四回目高知2

5月19日

5時半に目が覚める。

やはり広い部屋は気持ちがいい。

朝食は6時半かららしい。

お遍路をするものにとっては、とても有り難い。

出来れば最初のお寺には7時前に着いていたいですものね。

6時半ちょっと前に、旅立てる用意をして食堂に向かう。

昨日のフロントの人の話によると、峯寺も竹林寺も

清滝寺もかなり厳しい坂があるそうだ。

しっかり食べてスタミナつけて出かけようと思う。

私はおにぎり2個とスクランブルエッグとウインナー

3本、それに味噌汁を盆にのせた。

となりの人はウインナーを30本ほどとった。

お年寄りだったが、びっくりこいた。

そんなに食べると体こわしますよ。

食事も終わり、ホテルを出た。

駅方面へ向かい、三志士像が右手に見える、高知ホテルの

所から左折し、はりまや橋交差点を目指す。

はりまや橋バス停はJRの高速バスの乗り場でもあり

頻繁に高速バスが停車する。

やがて7時17分発の後免町行きのバスがやって来た。

バスは32号線を走り青柳橋を渡り、新五台山橋を

渡り、三里を左に曲がりトンネルをくぐり医療センター

へ寄った。

路線バスによくあるパターンだ。

医療センターを出たバスは来た道を引き返す。

376号線へ出る所で私はとんでもない光景を

目の当たりにしてしまった。。

右から来た原動機付自転車が、目の前で急に進路を

右に変えそのまま進んで行った。

タイミングよく信号は青に変わったところだった。

いわゆるこれが2段階右折と言うやつだ。

惚れ惚れとするような見事な2段階右折であった。

操っていたのは若い娘さんで、毎日この交差点

で、やっているのだろう。

生まれて初めて見るシーンであった。

本当はこれが正しい、道交法に則った運転なんですがね。

技術学校前から14号線に出たバスは7時58分峯寺通に

着いた。

反対車線の歩道に遍路道の立札があった。

言われた通りに真っ直ぐ坂を登って行く、

地図の遍路道とはいささか違うが、どうせ「るるぶ」

のことだ、と、私は遍路道を信じた。

坂を登ると突き当たりに左へ曲がる指示がある。

さらに進むと左へという大きな道標があった。

後は札所までは一本道だ。

峯寺トンネルの上を横切りくねくねとした山道を登り

禅師峰寺に着いた。

駐車場から、まだかなりの階段を登り境内に入った。

お参りをし、境内から眼下の海をみつめた。

とても美しい眺めで写真にも撮ったが、海辺の写真

ばかりになるので掲載は控えた。

木造の金剛力士像の山門をくぐり納経所へと向かう。

実に66番目の納経である。

帰り道、ポン菓子が置いてあるのに気が付いた。

うどん、マカロニ、とうもろこし等々あったが

私はお米のポン菓子をいただき木陰で暇を潰した。

照りつける陽光、長く続く坂道、結構汗をかいている。

次のバスは9時33分発はりまや橋経由鳥越行きである。

20分ほどクールダウンし、私は山を下りた。

この後の私の計画では9時59分三ツ石着、乗り換えて

前浜行きのバスに乗る予定であった。

朝時刻表を見た時N1路線は、はりまや橋から三ツ石まで

14分かかることがわかっていた。

そして、はりまや橋発9時50分の便の存在も確認しておいた。

9時50分に14分を足せば、10時4分だから、私の

計画はうまくいくはずであった。

ところが、事実は小説より奇なり、私の計算は

机上の空論でしかなかった。

三ツ石で降りて、反対車線の時刻表を見た。

三ツ石通過時刻は9時57分であった。

うーん、朝便より寄り道する所が少なかったん

でしょうね。

私は次の停留所五台山橋へと急いだ。

5分も歩くと左に登って行く道があり、一台の

車が降りて来た。

私は停車した車のドライバーに、この道を行くと

竹林寺に行けますかと訊いた。

ドライバーは行けますと言った。

時刻は10時15分、目の前のバス停の次のはりまや橋

行きは11時24分、これを逃すと次は14時09分、一駅

戻って三ツ石でもはりまや橋行きは12時59分で

万事休してしまう。

簡単な言葉で言えば今日の計画がさっぱりわやや。

ガイドブックによれば片道20分とあるが、実際

行ったことのない所だから不安で仕方ない。

急ぎ足で山を登る。

言われていたほどきつい坂でもない。

10分も歩くと遠くに、歩く人の姿が見えた。

どうも女性らしい。

お遍路の装束も着ていないし、どういういきさつで

ここを歩いているのか興味津々であった。

女性の影はだんだんと大きくなってきた。

どうも若い女性みたいである。

ますます私は興味が沸いてきた。

やがて女性は路肩に足をとられてこけそうになった。

「ああ、危なかった、もう少しでこけるところだった」

なんて言ったら

「何言うてますのん、完全にこけてましたやん」

て吉本ギャグをやろうと思ったが、彼女は何事も

なかったかのように急いで立て直した。

2分後、ついに私は彼女に追い着いた。

「こんにちわ」と私は挨拶をした。

「こんにちわ」と言葉が返って来た。

ちらっと横顔を見ると若い娘さんであった。

「お遍路ですか」私が尋ねると

「ええ、植物園を見てから、一寺だけお参りしようと

思ってます」と彼女は言った。

「お遍路ですか」彼女からも同様の質問が

返って来た。

「ええ、そうです」と言うと

「でも、お遍路の格好はしてないんですね」と言った。

「まだ、初めてのお遍路なもので、どうもあの格好には

抵抗がありまして」と言うと

「わかります」と彼女は理解を示してくれた。

彼女は群馬県の出身で高知の大学に入ったため

4年間高知で過ごした、群馬での就職も決まり

そろそろ帰らなければならないので記念に植物園

と八十八カ所の一寺をお参りするのだと言った。

山道を、私たちはまるで恋人同士のように

楽しく語らいながら登った。

と日記には書いておこう。

懐かしいギャグですね。

「じゃ、楽しんでってください」

植物園の前でお互いに声をかけ私たちは別れた。

ここで私は彼女について色々想像してみた。

作家の職業病だから仕方ない。

大学は、わざわざ高知まで来るくらいだから

当然、高知大学であろう。

そうでなければ群馬にも沢山大学はあるはずだから

そちらへ通っているはずだ。

就職先は普通の会社か銀行といったところか。

でも植物に興味がありそうだから、そちら方面

かも知れない。

ま、教員といったタイプではないな。

でも、もし教員だったら、このブログを見て

彼女は少し悩むかも知れないな。

自分は教員に向いてないのかな、と。

気にせんで下さい、素人のざれごとですから。

お父さんは53歳、中小企業の課長さん、お母さんは

51歳、娘の仕送りもあるので働いている。

4つ年上の兄がいて独身、父母と同居している。

お父さんは娘の帰りを心待ちし、ここんところ

落ち着きがない。

しかし当日になると、新聞両手に、チラッと帰って来た

娘を見るだけ。

新聞はワナワナと震えているが。

「おとうさん」と、おかあさんにたしなめられた

おとうさんは新聞を置き、「お帰り」とさも関心

なさそうに言う。

あばら骨が折れてしまうくらい抱きしめたい

気持ちを抑えて。

と、こうなる訳だ。

彼女は、私が乗るはずだったN1路線のバスに

乗って来たに違いない。

もし、私がそれに乗れたら、一緒にバスを降り、

彼女を無視して竹林寺へと急いでいたことだろう。

彼女に追い着いた時、11時24分のバスに間に合う

確信が持てたから、こうして彼女と話をする機会が

持てた。

バスに乗れなかった事、やっぱりこれも、お大師様

のお導きだと解釈し、当然彼女にブログのことを告げた。

今までブログを知らせた人の中では一番受けそうな

タイプとみた。

なぜって。

こんな山道を一人登って来る、変わり者の

娘さんだから。

 

お参りを終え、階段を降りて、道路に出ると

来る時気付かなかったバス停があった。

マイ遊バスだ。

下まで降りなくても済むけど、桂浜経由で高知駅前へ行く。

いわゆる周遊バスで、1000円の乗車賃がかかる。

五台橋までの一駅乗って降りても1000円である。

時刻は10時50分、私は迷うことなく下り道を急いだ。

登山道の突き当たりにバス停はあった。

その向こうには防波堤がある。

2メートル50センチほどの防波堤で、日陰も作ってくれない。

時刻は11時10分、14分後の24分にバスに乗り、14分後

の38分に、はりまや橋に着いた。

そして400メートルほど西へ移動し、コンビニでアンパン

とメロンパンを買い、100メートルほど東へ戻り、11時

58分発の高岡営業所行きを待ちつつ、ベンチで

それを食べた。

甘党だから菓子パンが大好きなんですよ。

バスは、まだ市内だからそこそこ混んでいた、が郊外に

向かうにつれて空いてきた。

私はここでハタと気が付いたことがあった。

高知へ来てからまだ一度も路線バスに乗る高校生

を見たことがないことだ。

今朝の峯寺行きのバスなど多勢の高校生を想像していた

のだが、一人も乗っていなかった。

おそらく、あちら方面に高校がないんでしょうね。

これから向かうは高岡営業所行きのバスで高岡高校通の

バス停で降りる。

朝乗ったら高岡高校生が一杯いたのだろうな、と思いつつ

バスは橋を渡り狭い道に入った。

昔の繁華街と言った所で、路面電車の線路もある。

ウソだろ、こんな狭い道で路面電車に逢ったら

絶対にすり替われない。

よく見ると線路は錆びついている。

ということは、使っていないということ、つまり配線、

ちょっと違うな、敗戦、かなり違うな、ええい、この際

はっきり言おう廃線ってことだ。

廃線になったからこそ、このバスが通るようになった訳だ。

我が名鉄でも、岐阜から向こう、御嵩から向こう、猿投から

向こうなど、赤字路線は切って捨てられた。

その代り、やっぱりバスが走る。

同じ赤字でもバスの方が経費が少ないからだろう。

バスは56号線に出て、中島を通り、高岡高校通に着いた。

12時41分。

56号線を少し戻り、信号のある交差点を左に曲がる

とあとは一本道だ。

正確に言うと道はいくらでも絡んでくるが

私でもわかる一本道だ。

途中の魚屋さんで訊いてもやはり一本道だと

言うから間違いない。

高知自動車道をくぐり、左手山の中腹に清滝寺は見えている。

バナナのような黄色いパラグライダーが随分前から飛んでいる。

やがて、それは私のすぐ横の田んぼへと着地した。

急いで写真を撮ろうとしたが着地した後のしか撮れなかった。

なんて駄目な私でしょう。

山のふもとあたりから道は二手に分かれた。

右へ行く道と真っ直ぐの道。

真っ直ぐ行く道が札所への道で道標はあったと思う。

が記憶は定かではない。

ひょっとしたら、金剛頂寺と記憶がダブっているかも知れない。

間違ってたらごめんね。

突「それじゃるるぶといっしょじゃん」

道は狭くなったり時々広くなったりしながら進む。

それでも車で充分走れる道路だ。

途中から遍路道に入る。

急にきつい坂道になる。

脈拍も多くなる。

救いは日光が遮られていることと階段でないことか。

長い階段のその上に山門が見えて来た。

札所も近い。

山門をくぐると、更に長い階段が待っていた。

お寺の人が左側の掃除をしていた。

私は右側の階段を息をゼーゼーさせながら登った。

自動車道を横切り、数段の階段を登ると清滝寺であった。

想像してたほどきつい道ではなかった。

お参りをし、納経を済ませ、引き返すと土佐市内が

一望できる所があったので一望した。

私はバス停から清滝寺への往復を3時間見込んでいた

が実際には2時間で済んだ。

14時40分バス停到着。

次のバスは51分、その次のバスは15時14分、これに

乗って中島まで行き、15時51分発宇佐行きに乗換え

スカイライン入り口で16時06分に降り青龍寺まで歩く。

難儀な事だ。

それよりも16時発の竜行きのドラゴンバスを利用

することにした。

これに乗ると青龍寺まで800mの観光センター竜に

16時27分に着く。

下手をすると1時間前に出るバスよりも早く青龍寺

に到着する。

名前も竜だとか、ドラゴンだとか愛知県人には

親しみやすい。

目論み通りに事を勧め、一緒に乗ったお遍路

装束の人の後に付いて青龍寺に着いたのは

16時40分だった。

2人ともまず納経所に駆け込み、その非を詫びながら

も納経を済ませた。

納経所の人はこれが出来なきゃ元も子もないですものね

と笑いながら言った。

本心はわからないが。

本堂までの長い階段を登った。

今日は、禅師峰寺、竹林寺、清滝寺、そしてこの

青龍寺と今までのお遍路の中でも一番多く坂道を

登らされた日だ。

帰りのバスはなく、スカイライン入口までは

歩くしかない。

竜の横を通った時、どこかからスピーカーの

音楽が流れて来た。

知ってる曲名であったが、度忘れした、恐らく

17時を知らせる地域のスピーカーであろう。

17時37分領石出張所行きのバスに乗るために

私は急いだ。

回りは美しい海だったが、見ている暇はない。

17時20分過ぎ、宇佐大橋を渡り切った私はバス停

をさがした。

すぐ見つかったが、領石行きの時刻表がない。

ここは領石行きのバスが停まるバス停では

ないのかも、と近所の人に訊いてみると

高知駅方面へ行くと言う。

よく考えてみたら、私は宇佐行きのバス停の時刻表

を見ていたのだ。

突「おいおい、どうかしてるぞ」

ゆうべちょっと寝不足だったもんで、そのせいかもね。

そうだ車は左側通行なんだから、左側のバス停の

時刻表を見なければいけないのだ。

正気に戻って、見ると17時47分発のがある。

どうやら私は19時37分発の37分を勘違いして

17時にくっつけていたようだ。

ドジを踏んだ、が猫を踏むよりかはまだましか。

少しまだ余裕がある、財布の中身を見る。

すると万札と五千円札しか残っていなかった。

小銭の財布を確認する、百数十円しか入っていなかった。

私は焦った。

このままではバスに乗れない。

どこかで何かを買っておつりを貰わなきゃ、と道路沿い

のお店をさがした。

こんな田舎に仲々コンビニなどない。

魚屋さんがあった、しかし魚など買ってどうする。

調理出来るのか、調理する場所はあるのか、

魚は高いぞ、それにバスに持ち込めば臭いから

周囲に迷惑をかける。

それとも何か、釣銭貰って、魚は海に返して

やるとでも言うのかえ、私はまだそこまで

人間はできていませんよ。

いろんな思いが私の中で交錯したが、魚屋はパス。

さらに歩くと釣具店があった。

私は店に飛び込み「この店で一番安い物を下さい」

と言った。

奇妙奇天烈な言葉を吐く私に、店の人もさぞ

面食らったことだろう。

おそらくこの言葉一生忘れないと思う。

店の人の、ペットボトルがありますけどと言う

言葉に私はほっとした。

釣り具の浮きでも勧められたらどうしょうと

思っていたから。

五千円をペットボトルと釣銭に替えてもらい

私はバス停に戻った。

でも,いい経験をさせて貰った。

こういうのが、少し形を変えて私の小説のなかに

登場して来るのですよ。

バスは中島を通り北はりまや橋を通り、夕食を

買うため蓮池町通で、私は降りますボタンを押した。。

とさでん交通バスのバス停名の特徴を発見した。

通が多い。

19時ホテルに戻る。

6時半の出発だったから半日以上の活動だ。

部屋に戻り夕食をとり、風呂に入ってから

フロントまでジュースを飲みに降りた。

昨日の面倒見のよい女性がまだ勤務していた。(20時)

今日はどうでしたかと言うので順調にお参り

出来ましたと答えた。

ツインルームに泊まれたからといって、言うのでは

ないが、コンフォートホテルは素晴らしい。

フロントは広いし、面倒見はいいし、朝食付き

だし、運が良ければシングル料金でツインルームに

泊まれるし。

近い内にまた四国を訪れるが、コンフォートホテル

に泊まろうという腹積もりはある。

またジュースを2杯飲み、3杯目を持って部屋に戻った。