猫、108寺を歩く。その5

11月28日

5時10分、お遍路への第一歩を踏み出す。

雨はほんの少し前に止んだばかりである。

風はある。

風速4mといったあたりか。

1年で最も日が短い時期だから、辺りは真

っ暗である。

しかし晩秋であるから寒さはさほど感じない。

漆黒の闇の中5時29分に駅に着いた。

名古屋までの620円分のきっぷを買う。

消費税が10%になったので20円値上がりした。

600円の2%で12円、端数は切り上げて20円か。

ホームに上がると、またしても同級生のK君が

いた。

K君は高速道路の料金所に勤めていると、今回

初めて教えてくれた。

三日に一度24時間勤務で5時間ほどの仮眠も

あり、仕事の割にはいい収入だと言っていた。

ただ、こんな風の強い日は困りものだとも

言っていた。

こちらが受け取る前に、お客さんが札から手を離

すので料金が飛んで行ってしまうことがしばしば

あるのだそうだ。

ゴーウィズウインドってやつだな。

彼は知多四国は何度か行ったと言っていた。

でも四国遍路をする人にはあまり薦められない

と言う。

お寺の商売っ気が強いのだそうです。

そりゃ愛知県人だもの、しょうがないよね。

とりとめのない話をしながら金山で彼とは

別れた。

とりとめのない話ではあるが、しかし楽しい

一時を過ごさせてもらった。

7時06分の毎度おなじみの「のぞみ97号」に

乗った。

 

西へ向かうほど雨足は強くなってきた。

予報では目的地の宿毛は午後から晴れだと

言っていたが少し不安である。

岐阜羽島通過、米原通過、京都には7時40分

頃に着いた。

女性客が沢山降りる駅だ。

私はもう10年くらい、この駅には降りたこ

とがない。

ダービーを京都競馬場でやってくれれば3年に

一度くらいは降りるのですけどね。

京都でやるG1はろくなレースがない。

8時、新大阪駅に着いた。

 

去年の大地震を思い出す。

ホームの売店の商品は四方八方に飛び散っ

ていた。

ここから乗り換えれば、桜花賞の行われる

仁川の競馬場に行けるが、道を間違えそう

なので行く気も起きない。

トイレに行く。

が、肝心なものが出て来ない。

股引を後ろ前に吐いてしまったのかと、調べ

て見ると、社会の窓のついてないパジャマ

を脱がずにズボンを履いて来たのだ。

私、ボケてますわ。

突「それじゃ、コマーシャルと一緒じゃん」

パジャマをずり降ろして用を足す。

やれやれ、これでは先が思いやられるわい。

岡山から「南風3号」に乗る。

いつものように2席空いている座席はなかった。

私は老人の横に座った。

1週間に一言くらいしか喋らないような、お爺

さんだったので私も一言も声を掛けなかった。

汽車は反対方面の列車が遅れているため、待ち

合わせ駅で4分づつ遅れて行った。

そのため高知に11時30分着の南風は42分

に着いた。

そして39分発の「あしずり3号」は4分遅れ

の43分に発車した。

お遍路さんが四人乗って来た。

私はここで名古屋駅のホームで買って来た

おにぎりを食べた。

岡山駅は乗り換え時間でギリギリだし、JR

四国は車内販売がないのでこうなるのだ。

須崎の辺りで雨はあがった。

窓辺の水滴でそれがよくわかる。

車掌さんが乗車券の確認に来た。

私は汽車の遅れの理由を訊いた。

落葉が線路に降り積もり、おまけに今日の

雨で車輪が滑ってスピードが出ないとのこと

でした。

中村駅から平田まで行くのだが、乗換え

時間が6分の有余しかない、大丈夫なの

かと問うと 遅れたら待たせますから大丈

夫と言った。

私はそれを聞いて一安心した。

もしこのまま、次の便に乗れなければ、

次は2時間後の便になる。

これだとギリギリ延光寺の納経時刻には間に

合うが、その先の計画が根底から崩れ落ち

るのだ。

となれば延光寺は次回に回して宿毛まで

直行と言うことになる。

私には何の落ち度もないのに。

などとブツブツ言ってると窪川駅に着いた。

4人のお遍路さんは降りた。

2人は改札口から出ていき、2人は予土線の

ホームへと移って行った。

前者は岩本寺を打ち、後者は宇和島へ行く

のだろう、よう知らんけど。

13時30分宿毛行きに乗った。

途中の小学校にやる気元気勇気のスローガ

ンが掲げてあった。

突「猫さんならどう作る」

そうだね、脚気(かっけ)病気、弱気かな。

突「それじゃ、学校潰れますよ」

13時50分平田到着。

延光寺への道を急ぐ。

初めて来た時この道を、テントでお遍路す

る人と歩いた。

2度目は浪速のおっちゃんとだった。

しかし前回に続き今回も一人だ。

何か、少しづつお遍路さんが減っている

ような気がする。

とても淋しいことだ。

延光寺近くの道で茶トラの猫をみつけた。

「おいで、ジュリア」

と呼ぶとジュリアは私にスリスリして来た。

こんな人懐っこい猫はお遍路に来て初め

てである。

茶トラの長毛種でよく肥えていてとても

可愛い。

残念なことに尻尾は私の好みでないかぎ

シッポではあったが。

本堂、太子堂とお参りをし納経を済ませる。

トイレに寄りパジャマを脱ぎ、リュックに

詰める。

荷物になるので捨てたかったが、ゴミ捨

ては違法行為になるので家まで持って

帰ることにした。

足取りが軽くなった。

その代り幾分背が重くなった。

戻る道に再びジュリアが待ち構えていた。

「おじさんを待っていたのかい、このプリ

ティキャットちゃん」

と言うと

「ニャー」

とジュリアは返事をした。

この子はきっとお遍路さんの人気者に

なるだろう。

いや、もう人気者なのかもしれない。

とてもいい気分になって宿毛へと向かう。

一人のお遍路さんをこんなにいい気分に

させたのだからジュリアも大したもんだ。

写真が撮りたかったがバッテリーが

切れていた、残念。

時刻は15時15分であった。

宿は既に秋沢ホテルにとってある。

後は56号線を進むだけである。

とても気楽である。

私は地図も見ないで歩き続けた。

秋沢ホテルの看板があった。

へんろ道には、よく宿屋の看板はある。

宿から観自在寺まで21kmとある。

橋を渡ったあたりで、お遍路さんにあった。

背の高い、歯抜けのお遍路さんであった。

何処へ行くと訊くので観自在寺だと

答えると、どこかで○○○○の人間に

逢わなかったかと言われた。

今回は平田からだが、以前に焼坂トンネルを

出た辺りで1時間ほど付きまとわれたこと

があると私は答えた。

あんなもの相手にするでないぞ、奴らは

中国共産党の手先だ。

いずれ日本を乗っ取る気でいると言った。

私が言った訳ではありませんからね。

権力に阿ねないと言っときながら連立政権

に参加しているとも言った。

私が言った訳ではないですからね。

でもプログに載せといてくれと言うので

載せました。

私の意見ではありませんからね。

結局、人の悪口を言う奴は、どこかで

悪口を言われるものですね。

人を引きずり下ろす姑息な真似をするよ

り、努力して上に立てばいいのですよ。

これは私の意見です。

地図も見ないで来たので繁華街で道に迷った。

自分が今どこにいるのかすらわからなくな

ってしまった。

向こうから女子高校生がやって来たので、

秋沢ホテルの在処を訊いた。

彼女はホテルは知らないが、宿毛駅なら

この道を1kmほど行くとありますと言った。

それで自分の位置が分かった。

彼女にお礼を言った。

気を付けて行って下さいと言った。

優しい娘さんだった。

ホテルだとか札所だとか地元の人に訊いても

知らないことが多い。

近くに住んでても利用しないものは知らない

のが当然である。

地元の人は自分の家で寝る。

近くのホテルで寝ることなど、地震や火事で

家が失くなった時以外考えられない。

バス停でもそうだ。

きょうび、バスなんて一体誰が乗る。

みんな自家用車だ。

乗らないバスのバス停なんて、家の前に

あっても見逃しているものだ。

訊いて誰もがわかるもの、それは駅なの

である。

駅以外の所在を訊くのは愚の骨頂である。

駅へつづく道にあるサングリーンクリハラ

で夕食とビールを買う。

反対の歩道へ移ろうと、横断歩道の手前

で止まる。

すぐにダンプが停まってくれた。

おっ、ここらのダンプの運転手さんは優しい。

これだけで宿毛の街の印象がぐっと

良くなる。

先程の女子高生さんもそうだけど。

17時秋沢ホテルに到着。

フロントで住所氏名を書いてキーを貰う。

ちなみに観自在寺までの21kmは56号線を

利用した時の距離だそうです。

風呂に入りビールを飲み20時には床に就く。

何はともあれ、1日目は終わった。

本日の歩行距離15,90km。

 

11月29日

朝5時半にホテルを出る。

勿論この時刻にフロントはいない。

今日の予定はまだ何も決めていない。

決めてあるのは4日目の夜は大洲に泊まる

ということだけである。

真っ暗の中を歩く。

田舎だし、財政的にも苦しい地方都市だ

から街灯は殆どない。

ちょっとした窪みでも転倒しそうな道を

杖だけを頼りに歩く。

腕には100円ショップで買った夜光塗料の

テープが巻いてある。

手が悴(かじか)んでしまいそうなので手袋

もはめている。

しかし真冬の氷点下5℃の所でも歩いている

私にとってはこの程度の寒さは可愛いも

のである。

56号線を行く。

24時間営業のレストランジョイフルがある。

まだ6時だと言うのに客が二人いる。

今日のプランは3つある。

ひとつ目は去年同様「柏坂」に泊まる。

第一候補と言った方が正しいかも知れない。

ふたつ目は17時頃まで歩いてからバスに

乗り宇和島駅前のホテルに泊まり翌日

引き返してくる。

みっつ目は宇和島まで行かず津島あたりの

旅館に泊まり引き返してくる。

いずれにしても、一番大事なのは一歩でも

先に進むことである。

6時半やっと辺りが明るくなり万歩計の

数字が見えるようになってきた。

東海地方より10分は遅い夜明けである。

県境のトンネルに入る。

 

気温表示は1℃になっている。

しかし歩いているのでジャンパーの下は

汗を搔いている。

一本松温泉あけぼの荘が見えて来た。

つづいてホテルセレクトも見えて来た。

バス停一本松あたりで宿毛発宇和島行きの

本日3本目のバスが追い越して行った。

乗客は1人いるかどうかであるが、その割

に1日10本の便があるのは太っ腹だと思う。

完全歩き遍路は、あと一回でやめるから

その時まで頑張っててよ。

蓮乗寺、城辺のトンネルを抜けて市街地に

入る。

御荘中学の手前の信号を右折し、橋の手前

の堤防を左折する。

突き当たりの道は狭い割には交通量が多く

危険なので避けた。

途中で道に座っているおじさんがいた。

何となく私と話したがっている雰囲気を

醸し出しているので近付いた。

四国参りかと訊く。

この辺りではお遍路を四国参りと言うの

だろう。

私は、四国参りですと答えた。

おじさんも、車では危ないので電車汽車を

使い少しづつ廻っているのだそうです。

やはりお遍路経験者、お遍路に関心のある

人、これから廻ろうと企てている人はよく

声を掛けてくれますね。

3分ほど話して別れた。

おじさんは頑張れよと励ましてくれた。

嬉しいものですね。

11時10分観自在寺に着いた。

境内に入る。

左手に宿坊がある。

ガイドブックによると、団体しか受け付け

ないとあるが、境内の掃除をする男性に

訊くと個人でも受け付けるとのことです。

しかしよくよく考えると順打ちでも逆打

ちでもスケジュール的にここへは止まる

ことはないだろう。

お参りを済ませ門前の食堂に入る。

客席6人従業員3人というけったいな店である。

メニューもうどんと焼きそばだけで、営業日

も金土日の週3日だけである。

店に入ると銭にならない客が二人いた。

近所の住人が無料のお茶を飲み世間話をし

て文字通りお茶を濁していた。

一般的にはこれを冷やかしと言う。

私が来ると、どこから来た、何回目だ、

今夜はどこに泊まるのだと矢継ぎ早に

訊いて来た。

私は、愛知県から来た、4回目だ、この店に

入るのは2回目だ、この前来た時は店は

開いてなかった、宿はまだ決めてないと

答えた。

一通りお遍路談義が終わると、私はそっち

のけで地元の話をし出した。

どこどこの学校が廃校になったとか、自分が

子供の頃は生徒数は90人いただとか、田舎に

行くと必ず出て来る話題だった。

店を出ると、いつもの生絞りジュースの店

に寄った。

やはり生ジュースはおいしい。

食堂の話を店の人に伝えると、うちも3人の

息子が東京に出ているんですよと言った。

章男社長、是非宇和島工場を作ってやって下

さいな。

トヨタ自動車に勤める愛媛県人はかなりいる

との事。

家族で戻れば人口増加で活気づくと思いますよ。

実は私、前回立ち寄った時、この女性にブログ

を伝えておいた。

でも、読んでますかとは訊けなかった。

読んでなかった場合、気まずい空気が流れる

し、その可能性が大と感じたから。

もし読んでいるならそれでいいじゃないか。

宇和島工場の話をしたあの人は、猫さんだった

のかと思っていただければ。

店を出た。

時刻は12時15分だった。

柏坂まで10km、時間にして2時間半で着く。

あまり早く着くと嫌がられるのでとゆっくり

と歩く。

郵便局を過ぎたあたりに公衆電話を発見。

早速予約の電話を入れる。

すると電話の向こうから今日はイベントが

あるので宿はやってませんと意外な答えが

返って来た。

これでプランの1は消えた。

残りは宇和島のホテルか津島の旅館かと、

思った時、ふとどこかで見た宿の看板

「西遊漁センター」が候補として頭をも

たげて来た。

わざわざバスで宇和島まで往復すること

はない。

バス代が勿体ないし、引き返してスタート

すれば7時半と後れを取ってしまう。

しかし今日は金曜日で釣り客が大挙押

し寄せているかも知れない。

そんな事を考えながら少しでも先に進める

ように私はスピードを上げた。

そして柏坂近くの公衆電話から西遊漁センター

へ電話をした。

宿は空いていた。

しかし時刻が15時近かったので夕食は用意出

来ないし、ここに来るまでに飲食店もコンビニ

も一切ないですよと言われた。

それでもかまわないからお願いしますと言

って私は電話を切った。

目の前を何かが落ちた。

ジョロウグモだった。

もう何ヶ月も使われていなかった電話なのだろう。

食事は駄目でもビールならあるだろう。

だったら夕食だけを用意すればいいのだ、と

柏坂に寄った。

確か柏坂は飲食店も経営していたから、おにぎり

でも握ってもらおうと寄ったのだがそこは柏坂

ではなく「柏」と言う飲食店兼民宿だった。

黄色い本には載ってないが。

あいにくご飯は昼に全部出払って何もない

と言う。

しかし道中に「ゆらり内海」という銭湯があり、

そこにパンなら売っていると言う。

時刻は15時、西遊漁センターまでは8km。

私は更にスピードを上げた。。

歩行者トンネルを抜け銭湯に着いたのは16時

近かった。

私はパンを2個と梅酒と袋に気行った小さな

カニの姿揚げのようなつまみを買った。

私は急いだ。

初めて行く宿だ、暗くなってしまったら人

もいないし捜すのはもはや不可能だ。

鳥越トンネルを抜け、湾曲した浦知の海辺を

歩きながら西遊漁センターへと近づいて行った。

しかしやはり我が地方より西に位置する

愛媛県南予である。

公共のスピーカーから17時を知らせる音楽が

流れた時まだ明るかった。

 

 

300mも行くとトンネルの手前を左に折れる

道標があった。

西遊漁センターへの誘いである。

食堂に宿の人がいたので早速料金を払い、

鍵とビールを手に部屋へと向かった。

部屋には民宿には珍しくバストイレが付い

ていた。

いいね、早く風呂に入れとかせかされない

し、暖かい部屋から寒いトイレに行かなく

て済むし。

窓からはすぐ前に海が見える。

来る時も出て行く時も暗い今は駄目だけど、

夏ならナイスビューですよ。

ただし飲み過ぎて津波が来たら一発で

やられますけどね。

カニの姿揚げで一杯やって20時に寝た。

それにしても道の駅で買うお酒って高い

ですね。

みんな1000円以上する。

今日は観自在寺から18kmの地点まで来た。

宇和島まで22kmなので明日は楽が出来そ

うである。

本日の歩行距離46,77km。

 

11月30日

5時に起きる。

昨日買ったパンの1個コルネを朝食とする。

昨日泊まろうとした柏坂はテレビがない。

エアコンもなく、ストーブがあるだけだ。

でも料金は4000円で2食付いている。

しかし私は生まれて此の方ストーブなる

ものを扱ったことがない。

なので火事が起きたら困るのでストーブは

使わないだろう。

となると寒い部屋で一晩を過ごさなければ

ならない。

恐らくこの時期だから布団から出る顔は凍て

つきそうな寒さを感じることだろう。

そう考えれば柏坂に泊まれなかったことは

良かったのかも知れない。

柏坂からここまで8km、歩けば2時間かかる

のである。

身支度を整える。

手袋がないことに気付く。

何度捜してもない。

昨日ゆらり内海に置いて来たようだ。

落としたのであれば片方は残っているものだ。

手袋を 手離すほどの ぬくさかな

6時少し前に宿を出る。

柏坂なら4時に出なければならないという

ことだ。

苦あれば楽ありってとこかな。

真っ暗の中を進む。

真っ暗なので何も書くことがない。

気温は5℃、昨日よりは暖かい。

トンネルを抜ける。

しばらくするとまたトンネルがある。

嵐坂隧道だ。

今日は土曜日だから通勤車両は少ない。

しかし、この地域の事情は知らないので

断言は出来ない。

7時半津島大橋に差し掛かる。

左に行く橋もあるし、右へ行くへんろ道

もあるが、宇和島へ行くのであれば行っては

ならない。

真っ直ぐ橋を渡ろう。

しばらく津島の繁華街が続く。

やがて民家も少なくなり上り坂となる。

宇和島自動車バスが行く。

宿毛発の本日の二番バスである。

もし1日遅れて出発し、宿毛からバスに乗っ

私がいたならば私はここで明日の私に追い

抜かれ てしまうのだ。

立場を変えればバスの中の私は、歩いている

昨日の私にアカンベーをしていることだろう。

こう考えて見るとやはりバスは便利である。

でも乗りたいとは全く思わない。

松尾トンネルが迫って来る。

手前に公衆電話がある。

今日の宿泊希望の「とうべ屋」に電話をする。

1分間ベルは鳴り続けたが出なかった。

トンネルに入る。

距離は1710m、トンネル内は排気ガスが充満

すると注意書きがしてある。

去年私がこの辺りを通った時、喉を傷めたの

は松尾トンネルをはじめとする多くのトンネル

のせいかもと今初めて思う。

勿論トンネルを避けるへんろ道もある。

しかしねぇ、遠回りになる上に、220mも山

道を登らなければならないんですよ。

トンネルはほぼ平坦だし。

私は用意して来たマスクを着用しトンネル

を進む。

20分ほどでトンネル脱出。

再び公衆電話があったのでとうべ屋へ電話を

する。

1分間かけ続けたが出てくれなかった。

これをどう解釈すればいいのだろうか。

ご主人がクモ膜下出血で亡くなっている。

時刻は9時過ぎである。

それなら家人が発見しているだろう。

強盗に入られて家族が皆殺しにされた。

まさか、田舎の貧乏民宿など誰が狙うも

のですか。

親戚の葬儀で皆出かけている。

これが一番現実的な推理であろう。

すいませんとうべ屋さん、勝手に死なせて

しまって。

兎に角このままでは埒が開かないので民宿

三間さんへ望みをかけた。

OKが出た。

黙々と56号線を歩く。

途中で、車に乗ろうとしていた1人の女性が

私に会釈をした。

私も挨拶をした。

歩いているんですかと訊いて来た。

少なからずお遍路には関心がありそうな

のでブログのメモ用紙を渡して来た。

彼女もこれから出勤だと忙しそうだった

のでこれでいいのだと思う。

きっと、ビックリするだろうな、文字ばか

りの世界一ガサツなブログで。

寄り添う川に大好きなオオバンがいた。

100羽以上はいたと思う。

 

 

絶滅危惧種だと聞いたが大丈夫みたいである。

大判小判が ザックザック ザックザク 

宇和島道路と接するあたりの信号を右折して

警察署の前を通る。

うどん屋やラーメン屋が姿を現すが宇和

島駅まで行かないことには安心できない

ので黙殺する。

やがてキリンの滑り台の天赦園(てんしゃえん)

公園まで来た。

ベンチでしばし休む。

3分ほどで立ち上がり次の信号を右折、その

次の信号を左折する。

左手には甲子園全国制覇を成し遂げた東高も

見える。

しばらく歩くとエネオスのSSが見えて来る。

右折して800mも歩くと突き当たりに出る。

龍光院の通りだ。

先月写真を撮るのを忘れたのでここで撮る。

 

 

更に進むと宇和島駅に突き当る。

バス停の時刻表を見る。

13時04分仏木寺行きがある。

ただし休日は運行しないと書いてある。

今日は土曜日である。

私はJRの窓口に行って訊いた。

JRの職員はよくわからないらしく、観光案内

所で訊いて下さいと言った。

振り返ると構内に案内所があった。

土曜日は運行してると案内所の人は言った。

思い返せば2年半前、おっちゃんとここへ

来た時も土曜日だった。

早とちりして土曜日は休日だと、JRに乗っ

たことを思い出した。

ま、料金はJRのが安かったからそれで

いいのですけどね。

コンビニでから揚げ弁当を買う。

ご飯とから揚げだけである。

味も素っ気もない。

隣のベンチには娘さんが座って、端末のよ

うなものをペンで操作していた。

随分と荷物が多い。

杖もお遍路バッグも持ってないが、お遍路

さんのような雰囲気は持っている。

声を掛けようかと思ったが、一心不乱に

端末機をいじるその姿に隙はなくやめた。

何か私、犯罪者みたいですね。

12時50分宿毛行きのバスに彼女は乗った。

観自在寺を打って再びバスに乗れば16時

くらいには宿毛に着く。

多分彼女はお遍路さんであろう。

そうであって欲しい。

若い後継者がいなくなったら、おぢさんは

淋しい。

宇和島駅の上はホテルである。

 

 

当然経営はJRなのであろう。

運賃を1割サービスしてくれるなら泊まっ

てもいいけどな。

13時04分のバスに乗る。

読者ならおわかりと思うが、先月ここから

務田バス停まで歩いてある。

したがって務田バス停まで私にはバス

で行ける権利があるのです。

とうべ屋が泊れれば務田で降りて、龍光寺、

仏木寺、とうべ屋と行くのだが、三間に

戻らなければならないのでこのまま仏木寺

まで行く。

13時半仏木寺到着。

宇和島から務田に向かう途中数人のお遍路

さんを見た。

恐らく私が歩いていれば出会うこともなか

ったお遍路さんである。

ということは宿毛から宇和島までバスで

来ていればやはりお遍路さんを見ていた

かも知れない。

実際には一人も逢わなかったが。

帰りのバスは1時間後である。

三間まで歩いてもいいのだが、また明日三間

からこちらへ歩かなければならない。

2度歩くのは癪に障るし、この先の道中も長

いのでバスに乗ることにしている。

境内に上がり本堂太子堂とお参りをし、

納経所へ行く。

納経をして下さる方に私は、歯長峠はどう

なっているでしょうかと尋ねた。

へんろ道は土砂崩れをしています、危険で

すから県道を通って下さいと言われた。

バス停近くの東屋で、コーラを飲みながら

私はバスを待った。

たまにはこんなゆったりとした時間も

いいものですね。

その間、10人ほどの信徒がやって来た。

みんな車遍路の人だ。

14時34分東高行きのバスがやって来た。

39分石ヶ鼻で降り龍光寺に向かう。

納経所で同様の質問をぶつけた所、やはり

31号線を通って下さいと言う答えが返っ

て来た。

後は民宿三間まで歩きである。

道の駅に寄る。

お酒を買おうとしたが1合瓶がないため

断念。

コンビニに寄り、スーパードライ350ml

缶を2本買う。

宿のビールは高いのでここで買うんですよ。

それでも発泡酒でないだけリッチでしょ。

バス停務田まで行き、ポールにタッチ。

引き返して民宿三間に着く。

まだ16時前である。

早速風呂に入り、テレビを見ながらスーパー

ドライを飲る。

18時夕食が部屋に届く。

ここは私が泊った民宿では唯一部屋に食事を

運んで来る宿だ。

ご主人は若く寡黙な人である。

したがってお遍路さんが一堂に会する場を

仕切るのが苦手なのでこうなっているのだ

ろうと私は思う。

うちは料理と宿を提供するだけですと

割り切っている感じです。

もしお遍路さん同士和気藹々とやるのが目的

であるのなら私はこの宿を薦めない。

わたしもお喋りは嫌いだと言う人や夫婦連れ

にはうってつけだと思うが。

すでに缶ビールは飲み干してしまった私は

瓶ビールを一本注文した。

テレビでは中曽根氏の死去を報じていた。

歴史に残る立派な総理でしたね。

美味しい料理をいただき21時就寝。

料理は売るけど、媚びは売らないと言う

この宿の方針は決して嫌いなものではない。

本日の歩行距離31,32km。

 

12月1日

5時50分に宿を出る。

隣の夫婦に迷惑をかけないように抜き足

差し足である。

大通りに出る。

最初の信号まで来た。

どちらへ行けばいいのか迷う。

道標もお遍路シールもどこにあるのか

暗くて分からない。

確かこの道を真っ直ぐ行けばいいような

記憶はあるがと地図を見た。

真っ直ぐ行けば283号線、左に行けば

松山自動車道、右に行けば仏木寺である。

私は右に進路を取った。

かなたにコンビニの灯りが見える。

何かおかしい、仏木寺への道にコンビニは

ないはずであるが。

しかし真っ暗で人など何処にも見当たらない。。

道を尋ねるならあのコンビニまで行くしか

ないと歩く。

駐車場で軽トラックでやって来たおじさん

に訊いた。

軽トラならまず地元の人であると長年の

経験で分かっていたから。

あの信号を右に行くと仏木寺に行けると

おじさんは教えてくれた。

実は家に帰ってから調べて見たら、私は

交差点でウロウロしている間に方向がわ

からなくなり来た道を引き返していたのだ。

きつねに騙されたみたいだ。

やはり暗い道は恐ろしい。

仏木寺への道を急ぐ。

今回は県道を通らなければならない。

どれくらい時間がかかるのかわからないので

少しでも先に進みたいと心がはやる。

でも最初で20分ほどのロスタイムが出てし

まった。

右手に老人ホームで朝食をとる老人が見える。

成妙小学校が見える頃にはしっかりと

明るくなってきた。

コスモス街道の花が綺麗に咲いている。

 

私の街のコスモスはほぼ終わっているのに、

やはり四国は暖かいのだろう。

成妙小学校の皆さんが植えたコスモスだ。

花は自分では何もできない存在です

からね、大事に育てて守ってあげて下

さいね。

きっと優しい心が育まれますよ。

しばらくコスモスの花壇が続く。

しかしさらに進むと花を引っこ抜いて

いるおじさんがいた。

何をしているんですかと私が問うと、来年

のチューリップの球根を埋めているんだ

と言った。

まだ蕾が一杯ついているのにねと私が言う

と仕方ないんだもうタイムリミットなんだ

とおじさんは言った。

私も花をやってるからよくわかりますよ。

涙を呑んで引っこ抜くんですよね。

6時50分仏木寺の横を通過。

昨日お参りしてあるだけ早く先に進める。

とうべ屋の看板がある。

 

何も言うまい。

へんろ道の道標まで来た。

やはり通行止めになっていた。

インターネットに、無理して通ったら通

れたと言うのがあったけど無理はしてはい

けない。

人のアドバイスは聞いといた方がいい。

東日本大震災を見てみたまえ。

大きな地震が来たら山に逃げろと言う

先人の教えが活かされていない。

アドバイスした人の利益にならないアド

バイスは聞いといた方がいい。

31号線に舵を取る。

地図で見るとかなりの距離損ではあるが、

山道は時間がかかるので時間的には

大差ないと思う。

へんろ道の出口にも通行止めの表示があった。

 

しかし次の遍路道には通行止めはなかった。

通れるらしいが、私は山道は嫌いであるか

ら歯長隧道へと進む。

トンネルを抜けた直後のへんろ道は御覧

のように倒木が散乱していてとても通れる

状態ではなかった。

 

引き続き31号線を進む。

地図で見るとへんろ道より随分と遠回りになる。

しかし下る一方だから苦にならない。

しばらく行くと雲海が見えた。

 

あのへんろ道に倒木がなかったなら、この美し

い景色は見られなかったのだから怪我の功名

と考えておこう。

それが仏の教えなのだ。

ああ、焼酎が飲みたくなってきたな。

くねくねとした道はやがて左へと向きを転じた。

どんどん行くと、またあの懐かしい強烈な豚糞

の匂いがして来た。

所々に豚舎への道がある。

立ち入り禁止とある。

豚コレラの感染を恐れているのだ。

差し詰め愛知県出身の私など要注意人物にな

るであろう。

へんろ道の出口があった。

通行止めの表示はなかったが、通れるもの

なら通ってみいと言うほどの倒木の山で

あった。

松山自動車道の手前を右に曲がり、歯長地蔵

の前を通り29号線に出た時丁度9時だった。

31号線は滅多に車は通らなかった。

松山自動車道が無料なので皆そちらを通る

とのことです。

左折して明石寺を目指す。

民宿兵頭が右手に見える。

あんな民家のど真ん中にある宿はどうやって

行くのだろうと心配していたが大通りから

行ける道があった。

ここはいつか泊まることがあると思うので

チェックしとかないといけない。

民宿三間から大洲へは一日で行ける。

しかし大洲から三間へは行けないのである。

それは何故かと言えば夜の国道は歩けても、

夜の山道は歩けないからである。

逆打ちで大洲に一泊すれば卯之町では早す

ぎるのでここで一泊というのは充分考えら

れるのだ。

川沿いの道を行く。

川の名は肱川と言う。

どこかで聞いた名だと思い巡らすと、それは

大洲を流れているあの肱川である。

暴れ川である。

それでこの地方の家が道路より1m以上高い

所に立てられている理由が分かった。

時々道路まで溢れ出すのだろう。

しかし地球温暖化の今、溢れた水が民家

まで押し寄せるのも時間の問題であろう。

本当にいやな世の中になったもんだ。

公衆電話があったのでときわ旅館に予約の

電話を入れた。

宿泊はOKだが、食事は出来ないと言う。

それでもいいと私は、躊躇しながら言った。

どうもこの旅館は、日曜日は女将さんの

日曜日のようである。

でも連泊もして馴染みもあるので泊まる

ことにした。

やはり一度泊った宿というのは安心感が

ありますね。

西予警察署の一つ手前の信号を右折し、

宇和高校を過ぎたあたりで左折し、10

時半に明石寺に着いた。

距離は短いが門前の道は険しい。

お参りが終わり、へんろ道を行く。

56号線に出て進路を右に取る。

去年大好物の「カツ丼」を食べた高原食堂

があったが今日は定休日だった。

愛媛県は多くの店は日曜定休だと思い出

した。

しかし開いていたら入ったかと問われれ

ば入ってないと答えただろう。

何分で注文したものが出て来るかわから

ない所は怖くて入れない。

12時宇和パークホテル前を通過。

向かいのコンビニでおにぎりを買う。

これでなんとか大洲に17時に着く目途は

立った。

しかし気を抜いてはいけないと、一生懸命

に歩く。

ちなみに巻末の宿評価によると宇和パーク

は◎○で、これから泊まるときわ旅館も

◎○である。

所々にへんろ道はあるが、無視して56

線を進む。

鳥坂隧道を抜けると大洲の看板がかか

っていた。

下る一方の道を行く。

不思議だ、そんなに登った覚えもない

のにと地図を開くと宇和のあたりは標高

が高いのだ。

それで大洲は洪水でやられたんですね。

ゴルフ場前を通り、北只まで来ると15時

半であった。

私はそこから左に折れ西大洲トンネルに

向かった。

ここのトンネルは、鳥坂と違い歩道があ

った。

やはり歩道があるとホッとしますね。

16時突き当たりの信号を右に行く。

宇和島バスがやって来た。

こんな所までバスは走っているのか

と思ったら近くに車庫があった。

平野駅前を通りホームセンターコメリの

信号を左折し16時38分西大洲駅に着いた。

これで内子ー十夜ヶ橋ー出石寺ー西大洲駅

の前々回のルートと繋がったのだ。

さらに言えばくろしお鉄道平田駅からJR菊

間駅までも繋がったことになる。

無理かなと思っていたが、人間、どうしても

やるんだと言う気持ちがあれば何とかなるも

のだと悟りました。

西大洲駅にタッチ

 

17時03分の汽車に乗り、フジでビールと寿司

2パックを買い、ときわ旅館へ着いた頃すでに

辺りは暗くなっていた。

風呂に入り、この旅初めての洗濯をし、美味

しい寿司をペロリと平らげて21時に寝た。

宿のご主人にも前回ブログのことは伝えて

あったが、ブログも私の顔も全く覚えて

いないみたいだ。

仕方ないよね、ブログの内容を見れば

記憶しようと努力もするだろうけどね。

これでこの旅一番の難関は突破で来た。

明日からは少し楽が出来るぞ。

本日の歩行距離46,96km。

 

12月2日

5時に目が覚める。

洗濯物をたたんでいると紙のようなものが

出て来た。

よく見るとそれは乗車券だった。

大洲駅は鴨島駅や琴平駅同様営業は7時

からである。

それで前日に乗車券を買っておいたのだ

がポケットに入れたまま洗濯をしてしま

ったようだ。

私、しっかりしているようでボケたところ

も結構あるのです。

丸まってしまって大丈夫かなぁと不安で

はあったが6時少し前宿を出る。

ご主人が来てホームページに載せるから

写真を撮らせて欲しいと言う。

私もブログをやってるので顔がばれてし

まうからと丁重にお断りする。

決して顔が不細工だから断るわけではない。

私のブログは楽しいお遍路を紹介し、1人

でも多くの人に四国を歩いてもらいたい

と言う趣旨から始めたもので、名や顔を売

るため のものではないからだ。

それに顔を知られると、お遍路が楽しく

なくなる。

悪く思わんでくれ、ご主人。

夕べから雨が降り続いている。

しかしこの瞬間雨は止んでいた。

まさに天の恵みと駅へ急ぐ。

駅に着くと汽車がやって来た。

5時56分の松山行き普通だ。

急げば乗れたが、乗らなかった。

夢のない、暗い顔した高校生がどっさり

乗っていたら私にもうつりそうだから。

彼らが悪い訳ではない、時代が悪いだけだ。

ホームの写真を撮る。

左側の行先は2つある。

 

新谷と五郎である。

どちらも最終的には松山に行く、珍しい路線

である。

6時05分五郎方面行きがやって来た。

が、私は乗らなかった。

6時16分の特急がやって来た。

私は乗った。

車窓の雨を見ていると車掌さんがやって来た。

丸まった乗車券を見せ、松山までの特急券

を購入した。

車掌さんは私の乗車券を見て、大丈夫で

すよと言った。

6時58分、松山に着いた。

7時23分の普通今治行きに乗り、この前泊まれ

なかったマリーナシーガルの最寄り駅菊間

で降りた。

午前8時、雨は降り続いていた。

この旅初めてのポンチョをスッポリと被る。

とても便利な雨具だと思う。

結構道が入り組んでいて迷う。

菊間支所の職員さんの言う、駅前をしばらく

進んで交わる道をずっと右に進んだ。

そして196号線と合流する。

やがて太陽石油の製油所が見えてくる。

相変わらず、雨だと言うのに煙突から炎

があがっている。

どこのコンビナートを見ても炎はあが

っている。

地球温暖化にもつながるし、石油が勿体ない

とも思うが、あれには重要な意味があるの

だろう。

今度チコちゃんに訊いてみよう。

伊予亀岡あたりまで来ると雨は止んだ。

しかしその後も降ったり止んだりを

繰り返した。

その比率は降2止8の割合であったが私は

ポンチョを着続けた。

雨が完全に上がればすぐにたためるからだ。

言うなれば私は物干しざおのような存在だ。

星の浦海浜公園の手前の信号を渡り、へんろ

道に入る。

この先の国道には歩道がないからこちらを

歩かざるを得ない。

鉄道のすぐ横を通る。

いしづち、しおかぜが時々多くの乗客を運

んで行く。

二日後に旅立った私が公共交通機関を使ってい

たらいたら車窓からご苦労さんと言っている

だろう。

踏切を越え、大西駅を通過し、右折して再び

196号線に戻る。

お遍路シールがしっかり貼られているので

さすがの私も道に迷うことはない。

1kmも歩くと左に行く延命寺への道がある。

狭い、歩道もない、危険な道だ。

そんな道を1,5kmも歩き左に入ると延命寺

はある。

もちろん道標はある。

その前にもへんろ道はあるが、迷うといけな

いので、よした方がいい。

へんろ道は入り口は示してあるが、最後まで

面倒を見てくれない不親切な道もある。

私が遍路道保存協力会の会員だったら100m

に一個はシールを貼って行くだろうな。

「しつこい」と怒られるだろうか。

お昼少し前延命寺に着いた。

再び38号線に戻る。

川の向こうを中学生が通る。

ここへ来るのは四回目だが川の向こうに

歩道を発見大通りまで続いていた。

12時40分南光坊到着。

 

納経を済ませ、ポンチョをたたむ。

プラスチックバッグに入れ、リュックに

収納する。

やはりポンチョは楽である。

いつものように今治駅に寄り構内の公衆電話

で宿の予約をとる。

宿坊にしようか、ホテルバリインにするか

迷ったが宿坊にした。

泰山寺に向かう。

ここで私はまた道を間違えた。

南光坊の道を真っ直ぐ行けば196号線に出ら

れると進んだが途中で道は左に曲がっていた。

右往左往しながら4人に道を尋ね泰山寺に着い

たのは14時を過ぎていた。

地図も見ずに思い込みが原因であった。

宿坊にしておいて良かったと思った。

そうでなければバリインには17時過ぎに

着いていただろう。

12月のこの時期、宿には16時半くらいには

着いていた方が良い。

急激に寒くなるし、夕日はつるべ落としだから。

栄福寺15時到着、へんろ道を通り仙遊寺山門

まで来た。

私はまだこの山門から境内へ登ったことがない。

車道でも大変な上り坂だ。

それが距離にしたら半分以下に短縮されてい

るのだから、その坂のきつさは想像できる。

避けて通りたいのは人の心だ。

しかし私はこの坂を今年は登った。

きついが、想像したほどのものでもなかった。

16時境内到着。

お参りを済ませて宿坊へ行く。

宿帳に記し料金を払い、部屋と風呂の案内を

受ける。

部屋にはテレビはなかった。

昨年もなかったが、私の部屋だけかと思って

いたが、そもそも仙遊寺にはテレビは食堂に

しかないのだ。

おばあさんは食堂のテレビを見てねと言った。

見渡すと浴衣も見受けられなかった。

300円必要ですとおばあさんは言った。

300円払った。

タオルはと訊くとありませんと言う。

またお金をふんだくられそうなので、秋沢ホ

テルでパクって来たタオルを使った。

しぶちんな宿坊だと少々腹が立った。

しかしエアコンだけはよく効いている。

冬の宿で一番必要なのは暖房である。

下手をすれば室内で凍死する。

メイクベッドをし布団にもぐって夕食を

待つ。

うつらうつらとする。

今日までの5日間の思い出が蘇って来る。

18時食堂に行く。

老夫婦とスイス人の夫婦が居た。

いずれも車遍路だと言う。

20分ほど遅れて男性の二人連れが目の

前に座った。

歩きですかと私が訊くと車ですと一人が

答えた。

後はご馳走様をするまで一言の会話も

なかった。

カチャカチャと食器の音が鳴り響くだ

けのお通夜のような食事風景だった。

そもそも車と歩きでは視点が違うから

共通の話題などありゃしない。

さりとて車遍路同士で会話が盛り上がる

かと言えばそうでもない。

こんなのはお遍路さんではなく、お遍道

(おへんどう)さんだ。

ドライブがてら88のお寺に寄ろうとして

いるだけだ。

話題はと言えば、ただ88のお寺を廻って

来たとしか語れないだろ。

彼らはきっと、歩き遍路さんは免許証も

持ってないと思っているんではないかな。

冗談じゃない、殆どの人は持っているし、

家に帰れば自家用車だってある。

やろうと思えば我々だってお遍道さん

にはなれるんだぞ。

ただそんなクソつまらないことはしたく

ないからしないだけだ。

18時40分早々と食堂から退散する。

本日の歩行距離32,37km。

 

12月3日

5時に起きる。

前回、朝のお勤めに遅れてしまい恥ずかしい

思いをしたので早めに準備をする。

顔を洗い歯を磨き、服に着替えいつでも旅立

てる用意をして本堂に向かう。

住職の読経が始まる。

続いて般若心経が太鼓のリズムに合わせて

唱えられる。

私の般若心経に比べると、随分とテンポが速い。

それが終わると一人づつ自己紹介をする。

そして住職の講話が始まる。

仏壇には奥さんの遺影の他に、去年までなかっ

た遺影もある。

今年亡くなった住職の母堂(99)である。

次から次と凶悪な事件が発生している。

これは人を思いやる気持ちがない人が

増えているからだ。

どうか皆さん広い心を持って生きてくださ

いと言うような説法だった。

去年よりあっさりした内容で好感が持てた。

早速食堂に戻りおかゆを食べて出発する。

食堂のおばあさんに挨拶をする。

最初は金ばかりせびるクソババアだと、第一

印象は悪かったが、何度か接しているうちに

いい人だと思えるようになってきた。

しばらく見てると人間は真価がわかりますね。

別に車遍路が悪い訳ではないが、つまらない

仙遊寺の一夜も彼女がいてくれたお蔭で救わ

れた気がします。

スケジュールが合えばまた来るからね。

急激な参道を下りる。

山門を出るとすぐに右側にへんろ道の道標

がある。

きちんと整備されたへんろ道だ。

山門を出たのであるから仙遊寺の仕業では

ないのだろう。

丸太の階段が高い。

昔の日本人の体型には拷問に近い。

股関節脱臼を起こさないように、いつぞや

外国人女子から教わった横向きで降り

て行く。

本当に短足は辛い、見た目も悪い。

でも性能は抜群だ、4度のお遍路で一度

も足を痛めたことはない。

最初の大通りを横切る。

2本目の大通りは工事中だった。

警備員はへんろ道は真っ直ぐですよと

言った。

突き当たりの道を右に折れる。

ほんの少し行って左に折れる。

196号線まで来た。

去年ここを女の子と渡った記憶がない。

押しボタンを押して渡る。

数百メートル行った辺りで記憶が蘇って

来た。

この辺りで仙遊寺で一緒だった子に会ったのだ。

156号線を右に行く。

踏切を渡る。

ここらでブログを知らせた。

特急がやって来た。

3日後に旅立った私が窓から手を振った。

私も振った。

突「猫さん、病院へ行きましょ」

30分ほど歩くと国分寺に着いた。

 

この階段の上で2人の写真を撮った。

あの写真、とっくに消してあるでしょうね。

お参りが終わり、私は小松を目指した。

あの後彼女はどうしたのだろうか。

私は推理をした。

JR伊予桜井駅乗車説。

彼女が追い着けるよう、私はゆっくり歩

いたが影さえも見えなかった。

これはない。

JR伊予富田駅乗車説。

11時11分発高松行きがある。

国分寺からバスで今治駅行き説。

これだと10時45分乗車、今治に11時14分着

で高松行きは既に出ている。

次の便は12時02分発の特急であるから高い

バス代や特急券を使って行く意味がない。

しかしよく見ると国分寺から伊予富田駅とい

うバスがある。

11時01分発で伊予富田駅には11時10分に

着く。

これだ、これに彼女は乗ったに違いない。

これなら歩かず楽出来ると。

そして彼女は・・・電車に・・・乗り遅れた

に違いない。

彼女のスケジュールが事前にわかっていれば

アドバイスしてあげられたのに。

バスは常に遅れる。

そしてJRは定刻通りにやって来る。

11分の高松行きに乗りたいのなら伊予富田駅

まで歩きなさいと。

そして11分に乗り遅れた彼女は12時39分初

の観音寺行きに乗った筈だ。

どうだ完璧な推理だろうが。

突「彼女が読んでいたら笑ってますよ。だか

ら競馬が当たらないのだと」

そうか。

女の子はチャッカリしてるから一駅でもケチ

ろうと伊予桜井駅まで歩いた。

距離的にも富田より桜井の方が近いし、仮に

国分寺境内に20分滞在しても十分に高松行き

には間に合うな。

これが正解だな。

9時20分国分寺を出る。

道中に左から来る道が3本あるが、すべて

右へ行く。

何故か右へ行くのは今治に戻るような錯覚に

陥るが、それは錯覚である。

突き当たりの196号線を左に行く。

桜井漆器会館の前を通りバス停孫兵ヱ作の

信号から右へ行くとへんろ道であるらしい。

しかし次のバス停蛇越池から右折した方が

道に迷わずに済む。

行ったことはないけど地図ではそうなっている。

西条市に入る。

 

去年同様デイリーヤマザキに寄ってパンを

2個買う。

価格は333円であった。

ムム、何かいい事が起きる予感がした。

歩道を東に進む。

100m先におばあちゃんがいた。

自転車から降りて荷物をいじっているようだ。

ゴム紐でも外れたのかなと思っていると、

おばあちゃんはお接待ですとリポビタンDを

下さった。

 

おばあちゃんは私も8回ほど廻ったんですよ、

もう年だから今は出来ませんけどと言った。

嬉しかった。

自分が飲もうと買って来た数本のリポビタン

の内の1本を下さったのですね。

呉れる訳はないけど、デヴィ夫人がお接待で

すと一万円くれるよりも心情的にははるかに

嬉しかった。

おばあちゃんの8回のお遍路話をたっぷりと

聞きたかったが時間がないのでお礼を言って

別れた。

頑張って下さいよとおばあちゃんは言った。

ありがとうね、おばあちゃん、あなたの愛は

また被災地への義援金に替わると思います。

愛は天下の回り物ですものね。

壬生川駅前の信号まで来た。

右折して駅に向かう。

駅前と言っても駅まで500m以上はある。

駅に着くと12時25分だった。

特急は10分前に出たばかりだ。

恐らく道中、シャカリキになっても間に合わ

なかっだろうと思うから悔いはない。

次は12時56分発の観音寺行きだ。

女の子が乗ったかも知れない伊予富田12時

39分の便だ。

なんだそれならここまで歩けばよかったんだ。

私は駅員に観音寺には何時に着きますかと

訊いた。

14時33分だと言う。

次の特急だと何時に着きますかと言う

問いには14時07分だと言う。

それでは特急で行くしかないかと視線を

あげるとベンチの片隅にお遍路さんがいた。

いよいよ登場ですよSさん。

何処へ行くのですかと訊くと伊予三島駅

までと彼女は答えた。

出来れば三角寺までと言いたげな口ぶり

でもあった。

彼女も特急にするか普通にするか迷って

いたようである。

私は再び駅員に、この普通で行って、特急に

乗り換えるとしたらどこまで行けますか

と訊いたら伊予西条駅だと言う。

肌寒い駅舎で待つより暖房の効いた鈍行の

方が良いと私たちは56分の電車に乗った。

車内は高校生がひしめき合っていた。

二人用のドア近くの座席に座っていた女

子高生が立ち上がって席を譲ってくれた。

恐らく高校は今テストの時期であろう。

私たちはとりとめのないお遍路談義を

始めた。

きっと高校生たちは私たちを夫婦と見て

いるだろう。

ほんの数分前知り合ったばかりだが、夫婦に

見えてしまう、これがお遍路同士と言うもの

なのだ。

伊予小松駅で沢山の高校生が降りた。

しかし同じ数くらいの高校生が乗って来た。

全便これくらいならJR四国も安泰なんだろ

うけどねと言うと彼女は笑った。

伊予西条駅に着いた。

電気検測試験車が来た。

 

私たちはそれぞれの特急券を買った。

観音寺まで1200円だった。

しかし高いとボヤいていては、お遍路は

出来ない。

そんな人はディズニーランドでも行くがよい。

特急が来た。

あなたの方があとになるのだからと、彼女は

私を窓側に座らせてくれた。

お遍路さんによくある爽やかで強さを持った

女性だった。

私は、今回は別格も廻っているんですよと

納経帳を見せた。

残るは18番海岸寺だけですと言うと、あそ

こは山門に金剛力士でなくて相撲力士が

祀られているんですよと言った。

別格って結構名刹が多いんですよねと言

うと、ほんと、どうしてこれが88ヶ所に

入らないのか不思議なのがありますね

と言った。

特に仙龍寺なんて素敵でしたと言った。

仙龍寺にはどうやって行きましたかと

訊くと三角寺から裏山を登って行った

と言った。

私でも恐れて登らなかった三角寺からの

へんろ道をこの人は行ったのだ。

結構公共交通機関も使っているけど

お遍路さんとして認めてあげる。

彼女はこの先の三角寺を今日中に打つの

かどうか迷っているようであった。

13時50分伊予三島駅着。

宿に荷物を置いて歩けば納経時刻内には

ほぼ間違いなく着くであろう。

しかし帰りの山道で暗闇を迎えるであろう。

暗闇の山道は非常に危険である。

帰りはタクシーにするのが賢明であろう。

もし私が歩き遍路でなければ14時30分の

バスに乗り三角寺口から歩きます。

16時にはお寺に着いて16時半にタクシー

に乗って帰ります。

宿には17時には着きます。

伊予三島駅に着いた。

彼女は挨拶をして降りて行った。

勿論ブログは壬生川駅で伝えてある。

もう2度と逢うことはないのだから破いて

も構いませんよと言って。

ラグビーワールドカップの行われた東京都

調布市の人だった。

私もワールドカップの豊田市である。

ついでに言えば彼女が初めてお遍路に来て

一緒に回ったのが岡崎市の人だったとか。

やっぱり何か縁があるのですね。

東京の人はこれで4人目だが、皆郊外の

人ばかりだ。

この旅初めて出逢ったお遍路さんでとても

楽しいひと時を過ごさせてもらいました。

ちなみに田園調布と調布市は別物ですからね。

そんなにお金持ちに見えなかったもの。

すいませんSさん。

14時07分観音寺着、前々回観音寺神恵院は

打ってあるのでここから本山寺に向かう。

まだ宿が決めてなかったので公衆電話から

ほ志川旅館に宿をとる。

駅前の道を右に行き踏切を渡り237号線に

入る。

吉岡郵便局の次の信号を左折した辺りで

道に迷う。

それでも15時20分本山寺到着。

お参りを終えて15時35分スタート、国道

11号線に入る。

気温は10℃だが長袖1枚で歩く。

何故私がほ志川に宿を取ったかと言えば

国道近くでわかり易いからだ。

他の2つの旅館は駅前で、経験上こういう

宿は捜しにくいから敬遠した。

それとやはりスーパーですよね。

地図を見るとほ志川はマルナカの近く

である。

最近はお遍路さんが少ないもので素泊まりの

旅館が増えているからこうなるのですよ。

少人数のお客に料理を振舞うと赤字に

なるんだと思います。

またしても私は壬生川駅で強烈に印象に

残る人に逢った。

この前の娘さんといい、壬生川駅は私に

とってパワースポットとなりつつある。

それにしてもあのお遍路さん、何故あの

時刻に壬生川駅に居たのだろうか。

私は推理をしてみた。

突「また病気が始まった」

彼女が壬生川駅に居たということは、どこか

から電車以外の手段で来たということだ。

電車で来たのなら何もここで降りる必要はない。

そのまま伊予三島まで乗り続ければいいのだ。

国分寺から来た説

彼女は一昨日の朝仙遊寺を打ち、同日横峰寺

にバスで行ったと言った。

その人がまた国分寺へ戻ると言うのは不自然だ。

これはない。

別格から来た説

しかしながら彼女はある目的を果たし、この

駅に来たはずである。

彼女は横峰寺登山口でバスを待っていて車遍路の

人に西条駅まで乗せてもらった。

時刻が早いので小松まで来て61番から64番

まで廻り小松旅館に泊まった。

翌朝電車で壬生川まで来てバスを使い別格10番

11番を廻った。

時間的にピッタリ合っている。

壬生川にある目的地と言えば別格しかないのだ。

どうだ、見事な推理だろ。

突「Sさんが腹抱えて笑ってますよ。お前は

アホやって」

しかし別格の帰りだと言うのは確かだろ。

そんな推理をしているとスーパーに着いた。

どうもおかしい。

向かいにコンビニがある。

しかし地図は古い。

スタンドが潰れてコンビニに変わるってのは

不思議なことではないと、目を凝らして見ると

それはスーパーマルヨシだった。

次の信号がマルナカで、缶ビールと夕食とキム

チを買った。

少し迷い、近所の人に訊いて旅館に着いたのは

17時を少し過ぎていた。

いつものようにビールを飲み夕食を食べ21時

には寝た。

本日の歩行距離35,10km。

 

12月4日

6時にひっそりと宿を出た。

あたりはまだ暗い。

このままへんろ道に入れば道に迷うことは

必至である。

11号線を明るくなるまで歩き、それから

へんろ道に入ることとした。

30分程歩くと明るくなってきたので左折して

へんろ道に入る。

民家の並ぶ生活道路を黙々と進む。

途中で道標を見落としたのだろうか、道を

間違えてしまった。

この旅7度目の迷子である。

48号線まで行くと道路警備員がいて、右に

500mほど行くと左への道標がありますと

おしえてくれた。

言われた通り進み「ふれあいパークみの」

への車道を進む。

途中からへんろ道を進みまた車道に出て

弥谷寺への階段付近までやって来た。

ここから五百段近い階段が始まるのだ。

一服やって気合を入れる、気合いだ気合いだ。

階段を登る。

初めて来た時に比べると随分楽である。

いつか最御崎寺の宿坊で会った人が言っ

ていた。

坂道は年齢ではなく慣れなんだそうだ。

焼山寺に週2回登っていれば心肺能力も

高まるでしょうね。

やがて納経所に着いた。

本堂をお参りしてから来てくださいと

断り書きがあった。

本堂はまだ先なので、ズルをする人が

いるのでしょうね。

そのズルを矯正するために来ているんだ

からズルをしてはいけません。

本堂をお参りし引き返して納経所へ行く。

ここは仙龍寺と同じで靴を脱いで納経し

てもらうお寺である。

太子堂とお大師様をお参りしてから納経

をしていただく。

8時、曼荼羅寺へと向かう。

へんろ道は最初上り坂となっている。

それから落葉を敷き詰めたような下り坂と

なっている。

大きな窪みがあったり、木の根っこが地表に

浮いてたり、折れ枝があったりしてと

ても歩き難いへんろ道であった。

私は2度大きな遍路転がしに遭ってしまった。

が、リュックがショックアブソーバーの役目

を果たしてくれて大事には至らなかった。

車道に出て、高松自動車道をくぐり、2つの

池の間を抜けて11号線に出た。

すっかりお馴染みになった道である。

9時曼荼羅寺着。

いつもは出釈迦寺へ行く裏口から入っていた

ので今回初めて山門から入ってみた。

 

15分程で出釈迦寺へ向かう。

この坂も結構きついので、心配能力の向上に

繋がります。

団体さんがワンサカといたので納経所へ

先に行く。

納経所の人は団体さんの納経はもう終わりま

したよと言った。

本堂をお参りし、太子堂へ行こうとしたが団体

さんに占領され近づくことも出来なかった。

全員で般若心経を唱え始めた。

それが終わると別のお経をあげた。

私は太子堂を諦め、甲山寺へ向かった。

本当に団体さんには困ったものだが、札所から

したら上得意様なのだから仕方ない。

曼荼羅寺の前を通る頃、団体さんのバスがやっ

て来た。

民家の間を通って県道48号線に出る。

1kmも歩くとへんろ道の道標があり左へと

入って行く。

比較的わかり易いへんろ道である。

甲山寺に着くとまたしても団体バスがやって来た。

私はまたしても納経所行きを余儀なくされた。

が、今回は私の方が少し早かったので本堂も太子

堂もお参りすることが出来た。

善通寺へ向かう。

正門を出てお遍路橋を捜したがどこにも

見当たらない。

地図で見るとへんろ道から入った門を出なけれ

ばこの橋を渡れないことが分かった。

私は橋のある方へ戻った。

48号線に戻り歩いているとおばあさんが、

頑張って下さいと激励してくれた。

やはりお遍路の楽しみはお遍路さん同士或い

は地元の人とのふれあいに尽きます。

誰もご利益など願って歩いているお遍路

さんはいないと思います。

しかし年年歳歳歩き遍路さんは減り、優

しいお年寄りもいなくなれば、やがて車と

観光バスの遍路だけになるのでしょうね。

地元の人とドライバーの交通トラブルもどん

どん増えて味気ないお遍路になるでしょう。

何のためのお遍路かわからなくなります。

やがて右折し、信号を越えてしばらく歩

くと善通寺の境内が左右に見えます。

まずは太子堂、納経所のある右の境内に

入りました。

その時です、何度も見かけた団体バスの添

乗員の顔が見えました。

またしても私は納経所へ駆け込みました。

ん、ここは駆け込み寺か。

納経所は別の団体の納経をしていました。

もう一つの方では夫婦が納経帳、掛け軸、判衣

に朱印をいただいている。

これが沢山あるので7分ほど待たされた。

噂によるとこれらは結構な高値で売れるのだ

そうだ。

これで旅費をチャラにしようと言う魂胆だな。

お大師様が泣いておられるぞ。

お参りが終わり、境内で早い昼飯を食べる。

時刻は11時半である。

出釈迦寺からここまでずっとバスに追いかけら

れて来た。

バスってのは団体だから機動性がないのですね。

歩き遍路よりものろい。

次は琴平駅を目指す。

本堂南門を出る。

いつもなら最初の左への道を駅に向かうのだ

が、そのまま直進する。

陸上自衛隊善通寺駐屯地があった。

写真を撮ってもいいかと隊員に訊くと、それは

困ると言われた。

じゃ、正門をアップで撮るからと言うと、それ

なら構わないと言う。

バシャリ。

 

私はロシアのスパイではありませんからね。

次の信号を左折し47号線に入りすぐに左へ行く

道に入る。

あとは一本道が続く。

やがて市街から来た道と合流し土讃線に沿って

歩く。

右手にJAが見えて来た。

資金が不安なのでキャッシコーナーで卸す。

地図で見るとこの道は土讃線と少し離れて見

えるが実際は線路と5mくらいの距離にある。

今度土讃線に乗った時、私はこの道を歩いたん

だなと思うのだろうな。

勿論、線路の向こう側には25号線が琴平に

向かっているが、信号もないし交通量も殆ど

ないのでこちらを通る。

しかし南部公民館のあたりから線路を越えて

319号線に入る。

まだこの道はしばらく続くが、何となく不安を

感じるので大通りを行く。

再び線路を渡り、琴平温泉琴参閣の辺りで

左に折れる。

左手に琴電琴平駅が見えるが目的地はここで

はない。

目の前のJR琴平駅である。

10月に私はここから神野寺を目指した。

これで琴平駅にタッチすれば善通寺と

神野寺が繋がるのだ。

琴平駅にタッチ

 

時刻は13時30分、長居は無用である。

とんぼ返りで来た道を金倉寺へと引き返す。

途中の公衆電話からチサンイン丸亀善通寺

へ宿の予約を入れる。

さしたる見る物もなくお遍路さんにも

逢わず金蔵寺駅近くの交差点を右折する。

しばらく行って左の金倉寺に入る。

駅名は金蔵寺、寺の名は金倉寺だ、間違えない

ように。

時刻は16時近かった。

お参りを終えて出口に向かう途中に休憩所

があった。

中を見ると流しがありガスコンロもあった。

カップヌードルなら作って食べられるんじゃ

ないかな。

でも宿泊は出来ないみたいである。

寒くて死んでしまう。

駐車場から33号線に入り右へ行く。

スーパーのプラントで夕食とビールと、それ

に手袋も買った。

次の目的地には遠くなるし、料金も高いが

チサンにしたのはやはりそばにスーパーが

あるからです。

コンビニのつまみはつまらないものが多い

ですからね。

17時過ぎ、ホテルに到着。

素泊まり6800円の料金を払い2階の

部屋に入る。

ビールを飲み、ミラクルナインを見て21時に

眠る。

本日の歩行距離38,10km。

 

12月5日

6時にホテルを出る。

ホテルの前の道を左に行き11号線に入る。

左に折れ18番別格海岸寺を目指す。

寒いのは寒いが5℃くらいはあるので奥歯が

ガタガタすることはない。

しかし手がかじかむので昨日買った手袋は

つけた。

しばらく行くと11号線は高架橋となる。

向こうから来た人に歩道はついている

のかと訊くと、ない、危ないから下を通っ

た方がいいですよと言われた。

確かに下にも西へ行く道はあるので教え

られた道を行く。

やがて再び降りて来た11号線と合流し、その

歩道を行く。

更に進むと33号線と交わり、33号線はその

役目を終える。

右手に大きな池が見える。

この辺りはやたらと池が多い。

その理由は雨が少ないので灌漑用に作ってある

のだそうです。

そして雨が少ないので小麦が多く作られうど

ん県になったのだそうです

確か林先生の同僚の丸顔の先生が言ってました。

あの先生のが林先生より頭がいいですね。

突「一言多い」

すいません。

海岸寺へ行くルートはいくらでもある。

一番距離が短くて、間違いの起きにくい道は

もう少し行ってセブンイレブンの所から右折

するルートです。

しかし次の信号の所で、海岸寺への道標がこっ

ちへおいでよと私を誘惑して来た。

しかし私は無視した。

この道を行くと海岸寺までの道が途中まで

しか掲載されていないのだ。

あの見えない部分に何が待ってるのかわか

らないのでパスするのだ。

2kmほど歩いてセブンとスタンドの所を

右折する。

道は狭い。

その割に朝の通勤車両が多い。

すり替われない狭さなので対向車は広い

所で待っている。

予讃線を渡り川の手前を左に行く。

21号線に出て左にほんの少し行くと海岸

寺である。

しかし信号がないので歩道を渡るのに

一苦労である。

通勤時間帯なので車も仲々止まってくれない。

是非ともここに押しボタン信号を作ってもら

いたいもんだ。

山門には噂の通り相撲力士像が祀られている。

 

お参りをして納経所に行く。

あの力士何なのですかと訊くと、あれはこの

地方出身の力士、琴ヶ浜と大豪ですよと納経

所の人は教えてくれた。

内掛けが得意の業師琴ヶ浜は知ってるけど、

大豪ってのは知らないなぁと言うと一度

優勝してるんですよ若三杉という四股名で

と彼は言った。

相撲が好きな人のようで、白鵬に話題は

移った。

もう今年で終わるかと思ったけど白鵬は

強いですね、と言うかけいこ熱心で常に

相手の研究を怠りませんねと私が言うと彼は、

毎日2時間はビデオを見て次の相手のこと

を研究しているそうですよと言った。

若い衆がそれをやらなければいけないのに

遊び惚けているから当分白鵬の天下は続き

そうですね。

山門でもう一度力士像を見る。

怖い横断歩道を渡る。

21号線を東に進む。

若三杉か、思い出したぞ確か初日に負け、そ

の後14連勝して優勝したんだ。

将来は横綱と嘱望されたがその後は伸び悩んだ。

色白のイケメン力士だっただけに遊び過ぎた

のかな。

しかし両力士とも昭和の力士だ。

それ以前あの山門には何が祀られていたの

だろうか。

それよりも住職が勝手に寺をいじっていい

ものだろうかなどと考えながら私は歩いた。

これで別格の20のお寺は終わった。

開創50周年のお札も揃った。

別にこれは私の趣味ではないが、たまたま

50周年だったので集めてみた。

大山寺、慈眼寺、出石寺、興隆寺、仙龍寺、

大瀧寺など苦労して行ったお寺は特に記憶に

残りますね。

地図によると海岸寺から道隆寺までは2,9km

とある。

しかし、疾うにそれくらいは歩いているにも

かかわらず、多度津駅から来る道と出会わない。

また、やっちまったのかなと考えていると

右へ行けば道隆寺という道案内標識があった。

道路工事をやってる人に訊くと、このまま

行けば道隆寺に突き当ると言う。

不安ではあるが行くしかない。

少なくとも私が今歩いている道は多度津駅

から来る道と交わる道ではない。

きっと道案内を見落としていたのだ。

だって海岸寺前の道が21号線でしょ、道隆寺

前の道も21号線なのだから2つの道が繋がっ

ていると思うのが当然でしょ。

これも2つの地図が別のページにあって、繋が

っていないから起こる間違いである。

よく見ると確かに21号線は丸亀方面にも

あるからこの道はそちらへ行く道なのだ。

この辺りは同じ号線の道が何本もあって

ややこしい。

黄色い本を持ってる人にしかわからない

話をしてしまいました。

踏切がある。

右を見ると予讃線を跨ぐ道がある。

そしてその先に多度津駅が見える。

しばらく行くと道隆寺北の信号まで来た。

少し距離はあるが、道さえわかればこの

ルートの方が便利かも知れない。

山門へ回る。

去年お接待を受けた門前のお店に寄った。

目に良いというお茶を出してもらった。

とても美味しいお茶だった。

最近パソコンのやりすぎで視力も落ちている。

こんな美味しいお茶で目が良くなるのなら

と思ったがずっと飲み続けなければならない

ので諦めた。

かわりに「七七まんじゅう」なるものを買った。

勿論試食をしてからである。

山門で一礼をしてから境内に入る。

お参りをしてから納経所に行く。

歩きですかと訊かれる。

勿論です、歩くのはとても気持ちがいいで

すからねと言うと、皆さんそう仰いますね

と納経所の人は言った。

77番札所道隆寺を出る、10時だった。

モスバーガーの所から右折して次の信号で

左折する。

去年は通らなかった道だ。

途中にへんろ小屋があった。

去年も立ち寄った記憶がある。

早速七七まんじゅうを頬張る。

こしあんではあるが、切れのある甘さで

とてもおいしかった。

落書帳に何か書こうと思ったがケースに

鍵がかかっていて出せなかった。

こういう所の落書帳ってみんなこうなって

ますね。

存在の意味がわからない。

丸亀の市内は縦横に道路が走る。

出くわす信号がことごとく赤で仲々前に進

めない。

右手に丸亀城が見えた。

赤信号だったのでカメラに納めた。

 

33号線を進む。

郷照寺への目安は山へと登って行く194

号線だ。

これが見えればお寺は近い。

道路を跨ぐ194号線が見えて来た。

その前の信号で赤になった。

急いで右の歩道に移る。

赤信号 皆で渡れば 怖くない

と昔ビートは詠った。

現代では

青信号 皆で渡れば 皆殺し

怖い時代になったものだ。

郷照寺11時50分到着。

一通りの所作を終えて12時05分寺を出る。

浦郵便局の前に公衆電話があった。

去年も使ったこの電話で宿の予約

をする。

ボタンをプッシュする。

ピポパと音がしない。

3度やっても結果は同じだった。

郵便局に駆け込む。

局員がやっても同じだった。

壊れてますね、すぐには直らないと

思いますけど連絡しときますと言った。

予約も出来ないまま先へ進む。

予讃線の下を通り、へんろ道を進み坂出

の入り口へとやって来た。

 

ここからしばらく商店街が続く。

右手には潰れてしまった宿が並ぶ。

廃宿や お遍路さんの 夢の跡

きっと昔はお遍路さんで賑わっていたので

しょうね。

3kmほどの繁華街を歩いた。

途中で1人のお遍路さんと出会った。

ほんの少ししか会話は出来なかったが

彼は今日は坂出に宿がとってあると言っ

て左の方へ去った。

白峰寺でも行ったのだろうか。

予讃線を渡る。

三叉路を右に上がると白峰宮、その境内を

降りると天皇寺である。

14時天皇寺を後にする。

なんとか国分寺までの目途は立った。

しかし電話は依然として見つからない

ので予約はないままである。

線路沿いのへんろ道を2kmほど進み、再び

予讃線を横切る。

地図ではスーパーになっている地点だ。

しかし実際はクリーニング屋だ、それも

とっくに廃業している。

33号線を右に行き鴨川駅前から左折して、

橋を渡ってから右折する。

 

寒い風を遮る丈の長い草のある階段で

私は残りの七七饅頭を口に運んだ。

そして暖かい日射しの中で私はしばし

微睡(まどろ)んだ。

豊田を出て来て今日で8日目。

しかし1ケ月前の遠い昔のことのように

感じられる。

いつかチコちゃんで、年を取ると月日の

経つのが早いのはどうしてかとやっていた。

チコちゃんによると、中身のない人生は速

く感じるのだとか。

してみるとお遍路っていうのは中身が濃い

んですね。

突「でも楽しい時間は速く過ぎるって

言うじゃないですか」

それとこれとは次元の違う話でしょ。

ガソリンスタンドを過ぎたあたりから11号線

に入り1,5kmほど行ってから下に降りる。

左から降りると、より便利な道があるよう

だが11号線にはずっと横断歩道はない。

なので最初に入った時に左の歩道まで行っ

とくことをお薦めします。

国分駅の前を通る。

やっと公衆電話が視野に入った。

今さら、目と鼻の先にあるえびすや旅館

に電話しても意味はない。

イヤミな公衆電話だ。

15時45分国分寺到着。

お参りを済ませて納経所へ行く。

もう宿は決めてありますかと納経所の人

は言った。

まだです、すぐそこのえびすやさんにしよう

かと思っているんですがと言うと、えびす

やさんは予約なしのお客さんは絶対とり

ませんよと言われた。

それでも一応はあたってみようと行くと、

あっさりとOKが出た。

夕食もOKとのこと。

風呂に入り久し振りに洗髪する。

古い旅館だが、我が家へ帰って来たよ

うな温もりを感じる。

ふすまを開けると、隣の部屋の人がいた。

心臓が止まりそうなほど驚いた。

しかしそれは鏡で、隣の人は自分の姿

だったのでさらに驚いた。

なんでやねん。

これはいけない。

びっくりして今に本当に死人が出るぞ。

夕食に行く。

今日の客は私を含めて男性3人だった。

皆60代で、女将さんに言わせればお遍路さ

んとしては若いのだそうです。

1人は5年振りのお遍路再開と言ってたし、

1人は高知県在住で自転車で廻っている

とのことでした。

皆よく喋る人で話題には事欠きません

でした。

ついでに女将もよく喋る人なので

とても盛り上がる夜でした。

きっと女将さんもこれだけ喋る客だと

仕切るのも楽だと思います。

すっかり気に入り、また今度も泊まりたい

と思う宿でした。

巻末の評価は✖と△ですが私は◎です。

評価の低いのは宿の古さだと思います。

人も宿も外見より中身ですよ。

やはり女将はお遍路の事情に詳しい方が

客は寄って来ると思います。

ビールを2本飲みご飯も二杯食べ21時に

床に就いた。

ああ、とても幸せ。

本日の歩行距離37,98km。

 

12月6日

5時に目が覚めた。

暗い山道は危険なので6時の朝食をとって

から出かけることにした。

自転車の人は鬼無から根香寺に向かうと言

っていた。

登れない坂ではない。

もう一人の人は白峰寺と根香寺を打って

今日は百百屋旅館に泊まると言っていた。

私は一宮寺まで打ってサンシャインホテル

に泊まると言った。

お遍路に詳しい女将は、サンシャインに

は納経時刻はないからねと言った。

朝食が終わり、お互いの健闘を祈って

別れる。

六時半に宿を出発、左に向かう。

突き当たりのラブホテルを左に折れる。

料金表のところにおひとり様もOKと

書いてある。

明らかにお遍路さんを意識した表示だ。

やですよ、いくら3000円でも。

夕べ男女がこのベッドで寝たかと思うと

落ち着いて寝てられやしない。

しばらく真っ直ぐの道が続く。

地元の散歩者に数人会う。

この辺りは散歩する人が多い。

特に山に登って行く人も毎年数人見かける。

ふと屋島中学の少年の顔が浮かんで来た。

あの時何とか言う書店が潰れていたから

私は道に迷ったのだな。

あの書店何て言ったかな、明屋書店じゃな

いし、と思い出そうとしていた時突き当た

りの家の表札が宮脇であった。

そこで宮脇書店を思い出した。

ネタではなく事実ですよ。

右へ折れ50mも行かないうちに左に折れた。

坂は少し急になった。

そして山道に入る所で降りて来る1人の男性

に逢った。

男性はお接待です、と飴玉を下さった。

 

毎日散歩する時、用意しているのですね。

有難うございますと、私は受け取った。

これから山を登る所で、とても元気を頂

きました。

感謝、反省、精進これが私のモットーです。

車道に出て、しばらく歩き自衛隊の立ち入り

禁止の立札の向かいのへんろ道に入る。

悪路である。

特に雨の日は不良へんろ道になる。

1kmも下ると白峰寺である。

8時40分のことだった。

山門で一礼し境内に入る。

向こうからかわいい猫ちゃんがやって来た。

洋猫のような目のクリクリした猫ちゃん

だった。

しばらく遊んでもらってから本堂に向かう。

長い階段を登り本堂太子堂とお参りする。

納経を終えて山門まで来たが、もう猫ちゃん

の姿はどこにもなかった。

山門を出る。

お接待と猫ちゃんにもらった元気でグン

グンと根香寺への坂を登って行く。

悪路の最中に1つの石碑をみつけた。

 

インターネットで調べてもこの文字のフリガ

ナは見つからなかった。

きっと誰も知らないのだろう。

げじょうと言う。

結願も近いここからは聖域である。

だからどんな身分の高い人も馬から降りて

歩きなさいという地点なのです。

競馬では下馬(げば)と言うが。

そう言えば昨夜、宿の女将がこの辺りから

朱印を押した掛け軸や白衣が奪われる

事件が起きると言っていた。

さんざん金を使わせた白衣を奪って、残り

は自分で札所を廻って仕上げるのだそ

うです。

下乗からそんなことを思い出しました。

根香寺へのへんろ道で、宿で一緒だった人

とすれ違った。。

どうしたんですかと私が訊くと、彼は車道に

あがり、そのまま向かいのへんろ道に入って

19丁まで行ってしまい、そこであった人に

白峰寺の方向を教えてもらったと言った。。

黄色い本は持ってないんですかと訊くと

持ってないと言う。

分かっていればねぇ、夕食の時に懇切丁寧に

教えてあげたのに。

でもいいか、今夜は百百屋だからいい暇つぶ

しが出来たかも知れない。

ごめん。

車道に出る。

しばらく行くと食堂がある。

いつ見ても客はいないが大丈夫なのかな

このお店。

再びへんろ道に入り、根香寺まで下って行く。

けったいな怪獣の写真を撮った。

 

名を牛鬼と言う。

鬼が牛に産ませたハーフである。

いや、牛が鬼に産ませたのかも知れない。

山中に住んでいたが時々人里に現われ民衆を

苦しめたので、ある日弓矢の名人に仕留め

られた、とある。

そんな馬鹿なと言ってはいけない、こう言う

話は素直に信じましょう、大人なんだから。

10時30分境内に入る。

まずは階段を下る。

それから幾つかの階段を登り本堂の回廊

を廻る。

全国から寄贈された小さな仏像が並ぶ。

やはり愛知県は金があるのだろう、圧倒的

に多い。

本堂を参る。

続いて太子堂をお参りして納経所へ行く。

帰り道美しい紅葉を見た。

 

上手な人が撮ればもっときれいなんで

すがね。

山門を出て一礼をする。

11時だった。

来た道を戻る。

へんろ小屋の辺りで平成の遍路石を発見する。

しかし向かう先は草ぼうぼうだった。

行くかやめるか私は迷った。

へんろ道を行こうかな それともやめよかな♬

結局私は行かなかった。

地図にはないへんろ道だ。

道に倒れて誰かの名を 呼び続けることに

でもなったら大変だと思って。

正式な鬼無への車道に戻る。

13時20分だった。

何故鬼無と言うか知ってるか。

牛鬼を退治していなくなったからだ。

私の作り話です。

車道やへんろ道が交互にやって来る。

膝が笑うほど急な下りではない。

去年道を間違えた箇所までやって来た。

間違えた理由が分かった。

 

右への矢印は車用、左のそれは歩き用

だったのだ。

しかし運転席から見てこれが見えますか。

まさか、これが車用だとは知らなかった

ものだから私は右に行ってしまったのです。

失敗は成功の基、今回は左に行く。

少し行って右へのへんろ道に入る。

遍路札が一杯ぶら下げてあるのでよく

わかります。

山道ではないが、ここは膝が笑いそうな

ほどきつい下り坂だった。

私は、へたな諺ギャグで、膝の笑いを

押さえた。

腹が減っては 淋しいなぁ

雨降って野球中止

為せば成るとは限らない

勝って兜のフンドシをしめてかかれ

雀百まで生きられるわけがないだろ

膝はクスリとも笑わなかった。

そのかわり、靴がスベッた。

池の横を通り、墓の前を進む。

へんろ道は墓場をよく通る。

そして道標通り右折し高松西高の道に出た。

ここらは盆栽業が盛んなので盆栽通り

とも言われているらしい。

私には、あんな爺臭い趣味はない。

あんなの植物の虐待じゃん。

突「怒られますよ」

11号線に出て、左に200m行く。

目当ては鬼無駅だ。

私は前回ここから香西寺を打ち、そして

戻った。

鬼無駅にタッチすれば平田駅から香西寺まで

繋がるのだ。

鬼無駅にタッチ

 

来た道を戻り一宮寺を目指す。

迷いやすい道のようだが、不思議と間違わない。

また今年も飯田の接待所に立ち寄る。

でもいつも迎えてくれる人はいない。

お湯を飲み、梅干しをいただく。

ここの梅干しは抜群に美味しいのだ。

しかし気を付けて欲しい。

無人の接待所だ。

世を拗ねた奴が、毒を盛るかも知れない。

飲み物も一気に飲まずに少しづつ飲み毒味を

して欲しい。

物騒な世の中ですからね。

ビールでもそうですよ。

栓を抜いたビールを持って来たら、新しい

のに取り替えて下さいと言った方がいい。

特に女性はね。

落書帳に私としては珍しく2行だけ書いて

腰を上げる。

接待所横の道を直進し続け、香東川の堤防を

右折する。

信号もなく歩行者専用なので便利な道である。

本来のへんろ道と合流する前に河川敷に降り

河川敷道路に入る。

あとは12号線まで道なりである。

中学生がマラソンをしている。

速い子もいれば、遅い子もいる。

根性があるとかないとかの差ではない。

心肺能力の差である。

時々こんにちわと挨拶してくれる子がいる。

私もこんにちわと答える、がこちらからは

しない。

向こうは私1人に一回言えば済むが、私は

何百人を相手にしなければならない。

喉が枯れてしまう。

ゴールした連中がじゃれている。

私はこのくらいの年の頃何を考えていた

のだろうか。

何も考えていなかったような気がする。

夢も持っていなかった。

それでも今、こうして幸せに生きてるのだか

ら人生なるようになるのかも知れない。

ケセラセラだね。

12号線に上がる。

4つ目の信号を右に折れ、15時一宮寺に着いた。

お参りを終え、納経所に行く。

この辺りに公衆電話はありませんかと尋ねると

、どうするのですかと訊いて来る。

宿の予約が取りたいのですがと言うと、彼女は

携帯でサンシャインホテルに電話をしてくれた。

納経料を払い、お礼を言ってホテルへの道を

急いだ。

172号線は歩道がない危険な道だった。

ここらにも宿はあるのだが、出来るだけ明日の

目的地屋島寺に近付いておきたかった。

いつもより早足で歩き高松自動車道の下まで来た。

長い信号待ちの後11号線を渡り紙町中央橋を

渡り266号線と合流する。

紙町と言えば、塩江に行く時通った道だ。

紙町と言う珍しい名で覚えている。

11号線の歩道橋を渡り栗林公園駅へと右折する。

ここまでくればもうサンシャインホテルには

目をつぶっていても行ける。

ガシャーン、自転車とぶつかった。

地図には載ってないがホテル横のスーパーで

夕食を買って16時30分ホテル到着。

サンシャインホテルの納経時刻にも間に合って

しまいました。

このホテルは10泊すると1泊タダになる。

というので私はせっせと5枚集めていました。

しかし話をよく聞くと、1年でと言う前提条

件がついていました。

あほらしくなったので、もうスタンプは

要らないとサッサと部屋に行きました。

9階の部屋から高徳線の車両を見て一杯

やり21時に寝ました。

本日の歩行距離36,25km。

 

12月7日

5時に起きる。

旅支度を始める。

手袋がないのに気付く。

またやっちまった。

飯田の接待所に忘れて来たようだ。

6時にホテルを出る。

車は殆ど走っていない。

この先11号線を右折するのだからと反対側の

歩道へ移る。

目の前をペチャクチャと娘さん2人が歩く。

今日は土曜日である、どこかへ行くのかな。

長尾線を横切る。

続いて志度線を横切る。

予告通り11号線を右折して、もう一度志度線

を横切る。

黙々と11号線を歩く。

単純な道だから地図など見ない。

去年は宮脇書店で失敗した。

確かその前に、遍路石があった。

あそこから曲がれば間違いなかったのだ。

その遍路石を見落とさないように歩く。

途中で1人の女性に追い抜かれる。

荷物は軽いがお遍路さんのようだ。

多分四国の人だと思う。

今日は土曜日だもの。

四国の人は土日に少しづつ廻る人が多い。

また今年も私は遍路石を見逃してしまっ

たようだ。

行けども行けども目印は見つからなかった。

そしてまた屋島中学の所まで来てしまった。

今年は少年には逢わなかったが、道は分かっ

ているので潟元駅方面に戻る。

そしてロイヤルホテルから来る道を右折する。

確か11号線を歩いていた時ロイヤルホテルは

あった。

これでロイヤルホテルの信号から左折すれば

良いことが分かった。

2度の失敗は成功の基だ。

池のほとりを通り屋島小学校を抜けると

急激な上り坂が待っていた。

恐らく屋島の坂はここが一番きついと思う。

 

何度も言うが今日は土曜日、この坂を散歩

、ジョギングする人は多い。

たまにお遍路さんにも出会う。

その中で1人、不思議な歩き方をする人を

見た。

狭い道を端から端までジグザグと歩いて

いるのだ。

ま、山道だって真っ直ぐ登ればきついか

ら九十九折になっているのだ。

きっと時間はかかるけど楽なのだろう。

私も試してみようと思ったが馬鹿にして

ると思われるといけないのでいつかの

機会にしようと思う。

「食わずの梨」の前を通り8時10分屋島寺到着。

 

途中で私を追い抜いて行った女性に逢う。

山門を通り手水場で手を清め本堂を参る。

狸さんの前を通り太子堂をお参りして

納経所に向かう。

八栗寺に向かう山道って怖いですねと言

うと納経所の人も辞めた方がいいですよ

、出来たら来た道を引き返して下さい

と言った。

確か去年八栗寺で訊いた時も納経所の人は

寸分違わぬ言葉を吐いておられた。

悪評高いへんろ道である。

後はJR屋島駅まで行くだけで実質的な

お遍路は終わる。

何故JRなのかと言えば、高松へ行くため

には琴電は瓦町で乗り換えなければならな

いのだ。

志度線と琴平線はホームが離れているので

移動に時間がかかるのだ。

10時02分の汽車までたっぷりと時間がある。

私は屋島寺境内のベンチに座って総括を

始めた。

宿泊費53000円 大雑把

交通費36000円 どんぶり勘定

飲食費15000円 うろ覚え

お土産代4000円 テキトー

納経料8100円 キッチリ

出逢った猫 8匹

内触らせてくれた猫 2匹

出逢ったお遍路さん 10数人

内言葉を交わした人 4人

ブログを知らせた人 2人

このブログに出逢えたあなたはラッキーだ。

この、幸せ者が!

失った手袋 2足

遭遇したお接待 3回

全歩行距離338,02km

使用した公共交通機関 名古屋鉄道 土佐くろし

お鉄道 JR東海道山陽新幹線 瀬戸大橋線 

予讃線 土讃線 高徳線

廻ったお寺

くろしお鉄道平田駅ー39番延光寺ー秋沢ホテルー

40番観自在寺ー西遊漁センターー42番仏木寺ー

41番龍光寺ー民宿みまー43番明石寺ー西大洲ー

大洲ーときわ旅館ー大洲ー菊間ー54番延命寺ー

55番南光坊ー56番泰山寺ー57番栄福寺ー58番

仙遊寺泊ー59番国分寺ー壬生川駅ー観音寺駅

ー70番本山寺ーほ志川旅館ー71番弥谷寺ー72

番曼荼羅寺ー73番出釈迦寺ー74番甲山寺ー

75番善通寺ー琴平駅ー76番金倉寺ーチサンホテル

ー別格18番海岸寺ー77番道隆寺ー78番郷照寺ー

79番天皇寺ー80番国分寺ーえびすや旅館ー81番

白峰寺ー82番根香寺ー鬼無駅ー83番一宮寺ー

サンシャインホテルー84番屋島寺ーJR屋島駅。

いつものように坂出駅で讃岐うどんを買い、

12時23分の「ひかり」で我が家へと向かいました。

伊吹山はすっかり雪化粧をしていました。

 

これで残すはお礼参りの二寺を入れて八寺と

なりました。

なんとか三月中には結願したいと思って

おります。

ご精読有難うございました。

じゃあね!