6月18日
朝4時半、目覚ましより早く目覚める。
何の役にも立ってない目覚まし時計である。
と言ってはいけない。
でもなかったらとても不安である。
このように、世の中には役に立ってないように
見えても必要なものはいくらでもある。
そう、会社におけるあなたのように。
突「いらん事言うな」
だからあなたは自信を持って生きて行けば
いいのだ。
朝から深い話をしてしまった。
昨夜来の雨はまだ続いていた。
ヤマザキのデニッシュブレッドマイルドくるみ
を食べて出発する。
最近は健康のために甘い物は一切口にしなく
なった。
玄関を開けると猫ちゃん達が一杯いた。
帰って来るまでに腐ってしまいそうなので、
冷蔵庫の鶏肉を豪勢に振舞った。
傘をさして駅に向かう。
実はリュックの中にはポンチョの他にも
折りたたみの傘は入っているが、濡れた傘を
持って電車に乗るのは嫌なので、普段使って
いる傘を使った。
駅に着き、片隅に傘を置いて切符を買った。
帰って来るまでに傘がなくなっているかも
知れないが、どうってことはない。
もう7年も使って元はとってある。
ホームへ上がって行くと4人の人がいた。
その内の一人が私に向かって手を振った。
ぬわんと、それは同級生のK君だった。
K君は今から勤め先に向かうのだと言う。
K君は昨秋家を新築したので、ローンの
返済で働かなくてはならないのだと言う。
以前住んでいた家は近所の人とのトラブルが
絶えず、やむなく数十メートル移動して家を
新築したのだそうな。
彼もお遍路に過去2度ほど行ったのだが、
2度とも途中で、家族、親戚の訃報を聞き
続行を断念したのだそうだ。
彼は小学生の頃、当時で言う百貫デブ、やや
時代が過ぎて肥満児、今で言うメタボちゃん
であった。
そんな彼と私は明けても暮れても相撲を
取っていた。
私が30kg、彼は2倍の60kgであった。
それでも十番取れば一番は勝っていた。
それは私の自慢であった。
しかしつい最近の同窓会で彼は、時々わざと
負けてあげていたのだと述懐した。
でも彼との猛稽古のお蔭で、年に一度行われる相撲
大会では常に優秀な成績を納め、豪華な賞品
をゲットしていた。
ちなみに彼とは住む地域が違ったので、彼の
参加はなかった。
強いものを相手にしなければ強くなれない。
私は彼との相撲からそれを悟った。
5時39分の電車がやって来た。
私たちは屋根のあるホームから乗り、列車の
一番前まで歩いた。
通(つう)の彼によればここが一番空いているのだ
そうな。
知立から5時57分の特急に乗る。
これも一番前が空いているのだそうな。
しかし空いた席は一つしかなかった。
彼は長い旅をするのだからと私に席を
薦めてくれた。
子供の頃から気は優しくて力持ちだった
からな彼は。
彼はこの先、金山で乗り換えて上小田井
まで行き、そこから更にバスに乗って職場に
向かうと言った。
明日の朝までの24時間勤務で3日に1日の
出勤だと言った。
やがて金山に着いた。
「それじゃ、気を付けて行っといで」
K君はそう言うと、反対ホームで待つ普通列車
「鵜沼行き」に呑み込まれて行った。
お遍路の経験のある同級生に、結願の旅を
見送られるのも何かの因縁であろう。
いつものように切符を買いホームに上がると
6時半であった。
目の前には「ひかり491号」が停まっている。
これに乗ると目的地伊予三島に9時53分に着い
てしまう。
11時のバスまで1時間以上の待ちが出来る。
岡山発9時25分の「しおかぜ5号」に乗ると
伊予三島に10時43分に着く。
そう思って「しおかぜ5号」に間に合う列車は
と時刻表を見ると4本あった。
が、「のぞみ97号」以外は名古屋が始発では
ない。
確実に座れる97号を私が選択したのは言うま
でもない。
30分の待ち時間の後、97号は始動した。
岐阜羽島を過ぎ、米原を過ぎ、京都に着いた。
雨は米原辺りで上がっていた。
そして97号は、at shinosaka station に
make a brief stop した。
次の瞬間、97号は車内照明が消え、横転するの
ではないかと思うほど激しく揺れた。
今まで体験をしたことがないほどの激烈な an
earthquakeであった。
すわ、南海トラフ地震かと一瞬怯えたが比較的
短い時間で終わったので大丈夫だと思った。
スマホを持たない自分には何の情報も入って
来ない。
周囲にいた人たちは、震源地は大阪北部、震度6
弱だと叫んでいた。
ほぼ、この真下で起きた地震だと思っておけば
間違いない。
やがて駅員のアナウンスが聞こえて来た。
余震の恐れがあるので列車から荷物も持って
コンコースへ降りて下さいと。
私も指示に従った。
尋常な揺れではなかった。
よく震度2くらいでも新幹線は運転を見合わせる。
あの揺れなら良くて半日、ヘタをすれば今夜は
新大阪駅で夜を明かさなければならない
だろう。
私は覚悟を決めた。
なにせ、すべての鉄道が運転を見合わせている
のだから身動きがとれない。
しかし新大阪駅での遭遇は、震源地ではあるが
ある意味恵まれていた。
駅構内は涼しいし、飲み物も食べ物もある。
線路上に停まった列車の乗客は、冷房は効
かない、トイレは使えないで、地獄であるの
だから。
そういう意味で、やはり私はお大師様に守ら
れていると思った。
NHKのインタビュアーがやって来たら、
「これが本当のご利エキなんちゃって」と
一発かましてやろうとイメージトレーニング
を積み重ねたが徒労に終わった。
突「アホか君は、そんなもの採用される
訳がないだろ」
構内は人がどんどん増えて来るかと思っ
たがそんなことはなかった。
全線見合わせだから誰も来ない。
ここから乗ろうとした人たちも払い戻し
を受けて帰って行く。
私は今日の宿「岡田屋」へキャンセルの
電話を入れた。
ご主人は快く了承してくれた。
そして14時09分運転は再開された。
やはり日本人は事故に対し迅速に行動
する素晴らしい人種だと思った。
中華人民共和国だったら1週間はかかる
だろう。
いやひょっとしたら乗客もろとも地中に
埋めてしまうかも知れないな。
「のぞみ」は8、9、10号車以外は自由席と
なった。
そして試運転なので新神戸までは時速60km
で運行された。
名鉄三河線よりものろい速度だ。
そして「のぞみ」は岡山まで各駅停車と、何
から何まで異例尽くしだった。
鉄道マニアにとっては嬉しい措置ですよね。
こうして15時50分岡山着、しおかぜ19号で
伊予三島駅に着いたのは17時55分だった。
早速宿を捜す。
この前泊まった「つるや」はどうにも気乗り
がせず、リブマックスに電話する。
交渉がまとまりかけたところで、料金を
訊くと素泊まりで7500円と言う。
サヨウナラと言って電話を切った。
次にビジネスホテルマイルドに電話する。
素泊まりで4320円だと言うので決定。
複雑な道で、迷いに迷って19時ホテル到着。
買って来たビールをグビグビとやる。
本日の歩行距離8,95km
6月19日
朝4時半に起きる。
昨日の遅れを挽回すべく、5時に雲辺寺に
向けてスタートする。
実はこのホテル、お遍路さんにはおにぎりが
サービスされるということなのだが、6時出発
という条件がついていた。
おにぎりは魅力的だが、初めての雲辺寺登山
で目途が立たない状態なので涙を飲んで出発した。
ホテルを出て海辺ではない方向へ進む。
交差するやや広い道を左に曲がり突き当たりを
右に進むと国道11号線に出る。
そのまま左に進路を取る。
色んな道はあるが浮気はせずにただひたすら
11号線を進む。
スーパーホテル四国中央が見えてくる。
出来れば雲辺寺に近いこのホテルに泊まり
たかったのだが時間的に無理だった。
2,5kmほど進むと右へ行く国道192号線が
スタートする。
当然それに乗り換え、南東へと進路を取る。
1kmも行くと一野屋旅館があった。
三角寺までは行けても、岡田屋までは無理
だという時に利用出来る旅館だ。
松山自動車道を過ぎるとコンビニがあった。
地図によると雲辺寺までの、これが最後のコン
ビニである。
私はサンドイッチとおにぎりを買った。
雨は降りそうだがまだ降っていなかった。
時々バス停を見かける。
朝飯のおにぎりを食べながら時刻表を見る
と1日一本である。
つまり朝、伊予三島駅に向けて走り、夕方
逆方向への帰宅便が走る。
時間的に、我々お遍路さんが利用できる
バスではない。
当初、私は三角寺からのスタートを考えていた。
正式なへんろ道を頭に叩き込んでおきた
かったからだ。
しかし朝一番の三角寺口へのバスが7時40分
なのでこのコースを採った。
一応、三角寺から三島駅、三島駅から雲辺寺
だから歩き遍路は成立しているんですよね。
インチキはしてませんよね。
しかし私は、まだこの先どのコースを通って
雲辺寺を征服するかは決めてなかった。
地図によると3つのコースが示されている。
その1は、草木繁茂の部分あり、とあるのでパス。
その2、坂道はきついが距離の短い佐野登山道。
その3、距離は長いがゆるやかな坂道の境目峠道。
この時点で七対三で境目峠が優勢であった。
やがてバスの終点地七田辺りで雨が降って来た。
私の心は佐野登山道へと大きく傾いて行った。
佐野よいよいなんちゃったりして。
経験上、境目峠は道に迷いそうな気がした。
佐野登山道はきつい、1,8kmに対して400m
も登るのだから、経験したこともないほどの
坂道であるのは想像に難くない。
でも雨が降って来た、早く頂上へ着きたい。
さらに、可能なら今日中に太興寺に着きたい。
私は境目トンネルへと進んだ。
誤解しないで下さいよ、境目峠は境目トン
ネルの上にあるんですからね。
トンネルの入り口に公衆電話があった。
私は今日の宿泊希望の「青空屋」に電話をした。
主人は今どこにいるのかと訊いた。
私は境目トンネル入り口の公衆電話にいると
答えた。
すると主人は、近過ぎます、うちへ凄く早く
着いてしまいますよ、暇を持て余しますよ
と忠告をくれた。
まったく開いた口が塞がらないような馬鹿だ。
親の顔が見てみたくなる。
が、折角の忠告なので申し込みを取り消した。
読者の中にどんな馬鹿か興味のある方がいらっ
しゃいましたら是非泊まってやって下さいまし。
境目トンネルを進む。
雨の日のトンネルはフードが脱げるので
快適だ。
こんなものがあった日にゃ、首が廻らねぇ。
9時30分、キャンセルをした岡田屋が見え
て来た。
しかし寄らなかった。
寄ってどうしようと言うのだ。
信号を左に折れ、へんろ道に入る。
地図では民家は全くない雰囲気だが、ポツ
ポツとある。
やがてへんろ道は左に曲がり徳島自動車道の
下をくぐり本格的な山道へと入って行った。
傾斜はきついが岩がゴロゴロした、歩き難い
道ということはなかった。
素直に書けば歩きやすい道であった。
雨も降ってることだし、無理をすることはない。
私は、歩いては休み、を繰り返して歩を進めた。
所々に大きなカエルがいた。
トノサマガエルの亜種で、雲辺寺ガエルとでも
言っておきましょうか。
長く、きつい坂を登り続け、やっと車道に出た
のは11時20分であった。
雲辺寺まで2,8kmとある。
今までで3番目にきつい坂であった。
1番目は焼山寺の最後の坂、2番目は焼山寺を
降りてからのへんろ道の坂、そしてここである。
アスファルトの道を雲辺寺を目指して歩く。
あと250mほど登らなければならないのだから
結構きつい。
車には一台もあわなかった。
それにしても、この道路、なぜ存在するのだろう。
ロープウェイが出来る前からあったのだから
、出来る前には利用する車遍路の人は多く
いたのだろう。
しかし行政が、税収ゼロの札所のために作った
とは考えにくい。
そんな事を考えながら黙々と歩くと、答えが
見えて来た。
多くの木が伐採されている所に出くわした。
木材運搬道路なのだろう。
木の枝にこんなものが掛けられていた。
単純な私は元気づけられる。
やがて二股の道が待っていた。
左に曲がるとすぐに右に入るへんろ道が
用意されていた。
素直に従い、しばらく登り、再び車道
と合流する。
12時20分、ついに標高910mの雲辺寺に
到着した。
雨の降りしきる中お参りを済ませ納経所
へ寄る。
実はここは私がブログを知らせた唯一の
納経所である。
今年も逢えるかなと楽しみにして来たが、
納経所の人は昨年の人とは違っていた。
残念。
昼飯のサンドイッチを流し込み、12時
40分太興寺を目指して出発する。
ぼやぼやしてたら、わたしは誰かのいい子
になっちゃうよ、じゃなくて納経時刻に
間に合わなくなっちゃうよでした。
しばらくは緩やかな下りが続いたが、やがて
700mにも及ぶ長い下り道が待っていようとは
想像すらしていなかった。
なんて嘘ですよ。
道はgood、道標はeverywhere、しかし長い
長い下り坂で私の膝は笑い出した。
私は近所に迷惑をかけてはいけないと、両の
膝に猿ぐつわをかました。
これも嘘ですよ。
私の太腿は前面の筋肉が張って来た。
2時40分、アスファルトの道に出る。
右へ行き、次の分岐を左に行く。
やがてお人好しの宿主がいる「青空屋」が
見えて来た。
どんなとんまな奴か見てみたかったが、再び
膝が笑い出すと収拾がつかなくなるのでやめた。
読者の皆様、よかったらとんまな奴を見て
いきませんか。
240号線を道なりに進む。
大きな池が現われる。
更に進む。
左に曲がって行く大きな道が、おいでおいで
と誘いかけて来るが行ってはならない。
真っ直ぐの細い道を進もう。
多くのお遍路さんはこちらへ向かった筈だ。
これを「多くの細道」と言う。
最近ギャグが少なくなってきたもんで、
笑うとこはここしかないですよ、もう。
遍路シールに従い進む。
途中で道を間違えたのかなと思うかも知れ
ないが間違ってはいない。
信じて辛抱強く進むと、太興寺の駐車場に
辿り着く。
結構長い階段を登り境内に入る。
ポンチョを脱ぎお参りをする。
ここの納経所は本堂内にある。
お坊さんが茶トラの猫を抱いていた。
茶トラは私の好みの猫なので、わー可愛い
と言うとお坊さんは私の前に猫を差し出した。
私が撫でまわすと、猫はゴロゴロと喉を
鳴らし始めた。
お坊さんはそれを見てクスッと笑った。
さらに撫で続けると猫は寝転がり、お腹を
見せた。
納経は終わった。
お坊さんは歩き遍路ですかと私に訊いた。
はいそうですと答えると、引き出しから
お饅頭を出し、お接待ですと私に下さった。
菊の御紋の入った、それなりの饅頭であった。
太興寺を後にする。
16時40分である。
宿はまだ決めてない。
観音寺駅まで歩く元気もない。
黄色い本で宿を捜す。
民宿おおひらというのがあった。
観音寺に近くないのでパス。
377号線沿いにある民宿「四国路」に寄る。
ここが駄目なら、まだかんぽの宿があると、
部屋の状況を訊いてみると空室はあった。
早速部屋に入りまず靴下を脱いだ。
こんなので部屋に上がったら畳に足跡が
ついてしまう。
ついでに服も脱ぎ、着替えと浴衣を持って
風呂に行く。
風呂から帰るとジーパンと帽子をハンガー
にかける。
これしかないので、何とか明日の朝まで
に乾かしたい。
テレビを点け、気になる明日の天気を見る。
今日よりも、もっと悪くなると予報士は
語っていた。
仕方ないよなー、梅雨だもの。
午後六時、主人が夕食が出来ましたと、
呼びに来た。
食堂には先客が一人いた。
お遍路さんではない。
徳島在住で、仕事で二週間ほどこの宿に泊
まっているとの事でした。
この前も、この宿に若い女の子が一人で
泊まった、真面目な子で、俺は歩き遍路
の人を見ると心から尊敬するんだと言っていた。
焼酎の水割りをグビグビやり、かなり出来
上がっているようだった。
私もアサヒスーパードライの瓶を一本
飲み干し、ご飯をてんこ盛り食べて部屋
に戻った。
国道沿いなので車の走行音が結構する。
でも嫌いではない。
むしろ音がない方が薄気味悪い。
テレビを点けると、今晩九時からコロンビア
とのサッカーの試合が行われると報じていた。
これが七時からなら見ないこともないが、明日
も五時の出発なのでテレビを切って床に就く。
本日の歩行距離37,58km。
6月20日
朝から雨は降っていた。
テレビは日本がコロンビアに勝利したと
大騒ぎである。
私も日本人であるから嬉しいが、今は
それどころでない。
何としても今日中に善通寺辺りまで行き
たく5時に出発する。
国道に出て右に進み、最初の信号を右に行く。
雨が降っているので地図が出し辛く、シール
を頼りに進む。
やはり順廻りのせいかお遍路シールが
見やすい。
豊田小学校を過ぎ、池之尻郵便局を過ぎ、大
きな道路と交わる。
初めてのお遍路でこの地を訪れた時、私は
ここで道を間違えたのだ。
当時私は黄色い地図の本は有してなかった。
るるぶのガイドブックの雑な地図だけを頼りに
自転車で走っていたのだ。
ここで私は左の道(駅から向かって)へ進み、
随分と遠回りをしてしまったのだ。
今、地図を見ても観音寺市の道はややこしい。
京都や札幌のように碁盤の目のようになって
いればいいのだが。
まるでマスクメロンの表面のようだ。
6号線を市街地へと向かう。
もう迷うことはない。
高松自動車道をくぐり、11号線を渡り、踏切
を横切り、橋を越え、左に曲がってグングン
進んで行く。
8時少し過ぎに観音寺に着いた。
思い起こせば3年前、私がお遍路で初めて
訪れた寺である。
いつもは観音寺だけであったが、今回は神恵院
も丁寧にお参りして本山寺に向かう。
8時30分であった。
進行方向に向かって川の右側を進む。
時々抜け道利用の通勤車両が通る。
黙々と歩く。
しかしいつまで経っても本山寺に着かない。
着かないどころか五重の塔も姿を現さない。
去年は電動自転車で廻った。
そのイメージがあるから、近いと思っていたが
歩くと結構距離がある。
本山寺は駅から近い。
ということは鉄道が見えてくれば寺は近い。
少し先に、この道に入ってから4つ目の橋が
見えて来た。
あの橋がどの橋なのか、雨が降っているので
地図で確認出来ない。
するとそこを列車が走った。
あれは鉄橋なのであった。
本山寺が近いことを知らせてくれる
鉄橋だ鉄橋だ楽しいな♪
鉄橋をくぐると休憩所が見えた。
そう言えば朝から何にも食べてない。
ここまでの道程、コンビニが一軒も
なかったからだ。
お接待や宿のお茶菓子で空腹を僅かながら
満たす。
しかし依然として五重の塔は見えてこない。
前回のお遍路でもしおかぜの車内から
見えなかった。
5分の休憩の後スタート。
次の橋を渡り10時20分本山寺に到着。
五重の塔が見えない理由がわかった。
只今、本山寺の五重の塔は改修工事の
真っ最中でした。
お参りを済ませ納経所で的中率アップの
為の馬のバッジを買う。
ついでに、今日中に善通寺の納経時刻に間に合い
ますよねと問うと、ちょっときついんじゃ
ないでしょうかと言う不安な答が返って来た。
気にせず弥谷寺へと11号線を歩く。
途中の公衆から善通寺宿坊へ予約の電話を
入れる。
必ず5時までに来てくださいよと、プレッシャ
ーをかけられる。
途中にへんろ道に入る道があったが無視した。
この先いくらでもあるので11号線を進む。
第一病院辺りの信号から左に折れ、いよいよ
へんろ道に入る。
もちろんアスファルトの道である。
わかりやすい一直線の上り坂を3Kmほど
歩くと弥谷寺への大通りと合流する。
なおもきつい坂を500mも行くと参道に
辿り着く。
500何段あるハートブレイクステップスの
始まりである。
階段の左側に水が溜まる。
そこを歩くものだから靴の中はぐしょぐしょ
である。
艱難辛苦の末、13時20分本堂に辿り着いた。
低く見えても標高540mである。
三角寺よりも高いのである。
雨はなおも激しく降り続く。
納経所に戻る。
ここは八十八カ所中唯一靴を脱いであがる
納経所である。
床板に私の濡れた足跡がしっかりと着く。
何も言わないが、申し訳なく思う。
線香が切れたので買う。
奥にお大師様が祀られているので是非
お参りくださいというので参る。
奮発して100円の賽銭を入れる。
13時半出釈迦寺に向かう。
昨年ここから出釈迦寺まで歩いた。
一昨年出釈迦寺から善通寺まで歩いた。
2つの事実から鑑みれば納経時刻までに
善通寺に辿り着くと、私の両の足は語っ
ている。
階段を降り、左へとへんろ道を行く。
池の横を通りアスファルトの道へ出る。
高松自動車の下をくぐり左へ曲がり、2つの
池の間を進めば11号線が待っている。
次の信号から剣道48号線に入る。
突「剣道って何ですか」
すいません、間違えておりました。
去年は次の信号を右折したが、今年は
へんろ道を歩く。
くねくねとした道で、三角形の二辺の和
より長いへんろ道であった。
突「それじゃダメじゃん」
曼荼羅寺には寄らず私は出釈迦寺を目指した。
ここも結構きつい坂である。
引き返して曼荼羅寺、団地の中を通って
再び48号線に出る。
しばらく行って左へのへんろ道に入る。
割とわかり易い道であった。
わかり易いことがわかればまた来年も
使うであろう。
甲山寺からの道もわかり易く、16時40分
私は善通寺納経所に到着した。
やれやれである。
納経が終わり、私はゆっくりと御影堂と本堂
をお参りし、宿坊へと向かった。
私は早速、三日分の洗濯物を洗濯機に
放り込んだ。
仙遊寺はお金が出たが、ここはタダであった。
ガッポリ儲けていそうですものね(失礼)。
一張羅のジーンズも飛び込ませた。
明日の朝までに乾かないかも知れないが、もう
何日もずぶ濡れのやつをはいていたのだ。
それに比べりゃ幾分マシだし、歩いている
うちに乾くだろう。
18時、食堂に行く。
ビールを頼み、空けてから飯を食う。
広い食堂である。
全部の席を埋めようとすれば数百人は座れる。
しかし今日は私と、9人の団体さんの計10人
しかいなかった。
こんな雨の日だから、こんなに少ないので
しょうね。
団体さんは私から離れた所で食べていた。
あと2、3人のお遍路さんがいれば、きっと
私の隣に席を設け楽しいお遍路談義が展開
する筈なんだけどね。
乾燥機から衣類を出し、風呂に入ってさっさ
と寝る。
明日は晴れそうだ。
本日の歩行距離39,57km。
6月21日
5時に目覚める。
ハンガーにかけてあるポンチョはまだ
少し湿っていた。
タオルで丁寧に拭いて、リュックにしまい
、いつでも旅立てるようにして御影堂に
向かった。
宿坊によくあるお勤めである。
これも、出ても出なくてどちらでもいい、と
言う寺もあれば半強制的に出させられる寺
もある。
お坊さんたちの読経を聴き、般若心経を
全員で唱え、最後に僧侶の講話で終わる。
大雑把に言えばこんなあらすじである。
日本に五重の塔は数多くあるが1番高いのが
京都東寺で2番目が奈良興福寺、そして3番目
が我が善通寺である。
最近何かと南海トラフ地震が話題になるので
専門家に震度7に耐えられるか調査してもら
ったところ充分に耐えられることがわかり、
改めて日本建築の技術の高さを知った。
皆さんもお遍路をしている訳ですが、お遍路の
体験を周りの人に話し、多くの人がお遍路に
参加して下さるように努力することも修行
なのですよ、と言って僧侶は締めた。
お坊さん、私もブログで頑張って
いるんですよ、あんまり効果ないけど。
6時20分、朝食をいただく。
茶碗三杯かっ喰らう。
トイレに寄って、6時50分宿をスタート。
境内で、昨日弥谷寺本堂で知り合った人
と出逢う。
彼は私に納経時刻に間に合いましたか、
と訊くが、お勤めがあったので結局どう
でもよかったですねと答えた。
今日はどこまでと訊くので国分寺までです
かねと言うとわたしも同じです、またどこ
かでお逢いいたしましょう、と言った。
赤門から駅方面へと向かう。
途中からへんろ道に入る。
自転車の通勤通学の人によく出会う。
それにしてもこの辺り、自衛隊の迷彩色の
服を来た人によく出会う。
この辺りで流行っているのかも知れないな。
県道25号線に出る。
へんろ道はさらに続くが、わかりやすい25
号線を進む。
並行して土讃線が走っている。
金蔵寺駅近くの信号で右折し金倉寺に着く。
過去2回の経験が生きている。
納経所で迷彩服について尋ねる。
善通寺の近くに自衛隊の基地があり、みんな
制服を着て通勤するのだそうだ。
納得。
昔、旅をして名古屋に帰ると駅構内で、自衛隊に
入りませんかと誘われた。
一度や二度ではない。
よっぽど田舎者に見られたのでしょうね。
高田渡は死んじまったよな。
教訓1の加川良も死んじまったよな。
皆、酒の飲みすぎじゃないのかな。
こんな事言っても若い人にはわからない
だろうな。
駐車場から大通りを横切り少し左に行ってから
へんろ道に入る。
25号線でもいいのだが、かなり距離短縮
できるのでこちらを使う。
アスファルトの田園のへんろ道を通り、いつもの
21号線までは行かずに、手前を右折し、更に
左折すると道隆寺の仁王門に着いた。
今まで正門だと思っていた門は裏門だったのだ。
私が写真を撮っていると女性がお茶でも
飲んでいきませんかと声を掛けてくれた。
正門近くのお店の女主人であった。
歩きですかと訊くのではいと答える。
わたし歩き遍路の人を尊敬します、とどこかで
きいたセリフをのたまう。
今後のスケジュールを訊いて来るので、
今日は国分寺辺り、明日は栗林辺り、明後日は
長尾寺辺りに宿を取ろうとかと思っていますと
言うと、妥当な所でしょうねと言う。
あと4日で結願ですねと言うので、実は朱印を
53番札所で押し忘れて来たんですよ、だから
松山近くまで行かなければならないんですと
言うと、それも歩いて行くんですかと言う。
勘弁してくださいよ、私、死んじゃいますよ
と言うと女主人は笑って勘弁してくれた。
飴玉3つを貰い仁王門をくぐる。
お参りを済ませ納経所に寄り、21号線を
東に進む。
納経所で、最近お遍路さんが少ないですね
と言うと、うるう年とか1200年とかの年は
一杯来たんですけど、その反動でしょう
かね、今はさっぱりですと言った。
これから暑くなるとさらに客足(?)は落ちる
のだそうだ。
1kmも進むと歩道がなくなり、へんろ道が
現われる。
真っ直ぐ進めば危険なのでへんろ道に入る。
再び21号線と合流すると歩道はついていた。
ちゃんと考えてへんろ道は作ってあるのだ。
地図を見ると33号線に入るまでに2つの
橋を渡る。
私はこの橋を結構目安にする。
コンビニやスーパーは潰れることはあっても
橋がなくなることはないからだ。
すでに中津橋は通過している。
次の塩屋橋を渡り400m行った突き当たりを
右に行き大通りを左に行く。
33号に入る。
入った所に休憩所があった。
しばらく休憩し、落書帳に落書きし休憩所
を後にした。
すぐ近くに天下の名城、丸亀城があるらしい
が、国分寺に17時までに着かなければ
ならないので我慢してひたすら宇多津を
目指す。
土器川の橋を渡る。
なかなか郷照寺の案内板は出て来ない。
確か、194号線の高架橋の下をくぐると
近いことは知っている。
しかし33号線のかなたに高架橋らしき
ものは見えて来ない。
すでに正午は過ぎている。
うどん屋が時々姿を現す。
でも寄ることは出来ない。
何度も言うが納経時刻に間に合わないと、
とても都合の悪いことになる。
例えば国分寺に17時過ぎに着いたとしよう。
そうなると翌日の出発は7時すぎと
なってしまう。
納経さえ済ませておけば朝いくらでも
早く旅立てるのだ。
飲食店と言うのは注文して何分で料理が
届くか計算できないので怖い。
やがて高架橋は現れた。
最初の信号(押しボタンを除く)を右に入って
12時半郷照寺に着いた。
早めに切り上げ(御免なさい)赤い線の
へんろ道を進む。
納経所で聞いていた郵便局の前の公衆電話
で宿に電話する。
空いていると言う。
歩き遍路をする人で携帯電話も持ってない
のは日本でも私くらいのもんだろう。
でも持たなきゃそれで何とかなるものだ。
山道で遭難したらどうするんだと訊かれる
が死んだらそれが寿命だと思っている。
どうだワイルドだろ。
予讃線の下をくぐり33号線を横切り、地図に
ないへんろ道を進む。
うどん屋があったがこれも無視して進む。
再び33号線の信号に出る。
横切り、公園の中を通り繁華街へと入って行く。
道標には本街道とあった。
地図を見るとこれが本来の33号線であった
のだろう。
しかし車が通るには道が狭いので、車社会を迎え
た頃バイパスを作ったのだろう。
それが今では33号線になり、元の道は旧道
と呼ばれるようになった。
よくあるパターンだ。
が・・・坂出市民はそれを許さず、本街道
で貫いているのだろう。
結構楽しい繁華街であった。
時間さえあればどこかで昼食をとりたかった。
そんな繁華街を3kmほど歩き、JRの踏切を
渡り天皇寺に着いたのは14時を過ぎていた。
今日は朝から晴れていた。
しかしそんなにダメージを受けるような
暑さではなかった。
私は納経所で国分寺までどれくらい
かかるのかと質問をした。
納経所の人は、6kmくらいだから1時間半
くらいですよ、今14時半だから16時には
着くと思いますよ、と言う。
大抵の場合、1時間半と言ったら2時間、
2時間と言ったら3時間とみておけばいい。
彼らは自分で歩いて、そう言っているの
ではなく世間で通用している相場で言って
いるだけなのだ。
しかし国分寺まで6,9km、残り時間は
2時間半。
なんとか、よほど道に迷わなければ
国分寺の納経時刻に間に合いそうである。
へんろ道を歩く。
実は私の足にはこの時点で激痛が走っていた。
雨が続き、ふやけた足と靴下が擦れ
血だらけになっているのだ。
おまけけに山道のごつごつした岩を
踏みしめるので、靴下の凸凹が食い込み
足の裏もひりひりと痛い。
でも骨折とか捻挫ではないので我慢さえ
すればなんとか歩ける。
JRの南側の道を進む。
スーパーのある突き当たりから左折して
踏切を渡り加茂川駅の信号を左折し、
川沿いの道を南に進む。
しかし現実にはスーパーなどなかった。
途中で外国人に抜かれる。
この旅出逢った二人目の歩き遍路さんだ。
やっばり外国人は速い、見る見る間に
影は小さくなっていく。
やがてへんろ道から11号線に入る。
目の前に信号機がある。
私は渡らず右側の歩道を歩いた。
私の選んだ道は日がよく当たる。
対して左の道は木陰が続く。
私は渡らなかったことを後悔した。
この先33号線まで信号機は一つも
ないのだ。
読者の中にここを歩く予定のある人がい
たら左側を歩くことを薦める。
ただし寒い時期はこの限りではない。
長い長い11号線の旅も終わった。
11号線は歩道と車道が別れ、自動車
専用道路のようになっていた。
歩道は下に降り、33号線と合流した。
信号を左折して一路国分寺へと向かった。
チリンチリンと鈴の音がした。
振り返ると私を追い抜いて行った
外国人だった。
ショートカットと私は言った。
聞けば彼は黄色い本を持っていない
らしくて川沿いの道を行ったようだ。
トゥナイト、ステイと訊くと彼は背中
のリュックを指差した
触ってみるとテントが入っているみたいだ。
こんなにまでして外国人はお遍路に
やって来るのだ。
本当に外国人は偉いと思う。
日本人も見習ってほしいものだ。
しかし適当な英語を使っていても充分
通じるものだ。
へんに何から何までわかっていると、か
えって白けてしまうからこれでいいの
かも知れない。
仕事以外なら。
16時20分国分寺に到着。
境内で善通寺で逢った人と外国人と、
つまりこの旅で逢った、たった二人の
お遍路さんに逢った。
お参りを済ませ納経所へ行く。
外国人が納経所の人に話しかけている。
私が通訳をしてあげる。
81番と82番の間にカッパとか言う宿は
あるのかと訊くと納経所の人は写真を
見せて説明をし始めた。
これもある程度の予備知識があるから
訳せたのであり、知らない分野のこと
であればチンプンカンプンであったで
あろう。
納経所を出る。
ベンチで外国人が休んでいる。
アイムヴェリータイアドと言って首を
傾け両手を広げ別れを告げた。
なんてお茶目な私でありましょう。
目の前をもう一人のお遍路さんが
歩いている。
年の頃なら70代の男性であろうか。
間違いなくこの近くの宿を探している
といった挙動であった。
しかしいつの間にか彼の姿は見えな
くなった。
私は33号線を東に向かった。
民宿あずさはうどん屋も兼業していた。
と言うよりうどん屋が正業であろう。
大抵、こういう場合店の中で受付をする
ものだと店に入ろうとするが開かない。
定休日なのかなと思っていると、前を通る
おばあさんが、もう閉めちゃったんだわ
と言った。
時計をみると丁度17時であった。
店の裏に廻ると主人らしき人が○○さん
ですかと言うのではいそうですと答える。
部屋に通される。
築50年以上と言うポロッチイ民家で、
部屋の中も小汚い。
襖はしみだらけ、お茶もない、寝間着も
ない、エアコンはあるが使えない。
小さなテレビはあるがDボタンがない。
歯ブラシはない、シェーバーもない、でも
風呂だけはある。
若い女性には絶対薦められない宿である。
泊まるはずもないけど。
喉が渇いたのでコカ・コーラを買う。
風呂から出ると主人は夕飯を持って
やって来た。
ビールを頼み、明日の朝は早いので朝飯は
要らないと言い料金の5500円を払った。
私は特に不満はない。
なぜならば似たような環境で生活して
いるから。
一応、用心のため玄関の戸締りをする。
この日は一軒家に私1人であった。
それにしても泊めた客が悪かったね。
ブログでこんなこと書かれているなんて
夢にも思っていないだろ。
素直な、宿泊客の感想なのだから営業妨害
にはあたらないですよね。
午後9時寝る。
本日の歩行距離35,37km。
6月22日
4時半に目が覚める。
足の痛みも引いている。
コンビニでおにぎりを買って白峯寺を目指す。
散歩をしている地元の人が突き当たりを右
ですよとアドバイスを下さる。
ラブホテルがあった。
泊まり3000円とあった。
何だ、ここに泊まれば良かったなと言うと
安いですからねと彼は笑った。
別にお遍路さんがラブホテルに泊まる
ことは違法行為ではないと思う。
お金になるんだから空いていればホテル
もいいですよと言うだろう。
ただ、ホテルから出て来るお遍路さんを
人が見た時、あれは変態さんだと言われ
多くのお遍路さんに風評被害を与えてし
まいそうなので出来ないが。
そんな馬鹿なことを考えているといよいよ
山道に入った。
ここの階段は高い。
短足の私には辛い山道だ。
しかし今年は杖があるので少しは楽だ。
まさに、つえー(つよい)味方だ。
突「親父ギャグに注釈つけるな」
下の方から声がした。
その声はどんどんと近付いて来る。
見た感じお遍路さんではなく地元の人の
早朝散歩のようだ。
今朝何時に出て来たと言うので5時だと
言う。
みんな6時くらいに出るものだがと言う。
暑いですからね、涼しい内に山に登って
おこうと思ってと私は言う。
毎日この山登っているんですかと私が問う。
おお、お蔭で随分と肺活量が増したぞと
彼は言う。
何回目のお遍路だとかどこから来たとか
年は幾つだとか色んなことを訊いて来る。
最後に黄色い本を見せてくれと言う。
車道に出たら反対側にへんろ道がある。
これは根香寺に行くへんろ道だから
行ってはいけない。
車道に出たら左へ行け、2Kmも行くと
自衛隊の金網フェンスがある。
その辺りに白峯寺へ行くへんろ道がある。
そこを行け。
それから根香寺を打ったら、来たへんろ道
を戻り鬼無方面へ向かえ。
よく香西の方へ降りて行く人がいるが、
ひどく遠回りになる、得策ではない。
鬼無を過ぎた辺りからへんろ道がやや
こしくなっている。
飯田休憩所の道を突き進み、堤防を歩いた方が
道に迷わなくて済むとアドバイスをもらった。
ここは俺の折り返し地点だ、頑張れよと
激励をしてもらい別れた。
今まで私の中では香川県人のイメージは
芳しくなかった。
本州に近いから薄情な人が多いと言う、
独り善がりな思い込みがあった。
でも昨日あたりから黄色い本を開いて
いると道を教えてくれる人が結構いた。
他の県でこれだけ親切な人はそんなに
いない。
私のイメージは一掃された。
アドバイス通り白峯寺へのへんろ道へと
進む。
一昨日の雨の影響でぐちゃぐちゃにぬかる
んでいる。
まるで小川の中を歩いているようなものだ。
8時白峯寺到着。
本堂への階段を登る。
若い男性の、遍路さんに出逢う。
挨拶をする。
この旅で出逢った3人目の歩き遍路さんだ。
納経を済ませ8時半白峯寺を出る。
また、あのぬかるみの中を歩くのかと思うと
憂鬱になるが、へんろ道で3,4km、車道で
5,9kmと言う地図の、厳然たる事実を突きつけ
られてしまえばへんろ道を行くしかない。
途中で猪に注意の立札を見た。
私は昨年、猪対策として木に登ることを
提言した。
猪はブタの親戚である。
従って彼らはおだてない限り、木に登る
ことは不可能である。
猪を見たら木に登って難を避けよう。
更にダメを押す意味で、彼らを散々
けなせば盤石であろう。
やーい不細工、鼻ペチャ、短足、ずんぐり
むっくり。
突「猫さん、自分のことけなしていません」
ハラホロヒレハレ。
山道を進む。
日が当たらないのは有難いが、山の中は
風が吹かないので蒸し暑い。
山の中は風が吹かない。
最近知ったことだ。
上り下りを繰り返し9時40分車道に出る。
途中で道を間違え10時10分根来寺到着。
回廊を歩き本堂をお参りし、納経所へ行く。
一宮寺は3時間もあれば着くと納経所の
人は言った。
あなた実際に歩いたことはあるんですか
と意地悪な質問はしなかった。
ま、机上の計算ではそうなっているが、
現実には何が起きるかわからない。
10時30分来たへんろ道を登って行く。
あと6つで結願かと思うと元気も出る。
白峯寺方面と一宮寺方面の分岐点を鬼無
へと進む。
きなしと読む。
アスファルトの、木陰のいっぱいある道を
進む。
所々でへんろ道に入る。
しかし迷子の達人の私は、またしても
道を間違えた。
へんろ道が見つけられず車道を高松西高
方面へと進んでしまったのだ。
少し遠回りをした。
が大勢に影響を及ぼすほどのものでもない。
池の前を通り、西高の前を通り、33号線を
渡りJRを横切り、飯田の休憩所まで来た。
今日は一宮寺が最後の札所であり納経時刻
に充分間に合うのでここで休憩をした。
冷たい水も用意されていた。
飴玉も、そして甘い梅干しもあった。
とても美味しく思わず「うめー」と言ってし
まった。
誰も居なかったから良かったものの、誰か
いたら私は完全に白い目で睨まれていただろう。
落書帳に落書きをして、登山道で知り合った
人のアドバイス通り堤防目指して歩いた。
途中でサイクリストに逢った。
彼も登山道の人と同じアドバイスをくれた。
10階建てのマンションの所から車道に
入るのですよ。
堤防の道を南へと進む。
しかしまたしても道に迷う。
11号線をくぐりサイクリングロードを進もう
と思ったが車道に出てしまった。
つまり私が歩いていた道はサイクリング
ロードではなかったのだ。
2、3人の人に訊いてやっとサイクリング
ロードに入ることが出来た。
ここだけで30分のロスタイムだ。
堤防の道からサイクリングロードに入る
道があったのだが私は見逃していたのだ。
なんてとんまなんだろう自分は。
サイクリングロードを歩いていると、後
ろから来た人が3つ目の橋を上がって下さい、
10階建てのマンションの所ですと言った。
よく言えば親切、悪く言えばお節介焼き
な人が多いのだ香川県人は。
訊きもしないのに。
でも私は嫌いではない。
3つ目の橋、つまり10階建てのマンション
のある県道12号線で合流し左へと進む。
橋を渡り4つ目の信号を右折する。
下校する一宮小学校の生徒さんたちと出逢う。
コンニチワと挨拶をする。
左に行くと一宮寺という道標を、左に行くと
83番札所一宮寺に着いた。
過去2度は琴電一宮駅から来たので
入る門が違う。
時刻は14時半を過ぎていた。
つまり根香寺から4時間もかかったのである。
何故私が時刻のことを細かく書くのか、それは
これから歩く人の参考になればと思ってい
るからだ。
どうです、スマホの私のブログを片手に
歩けばとてもわかり易いと思うのです。
猫の言ってることは本当だろうかという
確認も出来ます。
ま、時々記憶違いもしてますけど。
15時、裏門(だと思うが)を出てそんなに広
くない道を北に進む。
再び12号線を右に行き信号を左折(渡る)する。
後は道なりに進む。
途中のセブンイレブンで綾鷹と宝塚記念
の出馬表の載ったスポーツ新聞を買う。
女性店員さんが歩きですかと訊くので
そうですと答えるとちょっと待ってて下さい
と売り場から飴玉一袋を持って来て
お接待ですと言って下さった。
ちゃんとレジを通しましたからね、
万引きではありませんよ。
やっぱり四国の女性は気前がいい。
三河人にはこんな人はまずいない。
途中の公衆電話から常宿のサンシャイン
ホテルに電話する。
空いていた。
またしても道に迷いながら、夕食を買い
込んでホテルに着いたのは18時だった。
本日の歩行距離3895km。
6月23日
朝5時にホテルを出る。
フロントはまだいないのでテーブルに
キーを置いて160号線を北に行く。
地図通り3つ目の信号を右折して11号線
に入る。
先程に続いて2度目の琴電志度線の踏切を
横切る。
通でなければ書けない文章である。
地図によると4つの橋を渡り、宮脇書店
の所から左折することになっている。
いずれにしても11号線を進めばいいので
一安心である。
信号が赤になったところで道路左側に
移る。
屋島登山道は左側にある。
雨は少し降っている。
が雨具は着ずに進む。
屋島の山が見えて来た。
4つ目の橋を渡った頃、屋島寺への
道標を見つけた。
地元の人に訊くと、ここからでも、もう
一つ向こうの道からでも行けますよとのこと。
目印の宮脇書店はなかったので次の信号
まで進む。
しかし宮脇書店はなかったので、更に
もう一つ先まで進む。
反対側にはスーパーマルナカがある。
地図を見るとスーパーマルナカは存在しない。
新店舗なら地図に載ってないこともあるが
随分古く見える。
私の頭の中はこんがらがってしまった。
訳の分からないまま私は次の信号を左折した。
中学校があった。
塀の向こうを歩いている少年に私は
声を掛けた。
屋島の登山口はどう行ったらいいんで
しょうかと。
少年は1m40cmはあろうかという塀を
いとも簡単に飛び越えて来た。
これが私だったら、もがき苦しみ5分は
かかっただろう。
僕もよくわからないけれど一緒に捜し
ましょうと少年は言った。
私たちは潟元駅方面へと歩き出した。
途中から右折すれば登山道に出られ
そうだと思ったが、どこにもお遍路シール
はなかった。
仕方なく今度は屋島駅方面からへんろ道
に入ろうと思った。
地図によれば駅前の道を少し行けばへんろ道
に入れることになっている。
私はここで、何とか目途は立った、どうも
有難うと少年に言った。
そして少年は去って行った。
しかしへんろ道は見つからなかった。
歩いている女性に訊いても、電車に間に合わな
くなるのでと拒否された。
私は再び潟元方面へと歩き出した。
どこかで見ていたのだろうか、再び少年
はやって来た。
今日は土曜日、対外試合があるのだが集合時刻
を1時間早めに来てしまったので時間はたっぷり
ありますと言った。
クラブは何をやっていると訊くとバレーだと
言う。
ああ、あの「白鳥の湖」のと言うと、いいえ
バレーボールですと言った。
すいません、ここは創作です。
実は私は宮脇書店を目印に屋島に登ろうと
していたんですよ、ところが宮脇書店は
見つからなかったんですと言うと彼は
半年前に潰れましたと言った。
おい宮脇、それはないだろ、私のために
あと半年持ちこたえてくれなきゃ困るだろが。
しかし宮脇書店が潰れ、彼が集合時刻を
1時間間違えなければ私たちの出会いはな
かったわけだ。
私はこんな優しい少年に逢えたことを
心から悦んでいる。
地球上にこんな優しい少年がいたなんて、
そしてそれに出会えたことはまさに奇跡だ。
お大師様有難うございました。
私がよく若者達のことを悪く言うもの
だから、お大師様がこんな素敵な若者も
いるんだぞと逢わせてくれたのだろう。
日本の未来も満更捨てたもんじゃない。
これが家族に乾杯と言う番組で、私が
鶴瓶だったらテレビを意識してカッコよく
振舞う若者はいくらでもいるだろう。
名もなき一介の老人(当人は毛ほども思っ
てないが)にこんなに親切にしてくれる
彼は本物である。
もう二度と逢うこともないから、何の見返
りもない。
私がいつも言う、見返りのない愛こそが
本当の優しさだ。
突き当たりの道を右に進む。
しばらくすると、探し求めていたお遍路
シールをやっと見つけることが出来た。
私は少年にお礼を言った。
屋島中学バレーボール部の少年よ。
初めての結願の時、私は屋島の森田さんと
言う人に出逢った。
まさかそのお孫さんではないよな。
それじゃ小説になってしまう。
きっと森田さんの知り合いのお孫さ
んだよ。
それならあり得るよな。
気分よく登山道へ向かう。
途中で逢ったドライバーが窓を開けて、
この道を登って、池のほとりを行って
下さい、「食わずの梨」辺りが中間地点と
なります、とお節介を焼いた。
嬉しかった。
やっぱり香川県人は優しい。
地図によるとここら辺りから赤い点線
が始まる。
しかし赤い点線は歩行だけのへんろ道と
書いてあるが非舗装路とは書いてない。
コンクリートの険しい上り坂が始まる。
しかし屋島の少年に逢って、もらった
元気が私を頂上まで押し上げる。
1,2kmで250m登る道を、早朝散歩の人
と挨拶を交わししながら8時過ぎ登頂に成功。
そういえば少年の名を聞き忘れていた、
やーしまったなー。
突「しらー」
やはりここの正門も初めて見る。
バスや自家用車の人は脇から入って来る。
本堂をお参りし納経所へ行く途中に
狸さんが祀られていた。
とうとう84番札所まで来た。
駐車場にある公衆電話から宿に電話する。
素泊まりしかやってないけど、それでも
よいのならOKと言う。
次いで姉に電話する。
地震で予定が狂ったけど、何とか挽回
して今、屋島山上にいる、帰りは月曜日
になるだろうと告げた。
ドライバーたちの利用する門のあたり
から左へ行く八栗のへんろ道へ入る。
廃墟と化した大きなホテルが2つあった。
そう言えば屋島も昔はケーブルカーが
登っていたんだって。
それが利用客の激減によって2005年に
廃線に追い込まれたのだそうな。
はっきり言ってこの屋島には観光の
目玉になるようなものはない。
屋島寺と、とってつけたような水族館
があるだけだ。
昔は修学旅行のコースに入っていたけど
高い所から海を見る観光地はゴマンと
あるからね。
今はお遍路さんの需要に見合った二軒の
宿があるだけだ。
へんろ道を行く。
男女3人の登山者と逢う。
本格的な下り坂に入る。
これが凄まじい下り坂で、掴まる場所も
ない、今まで通ったへんろ道でぶっち
ぎりの悪路であった。
恐らく杖がなかったら下山は不可能で
あっただろう。
滑落しそうな場所、岩だらけで転倒したら
骨折しそうな場所、木の根っこに蹴躓いて
顔面を強打しそうな場所と、まさに悪路の
オンパレードであった。
しかし引き返す訳にもいかず、命からがら
下山した。
私は2度とこの道は通らないだろう。
いや、絶対に通らない。
これからお遍路を考えている読者にも
忠告する。
この道は使わない方が良い。
多少遠回りになっても屋島の登山道を
引き返す方が良い。
急がば回れと言うではないか。
八栗の山が見えて来た。
半分ほど欠けている山もいくつかある。
ここらはいい石が採れるのだ。
当然石屋さんも多い。
2度のお遍路ですっかり学習してしまった。
私ボーッと生きてませんからね、チコちゃん。
英語で言うと、Don,t sleep through life
ですって。
直訳すると寝ながら生きてちゃ駄目ですよ
ってとこですか。
車道を右へ行く。
小学校の横を通り道標に従って左折し橋を
渡る。
更に進むとまたもや小学校がへんろ道に
立ちはだかった。
左へと迂回し次の信号を右に行き高柳旅館
の横から大通りに出る。
坂を登り、ケーブル乗り場の横を通り
登山道へと入って行く。
ここも屋島と同じでコンクリートの道である。
が、屋島より傾斜は幾分緩やかである。
石の町である。
所々にピカピカの石のベンチが置いてある。
最後のヘアピンカーブを曲がり
八栗寺に着く。
お参りを済ませ納経所へ行く。
屋島寺からの悪路について語ると、
全くその通りですと納経所の人も
同意見だった。
ここの人は実際に歩いているのが言葉
からわかる。
へんろ道へ向かう途中でお茶を買う。
200円入れたが一向にペットボトルは
出て来ない。
つり銭レバーを回すと100円だけ出て来た。
今度はゆっくりと100円玉を2枚入れた。
今度は出て来た、がつり銭は出て来なかった。
130円のお茶を買うために私は都合300円を
使わされたのだ。
まったく商売上手な自販機だ。
が、今日はさわやかな少年に逢えたので
腹も立たない、ルンルン。
志度寺へのへんろ道はアスファルトの道
であった。
時々車と出逢うがそんなには多くなかった。
琴電の踏切を渡り11号線に出る。
道の駅を過ぎた辺りから、寂れた生活
道路へと入って行く。
平賀源内邸があった。
平賀源内と言えば発明家で、晩年は殺人を
犯したという知識くらいしか私にはない。
客はなく、ひっそりとしていた。
この辺りは旅館が沢山あった。
理由はよくわからないが、大窪寺から
逆算するとここは距離で22kmの地点である。
早朝出れば昼過ぎには結願出来ると言う
地理的条件から多くの人が泊まるのでは
ないかな。
間違っているかも知れない。
でも私はいつも言う、考えることが大切だと。
そうだよねチコちゃん。
チコちゃん「お前はつまらねえ奴だなー」
志度寺に着いた。
門前で男女が恋を語っていた。
いやひょっとしたら兄妹で引っ越しの相談
をしているのかも知れない。
本堂、太子堂とお参りをした。
どこかで猫の鳴き声がした。
呼んだが姿を現さなかった。
声はすれども姿は見えず、ほんにお前は
屁のような。
納経を済ませ仁王門を後にする。
時刻は13時50分であった。
志度寺の交差点を真っ直ぐ進む。
去年はバスで通った道だ。
一昨年はそのバスすらも知らなかった
ものだから瓦町まで戻り長尾線で長尾
まで行ったっけ。
オレンジタウンを通過する。
きっとこの辺りはオレンジが名産品
なのだろう。
と昨年は考えていたけど念のため私は
調べた。
何のことはない、この辺りにオレンジ
タウンと言う一大団地が作られたのだ。
それに連動してJRが新設した駅なんだって。
しょうもない話だ、調べなきゃよかった。
3号線をズンズンズンドコ、キヨシと進む。
広瀬橋を渡らず手前を右に入る。
休憩所があったので暫く休む。
時刻は15時半、楽勝で長尾寺に着く
筈である。
いよいよ明日大窪寺かと思うと大久保
佳代子の顔が浮かんできた。
いけない、今夜の飯がまずくなる。
同県人だがあいつだけは好きになれない。
あの顔で悪態つきゃがって許せない。
突「でも、あの顔でブリッコしたって
しょうがないでしょ」
さもありなん。
長尾寺をお参りし、あづまや旅館へ着く。
早速夕食を買いに行くがお目当てのスーパー
は潰れていた。
黄色い本の最新版が2016年だが、とても
2年以内に潰れた店には見えなかった。
へんろみち保存協力会よ、ボーッと
生きてんじゃねえよ。
職務怠慢だぞ。
夕食と朝食を買って宿に帰り、風呂に
入って寝た。
出来るだけ大久保の顔は思い浮かべ
ないようにして飯を食べた。
本日の歩行距離35,61km。
6月24日
5時半に目が覚める。
サンドイッチを食べ、6時に玄関まで行く。
干しておいたポンチョをプラスチックバッグ
にしまい込んでいると、パジャマ姿の女将が
起きて来て玄関を開けた。
外へ出ると、雨はまだ降っていた。
天気予報がいい方(?)へはずれた。
「お世話になりました」
私は折角しまったポンチョを着て歩き
始めた。
優しい女将であった。
四国の女性はうわべだけの愛嬌をふりまく
人は少ないが、面倒見の良い親切な
人が多い。
牟岐駅前のあずまの女将を思い出した。
宿の落書帳によれば以前は食事も出して
いたようだが、女将が患い手術をして
から素泊まりになったと文面から推察
出来る。
いつまでも元気でいて下さいよ。
宿の前の道を右に行き、交差する次の
道を右に行く。
後は道なりに進めばいつの間にか
3号線に入っている。
雨はそれほど降ってなく、フードは
はずして歩けるほどだ。
そんな中、野ウサギ用、なんじゃこりゃ、
農作業をしているおばさんに会った。
私は前から疑問に思っていたことを
単刀直入に訊いた。
「この辺りは、なぜこんなに田植えが
遅いのですか」
「麦やたばこの収穫が終わってから栽培期間
の短い種類を植えるんですよ」
「うどん県だから麦も沢山作るんですね」
「そういうことです」
我が地方と違って、この辺りは二毛作が
盛んなのだそうです。
少しでも収入を増やしたいですものね。
3号線を進む。
左へ行くへんろ道を過ぎ、右に行くへんろ道
にも行かず私は3号線を進んだ。
今日の最初の目的地、おへんろ交流サロンが
左手に見えて来た。
実は私は昨夜悩んでいた。
出来れば大窪寺10時発のバスに乗れたら
いいなと言う希望を私は心に抱いていた。
そのためには旅館を明朝4時に出なければ
ならない。
でもそうすると交流サロン前を5時過ぎ
に通過することになりサロンは恐らく開い
てないだろう。
そうなるとサロンを諦めなければならない。
サロンをとるかバスをとるか。
仮にバスをとったとしても明日中には
愛知県に帰れはしない。
それに一回目の遍路の時バスの運転手さんが、
朝一番に通ったらサルの群れに逢ったと
言う話も聞いていたしね。
で私はサロンをとった。
ただしこういう施設は9時始まりなのが
普通であるから駄目かも知れないという
不安を抱きつつも6時に出発したのである。
でもサロンは開いていた。
玄関にポンチョと杖を置き中に入ると
女性職員が応対に出た。
まず私が一番に訊きたいことは今後の
天気であった。
やはりあづまや旅館もDボタンのない
テレビで何の情報もなかったからだ。
女性はテレビを点け、お接待のお茶を
持って来てくれた。
よく冷えたおいしいお茶だった。
それから女性は書類を出し、必要なことを
書き込むように促した。
住所、氏名、何回目か、通し打ちか
区切り打ちか等々。
書き終わると女性は私に、四国八十八ヶ所
遍路大師任命書なるものと同行二人の
バッジを下さった。
へへー、ありがたき幸せ。
突「大師の字が間違ってますよ」
畏れ多い間違いをして済みませんでした。
「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」でした。
実はまだ私、53番札所の納経がしてないん
ですよ、だから明日松山まで行くんですよ
と言うと、彼女もあそこの納経を忘れ、友達が
行った時についでにしてもらったことがある
と言った。
そんなとりとめのない話をしていると雨が
上がり明るくなってきた。
8時だった。
ポンチョをたたみリュックにしまい歩き始める。
少し戻り左に行くへんろ道を通ることにした。
職員のお薦めのコースであるから。
黄色い本でいうとへんろサロンの手前の
右に行く山道である。
彼女曰く3号線はつまらない道だそうです。
本来この山道はダンプが土砂を運ぶ道
なのだそうが、今日は日曜日なので
大丈夫とのこと。
大窪寺へのコースは全部で5コースあり
一番早いのがこのコースで一番遅いのが
下中津から行くコースだそうです。
距離はぶっちぎりに短いのに774mの
女体山を登らなければならないからです。
なんかなまめかしい名の山ですね。
やはり山道は時間がかかるということです。
緩やかな方の山道を行く。
すぐに昔ながらのけもの道のような
へんろ道がある。
職員は険しい道だから避けた方がいいと
言った。
晴れて来たが木陰の多い、涼しいコース
だった。
道路から水蒸気が上がっているのが見える。
今頃、3号線あたりは蒸し風呂じゃないか。
そうであることを期待しながら進む。
所々にダンプの待機場所がある。
車には一台も遭わない。
3号線があるので誰もこんな狭い道は
通らない。
一軒の廃墟があった。
玄関にスズメバチの巣があった。
これはヤバいかも、と自然に足が速くなる。
やがて他の道路と交わる。
民家も見えて来た。
左に曲がり3号線に入る。
1,5kmも行くと377号に突き当る。
左への橋を渡ると天体望遠鏡博物館という
訳の分からない博物館があった。
更に橋を渡り、工事中のための迂回路を通って
377号線と再び合流する。
旅館があった。
こんな所に泊まるくらいなら大窪寺まで
行けばいいのに。
突「きっと帰りのバスがもうないんだよ」
へんろ道を無視して橋を渡り左に折れる。
さあ後2kmだ。
緩やかな坂道を登って行くと色んな思い出
が甦って来る。
一番楽しかったのは焼山寺かな。
沢山お遍路さんがいたからな。
徳島は23番までは歩く人が多いから楽
しかった。
それを過ぎると俄然逢うお遍路さんは少
なくなる。
皆無と言っても過言ではない。
へんろ交流サロンの職員さんによると年間の
歩き遍路さんの数は2500~3000人くらいの
ものだそうだ。
それだって結構見えない所ではズルしてそう
だから完全な人は半分くらいじゃないですか。
そうやって見ると毎日霊山寺から4人のお遍路
さんしかデビューしてないのだから、逢うはず
もないですよね。
そんな事を思い浮かべていると大窪寺の
仁王門に着いた。
一曲の歌が私の頭の中を流れた。
知らず知らず歩いて来た
細く長いこの道
振り返ればすぐそこに
霊山寺が見える
だって、お遍路は丸いんだもん。
すいません。
お遍路のブログにこんなこと
書いてちゃ顰蹙(ひんしゅく)を買いますよね。
お遍路の楽しさを私は訴え、皆さんに
来て頂きたいばかりに羽目を外してしまっ
たのです。
きっとお大師様も許して下さると思います。
太子堂本堂納経所と寄り、私はいつもの
うどん屋に入った。
11時30分であった。
バスの時刻まで2時間ある。
まさか注文して2時間かかるうどん屋も
ないだろう。
私はビールを頼み、おでんを4本ほど
持って来て食べた。
やはり結願の後のビールは格段に旨い。
五臓六腑にしみわたるぜ。
と言って五臓六腑って何だいと質問
されても私には答えられない。
チコちゃんに叱られそうである。
この店はいつ来ても流行っている。
他にも数軒の食堂があるが客は殆どいない。
この差って何ですかと自問自答した時、
他の店は普通のお店。
この店は店内の様子がよく見える上に、
扉が開けっ放しで出入りが自由って感じだ。
これが最大のポイントだろう。
店の側からすれば食い逃げのデメリット
もある。
が、まさか結願の後の食い逃げ、万引きも
ないだろうが。
努力が水泡に帰すだろう。
ビールを飲み終わると私はきつねうどんを
頼んだ。
食べ終わり隣の休憩所へ行く。
ベンチにはお遍路さんは1人もいない。
ほろ酔い気分だったのでうつらうつらした。
やがて一台のバイクが止まった。
ライダーは自販機でコーヒーを買い、私の
隣のベンチに座った。
ヘルメットをとった。
三十代半ばくらいの男性だった。
お遍路について質問して来る。
私は一々応える。
どこから来たと言うので愛知県と言う。
愛知県と言えば俺は豊田市しか知らない
と言う。
私はその豊田市から来ていると言った。
君はと言うと地元の者だと言う。
雨が上がったのでこの峠道を攻めに
来たと言った。
この辺りはいいワインディングロードだ
からなと言うと、そうだ、いいワインディ
ングロードだと噛みながら言った。
私プログをやっている、99%文字のブログ
だが読むかと言うと、それじゃイメージが
沸かないですねと拒絶された。
彼と30分ほど話し別れた。
「おっ、ドゥカティじゃないか、ワインデ
ィングロードを攻めるには最高だな」
と褒めてやると彼は喜んで去って行った。
これもいい思い出だ。
結構どんな世代でもその気になれば話は
続くものだと思った。
やっぱり若い人との話は楽しいですね。
年寄りには夢がない。
君には君の 夢がなく
僕には僕の 夢もない
爺と婆の 年老いた二人のことだもの
13時30分のバスに乗ってJR志度駅に向かう。
14時53分の電車で高松に向かう。
15時50分発のいしづち17号で今治へ向かう。
この旅2回目の予讃線を走る。
なんか変な気分だ。
17時44分今治駅に到着。
バス案内所に寄り、場違いな質問ですがこの
辺りにお土産のタオルを売ってる店はあり
ませんかと尋ねる。
市役所の隣にあると言う。
ここから少し距離がある。
それではまず荷物を置いてから買いに行こう
とアーバンホテルに行くが、満室だと
断られる。
フロントによると工事関係者が多数泊ま
っていると言う。
今、駅の工事をしているので、それかも
知れないなと思う。
仕方なく公衆電話から今治プラザホテル
に電話するとOKだと言う。
タオルの土産屋の近くなのでうってつけである。
しかしタオル屋は閉まっていた。
地元の人に訊くと今日は日曜日で定休日
なのだそうだ。
日曜日が定休日だなんて前代未聞の話だ。
他にないのかと訊くと銀座通りの中ほどに
あると言う。
行って見ると随分前に潰れたと言う。
万事休すである。
私はここでタオルを投げた。
意味のわからない人のために言っておくと、
ボクシングではギブアップの意思表示になる
行為なのです。
以前まなちゃんとのデートの最中、彼女は
タオルの街と言う割にはあまり力は入れて
ないんですねと言った。
その時私は今ではタオルよりも加計学園の
方が有名になってしまったからね、と
トンチンカンな答えをしておいたが、きっと
彼女もお土産のタオルが欲しくて方々を捜し
廻った挙句の質問だったと思う。
結局今治はタオルの産地でしかなかったのだ。
私とまなちゃんは、豊田市へ来て、トヨタの
車を買おうとしているようなものだ、と言えば
分かって頂けるでしょうか。
タオルは生活必需品であって、土産品では
ないのだ。
マルナカでビールと寿司を買い、プラザホテル
へとしけ込んだ。
本日の歩行距離20,64km。
6月25日
5時に目が覚める。
テレビを点ける。
今日は暑くなると天気予報が伝えていた。
当初の予定では今治発6時34分で円明寺
と決めていたが、暑くなりそうだし、通勤
通学で混みそうなので6時01分発に早めた。
車内は空いていた。
この列車混みますかと常連らしき人に
訊くと途中からとても混みますと言う。
私は二人用のシートに座った。
常連さんの言うようにしばらくは
乗客の数もまばらだったが伊予北条あた
りから学生さんがどっと乗って来た。
このことから今治の高校生はあまり
松山まで通学しないことがわかった。
つまり伊予北条を境に松山へ行く学生
と今治に行く学生が別れるのでは
ないかなと私は考えた。
スマホを持たない人はいつも、周囲の
状況を見ながらこんなことを考えて
いるのですよ。
6時56分伊予和気に到着。
駅前の道をしばらく進み、右に折れる。
200mも行くと山門に着く。
一礼をして境内に入り、手水場で手を
清める。
蝋燭に火を灯し、線香をたく。
本堂をお参りし賽銭を投げる。
そして本堂の横にある灯籠に行き
合掌する。
これはキリシタン禁制の時代に隠れキリ
シタンが秘かに信仰した灯篭なのだそうです。
このお寺では、それを黙認していたのだ
そうです。
そう言えば灯篭の形が十字架に見えなくも
ないです。
私は合掌しながら南無阿弥陀仏と唱えた。
どちらでもいいんですよね。
サムシングザグレートはただ一つ。
太陽と呼ぶかSUNと呼ぶかの違いだけ
ですもの。
実はへんろ交流サロンの女性に円明寺
に行ったら是非お参りして下さいと言
われて、このような行動に及んだわけです。
納経所へ寄る。
ここの納経を忘れていたので、ここへ立ち
戻ったと吐露した。
納経所の人はそういう人は沢山いるの
ですよと言う。
そうか、私や交流サロンの女性だけで
なく一杯いるんだと思うと少しホッとした。
円明寺は札所の中ではJR駅に最も近い
所にある。
電車の時刻が差し迫っていると納経よりも
そちらへ頭がいっちゃってるんだと思う。
私の場合歩き遍路だから、それは理由に
ならないけれど。
ほんの少しへんろ道を行くと、私の好きな
昭和の食堂がある。
が7時台にまだ食堂はやってないだろう
と未練を持たずに駅へと向かう。
ああ、あそこで大好きなカツ丼が
食べたかったがな。
7時32分の電車は更に混んでいた。
が、次の駅で多くの学生が降りた。
松山に着いた。
混雑するので暫くホームで待ち、空いた頃
改札口へと向かう。
キオスクで、この前好評だった饅頭を
買う。
きっぷ売り場で名古屋までの切符を買う。
別に岡崎まで行って、愛知環状鉄道に
乗り換えて末野原駅で降りてもいいのだが。
8時10分しおかぜ10号は動き出した。
私の歩き遍路は滞りなく終了した。
津呂区長場前から以布利分岐のバス停の
間以外は。
ここは次回に歩いて穴埋めすることとする。
それにしてもぐーたらで怠け者の私が
よく歩き通せたものだと感心する。
お大師様の後押しがあったからこそ出来たの
だと思う。
1200年の後の人間にこれだけ影響を与え
られるお大師様は姿こそ見えないが今でも
生きておられるのだ。
合掌。
窓から私の軌跡を追いかける。
大山寺へ行く踏切が見える。
北条の駅前、浅海の海岸、菊間の道路、
亀岡、大西、伊予富田、壬生川、2泊
した伊予小松、横峰寺、吉祥寺、前神寺
長く歩いた西条三島間の11号線。
思い出が走馬灯のように蘇って来る。
いろんな登場人物もいた。
板東駅の接待おじさんを皮切りに、安楽寺
の玄関で会った女性、その後も何度も逢い
心に残る人だった。
ハーフの女の子もいた。
聡明で、間違いなく幸せな人生を送る人だ。
常楽寺の血だらけ外国人もいた。
私は14番札所を訪れるたびに彼を
思い出すだろう。
民宿富士の大将は口数の多い人だった。
しかし2日間荷物を預かってもらい軽装で
行動出来たのは助かった。
この次もお世話になるかも知れない。
滋賀から来ていたベテランのお遍路さん
もいた。
彼も室戸岬に着く前に私の前から消えた。
最御崎寺の宿坊であった高校1年の男の子。
強烈な印象がある。
今では学校へ行ってるのだろうか。
2回目の時知り合った唯一のお遍路
さんの軽井沢の女性。
根性がありそうだった。
次のお遍路でも逢えるかと思ったが
姿は現さなかった。
3回目はとうとう一人も知り合うこ
とが出来なかった。
あの、くそ面白くもない鳥取の男以外は。
毒にも薬にもならないような奴だった。
それにしても「民宿八丁坂」から岩屋寺の
往復は辛かったな。
朦朧とした意識の中で、千鳥足で歩いたっけ。
4回目の目玉は誰が何と言おうと、やっぱり
まなちゃんだな。
楽しかった、バラ色の世界だった。
ただ私の写真を撮られてしまったのが
とても気がかりだ。
内緒ですよ、まなちゃん。
横峰寺も楽しかった。
次は香園寺からのへんろ道に挑戦
しようかと思っている。
へんろ道で一番きつい坂道ですが。
そんな思い出に浸っていると「しおかぜ」は
10時58分岡山に着き、私は11時16分の
「のぞみ」の車上の人となった。
さあ、それではいつものように総括と
いきましょうか。
宿泊費36000円ほぼ
飲食費12000円大体
交通費36000円くらい
廻ったお寺24
雲辺寺⇒太興寺⇒観音寺⇒神恵院⇒本山寺⇒
弥谷寺⇒出釈迦寺⇒曼荼羅寺⇒甲山寺⇒
善通寺⇒金倉寺⇒道隆寺⇒郷照寺⇒天皇寺
⇒国分寺⇒白峯寺⇒根香寺⇒一宮寺⇒屋島寺
⇒八栗寺⇒志度寺⇒長尾寺⇒大窪寺⇒円明寺
使った公共交通機関 名古屋鉄道三河線、本線
JR東海道山陽新幹線、瀬戸大橋線、予讃線
高徳線。
大川バス。
出逢ったお遍路さん(歩き)4人男性
出逢った猫1匹(太興寺)
出逢った犬2匹 四国はペット飼う余裕もない。
出逢ったカエル 7匹(全部雲辺寺ガエル)
間違えた道 13カ所
道を尋ねた人 16人
正しく答えた人 3人
雨の降った日 5/8日
お接待 3つ
納経料 7200円 certain
お土産代5000円 uncertain
賽銭28億5000万円-28億4999万8500円
ブログを伝えた人 2人(屋島少年と交流サロン)
所要日数 7泊8日
全歩行距離222,67km。
お金では買えない楽しい思い出が
出来ました。
これは私にとって心の財産になるでしょう。
次はいつになるか未定です。
長いこと家を空けていたので家の周りが
乱雑になっています。
それを片付けてからのスタートになる
ので来年になるかも知れません。
でもお遍路の虫が疼いて案外早くなる
かも知れません。
しばらく休みますが寂しかったら猫の
馬日記でも読んでやって下さいまし。
ご精読有難うございました。
家に帰って来ると、この日の豊田市の
最高気温は34,7℃であった。
やっばりお大師様は私の味方だ。
じゃあね!
。