その4

今日の予定としては51番札所石手寺から46番浄瑠璃寺へと

逆打ちをするつもりだ。

石手寺に着くのが11時として、51番から46番までの距離が

14キロ、これを5時間で廻れば何とかなる。

私は駅前の計算をした。

 

どうだ? It`s easy to do it それくらい朝飯前でさぁ。

私は自問自答し、このような結論に至った。

その後バスで戻れば松山駅に18時に着く。

それからこの辺りで宿をとろうと思っていた。

シルバーウィークということで若干の不安を抱えながらも

私は駅の右端(正面から見れば左端)のコインロッカー

ルームへと向かった。

空いているロッカーにリュックを入れ、300円を

投入口から入れ、誰もいないことを確認してから

私は叫んだ。I`ll be back

早速、駅前の交番へ行って石手寺への行き方を尋ねた。

松山へ来ると私はいつもここへ立ち寄る。

おまわりさんに教えられた通り、駅前の伊予鉄バス乗り場

でバスを待った。

バスはすぐにやって来た。

行き先の表示を見ると「運転免許センター」とあった。

石手寺は「奥道後湯の山ニュータウン」行きであったが、

「運転免許センター」も確かガイドブックでは52、53番

札所に行く時のバスであることを知っていた。

私はこのバスに乗ることにした。

ぶれると言うか、優柔不断と言うか、行き当たりばったりと

言うか私のいけないところである。

しかし臨機応変という便利な言葉が私を弁護してくれた。

バスの扉がガバッと開き、私はこの旅初めての路線バスに乗った。

運転手さんのそばまで行って

「このバス52、53番札所までいきますよね」

と、尋ねると

「お寺の名前を言ってもらわねばわからない」

と言う。

「山の方と駅の方の両方のお寺ですが名前はよく覚えていません」

と言うと

「山の方が太山寺、駅に近い方が円明寺、どちらも行くよ」

と答える。

多くのお遍路さんがこのバスに乗って同じ質問をしているのに、

よく言えば生真面目、悪く言えば意地の悪い運転手さんだった。

彼は私に整理券をとるように言った。

観音寺のバスはコミュニティーバスなので整理券はいらないが

路線バスは乗ったらすぐに整理券をとらねば いけない。

うっかり忘れると出発地からの料金をとられるらしい。

気をつけるように。

運転手さんはルームミラーをよく見ている。

私が整理券をとらなかったのを見ていたのだろう。

まんざら悪い運転手さんでもない。

それでは車内の状況並びに料金について説明しておこう。

とった整理券には数字が書いてある。

バス停番号である。

フロントガラス上部にはバス停番号と、その下には

現時点での料金を示す表示板が設置されている。

乗った途端に基本料金のような百数十円が示された。

降りる時は近くに設置された押しボタンを押して知らせる。

料金は何百何十円というのが多いので予め小銭を用意して

おくと便利だ、が車内には両替機も設置されている。

私は極力、納経の時に、千円札を出しておつりを貰うように

していた。

おかげで小銭入れはこの旅の間中常にパンパンであった。

そして走行中は決して立ち上がらないで下さいの放送が流れる。

よく転倒事故があるらしい。

乗客の内訳について言えば、今日は私以外地元の人って感じ。

年齢層で言えば、やはりお年寄りが多い。

みんな2、3駅乗っては降りる。買い物かな。

24分で片廻(かたまわり)バス停に着いた。

時刻は10時50分、目指す太山寺は西の山の中腹に見える。

かなり通行量のある通りを西に進み、やがて右へ折れ

急坂へとさしかかる。

民家の細い道から出て来たCL50に乗った娘さんに出くわす。

懐かしいバイクだ、しかも娘さんが乗っている。

きのうのタクシーといい、CLといい地方に来ると滅茶苦茶

古い乗り物に逢えるから楽しい。

きつい坂道を登って行く、車遍路もかなりたくさん登って

行くので気を付けなければいけない。

本堂を礼拝し戻って来る途中に納経所はあった。

納経を済ますと片廻のバス停より一つ向こうのバス停まで歩いた。

バスを降りる時、あの几帳面で、生真面目で、こうるさい

運転手さんに言われた通り。

でも本当はこういう人が一番いい人かも知れない。

バス停近くにあった円明寺をそそくさと参拝し、12時9分の

バスで松山駅前に戻った。

円明寺さん、ごめんなさい、たった2行で終わらせてしまって。

この寺はわかりやすいJR伊予和気駅のすぐ近くにあります。

もしバスの待ち時間よりJRの待ち時間の方が短ければ

そちらを利用する手もあります。

これで6行になったんだから、ね、和気藹々といきましょう。

 

バスを降りると間髪を入れずに次のバスがやって来た。

行く先を見ると、「奥道後湯の山ニュータウン」とあった。

まさにこの旅最高のグッドタイミングであった。

快感に酔いしれていると、林修が現れて

「君、3行前の間髪をどう読むのか知ってるか」

と訊くので

「かんぱつでしょ」

と言った。

すると林めが

「これはかんはつと読むのだ」

と言って去って行った。

伊予鉄の運転手さんといい、林めといい、本当に

うるさいなと思うが私には憎めない。

なぜか林修、どこか他人のような気がしない部分がある。

この東大出の勉強馬鹿が。

 

突(林修の声色で)「うるさい、この競馬馬鹿」

 

馬鹿は、じゃなくてバスは子規記念博物館を経由して

石手寺へと向かった。

道中、あちこち、観光客で賑わっていた。

行列の出来ている飲食店も多々あった。

休日の観光地の賑わい。

悪いものではない。

昔は大嫌いであったが。

「奥道後湯の山ニュータウン」行きのバスは石手寺に着いた。

長いこの駅名、落語の寿限無みたい。

プロの作家なら原稿料を水増し出来るから多様するだろうな。

奥道後湯の山ニュータウン、奥道後湯の山ニュータウン・・・。

 

石手寺の参道は露店が並んでいた。

今まで参拝したお寺の中では一番規模が大きい。

松山、ひいては愛媛一の観光地道後温泉に隣接するお寺

だから、観光がてら立ち寄る参拝客も大昔から多かった

せいだと思われます。

現に私の周りでも、一つだけ廻ったお遍路のお寺が

あるよとよく聞く。

それはどこですかと尋ねると道後温泉のすぐ近くと皆言う。

格ではなく、地理的好条件による経済力がこれだけの

お寺を作ったのでしょうね。

 

突「格式も高い、と抗議がきてますけど」

 

あっ、そうですか、寺を出ると目の前を道が真っ直ぐに

延びている。

橋を渡ったところに観光案内地図があった。

それに従って行くと、またしても変な道に迷い込んでしまった。

そうか変な路、変路、遍路、お遍路だな。

こんな所で道草を食べていると、またやっかいな事になると

、私はすぐに引き返した。

そして地元の人に道を尋ねた。

地元の人も知らない人が多く三人目の人が、この県道40号線を

道なりに3キロほど行って、あとはその辺りで訊いて下さいとの事。

やっとこの旅でまともな道案内を聞いた気がした。

若い人だったが的を得た、起承転結のはっきりした説明であった。

道なりで3キロほど行った所で通りかかった自転車の人に繁多寺

のありかを訊いた。

パチンコ店の所を左に曲がって行くといいと言う。

言われた通りに行くと民家ばかり、どこかに繁多寺という道標

が、ないかと思って進むが何もない。

やれやれ、またかと40号線に引き返す。

一体どうなっているのだ四国という所は。

少し嫌気がしてきたところで、自転車の女性にあった。

「繁多寺はどこですか」

「そちらの角を曲がって行くとありますよ」

それだと先ほどの自転車の人の話は間違ってない。

しかし、道標はない。

「お遍路のお寺の道標がないっておかしいじゃないですか。

大体四国の人にお寺の所在地を訊いても6割の人は知らない

と言う。観光地によくある大きな標識もない。四国の行政は、

四国の文化遺産であるお遍路に本当に心血を注いで

いられるのですか」

と散々女性の前で私はぼやいた。

彼女は四国の代表者として責任を感じたのか自転車を

降りて私の案内をしてくれることになった。

なんてやさしい女性だろうか。

 

突「お前が強いたんじゃないか」

 

わたしも遠くからお嫁に来たものですから、このお寺のことは

よくわからない。

数年前にススキを束ねた変わったお祭りで一度だけ来たことが

あるのでおぼろげながら覚えていると言っていた。

道は住宅街を進み、標識はやはりなく、この先にお遍路の

お寺があるなどとは考えられない雰囲気であった。

が、歩くこと10分とうとう繁多寺の標識を見つけたぞ、

この野郎、散々手古摺らせやがってって感じ。

9月下旬とはいえ、暑い。

湿度はないが、気温は30度くらいはあるだろうか。

私も彼女も額に汗を浮かべた。

彼女は門前まで送ってくれた。

「有難うございました」

私は丁寧にお礼を言って彼女と別れた。

 

礼拝を終えベンチで、パチンコ屋の隣のコンビニで

買ってきたおにぎりを食べた。

よく考えてみると、この2日間おにぎりばかり食べている。

それで、いきつけの床屋さんの話を思い出した。

お客さんの中に歩き遍路を全うした人がいたんですって。

その人の話によれば歩き遍路を成功させるコツは、考えると

いやになるから、何も考えずに歩く、ただひたすら歩く

食堂に入って飯を食う暇があったら、コンビニで買った

おにぎりを食べながら歩く。

夜は死んだようになって眠る、この繰り返しですよと。

何となくこの2日間で私にも、わかるような気がしてきた。

あと一つ、私が経験した事から学んだものを加えるなら、

疲れるから急いで廻ろうじゃなくて、疲れるからゆっくり

廻ろうですね。

急ぐから疲れて挫折する、事を成すにはゆっくりでも

いいからゴールに辿り着くまで続けること。

人生の不偏的な真理をお大師様に教えられたように思う。

なんちゃって。

 

帰りに山門のところで愛媛大学の学生がアンケートをとっていた。

ご協力をいただけませんかと言うので協力をした。

その中の三つを。

このお遍路の目的は、という質問に冒頭でも述べたように

「空海がこのお遍路のシステムをどのような意図を

もって作られたのか知りたくて」

と、相手は愛媛大学だ、ちょっと気取って答えた。

また、あなたは死後の世界を信じますか、の質問には

「死後の世界も生前の世界もあると思ってます。今が

あって、それらが無いと考える方が不自然じゃないですか」

と素直な自分の考えを述べた。

三つ目、このお遍路で接待を受けられましたか、の質問には

昨日の棟梁の話と、門前まで送ってくれた先ほどの女性の

話をした。

広い意味で言えばこれも接待だから。

 

10分かけて再び県道40号線に戻った。

繁多寺は非常にわかりづらいお寺であったが、石手寺方面

から来ればパチンコ屋、浄土寺方面からくれば繁多寺バス停

から山の方へ向かえば必ずあることを信じて進んだください。

道なりに久米まで行けば49番札所浄土寺だ。

簡単にわかるかと思いきや、わかり辛かった。

後でわかったことだが逆回りには道標はわかりにくいそうだ。

道標の背中しか見えないから見逃すのかも。

さらに私が歩く大通りにはめったに案内は出てないそうだ。

駐車場の女性に道を訊くとすぐにわかった。

浄土寺を出ると時刻は3時を過ぎていた。

納経所の時計でわかったことだが。

ああ、不便だ、ひょっとしたら治っているかも、と私は

ポケットの万歩計を取り出した。

万歩計はBTの文字だけが出て、ウンともスンとも言わなかった。

 

突「ウン」

 

お前が言ってどうなるというのだ。

お遍路バッグに同行二人と書かれている。

これは弘法大師が一緒に旅してあなたをお守りいたします

よと言う意味だそうです。

実は私の実家は真宗大谷派、歎異抄に「一人でいて淋しいと

思わば二人いると思え、二人でいて淋しいと思わば三人いる

と思え。その一人は親鸞なり」というのがある。

それだと空海さん、親鸞さん、それに突っ込みと私には

三人ものお伴がいることになる。

嬉しいな、まるで水戸黄門ご一行様みたいだな。

しかし、空海さんと親鸞さん、喧嘩しないだろうか。

 

突「大丈夫ですよ、二人とも悟りを開いた。大人物だから」

 

それでは二人に、これからの旅も静かに見守ってもらう

ことにいたしましょう。

私の故郷の観光名所のことを今、考えている。

香嵐渓、岡崎城、ちょっと離れても明治村、東山動植物園、

最後に行ったのはいつだったのだろう。

人間というものは近くの名所には仲々行かないものだ。

きっと四国の人もお遍路はしないんじゃないかと思う。

だから訊いても知らない人が多いんじゃないかな。

これを昔から日本のことわざで、灯台元暗しという。

昔に灯台があったかどうか知らないけれど。

それでは林修は

 

突、猫、(声を揃えて)「東大勉強バカ」

 

こう言われて怒る東大生がいたら本当の馬鹿だろうな。

どうだ…そらそらそらそーら…怒れまいが。

卑怯な手だ。

こんなバカな事を考えながら歩いていると西林寺に到着した。

16時20分、県道沿いの非常にわかりやすい寺だった。

納経所で次の札所までどのくらいかかるか訊いた。

15分だから、ぎりぎりあと一つ行けると言う、歩きだと言うと

それじゃとても無理だと言われた。

ウサインボルトならと訊くと、彼は日本語が話せないし

読めないから無理だと言われた。

Aer you kidding?

松山駅まで帰るにはどうしたらいいかと尋ねると、近所に

コミュニティーバスの停留所があるからそれで久米駅まで

行き横河原線で松山市駅、市電で松山駅まで乗り継げば

いいとのこと。

ここまで10の札所を廻ってわかったことだが、納経所の人は

地元の人だから結構その土地の情報を持っている。

これを利用しない手はないと思った。

やはり人間、経験していく中で学習するもんですね。

 

コミュニティーバス、横河原線、市電を乗り継いで松山駅まで

帰って来た時、時計の針は17時半を示していた。

少し疲れたので横にならせてもらうことにした。

「へんしーん」ちょっと古いね。

 

 

やあ、みなさん、しろひ猫です。

不思議の国からやって来ました。

野良猫ですが、この近辺の飲食店のおすそ分けを

いただいて何とか生きてます。

僕はみなさんから「ロバート」と呼ばれています。

えっ、フルネームですか、ちょっと照れくさいな、でも

教えてほしいって・・・ロバート・・・デニャーオ

と申します。

周囲からは僕を松山駅の駅長にという声もあがっていますが

、とてもその器ではないので丁重にお断りしています。

これから寒い冬がやって来ます。

でも大丈夫ですよ。履いてますからじゃなくて、空きロッカー

に入ってますから。

時々、手を貸して欲しいって人が来るんですけど

僕には前足しかないのですいませんと断っています。

毎日15時間くらいはこうやってぐーたら猫ろんでいます。

だって僕たち寝子ですもの。

ああ、猫に生まれてとっても幸せ。

 

少し楽になったので再び○○○に「へんしーん」

さて、宿をさがさなければならない。

コインロッカーからリュックを出し、再び交番を訪ねた。

「サンルート松山ってホテルどこにありますか」

お巡りさんは、今からカブで巡回パトロールらして

交番の外に出て

「あそこに赤い建物があるでしょ」

とサンルートを指差した。

サンルートはガイドブックの通り歩いて3分くらいの

所にあった。

私がフロントに行って

「予約はしてないですけど、部屋はありますか」

と尋ねると

「申し訳ありませんが、満室です」

と断られてしまった。

ガーンと洗面器で頭を叩かれたような衝撃が走った。

今日、若い人に洗面器と言ってわかってもらえるだろうか。

つまり、面を洗う器なんですけど。

 

突「そのままやないか」

 

駅前には他に格安料金の明示されているホテルが二件

あったが、やはり二件とも満室であった。

最初のホテルでお鍋で、二件目でたらいで叩かれた

ような衝撃が走った。

やはり断られる回数が多くなるほど衝撃が大きくなるのは

女性を口説く時と同じか。

どうしよう、このままでは野宿になってしまう。

時計を見ると6時半、あたりはじわじわと闇が迫っている。

今から今治へ行って宿探しをしても8時過ぎになってしまう。

あまり遅くなると空いていても断られることもある。

かと言って、松山駅構内で野宿ってのも、あまりにも惨めだ。

そうだ、駅にこだわるな、駅から離れて探そう。

しかし駅から離れるとそんなにはホテルはなかった。

5件目にようやく、5000円台の明示のあるホテルをみつけた。

早速フロントに行き、空き部屋情報を訊く。

「煙草の吸える部屋ならあります」

という答えが返って来た。

どこかで聞いたことのあるセリフだなと思ったら昨日の

観音寺グランドホテルのそれだった。

この辺りのホテル業界ではこの言い回しが専門用語と

なっているのだろうか。

ホテルの名は松山ヒルズ、地獄で仏とはこのことである。

なぜかフロントの女性が天使のように美しく見えて来た。

She looks like a angel

天使はパソコンの使い方、コーヒーのサービス、漫画の

見られる部屋など丁寧に説明してくれた。

また朝食がバイキングであることも教えてくれた。

ラッキー、朝食付きのビジネスホテルなんて生まれて初めて。

部屋に入り旅装を解いた。

そしてベッドに大の字になった。

今日の反省と明日の予定についてミーティングをした。

反省としては三角寺でのバスの古い時刻表、いつのものか

よく確認をすること。

明日の予定としては、お遍路の難所の一つである44、45

番札所太寶寺、岩屋寺だ。

そのためには松山発久万行きの8時15分に乗るのが必須だ、

とミーティングは満場一致で終了した。

しかしこのコースはバスを2本乗り継ぐ。

1時間半に1本の松山久万間、3時間に1本の久万岩屋寺間

それの往復を考えると、この二寺を廻るだけで1日は暮れる。

つまり8時15分に出て順調にいったとしても17時に松山へ

帰る。

残念だが、それで仕方ない。

ちなみに車で行けば参拝時間を含めても5時間である。

改めて車の優秀性を感じる。

まだまだトヨタ自動車は安泰だ。

しかし、修行ならば安易な道より苦難の道でしょ。

 

9月23日

 

朝5時に目が覚めた。

昨日同様に朝風呂に入る。

着替えをし、散らかっている荷をかばんに戻した。

バイキングの朝食は6時半からだと言う。

テレビで今日が快晴であることを確認し二階の食堂に向かう。

すでに食堂には多くの客が来ていた。

私は、焼き鮭、肉団子、ポテトサラダ、切り干し大根

、リンゴジュース、味噌汁、味ご飯をお盆にのせた。

特別においしいとは思わないが、普通においしかった。

5300円で朝食までついてサービスも多く、良心的な、

いままで泊まったビジネスホテルでは一番よいホテルだと思う。

これからも松山にはよく来ると思うが、ここを定宿にしようと

固く誓う、しろひ猫であった。

みなさんにもお勧めする。

松山駅を出て正面よりやや右手にある伊予銀行のもう一つ

奥の松山ヒルズホテルだ。

看板も出ている。

逆境の友こそ真の友だ。

それに対して私をそでにしたサンルート松山、憶えていやがれ。

お前なんか面も見たくねえ…なんて思ってはいけません。

そんなふうに考える人は競馬には当たりません。

本当はたまたまそうなっただけです。

でもやはり朝食バイキングは魅力的だ、松山ヒルズ万歳。

 

7時20分ホテルを出る。

松山駅までは5分で着いた。

まずは確認のために時刻表の前に立った。

8時15分、やはり間違いない、ん、昨日は気づかなかった

が時刻表の前の赤い点は何だ、休日運休か。

えっ、今日は秋分の日、すると祝日だから休日か。

「えーーーーーーーー」

またしても私は大きなミステイクをしてしまったことに気づいた。

次の便が9時55分、駅前の計算をしてみると松山に帰って

来るのは19時半になる。

その前の便となると6時半である。

これだとバイキングの始まる時刻だし、でもバイキングは

捨てたくないし。

ああ、世の中はうまくいかないものだ。

私は急遽予定を変更した。

昨日やり残した46、47番札所に行くことにした。

本当に私はおっちょこちょいだ。

 

まずは路面電車に乗って松山市駅へ、そこから路線バスで

森松へ、さらにもう一本路線バス丹波行きで浄瑠璃寺へ。

ところが乗った路面電車が道後温泉行きであった。

たしか松山市駅行き乗り場から乗ったのに。

事情を話すと運転手さんもルームミラーで見ていたのだろう。

間違えたのだから料金はいらない、市駅行きなら今待っている

あの車両だと教えてくれた。

私は教えてくれた車両に牛若丸のようにひらりと飛び乗った。

が、はたで見てたら牛のようにのろかったであろう。

本当におっちょこちょいな私である。

でも命に別条はないのでこれも楽しい。

正々堂々と無賃乗車も出来たし。

松山へ行ったとき真似しないように。

 

中継地点の森松で40分ほどの待ち時間があった。

私はかなり離れた所にあるトイレに、リュックをベンチに

置いて行った。

帰って来るとリュックがなくなっていた。

まさか、こんな田舎の停留所で置き引きに遭うなんて。

私はリュックのありかを捜して当たりを見回した。

ま、着替えと時刻表とガイドブックくらいのものしか

入っていないのでそれほどの痛手ではないが。

すると、大学生風の若者が手に持っているリュックが

私の目に飛び込んできた。

私の目は若者のリュックに釘づけとなった。

似ている、あまりにも似ている、初恋の人にじゃなくて

私のリュックに。

若者も私の視線にただならぬ殺気を感じたのだろう。

私の視線の先に目をやりリュックに気が付いた。

「すいません、僕のリュックににていたもんで」

と若者は私にリュックを返しにきた。

(じゃ、お前が背負っているのは何なんだよ)

きっと、友達と話している最中に、持ち主のないリュックが

視野に入ったのだろう。

そしてバス乗り場に向かうとき、無意識のうちに

手に取ってしまったのだろう。

だって自分が取らなけりゃリュックは残ってしまう。

片づけなけりゃという人間の本能がはたらいたのだと思う。

しろひ猫は若者の心理をそう分析するのであった。

私は「いいですよ」と一言だけ言った。

おっちょこちょいな私でも同じような過ちを犯しそうだから。

君は運がいい。

もし、怖ーいおじさんだったら、親を呼べ、息子を前科者に

したくなかったら一千万円払えって脅されますよ。

私は何とも思いません。

むしろ紀行文が三十行ほど増えたのだから感謝、感謝。

でも、やはり持ち物は常に手に持っていましょうね。

 

9時53分のバスに乗り、10時10分に浄瑠璃寺に着いた。

ロマンチックな寺の名に反して、地味なお寺であった。

そう言えば昨日の繁多寺なんかファンタジーって

言ってましたね。

1キロほど道を戻って八坂寺、大きな道標とお大師様の

石像があってわかりやすいお寺であった。

ここはかなり大きなお寺で、閻魔大王が私を

睨み付けていました。

 

 

 

Aはドアをノックした。

「どうぞ」

中から低い威圧感のある声がした。

Aは恐る恐る中へ入った。

「ま、座りたまえ」

と髭を撫でながら閻魔大王が言った。

Aは言われるままに腰を降ろした。

「話は外でもない。君にあの世に行ってもらうことになった」

3日前に大王との面談の通知があった時、薄々感じてはいたが

いよいよそれが現実のものとなった。

「あの世ってどんな所なんですかね」

「説明してもわからんだろ。この世とは全く違う世界だ。

見たこともない世界だからそれを説明する言葉がこの世には

存在しない。いけばわかる。わしにはそれしか言えない」

この世のものたちは、よく、見たこともないあの世の話をする。

あの世にはチキュウというものがあってそこにドウブツという

ものが存在する。

ドウブツの頂点に立つのがニンゲンというもので、ニンゲンには

オトコとオンナという2種類がある。

分離ではなく、このオトコとオンナのセイショクコウイによって

ニンゲンは増えていく。

さらにジカンの経過とともにコドモ、オトナ、ロウジンと

呼び方も替わるらしい。

ドウブツ、ニンゲン、オトコ、オンナ、コドモ、オトナ、

ロウジン、ジカン、チキュウ、セイショクコウイ、この世の

ものには意味不明な言葉である。

まるで先天的に盲目の者に「赤い」を説明する

ようなものである。

「しかし君は記録によると、あの世には三度行ってるぞ」

閻魔大王は閻魔帳を見ながら言った。

「まったく記憶にございません」

Aは汚職政治家のような発言をした。

「しかし、これだけは教えておく。君はあの世でニンゲンとして

生まれる。このニンゲンには先住人がいる。君はこれを御して

生きていかなければならない」

「やっかいな奴ですか」

「ああ、元々ニンゲンの肉体に帰属するオノレという奴だ。

ボンノウともホンノウとも言う。怠けていたいとか楽して

大金を手に入れたいとか、強烈な快楽を貪りたいとか

考える奴だ」

「それは大変な奴ですね。なんか負けてしまいそう」

「ことごとく打ち負かせてしまえとは言わない。そんなことを

したら今度はニンゲンが死んでしまう。君もこれで四度目だから

すぐに慣れるとは思うけど適当に折り合い肝心なところは御す。

飴と鞭を使って幸せに生きていきなさい。いいですね。あまり

欲はかかないこと。ヒトの幸せはココロの中にあります。貪欲

なヒトは幸せにはなれません。さあ、行きなさい。そしてジンセイを

全うし今よりももっと強くなって帰って来なさい。Go ahead!」

見かけとは違い、本当はやさしい閻魔大王に見送られ

Aはあの世へと旅立ちました。

 

ご存知金田一平助シリーズ「平助出生の秘密」より一部抜粋

 

一通りのお参りを終えて、私は納経所へ寄った。

「あのー、東方町はここから近いですか」

「結構広い町ですが、近いとこなら1時間くらいで行けますよ」

私の質問にそう答えた納経所のお坊さんは東方への、詳しい

行き方を教えてくれた。

はっきり言って、東方には札所はありません。

そのかわり、この町には私の古い友人が住んでおります。

友人は昔、我が街のとある企業に就職しました。

いわゆる私とは同僚ということになります。

名を綱義と言い、家業のフェンス工事業を継ぐために

10年ほど勤め、故郷に帰りました。

それ以来10数年に一度の間隔で松山を訪れています

が、年賀状とか電話とかのやり取りは一切ありません。

ま、そんな無礼な付き合い方をしても旧交を温められる

のだから本当に仲がいいのではないかと思います。

この前来た時が1996年だったので、もはや死んでるかも

知れませんが。

今日もお遍路の旅なのでやめとこうかと思ったのですが、急に

納経所で東方の話を聞いているうちに気が変わりました。

私はお坊さんの教えてくれた道を進みました。

再び気が変わらないうちに。

これが本当の仏の道なんて、ギャグをやるシーンでは

ないですよね。

私は、農作業をしている女性数人に道を尋ねながら

綱義の家を捜しました。。

が、雲辺寺での一件があるので、あの時より一世代

若い人を選んだ。

よほどトラウマになっているのだろう。

「美容院の○○って知りませんか」

綱義の嫁さんは美容院を経営している。

やはり、お店の強みだ、知名度があるから誰でもうっすら

と、その存在を知ってくれていた。

大方の方角を2、3の人に訊いて美容院○○に辿り着いた。

時刻は正午少し前、あたかも昼飯を狙って来たかのような

タイミングであった。

 

綱義はいなかった。

代わりに奥さんが出て来た。

今、畑に行っているというので二人で見に行った。

道中、綱義が元気にしていること、酒もたばこも女も

やめたこと、ついでにフェンス工事業もやめたこと、

今は野菜作りを生き甲斐としていることなどを話してくれた。

気さくな、いかにも四国の肝っ玉かあちゃんといった感じの

、タレントでいうと峰竜太の奥さんに全体の雰囲気が

似ている。

私は嫌いではない。

綱義夫婦はパソコンは持っていないと言ったので、ま、

こんなこと書いても大丈夫だろう。

しかし畑には綱義はいなかった。

家に帰り、奥さんは別の畑に行き10分後に綱義を連れて

帰って来た。

庭の縁台に座り綱義はキョロキョロと私を捜していた。

家から出て私は綱義に歩み寄った。

綱義は、変わり果てた私を見てびっくりした様子だった。

「ずいぶん、痩せたなー」

「ダイエットしたんだ。今53キロだよ。これでも4キロ

リバウンドしたんだよ」

「もし街でバッタリ逢っても絶対わからないよ」

綱義は言った。

昔の私は86キロあった、髪も又吉くらい長かった。

綱義は冷蔵庫から飲み物を出してきた。

アサヒスーパードライ。

「あれ、ビールやめたんじゃないの」

「これ、ノンアルコールだよ」

へえ、これが噂のビールかと生まれて初めて飲んでみた。

確かに味はビールだ、が、グッと来るものがない。

私がなぜアルコールを口にするのかと言えば、それは

酔いたいからだ。

やがて男は静かに眠りたいから、飲むのだ。

酔えないビールに私は商品的価値を見出せなかった。

「うどんでも食べに行こうよ」

綱義は近所においしいうどん屋があるから行こうと言う。

不意打ちのような訪問を申し訳なく思う。

恐らく家中散らかっているのだろう。

本当に申し訳ない。

美容院は今日はお休みのようであり、それだけが私には

救いであった。

3人で車に乗った。

が、人的配置の異常に私はすみやかに気づいた。

奥さんが運転席、私が助手席、綱義が後部座席である。

「実は今年の1月に飲酒運転で免許証を取り消されたんだ」

綱義が告白した。

朝の検問でひっかかった、新聞の地方版にも載った、おかげで

この地域でやってた役職を全部解かれたという事実を。

朝まで酒が残るのは肝臓が弱っている証拠、そう思い

酒をやめたらしい。

 

「なにかあれば寄付金を出さなければならないから、役職

を解かれてよかった」

と負け惜しみとも本音ともつかない言葉を綱義は吐いた。

バカボンのパパじゃないけど、それでいいのだ。

ある芸能人が言ってました、周りを見渡せば大酒のみ

ほど寿命は短いと。

私の親父も大酒のみで53歳で亡くなっている。

だからそれで正解だよ綱義。

それに、私が松山にたまにしか来ない理由もそこにあるんだから。

ここに来ると必ずへべれけになるほど飲まされる。

そして翌日のスケジュールがことごとくキャンセルとなる。

何をしに松山くんだりまで来たのかわからなくなる。

それがいやで私はここへ立ち寄れなかった。

彼が酒をやめたのなら、それは喜ばしいことだし、これからは

度々東方へ足を運べる。

私にとっても嬉しいことだ。

綱義は私にとっては今でも親友であることに変わりはないし、

これからもずっとそうであり続けるであろう。

肉とねぎと卵の入った大盛りうどんはとてもおいしかった。

多くの日本人と違って、あまりグルメには関心のない

私のコメントは一行しかなく申し訳ない。

休日で店は大盛況だった。

愛媛県も讃岐うどんにあやかってラーメンよりも、うどんの

方が人気があると綱義は話していた。

店を出て、そのままJR松山駅まで送ってもらうことにした。

いいのだ、次の札所でないから。

綱義は今日行けなかった44、45番札所に車で送ってあげる

からまたおいでよと言った。

ありがとう、と私は言ったが、私はそれほどの甘えん坊ではない。

しかし、自力で二寺を廻った後に今回のお礼のケーキを市駅の

デパートで買って再び綱義邸を訪れるつもりではいるが。

奥さんだって仕事で忙しいんだ、手を煩わせては申し訳ない。

後は綱義の農作業を見せてもらって、おみやげに農産物を

少々貰って帰るつもりだ。

泊まるつもりはサラサラない。

やっぱりホテルが一番、心身ともに疲れがとれるのだ。

もちろん、この次もホテル松山ヒルズに。

車は松山駅の玄関に横づけしてもらった。

私は奥さんに丁寧にあいさつし、綱義にもすぐにまた来るよと告げた。

綱義も手を振った。

ドラマならここで音楽が流れるところだ。

さしづめ中村雅俊の「いつか街で逢ったなら」かな。

ああ、懐かしい青春、さらば青春。

 

などと酔い痴れているうちに車は去った。

次の「しおかぜ22号」まで1時間近く待たねばならない。

私は駅前の松の植わった高台のコンクリートの部分に座って

人の往来を眺めていた。

外国人が行く。

旅行者なのか、はたまた松山在住の人なのか。

カップルが手をつないで行く。

明らかに旅人だ。

彼女は親にどう告げてこの旅に出たのだろうか。

見送りの人たちがいる。

お客さんがバスに乗り、そしてバスが発車するまで

見送りの人たちは動けない。

この間およそ20分。

これだとバスの発車時刻ギリギリで駅に着く方が賢明だな。

女子高生が行く。

彼女は今恋をしているのだろうか。

もし恋をしているのなら相手はどんな男だろうか。

福士蒼汰のような美男子なのだろうか。

素人小説家は雑踏の中から次回作の題材を捜している。

でも私は男だから彼女主人公の小説は絶対書けないだろう。

私に書ける小説は二つしかない。

本当の小説と嘘の小説。

 

そろそろホームへ出よう。

今日はシルバーウィーク最終日、おそらく列車は混むであろう。

案の定、乗車口には行列が出来ていた。

私は即座に行列の最後尾に並んだ。

長年の経験からいって、辛うじて座れる位置だろうと思った。

到着したしおかぜは例によって車内の清掃をしていた。

扉が開き、そして私はなんとか窓際の席を確保することが

出来た。

座席は瞬く間に埋まった。

14時23分、松山駅はどんどん「しおかぜ22号」から離れて

いった。

「お遍路ですか」

隣に座った女性が私に声をかけてきた。

かばんの同行二人の文字が彼女に声をかけさせたのだろう。

「ええ」

とだけ私は返事をした。

「もう何日目ですか」

「今日で三日目です」

と答えると

「もうシルバーウィークも終わりですね」

と言った。

多分、彼女は私が会社勤めをしているとでも思って

いるのだろう。

「でもまだあと二日は、お遍路を続けるつもりです」

私は彼女の予想を裏切る言葉を発した。

彼女は高松から子供と二人で松山まで遊びに来たとのこと。

子供はどこにいるのですかと訊くと、少し離れたところに

いると言う。

子供の席と変わってあげたかったが少し遠いのでそれは

無理だった。

その変わり、私は今治で降りますから、その時子供を

呼び寄せなさい、と彼女に言った。

年の頃なら三十代半ばであろうか。

東京から高松へお嫁に来たと言っていた。

松山城で足をくじいてしまい、行列に並ぶことも

出来なかったとも言っていた。

彼女は「これはお接待です」と言ってビスケットをくれた。

ありがとうございます。これも一期一会ですね。

やがて15時01分今治駅が、乗客がうまい具合に降りられる

位置までやって来て止まった。

彼女に別れを告げ、私は列車を降りた。

 

まだ15時、納経所はどこもクロージィズアトファイブである。

うまくすれば二寺廻れる。

バス案内所で、ここから一番遠い国分寺行きの時刻を尋ねる

と14時24分だと言う。

国分寺までの所要時間は24分だと言う。

うーん、いきなり納経所へ駈け込めばなんとかギリギリ

間に合いそうである。

しかしそれまでに1時間以上の待ち時間がある。

ガイドブックを見ると駅の近くに55番札所南光坊があった。

88ヶ所で神恵院とただ二つ、寺がつかない寺である。

駅前の通りを真っ直ぐ進み、突き当たった大通りを渡らず

に左に折れて100mほどの所にそれはあった。

捜すのに難航するかと思ったが割と簡単にみつかった。

へへへ、漢字の変換のところで見つけた文字をギャグに

使いました。

ガイドブックでは歩いて5分とあるが私は7分もかかってしまった。

これも座高の高い私の体型のせいかも知れない。ショックだ。

駅前まで帰って来てもまだ30分ほどの時間がある。

目の前に今治アーバンホテルがあった。

私はチェックインをして荷物を部屋に置き、バス乗り場に戻って来た。

身も心も軽くなった。

またしても喫煙室なら空いてますがと言われたが。

バスは定刻通りにやって来て、案内所の人の言う通り

の時刻に国分寺へ着いた。

納経所へ駆け込み、時計を見ると16時53分、滑り込みセーフだ。

本当はこんなスタンプラリーのような真似をしてはいけないのですが。

その後本堂をお参りした。

境内にはお大師様の手を差し伸べる石像が立っていた。

握手をすると幸せになれると書いてあったので握手をした。

充分幸せなんですけどね。

 

帰りのバス停のベンチに座ってバスを待つ。

桜井中学の生徒が通る、東高の生徒が通る、犬の散歩が

通る、目の前の酒屋に晩酌を求めて客が来る。

わが故郷の夕暮れ時と寸分も違わぬ光景だ。

なんで桜井中だって…ガイドブックの地図に載ってたんですよ。

今治東高か、西高なら野球の強豪校でよく知っているんですけどね。

17時半のバスに乗って、来た道を引き返す。

無駄な動きですよね。

本当は一筆書きのような歩きお遍路が理に適っているんですがね。

来る時見て来た風景の半分くらいは覚えていた。

18時、今治駅前に着いた。

例によって例の如く、コンビニに寄って、おにぎり、

サンドウィッチ、コーヒー牛乳、お茶と朝食分まで買った。

部屋に戻ってテレビの天気予報を見る。

あと数時間で、この地方に大量の水滴の落下がみられる

と気象予報士は伝えていた。

どうやらこの国ではこれを雨と呼ぶらしい。

いつの間にか私はトミーリージョーンズしていた。

予想はしていたことだが恐ろしいことになった。

 

私は夕食を済ませ、早々とベッドに入る。

浄瑠璃寺、八坂寺、綱義との19年振りの再会、うどん屋、

高松の人、南光坊、国分寺、桜井中学。

今日の出来事を記憶の海に沈めて私は目を閉じる。

やがて心地よい夢が私を迎えにやってくる。

なんて美しい文学的表現であろうか。

自画自賛。

つづく