猫、ついに歩く。その2

2017年11月19日

朝4時半に目が覚める。

もちろん辺りはまだ真っ暗である。

パンを食べ、トーマスにも餌を与える。

リュックよし、カバンよし、財布よし、杖よし

雨具よし、カメラよし、納経帳よし、地図よし、

時刻表よし。

持ち物の確認をして5時に家を出る。

始発が5時40分であるからたっぷりと時間

はあるのであるが、途中で忘れ物に気付いた時

のために、引き返せるだけの時間はとった。

靴は前回に続き、リーボックである。

あれだけの山を登れたこの靴が、行けない

所があるはずがない。

そう判断したからだ。

結局この靴で大窪寺まで行くことに決めた。

そして結願した暁には、家宝として下駄箱に

永久保存しておくことにした。

そのために箱はまだとってある。

5時半駅に着く。

ホームには私を含めて4人ほどいた。

5時40分電車はやって来た。

意外にも混んでいて私は座ることが出来な

かった。

が、これから300km以上歩こうという男だ。

立って行くことに何の不満もなかった。

以前の私だったら、チクショーとかなんとか

言ってたと思う。

少しは人間的に成長している。

やはりこれもお遍路効果だ、言い方を変えれば

ご利益である。

私はドア付近に「同行二人」のカバンと、「南

無大師遍照金剛」の杖を持って立った。

やはりこれも以前だったら、恥ずかしさの余り

岡山のあたりまでカバンを裏返していた。

しかし今では堂々としている。

これ見よがしでもない、さりとて恥ずかしい

でもない。

人の目など全く気にならなくなっている

ということだ。

5時57分一宮行きの特急に乗った。

ここもびっしりの乗客で座れなかった。

日曜日の午前5時台、なぜこんなに混むのか

私なりに分析してみた。

日曜日であるからビジネスマンは皆無に

近いはずだ。

となると殆どは観光、行楽客である。

日曜日であるから日帰りの行楽客である。

観光をたっぷりと楽しみたいのなら、目的地

に10時くらいには着いていたい。

だからこの時刻に出かけるのだな。

という結論に至った。

いつも言うように推理は間違っているかも

知れない。

そんなことはどうでもいいことだ。

大事なことは自分で考えることだ。

スマホでゲームに現を抜かすひまが

あったら考えた方がいい。

スマホの操作がうまくなったからと言って

、それは頭が良くなったことにはならない。

スマホに頼るな、自分の頭に頼れ。

6時18分名古屋着。

西改札口を経て、JRきっぷ売り場に到着。

後免駅までの乗車券と特急券を買い、

ホームへと向かう。

今年だったか、名古屋市が、8大都市で一番

行きたい観光地のアンケートをとったところ

名古屋はぶっちぎりのどべ、失礼最下位

であった。

私は他の都市へ行ったことがないので

わからないのですが、でも何となく

わかる気がします。

名古屋は工業都市です。

物造りの街です。

物造りに躍起になる、無愛想でぶっきらぼう

な人が多いのです。

文化的にも見るべきものは殆どありません。

ここにしかないという独創性もありません。

閉鎖的で排他的で打算的で即物的。

人間誰しもそのような面はもっているの

ですが名古屋は少しだけ突出している

ような気がします。

相撲が観たいから愛知県体育館へ、野球が

観たいからナゴヤドームへ、動物が観たい

から東山動物園へ、人々が名古屋へ行くの

はそのためです。

即物的であるから演劇やコンサートに行く

ならうまいものを食べた方が良いと考えます。

従って、この地を飛ばすミュージシャン

も多くいます。

歩き遍路については、大枚のお金を使って

えらい思いをして歩いてご苦労なこった。

ご利益?、そんなものあるわけないがや、

と心の中で思っています。

が、そりゃご利益があるぞと口では

裏腹なことを言います。

そのくせ、バスツアーの札所巡り観光客は

日本で一番多いと思います。

そんな何もない街に誰が行くもんですか。

物造りの街なんだから、観光客誘致なんて

諦めなさい。

6時35分発博多行きひかり491号に乗る。

曇っていた空が少しづつ青空の面積を

増していく。

岐阜羽島6時45分到着。

名古屋から10分だから充分通勤に使える。

定期券は一体いくらかかるのだろうか。

米原6時58分到着。

車窓に見える路面は濡れている。

今日のマイルCSは道悪になるのだろうか。

しかし京都に着くころには晴れていた。

通り雨だったのだろう。

姫路8時04分到着。

いつもは通過してしまう駅だ。

世界遺産の姫路城が見えたので写真に撮った。

最近化粧直しをしたらしい。

 

8時24分岡山到着。

新幹線ホームから8番ホームへと移動する。

ボールペンを忘れて来たのでキオスクで買う。

8時51分南風3号は中村に向けて出発。

いつものように瀬戸大橋を渡り、善通寺、

琴平、阿波池田を通り11時21分後免駅に

着いた。

ホームで、持って来たパンを食べる。

改札口を出たところで西分までの

きっぷを券売機で買った。

再び改札口を通ろうとしたら、駅員に

どこまで行くのですかと問われた。

西分までですと言うと、これはJRのきっぷ

ですからと550円を返してもらい、正しい

きっぷの買い方も教えてもらった。

11時38分発の気動車は4分遅れてやって来た。

ごめんまちこさん、たてだそらこちゃん、

のいちんどんまん、よしかわうなおくん、

あかおかえきんさん、かがみかんちゃん、

やすにんぎょちゃんを通り、にしぶんつき

こちゃんの西分駅に12時06分に着いた。

ちょっとしつこいが、各駅にキャラを設ける

など名古屋人の発想にはない。

「何をとろくさいこと考えとるだ高知の奴は」

でチョンになるだろう。

駅を出ると公衆電話があった。

早速、高知黒潮ホテルに電話をする。

部屋はあった。

しかし素泊まりで6480円だと言う。

安いホテルなら2食付きの料金である。

が初日であるし、行けば大日寺まで

行けなくもないが、その後の行程を考えると

妥協せざるを得なかった。

駅前の通りを左に向かう。

地図によればホテルまで10kmなので

ゆっくりと歩く。

500mも行くと55号線に出る。

が並行するサイクリングロードに進路変更。

今日は日曜日なので沢山のサイクリスト

に出会う。

家族連れも結構多い。

途中からサイクリングロードは通行止め

になった。

再び55号線を歩く。

3軒ほど宿があったが通りに面していない。

恐らくサイクリストのための宿であろう。

道の駅「夜須」で催し物をやっていた。

沢山の住民が集まって、買い物をしていた。

私も海辺で少しだけ空き缶、いや時間を潰した。

やはり宿が決まっているとのんびりできる。

 

うーみーはすてきだなー こーいー

してるからさー だーれもーしらない

まっかーなーこいをー

 

55号線を行く。

香我美の辺りで遍路小屋をみつける。

宿泊可能なようであるが、この寒い時期に

使用する人はいないであろう。

現に今日も一人のお遍路さんにも

出会わなかった。

さらに55号線を進む。

段々と街の賑わいがでてきた。

やがて55号線と22号線の分岐点に8階建て

の黒潮ホテルが見えて来た。

15時が少し過ぎていた。

7階の部屋に入って早速テレビを点ける。

マイルCSの実況だ。

当たったら700m先のスーパーへ、はずれたら

100m戻ったコンビニへ、とレースを見た。

レース結果は私をコンビニへ柿の種とサバの

缶詰とビールとおにぎりを買いに走らせた。

往復1,4km歩かなくてホッとした。

と言えば、ちょっと負け惜しみっぽいかな。

本当に何もない、淋しい1日でした。

本日の歩行距離15,69km

 

11月20日

納経所が開く前に大日寺に着いていたい、

と思ったので6時にホテルを出る。

22号線は歩道もない危険な道路であった。

2つ目の信号を右折と地図には描いてあった

が不安だったので赤信号で止まっていた

トラックの運転手さんに訊いた。

運転手さんはよくわからないと言った。

道路工事かなんかのトラックみたいである。

経験によると、建築関係の車両に道を

尋ねても駄目なことが多い。

みんな遠くから来ている場合が殆どである。

仕方なくもう一つ先の信号を右折する。

過去に2度歩いた駅前通りである。

少し遠回りになるが安心には替えられない。

途中から再び22号線と合流し大日寺へと

向かう。

道路案内に野市動物園と出ている。

動物の大好きな私はいつか寄りたいと、

ここを通るたびに思うが、いつ寄れる

のであろうか。

急坂のへんろ道があったがパス。

私はさらに進んで車道を登って大日寺に

着いた。

門前の売店はまだ閉まっていた。

本堂、太子堂とお参りし納経所の前に

着いた時7時前が5分であった。

納経所はかっきり7時にあいた。

地図はあったが国分寺までの道を

お坊さんに訊いた。

階段の道を下りて、道路を横切るとそのまま

西へ向かう道がありますので行って下さい。

地図を見るとごちゃごちゃと入り組んで

るみたいですけどわかりますかと訊くと

シールや道標が沢山あるのでわかり易い

と思いますよと言う。

言われた通り道路(22号線)を横切り

国分寺方面へ向かう道路に入る。

コンクリートの小川に沿って1kmほど

歩くと道路に突き当る。

それも横切り、さらに先の大通りに出る。

道標、遍路シールがあるので迷子の達人

の私でも迷うことはなかった。

234号線を右に進み物部川を渡る。

渡った所にベンチがあったので座って

地図を見てると信号の向こうで男性が

おいでおいでをしている。

青信号だったので急いで渡る。

おじさんはこれから私が進むべき道を

懇切丁寧に教えてくれた。

ポツリポツリと家はあるが田園の中を

歩く。

コスモスやひまわりが私を迎えてくれる。

丈の低いコスモスである。

多分、収穫が終わってから種を蒔いた

のであろう。

地図では真っ直ぐであるが結構くねくね

と曲がった道を進む。

時々雨がポツリポツリと落ちる。

3Kmほど歩くと道は左に折れ、すぐに

道標が右折を促した。

遍路小屋があった。

松本大師堂とあった。

トイレに寄って5分ほど休憩をとった。

再び歩き出し突き当たりを左に進み

1Kmほど行くとJR土讃線の踏切があった。

そこを渡り左に進み道なりに700mも

行くと45号線に出る。

路線バスの通りだ。

過去に2度、私が農業校通りから国分寺

通りまで乗ったバスの道だ。

45号線に出たところにコンビニがあった。

サンドウィッチとコーヒーを買い、暖房の

利いたイートインで遅い朝食をとる。

9時が少し過ぎていた。

元気が出たので歩き出す。

9時40分国分寺到着。

酒断地蔵尊と書いてある。

酒を断ちたい人はここを訪れるとよい。

 

ほぼ予定通りスケジュールは進んでいる。

田園の中を善楽寺へと向かう。

道は一本しかないので迷うことはない。

32号線をくぐり、橋を渡り252号線に出る。

左に進み川の手前を右に入る。

あとは国分川沿いを進む。

いくつか橋は渡るが、決して国分川は

渡ってはならない。

蒲原郵便局の前を通り、遍路小屋蒲原の

近所で立ち小便をし、四国運輸の車庫を

左に見、エネオスから384号線に入る。

途中から遍路道に入り再び384号線と

合流すると善楽寺はすぐそこである。

初めて私がこの地を訪れた時、名古屋から

後免まで来て農業校通りから国分寺通りまで

バスに乗り、同じルートで後免まで戻り

再びJRで土佐一宮まで行き、善楽寺まで

歩いた。

さらにとさでん交通一宮営業所まで歩き、

はりまや橋まで行き、南はりまや橋まで

歩き、長浜営業所までバス、さらに

春野役場前までバスで行きその日の

うちに種間寺までお参りした。

こうして歩き遍路をしていても、その時の

経験が結構役に立っている。

納経所で老人クラブの人たちが作って

くれたお接待をいただいた。

折り鶴と5円玉の入った飾り物で

「道中無事で」と書かれている。

しつこいようだが名古屋人は絶対こんな

ことはしない。

商売人なら話は別だが、一般人は得に

ならないことはまずしない。

なぜならば即物的で打算的だから。

11時50分善楽寺を後にする。

土佐一宮駅方面に向かい途中から川沿

いに進路を変更する。

道路を横切り、JRをくぐり、サンピア、

コンビニを過ぎて左へ入り、路面電車

もんじゅどおり駅横を通り、高須小学校

横を通り五台山を登る。

標高105mだと軽く見ていたが、結構

厳しい坂道で、ぐっしょりと汗を搔いた。

境内には韓国の団体さんが来ていた。

久し振りに見る賑やかな境内だ。

 

お参りを済ませ納経所に寄る。

納経をしてもらいながら次の札所まで

の時間を訊く。

現在2時だから充分納経時刻に間に合い

ますよと言う。

でもあの辺りには宿がないでしょと言うと

まったくありませんと言う。

禅師峰寺までの地図をもらい、その場を

去る。

しかし何か忘れ物をしたような気がした。

そうだ納経料を払った記憶がない。

私は引き返し金300円也を払った。

納経所の人は「ああそうでしたかね」と言った。

このシーンを名古屋人が見ていたら、

馬鹿だなぁお前は、黙って行っちゃえば

儲かったのにと言うだろう。

そんなことが出来る訳がない。

私は正義の味方しろひ猫なんだから。

私はここでこの先のことを考えた。

今2時ちょっと過ぎ、確かに禅師峰寺

には5時までには着くだろう。

しかし宿はない。

ということはバスに乗って高知バスタ

ーミナルまで戻らなくてはならない。

16時以降の時刻表を見ると17時23分と

19時08分しかない。

寒くて暗い所で17時23分まで待つのは嫌だ。

それに明日また峰寺前まで来なければ

ならない。

バスの運賃が多くかかる。

そんな訳で私は出来るだけ明日のために

禅師峰寺に近いバス停まで行って、高知BT

に帰ろうという結論に達した。

五台山の車道を降りて376号線へと

合流する。

最初のバス停、東なんとかという所に

着いた。

現在14時52分で次の便が15時23分。

もう一駅進めると判断した私は大畑山

トンネルを突き進んだ。

たしか医療センターと県立大学前に

バス停があったことを記憶していた。

そして県立大学前のが376号線に近い

ことも記憶していたのでそちらを捜した。

しかしバス停はどこにもなかった。

私は焦った。

そこへ娘さんがやって来た。

私はバス停の在処を尋ねた。

彼女は医療センターと大学前の2つ

ありますけどどちらにしますと言った。

私は大学前と答えた。

バス停は大学の敷地内にあった。

それだけは記憶になかった。

そして彼女は県立大生であった。

15時19分のバスに乗り16時前にBTに

着いた。

いつものように観光案内所でロスイン

ホテルを予約した。

やはり早めに切り上げると楽である。

しかし今日も、他のお遍路さんに逢わない

淋しい1日であった。

本日の歩行距離34,50km

 

11月21日

6時40分ホテルを出てバスターミナル

に向かう。

7時00分、後免町行きのバスに乗る。

たくさんの若い人が乗って来た。

みんな県立大生なのだろうか。

はりまや橋を通り、県立美術館を通り、

五台山トンネルを通り、東なんとか

を通り(難しい文字にはふりがなを)

医療センターに到着した。

殆どの乗客がここで降りた。

医療関係に従事する人たちだったのだ。

バスは医療センターから乗って来た人を

含めて4人となった。

私はブログのメモ用紙をすぐそばにいた

女性に渡した。

見るからに県立大生という賢そうな女性

だった。

爽やかで、清楚で、三河地方では30年前

に絶滅してしまったような上品なお嬢さん

であった。

突「あんまり褒めない方がいいですよ。

ブログが広まりません」

口から出まかせで、ちょっと褒め過ぎてし

まったかも知れません。

突「どうして昨日の県立大生には渡さ

なかったの」

私は好みの人しか渡さないの。

突「それじゃ昨日の人に失礼じゃない」

失礼ではない、昨日の人のが好みだと

言う人だって一杯いるのだからそれで

いいの。

話は変わるが高知県というのは、医療に

携わる人の、人口に対する割合が日本で

一番多い県だと聞いたことがある。

疲労による医療ミスも結構あるのだから、

そういう意味では高知県の人は幸せだと思う。

県立大前に着いた。

彼女に続いて私も降りた。

きっと彼女はなぜお遍路さんがここで

降りたのかわからなかったと思う。

今回のブログを読んでくれたなら、私の

この奇怪な行動は納得していただけたと思う。

昨日歩き終わった地点から、歩き始める、

これが歩き遍路のルールなのですよ。

376号線に出た。

南に進む。

次のバス停まで歩いておかなくてよかった。

というのも県立大学前のあと希望ヶ丘とか

言う団地をぐるぐる回ってバスは376号線

に出て来るから。

時間と運賃が無駄である。

大平山トンネルの手前を左に折れる。

たしか去年は三ツ石から三里を回り、この

トンネルから医療センターへ向かったのを

記憶している。

とさでんは今年大幅に路線を変更したのだろう。

池と大きな公園が見えて来た。

住吉池である。

さらに進むと技術学校の通りに出る。

右が種﨑へ、左が香美市へ繋がる道である。

左へ行く。

次の、押しボタンの信号を渡り細い道へと入る。

後は1km少し、道なりで進み、道標の通り

左に曲がる。

大好きな猫ちゃんに逢う。

私が白の次に好きな茶トラだ。

5分ほど遊んでもらってから寺に向かう。

ここもへんろ道はあったが車道を進む。

駐車場に無料宿泊所のようなものがあった。

無断宿泊禁止とあったから、寺に許可を

求めれば泊まれるということであろう。

汚い毛布がおいてあった。

1000円貰っても泊まりたくないと思った。

階段を登って行く。

最初にあるのが納経所であるが、お参り

をしてから納経所へと書いてある。

やはりスタンプラリーのような人がいる

んでしょうね。

やむを得ず私もやってしまうことがあるが。

お参りを済ませ、納経をしてもらい、また

今年もボン菓子を買った。

これで3回連続だ。

時刻は9時だ。

もしこの辺に宿があったら昨夜はここに

泊まり、今朝の6時には出発出来たろう。

廃屋も一杯あるのだから行政が買い上げ

料理は近所の民家に自分たちの夕食と

同じものを作ってもらえばいい。

是非2軒ほどそんな民宿を作ってほしい。

3軒作ると共倒れするかも知れないが。

来た道を引き返す。

この辺りも高齢化が進んでいるように

見受けられる。

しかしビニールハウスも結構あり、若い人

も働いていると、通りかかったおばあち

ゃんに聞いた。

途中に地震の避難塔が見えた。

あれなんか、野宿のお遍路さんに開放

してくれればいいのにね。

信号の所から左に行く。

次の信号で海岸通りの道と、そうでない道

とに分かれている。

交通整理のおじさんがいる。

種﨑に行くなら右の道が良いねと言う。

言われた道を行く。

途中でコンビニがあったので週刊競馬

ブックを買おうとしたがなかった。

どこかで右へ曲がらなければいけなかっ

たがよくわからず防波堤まで行ってしまった。

やはりここも交通整理のおじさんがいた

ので渡船場への道を訊いた。

防波堤沿いに300mも行くと左手に

あると言う。

10時40分渡船場に着いた。

少し道に迷ったが次の便が11時10分だから

大勢に影響はなかった。

ベンチに高齢のお遍路さんが座っていた。

結構荷物も大きい。

何キロくらいあるんですかと訊くと12kg

だと言う。

5kgくらいで辛いと言ってる自分が

恥ずかしくなる。

荷物の中身は当然テントで、野宿で総て

通すのだそうです。

こんな高齢の人がやっているのだら、私も

野宿のお遍路考えなきゃいかんのかな

と思った。

そうこうするうちに自転車やバイクの

乗客が集まって来た。

船は5分前にやって来た。

 

乗客は全部で12人。

私の想像をはるかに超えていた。

原付のナンバーにはりまや橋の絵が

描かれている。

船は目の前の対岸まで渡るだけであり、

5分以上10分以内で着いた。

後は船着き場の前の道を30分足らずで

雪蹊寺に着いた。

 

ここの境内ではお土産を売っている。

観光バスツアーのお遍路さんが一杯

買っている。

しかし歩き遍路の私は荷物になるので、

無視して目の前の278号線を西に向かう。

途中で競馬場への案内板をみつける。

高知競馬だ。

 

昔、ここにハルウララというまるでダメ

な超人気馬がいた。

武豊が乗りに来たこともあった。

数少なくなった地方競馬の一つである。

たしかJRAのG1レースの馬券も売って

いると思う。

しかし今日は火曜日だ。

あと4日遅くここを通ったならジャパン

カップが買えたのだが。

突「何が来ますかね」

シュヴァルグランじゃないかな。

祐一君が手放した馬はよく来るんですよ。

キングヘイロー、カンパニー、ロード

カナロア、ダノンシャーク、エピファネイア。

そう言えばお父さんはここ高知の

出身だったな。

とても上手いジョッキーで天才と呼ばれていた。

ちなみに武豊のお父さんは名人と呼ばれてた。

お父さんに比べると祐一君は劣るが、

それでもいいじゃないか。

私はとても好きなジョッキーだ。

馬券はそれなりに考慮して買えばいい

訳だから。

橋にさしかかった。

唐音という所だ。

地図によると橋を渡って田園の中を

進むことになっているが、別に278

号線をそのまま進んでも差し支えない

ような気がする。

目の前をおばあちゃんが歩いていた

ので訊いてみた。

どちらを進んでも諸木の郵便局に出る

から県道を進んだ方がいいよと言う。

おばあちゃんは持っていたみかんを

、これはお兄さんへの接待ですと言って

下さった。

お兄さんと言う言葉が面映ゆかった。

若造りしている自分が後ろめたかった。

突「独身なんだから、いいんじゃない」

突っ込み、お前はなんていい奴なんだ。

バス停「スズメの森」を通り過ぎた。

なんてラブリーなバス停名だろうと

私が以前褒めたたえたバス停だ。

スズメの森です

 

春野東小学校を過ぎ、西諸木からへんろ

道に入った。

里山の麓の細い道をしばらく歩き、橋を

渡って279号線に入る。

種間寺はこの道路沿いにある。

私は黄色い地図をカバンにしまった。

それから歩くこと30分、種間寺に着いた。

お参りを済ませ納経所へ行くと接待を

いただいた。

種間寺に公衆電話があった。

私はまだ今日の宿が決めてなかった。

候補としては土佐市のビジネスイン土佐

か白石屋旅館である。

私は第一希望の土佐に電話した。

黄色い本を電話器の上に立て、

電話番号を見ながら。

空き部屋はあった。

素泊まりで5940円と、やはり高い。

高知駅前より高いのは競争相手が

いないからだろうか。

私はその料金で了承した。

私はその次、この近くに住むであろう、

ある人を捜すことにした。

ある人とは去年バスで高知駅まで一緒

だった人だ。

岡山まで置いてきた荷物を取りに行くと

言ってた。

その時の口ぶりからして会社をやめ

てここに暮らしていると判断したからだ。

病気でとても苦しそうにしていた。

実は電話番号を教えてくれたのは

彼女であった。

しかしいつの間にか電話番号のメモ

用紙をなくした。

ただ苗字だけは変わった名だったので

よく覚えていて、それを頼りにした。

いきなり第一聴取人でヒットした。

私は彼女の家を訪ねた。

まるでストーカーみたいだ。

が他意はない。

もしまだ病気が癒えてないなら元気

づけてあげようと思ったまでだ。

勿論このブログのことも伝えてはある。

読んでるかどうかは知らないけれど。

私は門の前に立った。

呼び鈴を押そうかどうか躊躇していると

お母さんらしき人が表に現われた。

じっと私を見ている。

まるで不審者でも見るように。

「なにか」

お母さんは言った。

「○○さんはいらっしゃいますか」

先程聞いた彼女の名前がつい出てしまった。

「○○はいま家にはいませんが」

「あっ、まだ病院に行ってるんですか」

「いえ、娘は勤めに出ています」

お母さんは彼女が勤めに出られるまで

回復したことを教えてくれた。

それは良かったですねと言って私は

その場を去った。

彼女は予想に反して社会復帰をしていたのだ。

彼女の病気はパニック障害、私と同じ

病気なので他人事のような気がしなかった。

以前にも言ったけど、この病気との接し方

もう一度おさらいしておきましょうね。

この病気で命を落とすことはまずない。

だからもし発症したら肩の力を抜い

て嵐が去るのを待ちましょうね。

そんなに長い時間ではありません。

私だってこの病気で随分苦しんだ。

でも今はこうしてたった一人で、歩き遍路

まで出来るようになったんだから

心配しなくても大丈夫ですよ。

きっと立ち直って幸せに生きていけますよ。

それから、もう2度と立ち寄るようなこと

はありませんから安心して下さい。

土佐市へ向かう。

動物屋敷の前を通る。

彼女がこの家の娘さんでなくて

ホッとしている。

しかしこの家、以前と少し変わったみたいだ。

塀が取っ払われている。

馬も新たに置かれたような気がする。

馬の大好きな私だものしっかり覚えて

いるよ。

本当のことを言うとこの家のご主人に

とても関心がある。

いわゆる怖いもの見たさだ。

一度、彼に気付かれないように見て

みたい気がする。

まだこの先も何度も来るつもりだから

きっといつか会えるだろう。

高知競馬場の近くだし、馬の置物も

あるから競馬好きな人かも知れない。

だとしたら馬が合いそうだ。

279号線をずんずんと進む。

自販機の横の休憩所で少し休む。

56号線への交わり方が少し難しそ

うなので黄色い本で確認しようと

するが本がない。

種間寺の電話ボックスの中に忘れて

きたことに気付く。

もう4km近く来てしまった。

戻れば往復8Kmかかる。

2700円のためにとても戻る気にはなれない。

しかしあれがないと旅は続けられない。

とりあえず青龍寺まではなんとか

なりそうだと道標、シールを見ながら

慎重に歩を進める。

279号線は56号線をくぐり、橋のたもとで

56号線と交わる。

仁淀川大橋を渡り、やがて56号線に別れ

を告げ39号線を土佐市内へと向かう。

早目に来れば清滝寺まで行けたのだが、

そうなるとどこかで40km歩かなければ

ならない所が出て来る。

30km、30km歩くより20km、40km歩く

方が体への負担は大きい。

難しいんですよここらのスケジュールが。

途中のスーパーで夕食とビールを買い込み

16時ホテルに着く。

大相撲を見ながらビールを喰らう。

本日の歩行距離29,66km

 

11月22日

私には関係ないが、いい夫婦の日である。

ちなみに2月22日は猫の日である。

朝6時、暗い中を清滝寺へと向かう。

ちょっと肌寒い。

信号を渡り、もう一本北の繁華街を歩く。

土佐市役所の前を通り1キロほど歩くと

清滝寺への道標があった。

本はないが、この辺りのことは記憶していた。

56号線を渡り、後はほぼ一本道である。

魚屋さんの横を通り、うどん屋さんを

左に見、高知自動車をくぐって山に

向かう。

いつもの場所に今年の春もいた道端アン

ちゃんがいて、軽トラックでやって来た

おじさんが刺身を与えていた。

「この猫、野良猫なんですか」

私の問い掛けにおじさんは

「いいや、そこの家の飼い猫だよ」

と目の前の家を指差す。

きっとおじさんは猫が大好きで、昨日の

晩ご飯の残り物を持って来たみたいだ。

おじさんはそのまま農作業に行った。

アンちゃんはひたすら刺身を食べていた。

私はお寺を目指す。

急坂だが距離が短いので助かる。

本堂太子堂と参り納経所へ行く。

納経所はまだ開いていなかったが、

先客がいた。

一台、私を追い抜いて行った車の

ドライバーだろう。

納経が終わると私はここに黄色い表紙の

地図は売っていませんかと尋ねた。

ないと納経所の人は言い、青龍寺までの

プリントの地図を下さった。

これでも助かる。

携帯は持ってない、黄色い本はなくした

で、青龍寺から先は全く身動きできない

状態だ。

本の有難味がいやと言うほどよくわかる。

来た道を戻りアンちゃんと少し遊び8時

にホテルに着く。

 

荷物をまとめ、8時15分ホテルを出る。

39号線から56号線に合流しコンビニに寄る。

週刊競馬ブックはここにもなかった。

サニーマートから右折し宇佐へと向かう。

今日の天気予報は雨。

しかしまだ降ってはいなかった。

1kmほど歩くと反対の歩道に、この旅

出会う二人目のお遍路さんがいた。

お遍路の装束は着ていないが、あきら

かにお遍路さんである。

私は反対側の歩道に歩み寄り、黄色い本

を持ってませんかと尋ねた。

持ってますよと彼女は本をカバンから

出した。

私は早速、この先の宿の電話番号を

メモ用紙に書きだした。

「実はこの本を種間寺の電話ボックスの

中に置いて来ちゃったんですよ」

と言うと彼女は

「それは切ないことですね」

と言った。

その時私は、この本の中に、この本を

売ってる札所が記載されていることを

思い出した。

次の札所、青龍寺はと見ると「本」と

記載されているではあーりませんか。

暗かった私の心の中に、一筋の光明が

射して来ました。

次の青龍寺までは何度も歩いて行った

札所である。

迷うことは絶対ない。

私は希望を持って前に進んだ。

しばらく歩くと休憩所があり外国人夫婦

が休んでいた。

私は休まず進むと左側に公衆電話が

あった。

今日の宿は一軒しかない。

「なずな」だ。

それを越えるとさらに20km歩かなくて

はならない。

天気予報はこれからかなりまとまった

雨になると言ってる。

早目に宿に着こう。

「なずな」に電話した。

しかし無残にも、この電話先は公衆電話

からは繋がりませんというアナウンス

の声。

どうも088の中に1つだけある050の

電話番号が気にはなっていたのだが。

青龍寺の納経所で固定電話でも借りよう。

そう思って塚地坂トンネルを進む。

出口が見えないくらいの長いトンネル

であった。

全長996mとある。

 

どうせならあと4m延長してきりの

いい1kmにすればいいのにという、

私と同じ意見を持った議員さんも

当時いたであろうが、1Kmに何の意味が

ある、予算が更に1000万円増える

だけだという議長の一言でこの距離で

収まったのであろう。

これはあくまでも私の推測だ。

間違っててもいい、考えるという事は

大切なことだよ、若者諸君。

トンネルを抜けるとそこは雨国だった。

久々のポンチョのお出ましだ。

スポッと被るだけでリュックも濡れない、

便利な代物だ。

10時15分23号線に出る。

雨は降ったり止んだりを繰り返している。

 

宇佐大橋を通り47号線の歩道を行く。

途中でかま首を持ち上げたマムシに逢う。

I saw a mamushi on the load to the

Shoryu-ji temple

向こうから若いお遍路さんがやって来た。

「まむしがいるから気を付けて下さいよ」

と言うと若者は車道に出て写メを撮って

いた。

ここにも地球の温暖化が見られますね。

昔ならとうに冬眠に入ってる季節なのに。

宇佐町竜から右折し、細い道を通って

11時半青龍寺に到着した。

長い階段を登りお参りを終わり納経所

へ着く。

早速固定電話を貸してくださいと頼む。

しかし、この辺りは電波が届かないので

無理だと断られる。

代わりに携帯を貸してあげると言われ

たが一向に通じない。

となりに居て納経をしてもらっている、

観光バスの添乗員らしき人に050では

携帯からも通じませんよと言われた。

公衆も固定も携帯も駄目で、もはや

万事休すである。

こうなれば「なずな」まで行って確かめる

しかない。

ついでに黄色い本はここにありますか

と訊くとないと言う。

だって本には青龍寺にあると載って

ますよと言うと何かの勘違いでしょう

と一笑にふされる。

青龍寺を出る。

雨は本格的に振り出して来た。

途中で先ほどの女性に逢った。

本は札所に売ってなかったと言うと、

竜にお遍路グッズを売ってる店が

ありました、あそこにあるかも知れ

ませんよと言うので行ってみたが

なかった。

代わりに大雑把な地図を買って「なず

な」を目指す。

雨は間断なく降る。

ズボンの裾はかなり濡れて来た。

「なずな」が近付いたところで初めて、

この道路で商店をみつける。

どうせこの時刻だから部屋があっても

素泊まりだろうと食料品を買うために

寄る。

女主人は今日はどこに泊まるのと訊く。

予約はしてないけど、「なずな」に泊まろう

かと思ってるんですと言う。

女主人はそれじゃ、わたしが訊いてあ

げるわと電話する。

暫くやり取りが続き、やがて「そうですか」

と、女主人は電話を切った。

満室ですってと、死刑の宣告にも似た

残酷な言葉が返ってくる。

雨の中、折角ここまで来たのに、お遍路

史上最もひどい局面を迎えた。

失望感に打ちひしがれていると、女主人

はこれからどうするのと訊く。

宇佐のバス停まで戻ってそこから高知駅前

までバスに乗って行ってホテルを探します

と言った。

そこまで行かなくても竜に宿はありま

すよ、なんならそこまでお接待で乗せ

てってあげます、と女主人は言った。

そうすると明日竜からまた歩かなければ

なりません、だったら宇佐から歩く方が

距離が短いから高知駅前の方がいいです

と私は言った。

時刻は1時40分であった。

それだけが救いであった。

私は宇佐のバス停まで送ってもらった。

まさに地獄で仏である。

私は女主人に丁寧にお礼を言った。

あれほど通じなかった電話がなぜ

簡単に通じたのか、道中私は女主人

に質問した。

女主人はなずなの女将と知り合いで

固定電話にかけたのであると話し

てくれた。

次回のために電話番号を教えてあげ

ようかと言われたが、歩き遍路は

これっきりだからいいですと断った。

それにしても、もし私があの商店に

寄っていなかったらと思うとゾッと

する。

これだって多分お大師様の無言の

指図だと思う。

きっとあの店に寄ったのは私の意志

のようにみえてそうではないと思う。

バス停で、買って来たパンを食べて

空腹を少しばかり満たしていると

またまた例の女性がやって来た。

めざとく待合室にいる私をみつけて

「なずな」はどうでしたと訊くので、駄目で

したと答えた。

きっと明日が祝日(勤労感謝の日)なので

近くの釣り好きな人が一杯泊まっている

んだと思いますよとも言っておいた。

それは残念だわ、でもこれからも

ちょくちょく逢えますよねと言って

彼女は雨の中を消えて行った。

14時55分一宮バスターミナル行きは

高知へと向かった。

16時20分、ロスインホテルに着き

今日も大相撲を見ながらビールを

喰らう。

やっぱり何かあるといつも助けて

くれるのは女性である。

お遍路に来るようになってから私の

女嫌いは徐々に治まっている。

本日の歩行距離27,02km

 

11月23日

勤労感謝の日である。

しかしトヨタ自動車関連の企業は

お休みではない。

代わりに働いてもいない学生が

お休みである。

これじゃ勉学感謝の日だ。

世の中どうなってるんだ、責任者

出て来い。

6時半にホテルを出る。

6時40分発の宇佐行きを1番のりば

で待つ。

時刻が来てもバスはやって来なかった。

バスは多少は遅れるだろうと気にも

止めなかった。

5分が過ぎた。

いくらなんでもちょっとひどいんじゃ

ないかと案内所へ行くと、今日は祝日

なので45分発ですと言われた。

よくやるミスだ。

堺町を通り、県庁を通り、旭駅前を通り、

橋を渡るといつもの路面電車の通る狭

い路地に入る。

こんな狭い路地で路面電車と路線バスが

行き交うのが私には不思議でならない。

みんな余程腕がいいんでしょうね。

是非一度、弁当持参でここに降りてじっ

くりと見てみたいと思う。

私って変なことに興味を持つでしょ。

昨日歩いた海岸通りを走りバスは

宇佐に7時41分に着いた。

運転手さんは青龍寺に行くならスカイラ

イン入り口で降りたらよかったのに、

と言った。

いえ青龍寺は昨日打ちました、これから

須崎に行くのですよと言うと、なんだ

須崎駅なら直行便があったのにと言った。

私は歩き遍路とはどういうものか、運転手

さんに説明した。

運転手さんも納得してくれた。

7時45分須崎を目指し歩き始める。

昨日立ち寄った商店の前の自販機で、

お礼のつもりで飲み物を買った。

そして店に入り、昨日のお礼を言った。

女主人は、今から須崎に行くけど乗っ

て行く、と訊いた。

とんでもありません、そんなことを

したら今までの苦労が水の泡となって

しまいますとお断りした。

本当に優しい人だった。

多分、これがあるからお遍路がやめ

られないのかも知れません。

先に進む。

右手に昨日泊まり損ねた「なずな」が見え

て来た。

防波堤から釣り糸を垂らしている人が

いた。

なずなの客かも知れない。

ホームページによると、ここらは豊かな

漁場で釣り客も多いらしい。

したがって休日の前日は宿は混むらしい。

どちらかと言うとお遍路さんよりも

そちらが主体のようだ。

これからお遍路をしようと思っている

読者がいるなら休日の前日は避けるか

早目の予約をしておいた方が良い。

よく逢う女性は、家から(固定電話)予約

したと言ってるから1ヶ月ほど前に

したのだろう。

後ろから来た車が私の横で止まった。

窓が開いて頑張って下さいと声がした。

女主人だった。

今から須崎へ買い物かな。

海を見る。

目の前は浦ノ内湾である。

宇佐の辺りから15kmほども続く、横に

長い湾である。

 

向こう岸にもしっかりとした陸地が続く。

道端でおばあちゃんが仕事をしている。

よく見ると牡蠣の身を外している。

それ養殖ものですかと言うと、天然もの

だと言う。

買う牡蠣に比べるとなるほど、はるかに

小さい。

 

断ってから写真をとらせてもらう。

途中で人相の悪い男が車から降りて来た。

弘法大師を信じて廻っているのかと訊く。

その一言で、どこかの宗教の幹部で

あることが私にはわかった。

しつこい宗教なので、いや宗教心など

全くない、ただ1200kmのハイキングを

楽しんでるだけだと心にもないことを

言った。

男はお大師様の悪口をさんざん言い

ながら私に付きまとい1kmほど歩いて

去って行った。

よその宗教の悪口を言う宗教だ。

そもそも宗教の存在意義というのは

立派な人間を作るためにあるもんだ。

よその悪口を言う暇があったら、立派に

生きよ。

立派な信者さんばかりの宗教なら自然と

人は集まって来ますよ。

 

あれは20年ほど前のことだった。

NHKのラジオ番組に「心の時代」という

のがあった(今でもあるかもしれないが)

日本の遺伝子学会の第一人者といわれる

人が出ていた。

彼は、人間の遺伝子はとても良く出来

ていて、このような遺伝子の生き物が

自然界に存在する確率は宝くじの一等

賞を連続3万回とるくらいのものだと

言っていた。

連続ですからね。

そして彼は人間というものは、絶対

間違いなく宇宙の何か偉大なるもの

サムシングザグレイトによって創られ

たものだと結論付けていた。

遺伝子学会の第一人者ですからね。

ここから私の人生観は変わった。

どう変わったかはまたいずれお話

します。

あくまでもこれは私の人生観であり

決して、あの強引な宗教のように

押し付けるものではありません。

地球上の70億いる人間の中には

こんな考えを持った人もいるのかと

思うだけで結構でございます。

仲間を増やそうという気は毛頭

ありません。

第一、私は仲間なんてほしいと

思いませんもの。

 

コンビニもなく飲食店もなく、同じような

風景が延々と続く。

浦ノ内中学校があった。

生徒数15名といったところか。

でも案外、こういう所からノーベル賞

学者やミス日本なんかが出たりするんだよね。

なんて言ったら市長さん大喜びするかな。

11時、向こうの陸地から来る道路と交わる。

言い換えれば浦ノ内湾の終焉である。

遍路小屋17番須崎があった。

須崎周辺の地図が置いてあった。

56号線への行き方がわからなかった

ので有り難かった。

ヤマザキショップがあった。

この辺りはガードレールもなく道路の

横は2m下の田んぼという危険な所

であった。

酔っ払いがここを歩いたら落ちそう

な場所である

左手に大きな、コンクリートを作っている

会社が見えて来た。

しかし私はそのまま進み、橋を渡って

ケーズデンキの所を左折しスーパーマルナカ

へ立ち寄った。

ケーズもマルナカも黄色い本には載って

いないが先程の地図には載っていた。

私は寿司を買い、レジで、公衆電話はないか

と尋ねる。

店内にあった白い公衆電話で民宿あわに

電話する。

部屋は空いていた。

すぐそばの休憩所で寿司を食べる。

無料のお茶もある。

今日は祝日なので店内は大盛況である。

休憩が終わり立ち上がると私に異変が

起きていた。

右足に激痛が起こったのだ。

歩けないほどの激痛でお遍路はリタイヤ

も視野に入れなければと考えた。

びっこをひきひき何とか店頭の杖まで

やって来た。

ベンチに座り右足をマッサージしてやる

と意外にも痛みは治まった。

以前にもこのような痛みはしばしば起きて

いた。

きっと自律神経から来る一時的な

筋肉痛なのだと思う。

そんな病気きいたことない、と言われそう

だけど本当なんだから仕方ない。

私は冗談は言うが決して嘘はつかない。

インディアンと同じだ。

ただしインディアンは冗談も言わない。

元気も出たので歩き始め、56号線に合流

する。

もしあのまま足の痛みが引かなかったら

JR多ノ郷から帰宅するつもりでいた。

よかったよかった。

幾つかのトンネルを抜け道の駅「かわうそ

の里すさき」が見えて来た。

やはりこの辺りの情報が欲しいので寄る。

地元の情報は道の駅ですよ。

「土佐の鶴」を買いレジで民宿あわについて

訊く。

レジの女性は地図をくれた。

結構大きな道の駅でお土産も一杯

売っていたが買わなかった。

安和も近くなった頃、眼下に鉄道が見えた。

今日は時間的余裕があるので、ここを通る

列車を写真に納めようとカメラを構えたが

一向に列車は通らない。

 

時刻表を調べた。

現在時刻は14時40分。

須崎方面行きの次の便が17時05分、窪川

方面行きが16時50分であった。

話にならない。

こら、責任者出て来い。

宿が近くなった頃、少し行った所に

コンビニが見えた。

土佐の鶴だけでは淋しいので缶ビールと

おにぎりを買って宿に向かった。

民家そのものの民宿であった。

となりの部屋とは襖一枚隔ててあるだけだ。

まるで南こうせつの「妹よ」のような民宿だ。

これが妹だからいいが、赤の他人だったら

夜這いが横行するであろう。

突「大丈夫ですよ。同性同士で設定

されるはずです」

そうか、ちょっと淋しい気がするな。

早速風呂に入る。

がシャワーの使い方がわからない。

仕方がないので、湯殿の湯をかけて

洗った。

湯が熱いし、さりとて埋めても後の人に

悪いので湯殿に入らず出て来た。

寒い風呂である。

ジーパンをはいて風呂場を出ると、ソファー

に浴衣とタオルが置いてあった。

浴衣を持って部屋に戻る。

風呂上がりでガタガタと寒かったので

エアコンを入れようとすると有料で

あった。

100円で〇時間と書いてあったが〇の

部分が不明であった。

私はエアコンを入れず、大相撲を見ながら

ビールを飲み始めた。

ドアがノックされた。

開けると主人が明日の朝食はどうします

と言うので朝早く出ますから要りません

と言う。

ついでだから清算をしておきましょうか

と言うとそれじゃ下まで来てくれと言う。

宿は80代の老夫婦だけでやっているよ

うだった。

奥さんは歩行器に掴まってやっと歩ける

くらいで、幾分か認知症も患っている

感じだった。

料金は素泊まりで4500円。

5000円札を出すと500円のおつりは

3分後に戻って 来る有様だった。

しかし悪意は感じられなかった。

料金の設定も相場がこれくらいだからと

つけたのだと思う。

他の民宿がどのようなおもてなしを

しているか、もはや勉強しに行く体力

もないであろう。

私は運が悪かったと思い、領収書をもらい

部屋に戻った。

酒類を平らげ、おにぎりを食べ、歯を

磨いて床に就く。

お茶を飲もうとしたがお茶も用意されて

いなかった。

このような状況を私はどう捉えれば

いいのだろうか。

世の中には色んな宿がある。

エアコンのない、お茶も出ない宿もある。

最悪の事態を想定してペットボトルと

防寒着だけは用意しておけとお大師様

が言ってるのかも知れない。

ある意味いい勉強になった。

決して腹は立てていない。

そんな事を考えているうちにいつしか

私は眠りに陥った。

本日の歩行距離29,17km

 

11月24日

5時半に起き、身支度を整え6時に

宿を出る。

それにしても昨夜は冷え込んだ。

夜中に三度も一階のトイレに駆け込んだ。

暖房のきいてない急階段を降りて。

決してイヤミで言ってる訳ではないが

いい勉強をさせてもらった。

恐らくそんなに遠くない将来、奥さんは

寝たきりとなり、宿は廃業となるか、

お嫁さんが女将と なり受け継ぐことと

なるであろう。

そして老々介護が始まる。

私は介護はしたことはないが、さぞ辛い

ものでしょうね。

苦痛の一つにウンコの匂いがあると思

います。

西洋の諺に自分のウンコは臭くない

というのがある。

逆に言うと他人のだからたまらないで

しようね。

誰か、人体に悪影響を与えず、ウンコを

ジャスミンの香りにしてしまう薬を

発明してほしいものだ。

ノーベル化学賞だか医学賞だかもらえる

こと間違いなしでしょうね。

病人だけでなく、女性達は間違いなく

こぞって使用するでしょうね。

私は使いませんけど。

突「なぜ」

自分のウンコは臭くないもの。

余談でした。

ご主人は「お接待です。水分補給にどうぞ」

とみかんを五つ下さった。

私はお礼を言って宿を出た。

50mほど歩くと56号線に出た。

遍路道もあったが、私はひたすら

56号線を歩いた。

遍路地図によると、たった500mの距離

に対して188m上がる焼坂峠があった。

今は地図は持ってないが、確か記憶に

あった。

恐ろしいほどの急坂だ。

そんな訳で宿の主人も56号線を薦め

てくれた。

私は疑問に思う。

なぜ、こんな不便で苦しいへんろ道を

保存する必要があるのだろうか。

単にお年寄りたちのノスタルジアでは

ないのか。

私にとって歩き遍路の定義とは、歩いて

八十八ヶ所を回ることに過ぎない。

こんな苦しいへんろ道を回らせようと

言うのはへんろ道保存協力会のエゴでは

ないのか。

いつも私はそう思う。

地元の人でも多くは大通りの方が

いいですよと言ってくれるのだから。

きっとお大師様でも、楽な道を通り

なさいよと、仰っているはずだ。

焼坂トンネルを通る。

やけさかと読む。

民宿あわの待遇があまりにも酷いもの

だから、みんな「やけざけ」を飲んで

ここを通る。

だからこのような名が付いたという

ことはあまり知られていない。

私はそんなことは思っていませんけどね。

いい勉強にはなったと思っていますが。

土佐久礼駅が近くなってくると、コメリ

、ローソン、小学校が見えてくる。

信号の横断歩道の所に小学校の先生

らしき人が立っている。

「これから先はずっと坂道ですよ」

と先生は言った。

信号を左折していくと土佐久礼の市街地

に行く。

時々逢う女性は、昨夜はここの福屋

だか大谷旅館だかに泊まると言って

たことを思い出した。

60歳くらいの、いいところの奥様と

いった感じの人だった。

彼女が7時に宿を出たとして、彼女の

歩みからして、そのうち追い着く

だろうと私は判断した。

公衆電話があったので電話した。

この旅2度目の姉への電話だ。

2日前、朝7時清滝寺の公衆電話から一度

した。

が、暫く電話音がなり、留守番電話の

音声に切り替わった。

その途端100円玉は電話機に徴収された。

私は電話を切った。

朝の7時に留守番電話とは何事だ。

考えられる理由は3つある。

1つは旅行である。

しかし姉夫婦は貧しい。

明日の米さえままならぬ姉夫婦が

旅行というのは、冒頭に、考えられる3つの

理由と述べたが実際には考えられないことだ。

もう一つは息子の家に泊まりに行ってる。

そして最後の一つは、恐らくこれが一番

可能性としては高いと思われるが強盗に

二人とも殺害されてしまったのだろう。

突「でも留守番電話は」

それは電話に詳しい強盗が、事件の発覚を

遅らすために設定したのだろう。

突「あなたいい小説家になれるよ」

ありがとう。

前回私は、いつまでも電話がないので焼山寺

で死んでるのかと思ったと言われた。

だから仕返しをしたまでよ。

受話器を取った。

また留守番電話だといけないのでまずは

10円玉を入れた。

すぐに姉は出たのですかさず100円玉を入れた。

用件は簡単だ。

こちら四国では週間競馬ブックは売ってない

ので買っておいてほしいというものだ。

今、岩本寺に向かって歩いていると

告げて電話を切った。

なにせ私は携帯電話を持たない。

従って向こうからは電話も掛けられない

し、どこにいるかもわからない。

これでは非常にまずいのである。

私の親戚にも、いつ死んでもおかしくない

高齢の人は何人かいる。

このままだとお遍路が終わって帰って

行ったら、10日前に葬式が終わっていた

なんてこともあり得ることだ。

独身だが一応私は世帯主だ。

一昨日の「なずな」の件もあるし、やはり

携帯は持たなければならない時期が来ている

のかも知れない。

と真剣に携帯電話の購入も考えるしろひ

猫であった。

山道を進む。

 

しかし小学校の先生の言うような坂道では

なかった。

そもそも山道というのは、山と山の

間を抜けて行く道である。

水平な物などどこにも存在していない。

なので登っているのか下っているのか

すらもわからない状態だ゛。

先生に逢った地点から6km、久礼坂

第一、二、三トンネルを通って

高度287m七子峠に着いた。

6km歩いて287mですぞ。

下りだか登りだかわからないはずです。

今度来る時はビー玉でも持って来て

転がして見よう。

峠と言うくらいだから後は緩やかな

下りだ。

左手に「七子茶屋」と言うのが見え

て来た。

名前がいいので入ろうかと思ったが

廃業をしていた。

そんなに時間は経っていない感じだ。

ブームにあやかってもう一度開ければ

いいのにと思う。

藤田菜七子のファンが続々と詰めか

けるかも知れない。

突「でも昔は松嶋菜々子さんがいた

わけでしょ。それでも潰れたんだから

無理でしょ」

向こうからアラフォーの女性が

やって来る。

この辺りに食べ物屋はないかと尋ねる

と1kmも行くとラーメン屋とうどん屋が

あると言う。

それを楽しみに歩くと豚太郎があった。

前回私はこの店を焼き肉屋と紹介したが

ラーメン屋の間違いであった。

高知市内でも数店みつけるほどの結構

大きなチェーン店で、その名も「とん

たろう」と言う。

だが、まだ開店していなかった。

しかし開店していても私はうどん屋へ

飛び込んだであろう。

蛇足ではあるが私がいつも言ってる

ブタヤローはこの前豊田市で発見した。

次のうどん屋へ飛び込んだ。

アクセルとブレーキを踏み間違えて

なんてね。

そこにいつも会う女性がいた。

この旅4度目の出会いだ。

もし私がここを素通りしていたら出会

わなかったことを思うとやはり縁が

あるのである。

出逢いのきっかけも、黄色い本の紛失

に始まる。

あれがなかったら私は彼女に声を

掛けることもなかったであろう。

うどんは一杯280円であった。

私はその上に野菜のかき揚げとナスの

天ぷらを乗せてつゆをたっぷりと

かけてもらった。

これで560円である。

私は再び彼女に本を見せてもらった。

次の岩本寺に「本」と言う文字があった。

青龍寺の例もあるので安心は出来ない

が幾分かは心がホッとした。

彼女にどの道を通って来たか尋ねたら

大阪遍路道と言う。

地図で見ると最初はいいが最後に、距離

700mで高低差208mの急坂が牙をむいて

待っている。

これ、最後がきつかったでしょと訊くと

道が悪く猪の掘った穴がいくつもあって

崖から落ちそうになったと言っていた。

そら、イノシシが牙で掘った穴ですよ。

彼女はもう遍路道はこりごりと言っていた。

しかし私は、でも明日岩本寺を出た後に

ある遍路道は大分距離短縮できるから

使った方がいいですよとアドバイスをして

彼女と別れた。

勿論ここで私のブログを伝えたことは

言うまでもない。

彼女は帰ってからパソコンで読むわと

言った。

そうだね私のブログはパソコンで読んだ

方が見やすいと思う。

JR六反地駅付近でお遍路さんとすれ違った。。

黄色い本を持っているか尋ねた。

持ってないと言う。

昨日はどこに泊まったかと訊くと、村の家

という民宿だと言う。

おばあさんが一人で切り盛りしている

宿だという。

それいいから電話番号を教えて下さいと

言うと教えてくれた。

早速次の仁井田駅の公衆電話からかけたが

繋がらなかった。

暫くするとまた公衆電話があった。

ドアを開けようとしたが壊れていて半分

ほどしか開かない。

私の体型では入れず受話器まで手が届か

ないので断念した。

リュックを降ろし、ジャンパーを脱げば

何とかなりそうだったがそこまではする気

にはなれなかった。

縁がなかったのだろう。

少し行くとまたお遍路さんに逢った。

歯が殆どない人だった。

去年観音寺あたりであった人に似ていた

ので以前会いましたよねと言った。

へーよく覚えてますねと言うので、確か

国分寺の方へ逆打ちしてましたと言うと

それじゃ人違いです、わたし今まで逆打ち

したことありませんものと言われた。

それじゃ頑張って下さいと言って別れた。

道の駅があったが今日は寄らなかった。

窪川辺りにコンビニやスーパーが一杯

あるから。

午後3時窪川に着いた。

窪川の駅舎はJRとくろしお鉄道では別である。

まずはくろしお鉄道、駅の前に観光バスが数台

停まっている。

つづいてJR、公衆電話が2台設置されている。

つづいて四万十町役場、線路を跨いで西と

東に別れている。

3回も来ると大体のことはわかってしまう。

午後3時20分岩本寺到着。

門前で寺の人らしき人とすれ違う。

彼女は私に、宿坊に泊まる人ですかと訊いた。

予約はしてないですけど泊まれるなら

泊まりたいですと言うと部屋は空いてます

けど今から買い物に行くのでロビーで

しばらく待っててくださいと言う。

お参りを済ませ納経所に寄る。

黄色い本はあるかと尋ねると売店に

あると言う。

納経を済ませ、売店のある宿坊の玄関

に廻る。

宿代4300円と本の料金2700円を払って

部屋に通される。

納経所の人が全部代わりにやってくれた。

廊下も広いし、明るい、雰囲気の良い

宿であった。

早速食糧の買い出しに行く。

門の所で女性に逢う。

地図がありましたと言う。

彼女は岩本寺には泊まらないようだ。

街へ出る。

買った本でスーパーの在処を調べる。

が、スーパーは潰れていた。

続いてコンビニに行く。

やはり潰れていた。

一体この街の人はどこで食料品を買ってい

るのだ。

まさか自給自足の生活をしている訳では

ないだろうに。

そのくせ飲み屋だけはめったやたらと多い。

きっと怖いかあちゃんが多いので家で

飲ませてもらえないのだろう。

数人の人に訊いて、やっと東の方に

スーパーを見つけ買い出しを終えて

宿に戻る。

いつものようにビールを飲んで大相撲を

見てると列車の通る大きな音がした。

窓を開けるとすぐ目の前にくろしお鉄道

の線路があった。

私は狂喜乱舞した。

それは鉄道マニアの私にはとても嬉

しいものだった。

その後も時刻表を見ながら列車の通り

過ぎる音を楽しんだ。

ビールを飲み終え、宿の落書き帳に目を

通しているうちにいつしか私は夢の中へ

入って行った。

本日の歩行距離32,76km

勿論スーパーまでの買い出しも含まれる。

 

11月25日

今日の行程は地図でみると32kmほど

である。

が、この地図は少なめに距離が記され

ているので今日も早めに宿を出る。

まだ暗い札所の前の道を、1kmほど

右へ進むと56号線に出た。

コンビニでサンドウィッチを買う。

歩道に戻ると中学生くらいの少年が

挨拶をして行く。

四国の子は教育されているのか、お遍路

さんにはよく挨拶をしてくれる。

頑固なへんろ道保存協力会のじいさん

どもよりよほどか愛おしい。

途中の自販機で暖かいコーヒーを買い、

サンドウィッチを頬張る。

今日も昨日に続いていい天気だ。

気温も大分上昇してきて気持ちいい。

峰の上辺りから遍路道に入る。

峰の上と言っても高度260mで、岩本寺

の210mとそんなに変わらない。

しばらくはアスファルトの道が続いたが

やがて山道のへんろ道と変わる。

相変わらず落葉が一杯の滑りそうな

道であった。

まだマムシは冬眠はしていない。

大体「マムシに注意」などと言う道を

歩かせるへんろ道保存協力会の人の

気が知れない。

お遍路さんは命の危険にさらされて

いるのだぞ。

あんたらそれでも人間かと言いたくなる。

56号線のトンネルの上を渡りひとまず

56号線に降りる。

そして再び下りのへんろ道に入る。

およそ880mで170mほど下るかなり

厳しい坂である。

やっぱり56号線を通れば良かったかな

と後悔しつつもなんとか下り切り、

西尾自動車の所に出た。

休憩所があった。

その隣で立ち小便をした。

なんとなく山の中のへんろ道ですると

罰が当たりそうなのでここまで我慢した。

川沿いの道を行く。

56号線でも通行量の多い所と少ない所

がある。

不思議だ。

いや不思議でもなんでもない。

長距離を走る車が少ないのだ。

民宿が一軒あった。

小学校もあった。

だんだんと民家も増えて来た。

左手にたこ焼き屋が見えて来た。

書くことのない私にとっては救いの手だ。

14個入り350円と貼り紙があった。

その数値に目がくらみ、私は店に近付いた。

お目目のパッチリとしたお姉さんが

出て来たので「くださいな」と私は言った。

「マヨネーズかけます」

お姉さんが言ったので

「いりません」

と答えた。

お姉さんは箱に詰め、かつお節とソースを

かけた。

コレステロールのかたまりのような

マヨネーズは健康の敵と考えている

私はまず口にしない。

冷蔵庫にあるそれも1年前に買ったもので

ほんの一部しか使われていない。

私は受け取り、バッグに入れ先を急いだ。

隣に休憩所のようなものがあったが、

時刻は10時半である。

1ヶ月ほど前、アヤコさんもきっとここを

通った筈だ。

彼女の場合、岩本寺を7時に発ったはず

だからここには11時に着く。

私同様に彼女も14個入り350円の数値に

少なからず心は動いたに違いない。

お店に近づく、たこ焼きを見る、小振りな

たこ焼きを見た瞬間、彼女は道を尋ねる

ふりをして難を逃れた筈だ。

どうだ見事なまでの私の推理。

突「アヤコさんは言ってますよ。だから

あなたは馬券が当たらないのだと」

じゃ君の推理は。

突「彼女はたこ焼きだとか、焼芋だとか

店頭販売するものは好みません。お店に

入って腰を落ち着けて、食事を楽しみたい

人です。佐賀公園駅あたりに食堂があり

ます。例え時刻が遅れたとしてもあの

辺りで昼食をとるはずです」

結果は神とアヤコさんのみぞ知る。

たこ焼き屋のキャッチコピーを考えた

ので披露いたします。

「当店の商品は巷でひっぱりだこ焼き、毎日

食べてお口の中はたこ焼きだこ」

突「シーン」

皆さんも、お友達とたこ焼き屋さんに入っ

たら使ってやって下さい。

「ここのたこ焼きってさ人気があって

引っ張りだこなの」

「へー」

「常連さんなんかみんな口の中にたこ焼き

ダコが出来てるのよ」

「へー」

「いけない、うっかりおならしちゃった」

「へー」

突「シーン」

たこ焼きで随分と遊ばせてもらいました。

伊与喜のあたりから、へんろ道が始まる。

距離的に56号線も変わらないので国道

を行く。

しかし次のへんろ道は利用することにした。

地図も手に入ったし、市街地なので

公衆電話もありそうだったので。

財布が軽くなってきたのでJAのキャッシュ

コーナーで少しばかり降ろす。

競走馬に「フクラムサイフ」と言うのが

いる。

しかし追いかけ続けると「カラノサイフ」

になるからご注意を。

余談でした。

待望の公衆電話があった。

道中、看板で見た素泊まり3000円の数値に

目がくらみ民宿みやこに電話するも出ず。

ビッグマリーンも3000円だったが、なんと

なく釣り客がたむろしていそうなのでパス。

間に存在する「日の出」は料金が明示されて

いないが両隣りが3000円だからおそらく

一緒だろうと電話する。

部屋は空いていると言う。

安心したら、お腹が食べ物を要求してきた。

少し行ったバス停でたこ焼きの箱を開ける。

3列で上から、5個、5個、4個と並んでいた。

なぜ、もう1個入れてくれないのだろうか、

私は推理した。

人々はそれを、病気が始まったと言う。

14個なら利益が出るが、15個では

赤字になってしまう。

薄利多売のたこ焼き屋ではさもありなん

と思う・・・訳がないだろうが。

従業員は1人、しょびしょびの小麦粉に

米粒ほどのタコ。

どう考えても原価150円というところだ。

問題は1個分空いたスペースだな。

これがあることによって、たこ焼きが

移動できる。

つまりこれは、たこ焼きを移動させて

楽しんでから食べなさいよというたこ焼

き屋のメッセージなのだ。

私は1番から14番までのたこ焼きを、逆

に並べて楽しんでから、口に運んだ。

ただ1個爪楊枝に絡んでくるたこ焼き

はあったが。

たしか吸盤のたこ焼きだったと思う。

突「ちょっと待て、そのメッセージ

たこ焼き屋の詭弁じゃないのか。だとし

たら15個入れて、1個食べてから移動

して下さいでもいいんじゃないか」

上手い落ちがみつからないので、

ハラホロヒレハレ。

またまた、たこ焼きで遊んじゃいました。

遊び心って大切ですよ。

56号線は土佐白浜の海岸を進み、大きく

右に向きを変えた。

その時海に泳いでるクジラが見えた。

 

突「どこにいるんですか」

画面の真ん中あたり。

突「あれは、クジラなんかではありません」

じゃなんだ。

突「あれは、えくぼのような揺れる

島影ですよ」

どこかで聞いたよな。

時刻は午後3時。

地図を見ると宿までコンビニもスーパー

も一つもない。

最後のコンビニはと言えば土佐佐賀の手前、

実に宿からは14km離れている。

いくら何でも14kmも夕食を運ぶ気には

なれない。

通って来た道にお店はいくらでもあった。

しかしその8割から9割が廃店となっている。

あるのは美容院に理容店、クリーニング屋

、水道屋、電気屋と生活に密着した店だ

けである。

PPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPで

それだけここらは過疎化が進んでいるのか。

それとも歩き遍路の人が激減したのか。

恐らく双方が起因しているものと

思われる。

いずれにしても今日も素泊まりであるこ

とは確定している。

目を皿のようにして食料品店を捜して

行くしかない。

さもなければ今夜はひもじい思いをさせら

れる。

トンネルを抜けてしばらくすると食料品店

を見つける。

ビールと缶詰めと柿の種とおにぎりを買う。

民宿「日の出」まであとどれくらいでしょうか

と店の人に訊くと、トンネルを抜けると

すぐだから15分くらいかなと言う。

喜び勇んで歩を速めるとそこは民宿

「たかはま」であった。

拍子抜けしてしまった。

いつも会う女性が今日ここに泊まると

言ってた。

が、私は少しでも足摺岬に近づいて

いたかったので日の出にした。

改めて地図で見るとあと4kmだ。

海辺を黙々と1時間歩き4時半頃に

「日の出」に着いた。

客は私一人だった。

料金は3800円で両隣よりも800円高かった。

800円あれば、たこ焼きが二箱と

100円のペットボトルが買えたのに。

私は貧乏くじを引いたような気がした。

民宿にしては珍しく料金前払いで

部屋に通された。

男やもめの宿主で、やはり宿に女っ気も

人っ気もないと心が凍り付きそうであった。

面白くないのでビールを喰らって

早目に寝る。

本日の歩行距離36,60km

 

11月26日

暗い内に民宿を出る。

結局、宿の人とは入った時に顔を

合わせただけで、後は足音すら聞いてない。

もう2度と泊まりたくないというのが

私の感想だが、しかしお客さんが

もっと沢山いて私も夕食に参加して

いればまた違った印象を持つことが

できたかも知れない。

あくまでもこの日の私の感想なので

読者はあまり参考にしないで下さい。

ただおとこやもめの民宿という客観

的事実だけは知らせておきます。

空は曇っている。

天気予報では夕方から雨と言っていた。

なんとか雨が降る前に宿に着いてい

たいと歩みを速める。

鞭のあたりからへんろ道に入るが、

ややこしそうな道だったので56号線

を進む。

地図によれば400m遠回りなだけだ。

不安げにゆっくり進むのなら、むしろ

こちらの方が早いと判断した。

しかしここらの56号線は歩道がない。

おまけに早朝だというのに交通量が

滅茶苦茶多い。

日曜日の朝ですぞ。

我が豊田市なら朝の8時頃までみんな

寝ているから、この時刻は殆ど車は

通っていない。

一体高知人は何故こんなに早くから

動くのだろう。

加持川橋を過ぎた辺りのローソンでサン

ドウィッチを買うと早くも雨は降り

始めた。

しばらくは小降りだったのでそのまま

進むが、そのうち本格的に降って来た。

私は断りを入れて民家の軒下でポンチョ

をプットオンした。

もう一つのコンビニを越えたあたりの

交差点を左折して42号線に入った。

1kmほど行くと橋があった。

これが四万十橋と、一瞬喜んだが地図

を見るとずっと手前の橋だった。

そうは問屋が卸すかいな。

この先、本当の四万十大橋までの10km

民宿もない、コンビニもない、バス停も

ないのを確認した。

経験上、このような道は山道である。

山と山の間に道路があるだけで平坦な

土地がない。

つまり田畑がないから家もない。

家もないからバスも通らない。

ついでに車も通らないからコンビニも

ない。

ないない尽くしである。

がこの道には一つだけあるものがあった。

それは信号である。

339号線との交差点付近に自販機を

発見、暖かいコーヒーでサンドウィッチ

を流し込む。

雨は降り続く。

ポンチョのフードから出た私のニット

帽から雨はしたたり落ちる。

眼鏡も水滴で前があまり見えない。

苦労しながらもなんとか四万十大橋

に着いた。

 

橋を渡る。

向こうから家族連れが歩いて来る。

観光客だろう。

地元の人がわざわざ歩いて渡る訳がない。

ちなみにこの橋は四万十大橋、56号線

が通るのは四万十川橋と言う。

カンニングペーパーを見て言ってるので

すけどね。

突「それじゃカニさんと同じだ」

橋を渡ると左に降りて行く階段があった。

れっきとしたへんろ道である。

321号線と合流する。

この道は中村駅と足摺岬を行き来する

路線バスの道である。

昨年の4月と今年の4月に利用した。

バスでも2時間近くかかる距離だ。

「お前ら正気か」バスの中からお遍路

さんを見て正直思った。

今、その私が正気でなくなっている。

人生とは楽しいものである。

大岩のあたりから道は海辺を離れ

山の中へ入って行く。

うどん屋「田子作」があった。

最初見た時「団子作り」と読み間違えた。

団子作りの講習でもやっているのかと

思った。

さらに進むとトンネルがあった。

伊豆田タヌーである。

だからと言って狸は出て来ない。

トンネルはあまり好きではないが、こんな

雨の日は俄かに好きになる。

歩道もあるから安心である。

冗談も歩道歩道にしろ、なんちゃって。

途中で西南交通バスに出会う。

あれはきっと足摺岬9時45分発の便

であろう。

またカンニングをしてしまった。

車内を覗くと一人だけ乗客がいた。

私が乗る時も大抵は1人か2人だ。

このまま行くとやがてこの路線バスは

廃止の憂き目を見ることになるので

あろう。

そうなった時私はどのように遍路を

続ければいいのだろうか。

今から不安で仕方がない。

30分ほどかけてトンネルを抜ける。

1620mと記されている。

 

今までで群を抜いて長いトンネル

であった。

しばらく行くと右へ行く道があった。

案内には信念庵へとあった。

帰りにはこの道を通って平田駅へ

行くのだ。

左に進む。

依然として雨は降り続く。

道端に土が盛り上がっているので歩道

を雨が流れる。

それが靴の中まで滲みて来る。

寒さはあまり感じないが、それは歩いて

いるからであろう。

きっと世間の皆様はかなり寒く感じる

日であろうと思われる。

下ノ加江小学校を過ぎた所にコンビニ

があった。

夕食を買うラストチャンスの店である。

もう説明はいらない、いつもの夕食を

買って店を出る。

橋を渡り左に折れる。

段々と田舎になってくる。

今日の宿はまだ決めてない。

候補は3つほどあるが、昨日の事もある。

こんな雨の日曜日だ、慌てなくても宿は

あるとのんびり構えている。

あめがーしとしとにちようびー ぼくはー

ひとーりーでー あしずりみさきにー

むかってるー どんなにーとーおくー

はなれてーいーてもー ぼーくーはー

ふだしょのー しゅいんがーほしーいー

もし候補の3つが全部塞がっていた

としても別のプランも用意してあるので

大丈夫だ。

ちなみに3つを候補に挙げた理由は、足摺岬

と平田駅までの距離である。

最初の宿に着く。

玄関に貼り紙がしてある。

「食べ物や酒類の持ち込みを禁止します」

とあった。

私は即座にこの宿に背を向け次の宿に

向かった。

食堂もやってる宿だ。

泊めてやる、食わせてやると言う姿勢が

ぷんぷんとしてくる。

恐らく食べ方についても、うんちくを語る

輩だと思う。

そのうち潰れますよ、こういう宿は。

次の宿に着く。

部屋は空いていた。

ポンチョは着ていたとはいえ、ぐっしょりと

濡れた私を嫌な顔一つせずご主人は

迎えてくれた。

「靴は下駄箱に入れず床に置いといて

下さい。あとで拭きますから」

と言いご主人は二階の部屋へ連れてって

くれた。

そしてビニールのシートを持って来て

荷物はこの上において下さいと言った。

部屋には洗濯物を干すひもがかかっていた。

私は濡れた衣服を掛け、エアコンのスイ

ッチを入れ、浴衣に着替えた。

いつものようにビールを飲み大相撲を

見ているとご主人がやって来て明日の

朝食はどうしますと言うので、明日は

6時に出かけますのでいりません、それ

から連泊をしますので明日の夕食と

明後日の朝食は用意してくださいと

頼んだ。

ビールを飲み終え、風呂に入り8時半

に床に就く。

寒い1日であったが、暖かい宿に

泊まれたことをお大師様に感謝する。

本日の歩行距離34,99km

 

11月27日

5時に目を覚ます。

テレビを点け、天気予報を見る。

今日は1日中晴れだと言う。

続いて黄色い本を見る。

足摺岬までは宿から20km強となっている。

私は毎日10km以上歩く。

これを1本と考えれば、午前中に2本、

午後に1本くらいは朝飯前である。

しかし、あと1本追加となると少し

ばかり重荷になる。

が、実質的な旅は今日明日で終わるので

このようなスケジュールを組んだ。

6時玄関に行くと○○さんへとお弁当が

置いてあった。

私は、女将さんを抱きしめたい衝動に

かられたが、旦那さんに半殺しの目に

遭いそうなのでやめた。

私は宿を出た。

宿の名は語れない。

私の正体がバレる恐れがあるからだ。

私はブログで名古屋の悪口を言った、

ある宗教の批判もした。

そして何よりも私は地元のヒーロー

坂本龍馬を使ってジョン万次郎さんを

茶化した。

やり方が卑劣極まりない男だ、阿漕だ。

私のブログによってジョン万次郎さんの

大河ドラマの話は立ち消えになるかも

知れない。

「万次郎を大河ドラマに協会」の殺意にも

似た怒りは想像に難くない。

つまり多くの刺客が私の命を狙っている

から宿の名を明かす訳にはいかないのだ。

私だって命は惜しい。

突「被害妄想狂じゃない」

しばらく歩くと道路工事の現場にさし

かかった。

狭い車道を歩くのは危険と感じた私は

工事現場を歩いた。

その時私はフタのないU字溝に落ちて、

膝の辺りまでびしょ濡れになった。

杖をついていたから大事には至らなか

ったが、もしなかったら骨折をしてて

もおかしくなかったと思う。

同行2人のお大師様に助けられた。

いや、ひょっとしたら、これだって

刺客が仕掛けた罠かも知れない。

突「U字工事じゃない」

親父ギャグっぽいから70点。

やはり暗闇は危険である。

少し辺りは明るくなってきた。

道案内が見える。

足摺岬まで25kmとある。

おいおいそれじゃ、地図の20kmは

何だったんだ。

これでは往復50km帰りが8時過ぎるぞ。

3番目に尋ねる予定だった民宿「大岐の浜」

が見えて来た。

結構大きくて、これは民宿というより

宿であった。

やがて、この場には不似合いな高層

マンションが朝日を浴びて立っていた。

別荘マンションと書いてある。

こんな所に(失礼)マンションを買ってどう

するんだろう。

暇があるとここに来るのだろうか。

突「家族、親戚、友人、知人、お得意様

なんかに貸したりするんじゃないですか」

なるほどそれならいいですね。

でもあまり売れてないみたいだ。

海辺を通るへんろ道があったが無視して、

321号線を進む。

信号の辺りから少し拓けて来た。

山の麓にモヤがかかっている。

幻想的なシーンだ。

 

 

宿を出てから2時間、幡陽小学校を過ぎると

道は二手に分かれていた。

右は土佐清水、足摺岬、左は以布利とある。

私は足摺岬を目指すのだからと右へ行く。

土佐清水の消防署を通り過ぎて、以布利川

を渡る頃、なんかへんだなと思い地図を見る。

このまま行くと私は土佐清水市街地を経由して

岬の西海岸を歩かなければならなくなる。

私は小学校の分岐点まで戻り以布利を

目指した。

およそ2km、30分のロスタイムだ。

横着してちょっと地図から目を離すと

すぐこれだ。

ただでさえ今日は強行軍になるのに

と地団駄を踏んだ。

車道だけを使い窪津分岐までやって来た。

念のため、ごみ収集にやって来た運転手さん

に窪津へ行くにはこの道でいいんですよね

と訊いた。

運転手さんは左に行って4Kmほど

歩くと窪津に着くよと教えてくれた。

真っ直ぐ行けば先程私が間違えた道と

交わる。

狭い27号線を進む。

車がすれ違えるほどの広さはない。

それでも時々走る車はいる。

昼でも暗い道である。

30分ほどで、以布利分岐の広い道に出る。

あとはこの道をひたすら行けば岬に着く。

頑張って歩いていると向こうからお遍路

さんがやって来る。

4日ぶりに見るお遍路さんだ。

そしてその人は、いつも会う女性であった。

彼女は私の泊まった宿に泊まると言って

たが夕べは見かけなかった。

すると彼女はゆうべは足摺ハットに

泊まり、今日○○○に泊まると言った。

あくまでも○○○だ、刺客に葬られない

ためにも。

ここまでどれくらいかかったと訊くと

3時間だと言う。

現在の時刻が10時半、と言う事は岬に

13時半に着きとんぼ返りしてもここには

16時半、宿からここまで4時間半かかった

のだから、宿に戻るのは21時になって

しまう。

私は彼女に、宿の人に遅くなると伝え

ておいて下さいと伝言し別れた。

私は四国で初めて自分の名を語った。

彼女は、必ずしも歩き遍路ではなく、場合

によってはバスも使うと前から言っていた。

きっと彼女は民宿「たかはま」から321

号線まで歩き、途中でバスを拾い足摺岬

まで行ったのだろう。

時刻からして私が宿に入った後に、宿の前

を通るバスに乗って。

私は先を急いだ。

煮干し工場の前を通り、1人のお遍路と

出逢い12時50分金剛福寺に着いた。

 

思ったより広い、車でも充分楽しめる

道であった。

急いでお参りを済ませ納経所により、

また星野のおばあちゃんにお土産の

手ぬぐいを買った。

駐車場で猫ちゃんと戯れ、13時民宿

○○○を目指して出発。

いい子だねー

 

今年の春同様、たった10分の滞在時間だ。

折角ここまで来たのに、勿体ない

とは思うが仕方ない。

こうして私は来た道を引き返し、17時半

に宿に着いた。

突「少し時刻が早くないですか」

いいや、行きは道を間違えたから時間

がかかっただけだよ。

突「それにしても速すぎる」

帰りは道がわかってるから速いんだよ。

突「正直におっしゃい」

すいませんでした、私嘘をついており

ました。

途中で「集会場前」から「以布利分岐」まで

バスを使いました。

本当にこのまま歩いたら19時過ぎに

なってしまい、女将さんにも迷惑を

かけると思いやむなく使いました。

申し訳ありませんでした、以布利バディ。

突「シラー」

でも一生懸命歩き、極力バスに乗る時間を

少なくした努力だけはわかって下さい。

もちろんこの次(四回目)のお遍路では、ここ

は歩く所存でございます。

突「まあ、それなら許す」

宿に戻ると女将さんは風呂は空いてますよ

と言う。

早速入り、部屋でニュースを見てるとご飯

だと呼びに来る。

今日の客は二人連れの女性と、例の女性と

私の、遍路さん4人であった。

私はビールを頼み、目の前の女性にどう

ですかと薦める。

彼女は焼酎をいただいておりますのでと言った。

私は今日の、間違えた道の話をした。

女将はみなさんよく間違われるんですよ

と言った。

どうしても以布利と土佐清水の分岐や、

窪津と土佐清水の分岐で間違えますよね。

あの辺りに誰が見ても間違えないような

明示をするべきでしょうね。

女性はうどん屋で言ってた大阪遍路道の

猪の穴について不満を述べた。

二人連れも同じことを言ってた。

みんなへんろ道を通って来たんだ。

56号線を通れば苦労はしなかったものを。

私はビールをもう一本頼んだ。

彼女も焼酎のお代わりをした。

どこに住んでるのですかと尋ねた。

軽井沢ですと答えた。

か、軽井沢といえばハイソサエティーな

人々が住む地域ではないか。

お遍路でもしてない限り、口を利くこと

もない人々だ。

彼女は10年前、自力で家を建てたと言った。

と言っても大工さんをしたと言うことでは

ない。

39歳で離婚をし、娘二人を慰謝料も養育費

も貰わず育て上げたと言った。

養育費を貰うと、いつまでも亭主との係わり

が続くようでいやだったとも言った。

職業は訊かなかったが、二人の娘を育て上げ

軽井沢に邸宅も構えるくらいだから知的な

職業に携わっていたものと思われる。

今は娘たちも片付いて、自由気ままな

人生をエンジョイしていると言った。

遍路の他に海外旅行へもよく行くし、

英語やイタリア語も習っていると言った。

娘たちが時々遊びに来るが、子守など

させられるので来てほしいとも思わない。

とにかく自由奔放な人生は楽しいと

語った。

道理で私と気が合うはずだと思った。

ちなみに彼女の年齢は76歳だと言った。

以前に私が言ったことがあるが、魂が肉体を

御している人は若い。

私と同じだ。

幾たびか 出会いし人と 同宿し

遍路談義で 酒酌み交わす

突「そのままやないか」

種間寺で地図を忘れて来なければ彼女と

知り合うこともなかっただろうし、一軒目

の宿に持ち込み禁止の貼り紙がなかったら

ここに泊まることもなかったであろう。

つまり私と彼女がここで酒酌み交わすのは

お大師様の導きなのである。

私は今まで出会ったすべての人に対して

そう感じている。

皆どの人も素敵な人だったもの。

女将さんの真心籠った美味しい料理を

いただき20時遍路談義終了。

部屋に戻って寝る。

私のお遍路史上、最高に楽しい夜だった。

本日の歩行距離42,22km

 

11月28日

今日も5時に起きる。

昨日42km歩いたのに疲れは全くない。

考えられる理由は、打ち戻しで連泊の

ため荷が軽かったからだろう。

それと毎日歩いていると、遍路筋みたいな

ものが出来て来るような気がする。

これによって疲れが蓄積して行くという

より、一晩眠ると疲れは抜けてリセット

されている感じである。

5時半食堂に行き朝食をいただく。

朝から沢山のおかずがある。

しっかり食べて部屋に戻り、身支度を

整えてから女将さんのいる調理場へ行く。

宿代を払い、私のブログのドメイン名を

知らせる。

女将さんはホームページを作っている

と言ったので多分読んでもらえると

思って。

また今日もお弁当をいただく。

私は、女将さんを抱きしめたい衝動に

かられたが他のお客さんが降りて来た

ので我慢した。

すいませんねえ、馬鹿な事ばかり言って。

真面目な自分の正体を見破られるのが

怖いから、こんな事言うんですよ。

突「よく言うよ」

人生は一回でも多く笑ったやつが勝ち。

おおいに笑ってやって下さい。

6時に宿を出る。

昨日は午後5時半ころまで、この辺りは

薄明るかった。

その分、朝は我が地方より暗い。

しかし中村方面行きは歩道があるので

安心である。

少し歩くとお遍路さんに出会った。

彼は今から足摺岬まで行って帰って来る

と言った。

軽装であったことから、彼も私同様の

連泊打戻りなのであろう。

きっと宿は私の宿から3kmほど行った

「安宿」であろう。

やすやどと読んではいけない。

あんじゅくと読む。

安心、安全な心安らぐ宿なのである。

しかし私の泊まった宿はもっといい宿

であった。

料理の美味しさも然ることながら、ここの

目玉は女将さんですね。

明るくて、お茶目で、とても面倒見の

いい人でした。

それは決して、私が男だから言う訳では

ありません。

女性が見ても、同じ意見を述べるでしょう。

突「それって殺し文句」

冗談じゃない、私は刺客ではないぞ。

次の遍路の時も「集会場前」から

「以布利」まで歩き、そこから○○○

までバスに乗ってここに泊まるつもり

でいる。

2時間歩いて休憩所にさしかかった。

トイレに寄って大きい奴を落とした。

遍路に来て、困るものの一つに便秘

がある。

日常生活ではいつも口にしているヨーグ

ルトは、非日常生活では食べなくなる。

最初のうちはいいが3日もすると、徐々に

ではあるが確実に悪影響が出て来る。

私が10日くらいで打ち切る理由の一つ

にもなっている。

やはりヨーグルトは健康食品である。

軽井沢の人は今日延光寺をお参りして

帰ると言っていた。

足摺岬6時15分発のバスに7時11分

くらいに乗ると言ってたからすでに

どこかで追い抜かれているのであろう。

そして8時40分寺山口に着いて延光寺、

再び寺山口から9時48分のバスに

乗り10時04分宿毛着。

宿毛から中村まで行き、特急に乗り換え

高知駅に13時着。

あとは飛行機で軽井沢か。

彼女はこの次は3月、少し暖かくなっ

たら、またやって来ると言っていた。

私も3月、桜の花が咲く頃、動き出そう

かと思っている。

そして5月に結願しようと思っている。

10月の遍路でもかなり厳しかった

ので、6月の歩き遍路は避けた方が

よいと思う。

そんな訳だからまた彼女には逢える

かも知れない。

市野瀬の辺りの分かれ道を左に進む。

しばらく行った分かれ道も左に行く。

何もない、見事なまでに何もない。

何もないということは書くこともない。

今日の平田駅までで今回の遍路は

終了させることにしている。

時間時には延光寺まで十分行ける

のだが行っても仕方ない。

この次の始まりが延光寺からに

なるので、また平田から延光寺まで

歩かなければならない。

さりとて宿毛まで歩いて明日の朝の

南風12号という手もあるが、まだお土産

が買ってないし宿毛にいいお土産が

あるかどうかもわからない。

それに次ぎ始める時も、やはり宿毛まで

来なければならないのだ。

そんな理由から今回の遍路は平田で

打ち切ることとした。

そして来春ここから始めることになる。

今回の西分駅から始めたように。

平田発14時44分、中村で特急に乗り換えて

岡山19時41分着。

岡山のぞみ19時53分発名古屋21時31分着。

今から帰宅を試みても、へたをすると途中

で電車がなくなる恐れもあるので今日は

高知に泊まる。

依然として何もない坂道を登って行く。

ひょっとしたら今まで歩いた中で

一番の田舎かもしれない。

成山峠を越えると少しずつ民家も見えて来た。

牛がいたので退屈しのぎに写真をとった。

 

 

あーるーはれたー ひーるーさがりー

いちばーへー つづくーみちー

悲しい歌ですね。

おぢさんは牛肉は食べませんからね。

46号線を行く。

農家民宿今ちゃん、農家民宿風車を過ぎる

と右へ行く道があった。

へんろ道と道標もあった。

トンネルを抜けて地図を見ると、ややこ

しい道になっていた。

私がよく間違えるような箇所だ。

これを間違えない道順としては、46号線を

21号線まで進み右に折れることが考えられる。

プランの通りに進み三原村の繁華街を進む。

ふれあい広場を過ぎた所にへんろ小屋を

発見。

やや遅い昼食をとる。

大きなおにぎりが2つ。

1つは沢庵が、もう1つには梅干しが

入っていた。

他にバナナがあり、ヤクルトがあり

飴玉が5つほど入っていた。

女将さんの温かさを感じる中身だ。

これぐらい宣伝しとけばいいですかね

女将さん。

最後に落としとかないと、彼女が

恐縮しちゃう。

食べ終わってくろしお鉄道の時刻表

を見た。

平田発14時44分、それを逃すと2時間

後になってしまう。

時刻は12時55分、ここから平田駅まで

は6Km、のんびり歩いていたら間に合わ

ない。

私はいつもより少し早いペースで歩いた。

山の中を通り、幾つかの橋を渡り、1時間

少し歩くとやっと平坦な地が山の向こうに

見えて来た。

なんとなく平田の地名の由来が

わかったような気がした。

急いだ甲斐があって14時30分平田着。

土佐入野の56号線、岩本寺の宿坊、仁井田の

公衆電話、電車を撮ろうと待ち構えた

安和駅近くの山道。

車窓から、私の軌跡を思い出し、ひどく

懐かしく感じた。

高知へ向かう途中で雨が降り出した。

いつも私が遍路を終えると雨が降り出す。

やはりお大師さまは私の味方だ。

今回は軽井沢の人も終わっているから

そう言ってもいいでしょう。

17時高知駅に着いた。

駅前は高校生でごった返していた。

みんな親の迎えを待っているのだ。

実は今日の天気予報は終日晴れ。

誰も傘を持って来なかったのだ。

私はいつもの観光案内所へ行きいつもの

ロスインホテルの予約をとった。

この旅3度目のロスインである。

駅前の土産物店で「土佐日記」と

「刺身かまぼこ」を買いホテルに

向かう。

さらにスーパーへ行って寿司とビールを

買って、打ち上げの祝宴をする。

本日の歩行距離34,35km

 

11月29日

6時に目が覚める。

ベッドで時刻表を見ていた。

予定では8時01分の南風6号に乗ろうと思った

が7時00分の南風4号というのを見つけた。

別にこれで行っていけない理由は

1つもない。

時刻は6時半であった。

朝のコーヒーを一杯飲んで、着替えて

駅へと向かった。

きっぷは昨日買ってあるので岡山と

名古屋までの特急券を買ってホーム

へ上がる。

早速やって来た南風4号に乗り込む。

四国4県の中で私は高知が一番好きである。

理由は自分でもわからない。

札所の配置が、そう言わせているのかも

知れない。

路面電車の停留所が見える。

 

 

私は高知へ来てまだ一度もこれに乗った

ことがない。

街中を走る路面電車、大好きなんですがね。

南風4号が動き出した。

乗車率50%といったところか。

大杉に停車した。

ホームに美空ひばりのゆかりの地とあった。

 

 

調べて見ると、昔ひばりさんが地方巡業で

この地を訪れた時、交通事故に遭い、瀕死の

重傷を負ったのだそうです。

戦後間もない頃です。

そんな時代に、こんな片田舎(失礼)に交通

事故が存在していたと言うのが不思議です

けど、恐らくスターのひばりさんだから

車に乗れたのでしょう。

しかしこんな片田舎(失礼)に、2台は車は

なかったはず(失礼)だから単独事故でしょう。

ひばりさんはこの地で1ヶ月療養をし、

大杉に日本一の歌手になれるようにと

願かけたのだそうです。

地元にとっては「ゆかりの地」ですけど

ひばりさんにとっては「災難の地」(失礼)

でしかなかったと思います。

おいおい!また刺客が増えるぞ。

善通寺駅に停まる。

 

観光コースに組み入れられている、

お遍路さんでなくても寄るお寺です。

ここと、石手寺と金剛福寺と雪蹊寺

もそうかも知れません。

星野のおばあさんへの4枚目の手拭い

はここで買う予定でいます。

多度津で、高松行きを切り離し南風4号

は岡山に9時38分に着いた。

そして9時54分発ののぞみに乗った。

さあ、総括といきましょうか。

今回の旅の特長としては歩き遍路さんを

殆ど見かけなかったということで

しょうか。

札所もひっそりとした所が多かった

ように思います。

使用した鉄道、JR東海道山陽新幹線、土讃線

予讃線、瀬戸大橋線、土佐くろしお鉄道

後免奈半利線、窪川宿毛線、名古屋鉄道

本線、三河線。

使用したバス、とさでん交通バス、高知西南

交通。

その他、県営渡船(タダ)

訪れた札所、28番、29番、30番、31番、32番

33番、34番、35番、36番、37番、38番。

宿泊費58000円あたり 飲食代8000円ざっと

バス代4000円うろ覚え 鉄道運賃34000円大雑把

お土産代4000円どうだ 納経料3300円確実

賽銭800円お恥ずかしい。 

四国遍路ひとり歩き同行二人地図遍2700円。

その他記憶喪失分2000円。

出会った猫5匹 犬2匹 高知は貧しいのでペット

も飼えないみたいだ。

飛んでた鳶13羽 道を尋ねた人22人

ブログを告げた人3人。

全歩行距離317kmと68m。

お遍路さんに沢山会えなかったのは残念

でしたが最後に軽井沢の人と、温かい女将さん

に会えてとても幸せです。

終わりよければ総てよしですね。

12時50分我が家に到着。

トーマスが私をみつけてこちらへ

飛んできます。

それではこの辺で。

次回は来年の3月になりますが、馬日記は

続きます。

馬に興味のない人にも面白く読んで

いただけるように努力しますので

よかったら読んでやって下さい。

じゃあね