o.Hen-ro その6

2017年4月18日

 

朝4時半に目が覚める。

目覚まし時計はセットしてあるが、必ずそれより

早く目が覚めてしまう。

性分だから仕方ない。

雨は、ついさっき、あがったばかりだ。

コーヒーとパンで朝食を済ませ、5時45分に家を出る。

当然、とーちゃんにご飯をやる。

「それじゃ、とーちゃん行ってくるよ。必ず

輝く巨人の星になって帰ってくるからね」

突「お前は星飛雄馬か」

駅に着くまで、また猫の話でもして行きましょうか。

猫の前足と後足はそれぞれの役目がある。

前足は木に登る時に、後足は高い所へ上がるために

使う。

その他の用途としては、前足は闘争のための猫パンチ

を繰り出し、後足は痒い所を掻くためにある。

したがって頭頂部から尾の付け根当たりまでは掻けない。

前足で頭頂部などは掻けそうに思えるが、爪が

鋭く、手のひらを返すことも出来ないので無理である。

誰も猫が、初代林家三平が「どうもすいません」と

やる時のポーズで額を掻いてるのを見たことが

ないはずである。

また武器としての前足は常に研いでいるが、後足の

それは自分の身を傷つけてしまうため、やや丸くなっている。

話はかわるが、猫もおならをする。

時々、一緒に寝ているフックンにされたことがある。

「お前はなんて奴だ」と怒る。

突「猫さんだってするでしょうが」

猫「しかし、猫の分際でご主人様にひっかける

とはけしからん」

突「そういうのを不公屁と言うんですよ」

 

落ちが決まったところで駅に着く。

駅のホームに立つ。

目の前に麦畑が広がっている。

田植えはまだ2週間くらい先だ。

空は曇っている。

上空でひばりが鳴いている。

曇り空ひばりである。

しらずしらずあるいーてきたー

ほそくーながいこのみちー

失礼いたしました。

6時10分の知立行きに乗り、27分岐阜行き特急に

乗換え、48分名古屋に着く。

JR切符売り場で中村行きの乗車券と、後免までの

特急券を購入する。

一部に土佐くろしお鉄道は含まれているが、有効

期間は5日間であることを駅員さんに確認する。

いつもの7時6分発の「のぞみ」に乗る。

これよりも早い便はあるが、それに乗るためには

名古屋に一泊しなければならない。

そこまでして早く行かなければならない理由は

ないので、結局この便に落ち着く。

空は曇っているが、雨の心配はなさそうだ。

もはや、車内の話も車窓の話も出尽くしたので

紀行文の裏話でもして行きましょうか。

よく、細かく書いてあるが、メモでもとって

いるのかと訊かれる。

一応メモ用紙は持って行くが、ブログのタイトル名と

ドメイン名を書いて渡す以外に一度も使った

ことはない。

メモ用紙に書くという作業は結構時間がかかる。

その間私の目はメモ用紙に向いている。

つまり風景を見逃していることになる。

だから私は両目をカメラとして脳に映像を

残していく。

時刻は、バスや電車の時刻から大体わかる。

こうして帰って来てから映像をよみがえらせる。

その映像に付随する諸々の出来事も鮮烈に

よみがえってくる。

つまり、体が覚えてるってことさ。

見たことを一々メモするってうっとうしい

作業なんです。

旅の楽しさが半減してしまう。

新神戸を出たあたりで、恒例のホットコーヒー

ラージを注文する。

岡山まであと30分、空に占める青の部分が

次第に多くなってきた。

8時44分岡山に到着、急いで瀬戸大橋線8時51分

発の「南風3号」に乗り換える。

列車はほぼ満員であったが、わずかに残る空席が

私を待っていた。

いやですよ、後免まで立って行くなんて。

しかしこの列車、結構混む。

最初に乗った時は1年前でガラガラだったが、

2度目に乗った時はデッキまで人が溢れていた。

その時は多度津で乗り換えたから良かったが、

この乗客高知まで行くのだろうか。

今日は見極める時が来た。

すると乗客の半分くらいは、琴平で降りた。

四国でも指折りの観光地「金毘羅さん」が

ここの駅から近い事を思い出した。

そうか、以前混んでた時も、きっとここで

多くの人が降りたのだろう。

高知まであれだけ沢山の人が行くのも

おかしいと思ったが。

読者の中にこの列車に乗る人がいたら、

ちょっと古いが「安心して下さい。金毘羅

までです」と言っとこう。

総本山善通寺を過ぎ、池田を過ぎ、もう一つの

観光地大歩危を過ぎ11時21分後免駅に「南風3号」

は到着した。

私は列車を降り、パンを食べながら奈半利行きを待つ。

気動車が私の待つホームの反対側に入って来た。

後免駅はJRとくろしお鉄道が共有している駅である。

北側のホームはJRの専用ホームであるが、南側は

両社の併用となっている。

私はホームにいた、くろしお鉄道の車掌さんに

この車は奈半利行きかと訊いた。

車掌さんは、安芸行きですが、安芸の駅で

奈半利行きの車は待ってますと言った。

私は急いで気動車に乗り込んだ。

車掌さんのユニホームが去年とは替わった。

下はパンツになり、かっこよくなったと思う。

乗客の差し出す紙を見て、何やら切符をきって

いるみたいだ。

車掌さんが私の前に来た。

私は私のブログが少しは読まれているかと訊いた。

車掌さんは知らないという。

昨年12時40分発の奈半利行きの乗務員さんに

渡しておいたやつだが、どうやらゴミ箱に捨て

られたらしい。

そうですか、と力なく私は言った。

「次は後免町のごめんまちこさんです」

と車内アナウンスがあった。

な、なんじゃそりゃ。

どうも後免奈半利線の各駅にはそれぞれのゆるキャラ

があるらしい、と地元の人に教えられた。

よしかわうなおくん、うなぎがよく獲れるんだ、

かがみみかんちゃん、みかんがよく獲れるんだ、

やすにんぎょちゃん、人魚がよく獲れるんだ、

そんなもの獲れるかいな。

目の前の太平洋を見渡すと、海は黄土色と化していた。

どうやら昨日の土砂降りが、山から土を連れて

来たらしい。

せっかくの青い海が台無しである。

が、この土に栄養分がどっぷりとあり、よい漁場

を形成するのであるから、たまには仕方ないか。

雨は夜半にあがったが、風はまだ強い。

岩にあたる波が、大きく砕け散る。

東映映画の冒頭シーンのようである。

時々、車掌さんの仕事ぶりを目尻にとらえる。

どんくさそうで、不器用で、要領が悪そうで、

友達もあまりいなさそうな、きっと私に娘がいたら

こんな子になっているだろうなという子だった。

でも純真無垢で、一生懸命頑張っている姿に好感が

もてる。

頑張れ、と心の中で声援を送る。

安芸に着いた。

ボールペンを持って来るのを忘れたので、隣の

人に借りてタイトル名とドメイン名を書き、

降りる時に彼女に渡した。

反対ホームに2輌の気動車が停まっていた。

東が12時33分発奈半利行き、西が35分発の

高知行きである。

私はすぐさま奈半利行きに乗った。

私達を乗せて来た車両は東へと去った。

しばらくすると東から一輌やって来た。

どやどやと乗客が降りて来た。

こちらが高知行きの車輌でございます、と彼女は

説明をしている。

声は聞こえないが、多分そんなだろう。

12時33分、車輌は動き出した。

去年タクシーを待った唐浜の駅が見えた。

20分ほどで終点を迎え、13時02分のバスに乗り替えた。

黒耳第一、第二、第三というけったいなバス停を

経由して元橋に13時35分に着いた。

このあたりの海は、まだ幾分ましである。

バスを降り百メートルほど引き返し、橋を渡ると

田園が拓けてきた。

予想通り、もうここら辺りでは田植えが終わっている。

ビニールハウスも多く、中ではトマトを栽培しているようだ。

中から生暖かい風がモワーッと出て来る。

しばらく行くと車道と別れ、へんろ道に入る。

へんろ道の描かれた黄色の表紙の地図には、麓と

山寺の、距離と高低差が示されている。

とても便利である。

これによると、この遍路道入り口が高度15mで

お寺が165mであり、その間の距離は600mである。

つまり600mで150mあがる坂道である。

とてもきつい坂で時々立ち止まっては前に進む。

20分ほどで駐車場に着き、自販機でコーラを

買って飲む。

渇いた喉が喜んでいる。

小休止の後、さらに境内までの階段を登る。

心臓が躍っている。

お参りを終え、階段を降りて行くと40代くらい

の男性と逢った。

「きついでしょ」

と言うと

「きつい」

と言って階段の登り口でへたり込んだ。

下り道を降りて行くと、自転車を引いて登って

来る若者に逢った。

彼はこの後来た道を戻らず、西へ向かうのだろう。

14時45分バス停に着く。

まだしばらく時間がある。

バス停の小屋の中でうつらうつらする。

目を覚ますと、となりにおばあちゃんが

座っていた。

いつもこのバス停で待っていると、おばあちゃんが

現れる。

それもそのはず、すぐ近くに室戸病院があるのだ。

このあたりは大変ですね、津波が来たら。

私も、いつもこのあたりに来ると津波の話しかしない。

「最後の大地震が来た時、わたしは奈半利に住んでた

けど、そんなに大きな津波ではなかったですよ。村で

死んだ人も二人くらいだったかな」

とおばあちゃんは言った。

バスが来て、長い階段の津照寺をお参りし、次の

バスで室戸岬に着いた。

近くにあった観光案内所は他の場所に移っていた。

別に用事もないのでいいけど。

室戸荘の猫たちも今日は一匹もいなかった。

 

私は最御崎寺へのへんろ道を登り始めた。

地図によれば距離700mにして高低差155m、

金剛頂寺より幾分緩やかであることは体感できた。

境内に入ると時刻は17時20分、もう納経時刻の

デッドラインはとっくに過ぎている。

蝋燭の片づけをしている男の人がいた。

「もう、納経はしてくれないのですか」

と尋ねると

「しましょうか」

と彼は言った。

「いや、今日はここに泊まりますんで、あとで

やってもらいます」

と言った。

皆さん、最御崎寺の納経所は17時20分でもやって

くれる可能性はありますよ。

でも、まずは17時ですけどね。

へんろ協会がとてもうるさいと、どこかの納経所

の人が言ってましたもの。

お参りを済ませ、フロントに行く。

先客がいたので5分ほどソファーで待つ。

「昨日予約をした○○です」

と言うとおばちゃんは予約帳をペラペラめくり

「ないですねえ」

と言った。

「そんなこと言っても予約したんですよ。ちゃんと・・」

「まあいいですよ。部屋は空いてますから」

おばちゃんは私の言葉を遮って言った。

本来の予定であれば月曜日の出発であった。

しかし土砂降りとの天気予報のため1日延ばした。

滅多に宿の予約などしない私が予約したのは、

先程も説明したように宿坊に泊まる人は夜間に

納経をしてくれるからです。

予定を立ててみても、どうしても17時以前に

この最御崎寺に滑り込むのは無理だと分かったからです。

「明日は5時半には宿をでますから朝食はいりません」

「それでは5500円になります」

料金を前払いし私は部屋に案内された。

旅装を解き、私はベッドに大の字になった。

「あー、疲れた」

しばらくウトウトする。

腹がグーグーと鳴った。

食事は6時からであったがすでに6時20分になっていた。

私は食堂に向かった。

フランスの女性が二人食事をしていた。

私を見て何か言った。

私もこんばんわと答えた。

2人は私を見ながら何か喋っている。

感じからして、まあこんな若い人でもお遍路するんだ。

なんて可愛いイケメンなんでしょうと言ってるみたいだ。

若造りしてますけど私67歳なんですよ。

恋多きフランス女性には男の良さがわかって

いるみたいだ。

目の前に出された料理は豪勢だ。

はまちの刺身、かつをのたたき、天ぷら、えび等々

食いきれないほどあった。

私はご飯を三杯食べ、完食してしまった。

目の前のテーブルには塚本なる人の名が書いた紙

が置いてある。

が彼はまだ来てなかった。

やがて彼は来た。

「塚本さんて、みよしから来てるんですね。

さっき受付で見てびっくりしました」

「あなたは」

「私は隣街の豊田市の住人ですよ」

この後、私は彼と30分ほど話をした。

豊田市と早く合併をしないから三好市を徳島県

に取られてしまった、自分は三好池のすぐ近くに

住んでいる、19年前に癌になった時医者から運動

することを奨められ三好池周辺を歩いていたが

物足りなくなってお遍路に出るようになった、

最初はただ歩いているだけだった、ある日道端で逢った

おばあさんに、この杖を持って行ってくれと言われ

たが断ったらしかられた、おばあさんは歩けないので

分身である杖を一緒に連れてってくれという意味で

言ったことに気付き、その杖を持って歩くようになり

気が付いたら菅笠、白装束で般若心経も唱えるように

なっていた。

と語った。

また地元で逢うことがあるかもしれませんね、

と言って私は食堂を後にした。

楽しいひと時でした。

部屋に戻り、風が木を揺らす音と潮騒を子守歌に

ぐっすりと眠った。

本日の歩行距離 9,56km

 

4月19日

5時に目を覚ます。

すぐに着替えてフロントに行く。

おばちゃんは朝食の用意のために、すでに

動いていた。

フロントのベルを鳴らしおばちゃんを呼ぶ。

ルームキーを返しスカイラインへの道を尋ねる。

玄関を出て左に降りて行くと観音様があり、そこを

左に行けばバス停に着くと教えてくれた。

言われた通り大通りに出る。

車はまったく走っていない。

相変わらずの強い風に翻弄されながらも前に進む。

スカイラインから見た太平洋

 

海が見えて来た。

やはり波も洗い。

下の道路も殆ど車は走っていない。

20分ほどで下の道路に出る。

しかしバス停がどこにもない。

人は全く歩いていない。

バスの時刻が迫る。

折角早く起きたのにバス停を捜さなければ

なんにもならない。

目の前に民家が見えた。

時刻は5時55分、悪いとは思ったが呼び鈴

を押した。

「はい」

家の人が出た。

「旅の者ですが、このあたりにバス停はないでしょうか」

私は尋ねた。

「ちょっと、待ってて下さいよ」

ご主人らしき人の声が返って来た。

しばらくして、ご主人はズボンのチャックを

引き上げながら出て来た。

「バス停はこの大通りにはありません。旧道の方に

あります。あそこです」

と指差した。

「有難うございます」

私は礼を言った。

本当に山本さん朝早くから、ご迷惑をおかけしました。

6時6分のバスに乗り、奈半利駅へと引き返した。

奇異な行動のようにも見えますが、岡山、高松、徳島、

牟岐、甲浦と辿るよりもこちらの方が速いのです。

すでに25番、26番、とお参りは済ませてあるので次は

土佐くろしお鉄道唐浜駅を目指します。

奈半利駅で250円の唐浜行きの切符を買った。

乗客は私を含めて5人程度のものか。

途中から若い女性のお遍路さんが乗って来た。

気動車は7時03分発で7時11分に唐浜に着いた。

当然お遍路さんも降りた。

私は、お寺までどれくらい時間がかかるのか

未知数なので、構わず足を速めた。

荷物があっては足手まとい、どうせここへ帰って

来るのだからと、リュックは草むらに隠した。

どうせ大した物は入っちゃいない、汗臭いパンツや

シャツを見たら、何もとらずに置いて行くだろう。

駐車場の、左から出る道を抜け、札所への新しい

道を登っていく。

よく晴れている、風はやや冷たいが、これから

山道を登ると気色良くなってくる。

車は殆ど通らない、それでいて結構広い車道を

快適に登る。

坂道は緩やかだ、白峰寺から根香寺あたりの

それと同程度といったところか。

やがて旧道と合流する。

ここら辺りから、道は狭くなり傾斜もきつく

なって来る。

地図によると、所々にへんろ道が描いてある。

いわゆるショートカットである。

私にはどうもこのへんろ道が、姑息に見えて

仕方ないのである。

仏に仕える者であるなら王道を歩くのが

筋と言うものではないだろうか。

そんなことをぶつくさ言いながらへんろ道を

登る。

 

金剛頂寺や最御崎寺の道と同じくらいきつい。

へんろ道、車道を交互に登り駐車場まで

辿り着いた。

本堂まであと300m、高低差70mの道標を見た時

、本当にきついのはこれからだと思った。

坂道を登り、階段を登り、心臓を躍らせ、

息を切らし、やっと本堂の前に立った時

8時半を少し過ぎていた。

「やっぱりへんろ道はきついですね」

納経所で言うと、

「車道もへんろ道もそんなに距離的に変わらない

ですから車道を歩いた方が楽ですよ」

と納経所の人は言った。

急がば回れか。

駐車場にうどん屋があった。

時刻は8時40分、次の安芸行きは9時58分、

微妙なところだが詫間駅の苦い思い出が

脳裏をよぎる。

一本遅れれば全てのスケジュールが狂って

しまい大変なことになる。

後ろ髪を引かれつつも下山を開始する。

来た道とは違う旧道を歩く。

途中で自転車を引いて上がってくる人に出会う。

自転車を背景に、その人の写真をとらせてもらう。

帰りは座っているだけだから楽ですねと言うと

、ブレーキばかりかけているからシューがすぐに

すり減ってしまうと言った。

パンクはするんですかと尋ねると、今回はまだ

ないが修理の勉強はしっかりしてきたと言う。

じゃ頑張って下さい、写真をブログに載せても

構いませんか、と訊くとどうぞと言われた。

私のブログで、初の人物写真、と胸がワクワク

したが帰って来て見たら、どこにもなかった。

撮りそこなったみたい。

私のブログのことを伝えてなくてよかったと思う。

農機具を積んだ軽トラックに逢う。

お遍路さんにとって聖なる道も、お百姓さんに

とっては単なる農道か。

途中で今年初めてのヘビを見た。

再び軽トラックのおじさんが女の人と話を

しているのが見えた。

近付いて「おはようございます」と言うと

「おはよう」と挨拶が返って来た。

が、話し相手の女の人はどこにもいなかった。

それは軽トラックのラジオから流れる

音声であった。

クイズが出ているみたいで「正解はひづるいでした」

と言っていた。

ひづるい・・・何十年ぶりかに聞く言葉である。

既に死語となっている、眩しいという意味の言葉で

、三河地方の方言である。

高知県でこんな放送が流れるとしたら、恐らく

NHKの全国放送であろう。

9時30分駅に着く、草むらのリュックを背負い、

ホームに向かう。

切符を買おうと思うが券売機がない。

丁度そこへ女性が来た。

車内で整理券をとり、安芸で乗り換えると車掌

さんが乗って来るのでそこで切符を買うのですよ、

と女性は教えてくれた。

「海がすぐ近くで、とってもいい所ですね」

私が言うと彼女は

「でも、車がないと生活するのにとても不便ですよ」

と言った。

「南海トラフ地震が来たら、このあたりの家は

全滅ですね」

「家を建て替える人は、みんな高台に建てていますよ」

「昨日、室戸のバス停で往来の車を見ていたんです。

殆どが乗用車で、他はコンクリートミキサー車と

電気工事や水道工事の軽トラックしか見ませんでした。

このあたりには大きな産業がないんですね」

「トラックは大体、深夜とか早朝に走るんですよ。

早朝までに商品をお店に届けるんです」

彼女は言った。

私の質問の趣旨を彼女は把握していなかった。

自動車や電化製品のような大きな会社に部品を納める

トラックという意味で言ったのだけれど、見たことも

ない彼女には理解できなかったのだろう。

「それにしても乗客が少ないですね。土佐くろしお鉄道

は赤字ですよね」

「でも安芸球場でタイガースの試合がある時は

超満員ですよ」

「ああ、あの球場前とかいう駅の前にあるドーム

ですか」

「ええ、特にタイガース模様の電車なんかごった返して

いますよ」

彼女は言った。

やがて気動車はやって来て、安芸駅に着くのに

さほどの時間は要しなかった。

乗り換えるとすぐに高知行きは発車した。

前の便から一緒だった男の人が、私の同行二人

のバッグを見たのだろうか、近づいてきて

車掌さんに整理券を見せて、行く先を言うと

切符を売ってくれると親切に教えてくれた。

田舎の純朴そうな五十代くらいの人だった。

やっぱり四国の人は優しいと私は思った。

10時49分のいち着、次に乗るのは13時00分、

時間はたっぷりある。

駅の売店でパンを買い、駅前の大通りを右に向かう。

この駅にはレンタサイクルがある。

が、次の便まで2時間以上もあるので歩くことにした。

平坦な道である。

空は晴れているが汗ばむことはない。

のいちの動物園があった。

この次の歩き遍路の時には是非寄りたいと思う。

途中にへんろ道の道標はあるが大通りを進み

車道を右に上がる。

この旅5つ目の札所の巡杯を終え、来た道を戻る。

先程、パンを食べたが空腹は満たされておらず、駅前の

大型食料品店でおにぎり2個と竹輪とさつま芋の

天麩羅を買う。

やっぱり私は変わり者だ。

しかし天麩羅にはソースも醬油もついていない。

私の地元ではついているのに、この点はちょっと

四国に不満である。

昼食を済ませ券売機で切符を買う。

後免まで250円である。

昨日後免から奈半利まで買った時1070円であった。

今日は奈半利唐浜間250円、唐浜のいち間910円、

のいち後免間250円である。

やはりこま切れに乗ると割高である。

しかし一日乗車券は1600円だから、これで

行くしか仕方ない。

後免駅13時07分着、今回は駅裏に降り、右に曲がり、

大通りを左に進み農業高校通りを目指す。

が、農業高校通りのバス停を見逃し一つ先の

バス停に着いたところでバスはやって来た。

ちょっとヤバかった。

バス停名は土橋、なんか懐かしい名である。

13時21分国分寺通りに着く。

高知で多いバス停名は何々通りである。

ちなみに徳島で多いのは何々中である。

私は最初、寄井中というバス停を寄井中学前だ

とばかり思っていた。

突「それじゃ漫才師のたかさんじゃん」

中というのはその土地の中心地という意味だと

2回目の訪問で理解した。

5分で29番札所国分寺に着いて、10分の滞在の後

、門を出て西へと向かった。

突き当たりの道を右に(北)向かい256号線を捜す。

いくつか枝分かれした道があり迷ってしまいそうだ。

その時民家から出て来る車と出逢った。

私は運転している女性に256号線への道を

尋ねた。

女性はどこへ行くのかと訊き返してきた。

善楽寺へ行くと言うと、ちょうどそちら方面へ

行くので乗ってったらと言う。

いえ、修行の身ですのでそれはちょっと、と

お断りする。

それじゃあ、と、女性は丁寧に道を教えてくれた。

乗って行ったらと、後部座席にいた二人の

おばあちゃんも言った。

ありがとうございますと言って私は3人と別れた。

へへへ、本当はバス停まで歩くだけですけどね。

車がやっと一台通れる狭い256号線を進み、32号線

を横切り突き当たりの道を左に折れた。

すぐにおばあちゃんが出て来て、お遍路さん

ですかと訊く。

はいそうですと答えると、おばあちゃんは

安全ピンにつるした、お手玉を小さくしたような

フクロウの飾り物を私の胸につけてくれた。

これは接待です、と言った。

化粧をした、若い時はさぞ綺麗だったであろう

と思われるおばあちゃんだった。

あなたで10人目です、とおばあちゃんは言った。

わっ、私は10股かけられた。

これで私を手玉に取ろうと言うのかえ。

折角、接待をしてくれたのに、こんな冗談を

言って申し訳ありませんでした。

きっと窓から見てたんですね。

本当にお遍路さんにとって、お接待と言うのは

嬉しいものですよ。

国分通バス停から14時08分の県庁行きのバスに乗る。

国分寺通と国分通、よく似ているので間違え

ないように。

14時20分一宮神社前で下車。

くれぐれも言っときますが、いっくですからね。

少し引き返したところの信号を渡る。

すぐ目の前にお寺があるが、これは善楽寺では

ないので気を付けるように。

突「何を気を付けるのですか、別にここもお参り

してもいいじゃないですか」

時間があったらここもお参りしてあげて下さい。

お寺の横の細い道を300mほど行くと右側に

30番札所善楽寺はあった。

ベンチでお遍路さんがアイスクリームを食べている。

おいしそうだな。

蝋燭、線香、賽銭、願い事、納経と一連の所作を終え、

来た道を戻る。

断っておくが、まだ私は一度も、競馬が的中します

ようにと言うような次元の低い願をかけたことはない。

私の願いはただ一つ、気持ちよく生きていけますよう

にだけです。

そのためには悪い事、うしろめたい事はしないことです。

14時49分宇佐行きに乗る。

スカイライン入り口に16時03分に着くから、青龍寺

の納経時刻にぎりぎり間に合うが、また明日同じ方向

へ走らなければならないので行かない。

15時04分高知駅BTに降りる。

15時も過ぎ、チェックインも出来るので荷物を置いて

次の札所へ向かおうとホテルを目指す。

が、目指すホテルは現在解体中であった。

去年連泊したコンフォートホテルだ。

重い足取りでBTに戻る。

MY遊バスの乗り場を捜したが見つからず、人に訊いたが、

5人目の人がやっと正しい場所を教えてくれた。

高知の人はMY遊バスなんて乗りませんものね。

バス停は駅前の右側にある駐車場にある。

切符は車内で買うのかと訊いたところ、観光案内所

で販売しているとのこと。

1000円で販売しているが、私は竹林寺に行きたいと

行ったら、竹林寺までの往復でしたら600円ですと

言われた。

やっぱり四国の人は優しい。

こんなもの普通、聞かなかったことにして1000円で

売りますよ。

はりまや橋まで歩き、三ツ石まで250円、三ツ石から

20分歩きやっと竹林寺、再び三ツ石まで歩き250円

を払って帰って来ることを思えば、玄関横づけで

600円とはリーズナブルな価格である。

15時40分MY遊バスがやって来た。

乗客がドヤドヤと降りて来て、乗ったのは私一人だった。

時刻が時刻だけに今から観光を始める人はいない

ですもんね。

竹林寺まで私一人だった。

五台山の一方通行の山道を登り16時09分竹林寺

バス停に着いた。

お参りを終え、高知駅には17時01分に着いた。

まだ宿探しと言う難問が待っている。

私は先ほどMY遊バスのチケットを販売した、

観光案内所を再び訪れた。

ホテルの予約がしてないと言うと心当たりのある所

へ電話してくれた。

1件目は満室だと言われたが2件目のロスイン高知

で決まった。

予約金1000円を払い、コンフォートホテルの前を

通りロスインを目指す。

お遍路の地図にコンフォートホテルが載って

なかったのでおかしいと思ったがこれだったのだ。

改訂版は16年4月の発行であるが、すでに取り壊しの

計画が届けられていたので載せなかったのだろう。

予約さえすればすぐわかったことでしょうがね。

フロントに行き、連泊の料金を前払いし部屋に入る。

近くのスーパー「サンシャイン」で夕食、朝食を

ごっそり買い21時に寝る。

明日も早いぞ。

本日の歩行距離24,32km

 

4月20日

6時に目が覚めた。

と言えばよく眠っていると思うでしょ。

でも実際はうつらうつらとしか寝ていません。

よく目も覚めますし。

寝すぎたらどうしょう、計画が大幅に狂って

しまう、そう考えると熟睡は出来ないのです。

6時40分駅BTに向かう。

駅前の歩道橋を渡る。

高所恐怖症の私はこの歩道橋が苦手である。

渡ってる最中、橋がバキッと折れ、私は道路に

落下し、車に頭を潰される。

そんな恐怖感に襲われます。

両手を遮眼革のように使い下を向いて渡る。

後免町方面行きは1番乗り場だ。

となりに居たおじいさんが時刻表を見て、さかんに

首を捻っている。

「どうしたんですか」

と私は訊いた。

春野庁舎に行きたいのですが時刻表が

ないのですと言う。

たしか春野庁舎へ行くバスは堺町が始発のはずですよ、

ここからは出ていません、堺町まで行くしか

ないですよ、と私は言う。

堺町はここから遠いですかと言うので、歩いて

15分くらいですよと言うと、じゃ、歩きます

どうも有難うございますと言う。

私も明日は春野庁舎まで行くので、念のためと

バス案内所で時刻表をもらう。

すると始発駅は一宮営業所であった。

一宮が始発で堺町を通るとなると、と案内所で

訊いてみると、BTには寄らないが駅前で停まると言う。

しまった、と思ったが後の祭りである。

英語で言うと・・・そう、アフターザフェスティバル

ですね。

私は急いで老人の後を追おうとしたが、もうバスが

やって来るので断念した。

許せよ、老人、しかし健康のためには歩くのは

よいことだ、私はよい事をしたのだ、そう思い込む

ことにした。

7時にバスが来た。

とさでん交通バスは徳島バスと違い、わりと定刻

に近い時刻にやって来る。

バスは、はりまや橋を通り、昨年とは違い美術館から

五台山トンネルを抜け医療センターへと向かった。

三ツ石から三里、大平山トンネル、医療センターと

言うルートからすれば随分と時間短縮である。

医療センターから高知県立大学、望海ヶ丘と続く。

望海ヶ丘とは団地であり、通学の小学生がいっぱい

歩いている文字通り、のぞみの丘である。

いくつかの望海の名のつくバス停を過ぎて

バスは技術学校前を通り峰寺前に着いた。

7時41分であった。

道路の反対側に渡り、目の前の坂道を登っていく。

突き当たりを左に曲がると、お遍路さんの

ためにと、花が一杯置いてある。

 

きっとこの家の人は飛び切りに優しい人であろう。

さらに突き当たりを左に曲がり山道に入る。

結構きつい坂道を300mも行くと峰寺駐車場に着く。

 

階段を登り本堂へ行く。

お参りを済ませ、納経所へ向かう途中に

ポン菓子の無人販売があった。

納経をしてもらう。

少し時間があるので、前から訊きたかったことを

納経所の人に訊く。

歩きお遍路の人は雨の日はどうするんですかと。

セパレートのカッパを着ると言う。

傘じゃ駄目ですかと言うと、風の強い日も

ありますし、山道を登るのがとても危険です、

と言っていた。

それってどこで売ってますと訊くと、お遍路グッズ

を売っている店なら大抵ありますよと言う。

帰り道ポン菓子を買い、目の前のベンチで

むさぼる。

確か去年も同じことをした。

よくよく考えてみると、同じ所で写真を撮り、

同じ自動販売機で飲み物を買い、同じコンビニで

食べ物を買っているような気がする。

やはり人間には、行動にも癖みたいなもの

が出るようだ。

通りかかった団体さんの中から、おいしいですか

と声がかかった。

おいしいですよと答えておいた。

9時08分バスターミナル行きに乗り42分

はりまや橋で降りる。

300mほど西へ歩いた堺町で高岡行きを待つ。

この近くに馬券売り場があることはわかっている。

しかし今日は木曜日、JRAの馬券は売ってない。

いつか私はこの四国を終の棲家にしたいと言った。

出来ることなら、この高知に住みたいと最近思う

ようになった。

理由は宿毛とここと2つも馬券売り場があるから。

なんてのは嘘で、四県でも高知の人に一番暖かさ

を感じるから。

やはり竜馬を生んだこの土地は、私のこの強い個性

を受け入れてくれそうだから。

10時01分バスがやって来た。

目の前にもう一台バスが走っている。

バスの後部にポスターが貼ってある。

四国銀行で、イメージキャラクターは島崎和歌子

である。

売れなくなった芸人さんは、こうやって地方で

稼いでいるのですね。

突「芸人じゃない、元アイドルだと怒ってますよ」

狭い路地を路面電車が走っている。

車も走っている。

よく事故を起こさないものだと感心してしまう。

中島あたりまで来た時、突然体が変調をきたした。

不整脈が出始めた、心臓に痛みが走る。

吐き気を伴う不快感が続く。

ひょっとしたら私はバスの中で絶命するかも

知れない。

しまったな、遺書は残して来なかったし、携帯も

持ってないので電話も出来ない。

このまま私は死んで行くのかな、でも死ぬにしても

バスを降りてから死にたいと考えているうちに

バスは高岡高校通りに着いた。

まだ不整脈は続く。

私は首の骨を親指で強く指圧する。

1分、2分、3分と。

すれ違う人は何をやってるのだろうと不思議そうに

見ていく。

みるみるうちに体は正常に戻って行く。

横峯寺、常楽寺、一宮寺に続く、お遍路で

4度目のパニック障害が出た。

これから坂道の清滝寺へ向かうが、もう大丈夫

だろうと前に進む。

山の中腹にあるのが清滝寺

高知自動車道をくぐり、左に大きく曲がり、

坂道を登っていく。

途中で猫が路上で丸くなっていた。

 

死んでいるのかなと、見ていると車が

やって来た。

かすかに動いた。

生きているのだ、かなり神経の図太い猫だ。

私は猫が大好物だ、見てしまった以上ほおって

は置けない。

5分ほど道草をし、猫と遊んだ。

常楽寺の時もそうだったが、パニック障害が

起きた直後、よく猫が出て来る。

お大師様の配慮かも知れない。

途中から車道とわかれ、へんろ道に入る。

かなりきつい坂で、脇の溝の水が勢いよく

流れていく。

山門に着く、しかし喜んではいけない、ここから

まだきつい長い階段が続くのだ。

札所に、よくあるパターンだ。

お参りを済ませトイレを捜すが、なかなか

みつからない。

境内から少し降りた、非常にわかり辛い所に

それはあった。

帰り道は下りだから速い。

あっという間に、猫ちゃんのいた所にまで戻る。

 

予想通り猫ちゃんはまだいて、私はここでまた

5分間遊んでしまった。

 

皆さん、こんにちわ、わたしアンと申します。

フルネームで道端アン、女の子ですがみんな

わたしのことを「アンちゃん」と呼ぶのよ。

お父さんとお母さんのハーフで以前はモデル

をやっていたのですが、出番直前におしっこが

したくなって「もー出る」とトイレに駆け込んで

舞台に穴を開けてしまったの。

それ以来干されて、路頭に迷っているところを

お大師様に助けられたの。

君の手が借りたい、へんろ道で癒し猫を

やってくれないかと。

わたしには姉妹がいます。

長女は道端ジャム、次女は道端クリーム、兄も

いて兄は道端フンと申します。

みんなモデルをやっていますが、最近めっきり

出番がなくなったと嘆いております。

肉球、いや日給鶏のモモ肉一本で今日も

わたしは頑張っています。

見かけたら、是非、声をかけてくださいな。

 

私は人間に生まれたことを感謝している。

猫ちゃんは人間に生まれなくて可哀想である。

故に人間に生まれた私は、人間になれなかった

動物たちを不憫におもい、慈しんであげてます。

空を見上げる。

カラスが二羽、鳶に絡んでいる。

そのまま、三羽は西の空の方へ消えて行った。

高岡高校通りバス停に戻る。

目の前に弁当屋がある。

おにぎり二個と、旅に出て野菜を食べて

ないのに気付き野菜サラダを買う。

旅に出るとなかなか生野菜は食べませんよね。

ドレッシングがついてない。

天麩羅のソースと同じである。

これからお遍路に来る時は、ソース、醤油、

ドレッシングはリュックに入れてこよっと。

おにぎりの梅干しの塩分で野菜サラダ完食。

目の前にヘアーサロンセシールがある。

成人式の着付けの予約の貼り紙がしてある。

こういうことに疎い私だが、もう予約を受け

付ける時期なのだろうか。

先んずれば人を制す、か。

となりに、20年前に潰れたであろうたこ焼き屋

がシャッターを閉めている。

その隣の弁当屋は結構繁盛している。

OLが二人昼食を買っていく。

電気屋さんも、郵便配達員も寄って行く。

13時04分ドラゴンバスがやって来た。

乗るとお遍路さんが乗っていた。

竜まで行くので、必ず一人はお遍路さんが

乗っている。

竜とは宇佐大橋の先にあるバス停で、青龍寺

まで歩いて15分のところにある。

次のバス停で、お遍路姿の外国人ペアが乗って来た。

2人は盛んにコウチと口走っていた。

運転手さんは、このバスは高知へは行きませんよ

と言うが通じてないみたい。

外国人は私の隣に来たので、私は地図を出し、

We are headding・・・と指で横浪半島を差した。

オーノーと言ったような言わないような、しかし

意味は通じたような気はした。

もう一度運転手さんは、このバスは高知駅には

行きません、高知へ行くなら次の停留所で

降りて下さい、4分後に来ますからと言った。

すると地元のおばさんらしき人が外国人を連れて

バスを降り、時刻表をみながら説明をしている。

時刻表があれば言葉は通じなくとも何とか

なるものだ。

やがておばさんはバスに乗り、何事もなかった

かのようにバスは進む。

もちろんこの場合、便を間違えたのだから料金

はとらない。

バスは南中島を通り、海岸通りに出た。

しばらく行くと宇佐大橋が遠くに見えて来た。

蟹極道なるカニ料理の店があった。

なにか蟹道楽のパクリのような店名である。

大将が昔、蟹道楽で働いていたとかいうんじゃない。

私はこのバスで一つ確かめておきたい事があった。

スカイライン入り口と言うバス停がある。

それがスカイライン入り口を過ぎた所にあるのだ。

とさでん交通バスでここまで行って、ドラゴンバス

に乗り換えるとしたなら、とさでんとドラゴンバス

の停留所は違うはずである。

そうでなければ合点がいかない。

つまり、ドラゴンの停留所はスカイライン入り口

より手前にあるはずで、とさでんバス停からドラゴン

バス停まで歩くはずだ、と私は推理していた。

ところがドラゴンバスは宇佐大橋に向かわず、

宇佐まで行った。

折り返してからスカイライン入り口を通り、宇佐大橋

を渡った。

謎が解けた、つまりスカイライン入り口

とは宇佐を折り返してきてからのバス停名であり

行く時はスカイライン通過口と言う意味なのだ。

これで明日から枕を高くして眠れる森の美女。

13時36分、「竜」到着、歩いて青龍寺50分到着。

長い、本堂への階段を登る。

 

この階段で明徳義塾高等学校時代の朝青龍が

トレーニングを積んだのはあまりにも有名な

話である。

鐘のところで、この鐘は撞けませんと、断り書き

がしてあった。

鐘をつくという字は金偏が手偏にかわるのですね。

テストに出るかも知れないので、よく覚えて

おくように。

納経を済ませ帰路に就く。

ここからバスに乗るのなら次の便は16時32分だ。

現在14時、まだ2時間半もある。

まだ一寺廻りたいのでスカイライン入り口まで歩く。

海辺の広い道の歩道をひたすら歩く。

右は海、左は山、それも人が登れるような山ではない。

もし今、この瞬間、南海トラフ地震がおきたなら

私は間違いなく土佐衛門になるであろう。

それもお遍路の身であるから、身元不明の遺体として

小学校の体育館かなにかに安置されるのだろう。

突「生々しいこと言うな」

じゃ、ギャグにしてしまおうか。

土佐の海で亡くなった、これが本当の土佐衛門

なんちゃって。

突「なんかあまり笑えないね」

宇佐大橋にさしかかった。

思ってたほど長い橋ではなかった。

去年渡った時、陸地の部分も橋として記憶してたみたいだ。

14時57分、宮前スカイライン入り口からバスに乗る。

15時50分堺町に到着、56分長浜営業所行きに乗る。

行き当たりバッタリの旅のように見えるでしょうけど

実はきっちりとスケジュールを立てて廻っているんですよ。

途中でウンコでもしたくなったら万事休すの綱渡り

的なスケジュールなんですよ。

だから私はお遍路に来ると、必ず便秘になるんです。

してはいけない、と言う気持ちがそうさせるんでしょうね。

16時15分、終点長浜営業所に着く。

帰りの乗り場はどこになるかと、運転手さんに訊く。

ここが始発ならば営業所から、そうでない場合は

外のバス停になります、と言った。

5分で、33番札所雪蹊寺に着いた。

名前に雪がついているけど、このあたりでも冬は

雪が降るのかな。

冬の間、高知の気温をずっと見ていたけど最高最低とも

名古屋より4、5度は高かった。

ただし夏の名古屋は滅茶苦茶暑い。

沖縄に避暑に行こうと言うのが合言葉になる

くらいだから。

そんなことを考えているうちに納経は終わっていた。

16時43分、バスに乗る。

これより前のバスも後のバスも堺町までしか行かない。

このバスは駅前まで行く、大変便利だ。

これもぬかりなく調べてある。

17時11分高知駅バスターミナルに到着、昨日と

同じサンシャインで晩飯と朝飯をしっかりと買う。

お遍路は大変お金を使う、もしケチるところがあると

すれば食費なんですよ。

ホテルに戻り飯を食い、風呂に入り、明日の予定を

確認してから眠りに就く。

本日の歩行距離16,47km

 

4月21日

5時に目覚める。

テレビを点ける。

NHKの「おはよう日本」の天気予報が、現在は

曇りだが晴れてくると言っていた。

朝食を食べ、着替えをして、再びベッドに

寝そべった。

やはり寝不足のせいか、うつらうつらとしてしまう。

6時になった、荷物を背負って、フロントのある

2階へと降りる。

キーを返し、松山に、このホテルの系列店はないかと

尋ねる。

うちは高知に3軒あるだけで、松山にはない、

が、どうしたのですかと訊き返してくる。

実はホテルの予約が全くしてない、今夜の中村

は多分大丈夫だと思うのですが、明日の松山が

土曜日になるんで、ちょっとヤバいかなと思って。

大丈夫だと思いますよ、と言うのも、もうじき

ゴールデンウィークでしょ、だからこの時期

皆さん旅行を控えるのですよ。

フロントの人の言葉を信じて私は、ロスイン高知

を後にした。

アスファルトは濡れていた。

空は今にも振り出しそうで、怪しげだ。

バス停の前に立ち、時計を見ると、6時15分、

少し離れた、昨日の歩道橋の下で雨宿りを

しながらバスを待つ。

6時30分バスはやって来た。

昨日の老人に逢わなければ、堺町が始発駅だと

思い込んでいた私は堺町まで歩いたことだろう。

あの老人を堺町まで歩かせ、その老人のお蔭

で私は歩かなくて済んでいる。

なんて阿漕な男よのー私は。

バスは南ニュータウン、平和団地と2つの

団地を廻り、ハビリセンター、そして

スズメの森を通り春野庁舎前に着いた。

7時19分だった。

それにしても「スズメの森」とは、なんて

ラブリーなバス停名でしょう。

一辺、訪れたいなと思う。

スズメさんがチュンチュンと元気よく鳴いて

いることだろう。

突「スズメバチの森だったりして」

怖い事言うな。

それにしても、思い返せば1年前、私はここで

道に迷った。

庁舎の横の道を北へと向かった。

しばらく行くと道は右へと曲がって行った。

地図によれば真っ直ぐ上がっているはずなのに

おかしい、とは思うが地図上の道はこれしか

ないので信じて進む。

道はさらに右へと曲がり、目の前の学校の

右側に出てしまった。

地図によれば左に出る筈なのに。

今、お遍路の地図を見るとよくわかる。

春野庁舎の横ではなく、さらに西へと進み

次の道を(一本道かも知れないが)上がって行く

のが正解だったと思う。

進む道以外、描かれていないのだから、一本道

だと思うじゃない。

横着にも程がある。

なぜ読者が間違うのか、いいか、るるぶの編集者

よ、よく聞けよ、山男には惚れるなよ、じゃなくて

この土地を熟知した奴が、この地図を描いているからだ。

こういうものは、この地を初めて訪れる者に

描かせるべきだ。

私の忠告を聞かないと、早晩あんたのとこは

倒産の憂き目をみることになるだろう。

お客様を大切にしない商売が、長く栄えた

ためしがない。

ま、地図一つで大袈裟ですけどね。

早速、旧庁舎の前の道を南へ進む。

突「南じゃ、わからん」

旧庁舎を背に前に進む。

500mほど歩くと279号線に出る。

左折して100mも行かない所に種間寺はあった。

 

朝も早いので参拝する人は殆どいない。

去年逢った茶トラの猫ちゃんは、まだスヤスヤ

と眠っているのかな。

アイスクリンの販売もまだやってない。

時間があったのでのんびりと過ごす。

再び種間寺から279号線を左に進み、右折して

旧庁舎へと向かう。

そこで私はとんでもない物を見てしまった。

右に曲がる、角の家の玄関に竜の首が覗いてる。

門柱には鶏が止まっている。

その他にも犬や猿の置物が一杯あった。

一体どんな人が住んでいるのだろうか。

我が三河地方でこんな事をしたら、間違いなく

村八分であろう。

知的センスは微塵も垣間見ることは出来ない。

さすがの私でも引くぞ。

私は想像力を逞しくした。

別の言い方をすれば病気が始まった。

年の頃なら70歳くらい、頭がはげてて、どっぷり

と肥え、ビールが大好きである。

「この椅子いーすね」などと言う親爺ギャグを飛ばし、

自分は笑いの天才であると思っている。

ただビートたけしと自分の違いは、東京に住むか、

種間寺近辺に住んでるかだけで自分の方が才能は

ちょっと上だと思っている。

自治区の世話役を買って出るが、誰も頼りにして

くれなくて犬と遊ぶ毎日が続いている。

この次、ここを通ったらバケツの水をぶっかけら

れそうだな。

そうだ、夏に来よう。

ギャグを作っているうちにバス停に着いた。

電柱にこの地域の海抜は5mと書いてあった。

目の前に山はあるけど、川の方から

津波は襲って来そうな所だ。

北から車が来て、庁舎の方へ入り、279号線

に向かう。

なるほど、この方が、左右前と確認がしやすい。

自転車の高校生が通る、中学生も通る。

そこへ一人の女性が自転車でやって来て、バス停

の前で停めた。

年の頃は、よくわからないが沢山の荷物を前の

籠、後ろの籠と積んでいる。

買い物には早すぎるし、さりとて旅行という

華やいだ雰囲気もない。

彼女は時刻表の前に自転車を置いたまま、こちら

へやって来る。

やはり買い物なんだろうな、旅をする人があんな

とこに自転車を置いてくはずがない、と思う。

開口一番、私は

「長浜からこちらへ来る便がなくなり

不便になりましたね」

と言った。

記憶力のいい私だが彼女が何を言ったのか

覚えていない。

恐らく私の予期した言葉とは、大きくかけ離れた

言葉を発したからだと思う。

お遍路なんかしない彼女にとって長浜営業所

からの便など使うことはないのかも知れない。

それよりも高知駅行きの便が増えただけ、ここら

あたりの人は喜んでいるのかも知れない。

バスがやって来た。

私は乗り込み座席に腰を降ろした。

彼女も通路を挟んだ隣に座った。

きっと乗る前に私が話しかけていなければ、

彼女は別の席を選んでいただろう。

乗客は私達2人だけであった。

バスは、会話をする私達を乗せて進んだ。

しかし、どうも彼女と私の会話は、南ニュー

タウン1丁目の辺りまで嚙み合わずに進んだ。

が、南ニュータウン3丁目あたりから軌道に

乗るようになり、南ニュータウン7丁目では

エンジン全開となった。

彼女は岡山のニトリに勤めている、半年ほど前に

病気になり故郷の春野に帰って来て、現在療養中

である、今日はとる物もとらず帰って来たので

残してきた荷物をとりに行き、シェアハウスで

暮らしていた他の二人と旧交を温めるため2泊

する、高速バスや特急列車はスピードが速いので

怖く、各駅停車に乗って行く、会社に悪いので

もう退社しようかと思うが、治るまで待っている

から心配しないでと言ってくれる、ざっとこんな

事を彼女は話してくれた。

彼女の話から私はある病気を想像した。

それは私と同じパニック障害。

別名不安神経症とも言う。

私も昨日、心臓に痛みと不整脈の、心臓神経症を

発症した。

でも死ななかった。

もし本当に心臓が悪いのなら、私はバスの中で

七転八倒し、運転手さんに救急車を呼んでもらい、

病院へ搬送する最中、心停止で死んでいたことだろう。

仮に死ななかったとしてもしばらくは入院、静養

が必要となったことだろう。

でも私は数十分後に清滝寺のきつい坂道を登っている。

この病気は幻覚だ、などとは言わない、確かに脳の

ある部位で異変は起きているのだから。

めまいも、動悸も、コップ一杯の水が一気飲み出来

ないほどの呼吸困難も現実のものである。

しかし、それによって死ぬことなど決してない。

長くても数時間たてば嵐は去って行く。

この事を肝に命じて生きていくしかないのです。

一番良くないのはまた症状が出るのではないか

と怯えることです。

怯えて外出もままならなくなることです。

いいですね、この病気で死ぬことなどない。

数時間で嵐は去って行く。

そう思うだけでも随分と気が楽になるものです。

もし、症状が出るようでしたら、私が発見

した緊急措置法を試してみて下さい。

丸い物を見て下さい。

この円周をゆっくりと両目でなぞって行って下さい。

右回り、左回りと。

その他では、ある一点を両目でしっかりと

見つめて下さい。

心の弱い人は目がうつろになります。

ある一点を見つめることによって、眼球の筋肉

が強くなり、ひいては心も強くなり、パニック障害

も起こりにくくなります。

私は何かの役に立つかもと、私のブログに

関するメモ用紙を彼女に渡した。

彼女はこの先が不安ですと言った。

私のブログを読んで行けばいいですよ、と

私は慰めた。

バスは高知駅前に着いた。

私が先に降り、彼女を待った。

やはり筋肉が硬直しているせいか、彼女の

動きはぎこちない。

「いいですか、一番早い便で10時43分発の多度津行き

です。それよりも早い便はいくつかありますが途中で

停まっています。結局そこで43分発の列車を待つことに

なります。秘境駅ファンならそこで楽しめばいいん

ですけど。多度津に14時46分に着いて15時09分のに

乗れば16時29分に岡山に着きますよ」

私は事細やかに説明した。

「でも、知り合いに調べてもらったところ、16

時03分に着くと言われました」

メモ用紙を私に見せて彼女は言った。

多度津から岡山に行く鈍行は16時29分着しか

ない、確信を持ってる私は

「それは何かの間違いです」と言い切った。

私達は時刻表とメモ用紙を持ち、まるで恋人

同士のように高知駅へと向かった。

と、日記には書いておこう。

突「それ、去年竹林寺で使ったギャグですよ」

駅に着き、私は窪川までの特急券を買った。

彼女は駅員さんに何かを問い合わせている

みたいだ。

話の途切れた所で私は

「それでは気を付けて行って下さい」

と別れを告げた。

階段を駆け上がり、ホームへと向かう。

人生でこれほど、一緒にいて苦痛を感じなかった

女性は初めてである。

まだ、列車の出発まで大分時間がある。

確か、彼女のメモ用紙の中に坂出と言う

文字があったような気がした。

私はもう一度時刻表を開いた。

10時43分発で14時46分多度津着、サンポート

南風リレー号に乗って坂出に15時11分着、15時

24分のマリンライナーに乗って岡山16時03分着。

そうか、彼女の言ってたルートはこれだったのだ。

私はいつの間にか、名探偵金田一平助になっていた。

彼女は鈍行に乗って、と条件をつけていた。

だから私は直通ルートを進言した。

最初から、特急料金を払わずに、最速で岡山に着ける

ルートと言ってくれてたら、私もこのルート

を提案していただろう。

9時48分「あしずり1号」が入線した。

私は1号車の後部右側に席を陣取った。

車窓から三志士像が見える。

 

 

 

MY遊バスを捜していた時も観光客が、正面から

写真を撮っていた、人気のあるスポットなの

でしょうね。

もうこれで高知市ともお別れ、でもまたすぐに

やって来るぜ。

そしてどこかで、彼女と奇跡的な再会をするん

じゃないかと言う勝負師の予感がしてならない。

突「そんなとこで勝負師の予感を出すな」

もし彼女と逢えたら名所の案内をしてもらいたいな、

それと「三志士の海岸物語」を土佐弁に翻訳して

もらえたら嬉しいな。

竜馬と言えば土佐弁ですものね。

でも、もう高知でも正調土佐弁を話せる人は

皆無かも知れませんね。

ただ一つ私は彼女に関して危惧を抱いている

ことがある。

突「それはなんですか」

ひょっとして、彼女が、あのけったいな動物

屋敷の娘さんではないかと言うことです。

突「キャイーン」

9時53分、「あしずり1号」は動き出した。

伊野駅あたりの道路に路面電車の形跡を見た。

昔はこのあたりまで路面電車は来てたんですね。

まだ結構民家のある山の中を通り10時55分

「あしずり1号」は窪川に到着した。

駅前に出る、私の好きな雰囲気を持った街だ。

左に向かう。

結構お遍路さんが歩いてる。

2つの信号を通過して突き当たりを右に曲がると

37番札所岩本寺はある。

気が付いたらもう37番である。

お参りが終わった帰り道、歩きお遍路さんが

話しかけてきた。

彼は私と同じお遍路の地図を手に持っていた。

今、この本はどこに行っても売り切れで

手に入らなくなっていると言っていた。

札所間の所要時間が時速4kmで計算されて

いるが、午前中は4Kmで歩けても午後からは

3,5kmに落ちてしまう。

これから足摺岬に向かうが3泊は予定している、

とわめいていた。

たわいもない話ではあるが、これでも次回の

歩き遍路のために大事な情報になっている。

駅前で彼はへんろ道へ入って行った。

窪川のキオスクで昼飯でも買おうと思ったが

店はやってなかった。

誰も買う人がいないので、引き払ったみたいだ。

暇だったので駅構内のパンフレットを見ていた。

「あのー、四万十・宇和海フリーきっぷの

ですねー、フリータイプと片道タイプって

どう違うのでしょうか」

私は以前からよく理解出来なかったこのきっぶに

ついて駅員さんに質問してみた。

「フリータイプというのはフリー区間だけの

きっぷ。片道タイプというのはそれに松山から

高知、あるいは高知から松山のきっぷがついた

やつです」

駅員さんは簡単明瞭に答えてくれた。

私は今まで何を悩んでいたのかわからなくなった。

つまり松山から高知、あるいは高知から松山へ

移動しない人は、窪川あるいは北宇和島までの

きっぷと、このフリータイプきっぷを買えば

いいということだ。

12時08分1番ホームより中村行きが発車した。

 

およそ1時間の鈍行の旅である。

13時09分中村着、バスの発車が13時39分である

からまずはホテルの予約とばかり、去年泊まった

第一ホテルを目指す。。

私の前を同じ便で降りた人が行く。

そして彼は第一ホテルに入って行った。

私も続く。

予約はかんたんに取れた。

しかしまだチェックインの時刻ではないので

リュックを背負って駅の売店に行く。

1個で腹の太りそうなおにぎりを買う。

乗り場のベンチに座って頬張る。

目の前を外国人が行く。

私は This is a rice ball と言った。

外国人は腹を抱えて笑った。

嬉しかった。

乗る人は10人くらいいた。

窪川から一緒だったお遍路さんも二人いた。

今日はどこに泊まるのですかと訊くと

足摺岬の宿坊です、と言う。

私は第一ホテル、あなたと同じですよと、もう

1人の人は言った。

帰りが19時半だから、ちょっと辛いけどね、と

その人は付け加えた。

えっ、17時半じゃないんですか、と私が言うと

時刻表を私の前に出して、どこにそんな便が

あるのですかと言う。

「今から来る13時39分のバスが足摺岬に15時24分

に着きます、その便が多分折り返しの15時38分に

なるはずです、ま、運転手さんに確認しますけど」

と私は言った。

「へー、そんな便があるんですね。ちっとも

知らなかった」

と浪速のおっちゃんは言った。

バスが来て運転手さんに確認すると、その通りだと言う。

「でも、14分でお参り出来るんですか」

おっちゃんは言った。

「たしか納経所は門を入ってすぐの所だし、本堂も

そんなに遠くない所にあったと記憶してます」

往復3800円も払って、たった14分の束の間の

滞在は勿体ないような気もするが仕方ない。

「運転手さん、14分あればお参り出来ますよね」

「さあ、今までそんなお客さんいなかったもので

分かりません」

と言う。

ま、これで運転手さんは、我々が折り返しの便に

乗るつもりであることはわかった筈である。

1分、いや2分くらいは遅れても待ってくれる

筈である。

なんと阿漕な男よのー私は。

それでも私はバスを降りると一目散に納経所に

向かった。

1人だけの先客にほっとした。

息を切らしながら、納経の終わるのを待つ。

お寺さんは、掟破りのこの私の暴挙を

咎めなかった。

本当に申し訳ございませんでした。

と、心の中で手を合わせる。

お参りが終わり門を出ると、まだ4分の余裕

があった。

トイレに行って出て来ると駐車場に可愛い猫が

いた。

1分だけ撫でまわしてバスに戻った。

2人で前扉から入って座ると、よかったですねと

運転手さんが整理券を持ってきた。

やれやれこれで17時半にホテルに帰れる。

こんなにあたふたして何のためのお遍路か、

時々わからなくなる時がありますけどね。

運転手さんは、極めて狭い道を、芸術的な運転で

すり抜けていく。

ただ一度、屋根にゴツンという鈍い大きな音を

たてただけで。

毎日運転してるから、体が覚えている、ただ

この時期新しく出て来た木の枝だけは計算に

入ってない。

明日はどうするんですかと、おっちゃんが

訊いてきた。

「6時59分のバスで寺山口まで行きます」

と私は答えた。

そのバスは、明日は土曜日だから運休ですよ、

とおっちゃんは言った。

本来、月曜日の旅立ち予定が大嵐で1日ずれた。

それを私はうっかり忘れていた。

「じゃ、辛いけど6時23分の宿毛行きで平田

で降ります」

と言った。

私は6時半の食事をしてからですので一本遅い

7時16分ですねと、おっちゃんは言った。

これだと7時39分平田着、8時40分の宿毛行き

バスになんとか間に合うか。

私は時刻表を調べ

「急げばなんとか8時40分に間に合いますね。

でも急いで下さいよ」

と、おっちゃんに言った。

17時半バスは中村駅前に着いた。

駅の売店で夕食を買いホテルに入る。

今日は三寺しか参ることが出来なかった。

でも、その中に金剛峯寺が入っている

のだから、良しとしなければいけない。

飯を食い、風呂に入り、21時消灯。

そう言えば去年、このホテルで熊本地震を

体験したことを思い出した。

今夜は起きない事を願いつつ眠りに就く。

本日の歩行距離6,34km

 

4月22日

5時に目が覚める。

いつものようにテレビの天気予報を見る。

今日は1日晴天だと言う。

着替えて6時にホテルを出る。

駅の売店で朝飯を買おうと思ったが、

まだやってなかった。

きっぷを買おうと券売機に行く。

つり銭口に20円が残っていた。

駅員さんに

「券売機に20円残ってました」

と渡す。

「それはご丁寧に」

と駅員さんは言う。

宿毛行きの車輌に乗ると、おっちゃんが

乗っていた。

ふふふ、予想した通りだ。

「ホテルの食事はどうしたの」

私は意地悪な質問をした。

「きのう、あれから10分離れた大型スーパーへ

行って晩ご飯と朝ご飯を買って来て、それで

済ませた」

と、おっちゃんは言った。

車輌には二人の他に、お遍路さんと学生さんが

乗っていた。

とある駅で待ち合わせのためにしばらく止まった。

運転手さんは、フリーきっぷが500円で販売

されてますが、いかがですかと売りに来た。

我々はこのあとバスに乗るのでしかとした。

6時46分平田駅に着いた。

一緒に乗っていたお遍路さんも降りた。

彼は待合室に荷物を置いて歩いた。

去年のテントさんと同じだ。

「あの人リュックを置いて行っちゃったよ」

とおっちゃんは言う。

「ここへ戻って来るつもりなんだ。重い荷物を

持って往復しても意味ないだろ」

私は言った。

彼は軽快な足取りで私達をグングンと引き

離して行く。

我々も遅れまいと進む。

しかしこのお遍路さんについて行ったために、

少し道に迷う。

しかし大過なく7時20分延光寺到着。

ゆっくりとお参りを済ませても7時40分。

大体、こういう田舎の何もない所に限って暇

が出来る、不思議なもんだ。

いや、不思議でもなんでもない、

遊ぶ所もない、食べる所もない、人もいない、

だからバスも滅多に来ない。

こういう図式になっているんです世の中は。

おっちゃんの姿が見えない。

もう寺山口のバス停に向かっているのかも

知れないと私も向かう。

田舎ではあるけれど民家はそこそこある。

私の町とそんなに変わりはしない。

途中で散歩している秋田犬に逢った。

飼い主さんの了承を得てカメラに収めた。

ぶさお君です

信号を渡ってバス停の小屋に着いた。

隣に公衆電話があった。

こんなもの、もはや使うのは日本でも私

くらいのものだろう。

姉に電話した、が義兄が出た。

今、豊田から一番遠い宿毛の辺りに居る、帰る

のは明日の夜になるだろうと伝えた。

おっちゃんがやって来た。

あんたがトイレに入ったんで待ってたけど、

いつまでたっても出て来ないので来た、

とおっちゃんは言った。

おっちゃんは大阪に住んでると言ったが、関西

訛りが全くない。

おそらく生まれは別の地であろう。

きのう買った大福があるけど食べると言った

ので頂きますと言って食べた。

さっき逢った秋田犬がまた近くを通った。

私は飼い主さんに軽く会釈をした。

彼女も会釈をした。

「途中で秋田犬に逢ったんで、写真を撮らせて

もらったよ」

と言うと、おっちゃんは

「ああ、あの、ぶさおとか言う犬ね」

と言った。

私は訂正するのも面倒だったので

「まあね」

と適当に返事をしておいた。

寺山の 帰りに逢いし 秋田犬

ぷさおですねと 人の言うけり

8時40分のバスに乗ると、昨日足摺岬の

宿坊に泊まった老人が降りてきた。

8時56分宿毛駅前に到着。

9時37分発宇和島行きのバスを待つ。

平田まで一緒だったお遍路さんがやって来た。

彼は平田駅まで戻りくろしお鉄道でやって来た 。

「今日はあまり歩く予定がないので、くろしお鉄道

でやって来ました」

と言った。

バスに乗り10時16分平城札所前に到着する。

歩いて2分の境内に入る。

ここには宿坊がある、が団体さん専用である。

ま、泊まる気もないのでどうでもいいが。

お参りを済ませると、おっちゃんが待っていた。

おっちゃんは賽銭を投げて、願かけるだけである。

したがって私よりも早く用事が済む。

私は去年立ち寄った生絞りジュースの店に

おっちゃんを誘った。

「ここの人は去年、トヨタ自動車の催し物に招かれ

たんですよ。そら見て御覧なさい。章男社長とこの店

の人が一緒に写っているでしょ」

飾ってある写真を指差して私は言った。

「実はわたしは若い時に離婚をしたんだ。娘がいま

豊田の○○○○○○○○で働いてると風の便りに

聞いたことがある」

生絞りジュースを飲みながらおっちゃんは淋しそうに

言った。

「逢いたくないんですか」

「小さい時別れたし、向こうもわたしと逢うことは

望んでないと思うよ」

そう言う彼の心の中を私にはうかがい知ること

は出来ないが、やはりなんらかの縁があるんですね、

こういう所で知り合う人ってのは。

「宇和島に着いたら、すぐに仏木寺行きのバスが

出ます。ごはんを食べてる暇はありません。ちょっと

早いですが、ここで昼飯を食べていきましょう」

私達は山門のすぐ前にある、10人も入れないほど

のこじんまりとした食堂に入った。

若者が1人、サンドイッチを食べていた。

私達は焼きそばを注文した。

外を見ると、一緒だったお遍路さんが通る。

しばらくすると、お遍路さんは戻って来て、

店に入って来た。

きっと、店内に私達を見つけたのだ。

お遍路さんはうどんを注文した。

東京から来たお遍路さん、大阪から来たおっちゃん、

岡山から休日を利用して車でやって来る若者、

そして私と、知らぬ同士が小皿叩いてお遍路談議、

これだぜ、お遍路の醍醐味ってやつは。

11時21分平城札所前を出たバスは何事もなく

12時33分宇和島駅前に着いた。

たった一つの出来事を除けば。

突「何ですか、1つの出来事は」

運転手さんが、乗客を見逃し、通り過ぎて

しまったことかな。

突「それでどうなりました」

数メートル戻って事なきを得たよ。

東京の人は、これで帰ると言っていた。

特急に乗っても17時岡山着、新幹線で20時半東京着

都心ではないだろうから、家に着くのは22時過ぎだろう。

私達は隣のバスレーンに移り時刻表を見る。

お遍路にでると、時々訳の分からない状態が起きる。

私は12時40分頃のバスに乗ろうとしたが、土曜日

なのでそれは運休だった。

しかし現実には、家に帰って来て確認したが、

はなっから、そんな便は存在しなかった。

でも私は確かに宇和島のバス停で、土曜日運休

の時刻表を見た。

「駄目だわー、私達の乗る便は今日は土曜日だから

運休だわ」

「じゃ、JRに乗っていきましょう」

おっちゃんが提案した。

私は何の抵抗もなくそれを受け入れた。

後で調べたところ13時04分のバスがあったのに。

ここらあたり、完全にお大師様に、私の脳は

無力化されたのだと思う。

私達は13時10分発の近永行きに乗った。

今でも私はこの辺りの事はあまり記憶してない。

「宮野下で降りましょうよ」

おっちゃんは言った。

「いや、お遍路をするのなら務田ですよ」

私は言った。

「でも、駅員さんに聞いてきたら宮野下の方が

近いと言ってました」

おっちゃんはあくまでも私より駅員さんを信頼

しているようだ。

お遍路もしたことのない駅員さんの方を。

「じゃ、あなたは宮野下へ行って下さい。私は

務田で降ります」

私達はここで仲違いをしてしまいました。

どうも、ここらあたりから私の脳は本来の

機能を取り戻して来ました。

いい年をして喧嘩などするな、何か2人が仲直り

して仏木寺に早くたどり着ける方法はないものか

と、私は考えました。

その時です、務田の駅の近くに、道の駅があり、

そこでレンタサイクル、それも電動自転車

を貸し出しているという記事を読んだことを

思い出したのです。

私はその事を、おっちゃんに伝えました。

おっちゃんはその話に飛びついて来ました。

「実は、わたしは過去に2回、自転車で日本一周

の旅をしているんだ。自転車なら得意中の得意だ」

私達は13時27分務田着の気動車を降り、道の駅を

捜しました。

なかなか人がおらず、右往左往しましたが、自転車

で走る女子高生に出会いました。

彼女に道を尋ねると、自転車を降りて、道案内

をしてくれました。

彼女は、私達を気遣いゆっくりと歩きました。

細やかな配慮、そこに彼女の優しさを感じました。

大通りを行くと、右側に道の駅らしきものが

見えてきました。

私は私のブログのことを彼女に伝えました。

若い人に、私のブログが通用するか、試したくて。

そして私は彼女に

「どうも有難うございました。一か月後に

あなたのことがブログに載りますからね」

と別れを告げた。

本当に四国の女性は優しいと私は思う。

普通なら、道の駅はあそこですと言って去って

行くものだが、この子は「道の駅三間」でお礼を

言うまで付き合ってくれた。

なんかテレビで時々見る女優さんに似ていた。

(家に帰ってからインターネットで、可愛い女優さん

顔写真一覧と入れた。高畑充希ちゃん、多部未華子

ちゃん、ちょっと抵抗はあるが菜々緒さん、そして該当

する女優さんが出て来た。クリックすると新川優愛と

名前が出て来た)

四国で出会った一番の美少女であった。

名前をなんと言うのか私は知らないがUI(ウイ)ちゃん

をもう一回り可愛くしたような女の子だった。

きっと彼女はモテるはずだ、クラスに、彼女に思い

を寄せる男子は380名ほどいるはずだ。

突「一体、どんなクラスやねん」

にっこりと笑った時の眩しいほどの白い歯は、往年の

銀幕のスター吉永小百合のそれと瓜二つ。

もし私がホリプロのスカウトだったら間違いなく

「うちの事務所に入りませんか」

と誘っているはずだ。

突「皆さん、こいつ、陰でゴマすり男と呼ばれて

いるんですよ。話半分に聞いといてください」

仮に話半分としても二国一番の美少女。

突「そんなのおかしいよ」

じゃ、四国で二番目の美少女、ウイちゃんを0,5

廻り上回る可愛い人、吉永小百合の眩しい前歯の

右半分が瓜二つ。

あまりに可愛いので、彼女に思いを寄せる

クラスの男子は、えーと、190名。

突「だから、どんなクラスやねん」

我々は売店へと・・・

突「ホリプロは」

あっ、そうそう、もし私がホリプロのスカウトで

あるならばきっと彼女を

「うちの事務所で、鉛筆削りの仕事をして

みませんか」

と誘うだろう。

突「あほー、きょうび、そんな仕事があるかいな」

さんざん持ち上げておいて、最後に、奈落の底に

突き落としてやりました。

ここから来たんですよ、落ちってのは。

美少女さんはきっともてるし、しっかり者だ。

沢山の選択肢の中から一番いい男を選んで

幸せになるはずだ。それじゃバイパーイ

我々は売店へと向かった。

すぐにレジを見つけ、自転車の借用を申し出る。。

500円を払い、万一のための断り書きを

読まされ、住所氏名まで書かされた。

係員さんが車庫まで案内してくれて、私たちは

それに従った。

しっかりと充電された自転車を出してもらい、

ヘルメットも着用するように言われた。

さあ、出発だ、時計を見ると13時45分であった。

目の前の31号線に出る。

しばらく行って右折し、道標を左折し狭い

道を突き進む。

左手に龍光寺の道標があり、登って行く。

先に行ったおっちゃんが

「あれは神社じゃん」

と、参道から見える鳥居を見て戻って来た。

「ここは境内に神社があるんです。さあ、

行きましょう」

と私は促した。

お参りを済ませ再び31号線に出た。

「あとは道なりで仏木寺に着きます。距離に

して2km、右側にあります」

と私は言った。

金魚の糞のようにくっついて行くのは、あまり

好きではないのでそう言った。

おっちゃんは車道を、私は歩道を走った。

きっと大阪では自転車は車道を走ることに

なっているのだろうと思う。

終わりかけたチューリップが所々に咲いていた。

しかし、電動自転車ってのは、結構ペダルが重い

ものだなと思っていると、おっちゃんが

「えらいペダルが重いなあ」

と言ってきた。

2人で自転車を見比べると、どうも2台とも

エコモードになっているみたいだ。

2人とも初めて乗るのだから仕方ない。

パワーモードに切り替え再スタートする。

さっきまでと比べると滅茶苦茶楽である。

14時15分仏木寺到着。

7分の滞在の後、道の駅に向けてスタート。

帰りはやや下りになっているので速い。

おっちゃんと二人快適に進む。

中学時代の夏休み、友達と隣町の映画館へ

「狼少年ケン劇場版」を自転車に乗って見に

行った時の事を 思い出した。

涙が出るほど懐かしくなった。

ばばんばばんば ばんばばばば

ばばんばばんば ばんばば

キーを返し、私たちは務田駅へと向かった。

おっちゃんは15時18分の宇和島行きに乗ろう

と言う。

でもそれより早いバスがあるかも知れないから

一応バス停の時刻表を見に行こうと私は言う。

美少女に出会ったあたりの31号線に出ると、

右からバスがやって来る。

行く先を見ると東高校行き、私たちは目の前の

信号を渡り、さらに渡った先で交差点を

渡ろうとした。

その時、私は冷静さを失っていたのだろう。

来た車が急ブレーキをかけた。

私達はそれでもドライバーに平身低頭し、

信号を渡り切ってしまった。

なんとか辛うじて、東高校行きのバスに

間に合った。

本当に御免なさい、あの時のドライバーさん。

14時57分宇和島駅前到着、名古屋までの

乗車券と卯之町松山間の特急券を買う。

15時26分の普通に乗り16時01分卯之町に着いた。

前回明石寺へはタクシーで行った。

歩いて行くのは今回が初めてである。

タクシーに乗ると、バスよりも目線が1mほど

低くなる。

それと、運転手さんと世間話をして行く。

以上のような理由から道順を、まったく私は

覚えていない。

しかし、ガイドブックによれば駅から歩いて

35分とある。

17時の納経締め切り時刻まで、時間は十分ある、

とゆっくりと歩く。

地図の、松屋旅館の前を通る道を行きたかった

のだが、もし道に迷ったらと安全策をとる。

駅前の56号線を右に進む。

かなり歩いた所で、おばあさんに道を訊く。

もう少し行くと突き当たりの道路に出会う

からそこを左に行くといいと言う。

途中で道が別れていた。

やれやれ厄介なことになったと、右側を見ると

西予警察署があった。

西部警察署ではありませんよ。

「あそこで訊こうか」

私が言うと、おっちゃんはどうも警察は

苦手だと言う。

それじゃ私が行ってくる、と清廉潔白な私は

警察署のドアを開いた。

「実は、府中の三億円強奪事件、私がやりました」

と両手を前に差し出すギャグは、親が死んでも

絶対やってはいけない。

それは冗談では通用しない。

警察を侮辱したとかいう罪で、軽くとも懲役3か月

くらいはくらうはずだ。

「実は明石寺の道をおばあさんに尋ねたら、突き

当たりを右に曲がれと言われたけど、どこが

突き当たりだかわからないもので」

と、私は明石寺への道を尋ねた。

警察署の人は笑いながら、

「目の前の道は56号線だから、ずっと進むととんで

もない方向へ行ってしまう。目の前の信号交差点を

渡って、二股になってる 向こう側の道を右に進むと、

おばあさんの言ってた突き当たりの道路に出る」

と教えてくれた。

あとは地図の通りに進めば、それほど迷う道では

なかった。

宇和高校を過ぎた所から左折し、すぐに右折して

細い道に入って行く。

そのまま400mほど行くと山門へと続く道に出る。

左に曲がって200m、かなりきつい坂を登って行く

と山門に着いた。

時刻は14時45分、やはり知らない道なので

時間がかかってしまった。

一本遅い特急だったら卯之町16時22分着で

間に合わなかっただろう。

折角納経所まで来て、門前払いをくらい、駅まで

戻って宿を探し、再び明日の朝、明石寺まで

足を運ぶという惨憺たる結果を招いていた

事だろう。

帰りは30分で戻れた。

今度来る時は14時22分でも間に合うであろう。

17時30分宇和海24号に乗った。

私は、この後どうするのかと訊いたら、大街道の

全国チェーンのホテルに泊まると言う。

すでに予約がしてあるとも言った。

ホテルの名は忘れた。

もし、明石寺の納経に間に合わなかったら、卯之町

でおっちゃんとは別れていたことだろう。

なぜならば、おっちゃんは納経などしていない、

山門をカメラに収めているだけだから。

おっちゃんは明日も一緒していいかなと言った。

頼られて、嬉しくないはずはない。

おっちゃんに楽しくお遍路をしてもらい、

お遍路ファンになってもらうのも私の仕事。

いいですよ、と私は快諾をした。

足摺で 出会いし人と 三日間 

旅は道連れ 余は満足じゃ

18時34分、松山駅到着。

私達は雑踏の中を進み、JRのバス乗り場へと出た。

「いいですね、明日ここから久万高原へ行く

バスが出ますからね。6時半です。6時半までに

ここへ来てください」

私は目の前の時刻表を指差しながら、おっちゃんに

言った。

その後、私は泊まるホテルを探した。

いつも泊まる松山ヒルズを皮切りに、5軒のホテル

に断られ続けた。

やはり松山は四国一の観光地だ。

ゴールデンウィーク前だからという推理など

、通用する場所ではない。

どこか宿泊施設を紹介してくれるところはないか

と、JRのきっぷ売り場で尋ねたら、駅構内のセブン

イレブン店内にそれはあると言う。

早速訪ね、松山ヒルズの向かいにあるカジワラ

ホテルを紹介してもらった。

もし利用する人がいるなら、19時半で案内所

は閉店しますので注意して下さい。

部屋に入って、不思議な今日一日を振り返った。

宿毛辺りで、私の中に12時40分頃の仏木寺

行きのバスが誕生してしまった。

そして私はどうしてもそれに乗らなければ

ならないという気持ちに支配されるように

なった。

宇和島のバス停に着いて時刻表を見た時、たしかに

その便は存在したし、休日運休の文字も見た。

しかし家に帰って調べてみたが、そんな便は

どこにもなかった。

宇宙の、目に見えない何かが、私に幻覚を起こ

させたとしか言いようがない。

13時04分発の仏木寺行きのバスも、出かける

前には知っていたはずなのに、その時は

存在しなかった。

これも幻覚だ。

そしておっちゃんの提言で予土線に乗り、途中で

道の駅のレンタサイクルを思い出した。

これがなかったら、明石寺の納経も、松山への

今日中の到着もなかったであろう。

13時04分に、もし乗っていたら13時30分仏木寺

到着、10分の滞在の後、13時40分に仏木寺を

出て太龍寺をお参りして14時42分の東高校行きの

バスには到底間に合わないであろう。

つまり、宇宙の、目に見えない何かは、私に13時04分

のバスに乗せないための妖術を使われたのだと思う。

去年もここで仏木寺行きのバスに乗る直前に、

予土線のプランが沸きあがり、そのお蔭で中村まで

その日のうちに行けた。

どうも宇和島駅周辺には、とてつもないパワー

スポットがあるようだ。

宇和島駅周辺に、何かあったかなと、思いを

巡らすと、闘牛のオブジェがあった。

そうか、宇和島の闘牛か、偉いな闘牛は。

闘牛で観光客を楽しませ、予土線が故障すれば、

10頭くらいで車輌を引っ張り、田植えの頃には

田んぼを耕し、ついでに肥料をまき散らす。

最後に皮はランドセルになり、肉は宇和島牛と

なって食卓に上り、その一生を終わる。

やっぱり、闘牛は偉いよなー。

と、考えているうちに眠りに陥る。

どこか遠くに突っ込みの声を聴きながら。

突「輪島牛なら聞いたことがあるが、宇和島牛

なんて知らねえぞ」

本日の歩行距離16,13km  走行距離8,0km

 

4月23日

約束通り私たちはJRバス乗り場に集結した。

おっちゃんは路面電車もバスも、始発に乗っても

松山駅に着くのは6時40分、なのでタクシーで

来た、とぼやいていた。

いつも駅周辺に泊まるので、それは私も

知らなかった。

6時半、バスに乗る。

走り出す前に運転手さんがやって来て、

1日乗り放題きっぷはいかがですかと言う。

価格は1200円、松山久万中学間は片道だけ

でも1340円なので得だと思い、早速買う。

6月25日までの土日祝日の限定販売

だときっぷには書かれている。

私は運転席の直後に座る。

目の前の時刻表を見る。

帰りのバスの、今まであった13時30分のが

なくなっているのに気づいた。

今年4月のダイヤ改正でなくなったみたいである。

どこが改正なんだよ。

ま、私たちは12時00分のバスで帰って来る

ので痛くも痒くもないが。

森末本町を通り、運動公園を通り、砥部焼、

とべ動物園でお馴染みの砥部を通り、7時32分

久万中学前に着いた。

すぐ隣にバスが停まっていた。

7時50分発の岩屋寺方面のバスである。

私は営業所の中に入って行って職員さんに

清瀬橋から10時07分に帰って来るバスに

ついて訊いた。

職員さんは、すいません、それは休日運休の

便なので今日は出ません、と言った。

目の前が一瞬真っ暗になった。

やっちまったなー、一抹の不安は抱えては

いたが。

私にはスマホはない、ホテルに入っても

パソコンもない、出発前にすべてのスケジュール

を組んで旅立つ。

故に不審な点があっても調べる手立てもない。

おっちゃんも携帯は持っているがスマホではない。

おまけにJRの帰りのバスも13時30分はなく

なっている。

現在7時45分、帰りのバスの15時10分までの

7時間半ここ久万町で過ごすしかない、と

私達は腹をくくった。

予定では7時50分久万営業所発8時06分岩屋寺口着、

お参りを済ませ、一駅歩いて戻り10時07分清瀬橋発

10時23分大寶寺口着で、大寶寺をお参りして12時

00分久万中学前発に乗ることにしていた。

そが駄目となれば急ぐことはない、と私たちはまず

大寶寺を目指した。

今までにないくらい、私たちはゆっくりと

歩いた。

それでも大寶寺をお参りし、大寶寺口の

バス停まで戻った時まだ8時20分だった。

バスが来るまで、まだ2時間40分ありますよ、

待ちますかとおっちゃんにきいた。

それじゃ、タクシーで行こうか、お金はわたしが

出す、とおっちゃんは言った。

私は今回のお遍路はタクシーは乗らない

と決めて来たんです、あなたがタクシーで

行きたいならどうぞと私は言った。

それじゃ、岩屋寺まで歩いて行こうか、と

おっちゃんは提案した。

おっちゃんは途中の道で転倒していた。

だから、足は大丈夫ですか、と私は尋ねた。

おっちゃんは、手を擦りむいたけど、足は

何ともないと言った。

こうして私たちは岩屋寺まで歩くことになった。

(実はこの日は休日だったので、11時のバスは

なく次の便は14時だった。また7時50分発は

休日運行で10時07分は休日運休であり7時50分

で行って10時07分で帰って来ると言った都合

のいいスケジュールはこの世に存在しない事も

後でわかった。)

空は晴れている、風は強いが、歩く私たちに

は心地よい。

春の陽光、薫風、鶯のさえずり、咲き誇る

桃の花々が優しく私たちを迎えてくれる。

 

たまにはゆっくりと山道を楽しみなさい、と

お大師様が言ってるようだ。

実に気持ちがいい。

ちょっとした集落のような所で、老人が

手招きをしている。

村の集会所のような所で、どうやら私たち

を接待してくれるらしい。

集会所の前の、大きなテーブルを前にすると

おばあちゃんたちが、お接待を運んできた。

いちご、バナナ、トマト、大福、饅頭、

カステラと今まで見たこともないような

豪勢なお接待だった。

やがて、この集落の幹部といったような人が

出て来て住所氏名を書いてほしいと言う。

このあたりは愛媛県の中でも過疎の過疎、

今の住民がいなくなれば潰れるでしょうね。

若い時、みんなで一生懸命植えた杉も

売っても二束三文で、運賃のが高くつく。

署名をしながらそんな話を聞きました。

お接待をきれいにたいらげ、お礼を言って

私たちは集会所を後にしました。

下畑野川公民館と書かれています

 

ポツポツとへんろ宿がある、ふるさと旅行村

もある、ゴルフ場もあった。

途中から、長崎から来ているお遍路さんは、

へんろ道へ入って行った。

軽自動車が私たちの前に停まった。

中から40歳くらいの奥さんらしき人が降りて

来て、これお接待ですと飴玉を2個下さった。

そして私たちに向かって合掌をされた。

地元の人にとっては、お接待をすると

ご利益があるとされているそうです。

合掌をされて、満更、悪い気はしなかったですね。

その時おっちゃんは、どうせなら札所まで

乗って行きませんかと言って欲しかったな

と言った。

言われたらどうするんですか、と訊くと乗って行く

とおっちゃんは言った。

でもきっと、おっちゃんは乗って行かないと思います。

私が絶対乗らないから。

それに女の人も、お遍路さんに乗って行きませんか

と言うのは大変失礼な事だと考えていると思います。

これだけ信仰心の厚そうな人だから。

女性は、もうすぐトンネルがありますから、それを

抜けると岩屋寺はすぐです、と言って岩屋寺

とは反対方向へ走り去った。

清瀬橋バス停があり、トンネルがあり、11時20分

頃、岩屋寺口に着いた。

今後のためにと清瀬橋のバス停からの時間を

測ると20分くらいでした。

岩屋寺へのきつい坂道を登る。

途中の売店の所に立札がある。

まだまだこれからじゃ、岩屋の坂と人生は。

お遍路で一番きつい坂道をぐんぐん登って行く。

しかし、去年ほどのきつさを感じないのは、

私の体力アップの精だろう。

お参りを済ませ、今年もここで私はお守り

を買った。

岩屋と言うくらいで、そんなに広い境内も

ないので早めに下界へと降りる。

途中で白人女性が私を追い抜いて行った。

途中の売店で記念品をと思ったが、気に入った

物がなかったので、となりの大判焼き屋さんで

大判焼きを3個買った。

おばあちゃんは、サービスですと言ってもう1個

つけてくれた。

1個はおっちやん、1個は私、そしてもう1個は

さっき私を追い抜いていった白人女性、ひょっと

したらバス停にいるかもと思って。

日本にはこんなおいしい物があるんだぞって

教えてあげたくて。

得意の英語を駆使するきっかけになればと思って。

道すがら、喧嘩にならないようにサービス品

の1個を胃袋に落とす。

橋を渡った目の前の商店のベンチに

おっちゃんはいた。

白人女性ではなく白装束のお遍路さんと。

「はい、どうぞ。お接待です」

と2人に大判焼きを渡す。

そして私も、これが初めてなんだよ、という

顔をしてパクつく。

なんと阿漕な男よのー私は。

お遍路さんは凄くうまいと喜んだ。

岩屋寺帰りで疲れているから、甘い物、

とくに粒あんなんて最高にうまいはずだ。

よく喋るお遍路さんで、そのけたたましさに

私もおっちゃんも圧倒されてしまった。

曰く、最近は外国人のお遍路が多い、曰く、

外国人は歩きお遍路の人が圧倒的に多い、曰く、

脚が長くてパワフルだから、その足の速い事、

曰く、外国人は素泊まりのうえに宿賃までも

値切るので宿の人は商売にならないと嘆いている、

曰く、焼山寺の山道でフランス人が骨折して

救急車をよんだが、山中まで行けないと

言われた、みんなでタオルを出し合い三角巾

を作りなんとか下山までこぎつけたが、

タオルはちゃっかり持って行きゃがった、と

話の内容は殆どが外国人の悪口。

でもとっても話の面白い人だった。

12時40分バスはやって来た。

ゴルフ場、ふるさと村、公民館を経て

13時05分久万営業所に到着した。

降りる寸前に私は運転手さんに、次は15時

10分なんて不便になりましたねと言うと、

運転手さんも、お遍路さんから凄く評判

が悪いんですと言った。

何となく冒頭の1日乗り放題のきっぷを休日

限定で販売してる意味がわかったような

気がした。

特に休日のバスの繋がりが悪いので、

安い乗車券で客を呼び込もうとしている

ようです。

しかし久万町では現在ひな祭りを開催中で、

2月から始まり、今日4月23日が最終日とのこと。

 

私たちは久万町のメインストリートへと

繰り出した。

沿道の民家や商店には夥(おびただ)しい数の

雛人形が飾られていた。

 

 

道路には軽トラの屋台が出ていた。

私はかき氷を食べ、そして焼きそばを買い、

バンドのライブを聴きながら食べた。

やがて女性ボーカリストが現れ、私が、

中島みゆきの歌の中で3番目に好きな

「悪女」を歌った。

 

 

私はスイングした。

スイングしながらセンチな気分に襲われた。

この得体の知れない切なさは、一体どこから来て

いるのだろうか。

2曲聴いて、私は会場を後にした。

ひなびた町の、ちょっびり侘しい祭りも、

私には結構味わい深く感じた。

話は代わるが中島みゆきの「わかれうた」の

冒頭の歌詞にこんなのがある。

道に倒れて 誰かの名を 

呼び続けたことがありますか

そんな奴がいるんですかね?

そりゃ、酔っ払いか、さもなくば徘徊の

認知症老人だろ。

えっ・・・これは中島が・・・幼い頃に商店街で

・・・欲しい物が買って貰えなかった事にだだ

をこねて・・・置いて行くお母さんを呼んでる時

に出来た唄だって。

その証拠が、続く一節にある。

残されて戸惑う者たちは 追いかけて

焦がれて 泣き狂う

 

バス停に戻った。

おっちゃんもお遍路さんもすでに戻っていた。

おっちゃんと私は次のバスに乗り、塩ヶ森で降りて

浄瑠璃寺に歩いて向かう予定を立てていた。

と言うのも森松から浄瑠璃寺へ向かう

バスの時刻がわからないからだ。

お遍路さんもこの先は浄瑠璃寺であるらしい。

私は森松の時刻表を訊いてみた。

このバスが森松本町に15時47分に着き、すぐ近くの

伊予鉄森松から15時53分があると言う。

塩ヶ森から浄瑠璃寺までが距離にして3Km。

初めて歩く道であることを考慮すれば1時間

はみておかなければならない。

塩ヶ森15時40分着、そして浄瑠璃寺16時40分着、

歩いて1kmの八坂寺は必死に走ればぎりぎり

セーフか。

やはり綱渡り哲也だ。

15時53分に乗れば浄瑠璃寺に16時10分に着く、

とお遍路さんは言った。

これで決まりだね、私はおっちゃんに言った。

おっちゃんも頷いた。

これで今日は八坂寺までは確定だね、と安心した

のも束の間、重信大橋の辺りで、わき道から

トラクターが入って来た。

時速15km/h、なかなか前には進まない。

3分ほどその状態が続いたが、運転手さんは、

対向車線の車が途切れた時トラクターを交わした。

もちろんセンターラインは黄色である。

伊予鉄森松営業所に着いた。

あぶなかったなぁと、おっちゃんが言った。

大体あの状況で、バスの前に入って来るかぁ、

とお遍路さんは言った。

でもギリギリ間に合った。

やはり綱渡り哲也である。

16時10分浄瑠璃寺前着。

寺の前にお遍路宿「長珍屋」があった・

一応民宿となっているが、こんな田舎の宿に

一般客が泊まることなどあり得ない。

お遍路さんは、この宿に泊まると言って、

お参りが終わり去って行った。

46番、47番をお参りし、バスを待つ。

すぐ近くに綱義の家はあるが今回はおっちゃんも

いるし、寄らないことにした。

最近気が付いた、もはやあの家は私が寄っては

いけない状況に変わっているのだと。

私は招かれざる客になっているんじゃないかと。

17時39分に乗り森松に着いた。

JRの乗り放題きっぷも利用しようとしたが、

次のバスが19時17分、対して伊予鉄バスは

18時05分、当然これに乗って行くことにした。

おっちゃんはホテルの近くの大街道で降りると言う。

私は松山市駅まで行って、路面電車でJR松山駅

までと思ったが、郊外電車を利用すればもっと

近道はあるはずだと、立花駅でおりることにした。

おっちゃんは明日は自分で廻ると言っているので

、それじゃ元気で、長い事お世話になりました、

と言って別れた。

立花駅から大手町まで乗り、昨日フラれた松山

ヒルズに向かう。

今日は日曜日なので宿泊OKだった。

近所のコンビニで夕食と缶ビールを2本買った。

正月三が日以来、110日ぶりのアルコールに

久し振りによく眠れた。

本日の歩行距離20, 01km

 

4月24日

ホテルの、無料の朝食を食べてから、郊外電車の

大手町駅に向かう。

本当は昨日45番までお参りして13時26分の

「しおかぜ」で帰名する予定でいた。

しかし私のミスで1日延びてしまった。

ここまで来たら、今日中に松山の札所は

全部終わらせて帰りたいと思う。

7時06分発、電車は松山市駅まで来る。

ホームにおっちゃんがいる。

おっちゃんは私の車輌に乗り込んで来た。

私はおっちゃんに向かって手を振った。

おっちゃんは私の隣に座った。

今日は早く出る筈じゃなかったんですかと言う。

6時半から無料の食事が出るホテルに泊まれた

ので、こんな時間になっちゃったと私が言う。

車内に次の駅名がアナウンスされる。

何を言ってるのか聞き取れない。

「あの、礼二さんのような喋り方、やめて

もらえんですかね」

「地元の人は全部わかってるから、聞き取れる

けど初めて来た人には意味不明だよな」

「そうだよね、地元の人はあれを音楽を聴く

ような感じ聞いている」

私たちは車掌のアナウンスを批判した。

「ちゃんとした口調でしゃべらんかいな」

「きっとテレがあるから、あんな喋り方を

するんだよ」

「会社がちゃんとした教育をしなければ

いけませんよ」

私たちは周囲に聞こえよがしに大きな声で

言った。

7時22分久米駅に着いた。

すぐに西林寺方面行のコミュニティバスが出た。

高井局で降り5分で西林寺に着いた。

何も知らない私は昨年一時間かけて歩いた。

おっちゃんは初めてでも私がいるから

5分で済んだ。

でも自分で探していくから力はつくんだけどね。

再びコミュニティバスで久米駅前に戻る。

歩いて5分の浄土寺へ向かう。

これでも初めてなら10分はかかるだろう。

お参りが済み、40号線を道後温泉方面へと進む。

途中にバス停がある。時刻表を見ると4分後の

便があるのでそれに乗る。

畑寺口でおり山の方へ向かう。

去年、地元の人に案内してもらった事を思い出す。

境内に入るとおっちゃんがいた。

歩いて来たにしては随分と速い、と地図を見ると

へんろ道がすごく近道になっていた。

お参りを済ませ納経所に行く。

去年ここで愛媛大学の学生さんがアンケート

を採っていました、と言うと今でも時々

やっていますよと納経所の人は言った。

その中に、あなたは死後の世界を信じますかと言う

のがあって、私は信じますと答えておきましたと

言ったら彼女は笑っていた。

繁多寺から石手寺に、直通のバスはない。

後は40号線を歩くのみである。

今日も天気は良い。

黒川耳鼻咽喉科があった。

高知東部バスの、黒耳第一、黒耳第二、黒耳第三

バス停を思い出した。

寿司屋の笑福があった。

笑福亭鶴光と言う落語家を思い出した。

一年に一度正月の東西大喜利で見るだけの

落語家だが、昔は、たけしやタモリよりも人気の

ある人だった。

「オールナイトニッポン」のパーソナリティを長く

努め一世を風靡した。

が、あまり出世欲のある人ではないと見えて、

最近ではパッとしない。

全編下ネタの番組だったが、イヤミのない下ネタで

女性にも結構受け入れられていた。

相手役が松本明子で放送禁止用語を連発していた。

もう一度あの番組が聴きたいなと思っていたら、

来年実現するらしい。

年に2回くらいは、名コンビを復活させて、

下ネタをバンバンやってほしいものだ。

「わんばんこ」

「鶴光でおま」

「ええかー、ええのんかー」

よくある、有名人の近況報告のオールナイトニッポン

なんてつまらないですものね。

 

石手寺に着いた。

露店の並ぶ参道を行く。

一昨年はシルバーウィークで、ごった返して

いた境内も、月曜日なのでひっそりとしていた。

納経も滞りなく進み、私は道路向かいの

石手寺前バス停に着いた。

おっちゃんがいた。

昨日、立花駅でバスを降りる時、さっき浄土寺で、

そして繁多寺で別れる時、挨拶をしたのにまた

出会ってしまった。

なんか白々しくなってしまう。

この後、どうするのかと訊くと松山市駅まで

行って、郊外電車に乗り換えて三津まで行き、

バスで大山寺まで行くと言う。

我々の乗ったバスは道後駅のあたりの狭い場所で

その車体を180度回転させた。

やがてバスは松山市駅に着いた。

私たちは4回目の最後の別れをした。

もうこれっきり、これっきり

これっきりーですよー

バスはJR松山駅へと進む。

大手町のあたりで前を走るバスを発見。

行先を見ると運転免許センターであった。

ヤバイ、このまま行くとあのバスが先に

松山駅に到着し、後からこのバスが到着する

頃には出てしまう。

長くバスに乗っていれば、それくらいの

事は想像出来る。

私はその事を運転手さんはに告げた。

信号が直前で変わらなければ、何とかなる

と思います、と運転手さんは言った。

バスは「運転免許センター行き」に続いて松山駅に到着。

私は急いで料金を払い、バスを降りた。

「運転免許」は案の定、すでに動き始めていた。

私はバスに向かって大きく手を振った。

バスは私に気が付いたらしく停まってくれた。

務田駅の時よりも、もっと綱渡り哲也であった。

(帰って来てから調べたら、運転免許が10時50分着で

石手寺からのが10時36分着であった。市内を走るバスは

渋滞で大幅に遅れることがあるので、その辺を考慮

に入れるように)

11時17分「片廻り」着、大山寺のきつい坂を登って行く。

お参りを終え、納経所あたりまで差し掛かると、

おっちゃんに逢った。

仏の顔も四度目だ。

2kmほど歩いて53番札所円明寺に着いた。

この旅、最後の札所である。

結局昨日のミスで、予定が1日延びたが、きりのよい

53番までお参り出来た。

怪我の功名ととらえておこう。

門を出るとお遍路の老人が座っていた。

前に小銭の入ったお椀が置かれていた。

私は100円を入れさせて頂いた。

達成感が財布のひもを緩めさせたのだろう。

別に私の財布にひもはついていませんけどね。

和気のバス停に立つ。

次の便は12時38分の松山市駅行き。

松山駅に13時10分くらいに着くであろうが、

来る時事故を見た。

直後だったので良かったが、帰りは渋滞

しているかも知れない。

もしそうだと、キオスクでのお土産タイムが

なくなってしまうかも知れない。

私はハンドブックの時刻表を見ていた。

伊予和気12時52分発松山13時00分着の

ワンマンカーがあった。

私は伊予和気の駅をめざした。

そして、そこにはおっちゃんがいた。

5度目の仏様である。

気動車に乗ると新入職員が教育を受けていた。

「ぜんぽうよーし」

そう言えば石手寺のバス停でも、教習中のバスを

見かけた。

4月なので新入社員の研修時期なのですね。

左手にポンジュースの工場が見えた。

おっちゃんに話すと、大阪でもポンジュース

は売られていると言う。

結構全国的に有名なのですね。

13時00分松山駅到着。

「それじゃお元気で。またどこかでお会いしましょう」

私はおっちゃんに5度目の「別れの挨拶」をした。

キオスクに入り、坊ちゃん団子とタルトの、

ポピュラーなお土産を買って私はホームに出た。

乗降口に並んでいると

「あのー、トイレに行って来るんで、この荷物

見ててもらえますか」

と背後から声がかかった。

振り向くと女性だった。

おっちゃんと別れて数分後のことである。

まさに一難、あわわ失礼、一男一女の母親の

ような女性で、私のブログを伝えるこの旅6人目

の人でもあった。

やがて列車が到着した。

彼女を待っている間に、座席が全部埋まって

しまったらどうしようと心配したが、この列車は

折り返しのため一旦ドアを閉め車内清掃をする

ことを思い出した。

彼女が戻って来た。

私はブログの事を話した。

彼女は私の目の前で探し始めたが、私のブログは

なかなか出て来なかった。

ドアが開いた。

彼女は左の窓際に座った。

私に、きれいな海が見えるからこちらへ

来ませんかと誘ってくれた。

が、私は少し疲れていたし、この旅を振り返って

みたかったので右側最後部の一人席に座った。

13時26分しおかぜは動き始めた。

今回の旅は今までで一番楽しかった。

いつもたまたま偶然楽しいだけで、本当はお大師様の

お蔭なんかではないんじゃないか、だからこの次の

旅はつまらなくなるんじゃないかと一抹の不安を

抱きつつ、いつも旅に出ていた。

でも私は今回の旅で確信した、誰が何と言おうとも

お大師様はこの四国に棲んでおられると。

みよし池の塚本さん、くろしお鉄道の車掌さん、

神峯寺のサイクリングの人、そして種間寺で

あった女性、無事に岡山に着いたのだろうか、

荷物を取りに行くと言ってたのでニトリを退社

されたのだろうか、とても気になる。

猫ちゃんにも逢った、ぶさお君にも逢った。

性別は確認してないのでぶさこちゃんかも知れない。

さらに務田、松山駅でのギリギリセーフの乗車、

務田の美少女にも助けられた。

去年もそうだったが、この辺りではよく高校生に

逢う。

高校生だらけのイメージがある。

ひょっとしたら住民の殆どが高校生では

ないだろうか。

お父さんもお母さんもおじいちゃんも

おばあちゃんもみんな高校生では。

だとしたら、クラスの男子380名も

納得できる。

突「そんなとこで納得すな」

数多くのお接待も受けた。

ご一緒した、東京の人、大阪の人、長崎の人も

少なからず私の旅を楽しくさせてくれました。

そして何よりも一番長く付き合ってくれた

おっちゃん、名前も住所も知らないけれど

楽しかったですよ。

彼にはブログの事は伝えなかったけど

(スマホもパソコンも持ってない)

きっと彼こそが同行2人のお大師様ではないか

と思っております。

住所なんか知ってたら訪ねて行って、その人

だったら10年前に死んでますよなんて言われてね。

これらの、旅の登場人物、シチュエーション、

すべてお大師様の演出だと私は思っております。

どうも有難うございました。

 

列車は今治に着いた。

思い出にふけっていると

「あなたのブログはあとで読むからね」

と言って女性は降りて行った。

列車の中で彼女は海辺の写真ばかり撮っていた。

ホームに降りてからも彼女は窓越しに手を振った。

そのお茶目で明るい笑顔を添えて。

いやー男前はつらいなー。

松山から乗って今治で降りた彼女は一体

何者なのだろうか。

私は推理をしてみた。

別の言い方をすれば、そう、病気が

始まったのである。

今治の人が松山まで買い物に行ったという

感じではない。

そんな人が、見慣れた海辺の写真を撮る

訳がない。

彼女は観光客である、これは間違いない。

しからば彼女はなぜ今治に寄ったのだろうか。

おそらく松山観光が今回の彼女の旅の

メインであったのだろうが、彼女には

ある目論見があったのだと思う。

その目論見とは、きっと彼女はこの後、今治

のタオル工場を訪れる筈だ。

工場見学者として。

そして記念品のタオルを1本もらう時、色目を

使って

「お願い、10本ちょうだい」

と甘える筈だ。

ちょっとは心が動く案内係ではあるが

「うちは零細企業です、そんな事したら会社が

タオルます」

とダジャレを言って彼女を追い返す筈だ。

帰りがけの駄賃にと目論んだ、彼女のこの計画は

結局失敗に終わる。

彼女が帰った後案内係は

「縁起でもない、塩でもまいておけ」

と部下に命じる筈だ。

 

この私の推理を彼女はどうみているのだろうか。

おそるべし金田一だろな。

突「だからあんたは競馬をはずすんだ、でしょ」

黙ってれば、結構チャーミングなアラフォーって

感じでしたが、致命的な欠陥を私は彼女の中に見た。

突「何ですか、致命的な欠陥とは」

猫「うん、性格が上沼恵美子さんなんだ」

突「こ、怖ーい」

大丈夫ですよ、彼女にとって上沼恵美子は

誉め言葉なんだから。

彼女は現在とっても幸せに生きているし、

これから先もずっと幸せは続くはずだ。

何故なら彼女は「幸せ」に惚れられてるからさ。

と、おぢさんは歯が浮くようなキザなセリフを

吐いてしまいました。

ノーギャラで、最後の登場人物になっていただき、

有難うございました。

 

それでは総括といきましょうか。

宿泊費31000円ぐらいだったと思う。

飲食代10000円かな、よーわからんけど。

交通費50000円、ここが一番かかったんとちゃう。

雑費14000円、土産、納経料、記憶喪失分も含めて。

使用した交通機関名ならびに路線名

名古屋鉄道三河線、本線、JR東海道山陽新幹線、 

瀬戸大橋線、予讃線、土讃線、予土線。

土佐くろしお鉄道後免奈半利線、窪川宿毛線、

高知東部交通、高知西南交通、とさでん交通、

宇和島自動車バス、JR四国バス久万高原線、

伊予鉄南予バス、伊予鉄バス、路面電車、

郊外電車、最後に道の駅三間のレンタサイクル。

お遍路さん、電動自転車利用しなさいよ。

とても便利ですよ。

辿った札所26番、25番、24番、27番、28番、29番

30番、31番、32番、35番、36番、33番、34番

37番、38番、39番、40番、41番、42番、43番

44番、45番、46番、47番、48番、49番、50番

51番、52番、53番

出会った猫5匹、犬2匹、道を尋ねた人26人。

ブログを伝えた人6人(女性4人男性2人)

一度も雨に降られることもなく幸せでした。

19時半帰宅。

フー、疲れた。本日の歩行距離15,21km

いやお遍路ではなくて、このブログが。

極めて近日中、お遍路は始まります、

乞うご期待!!