結願編その2

6月10日

5時30分に目を覚ます。

私としては遅い目覚めだ。

旅支度をして6時にホテルを出る。

ホテルの横の歩道を南に進む。

左手にJR栗林駅が見えるが、今日はお呼びでない

ので通り過ぎる。

400mほど行った所の信号を右に曲がると30m

で琴電栗林公園駅に出会える。

ちっちゃな駅ではあるが、乗降客はかなり多そうだ。

窓口へ行って私は「1日乗車券を下さい」と言った。

この鉄道会社を頻繁に使うのであれば、これは

非常に便利なチケットである。

名古屋でも地下鉄や市バスに1日乗車券はある。

「1230円になります」と駅長さんは言った。

一人しかいないのであるから駅長さんでしょう。

昔、理科の授業でつばめは「益鳥」すずめは「害鳥」

と習った。

私は猫の次に好きな動物さんがすずめなのである。

あんな小さな体で、誰の援助も受けることもなく、

自力で生きている。

寒い冬でも、電線に止まり、ぷっくらすずめをしながら

頑張っている。

私から見れば、みんな食べてしまいたいほど可愛いすずめ

だけど、中には髭ぼうぼうの怖いおっちゃんすずめも

いるのでしょうね。

「わいは、おっちゃんやでー」

とかなんとか言いながら。

朝は電気に声高く鳴いて、私を起こしてくれる。

こんなすずめのどこが害鳥だと言うのかえ。

突「電気ってなんですか」

あっ、失礼、元気の誤りでした。

つばめは害虫を喰ってくれるから益鳥、すずめは

米を喰うから害鳥だなんて、あまりにも身勝手で

自己本位的なお百姓さんの評価じゃないですか。

一体、収穫期にすずめがいかほど米を食べると

いうのですか。

せいぜい一反あたり一升くらいのもんでしょう。

けちけちしなさんな。

人間はすずめを食べるけど、すずめは人間を食べません。

すずめから見れば日本人こそ害人(がいじん)じゃないですか。

人によって害鳥、益鳥は違うのだから、勝手に

価値観を押し付けるな、教科書で。

 

話が横道にそれてしまいました。

本道に戻すには、さっちゃん、どうすれば

よかったですかね。

。で書科教、なるけ付・・・・業授の科理、昔

 

次の電車は6時38分、08分のが、今しがた出たばかり

なので少し時間がある。

コインロッカーにリュックを預ける。

姉に、公衆電話で四国へ旅立ったことを告げ、

花の水やりと猫の餌やりをお願いする。

琴電、何となく雰囲気は名鉄電車に似ている。。

6時台3本、7時台4本、8時台6本、9時台5本の

便があると言えば凡その見当が読者にも、つくであろう。

名鉄よりかなり規模は小さいが。

一宮(いちのみや)に6時52分に着く。

出口は南側である。

いつものように一宮寺への道を駅員に尋ねる。

先に降りて行った女の子たちが高松南高の生徒さん

だから後について行けばいいですよと言った。

一宮寺は南高のすぐ近くだからわかります、と駅員

は説明不足分を付け足した。

駅前の通りを左に100mほど行き、突き当たりの道路を

左に曲がり踏切を超えて300mほど行くと四辻がある。

それを右に曲がり200mほど行くと、左手に一宮寺、

の石の道標があり、そこを250mほど行くと左手に

83番札所一宮寺はあった。

結構入り組んだ場所にあるが、私の指示通りに

進めば、賢明な君なら簡単に辿り着けるはずだ。

突「誰に言ってるのですか」

猫「徳島のバス停であった一人遍路さん」

納経を済ませ石の道標に戻るまでに3人の地元の人に会った。

「おはよう」と挨拶をした。

2人は挨拶を返してくれたが、1人には無視された。

やっぱり四国でも、無愛想な人はいるんだ。

ま、無愛想な人が必ずしも悪い人とは限らないので

気にもならないが。

踏切付近まで帰った所で高松築港行きの電車が出た。

車内を見るとかなり満員だった。

瓦町まで16分、立ったまま行かなければならない

のかと私は覚悟を決めた。

駅に戻り1日乗車券を見せ、ホームに上がる。

 

 

しばらくすると四輌編成の「回送電車」がやって来た。

回送電車にも係らずドアが開くと、人々はどやどやと

乗り込んだ。

その時私は琴平行きのホームにいることに気付いた。

私は急いで向かいの高松築港行きのホームに移った。

「まもなく高松築港行きの電車がまいります」

駅のホームにアナウンスが流れた。

私は隣に座っている女子高生に次の電車混みますかと訊いた。

彼女は混みますと言った。

私は憂鬱な気分になった。

しかしその直後、彼女から朗報が届いた。

向かい側の電車、高松行きなんですが、あれなら

すいてますよと。

やっぱり訊いてみるもんですね。

私は再びホームを移動した、落ち着きのない男だ。

37分の混んだ電車の、5分後に私の乗った電車は発車した。

裏は回送だったが、表は高松築港の行先明示だった。

初めての人間なんだから間違えてもしょうがないよね。

目の前に女子高生が二人座った。

ミッキーマウスの白い手提げかばんを膝に、アディダスの

リュックを足元に置いた子と、古典文法の本を手に

持った子だった。

健康で、元気はつらつで、勉強も大好きそうな

女の子たちであった。

2人は盛んに勉強の話をしていた。

高松あたりの進学校の生徒さんではないかと思われる。

2人を見ているうちに私も、もりもりと元気が出て来た。

しかし高松が近づくにつれて、電車は混みだし太田の

辺りではもう女の子たちは立ち乗客で見えなくなった。

五回のお遍路の、あらゆる公共交通機関の中では最高

の混み具合であった。

私はだんだんと自律神経の調子が悪くなり、唾の飲み込み

難い状態となった。

あまりいい調子ではない。

状況が変わると私の体調も激変する。

私の持病とはこのようなものである。

8時00分瓦町駅についた。

瓦町駅とは、琴平線、長尾線、志度線のすべてを繋ぐ

中継の駅である。

私が次に乗る線は志度線である。

しかし駅のアナウンスを聞いていると、志度線というのは

私の目に見えないところにあるように感じた。

こちらのホームでもない、あちらのホームでもない。

4番線ホームとはどこだ。

近くにいたサラリーマン風の若い男性に訊いた。

階段を上がり、動く歩道を真っ直ぐ行き、さらに右に

曲がって、動く歩道に再び乗り階段を降りると

志度線のホームですと教えてくれた。

やっぱり百聞は一見に如かず、勉強になります。

8時06分の電車に乗る。

6分の余裕があったから間に合ったが、3分だったら

乗り遅れていたであろう。

8時21分、屋島のふもと琴電屋島駅に着いた。

 

 

屋島山上へのシャトルバス乗り場は目の前にあった。

8時45分の発である。

と言うことは、瓦町を次でも(16分)、次の次(26分)

の便でも間に合うってことです。

なんだあたふたすることはなかった。

ここらあたり、琴電の事前調査不足ってとこですね。

8時45分のバスはやって来た。

予想通り、乗客は一人もいなかった。

私は一番前の席に座った。

山上まで歩くとどれくらいかかりますか、と質問

したところ1時間だと言う。

バスではと訊くと10分だと言う。

10分でお参りして納経を済ますことは可能でしょうか、

との質問に、最終便では、そういうお遍路さんはよく

いますねと言う。

なぜ私がそのような質問をするのかと言うと、この

シャトルバスは毎時間45分発で山上55分着、10分後の

05分山上発なのである。

つまり10分でお参りを済ませれば、駅と山上の往復を

30分で済ますことが出来るかも知れないと言う、

お遍路さんにあるまじき魂胆が そこにあるのだ。

何のためのお遍路だか、わからなくなってくる。

納経所でも大抵の所は、お参りをしてから来て

下さいという貼り紙がしてある。

運転手さんは「でも、この8時台のバスだけは8時57分に

とんぼ返りをしますよ」と言った。

私は、その一言で諦めがついた。

バスは山上駅に着いた。

広い駐車場のほんの一部分に車がとまっている。

バスはお土産物屋の前でとまった。

白人の女性が二人ベンチに腰掛けていた。

凄くごつくて、大柄でとても女とは思えない。

剃らなければ、髭がぼうぼうと生えていて、わいは

おっちゃんやで~と言いそうな感じ。

先程のギャグをもう一度ギャグってみました。

おっちゃんたちは私のバスに乗って行きました。

この次のバスは・・・当然10時05分発ですよね。

ゆっくりと境内を廻って来たが、それでもバス停に

戻って来たのが、9時20分だった。

ひまだから、お土産物屋でも入ろうかと思ったが、

客は一人もいなくて、入るのをためらった。

こういう店に入ると、店員が寄って来て、ああだこうだ

とうるさい、おまけに買いたくもないものを買わされる

のが落ちだから。

隣が休憩所であった。

テーブルや椅子が一杯あるところからして、以前は

レストランかなにかではなかったかと思う。

結局誰も入らないからつぶれてしまったのだろう。

どうぞご自由にお使い下さいの貼り紙がしてあった。

切ないのう。

自販機でジュースを買い、バス停のベンチに戻る。

ここには札所の他に、水族館がある。

山上に水族館とは、奇異な感じもするが、屋島で

ある、麓は海である。

が、昨日のうどん屋の件もあり見学はしなかった。

次のバスに乗り遅れると、恐らく今日中の結願は

難しくなりそうである。

ジュースを飲みながら駐車場をみつめる。

パラパラではあるが、絶え間なく車お遍路の人は

やって来る。

こうして見てると、やはり圧倒的に車遍路の人が

多いのがわかる。

次に多いのが歩き遍路、私のようなバス電車歩き

併用の遍路は皆無に近い。

車遍路の人は私服でやって来る。

そして駐車場で白衣に着替え、菅笠をかぶり、金剛杖

をついて、いざ札所へと向かう。

私には彼らの気持ちがよくわからない。

ま、正装して札所に向かおうという神聖な

気構えの発露なんでしょうね。

来ては帰るお遍路さんたちを見ているうちにバスは

やって来た。

帰りも、やはり私一人だった。

観光バスが2台やって来た。

ドアが開き、幼稚園児がぞろぞろと降りて来た。

とても可愛い園児たちを尻目にバスは屋島を下った。

おそらく水族館を見に来たんだろう。

水槽を見てはしゃぐ幼稚園児の姿が目に浮かぶ。

楽しんできてね。

10時21分屋島を出て25分八栗(やくり)に着く。

駅前の細い道を右に行き、通りを左に折れ、スーパー

の前を通って最初の信号を右に曲がればあとは

ケーブル乗り場まで道なりである。

空は昨日とうって変わって雲一つない。

ぎらぎらの炎天下である。

にもかかわらず、私は乗り場への道を急いだ。

途中にうどんの山田屋があった。

乗り場近くに高柳という旅館もあった。

近所の廃屋も買い上げ、別館にしているみたい。

ま、頭に入れておいて損はないか、今後のためにも。

乗り場に47分に着いた。

ケーブルは2分前に出たところらしい。

次は11時発、1時間に4本の便である。

どうやら私はこの4を、4分おきに出ていると勘違い

していたみたいである。

ケーブルカーはかなりきつい勾配を登って行った。

車なら仰向けに倒れ、そのまま転げ落ちて行き

そうな坂である。

人間でも、10m歩いては小休止しなければなら

ないほどの急坂か。

団体さんが、通り道を塞いで般若心経を唱えている。

ガイドさんが通り道を開けて下さいと叫んでいる。

私は本堂、太子堂、納経所と急ぐ。

急いだが、しかし11時15分のケーブルには間に

合わなかった。

喉が渇いたのでバニラ最中のアイスクリームを食べる。

団体さんがどやどやと待合室へやって来た。

「ごめんなさいね」と言いながら、とどのような女性が

私の前に立ちエアコンの風を遮った。

きみまろさんや泉ピン子さんのライブに来てい

そうな女性だ。

11時30分のケーブルに乗る。

途中にすり替わる場所が設けられていてどちらか

が待っている。

乗り場を出ると11時37分であった。

予想以上に時間を使ってしまった。

太龍寺、雲辺寺、八栗寺とロープウェイやケーブルカー

のあるところは1時間に何本あるか、そしてその時刻

はどうなっているのかきちっと調べてから臨まなければ

えらい目に遭うことを痛切に感じた。

現に行きも帰りも13分、合計26分も無駄に

してしまった。

ここで私は昨日もし12時39分の電車に間に合っていた

なら果たして計画通り八栗寺まで廻れたのかどうか

調べてみた。

15時36分志度駅着、八栗寺に間に合わせるならば15時

59分発に乗らなければならない。

一度来て道を知ってる人間ならば十分可能な23分間だ。

しかし初めての人なら当然歩む速度も遅いし、道を

尋ねる時間も考慮に入れれば骨折り損のくたびれ儲け

に終わる公算が大である。

やはりあの乗り遅れはお大師様の、たまにはうどんでも

食べなさいという配慮であったのだ。

自分の都合のよいように考える、これが仏の教えなのである。

11時54分八栗駅到着、17分だからガイドブックの23分

より6分も早く着いたわけだ。

しかし、後で調べてわかったことだが敢えて11時56分発の

瓦町行きに乗る必要はなかったのである。

12時05分あるいは25分の志度行きに乗れば、さぬき市

コミュニティバス志度発12時46分の便で長尾寺のすぐ近く

の大川バス本社に13時08分に着く。

そのバスが26分留まるのであるから長尾寺のお参りには

おつりが帰って来る。

そしてそのバスに再び乗れば14時09分大窪寺前に着く。

200円で志度から大窪寺ですぞ。

ひょっとしたら本社で降りる時200円を支払わなければ

ならないかも知れないが。

ここで私が言いたいポイントは高松から志度までのJRの

普通は極めて本数が少ない。

故に83から88までの札所は並走する琴電と

コミュニティバスを使った方が賢明である。

ちなみに屋島シャトルバスもコミュニティバスで

料金は100円である。

徳島で出会った一人お遍路さん聞いてますか。

 

12時15分瓦町着、33分発に乗って、13時00分

長尾着。

駅を出て、最初の交差点を左に曲がり300mほどで

長尾寺はあった。

琴電の駅があるくらいだから、そんなに田舎ではない。

お参りを済ませ、納経所で、小銭入れの中の300円

を探す。

残った小銭はわずかばかり。

高知でのスカイライン入り口バス停の記憶が甦って来た。

私は札入れの中身も確認した。

万札と五千円札しかなかった。

この辺りにコンビニはありませんかと尋ねる。

随分遠い所にあると言う。

私は恥を忍んで五千円札の両替をお願いした。

納経所の人は快く応じてくれた。

四千円と百円10枚にしますかと言われたが、

両替機があるから全部札でいいですよと言った。

お礼を言い大川バス本社へと向かった。

バスは当然前述した志度発のやつで、13時09分に

ここに着いて私を待ち、この後大窪寺まで乗せてって

くれるはずである。

イスラミックステートのバスジャックに遭わない限りは。

大川バスの社員さんがバスはあそこに来てますよと

教えてくれた。

乗ってみると地元のおばあさんが4人乗っていた。

どこから来たとか、料金が200円だとか、大窪寺の

バス停は寺のすぐ前だとか、朝は猪や猿がよく出る

だとか、ついでにお接待の菓子までくれた。

やさしいおばあちゃんたちだった。

昔の女の子はきびしく躾けられているから優しい。

団塊の世代あたりから、よく言えば解放的、

悪く言えばほったらかしに育てられているから

行儀が悪くなった。

ここらあたりもお遍路をしていて垣間見ること

が出来る。

出発間際、運転手さんが乗って来た。

私は両替機で千円札を両替しようとしたが、

壊れていた。

仕方なく運転手さんに両替をしてもらった。

こんなことなら納経所で、両替してもらっとけば

よかったですねと言いながら。

バスは御多聞にもれず、コミュニティバス特有の

動きをした。

目的地とは違う方向に行ったり、細い路地に入ったり

と、私にとっては無駄な動きをしつつ大窪寺に

近づいて行った。

同じバス停でおばあちゃんたち4人は降りて行った。

私は手を振った。

おばあちゃんたちも手を振った。

一期一会だ。

途中から道路は急坂のワインディングロードに変わった。

日本語で言うと道路、英語で言うとロードである。

しかも結構長く続く急坂である。

途中で歩き遍路の人を数人見た。

さぞ、きついことであろうと思う。

が木陰が所々あるのが救いか。

14時10分とうとう結願寺の大窪寺に着いた。

 

 

何故かさほどの感動も達成感もない。

まずは山門に一礼をして入る。

続いて太子堂を拝む。

原爆の火があったが、私はこちらの方が感動した。

続いて本堂をお参りした。

お大師様、最後まで私をお守りくださいまして

有難うございます。

お蔭さまで大願成就できました。

また秋には再びこの地を訪れますので、どうか

私が健康を維持できますように。

と、人知れず、私はけなげな希望を心の中で述べた。

突「みんな知ってます」

私はさわやかな気分で山門を後にした。

食堂の前に観光バスが停まっていた。

確か八栗寺に停まっていたバスと同じだ。

大阪の厚かましいおばさん集団だ。

店に入って「うどんはたべられますかね」と

訊くと「すいません、今日はうどんを作る人が

休んでいるので出来ません」と言う。

でも、お茶ならありますからどうぞと言うので

お茶だけ飲んで出て来た。

まだ他にも食堂はいくつかあった。

わたしはドアの開放してある大きな食堂に入った。

こういう食堂が一番入りやすい。

店主も仲々、頭のいい奴だと思う。

時刻は14時30分、次のバスは15時51分、いくら

何でも1時間も待たせるうどん屋はないだろうと、

なめこうどんを頼んだ。

結願の安堵感も後押ししてくれたのは言うまでもない。

うどんは5分で運ばれてきた。

やはり詫間のうどん屋が異常だったのだ。

なにも私は詫間のうどん屋を営業妨害してやろうと

いう気はない。

ただ事実をありのままに伝えているだけである。

読者で行く人がいたら、そのことを踏まえて行けば

いいのではないか。

うどんにはなめこが入っていた。当たり前だ。

もし、もやしが入っていたのなら、うどんの

ほとんどを平らげた後、これは私の頼んだもの

とは違うと言ってタダでもう一杯なめこうどん

を要求するであろう。

山芋の擦ったのも入っていた。

素うどんでも構わなかったが、めでたいので奢った。

食事の後、屋根付きの休憩所へ行った。

お遍路さんが集まっていた。

来る時バスの中は私一人であった。

するとここにいる人たちはみんな歩き遍路さん

であろう。

お遍路は終わった、後はバスに乗って帰るだけだ。

という訳で、みんなバス停に集まっている。

屋島在住の森田さんだったか、森永さんだったかと

知り合いになった。

彼は初めての歩き遍路による結願だと言う。

今まで10回ほど車で遍路をしたが、飽きてしまった

ため歩き遍路にに切り替えたとか。

彼の遍路のやり方はお金のない時は近場を廻り、

年金をもらった直後の懐が温かい時は遠くを目指す

のだそうな。

私と一緒で乱れ打ちと言うやつですな。

それでいくらかかりましたと訊いたら95万円かかった

と言ってました。

隣にいたベテラン風のお遍路さんはそれはかかり過ぎ

だと言う。

ま、40万くらいで済ませるのが妥当なところだろうな

と言う。

こういうお遍路談義になると必ずこういうベテランさんが

先輩風を吹かしてこういう。

私はベテランになっても、こういう人にだけは

なりたくないと思う。

で、なんでそんなにお金がいるのかと探っていくと、

札所間の距離が長い所、かつ宿もないような所では

夕方近くまで歩くと、バスに乗りゆうべ泊まったホテル

に戻って連泊するのだそうだ。

そして翌日またバスに乗って昨日歩いたところまで

行き、再び歩き続けるのだそうだ。

だから長い所になると3連泊のホテルも出て来るそうだ。

そりゃ金もかかるし、時間もかかる。

現実に彼は龍光寺と観自在寺の間で、宇和島のホテル

に3連泊したそうな。

そしてその時何往復かしたそのバスが自分ひとりしか

乗っていなかったと言った。

この辺り私もテントさんと二人っきりだったので

よく理解できた。

と言うか、ローカルバスの存続に危機感を持った。

ま、こんなお遍路だから95万円もかかるのは無理も

ないと思う。

結局彼はお遍路を観光と考えている部分がかなり

大きい人だと思った。

いかにして節約して廻ろうかなどと言う気は

毛ほども感じられません。

レクリエーションとして人生をエンジョイしているのです。

私は彼のお遍路を決して否定はしません。

人生は大いに楽しめばいいのです。

人生は一度でも多く笑った方がいいに決まってます。

45番札所の近くの宿に泊まった時は豪華な食事が

出たとか、どこどこの宿坊の刺身は抜群に美味かったとか

そんな話もよく出ましたもの。

歩き遍路というから一筆書きの旅かと思ったが、こんな

お遍路もあるのだなと初めて知りました。

いやー、人生は死ぬまで勉強ですね。

バスが来た。

来た時私一人だったバスは8人ほど乗った。

私以外歩き遍路の人であることを如実に物語っている。

少しうしろめたい気もする。

来た道を引き返す。

森田さんにこの坂はきつくなかったかと訊いた。

彼はかなりきつかったと答えた。

きつくて、長尾寺から10数キロだが、やはりバスに乗って

宿に戻ったと言った。

読者に私の言ってる意味は伝わっているのだろうか。

歩いているうちに夕暮れが来た。近くに宿らしきものはない。

このまま野宿をすれば猪や熊に襲われるかも知れない。

だから今日はこのA地点でお遍路は終わり、街のホテルに

バスで戻ろう。そしてまた明日バスに乗ってここまで来て

A地点からお遍路を続けようということです。

私は毎日散歩をする。

すると散歩コースまで車で来て、散歩が終わるとまた

車で帰る人をよく見かける。

あれに似てなくもない。

16時27分バスは5分遅れて大川バス本社に着いた。

私と森田さんはここで降り、他は志度駅に向かった。

長尾発16時27分の電車はとうに出た後だった。

もう結願したので一本遅れても何とも思わない。

森田さんは私に納経帳を見せてくれと言った。

そして、まだ高野山が残っているな、帰りに高野山へ

寄って行った方がいいと言った。

私はまだ行く所があるので、この秋にしますと言った。

すると森田さんは帰りに寄らない人は5年間は高野山に

行かないな、と断言した。

森田さんはこれはお接待だと言って、リュックから

残り物の森永6Pチーズを出して私にくれた。

彼とのお別れが迫っているのがわかる。

もっと納経時間が長くなって、コンビニみたいに

24時間になれば早く済むのになあ、と私は言った。

そんなことはしないよ、と森田さんは言った。

なぜと私は訊いた。

ある消息筋によると、お遍路のお寺はどこも年間

7000万円もの収入があるのだそうだ

今年は逆打ちの年だから、大窪寺なんかお遍路

グッズの売り上げなんかもあって1億5000万円もの

経済効果があったと森田さんは言った。

ふーん、それじゃ10時間の営業時間で充分ですね

と私は言った。

私はよく道を間違えるのですよと言うと、どんな地図

を持っているのかと訊く、いつものるるぶから

ちぎった地図を見せると、鼻で笑われた。

一番札所のグッズ販売所に黄色い表紙の地図帳がある。

札所の中でもここにしかない地図だがこれがよくわかる。

とアドバイスを頂いた。

森田さんは元山で降りた。

「奥さんが迎えに来るのですか」

と訊くと

「いや、あとは屋島まで歩く」

と答えた。

「達者でな」

と森田さんは言った。

「あなたも元気で生きてって下さい」

と私は言った。

17時33分瓦町に着き、17時53分栗林公園駅に着いた。

人生で忘れられない長い1日であった。