徳島編その2

板野駅の改札口は北側であった。

私は乗車券と高松板野間の特急券を提示し、

「途中下車です」と告げた。

ついでに駅員さんに金泉寺への行き方を尋ねた。

「駅前の道をまっすぐ行って下さい」

と駅員さんは言った。

随分と大雑把な道案内だなと私は思った。

こういう説明で本当に真っ直ぐだったためしはない。

半信半疑で道を進むと、道は狭いが商店街の、その土地で

言えば銀座通りのような道と交差した。

私はここでガイドブックからちぎってきた、徳島23番札所

までが乗っている地図を開いた。

地図を見ていると地元のおじさんがやって来た。

「3番札所金泉寺はどう行けばいいんでしょうか」

「この道を500mも行けば着くよ。お遍路ご苦労さん。

東京から来られましたか」

とおじさんは言った。

や、ややや、私って、そんなに垢抜けて見えるのかな。

 

突「からかわれているだけだよ」

 

否定はしない、でも気分はいい、5日間シティボーイに

なった気分で過ごそう。

シティボーイってのがえらく古いが。

旅の楽しさの一つは誰も私を知った人がいなので、気分が

若やぐことですね。

ああ、本当に気分がいい。

途中でもう一人に道を尋ね、私の感覚では700メートルで

金泉寺に着いた。

 

 

2か月ぶりのお遍路である、手を清め、線香、ろうそくに

火をつけ、丁寧にお参りをした。

時刻は12時半、バスの時刻まで少し時間があるので

駅近くの食堂で昼飯と思ったが、こういう時に限って

食堂は見当たらなかった。

とりあえずは板野駅南バス停を捜した。。

バス停の場所を訊いても、地元の人でも乗らない人は

やはり知らない。

5分ほど探し回り、スーパーマルナカより少し西へ

行った所でみつけ、そのマルナカで買ったサンドイッチ

とコーヒーを胃に流し込んだ。

私のほかに二人の年配の男性がいた。

買い物袋を持っているところを見ると、やはりスーパー

マルナカで買い物をして帰るところみたいである。

わが地元ではこれくらいの年配の方ならみんな車で

買い物にくるのだが、ここが車の街との違いなのか。

反対車線に渡り、帰りの時刻表を見る。

14時44分着がある。

その下に鳴門駅行きの14時55分がある。

これは2、1番札所の前を通るバスである。

時刻表調査ではみつけられなかったバスである。ラッキー。

13時07分鍛冶屋原車庫行きのバスに乗った。

2か月ぶりにつまむ整理券が懐かしい。

13時14分羅漢(らかん)バス停に着いた。

このバス停を降りた所で2つのお寺をお参りする。

歩いて5分の地蔵寺と30分の大日寺だ。

あなたならどちらを先に廻りますか。

次のバスは14時37分徳島駅行きです。

私は迷う事なく大日寺を選んだ。

いわゆる、嫌な事を先に済ませるタイプです。

ご飯を食べる前に調理器具を洗うタイプです。

美味しいものを最後に残すタイプです。

そして「なんだ、嫌いなら俺が食べてやるわ」と

言って食べられてしまうタイプです。

 

いつも言ってるように人生一寸先は闇、どんなことが

待ち受けているかわからないので、速足で大日寺へと

向かう。

本当はアスタムランド経由のバスだと大日寺口という

バス停が近くにあって助かるのですが、時間的に

丁度良いバスがないのでこのようになりました。

道中2台の車に追い抜かれました。

2台ともお遍路の車でした。

運転手の装束からそれはわかりました。

大抵、お遍路の車の人はお遍路さんを拾いませんね。

多分、歩き遍路の人に余計なことをしてはいけないと

いう配慮からでしょうね。

私はもし「乗って行きませんか」と言われれば拒否は

しません。

でも駐車場で「乗せてってくれませんか」とは口が

裂けても言えません。

なぜならば「乗って行きませんか」はお大師様が

ドライバーの口を借りて発した言葉。

「乗せてってくれませんか」は決してお大師様が

私の口を借りて発した言葉ではないから。

ちょっとかっこつけすぎかな。

 

突「やっぱり精神病院へ行きましょうよ」

 

13時51分大日寺に着いた。

案の定、私を追い抜いたドライバーのお遍路さんが

本堂前で般若心教を唱えていた。

我が浄土真宗の経典には般若心経はない。

従って私はただただ心の中で「どうか○○○○○○・・・・・

・・・・・・・・・・ように」

と虫のいいお願い事をするだけである。

 

突「なにをお願いしたの」

 

虫のいい事、カブトムシみたいな。

 

突っ込みとのやり取りで思い出した。

昔のフランスの小話にこんなのがある。

前もって断っているのだから、これはパクリではない。

 

ロマンチックなデートの最中に

女「ねえ、あなた今何考えてるの」

男「うん、君と同じことだよ」

すると女は顔を赤らめて

女「まあ、エッチ」

 

恋人のいる人は今度のデートで二人でやって

みるといい。

きっと吹き出しますよ。

 

帰り道、また同じ車に追い抜かれた。

時刻は14時、境内に9分しかいなかったわけだ。

スタンプラリーのようなお遍路でお大師様に

申し訳なく思っているが、まずは最初のお遍路

なのでお許しくださいと言うだけだ。

14時22分、地蔵寺に着いた。

門前で工事をしていた。

散歩の犬がおじさんたちにじゃれついていた。

かわいかった。

ここも7分でお参りを済ませバス停へと向かった。

が、バス停はなかなか見つからなかった。

近くに郵便局があったので訊いた。

バス停は信号を越えた所にあると言う。

確かに反対車線のバス停とは100メートルくらい

離れた所にあった。

バス停はないが、多分ここだろうなどと反対車線で

待っていたら置いて行かれそうだ。

そんなバス停はお遍路をしていて何度も経験している。

みなさんも、もし行くようなことがあったら気を

つけて下さい。

ちなみにこの羅漢のバス停は鍛冶屋原車庫行きは

一つだが、徳島駅行きは二つある。

アスタムランド経由は信号を左折してしばらく

行った所にある。

14時37分のバスに乗り14時44分に板野駅南で降りた。

11分後にやって来たバスに乗り2番札所前に着いたのは

15時少し前であった。

予定より早い進行状況に心がウキウキしてしまう。

極楽寺はバス停から目と鼻の先にあった。

私など鼻が高いものでバスを降りた途端、山門に

鼻をぶつけ血がどくどくと噴き出した。

 

突「顔面をぶつけても、鼻だけは無傷なくせに」

 

それを言うなよこやま。

私はハンカチを噛み、しなをつくった。

境内はとりたてて他のお寺とかわりはしなかった。

納経所で一番札所までの距離を訊くと1キロ、時間にして

15分だと言う。

これで徳島駅には明るい内に着けそうだと安堵した。

 

おさかなくわえたサザエさんーおっかけてー

はだしでーかけてくーようきなかつーおくん

私はサザエさんの替え歌を鼻歌混じりに県道12号線を

霊山寺に向かった。

やがて霊山寺の山門を背景に写真を撮っている人と

撮られている人が見えてきた。

撮っている人は2番札所で私に写真を撮ってくれと

せがんだ夫婦、撮られているのはお遍路には超珍しい

一人娘の旅さんだった。

こりゃまた失礼、一人旅の娘さんだった。

一応お遍路の装束は身に着けているが、下が短パンで

バッチリ決まっている。

こんな衣装もどこかで売っているのか、それとも彼女

自身でこしらえたものか、とにかくかっこいい。

目と目が合った、彼女は軽く会釈をした。

知的な美人だった。

雰囲気からしてただ者ではないと感じた。

本堂をお参りしてから納経所へ行くと、彼女はなにやら

ノートに書いていた。

私は納経を済ませ、そのノートを見た。

ここを訪れた人の記帳がされていた。

納経所の人によれば歩き遍路の人のための決意表明

みたいなものだと言う。

そうだ、ここは一番札所、スタート地点なのだ。

歩き遍路ではないが私も記帳した。

私の一段上を見た。

東京都三鷹市。

やっぱり本当の東京人は、私とは違って垢抜けているな

と思った。

それよりも同じページに愛知県西尾市の人の記帳を

見た時は感動した。。

やっぱり愛知県からも来てるんだ。

 

恋に破れた女が一人、人生を振り返り、そして新たな

人生に踏み出すために、はるばる四国へお遍路の旅

さあ、それでは唄っていただきましょう

「お遍路一人旅」

ここでーいっしょにーしねたらいいとーすがるなみだの

いじらーしさーそのばーかぎりのーなぐさめいってー

わたしはにげだしたー

 

突「こらー薄情者」

 

いや、死んじゃいけませんよ。

まして陸奥まで旅する体力があるのだから。

手段はどうであれ、天命は全うしましょうよ。

どんな辛い事があったのか知らないけれど、神は

乗り越えられない試練など与えたりしないんだから。

一つづつ克服して頑張りましょうよね。

という意味。

別に一人旅のお遍路さんのことじゃないですよ。

彼女からはとても強いものを感じたから大丈夫。

 

突「じゃ、誰に向かって言ってるの」

 

私のメッセージは大抵の場合自分自身に言い聞かせているの。

だって人には人それぞれ生き方があるんですもの。

いらない事を言ってはいけません。

 

坂東駅に向かう。

途中の果物屋さんで道を尋ねる。

「坂東駅はどう行ったらいいんでしょうか」

「神は乗り越えられない試練など与えたりしない。

自分で探せ」

と言われるかと思ったが女主人は

「そこの阿波銀行の所を右に曲がって・・・・・」

と、丁寧に教えてくれた。

ついでにスマートフォンで徳島行きの時刻表まで

調べてくれた。

(きっとつい最近買ったスマホなんだ、使いたくて仕方が

ないんだ。)

「16時31分があるね。まだ一時間もあるね」

女主人は教えてくれた。

私は時刻表を知っていたが「ありがとうございました。

助かります」と丁寧にお礼を言った。

やっぱり徳島と言えば阿波銀行だね、阿波踊りの

阿波銀行だね。

などと訳の分からないことを口走っていると女主人の

言っていた、緑のラインの入った道路に出た。

しかし私はそのあとの言葉を聞き逃していた。

ちょうどそこへ自転車の大麻中学の女生徒が通りかかった。

 

突「危ない学校ですね」

 

たいまじゃないよ、おおあさ中学と言うんだ。

私が坂東駅までの道を尋ねると彼女は

「案内してあげましょうか」と言う。

私はお言葉に甘えてしまった。

彼女は時々後ろを振り返りながら、ゆっくりと

自転車を漕いだ。

私は小走りに彼女の後を追った。

ストーカーの変態おやじじゃありませんよ。

3分ほどで駅に着いた。

私は彼女に礼を言って別れを告げた。

何か、地元の中学生と違うなと先ほどから感じるものが

あった。

ヘルメットは一緒だ、それにセーラー服の正装。

そうだ、地元の中学生は下がジャージの短パンだ。

以下のコメントは控えさせていただきます。

地元の中学生を敵に回したくないので。

ああ、それにしてもいいな田舎の中学生は純朴で。

坂東駅は無人駅である。

構内には私一人しかいない。

20分ほどガイドブックを見ながら明日の計画を練って

いるとお遍路装束の人がやって来た。

「今日はどこを廻って来られましたか」

と私が尋ねると彼は

「88番札所で結願し、その足で1番札所へお礼参りに

やって来ました」

と言う。

休み休みのお遍路だったので2年かかったと言っていた。

いつもスタートは前回の最後のお寺からだったと言う。

私だったらきっと次のお寺からのスタートにしていただろう。

修行が足りないな。敬服。

16時31分の電車に乗った。

車内は通学帰りの高校生がたくさん乗っていた。

みんなスマホなんかいじっていて日本全国ドコモ

同じだなと感じた。

そして先程の中学生だけが純朴だったのだとわかった。

まだ明るいうちに徳島駅に着いた。

が、秋の日は釣瓶落とし、急いで宿を探す。

最初のホテルアストリアでいきなり満室ですと断られ

フライパンで頭を叩かれたような衝撃が走った。

第二候補の第一ホテルを探したが、所在地らしき所に

そのようなものは存在しなかった。

ガイドブックが09年のものなのでホテル名が変わって

しまったのかも知れない。

3軒目はガイドブックにも載ってないホテルであったが

駅に近いし、料金も表示してあるので一応訊いてみる。

「一部屋だけ空いていますが、畳の部屋でよろしい

でしょうか」

ここで、なにかどこのホテルもいつもフロントの人の

対応が似ていることに気が付いた。

ひょっとしたら、予約なしのお客だから一部屋だけ空いて

いると断ればどんな部屋でも応じてくるのではないか

という計算があるみたい。

今度同じ応対をされた時、じゃいいですと言ってみよう。

とりあえず、泊まるのが目的で来た訳じゃないので

3連泊の予約をし前金で1万5000円を支払った。

あの畳部屋で3連泊、いい鴨だぜ、なんて言われてる鴨ね。

例によって旅装を解き、すぐ近くのバス乗り場の様子を見に

行くことにした。

明日はまずお遍路の最難関の焼山寺に行くことにしている。

恐らくタクシーを使うことになると思うが、果たしていくら

かかるのか心配だ。

バス乗り場の案内所で焼山寺行きの時刻表と路線図を

もらい、タクシーについて尋ねた。

「焼山寺のバス停からタクシーは出ていますか」

「焼山寺はすごく田舎なのでタクシーはありません。

もしタクシーに乗るのなら神山役場前のバス停で降りて

下さい。すぐ近くにタクシー会社がありますので

そこから乗って下さい」

と言われた。

出来るだけタクシー代をけちりたいと思ったが

そうは問屋が降ろさなかった。

確かインターネットで調べた時には焼山寺から

タクシーをと書いてあったはずだが。

やはり現地へ来て調べないとインターネットはあてに

ならない。

駅前のセブンイレブンで夕食と朝食を買いホテルに

戻った。

本日の歩行距離16,8km。

 

11月20日

7時10分徳島バス4番乗り場から神山高校前行きのバスに

乗った。

動き出す前に私はもう一度運転手さんに確認をとった。

「焼山寺へタクシーでいきたいんですが」

「それなら神山役場前で降りて下さい。すぐ近くに

タクシー会社があります」

運転手さんは昨日のバス案内所の人と同じことを言った。

「整理券が出ないんですが」

「始発駅は出ないことになっているんです」

 

バスは駅を出て192号線を進み鮎喰川(あくいがわ)手前

を左折した。

名前からしてきっと鮎がよくとれる川なのだろう。

乗客は私を含めて4人、神山高校の女生徒も一人いた。

これからどんどんと田舎に変わっていく中で2つも高校は

ないであろうという私の推測から出した結論でしかないが。

風景は左頭上に山、右眼下に川という日本のどこにでも

あるものに変わっていく。

地元で言うと小原村くらいの感じかな。

その川にかかっている橋も四万十川の沈下橋のように

欄干がない。

くちばしの尖った白い鳥が一杯いる。

豊富な鮎の数を如実に物語っているようだ。

家の辺りでもたまに見かける鳥だ。

苦労して餌を捜しているみたいだが、どうしてここに

移住しないのか不思議だ。

 

突「あんたの考え方のほうが不思議だ」

 

いつの間にか気が付けば車内は神山高校の生徒で一杯に

なっていた。

ついには立ち乗客まで出る始末だ。

私の精でいつもは座れる高校生が一人立たなければ

ならなくなった。

すまんのうよこやま、わしはお金持ちのお坊ちゃま

だから許せよ。

 

突「なに言うてんねんな、ほんまは反省なんかしてへんやろが」

 

高校生は若いんだから立ってるのが当たり前だろが。

やがて馬喰草という、私の興味を引くバス停が現れた。

アナウンスを聞いていると「まくそう」と言ってるようだ。

馬糞じゃないですよ。

へえー、この辺りには昔、馬を食べる草が生息して

いたんですね。

食虫植物というのは聞いたことがあるけど、食馬植物

がいたとはねー。

んな訳ねえだろうが。

しばらくすると喜来橋(きらいばし)というバス停が現れた。

女性が「あんたなんか喜来」って使うといいねー。

2つ次の駅にオロノというバス停が現れた。

なぜか、おのろけという言葉を思い出してしまうのは

私だけであろうか。

 

突「ああ、あんただけだ」

 

さらに2つ次のバス停に阿保坂というのがあった。

なんて言うのか聞き逃したが、アホの坂田の出身地

じゃないか。

今度この辺りをしろひ猫が訪れたら住民にぶっ殺され

そうな気がする。

くわばらくわばらかずお。

すいません、依然として風景が小原状態で話題がないもので

バス停名で遊んじゃいました。

8時13分、神山役場前に着いた。

歩いている人がいたのでタクシー乗り場を訊くと

すぐにわかった。

「料金は6700円、それに駐車料金が、えーと300円で

全部で150万円になります」

と言う吉本ギャグはやらなかった。

貸し切りタクシーなので明朗会計、安心して乗れます。

「それにしてもこの辺りは不便ですね」

「乗る人が少ないので神山町営バスも去年より

一本削られたんですよ。おまけに徳島バスとの連絡も

全くされてない状態です」

と運転手さんは深刻そうに笑顔で答えた。

国道438号線を右に曲がり橋を渡り山道を走った。

道路はまだ広く、私でも楽に走れる。

やがて焼山寺のバス停に着きタクシーは進路を左に向けた。

しばらくして軽トラックと遭遇したがまだすり替われる

道幅だ。

それからは険しい山道へと変わっていった。

決してドライブウェイといった生易しい道ではない。

車一台がやっと通れるくらいの狭さ、車が仰向けに

倒れそうなくらいな急坂、所々に一台がやっとすり替われる

離合場所はあるが次の離合場所までの距離が長い。

いつぞやインターネットのドライブお遍路を見ていたら

対向車が離合場所を少し出た所でバッタリ出会った。

それが女性ドライバーでどうしてもバック出来ないと

いうので苦労したというのがありました。

私もこの道のドライブは勧める気はありません。

ただ、本当に狭いのは最初の1キロくらいで上に行く

ほどひろくなっています。

平日のお遍路でしたら対向車に逢わずに登れるかも

知れません。

が、私なら神山役場の駐車場に止めさせてもらって

寄井観光のタクシーを利用します。

大木が多いためあまり日光も当たらない暗い山道を

くねくねと登り焼山寺に到着した。

 

ガイドブックに載っていた写真の杉の巨木があった。

88ヶ所一の難所であるがゆえに感動も大きい。

とは言え、タクシーを使ったことは心苦しいが。

お参りを終えタクシーに戻った。

タクシーは向きを変えて私を待っていた。

「対向車にはよく逢うんですか」

「平日はあまりないんですが、休日ならよく逢いますよ」

「よくこの道は通るんですか」

「このようなタクシーではあまり来ませんが、バスのタクシー

でならよく来ます。その時によく車に出くわします」

「対向車のドライバーは一般の人ですか」

「ええ、そうですよ」

寄井観光はバスタクシーもやっているそうです。

料金は訊くのを忘れてしまいましたが団体で行く方が

いたら是非利用してやって下さい。

なんや、コマーシャルかいな。

9時ちょっと過ぎに神山役場まで着き、持ち金が

心もとないのでJAのキャッシコーナーで3万円おろした。

9時28分のバスに乗り10時10分頃一宮札所前に着いた。

近所の人に道を訊くと右へ曲がってずっと行くと言う。

言われた通りに進むと大声で何か言っている。

どうも彼女は次の札所のことを言っていたみたいだ。

彼女曰く「まさか目の前の大日寺のことを聞かれている

とは思わなかったもんで」

線香をあげ、ろうそくを立て

「どうか○○○○○○○○○ように」

とカブトムシのような虫のいいお願いをして寺を出た。

女性の進言通り左折して十数メートル行くと次の札所

常楽寺への立札があった。

矢印は右を指していたが真っ直ぐ右の道と45度の角度で

右に出てる道がある。

だったら行く道の入り口に立てておけよ、と言いたい。

前にも言ったように書く人は地理を熟知している。

自分をお遍路さんに見立てて立札を作るからこういう

事になる。

困ったなと思っていると、大日寺の裏の家の人が

車で出て来た。

私は急いで常楽寺への行き方を尋ねた。

年配の女性であったが、

「ちょうどそっちの方へ行くので乗せてってあげる」

と言った。

これだぜ、お大師様が彼女の口を借りておっしゃったのだ。

「よくあの立札で間違えるお遍路さんがいるんですよ。

早く直しなさいと散々苦情を言ってるのですが、仲々

直らない」

と彼女は言った。

「正解はどちらなんですか」

と尋ねると

「45度のほうです」

と言った。

色々話をしていると、彼女も一度だけお遍路をしたことが

あると言う。

車でですけどね、と照れくさそうに言った。

いいですよ、手段はどうであれ、結願することが

一番大事なことですから。

常楽寺門前まで送ってもらい、私は深々と頭を下げて

車を見送った。

常楽寺にはうっかり裏口から入ってしまった。

極めてきつい坂を登り本堂まで来た時、私の体に

異変が起きた。

身に覚えのあるパニック障害が起きたのだ。

めまい、吐き気、呼吸困難、体の震え、不安感、頻脈、

恐怖感、がふつふつと湧いてくる。

やばい、と思った次の瞬間信じられないような事が起こった。

白い猫が現れた。

 

私は渾身の力を振り絞って、めまいを突き出し、吐き気を

押し出し、呼吸困難を上手投げ、体の震えをはたきこみ、

不安感をつり出し、頻脈をけたぐり、恐怖感を猫だまし、

ゆっくりと猫に近付いた。

「さあこっちへおいで。おじさんはこわくないんだよ」

私は猫ちゃんを優しく愛撫した。

猫ちゃんはごろんと横になりその身を私に委ねた。

 

みなさん、こんにちわ。

不思議の国からやって来た白い猫です。

名前は「雪」と申します。

みんなわたしのことを「ユキチャン」と呼ぶのよ。

えっ、フルネームですか、ちょっと恥ずかしいけど

名残雪と申します。

小さい頃この辺りをさまよっているところを、名残家に

拾われました。

決して、この常楽寺に飼われている訳ではないのですよ。

お母さんはとても優しくて、美人で、わたしを大切に

扱ってくれるんですよ。

だからわたしはとても幸せなんですよ。

時々、こんな小春日和の穏やかな日はこのオールウェイズ

ハッピーテンプルを訪れ、お遍路さんに愛嬌を振りまくん

ですよ。

お遍路さんも笑顔でわたしを迎えてくれるし、それを見て

わたしも癒されるんですよ。

今日も風采の上がらない変なおじさんがやって来たので

差別することなくお相手しているのですよ。

わたし達猫には撫で方でその人の優しさがわかるのですよ。

えっ、この変なおじさんですか・・・それはヒミツ。

いつもこの寺にいる訳ではないのですが、出来るだけ

現れるようにしますので、皆さんも是非お遍路に

来てくださいね。待ってますよ、 じゃあね。

 

あまりに可愛い猫だったので私の目はハートの形に

なり、心はメロメロになってしまいました。

このままリュックに詰め込み、連れて帰りたいと思い

ましたが「この猫泥棒のドロボー猫」なんて訳のわから

ない言葉で罵られそうなのでやめました。

名残り惜しかったのですが、ユキチャンとはここで別れ

私は納経所へと向かいました。

納経をしてもらい、事情を話して5分ほど休憩をさせて

もらいつぎの国分寺へと向かいました。

まだ、めまいと息苦しさは続いているが、ユキチャンの

お蔭で大分軽減された。

これは決して作り話ではなく、実際に起きた出来事です。

突然のパニック障害といい、白い猫の出現といい、空の

上でお大師様が操作しているのではないかと感じてしまいます。

そう思うとこのパニック障害も全然怖くなくなります。

空の上から、海よりも深い愛で見守られているから。

 

次の国分寺までの間に大きなお寺があった。

私は間違えて入りそうになったが、門の寺名を見て

踏みとどまった。

失礼ですよね、別に間違えたからといって命を落とす

訳でもないのに。

恐らく100人のお遍路さんがいれば1人はこのお寺に

入るだろうと思われる。

入って納経所がないことで札所でないことに気づくであろう。

そんな無駄な時間を使いたくない人は、国分寺は道路の

右側、紛い(失礼)は左側と覚えておいて下さい。

でも、おおらかな気持ちを持った人なら騙されて

あげて下さい。

何かこうでも言っとかないと罰が当たりそうで・・・・。

その右側の国分寺を参って更に田園の中を進むと丁字路に

突き当る。

それを右に曲がりすぐに信号機のある交差点に出る。

その交差点を渡り、さらにもう一本奥の農道を左に進む。

1キロちょっとで観音寺であるが、やはり立札がないので

寺は見えていたが私は素通りをしてしまった。

通りすがりの自転車の酔っ払いおやじに道を訊くと

今来た道を戻れと言う。

やはり先ほどの寺でよかったのだが、なにせ立札がなく

、ついでにやはり先ほどの紛い寺が伏線となり通り過ぎて

しまったのだ。

観音寺の時と同じで天罰覿面である。

よく見ると曲がり角は民家のブロック塀であり、こんな

所に観音寺と書けないのは納得できた。

納経を終え、300mほど歩いて国道192号線の観音寺北

バス停に着いたのは12時30分だった。

目の前にスーパーマルヨシ、背後にすき家があった。

私はバス停時刻表の土台のコンクリートに座りしばらく

うたた寝をした。

どうもゆうべの睡眠不足も影響しているみたいだ。

やがてバスが来た。

そのバスの中でも私はうたた寝をした。

しかしながら私の性格なのか時々目を開けては

あたりの様子を伺う。

最初は空席も見られたが、どんどんと乗客が増えて

立っている人も出て来た。

松山に比べるとバスの乗客は、この徳島は多い。

ま、バスだけが唯一の交通手段だから仕方がないことだが。

駅に近づくほど乗客は増え、やがて駅の一つ手前の「元町」

と言う、どこにでもありそうな地名のバス停で大半の

乗客は降客へと転じた。

なるほどデパートSOGOの入り口だ。

金曜日の昼下がりに徳島市民が徳島駅に向かうのは

おかしいとは思ったが。

そうか、こんなどんでん返しが待ち受けているとは。

 

突「どんでん返しじゃない、徳島市民にとっては

当たり前のことだ」

 

おや、随分と徳島市民の肩を持つじゃないか、おじいさんが

徳島の出身だとか言うんじゃないか。

 

突「違う、ひいおばあさんが大歩危の出身なんだ」

 

ほう、突っ込みの曾祖母が大歩危の出身だとはね。

調子のいい事言うんじゃない。

みなさん信用しないで下さいよ、地図を見て適当な事

を言う奴ですからね。

 

運転手「お客さん、駅に着きましたよ」

 

あ、すいませんでした。

 

馬鹿な事を言ってる間に、すっかり体調は元に戻った。

時刻は13時10分。

ここで私は選択を迫られた。

今日のお遍路は打ち切るか、13時20分発の鶴林寺行きに

乗るか、14時40分発の恩山寺行きに乗るか。

結論を出すのは、秒の問題だった。

小春日和の風のない1日である。

いつまた、こんな恵まれた日がやってくるかわからない。

美味しいものを最後に残す私は、辛い山上の札所鶴林寺

を目指すことにした。

最寄りのバス停は生名(いくな)、何か不吉な予感のする

このバス停名。

私は運転手さんに

「生名からタクシーは出ていますか」

と朝同様の質問をぶつけてみた。

「タクシーに乗るなら横瀬(よこせ)まで行った方がいいですよ。

バス停の近くにタクシー会社がありますから」

私は生名で降りてタクシーに乗る予定でいた。

これもインターネットで得た情報を元にした

プランである。

やはりインターネットはあてにならない、大雑把な

情報はこれでいいかも知れないが、現地で訊く方が賢明である。

勝浦線は神山線よりも開けた土地を走っていた。

川と並走することに変わりはないが、平坦な土地は多い。

14時20分、運転手さんの言う「横瀬」に着いた。

私は「降りますボタン」を押して820円を料金箱に投入した。

タクシー会社はあそこですよ、と運転手さんは指で示した。

空きタクシーはなかったが、すぐに戻って来たタクシーに乗れた。

横瀬観光のタクシーはタクシー会社とはいえ数台しかない。

運が悪いと出払っていて待ち時間が出来る。

「鶴林寺へやって下さい」

運転手さんは肉付きのいい女社長さんだった。

携帯で他の社員とのやりとりに忙しく私は

かまってもらえなかった。

鶴林寺の山道はかなり険しかった。

どちらかと言えば、焼山寺のそれよりも私には

厳しい道に思えた。

焼山寺のタクシーの運転手さんは、バスが頂上まで行く

くらいだから鶴林寺の方が広いと言っていたが。

女社長さんによれば、

「それは頂上と連絡を取り合って運行をしているからですよ。

そうでなければやっていけません」

とのことでした。

きっと5分前に一台降りて行ったとか、もう30分も一台も

降りていないとか連絡をとっているのでしょうね。

タクシーは生名のバス停に着いた。

次のバスまでかなりの時間がある。

女社長さんは

「この先に道の駅があります。そこで暇をつぶしませんか」

と提案してきた。

1円でも多く料金を戴こうという商売熱心な社長さんだが

いいえ結構です、と私はきっぱり断った。

おっちょこちょいな私のことであるから、またどんな間違い

が起きるかわからない。

私はここで待つことにした。

家から取り外し式のカーナビを持ってきた。

時間があるので使えるかどうか試してみたが、地図は

自宅付近のままで微動だにしない。

使えないことがわかった。

次回から持ってくることはないだろう。

目の前をヘルメットの女子中学生が通った。

「こんにちわ」と言った。

散歩していても地元の中学生に挨拶されたこともない。

やはり徳島の中学生は純朴で可愛らしい。

生名のバス停の時刻表を見た。

不吉な予感のこのバス停名も生きて名古屋に帰れる

ともとれる。

何事もポジティブに考えよう。

やがて右手よりバスが「待たせたなー」って感じでやって来た。

15時50分発55号線バイパス経由である。

これは日赤病院経由ではないので徳島駅に早く着く。

16時35分、その徳島駅に着いた。

またまた駅前のセブンイレブンで夕朝食を仕入れホテルに戻る。

つづく  本日の歩行距離8,6km。