四回目徳島1

5月21日

4時半に目が覚める。at half past four なのだ。

あたりはもう明るい。

歯を磨き、顔を洗い、今日のスケジュールを

再確認する。

6時37分室戸岬発7時26分甲浦駅(かんのうら)着。

あとは鉄道に乗り換えて徳島へ。

身支度を整え、フロントへ行く。

しかし、まだ誰もいない。

玄関も、境内へ行くドアも開かない。

カウンターに部屋の鍵を置く。

ベルが置いてあり、用事のある人は鳴らして

下さいと書いてあった。

1分おきに3度鳴らし、3度目から2分後に

フロントの人はやって来た。

待ちましたかと言うので、ええ10分ほどと

私は正直に答えた。

ついでに、出て行きたかったんですがドアが

開かなくってと言うと、フロントには境内への

出口の開け方を教えとけと言っといたんです

がね、と言いながらドアを開けてくれた。

お世話になりましたと礼を言い、誰よりも早く

私は山門をあとにした。

朝は結構気温が下がる。

半袖しか持って来なかったので少しばかり寒い。

しかしこの下り坂を降りて行けば、下に着く頃

には体も温まるだろうと歩を進める。

そう言えば昨日の夕食の時も、この遍路道が

話題に上った。

標高165mの境内までのこの坂道が、バス停より

歩いて5分だとガイドブックに書いてあったと私が

言うと、そりゃおかしいな、上に2という数字

をつけ忘れているなと達人は言った。

そうですよね、この坂道を5分なんてオリンピック

の金メダリストでも無理ですよねと私が言うと

、達人は、いやオリンピックで金メダルを獲る

ような奴なら、この坂を5分で登ると言った。

オリンピックとは、それぐらい凄いものだ

と、達人は更に言いきった。

読者の中にもここを訪れる人がいたら、一度

挑戦してみるといい。

距離にして695m、標高にして165mの境内

まで何分で登れるか。

ちなみにバス停からこの遍路道入り口まで

でも私は5分かかりましたが。

降りて来る途中で「血ー吸うたろかー」とばかりに

寄って来る蚊に腕を2カ所刺された。

うち一匹を原型をとどめないほどに打ちのめした。

折角お遍路してるのに、殺生するとは何事だ

とお大師様の声が聞こえてきそうだ。

きっと死んだ後、私は「蚊地獄」へ送り込まれ

るのだろうな。

裸にされて、数十億匹もいる蚊の前に突き出され

蚊の攻撃にさらされるのだろうな。

やがて殆ど血を吸いつくされ、血の気のなくなった

私は「血の池地獄」に送られるのだろうな。

血の池で採取した血液を輸血され「蚊地獄」へ

再び私は送り返されるのだろうな。

これを血の巡りと言うのだろうな。

そして蚊との血のつながりが出来た私はこの世

に戻りぼうふらとして生をうけるのだろうな。

おう、いやだいやだ。

バス停の近くに民宿「室戸荘」がある。

その駐車場に猫がたくさんいた。

おそらく室戸荘の残飯を頂いて命を繋いで

いる野良猫さんだろう。

私が呼ぶと5匹のうちの2匹は寄って来てくれた。

私は猫を撫でてやった。

しかし3匹は手の届く所まで行くと逃げてしまう。

人間と同じで猫にも性格がある。

 

 

目の前に海が広がっている。

今日は波が荒々しい。

室戸岬の立札が立っている。

5月21日、朝、6時10分、俺は室戸岬だ、と

言いたげな風景である。

バス停に行く。

6時34分の安芸営業所行きのバスが通る。

がー、乗客もいないので止まらなかった。

甲浦行きのバスが3分後にやって来た。

私がいたので止まった。

予想した通り、客は一人も乗っていなかった。

こんな時、シートの影に嵐の5人組が隠れていて

、出てきたら面白いだろうなと思う。

突「あなた一人のバスに出て来ても何の意味もない」

いいじゃん、それで「これが本当の車上荒らし

なんちゃって」とか言って次の駅で降りて行く

ってのはどうですか。

突「やっぱりあなた、精神病院へ行った方がいい」

土曜日の早朝である、おまけに国道とはいえ田舎で

ある。

行き交う車もまばらで、甲浦まで、乗り込んで来る

客もゼロというテイタラクであった。

ただ、最後まで付き合ってくれた海だけが救いであった。

7時25分バスは阿佐海岸鉄道甲浦駅に横着けである。

知らないうちは、駅とバス停の間はどれくらい距離が

あるのだろうかと心配するが、歩いて1分以内と言う

のが大勢を占める。

後免以外は。

駅の構内は思ったよりも広い。

が、夜は締め切ってあるみたいだ。

野宿する者がすごく喜びそうな駅であるから。

泊まらせてあげてもいいのにと私は思う。

駅としてはトラブルに巻き込まれたくない

からであろう。

7時58分の海部行きまで少し時間がある。

私は少し周辺を散策したい気分になった。

甲浦駅、お遍路をする人以外はまず訪れる

ことのない駅である。

田舎かと思ったが結構町だった。

ただし街ではありませんけどね。

そして私はここで衝撃的な出逢いをしてしまった。

 

 

みなさんこんにちわ、わたしカトリーヌよ。

不思議の国からやって来ました。

えっ、わたしのフルネームが聞きたいんですか。

フルネームもカトリーヌよ、漢字では香取犬と

書くのよ。

猫なのに犬だなんて、飼い主が変わり者だと

恥ずかしい思いをするわ。

みんなはわたしのことをカトちゃんと呼ぶのよ。

心外だけど、仕方ないわね。

だって犬ちゃんとは言ーぬくいから。

どこかで聞いたギャグですって。

いいじゃない、ギャグもさらにギャグれば

新しいギャグになるんだから。

お母さんは今ちょっと病気なんで、おじいちゃん

のうちにわたしは預けられているのよ。

なんで鎖に繋がれているのかと言うと、実は

わたしまだ避妊手術がしてないのよ。

本当は、お外に遊びに行きたいのだけれど、

わたしって御覧のように美人でしょ。

言い寄って来る男どもがごまんといるんで

おじいちゃんがこのようにしたのよ。

今日は見たこともないようなお客さんがやって来て

さっきからバシバシと写真を撮っているのよ。

不細工なおじさんだけど。

頭も撫でられたわ、猫パンチ喰らわせて

やろうかと思ったけどおじいちゃんが、じっと

睨んでいるんで我慢したわ。

でも、掌から猫の匂いがしてきたわ。

きっと、どこかでわたし以外の猫を触ってきたのね。

これが本当のはしご猫なんちゃって。

だんだん日射しも強くなってきたわね。

猫って暑さに弱いのよ。

それじゃ、このへんで、家に入ります。

みなさんバイバイ、猫たらしのおじさんもバイバイ。

 

7時58分、甲浦駅を阿佐海岸鉄道の車両は出発した。

乗客は私を含めて3人、たった二駅しかない日本一

小さな鉄道会社だ。

運転手さんが社長さんで個人タクシーならぬ

個人鉄道って感じに私には見える。

おそらく、このブログを読んでる方でここを訪れる

人は皆無であろう。

私はまだ10回くらいは訪れる予感がするので

あっさりと、何の説明もなく8時09分海部に

着いたと文字を羅列するにとどめる。

8時12分海部を出る。

我らが愛知出身の宰相と同じだと言えば

あえてこの地の振り仮名も必要ないであろう。

なんてうまい表現をするのだろう私は。

突「たわけー、かいふと言った方が文字が

少なくてすむわ」

田舎ではあるが民家はポツポツとある。

高知東部よりはまだ活気が感じられる。

牟岐駅で15分ほど停車した。

いつものように何故だろうと考えた。

対向車輌を待つためだろう。

それにしても15分は長過ぎるんじゃないか。

牟岐と日和佐の間に二駅ある。

乗車時間がそれぞれ6分、7分と長い。

これだけ長いということは、間に駅を設置

できない険しい環境にあるのではないか。

ゆえに二駅にも車輌がすり替わる設備も

布設できないんではないのか。

つまり牟岐日和佐の間に存在する駅は、あってないような

ものだから牟岐か日和佐かどちらかで待つしかない。

ではなぜ牟岐で待つのか。

牟岐で待てば15分待ち、この車輌が日和佐まで

行けば相手は21分待ち、だから待ち時間の短い

牟岐なんじゃないですか。

いつも言う、結論なんかどうでもいい、考える

ことが大切なことだ。

このブログは情報提供ブログというよりも

文学ブログの性格を強く出すものだから。

突「えっ、ブンブクチャガマですか」

 

9時00分日和佐に到着。

ワンマンの料金箱に料金を整理券とともに投入する。

その時ふと気が付いた。

なぜ私は海部で名古屋までの乗車券を買わなか

ったんだろうと。

ここ3日ばかり睡眠不足が続いていて、眠くて

仕方ないのでそこまで頭が回らなかったん

だろう。

ナポレオンズのように。

日和佐の駅はどちらにも出られる駅だった。

私は反対側に出てしまい、地元の人に諭され

道の駅側に出た。

珍しい、駅に隣接する道の駅だ。

これじゃ駅の駅じゃないか。

お遍路さんの観光バスも止まっている。

札所は目の前を走る道を右に500mも行くと

あった。

目印の瑜祇塔も駅から鮮やかに見えている。

この塔、なんて読むか知ってますか。

色々調べてみましたが、振り仮名を一度も

見たことがありません。

だからIMEで調べて瑜祇塔と書くしかありません。

お寺の手前に薬王寺宿坊がありました。

計画では3日目の宿はここになるはずでしたが

ならなくってよかったと思える宿でした。

営業妨害で訴えられるかも知れません。

突「うぬぼれるな、君にそんな影響力はない」

さもありなん。

日和佐もそんなに田舎ではありませんでした。

コンビニで遅い朝食を買おうと思ったが

考え直した。

道の駅があるではないか、よくテレビで

地元の女性達が地元の食材を使って料理

を作っているのを思い出した。

でもそんなものはどこにもなかった。

かわりに、たこ焼きを焼いている店が

あったのでこれを食べた。

突「たこは焼くからたこ焼き、水は沸かすから

お湯、コメは炊くからごはん」

何か横でうるさいこと言ってますけど、きっと

地元でとれたタコを使っているのでしょうね、

とっても大きくておいしゅうございました。

君にも1個あげるからアーンして

突「あーん」

施設には足湯もあり4人くらいの人が浸かっていた。

私は靴下脱ぐのも、後で足拭くのもいやだった

ので入らなかった。

駅に戻りホームのベンチに腰を降ろす。

ウェルかめの駅とかいう立札が見える。

なになに、NHKの朝ドラの舞台となった場所だと。

知らないな、ウェルかめ、まったく記憶にない。

私が見た朝ドラといえば、吉高由里子ちゃんの

やつと、多部未華子ちゃんのやつと、さくら

くらいのものでそれ以外は一切見たことが

ないのでわからない。

でも今度の「ととねえちゃん」は最高にいいドラマ

だね、中でも高畑淳子は光っているね。

突「高畑充希」

いいものを持っている。

大好きな紙ちゃんも出ているし。

 

もう一度構内に戻る。

どこかに切符は売ってないだろうかと捜した。

女性が二人いるカウンターのようなものが見えた。

「あのー、ここで切符売っているんですか」

「いえ、切符はそこの販売機で売ってます」

「近場じゃなくて、名古屋までの切符なんです」

「それなら駅の向かい側の土産物店のレジで

販売しています」

「ちなみに海部の駅では名古屋までの

切符売ってるんでしょうか」

「海部は無人駅なので近場しか売ってません」

私と職員の会話である。

つまり海部駅で買おうとしても買えなかったのである。

なんか心のモヤモヤが晴れたような爽やかな

気分で土産物屋のレジに行き切符を買った。

これで途中下車の割高料金をとられなくて済む。

10時22分日和佐を出て10時48分新野(あらたの)に着く。

駅を出て通りに行く途中で、止まっている一台の

車に出会った。

お年寄りのドライバーが乗っていた。

私は平等寺への道を尋ねた。

お年寄りは乗せてってあげましょうかと言うので

なんのためらいもなくお願いしますと言った。

いいんだ、お大師様が乗って行きなさいと言って

くれているんだから。

昨日の達人の言葉を借りれば、きっと私の体から

強い「乗せてってオーラ」が出ていたんだろう。

5分少しでお寺に着いた。

少し待ってて下さい、すぐに戻りますからなどと

言う厚かましい言葉は出て来なかった。

当たり前だ、そんなことを言おうものなら

私は階段を踏み外し、首の骨を折って即死

することだろう。

耳が遠いらしく、車内で何度も話しかけたが

一切の応答はなかった。

有難うございました、と、心の中で手を合わせた。

間違っても、老人の前で手を合わせてはいけない。

ゆとりがあったのでめずらしく境内で25分ほど

すごした。

納経所で、近藤春菜さんによく似た人に

納経をしてもらった。

もちろん、この人に私のブログのドメイン名を

告げることは出来なかった。

なぜならば、この一行を読んだ途端、彼女は

己が容貌を儚んで首をくくって最期を遂げる

かも知れないから。

言ってみれば私は下手人になるであろうから。

突「大丈夫ですよ、そんなことで彼女は死んだり

しません。体も太いが神経も図太そうだから。

だいいち、あの体でしょ、ロープがきれますよ」

猫「おい、随分ひどいこと言うなー。私は枝の

根本が折れるような気がする」

突「いっそ、根こそぎ倒れて命拾いするんじゃ

ないですか」

あくまでも皆さん、これはギャグですからね。

私は好きな人ほどおちょくる、このことを

踏まえて先にお進みください。。

帰り道を行く。

この辺りもわが故郷と同じで田植えが終わった直後

と言った感じ。

しかし高田浩吉、いや矢沢永吉、いや火災報知器

でもないな・・・あっ、そうそう耕作放棄地は殆ど

なかった。

 

 

新野高校が左手に見えて来た。

野球部員が野球をしていた。

当たり前だ、花を生けてたらおおごとだ。

昔繁華街であっただろう道を進む。

ここも御多分に洩れずガレージの閉まった

店ばかりだ。

かろうじて、着物の店、用品店、理美容院、などが

息も絶え絶えに生きていると言った感じだ。

五十年も前には、この通りも活気に満ちた熱い

町であっただろうに。

人々は希望に瞳を輝かし生きていたことだろうに。

そして、この町で多くの恋も生まれたことだろうに。

あの盛況は一体どこへ行ってしまったのだろう。

日本の人口が減った訳でもないのに、人々はどこへ

消えてしまったのだろう。

ああ、人生とはなんて無常なのだ。

突「こらこら、おっさん、駅を通り過ぎたぞ」

あっ、すいません。

私を送ってくれた老人はもういなかった。

いつもの病気が始まる。

徳島から来る気動車が11時03分にこの

新野駅に着く。

私の乗った気動車は10時49分にこの駅に着いた。

おそらく老人は徳島から帰って来る老妻(83)を

駐車場で待っている所を私に声をかけられたのであろう。

日頃から、お遍路さんを大事にしている老人は

片道5分の平等寺まで行っても、とんぼ返りすれば

妻の帰りには間に合うだろうと私を運んでくださった

のだと思う。

有り難いと思う、この分はまた私も誰かのために

尽くそうと思う。

愛は天下の回りものと言うではありませんか。

駅に電話があった。

今日のホテルの予約をそろそろしようと思った。

いくつかの候補の中から高松サンシャインホテル

を選んだ。

部屋は空いていた。

12時31分徳島行きのワンマンカーがやって来た。

当初ホームには私と高校生しかいなかったが、

いつしか新野高の生徒で一杯になっていた。

徳島では土曜日も高校はあるのかな。

阿南の駅でまた15分ほどの待ち時間が出来た。

この先、徳島までに秘境駅などない。

すると牟岐駅での私の推理は間違っていたの

かも知れない。

時刻は12時46分だ、運転手さんが遅い昼飯を食べて

いるんだろ、と結論付けてこの話はチョン。

満員のワンマンカーは13時44分徳島駅に着いた。

当初の予定では徳島バス石井循環線には10時45分

に乗るはずだった。

そのため他の時刻は調べてなかった。

不安を抱きつつ駅前の徳島バス4番乗り場へ来て

案内所で訊く。

「井戸寺へ行きたいのですが」

「井戸寺行きは今出ました」

まさにキャイーンである。

石井循環線というのは右回りと左回りがある。

圧倒的に私は左回りの的中率がいい。

なんのこっちゃ。

「いまからですと14時45分発の左回りに乗り、

15時50分に井戸寺発の右回りに乗れば16時17分

に徳島駅に戻って来れます。これが一番早い便です」

私は案内所で丁寧な説明を受けた。

まだかなり時間がある。

今日は朝からとにかく眠い。

所々記憶がないのはそのためであろう。

しかしだからと言って眠ってはならない。

大変なことになる。

その時、私の横に一人の女性が座った。

10時45分のバス、13時45分のバスに乗ってたら

生涯絶対に逢えなかった女性である。

女性はお遍路の姿はしていなかった、が金剛杖

を持っていた。

昔のことわざに頭隠して尻隠さずってのがあるが、

まさに白衣隠して金剛杖隠さずというやつだ。

私はこの機を逃さなかった。

「お遍路ですか」

私の質問に彼女はええと答えた。

彼女は私と同様に公共交通機関を使って札所を

廻っていると言った。

当然廻れない寺も出て来る。

それは改めて車で廻ると言った。

私は昨日の最御崎寺のバス停から5分の話を

彼女にして、ガイドブックなんてあてになら

ないと言った。

すると彼女はリュックからガイドブックを

出してきた。

ギョギョェー(さかなクンではない)なんとそれは

超悪書「るるぶの四国八十八カ所」であった。

私は最御崎寺のページを開くように言った。

そして、ここの、バス停から5分のところがと

指差したら20分に変わっていた。

私同様るるぶに苦情を言ってった人がたくさん

いたのだろう。

彼女の持ってる改訂版では訂正されていた。

彼女は私に似た八十八カ所のアタック方法で

あるからと、私はブログ「不思議の国のしろひ猫」

の熟読を勧めた。

きっと参考になるからと。

彼女は早速ブログを開いた。

生々しい私のブログを私は初めて人のスマホで見た。

今まで何の反応もなかったので、実は私のブログは

存在してないのではないかと疑っていた。

とてもうれしかった。

何度も言うが今日は朝から眠くて仕方がなかった。

殆ど、朦朧とした意識の中での彼女とのやり取り

であったので記憶違いも多々あるかも知れない。

バスがやって来た。

頑張ってくださいね、と彼女に別れを告げた。

一度開いたブログだ。

きっと彼女は私の読者になってくれると信じて。

バスは「元町」「佐古一番」…「佐古八番」と移動した。

昨秋来た街だからまだよく覚えている。

私にとって松山が第二の故郷であるのなら、

この徳島は第三の故郷である。

懐かしさのあまり涙が出て来る。

本当は眠くてあくびばっかりしてるから

出るんですけどね。

井戸寺は平地にある名刹であった。

例によって所定の作業を終わり、木陰の

ベンチで休息をとる。

今日で四日目、好天に恵まれた。

傘も持って来てない。

天気予報では降る可能性はほとんどないと

言ってたから。

今日のお遍路も、この寺で終わり、77番目となる。

なんか縁起のいい数字ですね、パチンコファン

じゃないですけど。

脇から入ってしまったので、帰りは山門を通り

一礼をしてバス停に向かう。

15時50分バスに乗り16時17分徳島駅着、16時26分

うずしお18号の人となる。

高松までの車窓の風景も以前見た時ほど

田舎には見えなかった。

多分、私がここに住むことになったとしても

さほどの苦痛は感じないだろう。

高松に15時30分に着いた。

駅を降りてサンシャインホテルを探した。

駅のすぐ近くと電話では言ってたので、駅の

周辺を探す。

しかし、サンシャインホテルは私の目には

飛び込んでこなかった。

宿泊施設案内所なるものがあった。

訊いてみると、サンシャインホテルは栗林駅の

すぐ近くだと言う。

確かに私は料金が安いということで、栗林駅近く

のホテルもいくつかピックアップはしておいた。

しかし、高松サンシャインホテルが栗林駅近く

にあるとは知らなかった。

やっぱりこれも睡眠不足がなせる業か。

18時03分私は栗林に向かう列車に乗った。

サンシャインホテルは歩いて3分ほどの所にあった。

電話した時、駅から近いですよねとは言ったが、

高松駅からとは言わなかった。

向こうは栗林駅からと当然思うだろう。

また、ドジを踏んだ、猫踏むよりはましだけど。

ホテルの近くにスーパーマーケットがあった。

肉団子とポテトサラダと稲荷ずしと500mlの

缶ビールを一本買った。

このお遍路で初めてのビールである。

そしてこの缶ビールを飲み干すや否や、私は

睡眠不足を解消する深い眠りに陥った。

「ZZZZZZZZZZ・・・・・・」