2016年11月4日
ホテルは駅から近い。
当然繁華街の中にある。
夜遅くまで酔っ払いの声も聞こえてくる。
しかしそんなのは気がつかないほどすっかり眠った。
今日は最終日、焼山寺を残すのみとなった。
ちょっぴり淋しいような、それでいてマイホームタウン
に帰れる嬉しさもちらほらと顔を覗かせる。
6時40分、旅支度をして部屋を出る。
フロントのカウンターの上にある箱にルームキーを
返しホテルを出る。
左に進み、JRバス乗車券売り場の角を右折し、
セブンイレブンの前を通って、青になった横断歩道
を渡る。
徳島駅構内に入り、更に左に進み、地下への階段
を降り、コインロッカールームへ向かう。
リュックサックと昨日買ったお土産を預け
徳島バス乗り場へと向かう。
目指すは神山高校前である。
私はじっと、穴があくほど時刻表を見た。
7時05分発石井中経由と7時10分発の尿道、いや失礼
名東経由行きがあった。
前者が8時16分着、後者が8時15分着で大差はない。
料金も同じ1000円である。
どちらにしようか、私は思案に暮れた。
to be or not to be
多分私が今小学生なら、同じ料金だったら
6分も長く乗れる石井中経由を選んだであろう。
しかし私は大人である、そんな低い次元の選択はしない。
そうだ、次に来るバスのナンバーの最初の
数字で決めよう。
突「もっと次元が低い」
突っ込みに咎められたので、もう一考することにした。
石井中経由には白三角がついている。
私はここに着目した。
白三角は土日祝日は運休便だ。
対して名東経由にはついてない。
つまりここから石井中経由の主たる乗客は神山高校
の生徒さんたちだと推測することが出来る。
ぎっしりと高校生で埋まった車内、私の脳裏に
予土線の悪夢が蘇って来る。
よって私は名東経由という結論を下すこととなった。
take the my0d0 line
1枚の時刻表で私はこんなに楽しんでしまいました。
お金なくても結構人生って楽しめますよ。
7時10分バスに乗る。
バスは駅前の道を真っ直ぐ行き、右折して192号線に入る。
これが左折の場合だと駅前を左斜めに進み
192号線と合流する。
なぜなのか、真っ直ぐ行くと左折できないし、
左に行くと右折出来ないという道路事情からです。
徳島も通算で10日間滞在しました。
四国の中では最も長い滞在日数となります。
だから段々と徳島のことがわかって来ました。
馬券売り場がゆめタウンの近くにあることも
知りました。
これがあるなら第二の故郷にしてもいいかな
と考えてもおります。
バスは鮎喰川手前から左折し川沿いをひたすら
走った。
昨日半分だけ渡った一の宮橋が見えて来た。
昨日乗った一宮札所前バス停にさしかかった。
昨日寄った家の女性は恐らく今在宅であろうな、
そんなことを考えている間もバスは進む。
私がギャグを作った馬喰草を過ぎ、喜来のトンネル
を抜け、鬼籠野(おろの)の郵便局を過ぎ、
438号線に入った。
アホの坂田の阿保坂を通り、道の駅「温泉の里神山」
を過ぎ、吉井のあたりでバスは438号線から離れ
旧道の市街地へ入った。
勝浦と同じで、生活道路に入り住民を拾うためである。
去年乗った寄井観光のタクシーが見えた、
キャッシュコーナーで3万円卸した神山町
役場も見える。
寄井中を過ぎバスは終点の神山高校前に着いた。
正確には城西高等学校神山分校と言う。
10人くらいの生徒さんが降りたが、皆一様に
元気も覇気も感じられない子ばかりだ。
おぢさんは今から700mの焼山寺に登って来るのだぞ、
と言ってやりたいが、でも今の若い子は可哀想だ。
私が学校を出る頃は、まさに日本経済の高度成長
の胎動期だった。
就職口はより取り見取り、しかも正社員として
刑事事件でも起こさない限り定年までの
身分は馬鹿でもチョンでも保障されていた。
給料もそこそこで、結構豊かな暮らしが出来た。
馬鹿でもチョンでも。
今は馬鹿やチョンではこの国では生きていけない。
仮に正社員に成ったからと言って定年までの
保証もない。
安心して家も建てられない、結婚も出来ない。
元気もなくなりますよね。
もーやめよう、こんな暗い話。
バスはバイパスをUターンし、戻って行った。
私は運転手さんに教えられたように、コンビニを
過ぎた所から右折して橋を渡り左折をした。
川沿いのなだらかな登り道が続く。
民家はまばらだがある。
時々車が通る。
やがてくねくねとした道になって行く。
私は左カーブは左に寄り、右カーブには右側を歩き
距離を稼いで行く。
途中で向こうからやって来るお遍路さんに遭う。
地図を見ながら首を捻っている。
ビートたけしじゃないだろうか。
「どうしたんですか」
「大日寺へ行きたいのですが、道がわからないのです」
このまま進んで行って橋を渡れば簡単に行ける
のに、どうなってるんだろこの人の脳神経細胞は。
彼の地図を見る。
「現在地はここでしょ」と彼は指を差した。
「いえ、違います。あなたのいる所はここです。
だからこの道、つまり目の前の道を真っ直ぐあと
2kmほど行くと右側に橋があるので渡って下さい。
そうすると438号線に出ますんで、その道をずっと
左へ18kmほど行くと大日寺に着きます」
完璧なまでの道案内、私はかつてこれほどまでの
芸術的な道案内を聞いたことがない。
私は私自身に陶酔し、その場に崩れ落ちそうに
なるほどの恍惚感に襲われた。
が、はたから見たらただの年寄りが石にけつ
まづいて倒れたと思うだろう。
私も以前はよくやった、現在地の間違い。
これを間違えてたらどうにもなりません。
それにしても、今回のお遍路は、出会うお遍路さんが
極めて少ない。
安楽寺で2人、藤井寺で3人、薬王寺で1人、太龍寺
で1人、鶴林寺で1人、観音寺で1人と9人しかいない。
おまけに地元の人ともあまり話す機会がなかった。
やはり旅の楽しみというのは人との触れ合い
ですもの少し寂しい。
その時、私は先ほどの大日寺への行き方について
、間違いに気づいた。
私の説明ではずっと438号線を進むであったが、
正解は鬼籠野から左折して21号線であった。
順打ちであるから、きっと道標があるだろう。
やはり人は間違いを犯すものだ。
だから他人の間違いも許してあげなさい、と言う
お大師様の教訓なのだろう。
突「ついでにもう一つ間違いだと言うクレームが
届いていますよ」
何だ。
突「みかん色の恋のパクリ元がジングルベルと言う
のはおかしいと」
そうか、やはり気が付いたか。
だれか気が付くかと思ってわざと間違えて
おいたんだ。
突「そのパターン、新幹線の英語のミスで
使いませんでした」
実は、パクリ元の曲名は
I`m gonna knock on your door なんだ。
突「じゃ、自転車のベルを鳴らした、と言うのは
落ちに繋がらないじゃないですか」
そんな事はない、最後まで聞け。
I`m gonna knock on your door
ring on your bell とチャンと落ちがつけて
あるじゃないか。チャンチャン、失礼リンリン。
その5はまだまだ続きますが、週末の競馬が
ありますのでしばらく休みます。
えっ、今週の狙い馬ですか。
今日やる阪神11Rのチャレンジカップの○○○です。
当たっててもはずれてても公表します。
それでは競馬コンシェルジュに呼応して
「行ってきます」
3000円 0円
10000円 31000円
誰か読者の中でこのレース買った人いますか。
私、ちゃんとヒントを出しておきましたよ。
「ベル」ーフと。
ベルが出たついでに、自転車のベルについて
話させてくださいな。
私はご存知のように毎日散歩をします。
そして時々後ろから来る自転車にヒヤリとさせられます。
まだ一度も衝突をしたことはありませんが、もしぶつかれば
場合によっては骨折、最悪の場合死亡事故に至ることも
想定されます。
数年前、豊田でありましたよね。
その事故の原因の少なくない部分を占めるのがベル
を鳴らさない運転者だと思います。
我々年配者の多くはそう語っています。
運転者の大半は若者です。
恐らく若者はベルを鳴らすのは「邪魔だ、どけ」と言う
意味になるのだと思って鳴らさないのではないでしょうか。
そんな風に思わないで下さい。
「今から通りますよ。気をつけとって下さいよ」と
言う意味だと思っておいて下さい。
つまり年配者にとってはベルは愛なのです。
普通、人間には後頭部に目はありません。
急に進路を変更することもあれば、めまいで
よろけることもあります。
そんな時のために、どうかベルで自分の存在を
知らせてやって下さいな。
もしこのブログを読んでる方の中に、教師がいらっしゃい
ましたら、朝礼の時にでも伝えてもらえないでしょうか。
ああ、たまには私もまともな事を言うな。
山道を行く。
流れる川の水はきれいだ。
水清ければ魚棲まずの例え通り、魚影は見えない。
突「ギョエーイ」
おっ、シベリアの寒気団がやって来たかな。
所々に木が根こそぎ倒れている。
誰かがネコソギでもかけたかな。
黒岩のバス停の所から橋がかかっている。
この辺りでは有名な民宿「なべいわ荘」への入り口だ。
私もお世話になろうかと、計画案に一度は顔を覗かせ
かけたが、引き下がってもらった宿だ。
バス停刈初のあたりにも、農家がアルバイトで
やっているような古い民宿があった。
藤井寺を朝出発すれば、足の遅い人ならこの
辺りで宿泊となるのだろうな。
9時、バスで来れば終点の焼山寺バス停に着いた。
さあ、これから難関の焼山寺へ登るぞ。
何か胸がワクワクしてきた。
決して、不安からのそれではない。
近所の商店に寄って、ペットボトルを一本買った。
「1時間半くらいでお寺に着きますよ」
と店の人は言った。
店の前の道をしばらく真っ直ぐ進み、右に登り
ヘアピンカーブにさしかかった。
地図を見ると、遍路道はここから車道を離れ
裏に廻るように見えた。
私は裏の方へ遍路道を捜しに行ったがどこにもなかった。
戻ってヘアピンカーブをしばらく行くと右に上がる
遍路道の道標があった。
10分のロスタイムだ。
それほど急な上り坂ではない。
むしろ鶴林寺よりは緩い。
先にも後にもお遍路さんの影は見えない。
時間的に、この辺りに宿をとった人はもうとっくに
旅立っている。
438号線へ出る人は7時10分焼山寺発のバスに乗る
だろうし、歩き遍路の人ならば今頃、鏡大師のあたりに
さしかかっているだろう。
こちらから札所を目指す人なら99%車だろう。
ごつごつとした岩の階段を登る。
しかし迷うような道ではないし、民家も所々
に点在している。
やがて数十メートル先に人々が見えて来た。
遍路道周辺の木を切っている人達だった。
我々お遍路のために、いつもありがとうございます
と礼を言った。
本当は別の理由で木を切っているのかも
知れないが、言っといても罪はない。
車道に出た。
やはり道路周辺には結構民家はある。
ここなら津波が来ても大丈夫、しかし冬の雪では
下山に冷や汗たらたらでしょうね。
しばらくは車道を歩く。
右手に杖杉庵が見えて来た。
昔、衛門三郎という金持ちだがケチな男がいた。
ある日一人の僧が托鉢に三郎の家を訪れた。
三郎は「お前にやる金など一文もない。帰れ」
とムチで鉄鉢を叩くと、鉢は八つに割れ、三郎の
八人の子供が次々と死んだ。
この僧が大師であることを知った三郎は、詫びを
入れるため八十八カ所を巡り大師を追った。
そして21周目の焼山寺で行倒れとなり、やっと大師
に巡り会えた。
「私の生き方は間違ってた。もう一度生まれ変わって
功徳を積みたい」と言い残し息を引き取った。
大師は三郎の手に「衛門三郎再来」の文字を書いた
石を握らせ再来を祈願した。
数十年後ある地方の豪族の家に、この石を握った
子供が誕生した。
そして三郎の杖は杖杉庵の大杉となり、石は
石手寺に祀られた。
こんな伝説があるそうです。
強欲に生きると、幸せにはなれませんよ。
しかし悔い改めて、徳を積めば幸せは
訪れますよ。
と言う教訓話でしょうね。
徳を積めば、穏やかな心になる。
穏やかな心で生きていければ、それが
幸せであると言うことではないでしょうか。
いつも私は言ってるでしょう。
幸せは心の中にある。
幸せだと思えば幸せだし、不幸せであると
思えば不幸せである。
三郎さんが出て来たんで思わずギャグを
やりたくなりましたが、グッと我慢しました。
四国を歩いていて私はまだ一度もイタチに遭遇
してないのに最近気づきました。
豊田で散歩をしていると2週間に一度はこの
イタチに遭います。
そして我が地方にはこのイタチに係るジンクスと
いうのがあるのです。
すなわち目の前をイタチが右から左へ横切る
と金が入ってくる、逆に走れば金が出て行くと。
懐の在処から多分そう言われるのだと思います。
右から左に走った時に、大勝負をしてしこたま
儲けたことが時々あるので、満更このジンクス
はずれてはいないと思います。
先日も上郷街道の大林食堂の辺りを歩いていると
、な、何と3匹のイタチが道路(片側二車線)を横切ろ
うとしていました。
勿論右から左にです。
イタチ三兄弟か、はたまたお父さんイタチお母さんイタチ
赤ちゃんイタチだったのかも知れません。
ま、そんなことはどうでもいいことですが、ところが
二匹は渡り切ってしまいましたが、三匹目は途中で
引き返してしまいました。
日曜日の朝で、車は全く来なかったのに。
どうもこの子はビビリだったようです。
三匹のうち二匹は渡ったのだから、こりゃ勝負だと
早速中京へ走り3連単を買いました。
レースはゴール寸前までは予想通り進みました。
寸前までは。
ところが何を思ったのか三頭目の馬が急に逆走
してしまい、この馬券はオジャンになってしまいました。
よくよく調べてみると三頭目の馬はサブちゃんの馬で
「キタサンカエロカナ」という馬名でした。
突「何だ、ネタだったのか。真剣に聞いていたのに」
猫「でも、三匹のイタチが云々は事実ですよ。いつも
言うようにこの事実があったからこのネタが出来たのです」
それではここで替え歌を作ったので披露いたします。
潮来笠で。
いたちのいたろう ちょっと見なれば
右から左へ 渡り鳥
それできまりさ 天皇賞は
風が吹くまま 買いましょう
なのによー 何故に目に浮く馬券吹雪
イタチさん、いつも有難う。
突(イタチの声色で)「どうイタチまして」
300mほど行くと再び遍路道に突入した。
アスファルトの直線だが、今までにない急な
上り坂だ。
しかしこれよりもきつい坂はいくらでも経験していた
ので何ともなかった。
多分ヘビースモーカーで体重86kgだった頃の私
だったら20m歩く度に小休止をしていたに違いない。
やはり煙草も酒もデブも体によくない。
再び車道に出た。
ここで遍路道は消えた。
地図では車道を突っ切ってそのまま進めば良い
ように描かれているが、どこにもなかった。
私は道路を右に進んだ。
50mほど行ったがそれらしきものはなかった。
再び遍路道まで戻って来たら、登って来る
お遍路さんに出会った。
2人で左に行った。
大きな右のカーブを過ぎた所にお遍路の登り道
があった。
距離にして数十メートルなので直線の遍路道
として地図には描かれたようである。
お遍路さんはだんだんと私から遠ざかっていく。
30代後半くらいの男性だ。
遍路道はもう一度車道を横切り、最後の坂道にかかる。
左に傾斜した坂道で非常に歩きにくい。
突き当たりの階段を登ると駐車場に出た。
去年タクシーで来た駐車場だ。
鮮明に覚えている。
山門で合掌し一礼をする。
杉の巨木が私を迎えてくれる。
思えば私が初めてお遍路のガイドブックを
開いた時、よもや自分の足でこの地まで
登って来るとは夢にも思わなかった。
それが今、・・・二本の足で・・・焼山寺の
境内に・・・私は立っている。
うう、うわーん。
感無量の心持ちである。
アイアイアイライクエンカ。
突「それは冠二郎」
本堂、太子堂とお参りをして納経所へ来た。
先程、途中まで一緒だった男性がまだそこにいた。
真面目そうな人だった。
ま、みんなお遍路にやって来る人は、私以外は
真面目な人ばかりだが。
突「おっ、意外と謙虚じゃん」
お遍路にかこつけて、ギャグ紀行文ばかり書いてる
三流作家。
でも、本当は、お遍路に関心のない人にも少しは
関心を持ってもらおうと馬鹿やってるんですよ。
そして読んでくれた100人の内の1人でもいいから、
「そうだ四国行こう」という気になってくれたらなあ
と思っているんですよ。
なにせ私はお大師様の広報係ですもの。
突「あれJRの広報係じゃなかったの」
去年からお遍路の方も兼任することになったんだ。
突「なんで」
あれは3年前止めるあなた駅に残し
突「それは喝采。すぐに脱線するんだから」
あれは1年前、私の脳野に一人の老人が降臨されたのだ。
突「脳野ってなんですか」
ああ、脳の中にあるフィールドだよ。
私が作った新しい日本語で、そこは耳と目から
僅かな光しか入って来ない薄暗いところなんだ。
ただ老人が降臨される時だけは天窓が開いて
パーッと明るくなるんだ。
この前もギーギーとかいって天窓が開いた時
「大分錆びついておるな、クレ556でも塗った
方がいいぞよ」
とアドバイスをいただきました。
そして老人は
「話は外でもない、実は君に頼みたいことがあって
やって来た」と言いました。
「何ですか、頼みたいこととは」
「四国に古くからあるお遍路を、もっと世に
広めてもらいたいのだ」
「なぜ私に白羽の矢がたったのですか」
「君は面白い文を書く。昔から君の日記は空の上から
読ませてもらっている」
「するとxxxxxとかxxxxxxxとか言うのも読んだのですか」
「ああ、読んだよ」
「どうか神様、このことは御内密に」
「気にするな、誰だって考えてることは皆同じだよ。
それで堅苦しい仏の教えでは人々は関心を持って
くれない。君ならお遍路の旅を楽しく実践し、そして
それを文章として存分表現してくれるだろうと思って
頼みに来たのだよ」
「有り難き幸せに御座います。ぜひとも私に
お任せ下さいませ」
そう言うと神様は空へと舞い上がって行った。
夢を見たんだよ。
突「なんだ夢か」
当たり前だ、こんな事を真顔で話したら本当に
救急車がやって来るぞ。ピーポーピーポーピーポー
納経をしてもらい、この旅最後の札所となった焼山寺
でおみやげにステッカーを2枚買った。
「車で来られましたか」
「いえ、歩いて来ました」
「それはすごいですね」
「でもバス停からです。来年は藤井寺から
登って来ますよ」
「修行ですものね」
とお寺さんは言いました。
外へ出るとまだあのお遍路さんはいました。
私は急いでhukusuke.net 不思議の国のしろひ猫
のメモ用紙を彼に渡しました。
真面目な方なので、きっと読んでくれると思います。
団体さんのような人種では無理ですけど。
10時30分下山する。
折角登って来た焼山寺、もう少しゆっくりして
いきたかったが帰りが深夜になるのを恐れた。
たしか、この秋テレビでシンシアの息子がこのお寺を
紹介していた時、うどんのお接待があったような
気がしたが、どこにもなかった。
撮影用のサービスだったかも。
再び杖杉庵の前を通る。
向こうから2台のグレーのマイクロバスが
やって来た。
横っ腹に寄井観光の文字が入っていた。
去年私が乗ったタクシーの寄井観光だ。
帰り道、木を切っていた連中に再びあった。
彼らは私のあまりの帰還の速さに驚いていた。
途中でまたしても私はコケた。
足を滑らせ後ろに尻もちをついたが、もし前に
コケていたらどこまでも転がって行きそうな坂道だった。
もーどーにもとまらない。
途中で記念に山中の石を拾った。
きっとこの石に「しろひ猫再来」と書いて、私が死んだ
とき手に握らせてもらうであろう。
麓に戻った。
公衆トイレに寄った。
駐車場に青色の名鉄観光のバスがいた。
尾張小牧ナンバーで877であった。
昨日も観音寺で見たやつだ。
しかし初日に極楽寺で見たやつとは違う。
ここに止まっていると言うことは、ここで先ほどの
寄井観光のマイクロバスに乗り換えて札所へ行った
のだろう。
観光バスでは通れない箇所もあるので。
運転手さんは暇を持て余していた。
帰り道を急ぐ。
時刻は11時20分、次のバスは13時10分、神山まで
歩いて行った方が速いので歩く。
小春日和で気持ちがいい。
ひょっとしたらお遍路には今が最適な季節かも
知れないですね。
道端にすすきとキンモクセイの木が続く。
きっと1か月前くらいにはこの街道は芳香街道
と呼ばれていたことだろう。
でも川沿いの一本道なので彷徨街道には
ならないだろう。
神山の橋を渡る。
左手に神山高校が見えて来た。
みんな元気を出して頑張るんだよ。
橋を渡り438号線を左に曲がる。
バイパスからやって来た徳島バスがUターン
して戻って行く。
神山高校前には乗客が皆無だったので素通り
してしまったようだ。
一体今のバスは何だったのだろうか。
正体不明のこのバスの正体を知るべく調べてみた。
それは佐那河内経由の徳島駅行きのバスだった。
と言う事は神山高校前徳島駅間は全部で4路線ある
と言う事なのだ。
今のが12時13分発で徳島着が13時25分着。
この次私が乗るのが12時24分発で徳島着が
13時32分。
高速バスが14時発だからどちらにしても大差はない。
朝ここを発ってから戻ってくるまでにちょうど4時間。
寄井中焼山寺間のバスは1日2往復半の便しかない。
このバスをあてにしていたら拉致は空かない。
これから神山高校前から焼山寺を目指すお遍路さん
に告ぐ。
神山から焼山寺バス停までが45分、バス停から寺まで
1時間10分帰りが1時間とみておいてください。
これを参考にして、あとは神山町営バスをうまくか
らませてお遍路をしてください。
これでタクシー代7500円を浮かすことが出来た。
まだ元気は有り余っている。
突「もう一度登って来たら7500円あげると言われたら
登りますか」
もう一度登って来るともう一泊しなければならないので
しません。
でもホテル代を別途支給してくれるなら登りますよ。
バスは再び大日寺の前を通った。
今回はうなぎパイを渡せなかったけどまたこの次
持って来ますからね、と心のなかで呟いた。
うけたひどい仕打ちは忘れても、うけた恩は絶対
忘れませんからね、と綺麗ごとのような本音を
囁くしろひ猫であった。
駅に戻り、コインロッカーの荷物を持って私は
13時55分高速バスに乗った。
乗客は座席数の半分くらい、しかし、徳島大学前で4人、
松茂で4人、高速鳴門で8人、鳴門公園口の乗客でほぼ
席は埋め尽くされた。
バスはやがて鳴門を離れ、淡路島に再上陸をした。
左側に海は見えるが、スーパーもコンビニもない
田舎である。
この島に高速道路は出来たが、何の経済効果も
ないように思われる。
プロ野球選手の記録のように、ただの通過点に過ぎない。
たんたんと田舎が続く。
神戸も近くなってくると、民家も増え今度は右側に
海が見えて来た。
早朝の海岸通りを一組の夫婦が散歩をしていた。
「それにしてもゆうべは時化たねぇ」
夫、功助が言った。
「おかげでお店も客足がバッタリ,時化たねえ」
妻、美々が言った。
2人は寄り添いながらゆっくりと歩いた。
「ちょっと、あんた、あの砂浜に誰か
倒れていないかい」
美々は夫に言った。
「そうだな、あれは人だな」
功助も海岸をみつめながら答えた。
砂浜に倒れていたのは年の頃なら二十歳
そこそこの若い娘だった。
夫婦は娘を大八車に乗せて家に連れ帰った。
丸2日が経った。
美々の献身的な介抱が功を奏したのか、娘の意識は
戻った。
「桃子さん、やっと目が覚めたのね」
美々は娘に声をかけた。
「・・・・・・・・・・」
娘はなんの反応も示さなかった。
「桃子さん、どうしてあんな所に倒れていたの」
「・・・・・・・」
またしても娘は沈黙であった。
「どうしちゃったんだろうね、この娘」
美々は功助の顔を見た。
「時化で船が転覆して、気が動転してるんじゃないか」
「あのー、さっきから桃子さんって言ってますけど
誰のことですか」
娘が力なく口を開いた。
「だって、あなたのことじゃない。着物に桃子と
書いてあったもの」
「そうですか、わたし桃子と言うんですね」
夫婦はお互いを見つめ合った。
「昔から時々聞く、何もかも忘れてしまうという
病気だろう」
功助は言った。
桃子は次第に元気を取り戻した。
が、行く当てもないので、この家に住み
居酒屋の手伝いなどをしていた。
夫婦は結婚して20年、いまだに子供はいなかった。
いつしか、働き者で賢い桃子をこのまま養女に
迎えたいと心密かに思うようになっていた。
夫婦は彼女の記憶が戻ることをひどく恐れた。
数か月が過ぎた。
沖から船が戻って来た。
赤尾仁吉とふでの乗る、わかめ採りの船だった。
仁吉が櫓を漕ぎ、ふでが船の先をみつめていた。
「ねえ、あんたあんな所に人が倒れている」
ふでは砂浜を指差した。
「そうだな、あれは人だな」
船は遭難者の方へ少し向きをかえた。
「いかにも漁師といった恰好だ。どうせゆうべの
時化で船が転覆して投げ出されたのだろう」
仁吉が言った。
2人は大八車で漁師を家まで運んだ。
漁師は数時間で意識を回復した。
「一体どうしたんだい」
仁吉が訊いた。
「ああ、漁をしていたら突風が吹いてきて
あっという間に船が転覆してしまったんだ」
「他の人はどうされた」
「僕は一人の漁師なので他はいません。ところで
ここはどこなのでしょうか」
漁師は訊き返した。
「泡示島だよ」
「泡示島、すると随分と流されてしまったのですね」
「あなたはどこの漁師だ」
「共ヶ島です」
「そりゃ、遠い。で、これからどうなさる」
「船を失くして帰るにも帰れないし、帰っても仕事に
ならないので、出来たらここらで働きたいのですが」
漁師は起き上がり、両手を床に着いた。
「それだったら、うちで働きなさい。丁度今漁が最盛期
なもので人が欲しかったところだ」
仁吉は言った。
「ところで名をまだ聞いてないが」
「うらし、・・・浦芝太郎と申します」
浦芝はよく働いた。
網や縄や籠の繕いもうまく、網の仕掛け方も釣りも
抜きん出て他を圧倒した。
コンブやタコや魚の干し方もうまく、仕事の上では
信頼され重宝がられた。
浦芝は納屋を改装した部屋で寝泊まりをし、
食事は他の漁師たちと一緒に食堂でとった。
ある深夜、寝付けずふらっと海辺に行くと、みんなが
船に乗って出て行くのが見えた。
「一体、どこへ行くのだろう、この真夜中に」
浦芝は不思議に思った。
ある日浦芝は漁具倉庫で網の修繕をしている時、
奥の方に小さなドアがあるのに気が付いた。
浦芝は中へ入ってみた。
大きな長持があった。
開けてみると、鬼の面がぎっしりと詰まっていた。
何に使うのだろうか、と浦芝は手に取って見た。
「それはこの地方の風習「なまはげ」で使うものだよ」
いつの間にか背後に来ていた一人の漁師が言った。
浦芝は肝を冷やしながらも
「ああ、そうですか」と冷静を装った。
数週間後、また夜の漁があった。
浦芝は漁具倉庫の奥の部屋に入って、長持のふたを開けた。
鬼の面はすべて消えていた。
その時、長持の裏に隠れていた黒い影がドアを
開けて一目散に逃げて行った。
明け方、漁に出た船が帰って来るのを浦島は見た。
長時間の割に魚穫量は少なかった。
次の休日、浦芝は自分が倒れていた海岸へ行った。
休日のたびに、浦芝はここで時間を潰す。
砂浜に寝そべり、半日ほどいろんな事を考えていた。
浦芝は飲んだお茶のビンを海に投げ込んだ。
帰ろうと立ち上がり、海を背にした時、あたりに
人の気配を感じた。
しかし、あたりには誰もいなかった。
ぷかぷかと浮いていたビンは、いつの間にか
姿を消していた。
数日後、浦芝は居酒屋へ向かっていた。
網元の赤尾仁左衛門に話したいことがあると、
飲みに誘われていたのだ。
恐らく長持の一件だろうと、浦芝は薄々感じていた。
店に入ると「浦芝、こっちだ」と片隅のテーブル
の仁左衛門から声がかかった
「酒でも飲むか」
「いえ、僕はまるっきり下戸で」
と浦芝は頭をかいた。
「網元、何かご用でしょうか」
浦芝は甘酒を飲みながら網元に尋ねた。
「ああ、浦芝、単刀直入に言うが実は君に
やめてもらおうと思って呼んだんだ」
「それはまた何故、僕がやめなければ
ならないのですか。理由を教えてください」
浦芝は網元に詰め寄った。
「君のためだ、いつまでも雇われ漁師などして
いてもつまらないだろう。君は時化で船を失い、
帰る足も、商売道具も失くしたと言った。ならば
うちの一番古い船を君にあげよう。ここまで一生懸命
働いてくれたお礼だ。型は古いが時化には強い
俺と君との兄弟船だと思ってとっといてくれ」
確かに船を失ったという理由で、浦芝はこの島に
留まった。
しかし今、その理由が消滅したのだから、その
提案を受け入れるしかなかった。
「いらっしゃいませ、仁左衛門さん」
看板娘がお銚子を持って現れた。
その場を華やかにする雰囲気を持った娘であった。
それが似顔絵で何度も見ていた娘であることは
浦芝には一目でわかった。
「桃子」
思わず浦芝の口から言葉が洩れた。
「えっ、桃子さんのことを知っているのか」
仁左衛門が言った。
「桃子は僕の妹です。数か月前このあたりで
遊覧船に乗っている時、時化に出会い船が沈没
してしまったのです。乗客は妹を除いて全員
救助をされました。が、妹はいまだに行方不明の
状況のままです。そこで僕は妹を捜しに来て
同じように遭難をしてしまったのです」
浦芝は咄嗟の嘘をつき、桃子に向かって右目を
つぶってみせた。
「わたし知りませんこんな人」
桃子は冷たく言い放った。
「お兄さん、実は彼女記憶を喪失しているんです」
もはやこれまでかと覚悟を決めた浦芝の心に
仁左衛門の言葉は朗報であった。
桃子もこれ以上の強い言葉を浴びせれば、記憶喪失
が嘘だとばれるかもと控えた。
「でも、あなたが兄だと言う証拠はあるんですか」
桃子は尋ねた。
「桃子の右腕の付け根にほくろがある。小さい頃
よく一緒に風呂に入ったから知っている」
浦芝は父母に教えられた通り落ち着いて答えた。
「たしかにわたしの右腕付け根には大きなほくろ
があります」
桃子は二の腕をまくって仁左衛門に見せた。
「お兄さん、出て行かないで、ずっとここに
居て下さいよ」
仁左衛門が掌を返したように言った。
「お兄さんの挙動が不審なものだから、出て行って
もらおうと思ったが、まさかそのような理由からだ
とは知らなかったもんで」
仁左衛門は謝罪をした。
「パパ、浦島さんからの手紙が届いていますよ。今朝
キンカメが持って来ました」
音姫は浦芝が海に投げたお茶のビンを目の前に翳した。
金田一はふたを開け、中の手紙を取り出した。
「なになに、えーと、浦島の奴小さな字を書くな、
わたしにはとても読めない。音ちゃん、代わりに
読んでおくれ」
「はい、わかりましたパパ。「金田一先生、わたしは今、
ある漁村の網元の下で漁師として働いております。
昔取った杵柄とやらで、何をやらせても一番うまい
わたしは皆から信頼され重宝がられています。そんな
事より例の件ですが、暇をみつけては桃子さんを捜
しているのですが、彼女はまだみつかっていません。
それと先生、この網元の一団、不可解な行動が
見られるのです。例えば時々深夜の漁に出たりとか
、秘密の部屋に鬼の面を隠し持っていたりとか、
それが深夜の漁に出る時は部屋から
無くなっていたりとか、何か犯罪の臭いがしてなら
ないのです。次の深夜の漁は四日後になります。
業務以外の事に首を突っ込むなと言われればそれ
までですが、どういたしましょう」以上です」
音姫は読み終えると手紙をおろした。
「うーん」
金田一はあごに手を当て、しばらく考えていた。
「浦島に任せておいたら命が危ない、そうだ
ここはキンカメだ。音ちゃん、四日後の深夜の漁
をキンカメに尾行させてくれ、帰って来るまでの
一部始終をキンカメラに収めておいてくれ。そして
結果を浦島に知らせてやってくれ」
「わかりました、パパ」
桃子と仁左衛門の結婚話がまとまった。
式は村の集会所で執り行われることとなった。
2人の両親は高齢で病弱ということで欠席する
ことになった。
したがって出席者の殆どは新郎側の関係者という
変則的な式となった。
もちろん功助と美々も、兄である浦芝も列席した。
夕方始まった宴は飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ
であった。
「いゃー、親方がこんな別嬪さんと付き合ってる
とは全然知らなかった。親方も隅に置けない人だ」
酔った勢いで鬼吉が言った。
「隅に置けないから、お二人さんに真ん中に
出て来てもらって、馴れ初めなんか語って
もらおうじゃないか」
呂律の回らない口調で鬼平が言った。
「実は数か月前、ある料亭へ行って、彼女と
出会った。一目ぼれでした」
仁左衛門は頭を搔きながら告白した。
宴会は進んだ。
そして酔いが回るにつれて一人また一人と眠っていった。
最後の配下が眠りに陥いると宴会場の襖が開き
金田一が現れた。
「鬼の頭領、あかおにざえもん、お前の手下はすべて
眠った」
「貴様は一体誰だ、人の結婚式に無断で踏み込むと
は失礼ではないか」
「だまらっしゃい。人の財産を強奪するお前に言われる
筋合いはない。浦島、手下どもを今のうちに縛って
しまいなさい」
「わしが他人様の財産を奪ったなどと、言いがかりを
つけて、一体どこにそんな証拠があるというのだ」
仁左衛門は両親の手前もあり開き直った。
金田一はキンカメの撮ったビデオをモニターに写した。
「そら、夜の漁を装って船が出て行きます。目的地は
10km先の○○村です。この村の豪商醬油問屋の茂兵衛さん
の家がこの日のターゲットです。玄関の戸を難なく開けて
います。錠はずしの専門家ですね。次から次と漁師たちが
侵入して行きます。鬼の面をみな被っていますね。長持の
中にあったお面です。手際よく家財道具、貴重品、お金を
運び出し船に積んでいます。そして海岸沿いの岩の
洞窟へ一旦移しています。どうだ仁左衛門、これが証拠だ」
「ううーっ、おのれー」
仁左衛門は金田一に飛びかかった。
金田一はひらりと体を交わした。
仁左衛門は柱に頭を打ち付けた。
「ゴン」と言う大きな音がした。
「神妙にお縄を頂戴しろ」
金田一は大川橋蔵のようなセリフを吐いた。
あんなに恰好よくはないが。
「お願いです、息子を見逃してやって下さい」
仁吉、ふで夫婦が懇願した。
「仁左衛門、今まで奪った金品はどうした」
「洞窟に保管したままで、一切、手をつけていません」
「襲撃の際に、人をあやめたことは」
「あやめるどころか、血の一筋すら流したことは
ありません」
仁左衛門が言った。
「先生、僕も仁吉、ふで夫婦には随分とお世話に
なっています。出来たら彼らの悲しい顔は見たく
ないのですが」
浦島が言った。
「わたしも盗品を返すだけでいいのではないかと
思います。そう言う目的でわたしはこの島に来ました。
仁左衛門さんもそんなに悪い人ではないと思うし、
何よりもご両親の今後を考えた時 番所に突き出す
のは余りにも酷だと思います」
桃子が言った。
「仁左衛門、みんながこのように言っている。
改心して一生懸命働くか」
金田一が言った。
「申し訳ありませんでした。心を入れ替えて
頑張るのでお見逃し下さい」
仁左衛門がこぶの出来た頭を床に着けて言った。
「ま、我々も眠り薬を盛るなど、犯罪紛いのこともし
ているので大目に見るか」
金田一一行は仁左衛門を連れて、一軒一軒盗品を
返して廻った。
所々でお礼にとお宝も戴いた。
仁左衛門は自分のしたことを恥じて、真面目に働く
ようになり、親孝行もするようになった。
そして、金田一一行も、桃子もそれぞれの故郷
に帰って行った。
数日後、老夫婦が金田一探偵事務所を訪れた。
「金田一先生、この度は桃子を捜していただき、
有難うございました」
おじいさんはお礼を言った。
「これは謝礼で御座います」
おばあさんがカバンから封筒を出してテーブルの
上に置いた。
「あ、有難うございます」
金田一はそれを懐に入れた。
「ところで先生、どのようにして桃子の居場所を
突き止めたのですか」
「失礼だとは思ったのですが、桃子さんの日記を
読ませてもらいました。どうやら彼女は離島めぐりが
趣味のようですね」
「はい、時々出かけてはいました」
「日記によりますと、彼女は瀬戸内の離島は殆ど廻り、
最後に残されたのがこの泡示島だったのです。だから
比較的簡単に読めました。が、彼女の真の目的までは
読めませんでした」
「真の目的とは」
老人は訊いた。
「いえ、それは・・・言わぬが花でしょう」
金田一はコーヒーをすすりながら言った。
「ところで先生、私達もう一つ聞いてもらいたい
話があるのですが。先生にこのような相談をもちかける
のはお門違いかも知れませんが、他に頼れる人が
いないんです」
「ほう、どんな話でしょうか。私に出来ることなら
極力手伝わせて頂きたいと思うが」
「実は桃子のことなんですが」
「そうですか、今日桃子さんがご一緒でないから
可笑しいとは思いましたが」
「はい、あれは二十年前のある日、わたしが川で洗濯を
していると、大きな桃がどんぶらこと流れて来たのです。
わたしは竹竿で岸に手繰り寄せ、今夜おじいさんと
一緒に食べようと、その桃を家に持ち帰ったのです。
そして包丁で桃を切ったら中に男の子が入っていたのです」
「ほう、それで」
金田一は先を促した。
音姫も浦島も興味深そうに聞き入っていた。
「ところが、わたしは包丁で男の子の大事なところを
切り落としてしまったのです。私たちは急いで病院に
駆けつけました。お医者さんは「これはもうくっつ
きません。女の子にするしかありません」というので
、やむなく女の子にする手術を受けて帰って来ました。
もちろん、このことは桃子は知りません」
「それで私にどうしろと」
「ところが最近、やはり男の本性が疼くのでしょうかね、
となりのお小夜坊が大好きで、どうしても結婚したいと
言い出すようになったのです」
「で、お小夜坊はどう言ってるのですか」
「もちろん相思相愛で、結婚したいと泣いているのです」
「お小夜坊は幾つですか」
「桃子と同い年です。たしか桃子より六日早く
生まれたと思いますが」
「わかりました、なんとかしてみましょう」
金田一は言った。
金田一は木切れで地面に円を描いていた。
「さあ、みなさん出来るだけ煙がかかるように
この輪の中に入って下さい」
金田一は桃子一家とお小夜坊一家に言った。
「いいですね、この煙を浴びると皆さん20年前に
戻ります。そう、ちょうど桃が流れて来る時刻です。
きのう徹夜で薬の調合をしたので間違いありません。
おばあちゃん、今度は慎重に桃を切るのですよ」
金田一は竜宮城を脱出する時に持ってきた、最後の
玉手箱を輪の中心に置いた。
「皆さんが同じだけ若返らなければ、可笑しなことに
なってしまいますからね。輪からはみ出さないように
して下さいよ。それではいきますからね」
金田一は長い物干し竿で玉手箱のふたを開けた。
もうもうと煙が立ち込めた。
Once upon a time,there lived an old man and an
old woman .
Every day the old man would go into the mountains
to collect firewood and the old woman would go
to the river to do the washing.
One day, while the old woman was doing the washing
,a giant peach came floating down the river.
おばあさんは竹竿で桃を岸に手繰り寄せました。
洗濯が終わるとおばあさんは桃を担いで
家に帰りました。
「おじいさん、今日は大きな桃が流れてきましたよ。
早速切ってみましょうね」
「おばあさんや、気を付けて切るんじゃぞ」
「わかってますとも」
桃を切ると中から赤ちゃんが出て来ました。
What a pretty baby boy.
Oh! This is a ochinchinn.
「まあ、なんて可愛い坊やでしょう。こんどは
ちゃんとついてるわ」
ご存知金田一平助シリーズ「桃子」より一部抜粋。
第157回直木賞受賞辞退作品なんちゃって。
16時到着予定の高速バスは渋滞に巻き込まれ20分
ほど遅れた。
16時49分発の「のぞみ38号」に乗った。
新大阪までは満員で座れず、京都辺りであたりは
暗くなった。
それでは総括といきましょうか。
宿泊費22200円 交通費29000円くらい
飲食費8000円だと思う(私グルメじゃないもので)
お土産代3000円だったかな。
忘れているものを含めても70000円はかかって
いないと思います。
道を尋ねた人、18人。
会話をしたお遍路さん13人。
ブログを知らせた人4人(女3人男1人)
出会った猫5匹、犬3匹。
次は旅程です。
○○駅---名鉄名古屋 乗換えJR名古屋---JR岡山
JR岡山---JR高松---JR坂東 徒歩 霊山寺 徒歩 極楽寺
徒歩 金泉寺 徒歩 板野南 バス 大日寺口 徒歩 大日寺
徒歩 地蔵寺 バス 東原 徒歩 安楽寺宿泊1日目終了 徒歩 十楽寺
徒歩 熊谷寺 徒歩 法輪寺 徒歩 切幡寺 徒歩 藤井寺 徒歩
鴨島 バス 石井中 バス 井戸寺口 バス 徳島駅 ステH泊2日目終了
JR徳島---JR日和佐 徒歩 薬王寺 徒歩 JR日和佐---
JR新野 徒歩 平等寺 徒歩 山口中 バス 和食東 徒歩
ロープウェイ乗り場 ケーブル 太龍寺 ケーブルカー
徒歩 和食東 バス 桑野上 JR桑野---JR立江 徒歩 立江寺
バス 恩山寺 バス 徳島駅 ステH泊3日目終了 徳島駅 バス
生名 徒歩 鶴林寺 徒歩 生名 バス 徳島駅 バス 観音寺北
徒歩 観音寺 徒歩 国分寺 徒歩 常楽寺 徒歩 大日寺
バス 徳島駅 ステH泊三日目終了 徳島駅 バス 神山高校前 徒歩
焼山寺 徒歩 神山高校前 バス 徳島駅 高速バス JR新神戸
---JR名古屋 名鉄名古屋---○○駅 本日の歩行距離19,84km
廻った寺の札所番号
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 17 23 22 21 19 18 20
16 15 14 13 12
とにかく楽しい旅でした。
次は多分来年の春になると思います。
それまでは時々競馬の予想や結果を載せて
いきますので興味のある方は引き続きご愛読下さいませ。
最後に有馬記念の結果です。
はずしたとは言え、センスのいい外し方でしょ。
それでは、良いお年をお迎えくださいませ。
2016年12月31日午前9時40分