O.Hen-ro その3

2016年11月2日

朝4時30分、私の体内時計のベルが鳴った。

この時計にはベルを止める装置はついていない。

しかたなく起きる。

まず私が最初にするのは窓の外を見ることだ。

旅に来て一番大事なのは天気ではないだろうか。

そんなことは、わしゃ知らんなんて、読者のみなさん、

全国に20人の読者のみなさん、そんな冷たいことを

言っては、いかのきんた○。

古くから言い尽くされたギャグである。

生かすも殺すも使う人のセンスである。

外は暗いが星が出ている。

寝間着を脱ぎ、服に着替える。

汗臭い服はたたみ、コンビニ袋に入れてリュックの

底に押しやる。

きのうはいてた靴下を裏返し、じっと見る。

糸くずの固まりのようなものがあった。

どうやらこれがそらまめの原因であったようだ。

5足700円の、メグリア店頭販売で買って来た中華

人民共和国製のやつである。

安いんだから文句言うな、と言う人民の殺気だった

姿が目に浮かぶ。

安くてもいい物を作ろうと言う精神のないこの国は

いずれ行き詰まるだろう。

日本人としてはホッとする。

厚手の靴下に履き替え、再びベッドに大の字になり

今日のスケジュールの確認をする。

テレビの天気予報も終日晴れであると伝えている。

5時20分部屋を出る。

ルームキーは持って行くこととした。

外へ出ると風速6メートルくらいの風が吹いていた。

そばに石原裕次郎の映画「風速40メートル」の看板が

かかっていた。

ここはギャグではない。

本当にかかっているのだ。

嘘だと思うなら見に来るがいい。

えっ、なんでそのために徳島くんだりまで行かな

きゃならないんだって。

あんたの言うことはごもっともだ。

いいか、ここがギャグだ。

ついでに言うと競走馬に「オレハマッテルゼ」とか

「アラシヲヨブオトコ」ってのがいたが、「フウソク

ヨンジュウメートル」ってのはいなかった。

なぜだかわかるか。

競走馬命名の規定に九文字以内ってのがあるんだ。

「フウソクゴメートル」だったらパスしたのにね。

しかし風速5mじゃ迫力ねえだろ、一つも勝てずに

終わっちまう。

おっと、いけねぇ、また話が脱線しちまった、元に戻ろう。

。うまちっわ終にずて勝もつ一・・・・の郎次裕原石にばそ

6000円   0円

1000円   16100円

いつものセブンイレブンでおにぎりと温かいお茶を買い、

今日はJR徳島駅へと向かう。

学生、サラリーマン、旅人、と朝早くから強風に髪を

なびかせて急ぎ足で駅に向かう人の群れは誰も無口で。

突「それじゃ津軽海峡冬景色じゃん」

牟岐線は高架橋を渡った一番奥の4番ホームである。

高架の架はまたぐと言う意味で、架空の動物とは

空を跨ぐ動物、つまりゴジラのことを指すのである。

林先生、この説明でいいですよね。

林「ちょっと違うなあ。つまりゴジラのように現実には

存在しない動物という意味なんだ」

あんたの言い方は野暮ったいんだよ。

そうだ、彼は空を跨ぐホームランも数多く打った、

と、スマートに答えなきゃ。

牟岐行きの始発気動車は5時45分発で一輌である。

まばらな客を乗せて車輌は時刻通り発車した。

名古屋で私は日和佐行きの乗車券を購入した。

有効期限は4日間である。

有効期限はどのように決められているのか。

乗車距離を200で割って出た答えに1日を足せばよい。

私の場合だと名古屋日和佐間が560kmだから200で

割って2,8日それに1日足して端数を切り上げる

と4日となる訳だ。

逆に言えば、5日間の有効期限を得るためには乗車距離

が600km以上の乗車券を必要とする。

602km÷200=3,001日+1日で端数を切り上げて5日間。

しかし誤解をしてはいけない。

乗車券は大切なお金をはたいて購入したものだ。

有効期限を過ぎても、その日のうちに途中下車をせずに

目的地に着けばセーフである。

例えばこの乗車券で急きょ私が京都で舞妓さんと遊びたく

なって途中下車したとしよう。

時を忘れて遊び、気が付いたら5日たっていた。

そうだ私にはお遍路の使命がある、お大師様が待っている

と改心し、その日のうちに日和佐の薬王寺をお参りするの

なら、私はJR職員によって警察に突き出されることはないのだ。

そうですよね、鴨島さん。

突「なにが舞妓さんだ、そんな金もないくせに」

猫「いうだけならただや」

 

旅に出て3日目の今日、日和佐まで行くには理由がある。

鶴林寺、焼山寺といった難所で足を痛めてリタイアと

いう可能性がない訳でもないので先にこちらを

済まそうと思ったわけだ。

思えば、この切符で板東から徳島まで乗ってない。

言うなれば有賃無乗車、逆キセルだ。

突「そんな言葉聞いたことない」

でも、冒頭でも言ったように、改めて徳島から日和佐

まで買うことを思えば安い。

そうですよね、鴨島さん。

たまには私だって、役に立つことを言うでしょ。

 

窓の外に紺色の制服に身を包み、山高帽を

被った小学生の男の子が歩いているのが見える。

すぐその後を、同じ紺色の制服の女の子が3人

歩いている。

一目でわかる、いいとこのお坊ちゃま、お嬢ちゃまと

いった身なりだ。

おそらく徳島でこのブログを読んでいる人がいれば

ああ、あの学校だなとわかるだろう。

徳島の学習院といったところか。

しかし小学生がこの時刻に登校とは一体どうしたことだろう。

深く詮索せず先を急ごう。

乗客は田舎に向かうにもかかわらず、少しづつ増えて行った。

特に南小松島では多く、立ち客が出るようになった。

今年の春、逆方向からこの路線に乗ったが、やはり

乗車率200%といった感じだった。

なぜ車輌を増やさないんだろう。

阿南で沢山の高校生が降りて行った。

「あー、なんだー、淋しくなるなー」

突っ込みはニコリともしなかった。

東の空に陽が昇って来た。

失礼、進行方向に向かって左手から太陽が

顔を覗かせた。

ん?太陽は東からしか昇らないのだから東で

いいんですよね。

久々に英語で言うとHere comes the sun なのだ。

朝焼けが車内に映える。

桑野駅で8分ほど停車した。

ホームで金剛杖を持った女性が車内を見ながら右往左往

している。

やがて目当ての人を見つけたらしく、車内に入って

来て渡した。

知り合いが忘れ物を届けに来たのだろう。

2人は抱き合って歓声をあげた。

そんなに大層なものでもないと思うが。

6時47分新野駅に着いた。

丸刈りの新野高校野球部部員が二人降りて行った。

「ちゃんとユニフォームはあらったの」

突っ込みの額の血管がひくついている。

当初の予定ではここで降りて、1時間16分後の8時03分

の便で日和佐に向かうつもりだったが、ガイド

ブックの札所まで片道30分の所要時間に躊躇し、安全策の

直行を選択した。

前回は地元の人に車に乗せてもらったものだから

30分で行けるか自信がないのです。

仮にそれに乗り遅れると次は11時03分ですもの、

わかるでしょ。

数駅を過ぎた辺りに素晴らしい砂浜が見えて来た。

田井ノ浜と言う。

JRの路線図にも時刻表にも載ってない夏だけ営業する

同名の、まぼろしの駅のすぐ目の前にそれはある。

 

むかしこの辺りに「ユキ」と言う名の白猫と「キキ」

と言う名の黒猫が棲んでいたそうな。

ある日、二匹がこの砂浜を歩いていると鯛が

打ち上げられたそうな。

鯛は鮫に追われ、この入り江に逃げ込んで来たのだとか。

「今日は美味しい晩ご飯が食べられそうだ」と、

ユキが言いました。

「そうだね」とキキが言いました。

その時突然、「お願いです、わたしを食べないで下さい、

わたしには三千匹の子供がいて、お腹を空かしてわたし

の帰りを待っています。どうかわたしを海に戻して下さい」

と鯛は猫たちに言いました。

「でも、わたしたちだって、もう三日も何も食べてないし」

と鯛の願いを聞き入れる気は、猫たちにはないようです。

「お願いです、どうか助けて下さい」

涙ながらに叫ぶ鯛の前を一人の背の高い、東出昌大に

よく似た男が通りかかりました。

「君たち、200円あげるから、その鯛を

放してあげなさい」と男は猫たちに言いました。

100円づつもらったキキとユキは鯛を放しました。

「さあ、子供たちのもとに帰りなさい」

男は鯛を海に放しました。

「なぜ・・・見た所あなたは漁師でしょ・・・なぜ私を

見逃してくれるの」

「漁師にだってプライドがある。浜辺に打ち上げられた

魚を売り物にするなんて僕の良心が許さない」

キキとユキはこの言葉を親父ギャグと受け取り

ましたが、東出には他意はありませんでした。

ここは作者の親父ギャグです。

「しかし、今度僕の釣り針にかかった時は

容赦しませんからね。子供たちにもよく言い聞かせて

おいて下さい。あっ、それからこの事は乙姫様には

内緒ですよ。もう玉手箱はコリゴリですから」

と男は人差し指を唇の前に立てました。

「わかりました、有難うございます」

鯛は沖に向かって泳ぎ始めました。

この時出来た歌が「泳げたい焼きくん」でした。

キキは海の家に行ってみたらし団子を買い

空腹を満たしました。

この時出来た歌が「黒猫のタンゴ」でした。

そしていつしかこの浜辺を鯛の浜と言うようになった。

一方、ユキは白雪姫に化身し、この男らしい漁師

と結ばれて末永く幸せに暮らしましたとさ。

そしてその白雪姫の玄孫にあたるのが、私、しろひ猫

であることは世間では、まだあまり知られていない。

めでたし、めでたし。

 

突「なにがめでたしめでたしだ。嘘ばかり言って」

猫「私は嘘などついてはいない」

突「嘘じゃなかったら何なんだよ」

猫「私はただ、ロマンを語っているだけなんだ」

突「キャイーン、キャイーン、キャイーン」

 

7時31分日和佐駅到着。

数人のお遍路さんと、10数人の高校生と共に降りる。

この駅は出口が2つあり、薬王寺へは線路を横切り

反対ホームから左に出なければならない。

私は最初の時右へ出てしまった。

道の駅の前の通路を通り、突き当たりを左に曲がり、

交差点を渡ってシンボルの赤い塔を目指した。

ゆっくり歩いておよそ7分で着いた。

蝋燭、線香、お賽銭そして願い事。

「家族、親戚一同が大過なく暮らしていけますように。

○○○○ように。そしてお遍路が続けられる健康を

有難うございます」

と心の中で呟いた。

駅への道すがら「かずのこの店」というのをみつけた。

へぇーこんな所でもかずのこがとれるのかと思ったら

かずこの店だった。

「よくやけうどん」という旗もあった。

この辺りは焼きうどんが有名なのかと思ったら

「やくよけうどん」だった。

いい加減にしろ。

8時、駅に戻って来た。

そう言えば今回、新聞配達をストップして来るのを忘れた。

何日も貯まっていると、配達の人が心配して警察に

通報するかも知れないと姉に片づけておくように電話した。

「今朝は寒いだろ」と姉は言った。

たしかに風は強いが、こちらの地方では豊田より

最低気温が4、5度高いので応えるような寒さでは

ないと言った。

最高気温はほぼ一緒だが。

電話を切り、ホームへ戻る。

反対ホームに一人の女性お遍路さんがいた。

とても気になったので私は近づき話しかけた。

「どちらへ行かれるのですか」

どちらも何も海部方面へ行くのだから、次は最御崎寺

に決まっているじゃないか。

白々しい、と自分でも思ったが、流れで私はそう言った。

「最御崎寺です」とわかりきった答えが返って来た。

「今回、焼山寺には行かれましたか」

「はい、藤井寺から登りました」

「どれくらいかかりましたか」

「7時間半くらいでした。朝8時に出て夕方鍋岩荘に

着きました」

「鶴林寺には行かれましたか」

「はい8時半に登り始めて10時に着き、30分ほど

境内に居て、それから山を下り、また登り、太龍寺

には14時に着きました」

「下りはどうしましたか」

「時間がないのでロープウェイで降りました」

歩いて下山すれば、どこに行くにしても途中で暗く

なっちゃうよな、と考えている私に

「それで、その後奇跡的な出来事に出会いました」

と彼女は言った。

「奇跡的な出来事とは」

「バス停でバスを待っていると、一台の車がとまりました。

中から綺麗な女の人が出て来て「どちらへ行かれるんですか」

と訊くので「本当は平等寺まで行きたいんですが、時間的に

無理なので徳島駅に帰ります」と言いました。すると彼女は

「車で行けば平等寺の納経時間内に間に合います。乗って

行きませんか」と誘ってくれました。とても綺麗な方でした」

「それはよかったですね」私が言うと

「話はまだ続くんです。車から降りて私は杖を忘れた

ことに気付いたんです」

「車の中にですか」

「いえバス停です。杖くらいまた買えばいいやと諦めて

いたところ、その女の人が今朝、桑野駅まで届けてくれたんです。

わたし感動しました。お大師様のご利益だと思います」

彼女は唇をワナワナと震わせながらそう語りました。

きっと、その女性ドライバーが、彼女を拾ったバス停を

通りかかった時、持ち主のない杖を目ざとくみつけたもの

だと思う。

車の中で彼女が、翌日の朝一番気動車で日和佐に向かう

話をしていたものだから、時刻表で調べた停車時間8分

の桑野駅まで届けてくれたのだろう。

「私も朝一番で来ましたから、そのシーン見ましたよ」

と言った。

彼女はとても綺麗な人と三度強調した。

美人さん、どうも有難う御座います、彼女に成り

代わりまして厚く御礼申し上げます。

その美談をこのブログで取り上げろ、と言う意味で

お大師様が出会わせてくれたんですね。

やがて牟岐行きがやって来た。

「最御崎寺の山道は短いけど結構きついですからね。

頑張って下さい」

「有難うございます」

彼女は車輌に乗った。

お互いに手を振った。

まるでドラマの主人公を演じているようで気持ちがいい。

これで顔がよければ、なおいいんだけどね。

このシーンは正真正銘の実話である。

突「わたしも認める」

阿南行きは発車までまだ30分ある。

私は再び道の駅まで戻った。

春に食べた、たこ焼き屋はまだ営業していなかった。

いや、たこ焼き屋を食べたわけではない。

自販機で暖かいコーヒーを買った。

500円を投入すると「お釣りがありますよー。いらないなら

もらっておくよ。ありがとうね」と自販機が言ってた。

お茶目な自販機で大好きだ。

ベンチに座って目の前の国道55号線を見る。

時々、菅笠、金剛杖、大きなリュックサックのお遍路さん

が右から左へと歩いて行く。

目指すは75,4km先の最御崎寺だ。

一生懸命歩いて明後日の夕方に到着するだろう。

辛いが、海の眺めが幾分か旅人を癒してくれるだろう。

9時、気動車が来た。

なんと車内を見ると満員であった。

新野まで5駅、時間にして23分、立って行く

のかと思ったが、殆どの人が降りて車内は

ガラガラになった。

降りて行った客の大部分は幼稚園児で、運転手さんに

みんな「有難う」と言っていた。

やっぱり幼稚園児はきゃわいいなぁー。

今日は遠足で、日和佐のうみがめ博物館へ行くみたいだ。

再び美しい田井ノ浜の海岸線を右手に見ながら

9時23分、新野駅に着いた。

春にはここから車に乗せてもらって平等寺まで行った。

が、あの時の老人は今日はいなかった。

突「当たり前だろが」

ま、居ても今回は乗るつもりはないが。

2度目のお遍路である今回、私は2つの課題を自らに

与えた。

一つは、タクシー、お接待の車には絶対に乗らないこと、

一つは多少の変動は仕方ないが、原則として順打ちをすること。

そんな訳で、私は駅前から出た35号線を左に曲がり、

道なりのシャッター通りを黙々と進んだ。

時計を見た。

9時25分である。

果たしてガイドブックの30分が正しいのかどうか試すべく

やや速足で歩く。

駅から最初の信号の少し手前、右手にショートカットの道

があり、そちらへ進み284号線に入り橋を渡り、すぐに左へ

曲がる川沿いの道に入る。

ガードレールもない、怖い道だ。

時々、飲酒運転の車が落ちてるんじゃないかな。

たこ焼き屋の前を通り9時50分、平等寺に着いた。

ガイドブックより5分早く着いたわけだ。

これで平等寺は急げば駅から25分だとインプット出来た。

お参りを終え、帰りの階段を降りて来ると、ここも厄落とし

の小銭がぎっしりと落ちていた。

その小銭の内訳を見ると、99,9%が1円玉で、たまに5円玉、

極々稀に10円玉があるくらいだ。

100円玉は皆無である。

もしあればいたひがしさんが拾って行くだろう。

納経所で、太龍寺へ行きたいんです、桑野和食のバス路線の

山口中バス停までどれくらいかかるでしょうか、と訊いた。

よくある質問とみえて納経所の人は1枚の地図を出して、

一時間くらいですかねと言って私にくれた。

私はチラッと時計を見た。

10時05分であった。

この時計は5分進んでますけどね、と納経所の人は言った。

私は山口中バス停まで歩くことにした。

「お寺の前の道を左に行って、突き当たりの284号線を左に

行って下さいよ」

時刻表では山口中のバス停に10時40分にバスは来る。

一時間と言った納経所の人に対して、何故私が40分しかない

山口中バス停に行くのか。

それは、かりに乗り遅れても12時01分の次のバスがあるからだ。

当初の予定では私はこの後、新野駅に戻りJRで桑野まで行き、

桑野上からバスに乗って和食東まで行くつもりだった。

つまりそのバスが12時01分のバスになるのです。

悪くして、10時40分にもし間に合わなくても、桑野までの

JRと山口中までの路線バスの運賃が浮くわけですし、うまくすれば

節約できた上に、一本早いバスに乗れるわけです。

私は急ぎ足で歩きました。

昨日28,62kmも歩いた上に足裏に豆までこさえても、痛みなど

どこにもありませんでした。

平坦な道で交通量も少なく、歩道はありませんでしたが、危険を

感じることもありませんでした。

風は強かったが、よく晴れていて汗もかきました。

35分ほど歩くと、かなたに195号線が見えてきました。

途中で、駐車していた軽トラの男性にバス停のありかを訪ねました。

男性は大通りに出たら左に曲がって100mも行けばあると言う。

しかしバス停はありませんでした。

訊いた人が悪かった。

車に乗ってる人がバスなど乗る訳がない。

行けども行けどもバス停はなかった。

郵便局の駐車場にいた子供連れの女性に訊いた。

わたしはよそからお嫁に来たのでわからないと言う。

これくらいの女性の、わからない時の決まり文句だ。

それを言うなら、バスには乗らないからわからないだろう。

今度は郵便局の中に入り局員に訊く。

女性が二人いたが、二人は私の質問に顔を見合わせている。

3秒後、私は彼女たちを背に、局を出た。

わかっている人は即座に答えてくれる。

こうなったら民家に尋ねるしかない。

私は民家の呼び鈴を押した。

5秒たっても返答がない。

私は民家も後にした。

今のところ、バス停はない、ならばもう少し進めば

あるかも知れないと私はさらに進むとすぐにあった。

山口中のバス停だった。

時刻は10時42分、大体徳島バスというのは平均して

5分は遅れている。

11月だというのに額から汗が出て来た。

バスは11時49分にやって来た。

山間の、割と平坦な道をバスは進んだ。

考え事をしていた私は一駅乗り越してしまった。

一駅といっても、300mほどだったので事なきを得た。

和食の信号まで戻り、左折をしてロープウェイ

乗り場を目指す。

四五軒廃屋が続く。

この辺りは宿が少ない。

歩き遍路で霊山寺からスタートすると、丁度この

辺りで宿を取りたくなる場所だと思う。

誰かこの廃屋をすべて買い上げて民宿にすればいい

のにと思う。

30人は泊まれるのだから、世界文化遺産に登録される

前に手を打っておいたほうがいいと思う。

那賀川の大橋を渡り、左カーブを曲がると右手に

ロープウェイ乗り場はあった。

広い駐車場を横切り、奥の入り口から建物に入った。

ここは道の駅も兼ねているようだ。

次のゴンドラのスタートは11時20分だと言う。

往復運賃2470円を払い10分ほど待ってから

ゴンドラに乗った。

ゴンドラの真ん中に大きな箱が2つ置いてあった。

たしか去年乗った時には置いてなかった。

ガイド嬢は、今日は風が強いので重しを乗せました。

一箱が100kg、合計200kgの重りとなります、と

ふたを取って中を見せた。

ぎっしりと鉄板が入っていた。

私が大笑いをすると、ガイド嬢もつられて笑った。

この辺りは、ニホンオオカミの最後の生息地という

ことで途中の山の上に親子の狼の像があった。

誰かが可愛いと言った。

一つ目の山を越えた。

ゴンドラが大きく揺れた。

私は2度目なので驚かないが、声をあげる乗客もいた。

左手に鶴林寺が云々という去年同様の説明を聞いている

うちに2つ目の山を越えた。

今度は乗客も騒がなかった。

終点近くの右手の山の頂上に、高野山を見ながら

修行を続けるお大師様の像が鎮座していた。

山頂駅に着いた。

温度計は10℃を示していた。

これが噂の「よっつや階段」の一つ、太龍寺の階段である。

先は見えていないが垂直に近い階段が長く

続くのである。

息を切らして階段を昇り、本堂をお参りする。

(みんなが大過なく無事に生きていけますように。

○○○○○ように。こうして元気にお遍路が続け

られることを感謝しております。ぶっせつまーかー

はんにゃーはーらーみーたーしんぎょう)

去年急いでいて廻れなかった太子堂もお参りした。

バスの時刻表を見たら、次の帰りのバスは14時

20分だったのでゆっくりすることにしたのです。

結局山口中を次のバスでも、平等寺を廻って8時03分

の気動車に乗れても帰りは14時20分になるってことなのです。

どこで待ち時間を作るかというだけのことでした。

それでも12時前に乗り場に着いた。

ガイド嬢は12時のに乗りますか、と言ったが私は

次のにしますと言った。

売店の人がお接待の「しいたけ茶」を出してくれた。

去年も出してくれたのをよく覚えている。

店内のおみやげを見たり、壁に飾ってある太龍寺の写真

を見ているうちに次のゴンドラはやって来た。

はるか彼方に見える街は小松島の市街地です、キラリと

光っているのは阿南の火力発電所です、海の向こうに

見える島のようなものは本州の和歌山県です、雲がなけれ

ば左手には淡路島も見えます、この山は禁猟区なので

多くの動物が生息しています、最後の山を越え、これから

ロープウェイは乗り場へと下って行きます、この下る角度

はスキーのジャンプ台の角度と同じです、麓の那賀町は

6つの町村が合併して出来、人口は9800人です、が面積は

徳島県の6分の1を占めます、そのうちの8割は山林で

この地方の特産物はビニールハウスで育てる苺です、主に

クリスマスケーキに使われています、下を流れる川は

那賀川で河原にアンパンマンの絵が描かれていましたが、

この前の台風で消えてしまいました。

ガイド嬢の説明を私は一字一句聞き逃さなかった。

突「さっきのお参りのところの、○○○○○ようにって

なんですか」

いきなりお前は何を言ってくるんだ、そんな古い話を、

誰だって他人には内緒の願い事ってあるだろ、それだよ。

 

乗り場に、いや降り場に着いた。

まだ12時30分である。

道の駅には二軒の食堂があった。

一軒は団体さんで埋まっていたが一軒は一人しか

客はいなかった。

私はこの店に入りわかめうどん定食を頼んだ。

客が一人しかいないのは決してまずいからではない。

席がカウンターを含めても20人足らずのこじんまり

した店だったからだ。

わかめうどんとご飯と魚のフライが二切れの

ボリュームある食事であった。

私はそれをきれいに平らげた。

うどんのつゆも、ご飯の一粒も、キャベツの切れ端も

、漬物の一つも、まったく残さず食べきった。

よっぽど腹が減っていたのだろう。

きっと店の人も喜んだであろう。

店が満員になることもなかったので、私はそこに

30分ほどいた。

私としては異例の長き滞在であった。

店を出て駐車場を横切り19号線に出た。

右カーブを曲がりすぐに橋を渡るところを

私は去年渡らずに川沿いをどんどん進んだ。

完全に狐に化かされていた。

なぜかとあの後本気で考えた時、理由がわかった。

実は去年バスを降りた時一緒にベテランの

お遍路さんも降りた。

この人について行けばロープウェイ乗り場に着く。

と人を当てにしていたことがいけなかったのだ。

私がよく言う、体が覚えていなかったのだ。

同じようなケースは今までなかったかと思い返して

みると、青龍寺がそうだった。

次に行く時には細心の注意を払おうと今から考えている。

和食東(わじきひがし)バス停に着いた。

時刻はまだ13時40分、目の前の高台のすすきが

青空を背景に美しい。

もうすっかり秋だなと思うとともに、吉田拓郎の

旅の宿を思い出した。

そう言えば日和佐で逢った女性はここでドライバー

に乗せて貰ったのだ。

恐らく彼女は15時50分のバスを待っていたはずだ。

これだと桑野上に16時20分、JR桑野に16時24分、JR

新野に16時28分で17時のデッドラインには間に合わない

かも知れない。

彼女が諦めて徳島駅に帰ろうというのも無理はない。

しかし車に乗せて貰えば、何時に乗せて貰ったのかは

わからないが平等寺まで20分はかからないだろう。

そして16時50分に新野で徳島行きに飛び乗れば

18時19分徳島駅に到着するはずだ。

彼女には私のブログは知らせなかったが、もし知らせて

いればお見事、さすが金田一名探偵と言われているんだろうな。

私は金田一ではないですよ。

そんな事を考えていると一台の車が私の前で止まり・・・

そうになったが止まらず、スピードを緩めて近所のコンビニ

に入って行った。

私は一瞬色めき立った。

突「あれ、車には乗せて貰わないはずじゃないんですか」

いや、乗る気はない、ないが同じお遍路としてお礼が

言いたかっただけなんだ。

しばらくすると女性のお遍路さんがやって来た。

「次のバスは何時ですかね」と私に訊く。

「14時20分ですね」と私は答える。

「今日は幾つ廻って来ました」私が訊く。

「2つですね、山が2つだからそんなものでしょう」

女性が答える。

「どれくらいかかりましたか」私が訊く。

「5時間半くらいですかね」女性が答える。

「きつかったですか」私が訊く。

「それほどのことはなかったですけど、最後の太龍寺の

登りがえらかったわ」女性が答える。

私の耳に最後の「えらかったわ」という言葉が

やけにこびりついた。

豊田には地方から多くの人が働きにやって来る。

彼らが理解に苦しむ三河弁の一つに、この「えらい」

と言うのがある。

彼らは、えらいと言うのは「あの人は偉い」と言う時に

使う言葉だろと口々に言う。

早速、広辞苑で調べてみた。

項目その4、苦しい。痛い。つらい。

とあった。

何もおかしくない、エライはつらいと言う意味なんだ。

それをおかしいというのは君たちが無知なだけなんだ。

そもそも三河弁は徳川家康が江戸に持って行って

広めたものなんだ。

つまり標準語のベースは三河弁なんだから何も

間違っていない。

ひょっとしたらと、秘かな期待を抱きつつ話を続けて

いると女性は「私は愛知県から来たの」と吐露した。

待ってました、同県人。

女性は西尾の住人と言う、私も豊田だと言う。

年の頃なら70歳くらい(若かったらごめんなさい)

で今日中に高速バス、新幹線、名鉄と乗り継いで

帰宅するとのこと。

パソコンはやるかと訊いたら、パソコンもスマホも

ジャンジャンやると言ったので、このブログのことを

伝えておいた。

ただ口頭で伝えておいたので、家に帰った頃には

「あれ、なんだったかな」なんてことになっているかも。

彼女も私にこれからどうすると訊いた。

私は桑野上のバス停で降りてJR桑野からJR立江まで

行き、立江寺、恩山寺を廻って徳島へ帰ると言った。

それでJRには間に合うのかと訊くので、桑野上に

14時40分着でしょ、気動車が14時49分で、9分もあれば

充分でしょ、と言うと、いやいやそうじゃなくてバス停と

駅の距離を心配しているのと言う。よくはわからないけど

パソコンで調べたところそんなに距離はないと思いますよ

と言うと、このバス徳島駅まで行ってないんで、それじゃ

わたしもそれに乗ろうかなと言った。その方がきっと早く

徳島に着きますよと私も言った。

私はJRの時刻表を調べた。

14時49分の車両の徳島到着時刻を。

16時04分で、16時発の神戸行き高速バスは出た直後である。

次は17時発の便で一時間近くも待たなければならない。

私はその事を正直に告げた。

彼女はそれじゃやっぱりわたしはこのバスで行くわと言った。

後で調べてわかったことだが、このバスは阿南共立病院に

15時13分に着く。

そして15時41分発のバスに乗ると16時34分に徳島駅に着く。

同じ17時の高速バスになるわけだし、同じ阿南共立病院から

出るバスだから、彼女の選択は正しかったと思う。

「それじゃ、頑張って下さい」

「お元気で」

私は桑野上のバス停で降りた。

信号は赤だった。

いらいらした。

走って駅まで行った。

券売機で切符を買い、ホームへと駆け上がった。

すぐに気動車がやって来た。

やばかった、あの女性も一緒だったらまじでやばかった。

いつも言うが徳島バスは定刻より5分、路線によっては7,8分

遅れるのが常だ。

なぜか、それは時刻より早く発車すると乗客が乗り遅れ、

運転手さんが咎められるからだ。

かと言って、いつも時刻通り走るのはひどく疲れる。

だからまずは5分の遅れを作り、後は普通に走れば常に

5分の遅れのまま走れ、運転手さんも疲れないという訳だ。

路線バスの利用客は主にお年寄りで用途は買い物か

病院で、そんなに長い距離乗る訳ではない。

だからそれでいい訳なんだが、旅行者は面食らう。

多分読者の中に徳島バスを利用する人は皆無だとは思うが

もし利用する場合はその事を踏まえておいてください。

でも遅い事は決して悪い事ばかりではないですけどね。

現に去年の和食バス停や今日の山口中のように遅れたから

乗れたというケースもありますものね。

ただ徳島バスからJRとか、徳島バスから徳島駅発の徳島バスの

ように定刻通りの乗り物に乗り換える場合は、そこのところを

計算に入れて旅のスケジュールを組んでください。

15時25分立江駅に着いた。

カッコーは鳴いていないが靜かな駅前だ。

うろうろしていると若い女性が自転車で通った。

立江寺の場所を訊くと、そんなものは知らないと言う。

次に中年の女性がやって来て、駅前の道路を少し左に

行くと右に行くやや太い道路があるのでそれを進み

最初に交わる道を右に曲がればお寺です、と教えてくれた。

しかし後で調べてみたら右へ行って突き当った道を

左に行ってもよかった。

距離にしたら駅から200mくらいだが、赤い矢印が

全くないから迷ってしまった。

立江寺へ来るルートは徳島からバスに乗ってまず恩山寺、

そし立江寺、歩き遍路にしても恩山寺方面からやって来る

ので赤い矢印はないのだろう。

立江駅から立江寺に向かう奴は、まだ人類史上私が

はじめてかも知れないな。

お参りが終わり、納経をしてもらい、バス停に向かう。

バス停名の通り、目の前に立江小学校がある。

門からパラパラと下校の生徒が出て来る。

制服である。

四国の小学校は制服のあるところが多い。

大人のミニチュアのような服の子より制服の子の

方が私には、はるかに素敵に見える。

なぜ豊田の小学校には制服がないのだろう。

着ても着なくても自由だが制服を作ればいいのにと思う。

同じ服を着ても一人一人の個性というものは出る

と思うのだが。

16時18分徳島駅行きのバスに乗り恩山寺前で降りる。

バス停から斜め右に上がる道を行く。

赤い橋を渡ると車道の横から遍路道が始まる。

 

 

さほどきつい坂道ではない。

7分ほどで山門に着いた。

ここは大師の母君が出家をされた寺で寺号を

母養山恩山寺というのだそうだ。

本堂の脇に水子地蔵の像がびっしりと並んでいた。

お参りを済ませ、納経所へ行く。

去年、ここの御影も取り損なったので、2枚下さいと

正直に言ってもらった。

「こういうものは、よく無くしたりするもんな」

と隣のお遍路さんが言った。

バス停に戻り17時21分の徳島駅行きのバスを待った。

一度、この近くの親戚に寄ってみたいなと思ったが、

また今回も時間がなくて寄れなかった。

親戚の名は高徳線の、ある駅名と同じだ。

私以外の乗客が2人やって来た。

2人は知り合いみたいで、話の内容からするとこの近く

の身体障害者が働く施設の社員と職員といった感じだった。

僕は明日休みだと男の子は言った、わたしは出勤だ、でも

変なところで休みをとると調子が悪くなっちゃうから

それでいいわとおばちゃんは言った。

そうだ明日は文化の日で祝日だ。

日和佐で出会ったお遍路さんが最御崎寺の宿坊が

とれなかったと言ったが納得出来た。

祝日の前日なので予約で一杯だったのだろう。

そのかわり、その宿坊の紹介で他の宿がとれたと

言っていた。

たしか「うまめの木」とか言ってたな。

バスが来た。

乗客は私達3人だけだった。

それでも同じバスで、徳島駅まで私一人だった去年

のことを思えばまだましだ。

しかし、この後どんどんと乗客が増え、おまけに大渋滞

に巻き込まれてしまった。

休日の前日と言うのはよくこういうことは起きますね。

一緒に乗った若者は携帯で家に電話し始めた。

バスが遅れているので○○時までに帰れないと、

運転手さんに聞こえるくらいの大きな声だった。

でも決して悪意はない。

身体障害者の施設で働く若者だと言えばわかって

もらえるだろう。

いつも乗る子だからそれは運転手さんもわかって

いるみたいだ。

16時04分到着予定のバスは30分以上遅れて

徳島駅に到着した。

私も後はホテルに戻るだけなので気楽なものである。

今日は5時20分ホテルを出て、18時45分にホテルに戻った。

実に13時間以上の旅程であった。

ホテルに戻るとフロントで、もう一泊の追加をお願いし

了承をもらう。

21時に眠る。

つづく   本日の歩行距離15,75km