O.Hen-ro その2

11月1日

5時に目が覚めた。

窓の外を見ると、雨はまだ小降りだが降っていた。

テレビを点けると、この雨は間もなく止むであろうと

気象予報士が伝えていた。

腹が減った。

ゆうべの食事が少なかったので寝る頃にはすでに

腹の虫が鳴っていた。

昨夜はかなりまとまった雨が降ったようだ。

路面を走る車の「シャーッ」という音や、屋根からの

雨だれの音で時々目が覚めた。

トイレに行き、髭を剃り、歯を磨いて顔を洗った。

服を着て、荷物をまとめ、食堂へと向かった。

味噌汁と焼きのりと卵焼きの、日本の平均的な

朝食のおかずを3杯のご飯とともに掻き込んだ。

お遍路は、とにかく腹が減る。

よく歩くことはもとより、日常生活のように間食をして

いる暇がないからだ。

飲んべいさんは、さすがに朝からは酒は飲まなかった。

が、徳島駅前で逢いましょうと再び言った。

もういいって、私は酒飲みは嫌いだ。

「お世話になりました」

玄関で宿坊の人に礼を言い、6時45分、私は次の札所

十楽寺を目指した。

雨はすっかりあがっていた。

お大師様のご利益だと思う。

でも、今日運動会で足の遅い子は雨を願っていたかも

知れないな。

そんな子は、この世には神も仏もないと天に向かって

文句を言ってるかも知れないな。

いいじゃないか、足が遅くたって。

君にだってきっといいところはあるんだからさ。

お大師様はきっとその子に、そう囁かれてるよ。

突「どうしたんですか急に。神ってる」

私、最近思うんですよ、同行2人の意味を。

これって、お遍路には一人でやって来いと、お大師様が

言ってるんじゃないかと。

私と会話をしながらお遍路しよう、いつでも私が守って

あげるから心配いらないよと。

突「でも一人旅のお遍路さんは沢山いますよ」

お大師様は太陽のようなもの、太陽が地球上のすべての

人を照らすように、お遍路さん一人ひとりに対応

してくださる。

突「ますます神ってる」

猫「○○○すけさぶろうとうきょうとっここかこくこくちょう」

突「噛みすぎている」

同行3人ではなぜいけないのか、人間どうしても

目の前にいる人と会話をしてお大師様を無視してしまうだろ。

折角エスコートしてくださるお大師様がいるのに無視したら

もったいないことではないか。

おそらく二人以上でお遍路する人に奇跡的な出来事って

起きないと思う。

神がかり的な出来事との遭遇を自ら阻止している

ようなものだ。

だってお大師様と会話してないんだから、心が通い合う

わけがない。。

まして観光バスのツアーなんて同行48人、AKBじゃないんだから。

どやどやと団体さんに踏みつけられそうで、お大師様も

寄り付かないと思う。

お寺にしては上得意様ですけどね。

お大師様の意向と札所の目論見が時代の経過とともに

かけ離れてきている。

ああ、一人お遍路さん達の、嵐のような拍手が

どこからか聞こえてきそうだな。

7時に十楽寺に着いた。

相変わらずチャラチャラした山門だ。

 

 

右に見えるのは宿坊であろう。

安楽寺の宿坊が駄目だったら、ここに泊まろうと思った

宿である。

しかし定かではない。

ひょっとしたら、隣に会社があって、そこの社員寮かも

知れない。

私は責任を持たない。

中に入ると、もう一つ山門がある。

恐らく外の山門は客寄せ用のものであろう。

突「そんな馬鹿な。この山門を見て俄かにこの寺に

飛び込む人がいますか」

ここも発言に責任を持たない。

一通りの所作を終え、納経所へ行く。

7時20分であった。

「次の札所までどれくらいかかるでしょうか」

「1時間くらいでしょうか」

札所の前の道をしばらく西へ進むと、失礼、

道路に向かって右側に進むと139号線に出る。

横切って進めば去年熊谷寺から来た道に入る。

しかし赤い矢印は139号線に沿って進むことを

推奨していた。

この矢印は次の札所への道標であって、必ずしもお遍路道を

示しているものではないことが霊山寺で買った地図帳で

わかった。

去年の道は田園の中を進む、やや狭い田舎道であった。

今、直面している道は139号線で、歩道もついている。

通勤時間帯であるし、安全面も考慮して、私は推奨する

道路を進むことにした。

 

 

 

徳島自動車道が並行して走っている。

天気はすっかり良くなっている。

お日様が、楽しくお遍路をしろよと言っているようだ。

御所小学校へ向かう子供たちに出会う。

挨拶をする子もいれば、しない子もいる。

言論の自由だ、好いたようにしたらいい。

所々にこの地方の地名を表す土成町という看板があった。

一体どう読むのだろう、訓読ならつちなり、音読なら

どしょう、それじゃオリンピックの選手じゃん。

地図帳で調べたら、どなりと読むんですって。

きっと村長さんがよく怒鳴る人だったのでそんな名が

ついたんですよ。

発言に責任は持たんけど。

139号線は徳島自動車道をくぐった。

ここで去年通った道と交わった。

「四国の道」という道標が、記憶を甦らせてくれた。

ただ去年と違うのは、道標が傾いている。

この1年の間に、誰かが車でぶつかったのだろう。

その犯人は・・・・わかった、きっと布施明だろう。

若い人にはわからないから説明するけど、むかし布施明という

歌手が「傾いた道標」というヒット曲を出したの。

それを私のブログで取り上げてもらいたくて、先回りして

車でぶつけたのだと思う。

布施さん、残念でした、私のブログの読者、全国でも20人

はいないんですから、そんなことしても無駄ですよ。

発言に責任持たんけど。

 

突「もう画面から消えちゃったけどさっき、なにか写真の

ようなものが出ませんでした」

えっ、・・・写真・・・あったかなそんなもの。

突「しらばっくれるんじゃない。たしか馬券の写真だ。

本当は見せたくてうずうずしてたんじゃない。で、

いくらつけたの」

自慢話になるから私の口からは言えないよ。

知りたかったらjra検索 メニュー レース結果 

2016年 10月23日 京都11Rのワイド3ー11 で

出て来ます。

突「今年のトータルはどう」

絶不調で4年振りに現在のところ赤字です。

もう一発当ててトントン、二発当てれば今年も

利益が出ます。

318号線を横切り、天然温泉「御所の郷」を右手に見、

私は139号線を進んだ。

たしか去年、この辺りの歩道に軽トラックが停まっていた。

先程の道標といい、自分でも記憶力の良さに驚く。

私は絶対認知症ではないな。

認知症の最大の予防対策は歩くことだそうだ。

それと、よく頭を使うことだそうです。

人との交流の多い人はボケない、とよく言います。

それはよく会話をするからだと思います。

相手が喋る、それを頭の中で理解しようと努力する、理解した

内容に対して適切な返答を考え、口から発する。

このような言葉のキャッチボールが脳を活性化させ

ボケの防止につながるのだそうです。

私もこのブログで、ない知恵をしぼって一生懸命考えて

ギャグを誕生させているので多分大丈夫だと思います。

ただしキャッチボールになってない話は危ないそうです。

よくいるでしょう、人の話を全く聞かない人って。

こちらが喋っている間、次に自分の喋る言葉を考えている人。

こういう人は危ないですよ。

8時15分熊谷寺到着。

例によって多宝塔からテープの読経が流れて来る。

本堂、太子堂とお参りをして納経所へ寄る。

納経所の人は誰々さんが亡くなったので葬式がどうの

こうのと話していた。

たしか去年も誰かが亡くなったという話をしていた。

大きなお寺なので、檀家も多いのでしょうね。

私は去年ここで、御影をもらい損ねたので、今年は

納経所の人にわからないように2枚とった。

御影とは仏様の姿を描いたお札のことです。

8時30分境内を通る大きな道路を横切り、札所一番の

大きな山門をくぐり抜けた。

ここに山門があるのだから、境内の道路という表現は

間違いではないとは思うが。

次に目指す法輪寺は斜め右2kmほど先にある。

法輪寺・・・か、・・・そう言えばオリンピックって今年の

夏でしたよね。

なにかもう2年経ってしまったような感覚。

突「おいおい、それってヤバイんじゃないんですか。で、

何が一番印象深かったですか」

メダルは銅だったけど、やっぱり卓球3人娘かな。

ドラマがあったし、感動させるテクニックを持っている。

やっぱりスポーツ選手はエンターテイナーであった方がいい。

特に末娘はしたたかで将来が楽しみである。

突「3人に対してコメントがあればどうぞ」

銅でいいじゃないか、銅と言う字は金と同じと書くんだぞ。

突「じゃ、銀だったら」

銀でいいじゃないか、銀と言う字は金より良いと書くんだぞ。

突「じゃ、金メダルを強盗に奪われた人には」

鉄メダルを作ってあげよう、鉄と言う字は金を失うと書くんだぞ。

突「君とはやってられんわ」

さあ、この次のオリンピックの頃には、このギャグが

日本国中に蔓延してるぞー。

 

山門からしばらく行くと去年猫ちゃんと出会った

所にさしかかる。

横断歩道を渡って来た猫ちゃんは、私が呼ぶと私の前で

ゴロンと横になった。

とても人懐こい猫であった。

今年も会えるかなと5分ほど捜したがいなかった。

9時法輪寺到着。

お参りを済ませ、納経所へ寄ると、誰もいなかった。

カウンターに、誰もいないときはボタンを押して

くださいとあった。

ボタンを押すとお坊さんが菓子器を持ってやって来た。

菓子器には、お接待です、ご自由にお取り下さい、と

いう札がついていた。

「いただきます」

と私は醤油の煎餅を一枚とった。

こんな時いたひがしならごそっと五枚くらいとるぞ。

突「いたひがしの話はもういい」

山門を出ると小さな売店があった。

去年ここで女主人に熊谷寺への道を尋ねた。

女主人は、あの山の所にちょっとした建物が見えるでしょ、

あれが熊谷寺の山門だから、あれを目指して斜め右に

進んで行って下さい、と言われた。

売店のおばちゃんをやってるけど、仲々聡明な人だな

と感じた。

店頭にコーヒーの立札があった。

私はいくらかと尋ねた。

大福が付いて200円だと言うので、去年のお礼も込めて

店に入った。

近所のおじさんがやって来た。

ゆうべはよく降ったなと窓の外を見て言った。

どこから来たと訊くので名古屋からだと言う。

車かと言うので、11番までは歩きですと答える。

めんどくさいだろ、レンタカーを使えばいいのに、

今ガソリンスタンドでも1日借りて2700円くらいで

やってるぞと言う。

女主人はうちの息子は四国のトヨタ系の会社に勤めていて

研修で8ヶ月間豊田に行っていると言った。

豊田のご飯はおいしくないから、早く帰って徳島のおいしい

ご飯が食べたい、とよく電話がかかってくるとも言った。

へぇー、やっばり人間ってなにか縁があって、こういう店に

吸い込まれるんですね。

およそ20分ほど楽しいひと時を過ごさせてもらい私は店を出た。

「次の角を右に曲がって左に曲がって右だからね」

言われる通り右に曲がり左に曲がり右に曲がった。

去年は、この最後の曲がり角を曲がらなかったために

迷ってしまったのだ。

やはり逆路には気の利いた標識がないため迷ってしまうのだ。

つまり順路と逆路では標識を必要とする箇所が違うと

いう事です。

世界文化遺産登録を祈願する前にまずそこの所を

見直しましょうね。チクリ。

道なりに進み、突き当たりのクリーニング屋の所を左に

曲がり、すぐに右に曲がって行く。

去年も見た、野菜の種を売っている小さなお店があった。

こんなもので食っていけるわけはないが、近所の人と

世間話がしたくってやってると言う感じ。

ボケ防止にもなるし。

再び139号線と合流する。

後は切幡寺への標識を見落とさなければ容易に辿り着ける。

こうしてみると、やはり歩いてお遍路した所は鮮明に

記憶が甦る。

体がしっかりと覚えているといった感じです。

対してタクシー、路線バスを使った所は記憶は定かでない。

今後そこらを歩く時、やはり道に迷うことは覚悟して

おかなければならない。

が、いつか全行程を歩き終えたその時、取りも直さず四国は

私の庭になる。

突「固定資産税が高いぞ」

そうなるとますますお遍路が楽しくなるのではないかと

今からワクワクしている。

いつか私はJR全線乗車が夢だと語ったが、その夢は撤回する。

全線乗車に意味を見出せなくなったからだ。

それは単なる自慢話でしかない、と思うようになったからだ。

世間様のために生きるな、自分のために生きろという事だ。

本当に自分の好きな事をやれってことだ。

四国にだって山はある、川もある、城だってある。

美しい景色だって沢山あるし、これでもかとばかり四方は

海だらけだ。

言ってみれば日本の縮図である。

ま、時には四国以外を旅することもあるかも知れないが

狭く深く四国をエンジョイしたいと思っている。

四国の人は人間性も良い。

おっちゃん達は皆、肩で風切るちょい悪親父みたいで

あるが親切で面倒見のいい人が多い。

おばちゃん達も皆、世話好きな肝っ玉かあちゃんが多い。

よそのことは知らんから比較は出来んけど。

突「一言多い」

そんな施政方針演説をぶってるうちに頭上に切幡寺の

案内板が現れた。

矢印が右に出ている。

旅館やお遍路用品の店に面した細い路地を進む。

結構車の量も多い。

時々離合場所で対向車が待っている。

急な上り坂をしばらく登って行くと、階段の登り口に

辿り着く。

去年は鴨島駅からここまでタクシーで来た。

234段の階段と表示されている。

階段のきつさでは、弥谷寺、三角寺、太龍寺、そしてここが

群を抜いている。

私はこれらを四国お遍路の、特にきつい「よっつや階段」

と呼んでいる。

おそらく世界でも私一人だと思うが。

目の前を団体さんが登っている。

ペースが遅いので楽についていける。

有り難い、これが後から若い人の群れだったら

焦ってしまう。

抜かれまいと必死になって息も絶え絶えに

なってしまう。

それでも登りきった時、鼓動は激しかった。

納経所は去年と同じおばあさんがやっていた。

厄落としの1円玉は去年ほど落ちてはいなかった。

時刻は10時40分、自販機でコカ・コーラ赤を買い

10km先の藤井寺を目指す。

ルートはいくつもあるが、オーソドックスな遍路道

を行くことにした。

感じからしたら、88カ所中もっともややこしい道に

見えるが、赤い矢印と黄色い地図帳でなんとか

切り抜けられるだろう。

139号線に出る。

そのまままっすぐ行く道もあるが、迷いそうな気が

したので左に曲がり、少し行ってから右に曲がった。

枝分かれしている道もあるが、割とわかりやすい道だ。

途中で念のため、農作業をする人に確認をとる。

しばらく行くと休憩場所のベンチにお遍路さんが

座っていた。

声をかけようとしたらそれはお遍路さんに仕立てた

マネキン人形であった。

なぜかしら、背筋が凍りつきそうなほどの恐怖を感じた。

今晩、夢に出て来そうである。

12号線と交わる所に、うどん屋の看板があった。

 

 

道はこの後、いろんな道が入り組み、ややこしくなるが

小学校、交番、郵便局、の前を通り神社の鳥居の所

から右に曲がった。

いいですか、ポイントは小学校、交番、郵便局、鳥居ですよ。

昨年まで使用していた超悪書るるぶの地図を見てたら

迷いに迷って、ここで黄昏を迎えていたであろう。

後はしばらく一本道が続く。

途中に二箇所ほど遍路小屋のようなものがあった。

鎖に繋がれた子犬がしっぽを振っていた。

一個のお遍路小屋のそばに洗濯機があった。

お遍路さんの使うものだろうか。

工場の一角にあるお遍路小屋なので私は発言に

責任は持たない。

勝手に洗濯機を使って「コラー」と叱られるても

知らないぞ。

その時、このブログを見せて、しろひ猫が言ってるから

使ったんだぞと、責任転嫁をしないようにお願いします。

やがて遍路道は138号線を跨いだ。

降りると、すぐに川があり、長い橋がかかっている。

欄干のない、いわゆる沈下橋だ。

道は狭く歩行者と車一台がやっとだ。

対向車は橋のたもとで待ってなければならない。

高所恐怖症の私は欄干のない橋で立ちくらみを

起こしながらも、狭い所を車に当たらないように歩く。

恐怖に顔がひきつる。

橋を抜けると一本道は大きく右に曲がって行く。

地図によると、真っ直ぐ行った所に昔は渡しが

あったそうな。

今はやってない、と言うことは右に行けば

いずれ橋があると言うことだ。

きっとその橋は川島橋と言うのではないだろうか。

何か勝負師の予感が私にそう言わせる。

突「こらこら、おっさん、地図見て何言うとんねんな」

ばれたか。

しかし渡しが復活してくれないかと望む。

一度乗ってみたいんだ私。

突「どこかで言うと思ったんだ、その親父ギャグ」

1,5kmほど歩くと左に折れる道があり、噂の川島橋が

私を待っていた。

やはり沈下橋であったが片側1車線であった。

橋の両端に穴があり袂まで続いていた。

こわごわと覗いて見ると、それはかって欄干が

埋まっていた穴だった。

つまり、この橋は後天性沈下橋なのである。

突「聞いたことないな、そんな橋名」

川は、あの野牛の群れでお馴染みの吉野川だ。

海に向かって西から東へと、失礼、右から

左へと流れている。

橋を抜けると、遍路道は再び122号線を跨いだ。

この辺りの主要な道路が平地より高いのは、多分川が

氾濫しても通行に支障をきたさない対策なのだと思う。

責任持たんけど。

しかし、ここまで来て私は道に迷った。

地図を見て悩んでいると、散歩の男性が声を

かけて来た。

「お遍路ですか」

「そうです。藤井寺に行きたいのです」

男性は、少し右へ行ったあの遍路小屋の所から、左に

曲がって行けば藤井寺に着きますと言った。

私は遍路小屋に立ち寄った。

小屋には40代とおぼしき男一人女二人の3人組がいた。

その隣でお大師様が退屈そうに座っておられるのが

私には見えた。

あまり話をしたくないタイプの人種だったので、

3分ほどの休憩で再び歩き始めた。

道は枝分かれしていたが赤い矢印と地図帳を駆使して難なく

突破して行く。

JR徳島線を横切り、国道192号線を渡り、240号線に入った。

もうここまで来れば、間違うことはないだろう。

238号線を渡り、ガソリンスタンドの手前を右に曲がり

13時藤井寺に着いた。

お参りを終えた。

境内で特にブログに載せるような出来事もなかったので

この一行で終わる。

駅への道を歩く。

しかし徳島へはJRか、はたまた徳島バス鴨島線か、

この時点で私はまだ決めかねていた。

去年、間違い切符でお世話になったJR女性職員に

逢うのであれば鴨島駅だ。

実はブログには書かなかったが、昨年このブログのメモ

用紙を女性職員に渡して来たんです。

居る場所が決まっている人に渡した事実を公表すれば、

このブログが間違ってブレイクした時

迷惑がかかると思い、渡し損ねたと私嘘をつきました。

でも、本当は渡したのです。

そして、私は知りたかったのです、女性がブログを

読んでくれたかどうか。

さぐりを入れる意味でも逢いたかったのです。

私のことを覚えていますかと。

読んでいれば勿論覚えているでしょう。

でも「はあ」とか言ってキョトンとされたら惨めな

気持ちにもなります。

来なければよかったと後悔します。

考えあぐねた末、私は賭けに出ました。

次に来る車のナンバーの最初の数字が奇数なら

バス、偶数ならJRと。

女性職員さん、私、バスで行くことになったので

、JR四国の売り上げに協力出来なくてごめんなさい。

もし、読んでくださっているのなら、この場を

借りてお詫びいたします。

公表しちゃったこともついでにお詫びいたします。。

でも名前はわからないんだから、構いませんよね。

この次のお遍路の時には寄らせていただきますんで

もし読んでたら黄色いハンカチでも掲げておいて

くれませんか。

突「キャイーン。それじゃ映画じゃん」

そして一日も早いJR四国の社長就任を草葉の陰から

祈っています。

突「まだ死ぬな」

この場を借りてって言っても、私のブログだが。

 

私は192号線と交わる信号の所まで来た。

ふっと見ると右の方にバス停らしきものがあった。

信号を渡り行ってみると鴨島バス停だった。

次の便は13時46分だった。

すぐ近くにあるローソンに昼飯を買いに行きた

かったが微妙な時刻だったのでやめた。

バスに乗った。

やはり乗客は私一人だった。

私は運転手さんの直後に座った。

バスが動き始めると、このバスは徳島に何時に着き

ますかと訊いた。

14時42分だと言う。

およそ1時間、やはり鴨島は徳島から遠い。

出来たら立江線で18,19番札所を今日中に廻れたらと

思ったが徳島発のバスに多分間に合わないだろう。

それじゃ石井循環線で井戸寺に行くにはどうすれば

いいんでしょうかと尋ねると色んな路線の時刻表を

引っ張り出してきて、運転をしながら調べてくれた。

○○さん有難うございました。

名前は公表できません、会社にこっぴどく叱られるから。

きっとこの人はすごくいい人ですよ、ぶっきらぼうだったけど。

彼によれば、このバスが石井中に14時15分に着き、循環線が

26分に来るからそれに乗ると良いとのこと。

ただしバス停が少し離れているから人に訊いてください

と言われた。

人に訊いて循環線に乗った。

やはり乗客は私一人だった。

今日、この循環線に乗って井戸寺を訪れた人は一億二千七百

万人いる日本人の中でも私を含めて三人くらいしか

いないであろう。

嵐でも五人いるのに。

さらに、法輪寺でうんこしてきて、循環線で井戸寺を訪れた人

となると日本で私しかいないと思う。

安倍総理と同じだ。

突「おい、そんな事自慢になるか。だったら今日

スカイツリーのエレベーターの中でくしゃみをした人

でも一人だろ」

猫「甘い。今日スカイツリーのエレベーターの中でくしゃみを

した人は二十人はいるぞ」

突「だったら、くしゃみをした勢いでおならもしてしまった

人なら一人だろ」

猫「まだまだ甘い。くしゃみをし、おならをし、鼻をつまんで

四隅に引いた乗客に向かって「ハクションってのは英語で

ach00って言うんですよ。まるでブルースリーみたいですね」

って言う奴が日本で一人なんだ」

突「そんな奴、まだ人類史上いてません」

 

乗って来る客もないままにバスは竜王団地に着いた。

運転手さんはエンジンを止め、乗降口を開放し、車から出て行った。

お遍路で初めて見るシーンだ。

いたひがしがいたら、きっと無賃乗車でとんずら

するだろうな。

停留所のベンチには二人の女性が座っていたが、乗客

ではないようだ。

散歩の途中でバス停のベンチを借用しておしゃべりを

しているって感じだ。

どこどこの○○さんが亡くなった、どこどこの○○さんも

亡くなった、知り合いが次から次と亡くなるので淋しいわ

というような会話の声が聞くともなしに耳に入って来た。

突「本当は聞き耳立ててたんじゃないか」

しばらくして運転手さんが戻って来てエンジンをかけた。

「また遊びにおいでよ」

片割れの女性が声をかけた。

かけられた女性がバスに乗り込んで来た。

停車してから15分、バスは再び動き出した。

「次は井戸です」

幾つかのバス停を過ぎ、車内のアナウンスが流れた。

たしかこの石井循環線には井戸と名のつくバス停が2つ

あったような気がした私は、井戸寺はこのバス停で

いいのですかと運転手さんに尋ねた。

運転手さんはこの次の井戸寺口で降りて下さいと答えた。

次の瞬間、女性がおもむろにバッグから何かを取り出し

これお接待ですと私に向かって言った

どうやら、井戸寺と言う言葉と同行2人の文字の入った

私のバッグを見て、彼女は私がお遍路さんであることに

気付いたようです。

お接待はお茶でした。

年は私より一回りくらい若い感じで、今から大阪上六の

自宅へ帰るところだと言った。

私が名古屋から来たと言うと、彼女は友達が名古屋にいて

時々近鉄に乗って名古屋にも行くと言ってた。

さわやかで、美人で、いやみのない優しさを持った

とても素敵な女性でした。

数分の会話でしたけど、世の中にはこんなとてつもなく

優しい女性がいるのかと思いました。

人生で出会った一番親切な人だと、私の魂は感じました。

きっと、お大師様が引き合わせてくれたのだと思います。

突「あんまり褒め過ぎない方がいいですよ。彼女が

このブログを他の人に紹介出来なくなりますよ」

かまうもんか、彼女の周囲でもきっと、どんなに褒めても

褒め過ぎることはない人だと言ってるはずだから。

男性は勿論、女性にも好かれるタイプだと思う。

「どうも有難うございました」

お接待のお礼を言って私はバスを降りた。

きっと彼女はこの後徳島駅まで行き、高速バスに乗り

夕方大阪に着くことだろう。

 

井戸寺には七体の薬師如来が祀られている全国でも

珍しいお寺である。

寺の規模も大きく、参拝客もいつも多い。

一通りお参りを終えて、昼飯を食べてないことに

気付いた。

きっと朝三杯もお代わりをして、あまり腹が減ってない

せいで気にならなかったんだと思う。

近くのローソンで弁当を買ってきて、釣鐘の前の

ベンチでパクついた。

それにしても先程の女性はどういう人なのだろうか、

私は想像力を逞しくした。

突「また病気が始まった」

彼女は徳島の名門城北高校を卒業、そしてこれまた名門

奈良女子大に入学した。

卒業後、大阪で就職をし、就職先で運命の人、つまり

今の旦那さんと出会った。

旦那さんは誠実で心の温かい人であるが、あまり世渡りが

うまくなく同期社員に比べていくらか出世が遅れている。

2人の間には一女一男がおり、27歳の長女は、友達が勝手に

応募したミスコンに出場し、ファイナルの10人に残った。

最終的に6位に終わったが、悪びれる様子もなく青春の思い出

として心に留めている。

一昨年結婚し、今は実家から30分以内のマンションの五階に

住んでいてお腹に六か月の女児を身籠っている。

長男は現在京都大学法学部に在学中、やはりイケメンで

爽やかで優しく、女の子にはモテモテであるが、弱きを助ける

弁護士を目指し脇目もふらず猛勉強中である。

昨日、父の法事があり実家で一泊。

今日昼飯を戴いてから、兄嫁に見送られながら

バス停に着いた。

突「おいおい、そんなにプレッシャーをかけるなよ。

ますますこのブログこの家庭から出て行かなくなるぞ」

大丈夫、そのものズバリじゃ洒落にもならんが、私は

冗談で書いたんだ。

きっと受け入れられるよ。

突「ところで、この女性の名はなんというのでしょうかね」

猫「陽子さん」

突「わたしは美嘉さんじゃないかと思う」

猫「私は美と言う字がつく名があまり好きじゃないんだ」

突「どうしたんですか急に不機嫌になっちゃって」

猫「美という名前の背景には美しくなってほしい、という

願望が込められている。美しければ幸せになれると言う

短絡的な考えが私は好きじゃないんだ」

突「そんなこと言っていいんですか。統計によりますと日本人

女性の3人に1人は美がつく名だそうですよ」

猫「3人に1人、そんなにいるのか。ウウウッ」

突「多くの女性を敵にまわしましたね」

猫「ウウウウッ」

突「ますますブログを読む人がいなくなりますよ」

猫「ウウウウウウッ」

突「それに男の人でも20人に1人は美がつくそうですよ。

さあ、言い直すなら今のうちですよ」

猫「いや、私は美がつく人が好きでないと言ってるわけじゃ

ないんだ。名付けた人の考え方に問題があるんではないかと

言っただけなんだ。・・・でも、よく考えてみると美という

文字は分解すれば大きな羊と読めなくもない。オーストラリア

の大地を闊歩する大きな羊のように大らかな心を持った人に

なってほしいという意味でつけられたのかも知れない」

突「大きな羊が大きな心を持っていると言う、あなたの考え方

こそ短絡的ではないのか。あなたの言う事には説得力がない」

猫「ウウウッ・・・それじゃ…大きな羊からは沢山の羊毛が

とれる。これでセーターを編んで人々を温めてあげようという、

つまり大きな羊のように世の中の役に立つ人になってほしい

という意味で名付けられたんだと思う。今まで私は誤解して

いました。どうか美のつく名の人お許しくださいませ」

突「あんたが言うと嘘っぽいんだよな。まあ許してやるけど」

 

4時も近くなった。

そろそろバスが来る時刻だ。

女性は、私の心に爽やかな風を残し去って行った。

もう生涯逢うこともないだろう。

井戸寺の境内の片隅でお遍路さんたちの談笑が

聞こえた。

突「これが本当の井戸端会議なんちゃって」

突っ込みの親父ギャグに、私の心に北風が吹いた。さぶっ。

帰りは山門から出て、3時56分のバスに乗った。

4時20分徳島駅に到着。

去年お世話になったステーションホテルに連泊を

することとした。

徳島バス案内所でいろんな路線の時刻表をもらい、弁当を

買いホテルに戻った。

お遍路の道中、足の裏がズキズキと痛み出した。

風呂に入った時確認するとソラマメほどの豆が出来ていた。

どおりで痛いはずだ。

爪でつぶし、水を出す。

遅い夕飯を食べて8時に床に就く。

明日も早いので、安楽寺ののんべえさんには、とても

付き合ってはいられない。

本日の歩行距離28,62km   つづく