徳島編その4

11月22日

 

朝5時に目が覚めた。

この旅初めてテレビを見た。

NHKの演芸番組で、家でもよく見る番組だ。

チャーリーカンパニーが出演していた。

私の好きな芸人さんだ。

楽して金持ちになる方法は、金持ちの家に生まれることだと

ふざけたことを言っていた。

それでいいんだ、お笑いが真面目なことを言っても仕方ない。

ゲストに欽ちゃんが出ていた。

欽ちゃんは一番売れていた頃、他のお笑い番組は一切

見なかったと言っていた。

何故と言う、文枝さんの質問に

「見ると知らず知らずのうちにパクッているから」

と答えた。

私もこの30年間「週刊競馬ブック」と「趣味の園芸」と

「ラジオ英会話」と「JRの時刻表」と立花隆の「臨死体験1」

と「臨死体験2」以外は読んだことがない。

これらの書籍にはまったくギャグは載ってない。

人のギャグをパクッていると、うしろめたさから文章に

力がなくなってくるからだ。

結果的にパクッていても自分のオリジナルだと思って

書けばいいものが出来ると私は信じてる。

 

能書きはこれくらいにして、朝飯のカップヌードルを

食べようと湯を沸かした。

しかしコンビニ袋の中を捜したが箸が見つからなかった。

セブンイレブンの店員さんが新米だったので入れ忘れたみたい。

仕方なく歯ブラシの柄を使って何とか完食した。

歯を磨き、顔を洗い、髭を剃った。

相変わらずブ男である。

10万人に一人くらいのブ男である。

でも、いいんだ、私が存在するお蔭で9万9999人の人たちは

私みたいにならなくて済んでいるのだから。

これも広い意味で言えば人助けになっているんだ。

 

ホテルの部屋を出た。

本当は見せたくなかったのだが、最後に私の泊まった部屋を披露する。

おぞましさのあまり、身の毛もよだつかも知れないがこれだ。

 

正直、私はこのホテルへ帰るのが憂鬱だった。

今後、どのホテルに泊まったとしても、畳の部屋と

言われたら拒否するつもりでいる。

 

1分で駅前のバス乗り場にやって来た。

今日で、このバス乗り場も4日目だ。

徳島駅前の住民としても4日が過ぎた。

実は5日の予定でいたのだが、明日には雨が迫っていると

天気予報は言っていたし、明日は祝日でホテルがとれるか

どうかもわからない。

それに効率よく札所を廻れたので今日で帰名することにした。

今日唯一のターゲットは21番札所太龍寺である。

6時20分発の川口行きを待つ。

4日間このバス停からいろんな方面のバスに乗り、おぞましい

とは言え、駅前で3泊し、少し愛着も沸いてきた徳島。

住めば都とはよく言ったものだ。

やや薄暗い中、バスはやって来た。

私はバスに乗り、いつものように運転席に近づき

「このバス太龍寺に行きますよね」

と訊いた。

「和食東のバス停で降りて下さい」

と運転手さんは言った。

わしょくではありませんよ、わじきと読みます。

始発駅からは3人が乗った。

始発駅には整理券がない。

前の日東原から乗ったとき、その質問を運転手さんに

ぶつけてみた。

が、運転手さんはわからないと言った。

競馬好きの私は推理好きなもので、ついつい推理してしまった。

じゃ、なぜ始発駅を駅番号1にしないのか。

ここから推理してみたら簡単に謎が解け、私は拍子抜け

してしまった。

謎を解くカギは整理券を取り忘れた乗客である。

この客は始発駅からの運賃を支払わなければならない。

ところが始発駅番号を1にすると上記の客のために

1の番号の整理券を再発行しなければならない。

が、それは不可能であるか、もしくはとてもめんどくさい。

ゆえに始発駅は取り忘れ客と一緒くたにするために

整理券は発行されない。

 

バスはいつものように日赤病院前を通り、南千歳橋を通り

、しかしそこからはいつもではなかった。

市役所前を通り、競輪場前を通り、時々海辺も走った。

乗客は田舎へ向かうにもかかわらず少しづつ増えていった。

南島でお遍路装束の老人が乗って来た。

7時半和食東到着、老人も降りて来た。

私はゆっくりと歩き老人を先にやった。

この老人の後について行けば、労せずしてロープウェイ

乗り場に辿り着けるからだ。

三河弁で言うと、こっすいやり方だ。

ガイドブックによると15分でロープウェイ乗り場着、

10分で山頂駅着、境内まで徒歩すぐとあった。

つまり、片道で25分、往復で50分、和食東に7時30分の

到着だから、和食東発徳島駅前行きの8時40分には楽々

間に合う計算だ。

しかしこれはあくまでも机上の計算ではあるが。

私は老人の後を追った。

ところが老人は神社に入っていってしまった。

まさか私を捲くためではないと思うが、仕方なく私は

自力でロープウェイ乗り場を目指すことになった。

やはり老人がいないためか私は道に迷った。

迷った挙句に何とか切符売り場に着いた。

「次のケーブルカーは何時ですか」

2470円の運賃を払いながら私は訊いた。

「始発は8時です」

と係員は言った。

「何分おきに出るんですか」

「20分おきです」

私の目の前は真っ暗になった。

8時40のバスには到底間に合わない。

実は私は前日、11時徳島発新神戸駅行きのJRバスの切符

を買っていたのだ。

次のバスは9時33分、徳島駅着は10時58分であった。

目の前に公衆電話があった。

キャンセルしようと思えば出来る、しかし間に合えば

11時のに乗りたい。

私は決断のつかないままケーブルカーに乗った。

ケーブルカーは那賀川を真下に見、2つの山を越え、

山頂駅に着いた。

私は帰りの時刻表を見た。

8時30分である。

もはや8時40分のバスは完全に諦めている、問題は次の

バスが定刻通り徳島駅に着いてくれるかどうかである。

いや、仮に着いたとしても乗降場所からJRバス乗り場まで

2分で間に合うかどうかもわからない。

しかし今そんなことを考えてもどうなるものでもない。

 

 

とりあえず私は長い階段を登り、本堂へと向かった。

太龍寺境内はかなり広く、隅々まで廻ると一時間はかかる

らしい。

私は本堂と大師堂だけをお参りし、納経を済ませて

ロープウェイ乗り場まで戻った。

乗り場には土産物が売っていた。

お接待のお茶も出た。

私はお接待のお礼に柚子の羊羹を買った。

8時半のケーブルカーに乗り麓へと向かう。

ガイド嬢のアナウンスに耳を傾ける。

一昨日訪れた鶴林寺が見えるとか、言ってたが

私には見えなかった。

毎日、一字一句違わないアナウンスを1日何十遍も

しているのだろうな、私だったらマジで精神病院行きである。

ケーブルカーは定刻通り麓に着地した。

バス停まで15分だから9時35分のバスに十分間に合う。

私は辺りの風景を楽しみながらゆっくりと歩いた。

しかし川沿いの道を行けども行けども、バス停に近づいて

いる気配がない。

それどころか離れて行ってるような気がする。

 

男は山道をさまよい歩いていた。

もう数日間何も食べていない。

崖から足をすべらせ傷も負っていた。

疲れは極限に達していた。

空腹と疲れと痛みにへたり込んでしまいそうになる。

だがへたり込む訳にもいかなかった。

なぜならば大きな獣に襲われるかも知れないから。

街に帰るのであれば下り道である。

しかし下り道をみつけても、その道はやがて上りに

転じてしまう。

何度みつけても下りきる道はなく、あるのは断崖絶壁

だけであった。

何をしても男の思うようにはならなかった。

まるで何者かがいたずらをしているのではないかと

思われるほど。

だが男は歩き続けた、ただ生きたいという気力だけが

男を前に進ませていた。

いつしか男は山道をはずれ、けもの道を歩いていた。

あたりはすでに暗くなっていた、追い打ちをかけるように

寒さも増していた。

空腹も忘れるほどの朦朧とした意識の中で、男は木の茂み

の間から微かな光のようなようなものをみつけた。

渇望が生んだ幻覚かも知れない、と思いつつも男は

まるで蛾のようにその光に吸い寄せられて行った。

やがてそれは飲食店の灯りであることが近づくにつれて

わかってきた。

男は残された力を振り絞って店になだれ込んだ。

やさしい暖かさが彼を迎えた。

凍り付いていた心が解けていくいくような心地よさがあった。

「お客さん大丈夫ですか」

この店の主人らしき男が、その様子を見て言った。

目の吊り上がった、細面の、まるで狐のような主であった。

男は小さく頷き、よろけながらもカウンターの椅子に座った。

「何にいたしましょうか」

やはり目の吊り上がった妻らしき女が言った。

男は何も言わずにメニューを指差した。

「はい、醤油ラーメンですね」

主は早速材料を出そうと冷蔵庫を物色した。

そして男の所に戻って来て訊いた。

「すいません、お客さんあいにく鳴門をきらしておりまして

、代わりに油揚げを使ってもよろしいでしょうか」

男はこっくりと頷き、そして店内を見渡した。

神棚には稲荷が祭られていた。

店も出来たばかりのようで、しかも人里離れた山の中で

何か不自然なものを感じた。

「お待ちどうさま」

主は湯気が荒れ狂うほどのラーメンをカウンターに

差し出した。

男はフーフーと息を吹きかけ、ゆっくりとそれを食べた。

主は男の袖口にびっしりと血がこびりついているのを

みつけた。

「お客さん、ひどい怪我をなさってる。ちょっとした手当

しか出来ませんが、居間の方へどうぞ」

男はラーメンを食べ終わると、言われるままに居間に

行き、横になった。

主の妻が消毒をし、包帯を巻いてくれた。

「うちの女房は昔看護婦をやってたんですよ」

妻はにこりと笑って軽く会釈をした。

「このまま出て行ったら凍死してしまうんで、明日の朝

まで、この居間で眠ってって下さい。あとは好きな時に

出て行ってかまいませんよ。どうせ人っ子一人いない

田舎ですから」

治療を終えると主はそう言って居間から出て行き

店の後片付けを始めた。

 

ドライバーは国道を走っていた。

が、いつの間にか風景は民家もまばらな田舎に変わって

いった。

「おかしいなー、国道を真っ直ぐ走って右折も左折

もしていないのに」

ドライバーは少し不審に思ったが、これが国道かと言う

酷い道もよく経験していたので、またすぐに繁華街に

でるだろうと意に介さなかった。

やがてその一本道は山の中へと続いた。

「他に道はないのだから、この道で間違いないのだろう」

ドライバーは引き返す考えはは持ち合わせてはいなかった。

ますます道路は狭くなり生い茂った木々が日光を遮った。

不安な気持ちを抱いてしばらく行くと「工事中通行止め」

の標識が目の前に立ちはだかった。

ドライバーはようやくここで戻る決心をした。

来た道を引き返すが、なぜか来た道とは違うように感じた。

「たしか、来る時白い橋があったはずだ。しかしそれがない」

でも道は一本しかなかった。

枝道などなかった。

何かがおかしい、ドライバーはそう感じながら進むと

突如激しい雨が降って来た。

猛烈な雨だった。

人生で経験をしたことのないゲリラ豪雨であった。

瞬く間に道路は水浸しとなり、轟音と共に目の前で

土砂崩れが起きドライバーの進路を塞いだ。

ドライバーはまたも向きを変え、この悪夢からの

脱出口を必死になって探した。

「来た道にあった白い橋がなかったんだから、もう一度

戻れば枝道が見つかるかも知れない」

ドライバーの予感は当たった。

上に向かう枝道が出来ていた。

ドライバーは藁をも掴む思いで枝道を進んだ。

しばらく行くと分岐点にさしかかり、右の道には

「ラーメン屋あり」の立札があった。

ドライバーは迷うことなく右の道に進んだ。

時刻はすでに夕方になっていた。

ドライバーは駐車場に車を停め、店内に入って行った。

「いらっしゃいませ」

目の吊り上がった夫婦が愛想よく出迎えてくれた。

「何にいたしましょうか」

「そうだね、醤油ラーメン」

ドライバーはそう言い、店内をみまわした。

神棚には稲荷が祭られており、狐の置物まで飾ってあった。

主は冷蔵庫のところから戻って来て言った。

「お客さん、申し訳ありませんが、あいにく鳴門を

きらしておりまして、油揚げで代用してもよろしいでしょうか」

「ああ、ないのなら仕方ない。それでいいよ」

ドライバーはさりげなくそう言った。

が内心は少し怯えていた。

さしずめ、油揚げが木の葉っぱ、スープがおしっこ、そうなると

麺はミミズか。

「はい、お待ちどうさま、醤油ラーメンです」

ドライバーは一番被害の少なそうなスープを口にした。

恐る恐るスープを口に運んだドライバーは、次の瞬間に主の

顔を見た。

目と目が合った。

ドライバーは一気にラーメンをたいらげた。

何も言葉は交わさなかったが、主とドライバーはラーメン

を介して心が通い合ったようだ。

「実はここへ来るまでに不思議な体験をした」

ドライバーはここへ来るまでの経緯を事細かく説明した。

その体験を聞いた時、今度は夫婦がお互いを見た。

「そうですか、それじゃ来た道は引き返せない訳ですから

、店の横の道を上がって行って下さい。道は狭いですが

対向車もいませんから大丈夫ですよ。峠を越えて下れば

国道に出られます」

主は戻る道よりも峠越えを勧めた。

 

それ以来ラーメン屋は繁盛するようになった。

街の中に多くのラーメン屋があるにもかかわらず多くの

客が訪れるようになった。

男は再びラーメン屋にやって来た。

迷い込んだあの時から半年が経っていた。

「いらっしゃいませ」

繁盛しているにもかかわらず、主は男をめざとくみつけた。

「こちらへどうぞ」

男は特別に居間に通された。

「はい、お待ちどうさま、きつねラーメンですよ」

奥さんが愛想よくラーメンを持ってきた。

奥さんも男も何も語らないが繁盛した理由は知っていた。

知っているがゆえにくどくどと語らない。

ドライバーはグルメ雑誌のラーメン担当係であり、この

山中のラーメン屋が誌上で絶賛された。

「またいつでも来てくださいよ。待ってますよ」

奥さんは優しく言った。

男はズボンからはみ出したしっぽをちぎれんばかりに振った。

 

しろひ猫作「きつねの恩返し」

 

私はいつもの地図を見た。

国道195号線は那賀川の向こうである、という事はこの川を

渡らなければならない。

進む方向の川を見ても数キロ先まで橋は見えない。

と言って戻る方向にも橋らしきものは見えない。

そもそも来る時、私は橋を渡った記憶が全くなかった。

脳の残量メモリーはまだたっぷりあるのに。

お遍路をしていると時々このような理不尽な場に直面する。

どうもまた、お大師様が私の脳を一時的に無力化させたようだ。

時刻は9時20分、もう30分近く変な方向へ歩かされているみたいだ。

地図の位置からして数キロ戻って橋を渡るルートが

まっとうな道だと判断した。

歩いていてはとても間に合わない。

9時35分がダメなら、次は10時50分である。

私は泣きそうになりながら走った。

メロスのように走りに走った。

こんなに走ったのは○○年ぶりであった。

だが、バス停に着いたのは9時37分であった。

「だめだったか」

私はがっくりと肩を落としベンチに腰掛けた。

しかし、しばらくしてバスがやって来た。

行く先を見ると「徳島駅行き」、少し遅れてやって来たのだ。

乗れたから喜んでいいのやら、JRバスには間に合いそうもない

から悲しんでいいのやら。

でもやっぱり喜ぶべきでしょうね。

お大師様は私を思いっきり走らせ、結局間に合わせて

くれた。

これをどうとらえればいいのだろうか。

お前にはまだ、それだけの体力があるぞ、だから頑張れ

と教えてくれているのかも知れない。

しっかりと汗をかかされた。

私はジャンパーを脱ぎ、バスに乗った。

乗客はまばらだった。

バスは山間部の道を走った。

あまり広い道ではないので、時々バスは停車して

渋滞している後続車を先にやった。

羽ノ浦の宝くじ売り場に、三億円当選と張り紙が見えた。

日曜日である、駅が近づくほど乗降客が増え、バスは

段々と遅れているみたいだ。

とは言え、そのお蔭で私も乗れたのだから文句も言えない。

駅も近い昭和町あたりまで来た時、私は地元(らしく見えた)

のおじさんに

「11時までに徳島駅に着くでしょうかね」

と尋ねた。

その人は

「無理だね、このままいけば11時06分くらいに着くぞ」

と時計を見ながら言った。

しばらくの間を置いてその人は

「どうした」

と私に訊いた。

「実は11時発新神戸駅行きのバスの切符が買ってあるんですよ」

と私は言った。

「俺も以前に新神戸駅行きのバスに乗り遅れたことがあった。

でも事情を話したら次のバスに乗せてくれたぞ」

とその人から力強い経験談をいただいた。

 

「あのー、10時58分着の徳島バスが遅れたもので、11時の

バスに乗れなかったんですが、なんとかならないものでしょうかね」

私は恐る恐る切符を買ったところで言い訳がましく尋ねた。

「この切符は乗り遅れたのですから、すでに無効です」

と冷たく事務的に係員は言い放った。

そうか、やっぱり駄目か、柄にもなく予約なんかするから

こうなるんだ、これで3300円パーになっちまったじゃないか、

しかし何とかならないものだろうか、お金はちゃんと払った

んだし、バスが遅れたのは私のせいでもないし、こういう時

普通は係員の口から、しかしとか、だがとかの否定接続詞が

出てくるものだが、と言葉を待った。

「でも」

おっ、そらきた、先程の係員の最後の言葉から1/10秒後に

私の期待する接続詞が出て来た。

「でも、運転手さんに相談すれば乗せてもらえることも

あります」

私は暗闇の中に一条の光明を見出したような気がした。

 

11時55分にやって来たJRバスの運転手さんに私は

事情を話した。

運転手さんは優しそうな人で

「一番後ろの席に乗りなさい」

と言ってくれた。

これが意地の悪そうな人で、しかも朝、かあちゃんと喧嘩

でもして来た人なら拒否されてたかも知れない。

多分乗り遅れた人の指定席であろう一番後ろの席で

私は快適なドライブを楽しんだ。

 

バスは鳴門を通り、淡路島を通り、三宮を通り14時

新神戸駅前に着いた。

新神戸駅は2階が切符売り場で3階がホームであった。

いつもこの駅に着くと暗い駅だなと感じていたのは

建物の中にあったからなんだと納得した。

14時22分の「のぞみ28号」に乗った。

車内は大分混んでいたが三席の通路側に空いた席を

みつけ

「ここ空いてますか」

と私は尋ねた。

五歳くらいの男の子と母親であったが

「空いてますよ」

と母親はさわやかに答えた。

座席に座ると、今回の旅の思い出が走馬灯のように

蘇って来た。

坂東駅のこと、焼山寺のこと、車に乗せてもらったこと、

常楽寺のユキちゃんのこと、間違い切符のこと、鴨島の

駅員さんのこと、立江寺や太龍寺でのバタバタのこと、

とても楽しく思い出させてもらった。

惜しむらくはこの旅の目的の一つでもあるブログの

宣伝が出来なかった事かな。

年配の方はパソコンを持ってないか、持ってても子供から

お古を貰ったもので、使い方がわからない人が多く、

私のブログが伝えられなくてとても残念に思う。

そんな事を考えていたら、隣の母親が時々スマートフォン

をいじっていた。

とても優しそうなお母さんで、盛んに子供とスキンシップを

とっていた。

なにを話しているのか聞こえなかったが、とにかく

優しさは半端ないものだった。

きっとこんなお母さんが育てた子なら立派な大人に

なるだろう。

理想的な子育てを見せてもらったような気がした。

こういう素敵なお母さんに巡り会わせてもらえたのも

何かの縁とメモ用紙にブログタイトルを書き母親に渡した。

次の停車駅は新横浜だ。

ついに、しろひ猫ウィルスは横浜まで運ばれることとなった。

徐々にではあるが、しかし確実にウィルスが蔓延して

くれることを祈りつつ私は名古屋駅のホームへ降り立った。

 

15時40分、私は名鉄本線の急行に乗った。

「本日はこの電車は中京競馬場前にも臨時停車いたします」

車掌のアナウンスが聞こえた。

実は私が11時発のJRバスにこだわったのは、マイルチャン

ピオンシップの馬券がこの中京で買いたかったからだ。

しかし乗れなかった時、私はその理由を薄々感じていた。

これもお大師様の作為なのだと思う。

電車は中京競馬場前に着いた。

年のいった男性が乗って来て私の隣に座った。

スポーツ新聞を持っていて、いかにも今競馬場からの

帰りだという感じだった。

「マイルはどうなりましたか」

「16番のモーリスが勝ったぞ」

「クラリティスカイは来ませんでしたか」

「そこらにおらんかったぞ」

私はクラリティスカイの複勝を1万円買う予定でいたが

バスが遅れたため買い損ねた。

3300円のバスの切符も無駄にならず、はずれ馬券も買わずに

済んだのは、すべてお大師様のお蔭だ。

何事もなくお遍路が完遂できたことと併せて心の中で

感謝の合掌をした。

何事も自分に都合のよい解釈をする、これが仏教の

真髄ではないのか。

 

16時20分我が家に着いた。

な、なんてこった。

 

 

チューリップの球根がほじられていた。

また猫共の仕業だな。

芽がちぎれているのもある。

これで6度目のことである、早速私も6度目の埋め直し

をしなければならない。

これが本当の、猫と私の「根比べ」なんちゃって。

まさに「水掛け論」に始まり「根比べ」に終わる

お遍路紀行文でした。

最後に私が一番好きな日本語を猫にあびせます。

「芽ーーーーーっ」

それでは玄関まであと3キロ、頑張ります。

本日の歩行距離9,7km

鉄道運賃23000円くらい タクシー料金13000円おおよそ 

宿泊費15000円かっきり お土産代2300円だったかな

飲食費5000円ちょっと切るくらい ロープウェイ2470円かっきり

納経料6700円のような バス料金11780円大体

合計三百五十万円ヒェー  実は79250円でした。

完   次回も乞ご期待。