが何とかお

寺には着いた。

しかし納経所がどこにもない。

やっとの思いで貼り紙を見つけると、何と

500mも離れた所にあるらしい。

こんな納経所は初めてだと一生懸命探したが

見つからずお寺に戻った。

もう一度貼り紙を見直すと50mと500mの勘違

いに気付いた。

ちょくちょくやる私のミステイクだ。

宇宙の目に見えない何者かが、時々一瞬では

あるが私を無能にする。

突「一瞬ではない、常時だ」

これで土佐新荘発13時16分の鈍行に間に合わ

なくなり須崎駅へと戻った。

時間があったので宿の予約をしようと駅前の

公衆電話に向かった。

「民宿みま」は満室だった。

宇和島ターミナルホテルは空いていた。

14時28分の汽車に乗り窪川で土讃線に

乗り換えた。

8分の乗り換え時間しかなく岩本寺は今回

断念した。

どうせ56号線はまた通るのだから大勢に影響

はない。

ここらあたりが目に見えない何者かの配慮だ。

土讃線に乗る。

乗客は思ったよりも多かった。

後ろに黄色い車両がついている。

 

トロッコ列車で、彼らの目的はこれだったのだ。

しまんトロッコ1号だって。

ボランティアのガイドが現われた。

写真撮影の邪魔になってるこのおじさんだ。

喋る言葉は主に3つだけである。

全長196kmの四万十川、沈下橋、キャンプ場。

特に沈下橋は多かった。

8回目までは数えていたがあほらしくなって

やめた。

結局それしかないんかい、と思っていたら

トロッコ列車も河川敷を泳ぐ無数のこいの

ぼりもここが日本で初だときいてそれなり

の評価をした。

オリジナリティって大切ですからね。

時刻が時刻だけに、どこかでどやどやと下校の

高校生が乗って来るのかと心配していたが

日曜日であることに気づき安心した。

いやですものね、右も左もスマホをいじる

高校生の群れ。

世も末だと思います。

 

 

ポツポツと家のある田舎を通って17時24分

トロッコは宇和島に着いた。

ちなみに予土線には車輌にトイレはついてない。

なので水分は控えるとともに、直前にしっかり

用を足しておくように。

ただし、ホームにはトイレがあるので頼めば

ローカル線のことだから融通はきくと思う。

ウンコでは置いて行かれると思うが。

何せ次の汽車は二時間後ですからね。

もう納経時刻は過ぎてしまったが、明日の

ために龍光院を下見だけした。

コンビニで夕食とビールを買いターミナル

ホテルに着いたのは18時近かった。

本日の歩行距離10,08km。

 

10月21日

5時に目が覚めた。

今日の予定は小田まで行き一泊である。

朝一番の特急に乗れば内子に6時半に着き、無理

すればその日のうちに久万高原到着も不可能

ではない。

しかし山道もあり無理はしたくない。

無理をすると長続きしない。

さりとて早目に小田に着き、ボーッとしてても

仕方がない。

私はフロントに荷物を預け、務田駅まで歩く

ことにした。

この次宿毛から宇和島まで来た時、この部分を

楽するためである。

6時04分に乗れば務田に20分に到着、龍光寺には

7時に着き、その日のうちに大洲まで行ける筈

である。

なぜこのようなまどろっこしいことをするのか

と言えば泊まりたい場所に宿がないからである。

20kmでは昼頃着いてしまう、その次の宿は

50km先になるということはお遍路ではしばしば

起こることだ。

まして別格まで入れるとこの傾向は更に

顕著である。

ちちんぷいぷいとお祈りするだけで宿が出現

してくれるような妖術は私には使えないし。

6時少し前、務田に向けてスタートする。

前回歩いているコースなのでよく覚えている。

土讃線の踏切を越え、橋を渡り、右折すれば

後は一本道だ。

道も広いし快適なドライブコースである。

務田まで来た時、タイミングよくバス停に

バスが停まった。

いつか浪速のおっちゃんと信号無視してまで

飛び乗ったバス停である。

バスは工場前、和霊神社を通って8時過ぎに

宇和島駅前に着いた。

駅前の信号交差点を直進し、少し行くと左手

に龍光院はある。

自転車置き場には宇和島東高の生徒さんたち

がうじゃうじゃいる。

バスで行けばいいと思うが、本数が少ないので

帰りのことを考えて皆自転車を利用するのだろう。

龍光院をお参りし、ホテルで荷物を受け取り

宇和島駅に行く。

時刻表を見ると8時40分発の特急松山行き

がある。

コンビニで弁当を買い、これに乗る。

特急料金1200円は高い。

岡山須崎間だって1200円なのに。

ちなみに名古屋内子間の切符は1枚で買えなかった。

それは宇和島北宇和島間が重複するからだそうだ。

北宇和島経由内子行きの切符ならOKなのだそうです。

でも阿波池田経由鴨島行きは1枚で買えたよなー。

なんか納得が出来ない。

9時40分、かっきり一時間で内子に着いた。

駅前の公衆電話から「ふじや旅館」に電話を入れた。

今、風呂が壊れていてシャワーしか使えないが

いいかと言うので構わないと言う。

チェックインは15時だからあまり早く来ないようにと

念を押された。

小田まで20km、ゆっくり歩けば15時は過ぎるだろう

とスタートする。

タクシーの運転手さんが何か叫んでる。

杖を忘れていることを教えてくれていた。

駅前の道を前に進む。

最初の信号を左に曲がり、内子座の前を進む。

よくテレビで見る名所だ。

途中で二手に別れた道に直面する。

バイク屋の人に訊く。

右へ行きなさいと言う。

国道56号線の下をくぐり抜けて道の駅に着く。

地図を見ても、この先に食堂らしきものはない

ので大判焼きを2個買う。

去年も買った覚えがある。

人間は同じ場所で同じ行為に及ぶものである

ことをしみじみ感じる。

これを癖と言うのかな。

田代口あたりで無料遍路小屋をみつける。

畳も布団もある。

が、波打った畳の上で、汗臭い布団に包まれて

寝る気など毛頭起きない。

途中で自動車修理工場みたいな所があった。

男の人二人と女の人一人が居た。

女の人は私を見つけるとお遍路さんですか

と訊く。

私がはいそうですと言うと彼女は家へ走った。

お接待だぞ、と男の人が言った。

彼女は戻って来て100円玉と10円玉を1枚

づつ下さった。

この前ね、うちの従業員がうっかり一台車を

燃やしてしまったんですよ、取り調べに

来た警察官が、そんないい加減な奴なんで

クビにしないんだと私に言うんですよ、でも

そんな出来の悪い子クビにしたら、他に就職

出来るところがないでしょ、そうなると生きて

くためにきっと悪いことしますよ、だから

クビにしないんですと答えておきましたと、

彼女は語った。

強烈な個性を持った、私の好きなタイプの

女性である。

彼女は私を兄ちゃんと呼んだ。

きっと彼女は目が悪いのだろう。

久々に呼ばれたこの言葉だが悪い気はしない。

喉が渇いただろう、そこの自販機で何か

買っていきなよと彼女は言った。

見るとそれはオール110円の自販機であった。

キャインキャイン。

早速ここで回収かよ。

でも有難う、一生忘れないからね。

379号線を進む。

道端の手の届きそうな所に柿が沢山なっ

ている。

しかし手を出してはいけない。

それは人の道に外れる行為だ。

だが路上にもそれは落ちていた。

これならお大師様も見逃してくれるだろう、

宿に着いたらナイフを借りて食べよう

と拾った。

この辺りは梨、柿、桃、ブドウ等々果物の

宝庫なのである。

橋の手前に左に行くへんろ道がある。

集落の裏山が急激な斜面になっている。

雨が降らなくても土砂崩れが起きそうな

絶壁である。

恐らく50年以内に殆どが土砂に埋まるであろ

うと私は見ている。

まして雨の降る日にこの辺りの旅館には泊ま

らない方が賢明である。

宿主にも宿客のためにも敢えて忠告しておく。

大瀬の辺りで、大判焼きを食べた。

ガブリとやると、反対側からあんこが出て来た。

それだけあんこが多いということだ。

背後には大瀬中学校があり、目の前には大瀬の

集落へ行く橋がある。

ここらの中学生の多くは小田高校へ進学する

のだろう。

みんな学校へはバスで行くのだろうか。

それとも自転車で行くのだろうか。

コミュニティバスだからきっと無料なの

だろうね、通学だけは。

379号線に別れを告げ、380号線に入る。

山腹に天空の集落が見える。

 

ガードレールも見えるから車も走っているの

だろう。

あそこに宿があれば一泊してもいいなと思う。

道路を走っている高校生に逢った。

体育の授業で走っているのだろうか。

誰も皆、こんにちわと挨拶をして行く。

私も、された分だけの挨拶を返していく。

小田高校の生徒さんたちだ。

やはり田舎の子はよく挨拶をしてくれる。

とても気持ちがいい。

姉に電話をかける。

遠距離だから10円玉を次から次と入れる。

長い呼び出しの後、留守番電話が出た。

留守番ではしかたないので電話を切った。

10円玉は1枚も戻らなかった。

もしもし詐欺じゃん。

道の駅の信号から右折し、メインストリート

を左折して16時ふじや旅館に着いた。

部屋に通され、ポケットの柿を出そうとしたら

潰れていて、ポケットの中はぐしゃぐしゃ

になっていた。

早速2日分の洗濯物とともにジーパンも洗濯機

にぶち込んだ。

シャワーも浴びた。

18時からの食事に行くと、外国人が3人いた。

君たちはどこから来たと訊くと、私のお家は

スイッツランドよと答えた。

ヤーホー ホトゥラララ

更に訊くと3人は一組の夫婦とその女友達だと

判明した。

あなたはどこから来たと訊くのでTOYOTA、

と答えると男性は豊田シティーと訊き返してきた。

私がシティーと言うと彼は若い時岡崎で働いて

いたと言った。

彼はまめな男で、今からビールを飲もうと

しているのに全員のご飯をよそっていた。

お遍路かと訊くとお遍路だと言う。

明日はどこに行くと問うと、バスに乗って

面河とか言う宿に泊まると言った。

きっとお遍路のついでに石鎚山に登るので

あろう。

あなたもお遍路かと訊くので、ホールウォー

キングと言うと大変ですねと言った。

適当な英語であったが1時間、外国人たち

との夕食を楽しみ部屋に戻った。

本日の歩行距離31,31km。

 

10月22日

5時に起きる。

山間部はやはり寒く、夕べは暖房を入れて

寝た。

歯を磨き、顔を洗い、洗濯物をリュックに

詰め、5時50分宿を出た。

辺りはまだ暗く、玄関で靴を捜していると

女将が電気を点けてくれた。

実は昨年「むらや」さんに泊まったんですよ、

地図ではこのすぐ近くでしたが1kmも先に

ありましたと私が言うと、女将は2kmはあり

ますよと言った。

きっと女将の言うことが正しいと思う。

そんな訳で私は久万高原に近いこの宿を

今年は選んだのですよ。

巻末の評価では✖が一つ付いていたが、恐らく

それは宿が古いからであると思われる。

築100年といった感じで、床はミシミシ揺れ

るし壁にはひびが入り階段に手摺もなく、

風呂は壊れているし、テレビにはDボタンが

なく天気予報も見られやしない。

でも料理は旨いし、女将も感じのいい人だし

眠ってしまえば古さなんか関係なく、私の

評価は◎とは行かないが○です。

女将に別れを告げ一路久万高原を目指す。

辺りはまだ薄暗く、我が地方より10分ほど

遅い夜明けである。

その代り夕暮れも10分遅いのは言うまでもない。

所々にバス停がある。

地図を見て気になっていたバス停ではあるが

これは小田支所まで1日3往復のバス停であった。

当然ここらにも子供さんはいる。

学校へ通うバスになっているのでしょう。

三嶋神社を過ぎたあたりからへんろ道に入る。

かなり傾斜のきつい道である。

道路を隔ててもう一つのへんろ道を登り

三度目の380号線に出る。

前回あまり車に会わなかったが今回は

よく通る。

今回は平日のため通勤車両が多いもの

と思われる。

丸太の材木を運ぶトラックも頻繁に通る。

7時50分、真弓トンネルに突入。

 

10分で抜ける。

晴れてはいるが、まだ朝日は一度も見てない。

東の位置には大きな山が立ちはだかり日光を

遮っているのだ。

8時10分ようやく陽光が降り注ぐ。

今回へんろ道の入り口を見落とし、380号線を

露峰まで来てしまった。

ここまで出会った車の数は48台であった。

左折して42号線に入る。

ヘビが死んでいた。

 

名をジムグリと言う。

その名の通り、地に潜っているヘビでめったに

お目にかかれないが珍しいヘビではない。

現に私は今年、家の近くで見ている。

登山口に着いた。

 

海抜495mで農祖峠が651mだから水平距離

1,2kmに対して垂直距離156mである。

同じ距離を0,7kmで登る最御崎寺の山道より

もかなり楽である。

しかし私は道を間違えてしまった。

農祖峠の一歩手前で私は右へ曲がってしまっ

たのだ。

どう見ても右の方がへんろ道ポカったのだ。

しかし進めど進めどお遍路マークはどこにも

なかった。

二股に別れた道のどちらにも何の印もなかった。

ここで私は出石寺のことを思い出した。

二股のどちらにもお遍路マークがないのは、すで

にその道がへんろ道ではないのだと。

私は来た道を引き返していると再び平成の

へんろ石に辿り着いた。

もう一度山道を登っていると峠の少し前に

遍路札があった。

そこには農祖峠は真っ直ぐと書いてあった。

私はこれを見逃したのだ。

去年登っているので私は峠をなめていた。

夏目雅子は言った「なめられたらいかんぜよ」

私は言う「なめたらいかんぜよ」

峠を過ぎると後は迷う道はなかった。

アスファルトの道に出る。

柿が一杯なっている。

 

売るのかな。

お遍路さん以外通る人はない道なので

盗られることはないが木になる柿だ。

しばらく行くと畑の中で私に向かって

おいでおいでするおばあさんがいた。

なんか怖ーい。

が、素直に寄って行くと、珍しい蝶が

いるので写真に撮っておけと言う。

なんでも渡り蝶で、もうすぐ外国に行って

しまうのだそうだ。

 

 

孫がそんなこと言っていたと言った。

写真に撮った。

再びへんろ道に入った。

1kmほど歩いて久万高原に降り立つと11時だった。

宿は昨日のうちに「和佐路」に取った。

四度目の大寶寺を打ち、今年も裏山を登る。

納経所を出た所で弁当を食べている三十代と

思しき男性に声を掛けられた。

歩き遍路かと言うのでそうだと言うと、後から

追いかけると英語で言った。

雰囲気からして台湾の人だと思う。

山道を登る。

この道が結構厳しい。

背中の、たった4kgのリュックが私を苦しめる。

すぐに台湾の青年は私を追い越して行った。

私は時々しゃがんで休む。

そうこうしながら平地に降りて下畑野川に差し掛

かった。

実は私はここでのお接待を楽しみにしていたのだ。

昨年はスケジュール的に無理だったので、お断り

して岩屋寺に向かったが今年は昨年より一時間の

余裕がある。

しかし今年はお接待はやっていなかった。

ここはゴージャスなお接待だったのに。

13時50分和佐路に着いた。

和佐路のご主人によるとお接待する人

たちの高齢化が進んで廃止せざるを得なか

ったとのことです。

リュックを置かせてもらい岩屋寺に向かう。

途中でポケットの小銭入れがないことに

気が付いた。

大寶寺の納経料は払ったのだから、納経所から

ここまでのどこかで落としたのだ。

恐らく山の途中で、何度もしゃがんで休ん

だのでその時ポケットから滑り落ちたのだろう。

戻って捜す気は毛頭ない。

入っていてもせいぜい3000円くらいのもの

だろう。

ただこのブログを読む人が拾ったなら十夜ヶ橋の

再建の寄付金にして欲しいと言っておく。

その可能性はほぼないが。

岩屋寺への道を進む。

ゴルフ場のカートが頭上を横切る。

無料休憩所がある。

中から鍵がかけられる休憩所だ。

夜になったらこの辺りは街路灯もなく真っ暗だ。

それでも泊まる勇気のある方はどうぞ。

空に昇り竜が見える。

 

大きな岩も見える。

 

国民宿舎の前まで来ると見慣れた服装の男が

いた。

台湾青年だ。

彼は今夜ここに泊まるらしい。

荷物は置いて来たと言った。

あなたはと言うので私も宿に置いて来たと

言った。

彼は足が速く瞬く間に引き離されて行く。

15時半岩屋寺麓に到着。

きつい参道を登るが、リュックがない分

大寶寺裏山より楽である。

本堂まで来ると、梯子を登って行く勇敢な

女性がいた。

高所恐怖症の私には出来ない芸当だ。

納経を済ませ一路和佐路へと引き返す。

段々と暗くなってくる。

宿に着く18時ころには真っ暗であった。

客は私の他に仕事で来ている人が一人であった。

別に宿が悪い訳ではない。

たまたまお遍路さんのいない日に泊まった

ことが運が悪かっただけのことだ。

一人寂しく夕食を済ませ、部屋に戻る。

本日の歩行距離マラソンよりやや長い42,96km。

 

10月23日

5時50分に宿を出る。

薄暗い中に霧が出ている。

 

 

峠御堂トンネルに差し掛かる。

ここのトンネルは歩道が設置されていない。

とても危険である。

誰でもいい、人を殺す経験がしてみたかった

などと言う頭のおかしなドライバーがいたら

いちころである。

夜光塗料のタスキ入れがある。

開けて見ると何もなかった。

去年と一緒で何も変わっていない。

原因は、来る時は大寶寺の裏山を通って来る。

帰る時はこのトンネルを利用する。

つまりタスキは一方通行だから全部向こうに

行ってしまうのだ。

誰かが定期的にこちらへ戻さないと今に

お遍路さんが轢かれるぞ。

行政は死亡事故が起きて初めて動くから

始末が悪いのだ。

想定外だったとか言って。

いっぺん県のえらいさんを歩かせてみろってんだ。

その怖さがわかるに。

などとぶつくさ言いながらトンネルを抜けた。

案の定こちらには100本ほどのタスキが

あった。

大通りまで出た。

 

1,000円札でペットボトルを買った。

お釣りがジャカジャカ出て来た。

小銭を失くした今、当分この手で小銭を

かき集めなければ電話もかけられやしない。

コンビニでおにぎりを買った。

おつりの下二桁が80円だった。

10円玉で8個下さいと言った。

現時点で私の所持する最小単位のコイン

は10円である。

出来れば賽銭のための5円や1円も欲しい。

突「ケチ」

しかし落としたのが小銭入れで幸いだった。

札入れだったら私はどうしていただろう。

交番に行っても金など貸してくれないだろうな。

どこかでアルバイトでもして帰りの電車賃が

出来たところで帰るのかな。

でもお大師様は私を見捨ててはいないから

小銭入れで済んだのだと思う。

三坂道路を過ぎたあたりに東屋があった。

公衆電話もあったので姉に電話をした。

いつもお遍路に出ると週刊競馬ブックを

買っておいてもらうのだが今週は月曜開催

がある。

知らずに先週分を買ってしまわないかと

確認したところ大丈夫だった。

松井総業さんよ、四国でも競馬ブック売って

くれんかな。

おにぎりを食べた。

トイレがあったのでついでに○○○もした。

予土線ではないのでゆっくりとやれた。

三坂峠を降りていく。

結構きつい下り坂ではあるが、雲辺寺ほど

ではない。

松山の市街地が見えた。

 

見たこともない植物を見たので写真に

撮った。

 

 

1時間ほどで休憩所に着いた。

休憩をとろうとしたら大きな蜂が飛んできた

ので急いで逃げた。

そのままアスファルトの道を降りて行く。

急な下り坂なのでつま先が痛くなってくる。

民家は全くない。

畑はあるのでお百姓さんは軽トラでここ

までやって来るのでしょう。

坂本屋の前に差し掛かった。

坂本屋とは今はやってない旅籠である。

民宿よりも風情のある宿である。

再建の寄付金の石碑が見えた。

ひょっとしたら坂本屋が再び営業を始める

のかと私は色めき立った。

勿論始めれば私はここに泊まるだろう。

近所におばあちゃんがいた。

坂本屋っていつ頃までやっていたんですか、

と訊くと昭和12年だと答えが返って来た。

その頃は坂本屋以外にも宿は沢山あって、

ここらは一大繁華街だったそうです。

昔はこの通りは土佐街道と言って人の行き来

はとても多かったのだそうです。

33号線が出来るまでは土佐へのメインスト

リートだったのですね。

馬方さんもこの三坂峠を荷物を乗せて通った

そうです。

こんな狭い通りをどおして通ったのかと

言えば馬に鈴をつけてお互いの存在を

知らせ、広い場所ですれ違ったのだそう

です。

仕事が終わった馬方さんは皆坂本屋で

一杯やるのが楽しみだったそうです。

もうこの宿がやってたのを知ってるのは

90代の人でしょうねとおばあちゃんは淋し

そうに語るのだった。

あそこに寄付金の石碑があるけど坂本屋は

再建されるのですかと訊くと、そうではあ

りません坂本屋をモニュメントつまり記念館

として残すために外装だけでもきれいに

する資金を募ったのですよと教えてくれた。

なるほど、壁も綺麗に塗られているし、障子も

張り替えられている。

屋根瓦もピカピカの奴で葺かれている。

でも中はボロボロのままですよとおばあ

ちゃんは言った。

もっともっとおばあちゃんとお話がしたか

ったけど今日中に石手寺まで打ちたかった

のでお暇することにした。

 

 

また来年も来るからね、今度は反対方向

から来るからこの坂きついだろうなぁ。

浄瑠璃寺を目指して更に進む。

丹波のバス停を少し過ぎたあたりに、

接待所があった。

 

 

この前テレビで見た。

松山鮓を振舞ってくれるのだ。

ただし週に一度木曜日だけである。

今日は残念なことに水曜日である。

旅立ちを1日遅らせれば可能であったが、これ

だけのために予定を変更するわけにはいかない。

少し迷いながら12時少し前に浄瑠璃寺に

着いた。

この辺りはへんろ道が沢山ある。

新しい道を開拓しておこうと、スケベー根性を

出すとやはり道に迷う。

自分の知ってる道でいいではないかと思う。

途中の坂本小学校の校庭に女性がいた。

教師かはたまた父兄か、わからないが私の

ブログを知らせて来た。

なんとなく読んでくれそうな雰囲気を持った

女性だったから。

浄瑠璃寺、八坂寺、文珠院と打った。

文珠院で開創50周年のお札について訊いた。

この札、今年中は戴けるんですねと訊くと

、いえ、なくなり次第終わりですよと言われた。

綱義の家の近くまで来た。

そうだ、札入れを落としたなら、綱義に借り

れば良かったのだと思いついた。

帰ったらすぐ送金すると言えば、最終目的地ま

での資金を彼なら貸してくれるはずだ。

しかし今回は時間がないので「ヘアーサロンゼロ」

に立ち寄ることを断念した。

また来年も来るから勘弁してね。

西林寺に14時少し前に着き、浄土寺、繁多寺

と打って石手寺には16時20分に着いた。

 

接待所がやってたらヤバかったかも知れない。

そして繁多寺の公衆電話から予約をしておいた

宿に着くと16時40分であった。

フロントの人は私の旅程を訊いて来た。

正直に話すと、彼は、凄い健脚ですねと、

ヨイショした。

健脚でも何でもない、早く宿を出て長く

歩いているだけですよ。

ただ、心のスタミナだけは誰にも負けま

せんけどね。

これって人生で一番大事なことでしょ。

民宿みよしの隣の食堂で夕食をしようと

思っていたが生憎今日は定休日だった。

仕方なく600m離れたスーパー「セブンス

ター」まで行って寿司とビールを買って来た。

そしてテレビ「ミラクルナイン」の100万円

獲得を見届けてから眠りに就いた。

本日の歩行距離40,44km。

 

10月24日

5時50分に宿を出た。

小雨が降ったり止んだりを繰り返していた。

だがポンチョは被らない。

今回スタートはいつも5時50分である。

春なら5時に出るが、今はまだ漆黒の闇だ。

闇の中を歩くのは危険が付きまとう。

だから、少し歩いて明るくなるこの時刻の

スタートとなる。

散歩やジョギングを楽しむ人が多くいる。

しかし誰一人として挨拶をする人はいない。

都会の人は挨拶をダサいと考えているのかな。

義安寺を過ぎたあたりから右へ入る。

しかし道後温泉本館あたりで今年も道に迷う。

道行く人に尋ねても、地元ではないから

わからないと言う返答ばかりだ。

皆旅行者で朝早く起きてこの辺りを散策

している人ばかりのようだ。

11人目の人に教えてもらったへんろ道を進む。

来年来たら間違えないかと問われれば自信は

ないが、入り口にはローソンがある。

サニーマート辺りからへんろ道があるが間違

えそうなので無視して進む。

しばらく行くとまた、四国の道の石碑があった

ので右に入る。

突き当たりを左に折れ、松山大学グラウンド

の横を進む。

産まれたばかりの子猫がミャーミャーと鳴いている。

母親が近付こうとしたが私を見て逃げて行く。

へんろ道は196号線沿いの川に沿って続く。

自転車の若い人が沢山通る。

やはり挨拶をする人は皆無だ。

後ろから来たお遍路さんがお早う御座います

と挨拶をした。

30代の、中近東あたりの女性のように私には

見えた。

雨が本降りとなりポンチョを被った。

彼女はやがて左の196号線へと入って行った。

私はそのまま川沿いの道を進んだ。

今度は登校の小学生の集団に逢うようになった。

去年は確か左から来た道と合流し、次の信号を

左折したはずなのに私は道を間違えてしまった。

雨が地図の確認を怠らせたのだ。

かなり進んだ頃、二人の女子高生に地図を

見せて、今私はどこにいると訊いた。

彼女達は地図にない所にいると言った。

196号線を少し戻り、そこから大山寺のあるで

あろう方向へと歩を進めた。

しかし道は途中で行き止まりとなっていた。

近くに人がいたので訊くと、あぜ道をしばらく

行くと道路に出ると、その後の道も詳しく教

えてくれた。

ガソリンスタンドを右折し、次の信号を左折

し踏切を渡ると松山北中学の北に出た。

そして大将軍神社の前を通り大山寺に着いた

のは9時過ぎだった。

上り坂を歩いていると、降りて来る中近東の

女性に逢った。

納経所はどこですかと訊くので、ターントゥザ

レフトと言うとドウモアリガトウと言った。

やっぱり私は外国人によく声をかけられる。

理由はよくわからない。

と言うよりひとり歩きのお遍路さんなんて私

しかいないからだろうと私は解釈している。

国宝大山寺をお参りする。

これでも標高75mだ。

かなりの上り坂のうえに、最後に階段もある

から納得出来る。

つづいて円明寺に向かう。

片廻の信号で1人のお遍路さんに逢う。

彼はそこを北に向かおうとしていた。

私は、もう少し先を右折するんですよと、

アドバイスをしてあげた。

円明寺に着いた。

私は昨年ここで納経を忘れて、大窪寺を打って

から再び来た苦い思い出がある。

今回はいきなり掟破りの納経所直行をやって

しまった。

隠れキリシタンの灯篭にも寄って、お参りもした。

 

 

南無阿弥陀仏。

時刻は10時24分である。

今日の宿はまだ決めてない。

出来れば海辺のホテルマリーナシーガルにしよう

と思っているが、そこまで届くかどうかもわから

ないので決め兼ねている。

前回寄ったたこ焼き屋に着いた。

しかし店は閉まっていた。

菊間まで、まだ20kmある。

私は諦めて先に進む。

近所の住人に逢った。

たこ焼き屋は今日休みなのかと訊くとそんなこ

とはないと言う。

でも開いてなかったと言うとそれじゃ、まだ早

いからやってないんだろうと住人は教えてくれた。

食堂には終日やってる所もあれば、食事時刻

だけ営業している所もある。

たこ焼き屋は後者なのだろう。

347号線を進む。

この前停まっていた船はもうなかった。

私は宿泊施設だと思っていたが、船だったの

だろう。

海辺に中華料理の出店があった。

肉まんをくれと言うと、まだ出来てないと言う。

じゃ何が食べられるのかと問うと、小籠包

ならあると言うのでそれをくれと言う。

去年停まっていた船はどうしたと訊くと、あれは

外国人の船で旅立ったと言っていた。

たどたどしい日本語なので国はどちらだと訊くと

中華人民共和国だと言う。

一口で食べられる小籠包3個とソフトクリーム

を食べてその場を去る。

550円とはボロい儲けだ。

雨はいよいよ激しくなってきた。

風もあるので膝の辺りまでびっしょりと濡れる。

少し歩くと中近東の女性に追いついた。

彼女はお好み焼き屋に寄り、今出て来たばかり

といった感じだった。

彼女は足が速く見る見る間にその影が小さく

なって行く。

彼女に離されるようでは到底今日中に菊間まで

辿り着くことは出来ないと必死で追いかける。

北条病院を通り過ぎる、柳原の駅前を通る、去年

踝までのソックスを買ったコンビニが見える、伊予

北条駅を過ぎると少し道が曲がっているので彼女の

姿は見えなくなった。

去年泊った太田ビジネス旅館が見える、スーパーマ

ルナカの信号を右折し、コンビニの信号を左折すると

再び彼女の後姿は見えて来た。

果たして彼女は坂を登るのか、それとも鎌大師に寄

るのか、固唾を飲んで見ていると鎌大師に行った。

私は坂を登りへんろ道の手前の休憩所で一服し、

浅海の196号線まで出た。

彼女は追いかけて来なかった。

きっと戻って北条の宿に泊まるのだろう。

今治に入った。

 

時刻は15時だった。

これで菊間まで行ける目途は立った。

問題はマリーナシーガルに泊まれるかどうかだ。

公衆電話は円明寺からこっち一台もなかった。

あってもポンチョを被った状態でかけられるか

どうかも疑問だ。

この先ホテルまでコンビニもスーパーもない。

それでも店があったので大判焼きを買った。

たこ焼きが食べたかったが、切らしていたので

仕方ない。

ついでにマリーナシーガルは近いかと訊いたら

その山の向こうだと言う。

海辺にある山のことだ。

道路の右側に地図にはない休憩所があった。

少し休んで大判焼きを1個食べた。

ホテルはすぐわかった。

道路の左の歩道に移りホテルを目指した。

しかしどこにもフロントらしきものはなかった。

リフト作業をしている人がいたので訊いてみる

と予約はしてあるのかと訊く。

ないと言うと今日は予約ゼロなので休みだと

言う。

私はJR菊間駅を目指した。

2分後に今治行きがやって来た。

飛び乗った。

ポンチョから流れる雨で床が濡れた。

でも誰にも文句は言われない。

車掌さんが来たので今治までのきっぷを買った。

今治駅構内の公衆電話でホテルの予約を

取ろうとした。

ステーション、アーバン、第一、クラウン、

すべて満室だった。

最後にプラザホテルにかけるとOKだった。

やはり駅から遠く、料金も高いのでここは

いつも空いている。

ホテルに向かうと、観光客らしき人が今から

南光坊ですかと言った。

いえ駅前のホテルがすべて満室なのでプラザに

向かうのですよと言うと駅前は団体さんが

泊っていると言う。

プラザに着いたが、私は夕食を買いに行く気

は起きなかった。

2つの大判焼きを食べながら、ホテルの自販

機のビールを飲んで寝た。

雨の日は精神的に疲れる。

本日の歩行距離39,24km。

 

10月25日

雨は降ってなかったが、どんよりと曇っていた。

ホテルを5時40分に出て、今治駅へと向かった。

そして券売機で壬生川までの乗車券を買った。

昨日菊間に泊れたなら、今朝はJR大西駅まで

歩き、そこから壬生川に向かいビジネス旅館

小松に泊まる予定でいた。

今治には別格はない。

したがって今回はとばすことにしていた。

それにしてもマリーナシーガルって何だったん

だろう。

予約がないから今日はお休みだと言うのは

普通のホテルではない。

地元の人に訊いてもあまり評判はよくない。

しかし地図の巻末評価では○が3つある。

ま、私が予約さえしておけば、また違った

展開になって、とても良いホテルだと言っ

ていたかも知れないが。

伊予西条行きの4両編成の電車は既にホーム

で待ち構えていた。

開けるボタンを押して中に入る。

高校生が2、3人乗っているだけだった。

壬生川には6時23分に着いた。

駅前の公衆電話からビジネス旅館小松の

予約をとる。

この前と同じである。

違うのは壬生川の娘さんがいないことかな。

四国の女性によくある、大らかでまあるい

ハートを持った女の子だった。

きっと彼女は誰からも好かれる人だと思う。

突「人気者ですね」

いや、ちょっと違う、人気者ってのは

媚びを売るいやらしい奴のことだろ。

彼女はありのままに生きていても好かれる

人だと思う。

突「何をやってる人なんでしょう」

学生だと言ってたから、新居浜あたりの

看護師学校に通っているんじゃないかな。

突「金田一さんの推理ですね」

駅前の道を右に行く。

突き当たりの48号線を右に進む。

今治小松自動車道の下をくぐる。

 

本来ここは別格10番を先にお参りするべき

だろうが迷いそうな予感がするので別格11番

生木地蔵を目指す。

なまきではなく「いきき」と読む。

とかく地方の地名は解読困難なものが多い。

この地図で言えば「安用」だとか「大頭」なん

てのがあるがバス停にはフリガナはない。

前者は「やすもち」で後者は「おおと」と

読むのだ。

私はチコちゃんのような「おおあたま」を

想像していた。

ミニストップの交差点まで来た。

何を思ったのか私は左に曲がり赤い点線の

へんろ道を行った。

真っ直ぐ行った方が距離は短いのに。

大きな神社があった。

私は生木地蔵と間違えそうになった。

更に行くと地蔵よりは少しだけ大きなお寺が

あった。

一人お参りをしている人がいた。

納経を済ませ、目の前の道路をほんの少し

左に行き、久妙寺の案内があるところを

右折する。

どうもこの辺りでは別格よりも久妙寺

の方が有名であるらしい。

後は道なりに進む。

突き当たりの道路をバスが右に走る。

その道路を左に折れ、西山入口のバス停

から右に入る。

地図を見るとこの地点が海抜65m、1,8km

先の興隆寺が275mである。

平坦だとイメージしていたが、これは農祖峠

よりもきつい坂である。

私は打ち戻りの利点であるリュックの置き

場所を捜していた。

折しも空は雨模様、このままではリュック

は濡れてしまう。

その時私は墓の近くに大きな土管をみつけ

、そこにリュックを置いた。

興隆寺への坂を登って行く。

雨はミニストップの辺りから降り出し、

降ったり止んだりを繰り返しているが

ポンチョを被るほどのものでない。

興隆寺が近くなった所で駐車場があった。

バスも停まっていた。

運転手さんに訊くとまだこの先は長いと言う。

バス客が山から下りて来た。

みんな挨拶をしてくれる。

川を渡ると後は階段が続く。

地図では車道になっているが、これだけ短い

距離でこれだけ登ろうとする所は階段か

山道であると思っておいた方がいい。

登坂能力は車より人間の方が断然上だという

ことだ。

10時頃興隆寺到着。

いいお寺だ。

長年お遍路をやってればよくわかる。

 

お参りを済ませて納経所へ行く。

何処から来たのかと訊かれた。

愛知県だと言うと先程のバスの方たちも名古屋

だと言ってましたと納経所の人は言った。

愛知県はリッチな人が多いから四国にお金

を落としに来るんですよと言うと彼女は

笑っていた。

また納経所を出た勅使門には大師直筆の扁額が

あるんですよと教えてくれた。

ちょっと小さくて見えないけど。

 

下りの階段は心肺的には楽であった。

リュックを背負い、バス停の横をそのまま真っ

直ぐ降りて行く。

向こうから来る道は迷っても、目的地から

戻る道は迷い難い。

突き当たりを右に曲がる。

黒川なんとかという看板がある。

後は道なりに南方向へ進めば国道11号線に

出る。

 

 

これで今度10、11番と廻ることがあっても

私は道に迷うことはないだろう。

途中に食堂があったので入ろうとしたが、しば

らく休ませてもらいますと貼り紙があった。

こうなりゃ、香園寺近くのスーパーで弁当を

買って境内で食べるしかない。

面白いバス停があったので写真に撮った。

 

 

その時私はカメラを落とした。

拾い上げるとカメラの画面は真っ暗だった。

おまけにレンズは突出したまま戻らなかった。

ケースに入らないのでカバンに入れた。

財布は落とすし、カメラも落とすし、ちっとも

ご利益がないなぁ、これでこの先もう写真は

取れないのかと落胆して歩いていると、更に

追い打ちをかけるようにスーパーは倒産していた。

この世に神も仏もないのかもと、一瞬その存在

を疑ってしまったが休憩所があったので

カメラのバッテリーがはずれているのかもと

ケースを調べて見るとバッテリーでない薄板

の方がはずれていた。

はめてやるとヨコシマは消えたが、画面は

依然として真っ暗であった。

しかしレンズは元に戻ったのでひょっとした

らバッテリーも切れているのかも知れない。

今日宿で充電することとして先に進む。

香園寺をお参りし、この辺りに食堂はないか

と尋ねると、おいしいうどん屋があると

教えてくれた。

しかしどうしても見つけることは出来なかった。

ひょっとしたら私は極度の道音痴かも知れない。

62番の出張所もお参りし、小松へと向かう。

途中で宝寿寺がこちらにあると聞いたのですが

と女性に尋ねられた。

駐車場にありますよと私は返答をした。

未だにお家騒動を知らない人がいるのですね。

香園寺から最初の信号を直進するとビジネス

旅館小松に着く。

11号線に出て小松駅前を右折すると大変遠回

りになる。

私は真っ直ぐ歩いた。

こうして段々と楽することを知って行くのですね。

別に悪いことではない。

13時50分私は小松旅館に着いた。

チェックインには早いですよねと私は言った。

早過ぎますと宿の人は言った。

今から加茂川橋のバス停まで歩くのでリュッ

クを置かせて下さいと言うと宿の人は了承した。

しかし何故加茂川橋なのですかと宿の人は訊く。

あそこまで行ってバスで戻って来るのです、

そうすると明日の朝加茂川橋まではバスで

行けるのですと言うと納得してくれた。

私にとってこの宿はお気に入りなのです。

加茂川橋の向こうは当分宿はないのです。

11号線を東に進む。

吉祥寺手前のスーパーマルナカの敷地内に

セルフうどん屋を見つける。

入ろうとすると夫婦が来た。

お遍路さんですかと訊く。

はい、歩きですと言うと、そりゃお腹が空く

でしょと言った。

ああ、あんたの頭でもいいからかじってやり

たいほど腹減ってるよと言おうとしたが

やめた。

夫婦は、ここで手を洗って、食器はあれを使

ってと親切に教えてくれた。

私は半熟の卵の入ったうどん二玉と、おにぎり

2個を食べた。

現在14時半、18時の夕食を考えて少し控えめに

した。

14時50分吉祥寺、15時40分前神寺を打ち、

16時44分加茂川橋発のバスで宿まで帰って来た。

早速3日分の洗濯をし、風呂に入って食堂に

向かった。

洗濯物は4日分あったが、まだ1日分あったので

3日分だけにした。

宿泊客は7人、すべてお遍路さんであった。

みんなガヤガヤと喋るので何を言ってるのか

分からない部分が多かったが、それでも楽しい

一時を過ごさせてもらった。

私の斜め前の女性は、私が豊田から来たと言うと、

いつか章男社長とご一緒したことがあるが我が

ままな男だったと言った。

アメリカでのクレームの謝罪の際、涙を流して

いた、あれで少しは大人になったかなと言った。

やはりなんか縁のある人に逢うものですね。

追加の缶ビール一本を持って部屋に戻りチコ

ちゃんを見る。

ついでにカメラのバッテリーの充電も怠りなく

21時に寝る。

本日の歩行距離35,48km。

 

10月26日

食事は6時からであったが、29分のバスに

乗るため10分前に食堂に行った。

納豆、焼きのり、生卵、焼き魚、味噌汁と

朝飯の定番が並んでいた。

すべて健康食だ、文句はない。

6時には食事を終え、隣の人に女性への

ブログのメモ用紙を言伝て、部屋に戻る。

内容を読めば作者の年齢は推測できるが、

その文章の若さには驚くことだろう。

チコちゃんは「永遠の5才」猫は「永遠の

15歳」だもんな。

バス停でバスを待つ。

定刻を少し遅れてバスはやって来た。

いつも言うがバスは遅れてやって来るのが

常である。

なぜだかわかるか。

それは定刻より早く走ると乗り遅れた客が

会社に苦情の電話を入れるからだ。

それに対して遅いのは「しゃあねえな」で

済んでしまうからである。

理想は定刻通りであるが、それでは運転手

さんはとても疲れてしまう。

なので最初から少し遅れてスタートし、後は

普通通りに走れば常に遅れている状態で

安心していられるのである。

しかし、いいこともある。

到底間に合わないであろうと思ったバスに

乗れた時は至上の歓びである。

逆にJRに間に合わなかった時は、怒り心頭に

達する。

バスは進む。

安知生という地名が料金表の横に出る。

「あんぢゅう」と読むらしい。

野根まんぢうを思い出した。

ついでに大名古屋ビルヂングも思い出した。

加茂川橋に着いた。

時刻表では6時40分到着のはずだが、5分

くらいは遅れているだろう。

東に向かう。

とりたてて説明するものもなく道は進む。

コンビニ、スーパー、学校、郵便局、病院

ガソリンスタンドとどこにでもある風景だ。

8時40分、中萩駅前のバス停を通り過ぎる。

11号線とJR予讃線はくっついたり離れたり

を繰り返している。

ここは駅まで300mの地点である。

やはり駅が近いとホッとする。

何かあった時、さっと家に帰れるからだ。

去年工事をしていた所に差し掛かった。

工事は終わり、綺麗で立派な道路になっていた。

道路を隔てて日産とトヨタのディーラーが

向き合っていた。

「何だよ」といがみ合ってるようには見え

なかった。

すぐ近くにホンダもあった。

みんな仲良くやって行きましょうよと言っ

てるみたいだ。

これは個人の感想ではあるが。

歩道は右にあったり左にあったりである。

面倒なので左ばかりを歩く。

県立新居浜病院がある。

しばらく行くとまた新居浜病院がある。

一体これは何なんだ。

お見舞いに行っても病院を間違えるぞ。

救急車も間違えて搬送するぞ。

いっそ「ニイハオ病院」に改名した方がいい。

加茂川橋からの最初の宿ビジネスホテル

MISORAが見える。

質素で飾り気のない宿で好感が持てる。

あくまでも個人的感想の域を出ないが。

来年逆打ちをした時お世話になるかも

知れない。

しかし小松旅館は譲れない宿だから、そこから

20kmのこの宿は無理かも。

11時半、バス停のベンチがあったので腰を

降ろした。

女性が一人座っていて、どこから来ましたか

と訊かれた。

愛知県ですと答えると、まあ遠い所からと

女性は言った。

愛知県なんてそんなに遠くないですよ、あっ

と言う間に着きますと言うと女性も実は私も

愛知県に住んでたことがあるんですよと

言った。

ご主人が単身赴任で港区に居た頃、10日お

きに新居浜と名古屋の生活を10年間していた

そうです。

私の逢う人はみんな愛知県に関係のある人

ばかりです。

私は5分程お話をして腰を上げた。

バス停の名は「坂の下」、この先160mの高地

に向かうのでこの名が付いたのだろう。

10日に一度名古屋新居浜間を移動するとなると

新幹線ではなく深夜バスだったんでしょうね。

新幹線は高いもの。

ハタダ本社の前を通る。

飲食店のようなものがあるが、皆潰れている。

四国の街道沿いの飲食店は市街地を除けば

ほぼ壊滅状態である。

みんなコンビニの弁当やおにぎりで済ませて

いるのかな。

関ノ戸を過ぎると道路は下りに転じる。

歩道はなくなっている。

こういう場合は道路は右側を歩こう。

左を歩くと後ろから来る車にやられる。

本当は関ノ戸からへんろ道が出ているので

それを利用すればよかったのだが後の祭

りである。

この次は利用しよう。

グングン道は下っている。

この辺りの地名は「道の下」と言うんですよ。

瀬戸内海が見えた。

 

去年おじいちゃんと孫二人の自転車お遍路さん

にあった場所だ。

旅館五葉松荘が右手に見える。

やはりビジネス旅館小松には近いな。

時刻は14時、ハローズの前に来た。

そろそろ宿の予約をとらないとと、駐車場

の公衆電話を捜した。

しかしどこにもそれらしき物はなかった。

内子の道の駅で訊いた時も、つい最近撤去

されたと言ってたのでここも取っ払われた

のかと人に尋ねた。

しかし尋ねた人は、この辺りは不案内なので

よくわからないがどうしたんですかと訊き返

してきた。

宿の予約をしたかったのですがと言うと、

娘が携帯を持っているので電話してあげまし

ょうかと言って下さった。

これもお接待だと、「助かります」と私

は言った。

娘さんは最初、車外で話していたが通じなく、

車に設置してある電話で話していた。

「ぜろはちきゅうろく・・・」と声で入力

していた。

私が市外局番は必要ないですよと言うと

彼女はスマホは市内でも必要なんですよ

と教えてくれた。

彼女は私の名と自宅の電話番号を宿の

人に伝えた。

部屋は空いていた。

とても優しい、こんな親切な母娘がこの世に

いるのだろうかと思ったが、いるのだから

仕方がない。

お礼を言い、ついでにブログも伝え、別れた。

本当に感じのいい母娘であった。

彼女には私の名と電話番号を知られてしまっ

たがもう忘れているだろう。

私は正義の味方しろひ猫ですからね、正体を

知られてはまずいのですよ。

どうですか娘さん、このブログの作者が

あの時のおじさんだとわかりましたね。

とっても背の高い娘さんで、私は卑屈になって

しまった。

今度逢う時は靴底20Cmの靴を履くつもりだ。

突「大丈夫、もう逢うことはないから」

次の信号を左折し、12番別格延命寺に

寄った。

お参りを済ませ納経所へ行くと一人

お遍路さんがいた。

別格と言っても、必ず他のお遍路さんはいる。

私の最初のイメージは1日一人くらいかなと

思っていたが、そのイメージは覆らされた。

大山寺しかり、慈眼寺しかり、出石寺

しかりである。

延命寺を出る。

へんろ道を行く。

ここはかつての繁華街、メインストリートで

あったのだろう。

街道沿いの二軒の旅館が如実に物語っている。

再び11号線に出て、しばらく歩くとスーパーマ

ルナカがあり駐車場に公衆電話があった。

思い出が脳裏によみがえって来た。

去年電話をしたのはここだったのだ。

私は勘違いをしていたのだ。

しかしそのお蔭で、あの素晴らしい母娘に

逢えたのだ。

お大師様、有難うございます。

右手に山が見える、四国の槍だ。

 

 

線路越えの11号線を行く。

もう一本11号線がありややこしい。

スーパーフジの信号から右へ行く道、左に

行く道、真っ直ぐ行く道があった。

真っ直ぐ行くが、歩いているうちに真っ暗

になり、コンビニの駐車場に出た。

私はそこで車の中にいる人にビジネスホ

テルマイルドの所在をたずねた。

怖そうな顔をしたおじさんだった。

かなり距離があるから乗せってやると言っ

たので車に乗った。

男性はしきりに遠いと口走った。

いえ、そんなに遠くはないはずですと私は

主張した。

男性はかなり走ってから、そら、あのホテル

でしょと指差した。

そこはスーパーホテル四国中央だった。

あれじゃありません、去年一度泊ってい

るんです、暗闇の中にポツンとあるホテル

ですと言うと男性は思い出したのでしょう、

再び元のコンビニに戻りホテルへの道を

教えてくれました。

随分無駄な時間とガソリンを使わせてしま

ったけど、お礼を言って別れた。

ホテルにはすぐ着いた。

ここも今度来たら絶対迷わない自信がある。

このホテルはフロントの近くに食堂がある。

大勢の若者がご飯を食べていた。

私も部屋に行く前にビールを飲んだ。

なんでもこの若者達、中学生で、全愛媛の

代表ラグビーチームで合宿にこのホテルを

利用してるとのことだった。

折しもテレビではワールドカップの真っ最中

でコーチらしき3人は突っ立って観戦していた。

おい、見えんぞと言ってやりたかったが屈強

そうな3人だったので黙っていた。

ビールを飲み終え、カレーをてんこ盛り食べ

部屋に入った。

一泊2食5960円だから合宿に使うのでしょ

うね。

きっと学生さんたちはもっと安いはずですよ。

コンビニで買って来たビールを飲み寝た。

本日の歩行距離45,24km。なんのこれしき。

 

10月27日

6時半に朝食をとる。

また中学生たちと一緒になった。

やっぱり若い子はよく食べる。

私も負けじと食べる。

フロントで今日は堀切トンネルへ行く

バスに乗るが、この近くにバス停はないか

と尋ねる。

あのバスはスーパーハローズから東の方へ

入って行くから、一番近いバス停は上柏

ですねと言う。

部屋に戻って調べて見ると、ホテルの横の道を

700mほど南に行くとそれはある。

この前、三角寺へ行く時通った道で、パンを

買ったおばあさんの店の近くだ。

ここで私は考えた。

本当に上柏でいいのだろうか。

もしバスが通らなかったら次のバスは3時間後だ。

かつて私はこのバスに乗ったことが2度ある。

伊予三島三角寺口間を。

間違いなく伊予三島駅には来る。

始発駅だからそれは間違いない。

それに小松方面から来たが、私はまだ三島駅

には着いていない。

つまり歩き遍路は成立していない。

そのような理由から私は伊予三島駅に戻ること

にした。

ずぼらだが私にはこんな几帳面な部分もある。

7時10分私はホテルを出た。

駅へと向かう道は、登校の小学生で一杯だった。

私は左側を歩いた。

7時35分駅に着いた。

ベンチには男女二人がいた。

話をしているから知り合いなのだろう。

そのうち40代くらいの男性も来た。

いずれも地元の人という雰囲気はない。

バスがやって来た。

整理券を取って腰掛けると、運転手さんは

どこまで行きますかと訊く。

皆それぞれの行先を告げると、料金表の

ボタンを押して料金を教えてくれる。

私は平山で480円、40代の人はトンネル口、

二人は何も言わなかった。

運転手さんはよく喋る人で、なぜ仙龍寺に

行くのに平山で降りるのだと訊く。

この前三角寺から雲辺寺まで歩いてある

のですよ、その時この平山のバス停は

通っているんですと言うと納得してくれた。

このバスは8時13分に平山に着く。

そして帰りのバスは12時45分である。

仙龍寺までの往復の距離はざっと14km、

時間は4時間半ある。

時速4km/hで歩けば、机上の計算では

十分間に合うことになる。

しかしこの旅最初の大善寺の例もある。

13時16分の土佐新荘発の汽車に楽勝だと

思っていたのに乗れなかった。

そこで私は運転手さんに訊いた。

運転手さんは即答を避けた。

私の脚力も知らないのだから当然である。

もし乗れなかったら次は16時ですからね、

中新町まで歩けば川之江行きのバスが

出ますから歩いた方がいいですよと、アド

バイスをしてくれた。

平山に着いた。

打ち戻しなので、いつものようにリュックを

草むらに隠し、まずはトンネルを目指した。

8時45分トンネルに到着した。

長さ1259mとある

 

真っ直ぐなトンネルではあるが出口が見えない

のは真ん中が高くなっているのだろう。

何とか12時のバスに間に合わせたかったので

私は早足で歩いた。

9時トンネルを抜けた。

右へ行く道に仙龍寺の道標がある。

すぐに道は二手に分かれ左側へと行く。

下り坂が続く。

道は広くないが、初心者が不安に思うほど

狭くもない。

木が茂っており、夏場は涼しいがこの時期は

少し寒い。

地図では川沿いにあるが川は見えない。

途中でバスで一緒だった人に逢う。

あと3Kmあると言う。

時刻は9時半、かなりの健脚である。

途中で橋があった。

そのものずばりのバス停「橋」もあった。

地図で見て気になっていたが地元の老人

のためのバスで1日三本新宮まで行っている。

きっと橋を渡って向こう岸を行くのだろう。

橋を過ぎると間もなく仙龍寺に着いた。

急激な上り坂を行く。

下がコンクリートなので冬季凍結していた

ら登れないくらいの急坂だ。

本堂はお寺の中にあるので靴を脱いで行く。

弥谷寺と同じだ。

途中でカップルに逢う。

納経所に寄ると誰もいない。

 

 

お寺を出ると庭に住職がいたので、納経を

お願いする。

何処から来たと訊く。

愛知県の豊田市からだと言うと彼も自分も

一宮市の出身だと言う。

ああ、つボイノリオやスギちゃんと一緒で

すねと、さすが住職を前にして言えなかっ

たので織物の街ですねと言った。

すっかり廃ってしまいましたけどねと

住職も言った。

話は、同じ愛知県出身の仙遊寺の住職に

移った。

住職は仙遊寺の岩は砂の固まりで出来て

いるので段々崩れて行って寺の存続も

大変らしいですよと言っていた。

5分ほど談笑して去る。

帰り際に別のカップルにも逢った。

やはり別格も参拝客は結構あるものだ。

寺を出ると10時だった。

後はバス停まで歩くだけなので何とか

なると思った。

途中で川が見えるところがあったので

写真を撮った。

 

銅山川です

 

軽トラで来た人が乗って行くかと誘った

が断った。

歩いたとブログに書けば人は誤魔化せる。

しかし、いつの間にか私の心にはお大師

様が住みつくようになった。

どうしてそんなお大師様を誤魔化せまし

ょうぞ。

12時10分平山バス停に着いた。

4時間で戻って来れた。

これから行く人は参考にしてくれ。

抜かれることはあっても、抜いたことの

ないこの私で4時間である。

このバス停はおかしなところがある。

腰掛けて待っていると新宮行きのバスは

気が付かずに行ってしまう。

帰りのバスは気付くが。

それは行きと帰りの道が少し異なるからだ。

新宮行きは道で待ってた方がいいですよ。

バスに乗ると運転手さんは朝の人だった。

とっても優しい人で名を村上昭信さんと言う。

社長、ボーナスを奮発してやってね。

 

帰りの道でも上分バス停で停まり、ドアを

開けて川之江行きのバスの時刻表を見ていた。

私はいいですよ三島駅まで行きますからと

言ったが優しい運転手さんだった。

12時15分三島駅到着。

駅前でうどんを食べようとしたが日曜日で

休みだった。

改札口へ行って高松行きの乗車券と坂出ま

での特急券を購入しようとした。

買い方がおかしいのか、どこへ行くのですか

と駅員に尋問された。

鬼無で降りて香西寺へ行くのですと言うと

鬼無までの乗車券を売ってくれた。

私は高松までと言ったが距離がないので

途中下車は出来ませんと言われた。

納得。

13時53分の特急に乗るとJR職員のような

人がアンケートをお願いしますと持って来た。

行きですか、帰りですかという質問があっ

たが、お遍路なので答えが書けなかった。

使用したボールペンは戴けた。

乗り換えて鬼無に着くと15時11分だった。

三島駅前で公衆電話からホテルの予約

を取ろうとした。

3つかけたが2つは満室と断られ、1つは

五回かけたがいずれも現在使われていな

い電話番号だと言われた。

駅前の道をただひたすら右へ行く。

消防署の所を左に行き、香西小学校手前の

信号を左に行くと左手に別格19番香西寺

はあった。

 

 

とてもわかり易いお寺であった。

帰りにまた宿へ電話した。

一軒は満室と言われたが一軒は空いてい

ますと言った。

連泊したいので明日も空いているかと

訊くと明日は満室だと言うので、じゃ

いいですと電話を切った。

今日は日曜日なので空いてると安心して

いたが、きょうびそんな常識は通用しない。

特に駅前の低料金のホテルは年中満室

だと考えて早目に予約をした方がいい。

鬼無駅まで来た。

電車は動き出した。

車掌と目と目が合った。

乗りますかと彼は訊いた。

車内できっぷは買えますかと、今度は

私が訊いた。

買えますと言うので、じゃ乗りますと言う。

ドアが開いた。

ローカル線のいいところですね。

17時高松着。

以前寄って覚えていた宿泊案内所に寄る。

改札口を出て少し左へ行った所にある。

ほぼどこも満室であったが一軒だけ連泊

出来るところがあった。

ホテル福屋であった。

やはり駅から遠く料金も高い所は敬遠

される。

高速バスターミナルの前を通り南へ2つ目の

信号を過ぎて最初の道を左に入ると福屋

はあった。

宿に着き、隣のマルナカでビールと寿司を

買って来て夕食とした。

私にはお遍路で歩く足はあっても、うまいも

のを食べ歩く足はない。

風呂に入り、20時には眠りに就いた。

本日の歩行距離27,35km。

 

10月28日

6時にホテルを出て高松駅に向かう。

宿泊案内所の裏のバスターミナルの5番

乗り場でバスを待つ。

今日は大滝寺を打つために塩江(しおのえ)

に向かうのだ。

次から次とバスがやって来る。

運転手さんはまず行先表示が合ってるか

どうか確認する。

それからタイヤを始めとする足回りを目視

で点検をする。

それが終わると運転席に戻りドアを開ける。

5番線にバスがやって来た。

これは塩江行きですかと訊くと、塩江行きは

このバスの1分後に出るので後ろにいると

言われた。

確かにバスは後ろで待っている。

6時38分、始発駅なのに定刻よりも2分遅れ

て塩江行きはスタートした。

やはり私の推理、つまり常に遅れて走るは当

たっていた。

競馬は当たらないが。

瀬戸内バスにならい塩江までの料金を訊いた。

運転手さんは料金ボタンを押してカッキリ

1000円ですねと言った。

客にとっては気持ちのいい料金ですね。

バスは最初高松市街を巡回し、仏生山あたりか

ら郊外に出た。

乗客は私の他に二人、私よりも後に乗り、私

よりも先に降りて行った。

空いてるのはきっと、高松駅からこんな田舎に

勤めに出る人はいないからで あろう。

逆はもっと通勤通学で多いはずだ。

高松塩江間は1日14往復の便がある。

朝夕のラッシュ時を除けば、一台のバスが

14往復しているのだ。

もし1日の乗降客数を正確に知りたければ14

往復に付き合い、28000円の運賃を支払えば

把握できる。

いや、ここまで付き合えば半額にまけて

くれるかもしれない。

が、私はそこまで暇ではない。

こう言うのをユーモアというのである。

塩江は温泉街である。

昼頃になれば温泉客がどっとやって来る

んじゃないですか。

7時47分に塩江に着いた。

193号線を東に向かう。

インターネットでよく見る赤松食堂の女将

らしき人がちらっと私を見たが、すぐに店に

消えて行った。

長年の経験で、この時間のお遍路さんが

塩江に泊まらないことを知っているのだろう。

同じく魚虎旅館も左手に見えた。

地図でのイメージとやや異なる。

もっと平地の多いところかと思ったが道沿

いに住宅が点在するくらいであった。

8時04分右折して橋を渡る。

道路警備員がいたので、大滝寺へ向かうに

はこの道でいいのかと尋ねる。

もう少し行くと讃岐温泉へ行く三叉路が

あるが左へ行けば後は道なりだと言う。

三叉路を左に行く。

この先で工事をやっているのだろう、

ダンプが頻繁に行き交う。

なので他の遍路車道のように、コーナー

ごとに右へ左へと通行帯を変える訳

にもいかなかった。

何もない、山道が続くだけである。

こんなにプログに書くことがない

山道も初めてである。

この山での主たる工事はダム建設である。

 

 

所々工事現場へ行く道はあるが、大滝寺

への道を間違うことはない。

さすがに山間部である。

寒くて橋を渡るまではジャンパーを着て

いたが脱いだ。

道は大滝寺までじわじわと上昇を続けるの

かと思ったが登ったり下ったりを繰り

返した。

折角登ったものを、下るなんて勿体ないと

思うのは私だけでしょうか。

わたしもそう思うと言う読者の声が聞こ

えて来そうである。

9時半頃、橋を渡る。

右にあった川が左になった。

最後の道路工事の箇所を過ぎると道幅も

急に狭くなった。

大きなヘビが死んでいた。

まだ車は走っているようだ。

やがてヘアピンカーブの連続で高度はグン

グン増していく。

車は全く走っていないが走れない道ではない。

平成24年3月まで穴吹塩江間を路線バスは

走っていたと地図には書いてあるのだ。

つまりそれが今私が歩いている道なのだ。

対向車が来るとヤバイが、それでもすり替

われる場所はいくらでもある。

私ならへっちゃらで走ってしまう道だ。

民家は殆どないが、殆どであって、たまに

ポツリとある。

畑で農作業をするおじさんと、軽トラに

乗った夫婦に会った。

軽トラのおじさんはペットボトルのリンゴ

ジュースをお接待に下さった。

私は奥さんに、この杖は88ヶ所を廻って来た

杖です、触るとご利益がありますよと触らせた。

旦那さんも俺もと言うので触って頂いた。

おじさんは歩いて来たのかと訊くので歩い

て来たと言うと、よう来たのうと言った。

早うせんと日が暮れるぞと言うので、別れ

を告げた。

皆さん、有難うね、心のオアシスになったよ。

この辺りで初めて他の山が見えた。

 

 

地図で言う六角堂の辺りで交通警備員に

あった。

彼は大滝寺は左の道だよと教えてくれた。

喉が渇いただろう、ペットボトルをあげるよ

とポカリスエットを下さった。

ふもとの警備員からお遍路さんが行くよ

と連絡を受けていたので用意していたとの

ことでした。

有難いことです。

お遍路をしているから、こんな親切が

受けられるのですね。

しばらく行くと夫婦が山の斜面で何かを

していた。

何をしているのですか、と問うとキノコを

採っているいるらしかった。

名は忘れたが、この辺りでしか採れない

キノコらしい。

道を進むと右から来る道と合流する。

キノコ夫婦に教えてもらった通り左に行く。

やがて徳島県という県境の看板がある。

右への大滝寺の案内もある。

 

大瀧寺ですね

 

そうか大滝寺はギリギリ徳島県の縄張り

にあるのだ。

確か雲辺寺もギリギリ徳島県だった。

何か徳島県って徳島くってる気がする。

突「5点」

右への道を下って行く。

地図によると10m下るらしい。

別格の二大難所の一つ大滝寺に着いた。

 

やっぱり大瀧寺ですね。

 

もう一つの難所出石寺よりこちらの方が私

には苦しく感じた。

いや、そんな事を言ったら罰が当たるな。

苦しさを楽しませてもらい有難うござ

いましただな。

納経を済ませ、納経所の前のベンチで

おにぎりを頬張る。

ちょうど12時だった。

日が暮れるぞと言うおじさんの声が耳に

こびりついているので下山を開始する。

疲れたが心地良い達成感が足を前に進める。

もう来ないと思う。

でももう一度来そうな気もする。

一度経験すると恐怖感も消えるから。

自販機すらない道をひたすら戻る。

下りだけに登りより少しは速い。

少しだけであるが。

麓近くで1人の女性に逢った。

杖を持つ私を見て、歩いて大滝寺まで行って

来たんですかと訊いた。

はいと言うと、凄いですねと言った。

15時20分落合橋に着く。

朝、道を教えてくれた警備員に会う。

ご苦労様と言った。

193号線を塩江バス停まで戻る。

15時40分であった。

抜かれることはあっても抜いたことのない

私の足で8時間弱である。

今後行かれる方は是非ご参考に。

16時05分発のバスは08分に発車した、

やはり乗っているのは私だけだった。

この辺りには企業も高校もないのだから

当然ではあるが、

途中で2、3人乗って来たがすぐに降りる人

ばかりだった。

反対方向のバスに逢った。

学生がたくさん乗っていた。

スマホばかりいじってる静かなバスだろうな。

私にうるさいと言われるほど、会話を楽しむ

高校生になって欲しい。

貧困なボキャブラリーでは世に出てから

苦労するぞ。

もっと会話をエンジョイしようぜ。

それが真の文化と言うものだろうが。

旅もあと1日となった。

今回は久々の9泊10日の長い旅となった。

しかし6泊7日の前回より疲れはない。

スタミナが強化されたのかな。

いやきっと、気候のせいでないかと思う。

やはり暑さはスタミナを奪う。

マラソンの札幌開催は正解だと思う。

御殿場、香川農協前、仏生山駅西口、栗林公園

、瓦町、紺屋町、兵庫町を経て17時20分高松駅

バスターミナルに着いた。

来る時覚えた、印象に残るバス停名である。

これもボケ防止策である。

福屋に戻り昨日同様寿司を買って一杯

やった。

これが最後の夜となるので打ち上げかな。

本日の歩行距離33,85km。

 

10月29日

5時40分にホテルを出る。

一泊素泊まり6800円のホテルである。

しかし高いだけあって5000円のホテルより

綺麗だし、幾分部屋も広い。

テレビは寝転ぶとちょうど見える天井あたり

に取り付けられている。

私はそんな角度でテレビを見たことがない

し、使ったこともない眼筋を使い、疲れそう

なので寝床に入るとすぐ切った。

高松駅に向かう。

雨は小降りだが降っている。

この旅2度目の雨だ。

10日間で2度だからやはり私は運がいい。

出て来る時は1週間で傘マーク4個だったが。

高松駅への道も2度歩くと、何となく

高松が好きになって来る。

福屋ホテルも、この道も愛着がわいて来る。

たった2000円程度の宿泊代の差額など

気にもならなくなる。

でも今度来る時は駅前にするだろう。

それは駅前の方が何かと便利だからである。

駅構内で琴平行きの乗車券並びに特急券を

購入する。

1400円であった。

6時04分発、「しまんと1号」に乗り5つ目の

停車駅で降りた。

コインロッカーにリュックを入れ、ついでに

88ヶ所の納経帳も置いて行く。

荷物は1グラムでも軽い方がいい。

昨日の大瀧寺と同じだ。

トイレに寄り、ポンチョを被り神野寺(かんのじ)

へスタート。

駅前の交差点を左に折れ、突き当たりの小学校の

所を左折し、交わる319号線を右に行く。

最初の信号を左に入り、押しボタンの信号を

通過し突き当たりを左に行く。

消防署の前を通り4号線と合流すれば、しばら

くは道なりに行けばよい。

狭い道だが、通勤車両は結構通る。

途中で放し飼いの犬にあった。

茶色の雑種で、四国では時々見かける。

犬は素通りして行った。

ガソリンスタンドの交差点に来た。

地図は右折して200号線に入れと語っている。

あとは2つ信号はあるが、真っ直ぐとある。

私は地図をカバンにしまった。

この辺りの道案内には満濃池とか満濃公園

と言うのはよく出て来るが、神野寺という

のは1個もない。

でも心配はいらない。

神野寺は満濃池のすぐ隣なのだから、満濃池

イコール神野寺と覚えておけばよい。

2つ目の信号を過ぎると上り坂が待っていた。

私にとっては大した坂ではない。

大坂なおみは凄いと思うが。

すみません、いらんことを言ってしまい

ました。

坂を登ると日本一大きな溜池、満濃池が

いらっしゃいをしていた。

 

 

そしてすぐ隣の神野寺がよう来たな

と迎えてくれた。

どうです、言ったとおりでしょ。

 

本堂をお参りする。

いつも言うが、私のお願い事は4つである。

親戚一同が大過なく暮らしていけること。

私には私を含め20人の親戚がいる。

今の所、大過はないので聞き入れられている。

池江璃花子さんの白血病が完治すること。

オリンピックなんかどうでもいいから

天命を全うして欲しい。

彼女は白血病のドナーを増やしたのだから

十分世の中のお役に立っている。

お遍路のために長く健康が維持できること。

勿論本人の節制の上での祈願ではあるが。

そして最後のお願いはヒ・ミ・ツ。

お大師様、4つのお願い聞いて 聞いて欲しいの。

突「あんなみみっちい賽銭で厚かましすぎる」

ハラホロヒレハレ。

上へ行く道を登って行くとお大師様の像が

あった。

雨だったので写真も撮れずお参りだけして

帰って来た。

納経をしてもらい、お金の貯まる開運小判

を三枚お土産に買った。

帰り道を急ぐ。

地図は見なくても琴平駅まで行ける。

それくらいわかり易い道である。

途中で、畑の中に佇む、放し飼いの犬を見

つけた。

三度、四度と遠吠えをした。

とても悲しそうな声に、私には聞こえた。

顔からして、あれは雌犬である。

私には犬と馬だけは顔を見れば性別が

わかる。

雌は優しい顔をしている。

産んだばかりの子供を取り上げられて

しまって悲しんでいるのかも知れないね。

潰れたうどん屋の前を通る。

うどん屋だからと言って総てが繁盛する

訳ではない。

やはり、味に、人生の浮沈がかかっているのだ。

ローソンでお金を卸す。

財布の中身では、帰りの電車賃とお土産代

にちと足りない。

10時30分、琴平駅に戻った。

当初の予定では海岸寺を打って帰るつもり

だったが、雨も降っているし、坂出で途中

下車して讃岐うどんも買いたいので断念

することにした。

別格をすべて終わらせると、もう今年は

お遍路に来なくなる可能性もある。

そういう意味もあって海岸寺は残した。

10時46分のサンポート南風リレー号に乗り、

坂出でお土産を買い、12時53分の「のぞみ」

に乗った。

坂出のホームにて

 

のぞみは一路名古屋へとひた走る。

 

総括といきましょうか。

宿泊代 60000円くらい。

以前と違い二食取ることが多くなった。

ペットボトル代 3000円に少し届かない。

涼しくなったとはいえ、炎天下を40kmも

歩くとこれくらい飲みます。

交通費 37000円の気がする。

四国でJRの特急を結構使いました。

納経料 7200円ジャスト。

賽銭 4億7235万1809円だと思うがな。

お土産代 3000円くらい。

遍路転がし 5回。

農祖峠で3回大寶寺の裏山で2回。

ジーパンが泥だらけになった。

特に岩の上の苔でよく滑った。

きっとコケタと言う言葉はここから来た

ものと思われる。

出逢った猫 8匹。

出逢った犬 7匹。

文珠院のミケちゃんも黒ちゃんもトーマス

みたいによく肥えていた。

触らせてもらえなかったのが心残りだ。

道に迷った回数 12回。

相変わらず迷子の達人である。

ブログを伝えた人 5人プラスα

今回メールアドレスを入れようとしたが

アドレスを忘れた。

道を尋ねた人15人

道を尋ねられた人2人

いずれも正しく答えられました。

道で轢かれていた動物 猫一匹、ヘビ三匹、

カラス一羽、トカゲ一匹、モグラ一匹。

使った公共交通機関

名古屋鉄道 JR東海道山陽新幹線 瀬戸大橋線

 予讃線 土讃線 予土線 瀬戸内バス 琴電

バス 宇和島自動車バス。

お参りした札所

須崎駅ー5番別格大善寺ー須崎駅ー窪川駅ー

宇和島駅ーターミナルホテルー務田バス停ー

宇和島駅前ー6番別格龍光院ー宇和島駅ー内子駅

ーふじや旅館ー農祖峠ー44番大寶寺45番岩屋寺

民宿和佐路ー46番浄瑠璃寺47番八坂寺9番別格

文珠院48番西林寺49番浄土寺50番繁多寺

51番石手寺52番大山寺53番円明寺ー菊間駅ー

今治駅ープラザホテルー今治駅ー壬生川駅ー11番別

格生木地蔵10番別格興隆寺61番香園寺62番

宝寿寺63番吉祥寺64番前神寺ー加茂川橋バス停

ー小松駅前ービジネス旅館小松ー小松駅前ー加茂川橋

12番別格延命寺ービジネスホテルマイルドー伊予

三島駅前ー平山バス停ー13番別格仙龍寺ー平山バス停

ー伊予三島駅前ー伊予三島駅ー鬼無駅ー19番別格香西寺

鬼無駅ー高松駅ーホテル福屋ー高松バスターミナル

ー塩江バス停ー20番別格大瀧寺ー塩江バス停ー高松

バスターミナルーホテル福屋ー高松駅ー琴平駅ー

17番別格神野寺ー琴平駅ー坂出駅ー岡山駅ー

名古屋駅ーバンブービレッジー我が家。

今回小銭入れを落とすアクシデントもありまし

たが、お大師様の愛に守られて大過なく巡礼

を終えることが出来ました。

毎日六時間の作業を10日間サボったので、山の

ような仕事が待ち受けております。

それらを含めてブログが終わったら年内にもう

一度、四国に出掛ける予定です。

そして来年に向けて、文字通りリーチをかけたい

と思います。

乞うご期待。

最後に全歩行距離324,59km。

じゃあね!