猫、108寺を歩く。その6

11月13日

7時40分に家を出る。

これが家出でないことは読者も十分

承知であろう。

そう、コロナの影響で2年近く自粛していた

お遍路の再開なのである。

不安が10%、嬉しさが90%、差し引き80%の

歓びに私の胸が打ち震えていたことは小学生

でもわかる計算であろう。

晴れていたのか曇っていたのか、帰って来てか

らの執筆なので覚えちゃいない。

が、雨でないのだけは確かであった。

8時10分名鉄三河線竹村駅にとうちゃこ。

おいおい、正平ちゃんの癖がうつってしまった。

名古屋まで620円のきっぷを買う。

乗客が多いので、高知あたりの運賃よりも随分

と割安であると感じるのは私だけであろうか。

8時26分の知立行きに乘る。

いつものお遍路より3時間遅いスタートである。

それ故に楽である。

朝4時半起床なんてのは辛いですものね。

知立で乗換え名古屋に9時10分に着いた。

JRきっぷ売り場は混雑していた。

私は高知までのきっぷを買った。

 

ホームに駆け上がり時刻表を見るとやけに

新大阪行きの「のぞみ」が多い。

コロナ以前はこんなになかったような気がする。

博多行きはと見ると、9時32分と10時10分がある。

どちらに乗るかザットイズザクエスチョンである。

私は10時10分のやつを選んだ。

 

岡山から南風9号に乘る予定だ。

私が名古屋を選んだのは、岡山にはベンチが

なく名古屋にはある、それだけの理由だ。

これからしっかり歩くのだから少しでも足へ

の負担をかけないようにしたい。

そんな訳で名古屋のベンチに座って待つ。

目の前に、巨大な河合塾のビルディングが見える。

たかが受験産業とはいえ、こんなにも儲かる

ものなのですね。

なにも取り柄のない人は、学歴にすがるしか

ないのですね。

博多行きがやって来た。

車内は混雑していた。

私は3人席の端に座らせてもらった。

同じ料金を払っているのだから、そんなに

卑屈になることはないですよね。

中にはマスクをしてない乗客もいた。

が、車掌も注意はしなかった。

現在の新規感染者は200人くらい。

1億2千万人の200人だから、ほぼいないだ

ろうと皆安心してる。

デッキにも人がいて、乗車率はほぼ100%。

すっかりコロナ以前に戻っている感じである。

これからどんどん景気回復して日本も元気に

なっていって欲しい。

京都に着いた。

嵐山の紅葉を見るため、どっと客は降りるぞ

という私の予想通り多くの人が降りて行った。

嵐山の紅葉かどうかは不明だが。

私は窓辺に席を移した。

が、すぐに隣に人が座った。

岡山に11時47分到着。

売店でカツサンドを買い、8番ホームへと向かう。

気車は既に入線していた。

四国では気動車のことを気車と言う。

蒸気機関車ではないので汽車ではない。

私は自由席に座った。

5分程すると「南風9号」はゆっくりと

動き出した。

私はカツサンドを食べ始めた。

 

瀬戸内海そして大歩危の景観を楽しみ

14時42分南風9号は高知に着いた。

そして駅裏のバスターミナルへと向かった。

 

14時57分の高岡行きに乗るつもりだが、一応

案内所で時刻を訊いてみた。

すると高岡行きは16時50分までないという。

14時57分があるではないかと詰め寄るとそれは

平日の時刻表で今日は土曜日だという。

うっかりしていた。

宇佐行きの土曜日は見たが、高岡行きは見落と

していた。

どうしたものか、と私は思案した。

ここで2時間待つのはいやだぞえ。

確か宇佐行きも中島というバス停を通る。

中島から高岡までそんなに遠くない。

そこで私は15時11分発宇佐行きのバスに乗るこ

とにした。

バスを待っていると1人の女性が後ろに立っ

ているのに気がついた。

宇佐行きに乗るんですかと言うので、本当は

高岡行きに乘りたかったのですが今日は土曜日で

16時50分までバスがないんです、それで

宇佐行きに乗って中島まで行けばあとは何とか

なるだろうと思って、と今までの経緯を説明した。

よくバスのことをご存知ですねと彼女は言った。

上品な、若かりし頃の真野響子さん似の女性

だった。

バスが来た。

彼女も同じバスに乗った。

なにか天女のような優しさを感じる女性だった。

私はメモ帳を取り出し、「不思議の国のしろひ猫」

とボールペンで書き、破いた。

その瞬間彼女は立ち上がり、私に近付き、お接待

ですと200円を下さった。

私も手に持っていたメモ帳の切れ端を渡した。

出逢うべくして出逢った女性のように感じた。

と言うか、彼女は私のブログを読むべく運命に

ある人だと思った。

彼女はそのまま降りて行った。

うっすらと羽衣が見えたような気がした。

突「名を松原さんと言うんじゃないですか」

ハラホロヒレハレ

15時52分中島に着いた。

時刻表を見ると間もなく高岡行きのバスがある。

しかし停まるバスの向きを考えると高岡とは

逆方向である。

ドラゴンバスはコミュニティバスである。

高岡には行くであろうが、竜経由であり時間

がかかる。

そこへアルソックの車が停まった。

降りて来た警備員に訊くと私の泊るホテルまで

2kmの距離であると言う。

私は歩いてホテルに向かった。

向こうからドラゴンバスがやって来た。

ホテルには17時に着いた。

フロントで明日は5時50分のバスに乘って宇佐に

行くんですよと言うと、明日は日曜日なので

そのバスは運休ですと言われた。

重い心でスーパーへ行きビールと晩飯を買って

8時には寝た。

本日の歩行距離8,07km。

 

11月14日

2年半前、日和佐からスタートしたお遍路を終えた

のが、この宿である。

本当は須崎まで行きあわよくば「安和」まで行って

帰ろうと思っていたのですが、黒い小便にビビリ

宇佐で帰りました。

それにしてもあの黒いオシッコ一体何だったんで

しょうね。

いまだ健在である所を見ると、やはりコーラの

飲み過ぎだったんでしょう。

7時32分ビジネスイン土佐の前にあるバス停から

宇佐行きに乘る。

コミュニティバスであるからどこまで行っても、

1日中乗ってても300円である。

したがってバス停でない所からでも乘れる。

昨日出逢ったバスも手を上げれば乗せてもら

えたはずである。

バスは中島を通り、56号線をくぐり282号線に入る。

サニーマートのあたりから右折すれば早いの

ですがコミュニティバスだから集落を回って

客を拾う。

バスは海辺の突き当たりを右折して海岸線を走る。

やがて左手に宇佐大橋が見えてくる。

四度渡った橋である。

二度は昨日出逢ったバスで、二度は歩いて

渡った。

しかし行きも帰りもバスというのはない。

そんなに頻繁にバスは出ていないので二往復

と二複は歩きである。

冬季は強風に注意とある。

確かに欄干は低いので強い風が吹けば恐怖を

感じるかも知れない。

やがて折り返しのバス停「宇佐」に着いた。

私が降りようとすると運転手さんは、お客さん

青龍寺を打つんじゃないですかと訊く。

いえ私は須崎に向かうんですと言ってバスを降りた。。

このバスは折り返し、宇佐大橋を渡り、36番札所

に近い「竜」まで行く。

35番札所に近いバス停から乗ったから運転手

さんがそう思うのも無理はない。

ありがとね運転手さん。

須崎に向かって歩く。

左手には浦ノ内湾が続く。

10km以上に渡り横に向かって続く湾である。

ここからこの地を横波と言う。

同行二人ならぬ同行浦ノ内湾である。

これが終われば須崎は目と鼻の先である。

なんでもここには巡航船があり、これに乘る

ことは歩き遍路とみなされるのだそうだ。

 

しかしそれも今日は日曜日なのでやってな

いそうです。

そんなせこいこと考えるなよ。

そこまで歩くのがいやならバス気車を

使えばいいじゃん。

2kmほど行くと商店が見えて来た。

おもてで二人の女性が話をしている。

この店の人ですか、と私は話しかけた。

そうです、と女性は答えた。

覚えてますか4年前の今頃、「なずな」に泊ろう

としたら満室で途方に暮れていた時、宇佐の

バス停まで送ってもらった者です。

覚えてます、と女性は言った。

高知の駅まで戻り、ホテルに宿をとった

とか言ってた、と更に女性はつづけた。

高齢だが頭がしっかりとしている。

100歳まで生きるタイプだ。

雨でずぶ濡れになった私をいやがりもせず

車に乗せてくれた。

本当に四国の女性は優しい。

お接待だと、みかんを3個くれた。

私も店頭の自販機でお茶を買った。

気を付けて行くんだよと女性は言った。

須崎へと歩く。

しばらく行くと「民宿なずな」が見えて来た。

昨日はここに泊る予定でいたが休日だった。

私には縁のない宿なんだろう。

湾が終われば須崎は近い。

何度も湾の終わりのような所でぬか喜びさせ

られ万歩計で14kmほど歩いた辺りでやっと

おさらばできた。

あそこで終わりだと騙される

 

アスファルトの山道を抜け、へんろ小屋で

一服し、今はつぶれている元喫茶店の所から

橋を2つ渡って須崎市内に入った。

橋を渡り左折をすると芝刈りをする男性が

いたので56号線への出方を訊いた。

次の橋を渡らずそのまま行き踏切を越えて

突き当った道を左に行けば56号線に交わると

教えてくれた。

やはり、道は男性に訊いた方がいいね。

こんなこと言うと森さんのように女性に

嫌われるかな。

今日の目的地は土佐久礼、宿は「ゲストハ

ウス恵」

インターネットで土佐久礼、宿で調べてい

たら出て来た宿だ。

泊った人の評判もいいようなので決めた。

が、所在地は定かではない。

暗くなったら捜すのはほぼ困難なのでひ

たすら歩く。

わき目も振らず、飯も食わず、道の駅にも

寄らず黙々と歩く。

そして安和に着いたのは15時40分だった。

土佐久礼まであと7km、体力はもう残って

ないように思えた。

私は「安和駅」へと向かった。

16時50分の気車を一駅だけ利用しようと。

ホームには赤い服を着た女性が数人立っていた。

観光列車がやって来て、彼女達はおもてなしを

していた。

 

安和駅は特急の停まる駅ではないが、ナイス

ビューのこの駅に観光列車は停まったのだろう。

5分程の停車の後列車は去って行った。

 

時刻は16時、私は考えた。

気車に乘ればまた明日この駅まで戻り、歩か

ねばならない。

少し元気が出てきたので私は再び歩くことにした。

伸びきってしまった腕で再び懸垂をするような

辛さだが。

右手に4年前泊った「民宿あわ」が見える。

80代の夫婦が営む宿で、とうに廃業したかと

思ったがまだやっている。

きっとお嫁さんがやっているのだろう。

これで生計を立てるのは到底困難な時代だから。

焼坂トンネルを登る。

街頭はほとんどない。

この辺りで夜を迎えたらとても危険である。

やがて道標のある左へのへんろ道に入る。

真っ暗だったらこれすらもわからず車道を

進んでいたことだろう。

右側には土讃線が並行する。

宿の人が言っていたスーパーマルナカが

見えて来た。

私はスーパードライと寿司2パックを買い、

レジでゲストハウス恵の在処を訊いた。

それはスーパーから30mほど行った所を

左折し、更に100mほど行った所にあった。

暗くてわかりにくかったが明るければ一目

瞭然である。

女将は首を長くして待っていた。

18時20分であった。

ベッドにしますか畳にしますかと訊くので

ベッドにしますと私は言った。

一通り家の設備の説明をし風呂の湯を入れな

がら玄関の戸締りをして女将は去って行った。

文字通りゲストハウス、この家は今晩貸し切り

なのである。

風呂に入り寿司を食べ500mlの缶ビールを

一本あけて私は寝た。

本日の歩行距離38,07km。

 

11月15日

5時に目が覚めた。

夕べは8時に眠り、夜中に一度目が覚めた。

それにしてもよく寝た。

空腹は最高の調味料、疲労は最高の睡眠薬か。

よく眠れないとお悩みの方、1日38km歩けば

ぐっすり眠れますよ。

朝食は、昨日の寿司の残りをいただく。

四国の食べ物は大抵醤油もソースもついてない。

醤油をつけない寿司は美味しくない。

冷蔵庫の中にある醤油を持って来て食べる。

しかし醤油をつけてもくそまずい。

こんなまずい寿司は生まれて初めて食べた。

夕べは朦朧とした意識の中で食べたので

気が付かなかったが。

海辺の町なのでネタは新鮮かと思ったが。

勿論、シャリもくそまずい。

まずいものはまずい。

よくテレビのリポーターは馬鹿の一つ事の

ように「うまい」と言う。

突「作った人への忖度でしょ」

じゃ何かえ、視聴者に忖度しなくってもいい

というのかえ。

自分の思ったことをはっきり言う。

それが愛だと私は思う。

今の世の中はまやかしの愛に溢れている。

突「やかましい」

500mlのスーパードライを2本買って来たが

1本を余らせてしまった。

ビールの比重はほぼ1だろうから荷物が

500g増えてしまった訳だ。

リュックに詰め込み7時岩本寺へとスタート。

女将は廊下の先のドアの向こうの母屋にいる。

あいさつはいらないと言うのでさっさと出て行く。

マルナカの前を通り、駅の横を抜け56号線に出た。

女将は、どこどこの酒蔵だとか、美味しい喫茶店

だとか盛んに地元の名所を紹介する。

きっと土佐久礼を愛する人なのだろう。

でもお遍路さんは次のお寺のことしか頭にないのだ。

またいつかゆっくりと回る時に寄せてもらう

ことにする。

宿にはもう2度と泊りたくないものと、また泊ま

りたいと思うものがある。

この宿は後者であろう。

ゆったりとした久礼坂を登って行く。

第一、二、三、四とトンネルがある。

がこの辺りのトンネルには歩道がない。

歩道のないトンネルは歩行者にとって恐怖だ。

逃げ場がないのだ。

誰でもいい、人を殺す経験がしてみたかった

などと言う奴がここを通ったなら私はイチコロ

である。

知事さん、いっぺんここを歩いてみろよ。

歩道をつけてくれよ。

しかしトンネルを抜けると久礼坂はとても

景色がいい。

 

小春日和である。

突「なんて読むんですか」

しょうかすがわ。

待避所のような所ににわ鳥がいた。

突「何羽いました」

いちわ。

 

同じ空き地に猫もいました。

 

 

わかっていれば、あのくそまずいネタを

持って来てやったんだが。

私は盛んに猫を呼びました。

突「何て呼びました」

ネコラス!!

すると子猫が二匹出て来ました。

どうやらこの空き地には三匹の猫が棲んで

いるようです。

器もおいてあることから誰かが餌をやって

いるのもわかります。

家の近所だったら私も毎日餌持って来て

やるんだがなぁ。

ニワトリは山の中へ飛んでいき、盛んに

コケコッコーと鳴いてます。

どうやら日本産のニワトリのようです。

突「米国産なら」

クックドゥードゥルドゥ―。

突「中国産なら」

・・・私を困らせるな。

七子峠まで来た。

 

突「なんて読みます」

ななことうげ。

突「じゃ森七菜は」

もりななな。

廃業したレストランに人がいる。

またレストラン始めたのかなと見ていると、お茶

でも飲んできませんかと声がかかる。

ちょうど喉が乾いてたので寄ると、全身まひの

画家西村なんとか言う人の個展をやってた。

全身まひの状態でどうして絵を描くのですか

と尋ねると僅かに動く手で点のように描くの

だそうです。

男性は学芸員のように説明を始めるが一向に

お茶は出て来ない。

時間が勿体ないので私は元レストランを出た。

峠を下る。

ラーメンの豚太郎が見えてくる。

今日は休業日とある。

飲食店ではないが次の店も休業とある。

どうやらこの辺りは月曜日が休業日の地域の

ようである。

向こうからサイクリングの女の子がやって来る。

うどん屋さんはないですかと尋ねると、奥まった

所にあるから見えないけどすぐそこですと彼女

は言った。

今日はやってますかと訊くと、一瞬の間を置いて

車が停まってましたから大丈夫だと思いますけど

と言った。

このやりとりから彼女はこの辺りの人で、うど

ん屋さんには入ったことのない人だと推察できた。

ありがとうとお礼を言うと、リュックの口が

開いてますよと彼女は言った。

こっちへ来て下さいと言うので、そばに行くと

彼女はリュックの口を閉めてくれた。

私は再びお礼を言った。

小学生かと思っていたがハイティーンくらい

の可愛らしい娘さんだった。

ハイティーンってのがいいね、死語だろ。

こうやってお遍路をやっていると、いろんな所で

癒される。

これがいいのだろうね。

いい思い出として残り、思い出すたびに

癒される。

私にとっては心の財産だ。

出来るならば彼女も遠い将来お遍路をしてく

れたらいいのだが。

少なからず、リュックを閉めてあげたお遍路さん

の影響を受けてなんて言ってもらえたら最高だ。

マスクをつけてうどん屋さんへ入る。

一玉半のかけうどんを頼む。

ついでにイカと玉葱の天麩羅も皿に盛る。

水もセルフサービスだ。

最近お遍路さんはどうですかと尋ねると

少しづつ増えていますと店員さんは言った。

いい傾向だ。

だが外国人が入国出来ない現状では、まだまだ

厳しいか。

おつゆまできれいに平らげて店を出る。

600円だから安いと思う。

山間の道を行く。

安和や久礼の山道と違い、民家は沢山あり

安心できる道だ。

かげの、ろくたんじ、にいだと土讃線に導

かれて窪川駅まで来た。

駅前の公衆電話から明日の宿を予約する。

宿は「ホテル海坊主」である。

何時頃来ますかと言うので16時くらいにな

りますと答えるとお遍路さんですかと言う。

そうですと答える。

札所も近いせいかお遍路さんをよく見かける。

岩本寺には15時に着いた。

突「今回は何をお祈りしました」

やはり親戚一同の健康、世界人類の平和、もう

じき冬季オリンピックなので高梨沙羅ちゃんの

金メダルです。

現状ちょっと難しいかも知れないけど、上位の

選手が失敗すれば可能性はゼロではない。

競技に失敗はつきものです。

一生懸命、他の選手の失敗を祈ります。

本堂にはピアノが置いてあった。

いつか見た四万十町の「街角ピアノ」で紹介

されたやつだ。

それにしても「月光」を弾いていたあの男子

中学生カッコよかったな。

きっと女の子にモテるんだろうな。

歌って踊れる男子なら掃いて捨てるほどいるけど

「月光」を弾ける男子中学生は滅多にいないもんな。

お参りを終え、本日の宿「うな吉」に向かう。

夕食はどうします16時には店を閉めますけど

と言う。

それじゃ夜中に腹減ってしまうのでやめときます

と言うとスーパーの在処を教えてくれた。

部屋に入ると目の前に洗濯機がある。

早速3日分の洗濯物を放り込みスーパーへ

買い物に行く。

返って来ると洗濯機は仕事を終えていた。

乾燥器はなかったが部屋にかかっているヒモ

にかけて干した。

エアコンをバンバンに効かせれば朝まで

には乾くだろう。

風呂に入り晩酌をやり20時には寝た。

勿論昨日の缶ビールも冷蔵庫で冷やして

飲んだ。

兎に角四国のテレビは4チャンネルしかなく

早寝するには最適の地だと思う。

本日の歩行距離28,52km。

 

11月16日

5時に起きる。

洗濯物に手をやるとすっかり乾いている。

きれいにたたみ、リュックに詰め込む。

昨日朝食用に買っておいた焼きそばを食べる。

これがまたくそまずい。

一口食べてゴミ箱に捨てる。

今日まで3日間、高知の宿はまあまあだったが

スーパーの食べ物は最悪だった。

今度来る時は素泊まりはやめて、宿のご飯を

食べようと思う。

6時うな吉を出て56号線を右に行く。

ゆるやかな上り坂をしばらく行くと、へんろ道

に入る。

 

最初は民家の間を抜けるアスファルトの道

だが、途中からけもの道に入る。

しばらく上り坂だが、そのうち下る。

坂道ではあるが階段ではない。

まったく整備されてないけもの道だ。

土で滑る、小石で滑る、落葉で滑る、濡れた

岩で滑る、木の根でつまずく、上にのれば

滑る、滑った先には崖が待っている。

杖がなければ私は道路まで出ることは出来な

かったであろう。

屋島寺から八栗寺への下り坂に匹敵する

悪路である。

へんろ道保存協力会の人たち、何とかなりま

せんか。

今にこの道でけが人が出ますよ。

これでは世界遺産登録は到底無理だと思いますよ。

もうこの次からは車道ですね。

距離は長くても時間的には変わらないと思います。

お遍路さんが敬遠したくなるような道はへんろ道

ではありません。

8時半自動車修理工場の前に出た。

西へと進む。

土讃線の音は聞こえない。

途中で、個人的な接待所でコーヒーでも飲んで

行きませんかと誘われた。

が、先を急ぎますんでとお断りした。

勿論、有難うございますの感謝の言葉は

忘れなかった。

拳ノ川を過ぎ、荷稲まで来た。

 

突「なんて読むんですか」

かいな。

突「ほんまかいな」

2点。

公衆電話がある。

ドアを開けるが既に使われていない。

ここらの電話は6割がこれだ。

たまに「現役」があったりすると財布の中身が

10円しかなかったりする。

撤去するにも費用がかかるのでほったらか

したままだ。

シダ坂あたりで4年前にたこ焼きを買った。

今年もやってるかなと寄ってみたが、やって

なかった。

コロナのためしばらく休ませて貰います、

と貼り紙がしてあった。

これだけを楽しみに歩いて来たのに。

飲食店は所々あるけど、私の好みでない

ものばかりだ。

私は「なかむらやさん」のような昭和の

食堂しか入れないのだ。

伊与喜まで来た。

熊井隧道は現在通行止めのため56号線を

進むようにと案内があった。

 

途中から56号線をはずれ土佐佐賀の繁華街へ入る。

駅に寄る。

女性に公衆電話はないかと尋ねる。

この辺の人間ではないのでわからないと答える。

つっけんどんな人だ。

四国の人ではないな。

郵便局の前を通る。

公衆電話があった。

以前この電話を使ったことを思い出した。

民宿くももに連泊の予約をとった。

女将は必ず来て下さいよと言った。

ホテル海坊主を目指す。

海辺に出た。

民家は殆どない。

そのせいか津波避難経路の表示がどこにもない。

もし今私がここで津波に遭遇したら、どうすれば

いいのだろうか。

登って行けるような道はない。

あったとしても、それは余程のスポーツマン

でなければ登れない急坂だ。

車に手を上げても誰も止まってくれそうもない。

運が悪かったと思って死んでくれ、ということか。

15時、津波よ来ないでくれと祈りつつ歩くと

トンネルが見えた。

ここまで来ると避難経路はボチボチある。

トンネルを抜けると、後ろからお遍路さんが

やって来る。

赤いTシャツを着た20代の若者だ。

今日はどこから来たと言うので岩本寺から

だと言う。

朝早く出たんですかと言うのでそうだと答える。

私のスピードから割り出されてしまったようだ。

今日はどこに泊ると訊くと道の駅でテントを張る

と答えた。

なるほど重そうなテントを背負っている。

若者はテントを背負っているにも拘らず、見る見

る間に小さくなっていった。

この旅初めて遭う歩き遍路さんだ。

16時、「ホテル海坊主」に到着。

フロントで清算を済ますと、5000円分の

クーポン券をくれた。

 

部屋に入りカーテンを開けると、すぐ目の前は

オーシャンビュー。

海抜数メートルだから津波の直撃を受けるのは

火を見るよりも明らか。

お遍路に来て、ここで死ぬならそれは運命と

しばらく海を見つめる。

少なくとも遺体も見つからないかも知れない

海岸での遭難よりはましである。

18時、お食事ですよと電話がかかる。

今日の客は私1人だけのようだ。

ビールを頼む。

朝食はどうしますかと訊くので、朝早いので

要りませんと言うとビールの料金はとら

れなかった。

部屋に戻り、冷蔵庫のビールをもう一本飲み

風呂に入って寝た。

本日の歩行距離35,65km。

 

11月17日

5時に起きる。

テレビを点ける。

NHKの気象情報を見る。

気温は12℃もある。

やはり南国なので豊田市より断然暖かい。

それでいて夏は豊田市より4、5℃は涼しい。

こんな過ごしやすい四国が何故日本の首都に

ならなのか不思議である。

高知に国会議事堂が出来、高知港が日本の玄関

であってもいいと思うのだが。

話は変わるが、コマーシャルで「また過払い金の

請求かとお思いの愛知県の皆さん」と言うのがある。

高知県でも同じコマーシャルが流れているのに、

思わず笑ってしまった。

愛知県の人はすぐいちゃもんをつけるので愛知県だけ

のコマーシャルかと思っていた。

「また過払い金の請求か、とお思いの高知県の皆さん」

6時少し前にホテルを出る。

辺りはまだ薄暗い。

日没が遅い分、夜明けも遅いのは当然か。

いきなり上り坂が待っている。

頂上まで行けば津波の被害は免れる高さかも

知れない。

30分も歩くと、以前泊った民宿日の出が見えて来た。

玄関で宿代だけとって、それっきり一度も姿を

見せなかった宿主。

素泊まりで、早朝の旅立ちだったから仕方ないけど

あまり感じのいい宿ではなかった。

ま、サーファーが主たる客の民宿は、お遍路さんは

泊まらない方がいいけどね。

夜中までうるさくて仕方ない。

浮鞭の辺りまで行くと、1人のおばあさんが

「お早う御座います」と自転車でぬいて行く。

しばらくするとおばあさんは「綾鷹」を手に持

って返って来た。

そして「お接待です」と私に下さった。

有難うございます、と私は受け取った。

おばあさんは先程とは違う右の道を去って行った。

私は左の56号線を進む。

自動販売機があった。

きっとおばあさんはここで「綾鷹」を買って帰っ

て来たのだ。

また、私は癒されてしまった。

私はおばあさんのいい死に方を祈った。

突「いい死に方ってどういうことですか」

3分前まで楽しくお喋りをしていた、静かに

なったなと思ったらもう息をしてなかった。

これがいい死に方なんだよ。

あたら長命を祈っても20年間寝たきりの100歳

じゃ意味ないだろ。

やはり歩き遍路はいいなぁ。

普通の生活をしていたら、こんなお接待は

絶対受けられませんからね。

また一つ心の財産が増えました。

56号線を更に進む。

道が二手に別れた所に出た。

左手は歩道のある立派な道だ。

進行方向は同じなのでいい道を進む。

しかし記憶にない道だ。

56号線といえば確か歩道がなくて、怖い思いを

して歩いた記憶がある。

向こうからやって来る人に尋ねた。

この道って昔からありましたかと。

つい最近出来た56号線のバイパスですよと

地元の人は教えてくれた。

しばらく行くと旧56号線と交わる。

バイパスはそのまま続き、私は左折して旧道

に入る。

1,5kmほど歩きコインランドリーの所から

左折して42号線にはいる。

お遍路のシールも何もない。

コインランドリーが見えたら左折だ。

そう覚えるしかない。

橋を渡ると上り坂だ。

登りきると東屋があり小休止をとる。

 

更に進むと右に行く道があった。

足摺岬の表示があったが無視して進む。

足摺岬だなんて、どのみち進んでも足摺岬

にたどり着くわなと。

海辺に出た。

前回この辺りで海を見た記憶はない。

「四国遍路ひとり歩き同行二人」定価2500円

プラス税の黄色い表紙の地図を開く。

ここで私は道を間違えたことに気付いた。

私は足摺岬との分岐点まで戻った。

他に道はあったが、地元の人によると戻った

方が確かだと言うので。

途中で猫の轢死体を見た。

道さえ間違えなければ見なくて済んだものを

と案内を無視した自分を悔やんだ。

最初から地図をみておけば確かだが、見てい

る間に100mは進めるかと思うと仲々見られな

いのです。

やがてこの地域で唯一の信号機にさしかかる。

 

これを抜ければ後は四万十川まで道なりだ。

歩道のない道が続く。

向かってくるダンプの数が滅多矢鱈と多い。

しかし運転手さんは気を使って反対車線を

走ってくれる。

これも広い意味でお接待であろう。

右手に池が見えてくる。

私に気付いた水鳥たちが一斉に飛び立つ。

この道には記憶はないが、水鳥のいる池の

記憶はある。

しかしそれがここだったという記憶はない。

そうかここだったのか。

水鳥の中に私の大好きなオオバンはいない

かと捜したものだ。

四万十川に着いた。

四万十大橋です。

橋の手前の東屋で一服やる。

清流四万十川です。

橋を渡ると階段があり、降りて321号線と

合流する。

うどんの田吾作が見える。

寄らずに進む。

この旅殆ど昼食をとっていない。

歩き遍路である。

めったにトイレに遭遇しない。

ウンコがしたくなると困るのが最大の理由だ。

他には歩くこと以外に時間をとられたくない

というのもある。

伊豆田トンネルを抜ける。

全長1620mとある。

 

松尾トンネルが1710mだからきっと松尾の

方が後に出来たのだろう。

負けず嫌いな松尾トンネルめ。

324mのエッフェル塔を意識して建てた

333mの東京タワーと同じだ。

2kmも歩くとまた道は二手に別れた。

川の右を行く道と左を行く道だ。

賑やかそうな左岸を選んだ。

そう言えばサガンとか言うフランスの作家

がいましたね。

突「右側を行ってたら」

そう言えばウガンダとか言う国がありますね。

コンビニを過ぎ、安宿(あんじゅく)を過ぎ、

橋を渡り、呼びかけるよわたしにホイ、じゃ

なくて右岸と合流する。

地図によると久百々まであと2,8km、登ったり

下りたりを繰り返しジャスト5時に民宿「くもも」

に到着。

へへへ3分ほど宿の前で足踏みしてましたってのは

冗談です。

最後の2,8kmは5kmにも感じた。

ああ疲れた、人生最大の疲労感。

風呂に入り18時、ホームページでもお馴染みの

食卓へ向かう。

 

残念なことに今日の客は私1人だった。

おいしい料理をいただき、テレビを見る。

この地方のニュースをやっている。

お遍路宿の「ロッジカメリア」が宿をたたむらしい。

コロナの影響で客足も減り、後継者もいない

のでそうするとご主人は淋しそうに語っておられた。

右岸と合流する所にある宿だ。

一方で焼山寺山麓にある「すだち館」が再開する

というニュースもやっていた。

食事も終え、クーポン券のことを女将に

尋ねた。

指定された店に行けば5000円分しっかりお

土産が買えますよという話だった。

こういうものに疎い私は、こんな紙切れで

店の物をごっそり持って行ったら申し訳ない

からゴミ箱に捨てようと思っていた。

しかしこの紙切れ、しかるべき所へ持って行

けば同額の現金が貰えるのだ。

つまり全部使い切ってあげればお店は喜ぶのだ。

私は捨てなくて良かったと思った。

兎に角、今日は疲れた。

19時私は夢の中へと吸い込まれて行った。

さがしものはなんですかー

本日の歩行距離40,44km。

 

11月18日

4時40分に目が覚めた。

かれこれ10時間近く眠り続けた訳だ。

やはり疲労は最良の睡眠薬だ。

私が体現し証明して見せた。

今日の出発は6時半である。

前回は6時にスタートし何とか全行程を徒歩で

完結させたいと思ったが、途中で道を間違え

7kmほどバスを使ってしまった。

今回こそ全部歩くぞという意気込みでここまで

来たが、疲労も著しく無理だと分かった。

もしやったら久百々には20時の到着となるだろう。

中には車一台がやっとの細い山道もある。

灯りは全くない。

極めて危険な行程になるので断念した。

往復で40km、しかもこれはへんろ道を使っての

もの。

車道オンリーなら45km以上はかかるであろう。

もし歩き遍路にこだわるなら、間で足摺岬の一泊

を入れなければならない。

そうなると荷物は持って移動しなければならない。

テレビで天気予報を見る。

雲の多い日ではあるが雨は降らない。

数日前まで今日は雨であったはずだが、お大師

様が晴れに変えて下さった。

ニュースでは岡崎の小学校の落葉スキーを

やっていた。

まさか土佐清水まで来て、親父の母校の松葉

スキーが見られるとは思わなかった。

朝食を食べ6時半に足摺岬に向けてスタート。

へんろ道もあるが距離的にかわらないので

車道を進む。

女将さんも、へんろ道は使わない方がいい

と言う。

右手に鷹取山が見える。

 

この前来た時も写真を撮った。

朝靄がかかっていて幻想的なシーンであった

ことを覚えている。

幡陽小学校の横を通る。

すぐに道は二手に別れている。

真っ直ぐ行けば土佐清水市、左へ行けば

以布利(いぶり)である。

前回私は真っ直ぐ行って橋の所で間違いに

気づき引き返した。

左へ行く。

民宿「星空」がある。

ひょっとして天井がない宿かも知れないな。

部屋の中でテント張って寝るのかも知れない。

すぐにへんろ道の道標がある。

近くにいた人に、わかりやすい道ですかと尋ねる

と道標は多く迷うことはないと言う。

距離的には大分助かりそうなので、へんろ道を

進む。

立派なトイレがあったが用事はなかった。

飲み物が切れていたので補給する。

やがて海辺に出る。

あしずり遍路道とある。

 

大きな丸い石や、漂着物がどっさりとあって非常に

歩きにくい海岸線を行く。

一応へんろ道の表示はあるが、そのうち消えた。

さらに進むと増々石だらけの海岸になっていった。

もはや歩行困難な状況である。

果たしてこのまま行っていいものだろうか、と

私は途方に暮れた。

が、私は引き返した。

途中までへんろ道の表示はあったのだ。

私が何かを見落としている可能性があると、辺りを

見回すと、右側の奥まった所に白い四角い人工的

な物があるのに気が付いた。

近付くとうっすらとへんろ道と書いてある。

けもの道の登り口である。

10分ほどで車道のへんろ道に出た。

女将さんの忠告を守らなかったことを後悔した。

車道を行く。

アスファルトで道路状況は悪くはない。

しかし道は狭く、灯りもないので暗くなったら

怖い道である。

2kmも歩くと大通りに出た。

海岸通りを歩き海鮮館大漁屋のあたりの休憩所

で一服やる。

老人がやって来て、へんろ道は歩かない方がいい

とアドバイスをくれる。

足摺岬に限らず、四国の至る所でこのような

アドバイスを受ける。

何十回と受けている。

地元の人に、やめた方がいいと言われているこの

現実をへんろ道保存協力会は把握しているの

だろうか。

危ないへんろ道は閉じて、アスファルトの道を

へんろ道にした方が世界文化遺産登録の近道に

なるのではないか。

お大師様の時代の郷愁に浸っていても仕方がないぞ。

果報は寝て待てと言う諺があるが、あんなのは

嘘だ。

人事を尽くして天命を待たなければ。

ま、登録されて一大ブームが起きても、既存の

お遍路さんは宿がなくなり困るから内心は

登録されないことを望むけれど。

熱しやすく覚めやすいチャラい日本人が多い

から、民泊を始めてもすぐに客は来なくなる。

歩きお遍路さんは1億2千万人の内の2500人だ。

超少数派だから仲間意識も強い。

これが右も左も歩きお遍路さんばかりになれば

賑わう観光地の日本人と同じだ。

挨拶すらもしなくなる。

こう考えるとブームなど起きなくていいと思う。

せいぜい起きても年間5万人くらいに留まって

欲しいと思う。

などとブツブツ言ってたら、前回弁当を食べた

ベンチをみつけた。

でっかいおにぎりを2つ頬張ったっけ。

しかし今回は食べなかった。

札所までまだ6kmほどあり、WCは地図上は

見当たらないから。

前回バスを拾った津呂集会所前に差し掛かった。

バスからみれば私を拾った場所になる。

歩いていると、やたらと政治家のポスターを

見かける。

岸田さん、山口さん、志位さん、そして枝野さん。

立憲民主党のキャッチコピーは「変わります」

で枝野さん本当に変わってしまった。

こりゃ今年最高のギャグだね。

批判ばかりしていても人はついて来ないって

ことですね。

黙々と歩く。

仲々札所はやって来ない。

しかし先端が近いのは海の感じからしてわかる。

こんにちわと、茶髪の軽装の若者が追い抜いて

行く。

この旅二人目の歩きお遍路さんである。

そして13時30分、38番札所金剛福寺に到着。

 

帰りはバスなのでゆっくり目に歩いた。

本堂へ向かう。

蝋燭と線香をあげ、お参りをする。

親戚一同が大過なく生きて行けますように、

高梨沙羅ちゃんが金メダルを取れますように、

ヤクルトが日本一になり、コントレイルが

ジャカンパップを制することが出来ます

ように。

突「最初の2つはいいけど、結果の出ている

ことを祈るな」

どうもすいません。

でも希望してたことだからいいじゃん。

境内で茶髪の若者に遭った。

納経を済ませ、門前の土産物店に入る。

ちょっとした物を買い、この店でクーポン券

は使えますかと訊くと使えると言う。

しかし明日は平田まで歩くので使わなかった。

お土産を手に持って20km歩きたくないで

すものね。

前回いた猫はまだいるかなと駐車場に行く。

しかし駐車場は満杯で猫は見つからなかった。

店の人によると、猫は野良で観光客に餌を

貰って生きてるってことでした。

バス停に行きベンチで遅い昼飯を食べる。

おにぎりが2個とバナナと菓子と飴玉が

入っている。

私の大好きな「みかんちゃん」も入っている。

やはりここらでも売っているんだ。

なにか嬉しくなってしまった。

14時20分バスがやって来た。

これが折り返しの40分発の中村行きになるのだ。

以前これに乗って来て、あわただしくこれに

乘って帰った覚えがある。

万次郎生家を通り、プラザパルまでやって来て

小休止。

ここが東海岸や宿毛への乗換え地点になるのだ。

以布利を通り、大岐の辺りまで来ると、歩いて

いるあの茶髪の青年をみつけた。

一体どのような経緯で彼はそこにいるのだろうか。

今晩、寝られそうにないかも知れない。

16時頃「くもも」に着いた。

民宿のすぐ前がバス停なので助かる。

部屋に戻り、窓から海の写真を撮る。

 

元旦にはあの水平線から太陽が上がるはずだ。

いいぞー、暖房の部屋から初日の出なんて。

夕食に階段を降りて行く。

体中の筋肉が悲鳴をあげている。

しかし夕食は美味しかった。

美味しい食材を使えば誰でも美味しい料理は

出来る。

同じ食材を使って一番美味しい料理を作れる

人、それがここの女将だと思う。

女将に高知の銘菓はどれかと訊いたら「かんざし」

と答えた。

女将にクーポンの使える店を調べてもらった。

そして高知の銘菓はどれだと訊いたら「かんざし」

と答えた。

2日分の清算を済ますと、明日何時に出ますと

訊く、平田を14時40分の気車に乗りたいので

6時には出たいですねと言うとじゃ5時半に

食事は用意しますと言った。

部屋に戻り寝た。

本日の歩行距離26,92km。

 

11月19日

大谷翔平君と一緒にランニングをした。

充分ついて行けた。

私も結構やるなぁと思っていたら段々と息苦

しくなって目が覚めた。

夜中に時々起きる小さなパニック障害である。

再び眠り、5時に目が覚めた。

夕べのパニック障害は何だったのだろうか。

平田までは20kmの距離だと思っていたが、それは

私の勘違いで28kmあるらしい。

そうだとすれば私は三原村辺りで行き倒れになる

かも知れない。

私が自分に与えた試練に対してのお大師様のドクター

ストップなのかも知れない。

5時半食卓に行く。

女将には予定の変更を告げる。

宿の前から7時20分のバスに乗り、中村駅まで行くと。

食事を終え、宿帳に住所氏名とコメントを載せる。

そして、しろひ猫参上!!と書いた。

女将がこのブログの存在を知るかどうかはフィフティ

ーフィフティー。

以前にも直接メモ用紙を渡したが読んでないよう

なのでまた駄目かも知れない。

が、どうしてもという切実な欲望はない。

ケセラセラ、なるようになればいい。

部屋に戻り、旅支度を整え、布団の上に大の字

になって体を休める。

結局今回足摺岬から平田駅まで50km近くの

徒歩を残してしまった。

この次は公共交通機関を使うつもりなので、くもも

に2泊してバスで足摺まで行き帰りは歩き、そして

翌日平田まで歩くことにした。

お大師様は私の心の中に住んでいる。

人は騙せてもお大師様に嘘はつけませんから。

それにしても「くもも」はいい宿だ。

宿は古いが我が家に戻って来たような安心感がある。

それは女将の優しさに因る所が大きいように思う。

人も宿もハードよりソフトが大事だ。

ポルシェに乗ったつまらない奴よりオンポロ軽に

乗った面白い奴のがいいだろ。

7時になったので玄関まで行き、しばらく女将と話す。

彼女は私と同い年なのだ。

より親近感が増す。

7時10分、また来ますと言って外に出る。

 

バスを待っていると女将が何か持って出て来た。

忘れ物でもしたかと思ったら「ホッカイロ」だった。

泣かせるじゃねえか女将。

バスに乗る。

通常中村足摺岬間の平均乗降客数は1人だが、早朝

の金曜日である。

高校生が沢山乗っていた。

が、一つだけ空席があった。

この後、この席をレギュラーとする若者が乘る筈で

あるが早い者勝ちと座る。

7時55分中村駅到着。

高校生の半分は降りたが半分はバス内に残った。

降りた高校生は甲子園で活躍したあの中村高校の

生徒さんたちであろう。

いや、この子たちが活躍したという意味ではないですよ。

今では田舎の伏兵が活躍することは仲々ないですね。

高校野球も格差が拡大した。

キオスクに寄る。

クーポン券は使えますかと一応は訊く。

使えますと、予想通りの答えが返って来る。

でも貧弱なキオスクで、数えるほどのお土産しか

置いてない。

女将推奨の「かんざし」があった。

しかしその隣に「土佐日記」があった。

私は土佐日記を手に取りレジに向かった。

突「お前は女将の言いつけをちっとも守ってない

じゃないか」

だって以前に買った「土佐日記」が大好評だった

から仕方ないじゃん。

あの料理の上手い女将の推奨だから今度来る時は

買うつもりだ。

結局うまいこと組み合わせて4970円の買い物をした。

まだ30円残ってますよ、レジ袋なんかどうですか

店員さんは薦めるが荷物になるのでいらない

と断った。

次の列車は9時24分発の「南風12号」である。

岡山13時41分着の直通らしい。

それにしても岡山直通の本数が多い。

一本しかなかったはずだがと、よく見ると9年前の

時刻表であった。

それに列車名も「あしずり4号」である。

女将えらいものを渡してくれたわ。

そのあしずりに乘る。

土佐の小京都、中村です。

 

結構乗客は多い。

コロナからの国民の胎動を肌で感じる。

もう後は列車に乘ってマイホームタウンへ帰る

だけである。

早いが、総括に入ろう。

宿代大体33000円くらい。

ビジネスイン土佐、ゲストハウス恵、窪川うな吉、

ホテル海坊主、民宿くもも(連泊)

お世話になりました。

飲食代多分6000円じゃないか(自販機含む)。

交通費大方3万6千円だと思う。

使用した公共交通機関 名古屋鉄道、東海道山陽

新幹線、瀬戸大橋線、予讃線、土讃線、土佐くろしお鉄道

、高知西南交通、とさでん交通バス、土佐市ドラゴンバス。

お世話になりました。

道を尋ねた人、ややもすると4人。

初期の頃に比べると減りました。

 

出逢った猫3匹、犬0匹(どこにも居ぬなんちゃって)

鳶13羽、バッタ6匹、この地特有の大黒ミミズ無数

歌なんか歌ってましたよ、

廻ったお寺、37番岩本寺、38番金剛福寺。

納経料600円と少額。

その代り賽銭68億4821万3613円と多額。

入り切らないので賽銭箱の前に置いて来た。

突「そんな金リュックに入ったの」

大歩危です。

 

お接待をして下さった方3人

高知駅の真野響子さん、浦ノ内湾の商店の女将、

浮鞭の自転車のおばあちゃん。

有難うございました。

なかむらやの前で遭った女の子も有難うござ

いました。

優しい心で生きて下さい。

優しい心を持っていれば、優しい人を好きに

なれて幸せになれますよ。

 

雨に祟られることもなく、疲労困憊のお遍路

でしたが、時が楽しい思い出に変えてくれる

ことでしょう。

ブログを告げた人、1人。

お土産代かっきり500円。

 

4回目のお遍路も後5寺で結願です(霊山寺含む)

質の悪そうな変異株が出て来ました。

国内で流行る前に、出来れば年内に結願

をしたいと思っています。

17時40分我が家に到着。

月食の月が私を迎えてくれた。

ミスター――ムーンライト―。

総走行距離181,73km。

ご精読、有難うございました。