O.Hen-ro その8

2017年6月12日

朝5時10分に家を出た。

相変わらず玄関にはとーちゃん、きんちゃんが

私を待っていた。

正確には私の与える餌を待っていた。

最近は、すーちゃんはあまり寄り付かなく

なった。

3匹とも雄なので、やはり大人になると

仲が悪くなることもある。

きっと彼らの中にはもう、親子だの兄弟だの

の認識はないでしょうね。

でも、とーちゃん、きんちゃんがいない時に

こそっと、すーちゃんはやって来る。

私にとっては3匹とも可愛い我が子である。

すーちゃんは森永キャットミルクが大好き

なので一回に70ccほど与える。

ピチャピチャと音を立てておいしそうに飲む。

猫の舌はギザギザになっていて液体をスプーン

のようにすくえるようになっている。

子供の頃、猫の真似をしてベロで牛乳を

飲もうとしたことがあった。

が、私にはギザギザがないのでうまくい

かなかった。

猫の話をしているうちに最寄りの駅に着いた。

ホームからの風景

 

麦の収穫が終わったところだ。

この後どうするのか私にはアイドンノーだ。

昔なら、田植えをしただろうが、恐らく

今では、来年まで放置しておくか、大豆を

作るのだろう。

5時38分の電車に乗る。

この前もネプリーグで漢字一文字の駅を

五つ答えろという問題が出ていた。

林修がどう答えるかと注目していると

「津」と答えた。

ま、林にとっては隣の県だからそんなに

「売国奴」と非難されるほどの答えではない。

ところが後がいけなかった。

誰かが「栄」と答えたからだ。

今でこそ名古屋は名駅だが、少し前までは

栄は名古屋の一丁目一番地だった所だ。

恐らく多くの名古屋人が林のことを

「売国奴」とののしったことであろう。

林の額に、じっとりと油汗がにじむのを

私は見逃さなかった。

林、お前どうするんだよ、売れなくなった

からといって名古屋にはもう、戻れないんだぞ。

名古屋に着いた。

JRきっぷ売り場で国分まで下さいと言った。

職員は、新幹線で鹿児島経由で行きますか

と訊いた。

どうやら彼は、はなはーきりしまー

たばこーはーこくぶー、の国分と間違えて

いるらしい。

決して彼が悪いのではない。

悪いのは同じ駅名を作ったJRだ。

薩摩国分とか讃岐国分とか区別すれば

いいのに。

私は、四国の国分ですと言った。

彼はすぐに理解して、きっぷを売ってくれた。

私は、前回乗り損ねたひかり491号博多行きに

乗った。

始発駅ではあるが、2席シートの窓側は

全て埋まっていた。

私は3席シートの窓側に座った。

いいですか皆さん、窓際も2席シートの

方から埋まって行くことが判明しました。

車内にアナウンスが流れた。

それによると「ひかり」の自由席は1~5号車

であることがわかった。

岐阜羽島、米原といつもとは違う駅で「ひかり」

は停車し、その都度結構な数の乗客を呑み込んで

いった。

これらの駅では「ひかり」か「こだま」しか

利用できないのだから当然ではありますが。

大阪を過ぎたあたりで、もう一度アナウンスが

流れた。

「この列車は1~3号車が自由席であります」

あれれ、いつの間に自由席が減ってしまったのだろう

、それじゃ4~5号車に乗っている人はどうなって

しまうんだろう、と3号車に乗る私はひどく心配

になってきた。

しばらくしてもう一度アナウンスがあった。

「この列車の自由席は1~5号車であります。

大変失礼いたしました」

一時的とはいえ、乗客を混乱に陥れた名古屋発

「ひかり491号」のJR西日本の6月12日を担当

したこの車掌のボーナスを5%カットしてください。

JR西日本の社長さん。

8時24分に岡山に着いた。

いつもより一本早い新幹線に乗れた利点は、

「しおかぜ」ならば53分早い便に乗れ、「マリン

ライナー」なら25分早い便に乗れ、「南風3号」

なら間違いなく窓際の座席を確保できることだろう。

マリンライナーはすでに入線していた。

全席クロスシートの感じのいい車輌である。

妹尾、茶屋町、児島と停車し、瀬戸大橋を

通って9時23分坂出に着いた。

ここからは普通に乗換えて行かないと八十場に

は停まってくれない。

そのまま1番ホームで普通を待つ。

9時30分いしづち8号がやって来た。

すぐさま高松へと向かった。

次の列車が電光掲示板に表示される。

9時43分マリンライナー。

私はすぐそばにいた人に、鈍行はどうなっている

のですかと訊くと、向かいの2番ホームから出ると言う。

私は地下をもぐって辛うじて鈍行に間に合った。

また一つ、いい勉強をさせて貰った。

9時38分八十場(やそば)に着いた。

踏切を渡ってしばらく行き、突き当たりを

右にまがるとすぐに神社の鳥居が見えて来る。

ここは龍光寺といっしょで、境内に神社がある。

私は鳥居をくぐらず隣の、ちょっとした門から

入って行った。

あくまでも私の訪ねるのは天皇寺であって

白峰宮ではないからだ。

結構気温は低い。

小便がしたかったので、まずはトイレを捜す。

が、なかなかみつからない。

仕方がないので、納経所で納経をして

もらいながら訊く。

鳥居をくぐり、すぐに左へ行くとそれはあると言う。

もう今月は6月、やはり閏年限定の札は出なかった。

順番は逆になったが線香蝋燭を立てお参りをした。

「大過なく一生が送れますように、いつまでも

お遍路の出来る健康が維持できますように」

帰り道で、大好きな猫ちゃんに逢った。

窓際で日向ぼっこをしていた。

 

さわれないのは残念ではあるが、やはり胸が

キュンキュンとしてくる。♡♡♡

世界ネコ歩きを毎回見ている。

岩合さんの猫に対する愛情がひしひしと

伝わって来る。

他の、俄か猫ファンは怪しいものだが、しかし

岩合さんは間違いなく猫好きである。

私が言うのであるから間違いない。

猫は1日18時間は寝ていると言われる。

何の役にも立たない怠け者である。

猫の手も借りたいと言う諺がある。

正確には、何の役にも立たない「猫の

手でも借りたいほど忙しい」のである。

夜中に奇声を発し、畑に糞をする近所迷惑な

やつですが、猫嫌いな皆さん、どうか

大目に見てやって下さいまし。

5分もかからず八十場駅に着いた。

立派な複線です。

 

「八十場」の「十」が「千」に書き換えられて

「八千場」(やちば)になっていた。

私なら八と十の間に「き」を入れて

「八き十場」(やきそば)にするけどな。

えっ、「十」に横一本線をいれて「八キ場」

(やきば)にするんですって。

そう言うのをブラックジョークと言うんですよ。

今回あまり出会いがなかったので、猫と八十場

で遊んでしまいました。

10時27分、乗車券の最終目的地、国分に着いた。

駅前の信号交差点を渡り右に行く。

左の方から夫婦らしきお遍路さんが来る。

間もなく左手に国分寺が姿を現す。

駐車場を通って山門に向かう。

去年と違って車は一台も停まっていない。

去年は土曜、今年は平日だからだろう。

お参りが終わり、門前の狭い道を左に行く。

狭いが、結構車は通る。

突き当たりを左に折れる。

去年降りて来た道を、今から登るのだ。

かなり厳しい道だったことを記憶している。

時刻は10時52分、予定より少し遅れている。

気温はそんなに高くない、25度はいって

ないだろう。

爽やかな風も吹いている。

しばらくはアスファルトの道が続く。

お遍路シールも所々にあり、わかりやすい道だ。

やがて山道のへんろ道へ入る。

しかしまだ緩やかなへんろ道である。

所々の草むらでゴソッと何かが動く

音がする。

すわ、マムシかいなと怯える。

しかしマムシは音もなくやって来る。

違う小動物であろう。

地図による、国分寺から2,1kmのあたりから

いよいよ険しい山道へとさしかかる。

県道の一本松まで1,3km標高差は250mである。

箱根登山鉄道が1kmで80mを登るのが

限界だと言ってたから、人間ってやつは

すごく丈夫な生き物だなって思います。

しかし最御崎寺が0,7kmで155mだから、あれに

比べれば可愛いものだと思ったが、さにあらず、

距離が2倍だから、登山時間も2倍、かなり

険しいものであった。

残りの600mあたりから、100m毎に道標が

立っていることが、その厳しさを如実に

表している。

道標を見るたびに、頑張れと励まされてい

るような気がした

何度も何度も休憩をして11時40分に県道に出た。

丸太の階段の一段の高さが50cmほどあり、

マンチカンのような短足の私には応えた。

旅に出る前、死ぬとしたら、この山道だろうな

と思ったが死なずにすんだ。

と同時にこの時点で、私は結願を迎えられる

ことをほぼ確信した。

県道を左に折れ、白峯寺を目指した。

「ホ、ト、ト、ギ、ス」

と鳥が鳴いた。

あれは紛れもなく、ホトトギスの鳴き声

だろうと思った。

生まれて初めて聴く、ホトトギスの声である。

途中で12時の時報がどこかから聞こえて来た。

観光バスとも行き違った。

きっとビールでも飲んで、カラオケを歌って

いるのかな。

心のどこかに、羨ましいなと思う気持ちが

ないでもない。

でもバスの乗客の中にも、私を見て羨ましい

なと思う人はいると思う。

金はある、暇もある、歩けるのだから体力

もある。

でも歩こうという意欲も気力も自分にはない。

あの気力が羨ましいと。

左手に自衛隊の演習場が見えた。

当然立ち入り禁止、英語ではKeep outと

フェンスに書かれていた。

きっと金網をよじ登って中に入ったら、

自衛隊員に射殺されて、この演習場の一角に

埋められて未来永劫発見されることは

ないであろうな。

2kmほど歩くと、右手にへんろ道の道標があった。

再び山道を歩いて13時前に白峯寺に着いた。

結構長い階段を登って本堂へ着く。

ここには生まれ年の干支の堂が階段の途中の

左右に3つづつある。

88ヶ所でもここだけだと思うので、私は丑年

寅年のお堂をお参りした。

納経を終え、寺を出た時13時15分だった。

納経所で、山道にすべきか車道にすべきか

尋ねたところ、山道の方が早く着きますよと

言うので来た道を引き返す。

しばらくは、かなりの上り坂を行く。

イノシシに注意の立札が目に飛び込んで来た。

注意って、一体どうすりゃいいんだ。

イノシシってのは豚の親戚だよな、「豚もおだて

りゃ木に登る」って諺もあるよな。

ってことは、おだてなければ豚は木に登れない

ってことだろ。

ってことは親戚であるイノシシも木に登れない

ってことだろう。

私は、イノシシ出現のその時のために、木に

登るイメージトレーニングをした。

しかし、あたりを見回すと登れるような

太い木は、すべて枝打ちがしてあって登れない。

ま、もし遭遇したら、そこらに落ちている木の枝で

ブッ叩いてやるしかないと、覚悟を決める。

今度来る時は、イノシシ鍋でも持参しよう

かと思っている。

きっと奴は、これを見たら一目散に逃げる

ことだろう。

途中で鳥の鳴き声一覧の掲示板があった。

ホトトギスの欄を見た。

テッペンカケタカと書いてあった。

そんな馬鹿な、先入観念も予備知識もない

私には、ホ、ト、ト、ギ、スと聞こえた。

だからホトトギスの鳥名がついたんだろ。

鳴き声まで押し付けるなよ、自分の

感じたままでいいだろうが。

白峯寺から1,1kmで65m上がり、そこから

1,7kmで35m上がり、さらにそこから0,6km

で60m上がる。

地図によればそうなっている。

机上の計算によれば、楽そうにみえる。

しかし事実は小説より奇なり。

焼山寺、鶴林寺、神峯寺のように麓から

頂上に登る場合は計算通りに行くが、幾つもの

山を渡る場合は上り下りがあるのでこの

限りではない。

想像してたよりもかなりきつい山道だった。

標高440mの道路に出た。

後は標高365mの根香寺までの2km、

なだらかな下りが続く。

途中で1人のお遍路さんに出会った。

彼は頑張って下さいと言った。

国分寺を出てから根香寺に着くまでに

へんろ道で出会った、最初にして最後

のお遍路さんであった。

中学生らしき集団が歩いていた。

引率者らしき人が立っているそばに電話

ボックスを発見する。

早速、今日の宿にしようと思っている高松

サンシャインホテルに電話する。

蜘蛛が巣を張っていて、ここはわたしの

家よ、と主張していた。

何か、いやな予感を持ちつつも、とにかく

電話をする。

うんともすんとも返事はなかった。

受話器を置いた。

入れたお金は戻らなかった。

いやな予感は当たった。

私はNTTに電話代をだまし取られた。

ものはついでと、引率者らしき女性に

ブログのメモ用紙を渡した。

「だらだらせずに、早く来なさい」

引率者はヒステリックに中学生たち

に向かって叫んだ。

この口調から引率者が教師であることが

わかった。

根香寺へ向かう道すがら、至る所で同じ

服装の中学生の集団を見かけた。

再び女の先生に出会った。

「何をやっているんですか」

「地元の中学生ですが一泊しながら

ウォークラリーをやっているんですよ」

と彼女は言った。

私の子供の頃にはなかったゲームなので

皆目見当もつかないが、ま、私のお遍路に

似てなくもないだろうと結論付ける。

彼女にもブログのメモ用紙を渡す。

「向こうでも一人渡してきたんですがね。

もう今頃はゴミ箱に捨てられてると思いますけど」

と言うと彼女は

「そんなことはありません。それじゃ

読ませて頂きます」

と言った。

初めて学校の先生に渡した。

以前から渡してみたい職業の人だったから

とても嬉しかった。

たくさんの中学生に逢った。

みんな、こんにちわと挨拶してくれる。

やっぱり田舎の子は純朴でいい。

14時50分、根来寺に到着。

お参りを済ませ納経所へ寄る。

「あの、牛のような鬼のような像はどこに

あるんですか」

と訊くと

「駐車場にあるんですよ」

と納経所の人は言った。

「根香口のバス停へ行く地図はないですか」

と訊くと

「ありませんけど、180号線をずっと降りて

行って2つ目の信号で16号線にでますから、

右へしばらく行くとバス停になります」

と言った。

恐らく、私の尋ねた事は、よくある質問

なのでしょうね、彼女は理路整然と

答えてくれた。

この先のことは未知数なので、どこにあるか

わからない牛鬼の像の撮影はあきらめて

180号線を進む。

15時10分であった。

この180号線、笠居の16号線から坂出の

11号線まで続く県道である。

観光バスも通るくらいであるから道幅も

かなりある。

にもかかわらず、路線バスは走っていない。

なぜなのか、私の推理、つまり病気が

始まる。

車道を行くとつぶれた飲食店をいくつか

みつけた。

7年前のガイドブックに載ってたかんぽの宿

も、もうやってない。

国分寺から根香寺まで、出会ったお遍路

さんは今回で1人、土曜日だった前回でさえも

3人。

このことからも年々、歩きお遍路さんが

減ってきていることがうかがい知れる。

つまり需要がないところを走らせても

財政赤字が増えるばかりだからじゃ

ないでしょうか。

笠居から坂出まで地元の人が乗ることは

考えられないからね。

ビワの木があちこちに見られる。

たわわに実がついている。

道端に出しゃばってるやつを触ってみる。

我が家のそれより、ずっと柔らかい。

5つほど採って、歩を止めて味わってみる。

とっても甘くておいしかった。

昼飯も食ってなかった空腹が喜んだ。

眼下に海が見える。

 

麓までまだかなりの距離があるのがわかる。

巡彩庵なる宿があった。

この次の歩き遍路でお世話になるかも

知れないので心に留めておく。

最初の信号にさしかかる。

16時ちょっと前である。

さらに私は直進する。

納経所の人が言ってた2つ目の信号に着いた。

目の前をバスが行った。

通りがかりの人にバス停の場所を訊くと、

今バスが停まっているあそこですよと言う。

私が乗る予定の一本前の高松行きのバスで

あろう。

あまり早く着いてもやる事もないので

気にも止めない。

万歩計を見た。

歩いて4Km、時間にして1時間であった。

これからお遍路される方がいたら

よく覚えておいて下さいよ。

バス停根香口から根香寺までの距離と時間です。

歩きお遍路さんは、この道は通らないか。

バス停近くの弁当屋でサンドイッチを

頬張った。

思えば八十場からここまで食べ物を売る

店は皆無であった。

16時38分のバスに乗る。

笠居小学校の生徒さんが一杯歩いている。

やはりここらも制服だ。

同じ服ゆえに生徒1人1人の個性が際立つ。

修学旅行の感想文と同じだ。

17時04分JR高松駅到着。

駅前の電話ボックスに駆け込む。

スマホを持っている人から見ると、随分と

不便な生活を送っていると思うでしょ。

実際不便です、このうえない不便な生活

を送っています。

でも、この面倒臭さが私は大好きなのです。

そしてその精神こそが、このブログを作る

源となっているのです。

次から次とギャグを生み出す原動力となって

いるのです。

芸人は遊ばないといい芸は出来ないだと。

嘘こけ、酒飲んでる暇があったら考えろ。

神様がいいヒントを下さるから。

サンシャインホテルに電話をする。

部屋は空いていると言う。

私は2泊の予約をした。

ここだけはまだ一度も、満室ですと断られた

ことがない。

建物も古いし、フロントも猫の額ほどしか

なく、栗林駅の近くと言うのが不人気の理由

ではないかと思われます。

でも私は眠ってしまえば30万円のスイート

ルームも安宿も同じという考えなのでここに

するのです。

突「サンシャインさんに失礼だぞ」

210円で栗林駅までのきっぷを買う。

ホームに出てキョロキョロしていると、

どうしたんですかと地元の人に声を

かけられた。

2番線や3番線はあるのですが、1番線

ホームがないんですよと言うと、奥の方に

それはあると言う。

皆さん、高松駅1番ホームは2番3番ホーム

の奥にありますからね。

松山駅の宇和島行きと宇多津方面行きの

ホームみたいなものだ。

17時30分発の引田(ひけた)行きに乗る。

乗客は超満員だ。

やはり高松は四国と言うよりは本州に近い

と感じる。

栗林で降り、いつものスーパーCIPに寄る。

CIP、これをどう発音するのか知らないが

晩飯とビールを買ってホテルへ行く。

2泊分の宿泊費を一万円で払い、おつりを貰う。

ホテルの7階からJRの線路が見える。

私はビールを飲みながら走り行く車輌を

眺めるのがいつの頃からか好きになった。

私がこのホテルを利用する本当の理由は

これかも知れない。

時刻表を片手に持ちながら。

本日の歩行距離23,79km

 

6月13日

8時に剛は目を覚ました。

トイレに行こうと立ち上がるが、足元が

ふらついた。

トイレから戻り、剛はしばらくベッドの上で

ボーッとしていた。

脳が覚醒するにつれて、ゆうべの出来事が

走馬灯のように蘇って来た。

見知らぬ街の居酒屋に剛は入った。

そこで競馬好きな男と意気投合し数軒の

はしごをした。

後の記憶は定かではないが、ここにいるの

だから自力で戻ったのだろうと剛は思った。

剛は東京へ帰るべくフロントに向かった。

しかしフロントには誰もいなかった。

料金は前払いだからと、剛はホテルを出た。

外は、車はおろか人っ子一人歩いていなかった。

田舎のホテルだからこんなこともあるだろうと、

剛はあまり気にも止めなかった。

剛はスマホをホテルに忘れて来たことに

気が付いた。

急いで部屋に戻り捜したが、どこにもなかった。

ゆうべ酔っぱらった時に落としたかも知れない

と思った。

タクシーを呼ぼうと思ったが、これじゃとても

呼べる状況ではない。

駅への道をひたすら歩いた。

しかし、行けども行けども人には遭わなかった。

車の走ってるのも見なかった。

バス停があった。

バス到着時刻まで待ったがバスは来なかった。

10kmも歩くとやっとコンビニがあった。

ドアを押すと意外にも開いた。

が、店員も客も一人もいなかった。

剛はおにぎり2個とお茶を買った。

店員はいないし、消費税の計算が面倒だった

ので料金より多少多めの金額をレジの所に

置き店を出た。

誰にも遭わなくなって最初の夜を迎えた。

剛は神社の軒先を借りて宿とした。

一体人間はどこへ行ってしまったのだろう、

いつまでこんな状況が続くのだろう。

剛は星空をみつめながらそう思った。

が楽天家の剛は、そんなに深刻には受け

止めていなかった。

10日が過ぎた。

公衆電話から知り合いに電話をしたが、

通じなかった。

鉄道駅まで行ったが電車は動いていなかった。

この地球上に何が起きたというのだ。

原爆投下でもされたのか、それとも俺以外の

人間は疫病で総てやられてしまったのか。

食べ物はすでに総て、消費期限を過ぎている。

剛はコンビニで買って来たインスタントラーメンを

ゴミステーションで拾って来た鍋で調理した。

このまま一生誰とも逢えず、地球上最後の人間

として死を迎えるのか。

そんな事を考えると、さすがの剛もすっかり

落ち込むのであった。

11日目の夜もお寺の軒先で毛布にくるまって寝た。

やはりゴミステーションにあった毛布だ。

剛は夜中に、闇の中に何かが動く気配を察した。

「誰だ、そこにいるのは」

恐怖というよりも喜びに近い声を剛は発した。

「そこにいるのは人間ですよね」

闇から女の声が返って来た。

「人を見かけなくなってもう10日間、ずっと人を

捜していたんですよ」

女は続けて言った。

 

朝を迎えた。

「俺の名は剛、よろしく」

「わたしの名は春菜、どうぞよろしく」

2人はお互いに自己紹介をした。

「とりあえず街の方へ行ってみましょうよ。

ひょっとしてまだ生存している人類がいる

かも知れませんよ」

春菜の提案で二人は街に向かって歩いた。

大きな犬が出て来た。

2人を見て、唸っている。

「やばいな、あの犬。飛びかかって来るぞ。

俺、石を拾うから春菜さんしっかり犬を

睨み付けてて下さい」

剛が石を拾うや否や犬は飛びかかって来た。

剛は力一杯石を投げた。

石は犬の眉間に的中し、犬は悲鳴を上げながら

逃げて行った。

「これが本当の剛速球なんちゃって」

とても冗談の言える状況ではなかったが、剛は

春菜を元気づけるために言った。

「剛君、うまい」

春菜が拍手をした。

その後も次から次と犬は現れた。

「飼い主のいなくなった犬たちが、食べ物求めて

鎖をちぎったのよ、きっと。中には狂犬病の犬も

いるかも知れないわ。どこか犬の来ない所へ逃げ

ましょうよ」

春菜は言った。

剛も頷いた。

 

「ここなら大丈夫ね」

2人は陸からそれほど離れていない小さな島に

船でやって来た。

島には人が暮らすのに丁度いい洞穴があった。

剛は食糧とする魚を手に入れるため毎日

釣りに行った。

春菜は近くにスーパーをやってた実家があり、

時々米をはじめとする食料品を取りに行った。

「とにかく、この地球上には俺と春菜しか

いないんだ。人類復活のために俺たちはアダムと

イヴになろう」

1年後二人の間に子供が出来た。

そして間もなく一隻の船が島にやって来た。

ヘルメットを被り、青いプラカードを持った

男が降りて来て言った。

「どっきりカメラでーす」

「何なんだ、そりゃ」

剛はキョトンとした。

仕掛け人の春菜は

「番組はドッキリだけど、子供はドッキリでは

ないわよ。それに製作費が莫大だったから5億円

は私が借金をして出したの。これから借金を返済

しながら子供を育てていきましょう。ね、剛君」

「なんで釣られた俺が借金を返済しなけりゃ

ならないんだよ」

ボヤくことしきりの剛君でした。

 

しろひ猫作「愛はお金で買える」より一部抜粋

 

今回あまりネタがなかったのでショート

ショートを挿入してみました。

製作時間3時間。

 

6月13日

朝5時に目が覚めた。

朝風呂に入り5時45分ホテルを出た。

フロントは6時にならなければいないと

言ったが既にいた。

去年の結願の日と同じく栗林公園駅から

一宮寺を目指す。

ただ去年と違うのは今年は志度寺が一寺

多いという事だ。

そのため、去年より一本早い6時08分

の電車に乗った。

6時22分一宮に着く。

踏切を渡り北へと向かう。

途中に、古びたスイーツのお店があった。

こじんまりとした店だが、駐車場のスペース

が4台分あったところから、きっとこの店は

評判のいい店であろう。

近所に女子高もあるから帰りには、ワンサカ

やって来ることだろう。

お遍路に行くのに、いらん事を言わんでも

いいと、どこかから声が飛んできそうだ。

6時35分一宮寺に着く。

7時の納経時刻まで時間はたっぷりあるので

まずはトイレに入って善通寺。

本堂、太子堂といつもより丁寧にお参りし、

納経所に向かう。

7時かっきりに納経所は開く。

正確に言うと、6時59分55秒くらいに開く。

納経を済ませ、駅へと向かう。

小学生の一団に逢う。

やはりここらも制服である。

それにしても通学時刻が早い。

うちの近所の学校は7時50分くらいである。

7時22分高松築港行きに乗る。

満員電車である、がせいぜい16分なので

我慢できる。

江ノ電とか松山郊外電車とか琴電とか、民家の

間を走る電車って楽しいですね。

7時38分瓦町到着。

志度線に乗換え八栗に8時05分到着。

この駅には私の好きな電動自転車が

置いてある。

が、今日はあまり歩く所もないし、9時36分

に間に合えばいいのだからとヤマハパス。

いつものように大通りに出て左折し最初の

信号で右折し後は一直線。

石材店がこの辺りは多い。

立派な石像も一杯飾ってあった。

お土産に是非欲しいとは思うが、讃岐うどんが

荷物になると言ってる御仁にはね。

山田うどん店を過ぎ、高柳旅館を過ぎケーブル

乗り場に着いた。

係員に発車は何時ですかと訊くと、今出たば

かりで次は8時45分だと言う。

山頂駅まで何分かかりますと訊くと、4分だと言う。

それから本堂納経所まで5分かかるので、どんなに

早くとも帰りのケーブルは9時15分になりますね

と言う。

それじゃ9時36分の電車には間に合いませんね

と言うと、高校生がダッシュしても無理ですと

言われた。

ここで私の計画は根底から崩れ去るのか。

計画の中にケーブルとかロープウェイが入る

場合は、皆さん是非それらの時刻表も調べて

おいてください。

私がいつもここで失敗するのは、それが

してないからです。

例えば今回八栗駅に8時05分到着。

ケーブルカーの出発時刻が毎時15分、30分

、45分、00分(上り下りとも)なのだから

それを考慮して計画を練らなければ

ならない。

それが私には出来ていなかった。

私の頭の中にあったのは駅からケーブル

乗り場までの時間、ケーブルの所要時間、

山上駅から納経所までの時間だけであった。

だから駅からケーブルまでが25分、ケーブル

の所要時間4分、山上駅から納経所までが

5分として往復でも1時間8分である。

8時05分に八栗に着いたのだから、これに

1時間08分を足せば9時13分で、9時36分の

便には楽勝であろうと思っていた。

しかし計画は最悪の事態を想定して練らな

ければならない。

私はこの鉄則を無視して計画を練った。

つまり行きも帰りも出てしまった直後を想定して

、この場合だと14分×2=28分を足さなければ

いけなかったのだ。

1時間08分+28分で1時間36分

8時05分に1時間36分を足せば9時41分

で、9時36分に間に合わなくなる可能性は

十分にあったのだ。

それでは私はどうしたら良かったのだろうか。

結論は電動自転車を使うか、もう少し早く

歩いて8時30分に間に合わせるかのどちらか

だったのだろう。

そのためには事前調査、つまりケーブルの

発着時刻の調査が必要だったのだ。

 

8時45分のケーブルに乗った。

お参りを終え、納経をしてケーブル乗り場

に戻って来ると9時05分だった。

私は喉が渇いていたので、ごみの出ない

最中のアイスクリームを買った。

ケーブルは時刻通り9時15分に出発した。

なぜならばケーブルは単線で上り下りが

すれ違う場所が1ヶ所しかないからだ。

両方とも止まることもなく、タイミングよく

すれ違う。

ケーブルを降り駐車場に出ると時刻は9時

21分だった。

無理だとは思ったが私は早足で駅へと向かった。

帰りは下り坂であるから結構スピードが出る。

しかし・・・・すんでの事で36分発を

取り逃がしてしまった。

総てが終わってしまった・・・とは思わない。

まだ一縷の望みはある。

一本遅れて琴電屋島に着いた。

駅舎でお遍路さんに逢った。

彼はこれから大窪寺へ向かうと言った。

それじゃ結願ですねと言うと、行き当たり

ばったりなのでそうではないと言う。

この屋島寺についても訊いた。

彼の弁によれば歩いても30分で登れると言う。

そこへ地元の年配者がやって来た。

彼も、散歩で屋島寺までちょこちょこ登るが

やはり30分だと言う。

地図を見るとお寺まで距離2,6km高低差

280mもあるのだ。

これを30分とは、オリンピックに出場する

人以外出来る訳がない。

皆さん、経験者ってものはこういう場合、

自慢げに話2倍に言うので気を付けるように。

突「話2倍ってなんですか」

話半分の逆で、言った数値の倍です。

現にバスの運転手さんは1時間と言って

ましたもの。

お遍路さんは、その他、横峯寺についても

登山道路から登ったと経験を語った。

登山道路とはあの登山バスの走る有料道路

のことである。

私も横峯寺はこの次有料道路を歩きたいな

と思っていたので、大変いい情報が得られたと思う。

10時40分屋島山上へ行くシャトルバスが

やって来た。

運転手さんは前の扉から乗るように言った。

コミュニティバスで一律100円なので

整理券はない。

私は1秒でも早くお寺に着けるよう一番前の

席に座った。

その上で私は運転手さんに話しかけた。

猫「このバス何時に出ますか」

運「10時45分です。それで山上駅には55分

に着きます」

猫「その後はどうなってますか」

運「11時05分に、折り返しで、この琴電屋島駅

まで戻ります」

猫「じゃ、その間10分ありますよね。その10分

の間に屋島寺をお参りして戻って来ることは

可能でしょうか」

運「さあ、どうでしょうか。あなたと同じ行動を

とった人がいたかどうか注意して見たことがない

ものでよくわかりません」

猫「多分、よほど納経所が混み合っていなければ

可能だと思うのですが、もし戻って来るのが遅れた

場合は少し待っててもらえないでしょうか」

運「路線バスですからね。定刻通り走ることを

義務付けられていますもので。しかし1分くらい

なら考慮いたしましょう」

お遍路も回を重ねるごとに、私の心も広くなり、

同時に厚かましくもなって来た。

いつもの文学的表現で言えば、なんと阿漕な

男よのー、この私は。

45分に発車したバスは山上に53分に着いた。

琴電屋島駅と山上駅の間にバスストップは

1つもない。

と言うことは定刻より早く着いても、文句を言う

人は誰一人いないはずだ。

勿論、計算済みでのあの発言だ。

なんとしたたかな男よのー、この私は。

運転手さんの配慮に、心の中で合唱する。

かえるのうたが きこえてくるよー

君、それは輪唱だろが。

これで使える時間は12分となった。

私は料金箱に100円を入れ、急いでお寺

へと走った。

納経所を尻目に本堂へと向かう。

納経所には人は居らず、境内も巡拝者はまばらだ。

私はゆっくりとお参りをし、納経をしてもらい

バスへ戻った。

足摺岬の時と同じで、本当はこんなこと、しては

いけないんですがね。

止むを得ない場合には皆さん、参考にして下さい。

11時21分志度行きに乗った。

これで八栗でのミスを帳消しに出来、なんとか

今日中に結願出来そうである。

突「もし、帰りのバスに間に合わなかったら」

へんろ道を歩いて降りるね。

(ここの有料道路は歩行禁止となっている)

そして12時01分に乗れば、何とか追い着けるよ。

11時40分志度駅着。

大通りに出て左に折れ、次の信号より手前の

交差する道を右に曲がる。

源内通りと言われているらしい。

いかにも門前町と言った風情を漂わせ

ている。

志度寺はその突き当たりにある。

どこかから、プ―ンといい匂いがしてきた。

お店があるのかと、キョロキョロしたが

それらしきものはなかった。

時刻は正午、きっと民家の昼飯の匂い

だったのだろう。

境内に入る。

結構広い、奥行きのある境内だ。

納経所は少し離れた所にあり、お土産も

売っている。

納経を済ませ琴電志度まで戻る。

駅でバス停の場所を訊くと、琴電志度のバス停

よりもJRの志度駅の前で待った方が良いと

地元の人が 教えてくれた。

地図で見ると、かなり離れているように

見えたが両停留所の間は50mくらいしかない。

コンビニでおにぎり2個とお茶とおはぎを

買って、パクつきながらバスを待った。

かたや、時間がないとバタつき、その一方で

1時間以上もバスを待つ。

公共交通機関を使ったお遍路は、時刻表に

翻弄される旅である。

しかしそれもあと2つ、それが終われば

恐ろしいほど楽しい歩き遍路が待っている。

一筆書きのような、ロスのないコースを通り

時刻表も気にせずマイペースの旅。

唯一心配なのは宿だが、何とかなるだろう。

今までも何とかやってこれたのだから。

もしなかったら剛君のようにお寺の

軒下で野宿すればいい。

心は早くも次の歩き遍路へと飛んでいる。

12時49分バスはやって来た。

乗ったのは私と10代の女の子の二人だけで

他に乗客はいなかった。

バスは11号線を走り、志度寺の交差点を

右折して3号線に入った。

「お客さん、どこまで行かれますか」

とりあえずの終点の大川バス本社営業所

が近付いた頃、運転手さんが突如言い放った。

「大窪寺です」

私は答えた。

「長尾寺は」

「勿論行きます。営業所で降りて長尾寺を

お参りして、再びこのバスに乗って大窪寺

を目指します」

「それだったらお客さん、一駅前の旭町で

降りて下さい。その方が長尾寺には早く

着きますよ」

「営業所では駄目ですか」

「とても時間的に間に合わなくなります」

時刻表によれば13時08分営業所着、34分

発なのだから26分もある。

烏の行水のようなお参りの私のことだから

26分あれば十分なのだが、折角の運転手さん

の進言なので素直に従う。

きっと、この運転手さん、お遍路さんを

見るたびに言っていそうだ。

旭町で降りる。

バスの進行方向に歩き、最初の信号を右折し

、突き当たりを左折するとすぐ長尾寺だ。

広い境内に樹木が少ない、見晴らしのよい

お寺だ。

お参りを済ませ、納経所へ向かうと

閉まっていた。

あたりを見回すと、別の場所にあった。

「納経所、去年と場所が変わったんですね」

「いえ、曜日によって変わるんです。よく

覚えてますね」

「去年、大川バスに乗るのに細かいお金が

なくって、ここで両替をしてもらった

ものですから」

と言うと納経所の人は笑っていた。

再び旭町バス停の前に立つ。

バスは2分遅れて13時37分にやって来た。

始発間もないバス停なのになぜと思うであろう。

これは私が間に合うようにと、わざと遅れ

させてくれた運転手さんの配慮だ。

心の中で合唱とやろうとしたが、もう輪唱の

レパートリーがないのでやめた。

客は私の他におばあさんが2人いた。

先程までいた10代の女の子は、営業所

で降りたみたい。

バスは進む。

今どこを走っているのか確認をしようと

地図を見るがさっぱりわからない。

コミュニティバスなので、いちいち次の

バス停名を言わないのがその理由だ。

途中の「道の駅ながお」からカップルの

お遍路さんが乗って来た。

そして田舎の集落で二人のおばあさんは

降りて行った。

バスは山道を進む。

去年見かけた歩き遍路の人は、1人も

見られなかった。

14時07分大窪寺に着いた。

やはり駐車場の車も、お遍路さんの姿も

去年に比べると、とても少なかった。

みんなバス停近くの門からショートカット

するが私はきつい坂道を登って山門に向かった。

結願所と刻まれている

 

今回も結願出来ました、これもお大師様の

お蔭です。

心の中で唱えながら私は一礼をした。

階段を登り太子堂へ向かう。

原爆の火を尻目に本堂へ向かう。

 

 

原爆投下から72年、私の思うにこの火

は今まで数度消えてるな。

消えてるのを発見した人がライターで

火をつけてるな。

ま、大事なのはそんなことではないので、

どうでもいいけど。

お参りを終え、納経所へ行くと団体さん

に先を越された。

納経をする人が一人しかいないため、しばらく

は境内で休む。

10分後に納経を終え、お土産屋兼食堂に入る。

結願の喜びが私に、生ビール中を注文させた。

う、うまい、やっぱり発泡酒に比べて断然

本物のビールは旨い。

どこがどう旨いのか、50文字以内で説明せよ

と言われても私は又吉直樹のような文学者

ではないので出来ないが、とにかく旨い。

達成感が陶酔の世界へと誘う。

きつねうどんを食べて外へ出る。

休憩所に一人のお遍路さんがいた。

どこから来たんですかと訊くと名古屋から

だと言う。

でも名鉄観光のバスじゃないんですね、と

言うと岡山まで新幹線で、そこから琴参バス

で瀬戸大橋を通ってやって来たと言った。

やがて名古屋の人は、琴参バスの人となり

去って行った。

残されたのは私と、一緒に来たカップルと、

男のお遍路さんと、よく肥えた女のお遍路

さんの5人だった。

私は男のお遍路さんに声をかけた。

彼は33日間かけて今日結願したと言う。

宿は予約もせず、夕方になると飛び込んだ。

5回ほど断られ、寝袋でバス停とか、無人駅

で寝たこともある、と言った。

蚊はどうですか、と言うと虫よけスプレー

をかけとけば大丈夫との事。

荷物が10kgもあり、山道がきつかったので、

途中で1kgほど捨てたとも言っていた。

40代の丈夫そうな人だった。

15時51分のバスに乗った。

私と、カップルは長尾線に乗り、後の二人は

志度へ向かった。

私はいつものように栗林公園で降り、晩飯を

買ってホテルに戻り、JR高徳線をビールの

つまみに1日を終えた。

本日の歩行距離12,94km

 

6月14日

昨日NHKの夕方のローカルニュースを見て

いたら善通寺でお大師様の誕生会の特別の

催し物があると伝えていた。

この地方で言えば、ほっとイブニングに

あたる番組だ。

坂東駅まで行って次回の歩き遍路を少し

やっておこうかなとも思ったが、一度の旅で

次回の遍路までやるとは不粋と思いやめた。

そんな訳で、今日は総本山善通寺まで

お礼参りも兼ね、寺宝名品展を見に行く

ことにした。

金比羅山、ごめんね、また行けなくて。

どうしても、あの沢山の階段に、二の足を

踏んじゃうんだよね。

栗林公園駅6時38分発の琴平行きに乗る。

これで琴電の全線乗車と言いたいところ

だが、高松築港と瓦町間が残っている。

車内はガラガラ、とは言わないが、座席の

半分が埋まる程度だ。

高松築港へ行く電車とは大違いだ。

乗客の内訳は高校生が過半数を占めていた。

制服からして3つくらいの高校の学生さんかな。

電車はひたすら琴平に向かって走る。

2度目の結願を終えた私は感無量である。

今回は、前回8度使ったタクシーを一度も

使わなかった。

お接待の車にも、一度も乗らなかった。

次の、歩き遍路の予行演習だと思えば、

当然のことだけど。

焼山寺、鶴林寺、神峯寺、岩屋寺、仙遊寺、

三角寺、白峰寺、根香寺とよく歩いたと思う。

苦しい思いをしながら目標達成することで

少しづつ心は広くなっていくような気がする。

お大師様の狙いはここなのかも知れないな。

いろんな人に出会った。

中でも一番の思い出は、浪速のおっちゃんとの

4日間かな。

大阪の市営住宅に住んでいると言ってた。

隣の人と深い確執があり、住所を替えようか

とも思うが、家賃が安いのでそれも出来ない、

と私に打ち明けた。

おっちゃん、今頃どうしているのかな。

そんなには気にならないが、ちょっぴり

気になる。

種間寺であった女性のことも、ちょっぴり

どころか大いに気になる。

年齢も、既婚か未婚かもわからないけど、

もし未婚なら、あなたのその病気の最善の

治療法は○の○だ、と言っとこう。

三角寺であった娘さんも、よく覚えている。

雨が降っていて、止むのを待っていたんだね。

一応、かっぱを持ってはいるけど使ってしま

うと後の片づけがとても面倒なんだよね。

よくわかりますよ、その気持ち。

一人旅の歩き遍路さんは、とっても強い心の

持ち主、言い換えれば愛情豊かな女性だと

思います。

あれから1ヶ月以上が経って、もう結願

したのかな、それとも一旦帰宅したのかな。

根香寺近くであった二人目の先生、とても

優しそうで印象に残っています。

あとは宇和島、松山でのバスへの滑り込み

セーフ、宝寿寺の造反、詫間での乗り過ごし

などいろんな事があり、どれも楽しい

思い出です。

自分でプロデュースした、世界に一つしか

ない楽しい旅でした。

そしてこれを読んで、皆さんが喜んで

下さったらとても嬉しく思います。

特に若い人が、今は学校や仕事で忙しいから

出来ないが、自分もリタイアしたらいつかは

お遍路するぞと思ってもらえたら至上の

喜びとなるでしょう。

お金にはなりませんが、心は豊かに

なると思います。

7時32分琴電琴平に到着。

改札口でJR琴平駅の場所を訊く。

大通りに出て、左に300mほど行くとJR駅は

あると言う。

高校生の皆さんも、私の前を歩いている。

左手にJR琴平の駅舎が見えて来た。

群れの半分くらいの高校生は駅舎へ、

あとはそのまま進む。

改札口できっぷを買おうとするが、高松行き

はすぐ出ますので車内で買ってくださいと

言われた。

急ぐ、ドアが閉まったが、再び開き

滑り込みセーフ、久々に綱渡り哲也だ。

車内で買おうとしたが、どこまで行くのですか

と訊く。

善通寺ですと言うと、ここが始発駅なので

善通寺の改札で清算して下さいと言う。

ついでなので、琴平名古屋間の乗車券と

善通寺名古屋間の特急券を買い、途中下車

のハンコを押してもらう。

善通寺駅から善通寺までは駅前の道を

一直線だ。

2kmほど歩いて、突き当たりの道を右折

すると100m足らずで善通寺東院山門に突き当る。

途中に以前満室だと断られたステーション

ホテルがあった。

こうして見ると善通寺の駅は善通寺に合わせて

造られていることがよくわかる。

境内に入る。

つい一ケ月前に見た、五重の塔や金堂が

私を迎えてくれた。

「こんどーです」

昔、はやったギャグを思い出した。

ただ今、修理中の中門を通り仁王門から西院

に入る。

トイレに寄る。

誰か「大」を気張ってる人がいる。

やはり善く通じのあるお寺なのである。

納経所に行く。

今日は納経ではなく、伺いたいことがあって

来たのですがと言うと、何なりとお訊き

下さいと言う。

きのうテレビでお大師様にまつわるイベント

があると聞いたのですがと言うと、宝物館

でやっています、詳しくは御影堂の受付で

訊いてくださいと言われた。

宝物館は御影堂の裏にあった。

撮影は可能ですかときくと、とんでもないと

言われた。

お大師の父君母君の像があった。

複製本ではあるが、平安時代の法華経

もあった。

1000年前に、確かに漢字が存在していた

ことを目の当たりにした。

お大師の父君はこの辺り一帯を牛耳る

豪族であつた。

言うなればお大師様はお坊ちゃまだった

のでしょうね。

あれだけの勉強をし、これだけの大事業を

するためにはこのような境遇は必要不可欠

だったのでしょうね。

聖徳太子と同じだ。

父君の名は佐伯善通でここに邸宅を構えていた。

が、やがて京都に移り住み、ここが父の名に

ちなみ善通寺になったとパンフレットには

記されている。

少し利口になって私は宝物館を後にした。

ここには88ヶ所でも唯一、親鸞聖人を

祀ってあるお堂がある。

その名もズバリ親鸞堂である。

浄土真宗大谷派の信徒である私は当然

いつにもまして丁寧にお参りした。

再び東院に戻る。

山門でした

 

五重の頭がある、こちらの境内の方が

私は落ち着く。

しかし境内にはベンチが一つもない。

早く追い払おうという魂胆か。

話は変わるが、結願を終えた今朝、私は

歯を磨こうと鏡の前に立った。

一人の男が鏡に写っていた。

こいつは一体誰なんだ。

私ではあるが、しかしこいつは私ではない。

私はこいつの中に宿っている、こいつとは

赤の他人の私だ。

と、訳の分からない想念が私の中を巡った。

今まであじわったことのない感覚だった。

みなさんも時々、考えるでしょう。

わたしはなぜこの銀河系宇宙の地球という星の

日本国の○○県の○○市に2017年の6月15日に

存在しているのか。

それじゃ100年前も100年後も、私は別の形で

存在していなかったのかと。

ああ、いけないあんまり深く考えると本当に

精神病院行きになるのでここらでやめときます。

人間はなぜ生きる、人間にとっての永遠の

テーマですよね。

これからもこのテーマで時々お話をさせて

頂きますけど、70億いる地球人の一人の考え

として、ああ、そんな考え方もあるんだと軽く

聞き流してやってください。

大丈夫ですよ、私へんな○○に凝ってませんから。

善通寺で2時間ほど過ごし、10時48分の南風8号

に乗る。

さあ、それでは総括といきましょうか。

宿泊費1万円でおつりがあった。

交通費JR2万5千円、琴電1830円だと思うが

バス代800円ポッキリ納経料300×10で

3000円カッキリ、ポッキリとカッキリは

どう違うんだと言われたら同意語だと思います。

飲食代4000円あやふやお土産代3000円おおよそ

賽銭500円くらい、誰も知らないと思って見栄張るな。

いつものように記憶喪失分2000円

臨時収入ビワ5個分、泥棒じゃねーか。

出会った猫2匹、犬3匹。

道を尋ねた人8人、だんだん少なくなる。

ブログのメモ渡した人3人(すべて女性)

尋ねたお寺

79番80番81番82番83番85番

84番86番87番88番 番外で75番

岡山11時40分名古屋13時31分

○○14時34分我が家14時55分着

「I'm home」

「Mew」

本日の歩行距離10,50km

次回歩き遍路の旅乞うご期待!!

おおくぼじはあるいてこない、

だーからあるいていくんだよー