その3

なぜ最初のターゲットが69番札所観音寺であったのか。

それは今回の旅の目的がお遍路であったからです。

お遍路をするには、まずお遍路グッズが必要となります。

ガイドブックで調べてみますと、四国に入ってお遍路グッズを

売っていて駅から近い最初のお寺がここだったからです。

決してつボイさんの好みに合わせた訳ではありません。

ではなぜお遍路なのかと言えばさしたる理由はありません。

強いてあげれば、なぜ人々がお遍路をするのか、またなぜ

弘法大師がこのお遍路を作ったのか。

その意図、その魅力について知りたかったからです。

知ってどうすると聞かれても困るけど、回っているうちに

何かが見えてくると思います。

そしてそこからお金では買えない何かが得られる

と思います。

今までもそんな事沢山ありましたもの。

 

山門で一礼をして境内に入り、階段を昇り、いきなり

納経所へと向かった。

そして巡礼バッグ、納経帳、線香、ろうそく、それに

ライターを購入しました。

他にも白衣、菅笠,金剛杖、教本、納札などありますが

、公共交通機関を使うので今回はパスさせてもらいました。

やっぱりちょっと恥ずかしいです。

なんてシャイな私でありましょう。 I am shy

まだ本堂もお参りしてないのに、ついでに二つのお寺の

納経もしてもらいました。

納経とはここに来ましたよという証のようなもので、ここでは

修行僧のような若者に書いてもらいました。

達筆であることは言うまでもありません。

お遍路の作法というのはとてもややこしく、時間が

かかるものですので今回は省略して手を清め線香とろうそくを

立て、賽銭を納め、お願い事をするに留めました。

とりあえずは、八十八ヶ所を巡ってお寺までの道程を細かく

説明しますので読者の中でお遍路をする方がいらっしゃれば

参考にできるかも知れませんね。

私のブログが一番わかりやすい、そう言われるように

頑張ります。

 

まずは観音寺、神恵院の二寺のお参りが終わった。

一石二鳥ならぬ、何と言えばいいのだ、こういう場合

一つの山門で二つのお寺だから、一門二寺か。

こら、鳥と寺を同格に扱うな、罰が当たるぞ。

観音寺駅に戻ろうとしたが、道を間違えた。

そら見たことか、天罰覿面じゃないか。

地元のおばさんに聞いて駅への道に戻った。

ストレートに行けば20分くらいの時間だろうか。

帰り道、駅前の観光案内所に立ち寄り、66番札所雲辺寺

への行き方を尋ねた。

それによると駅前の3番のりばで五郷高室線12時1分発

のバスに乗って谷上教育センターで降り、あとはロープウェイ

乗り場まで3キロほど歩くとのこと。

ふと背中の荷物が重いことに気づいた。

山道を3キロ歩くとなるとこのリュックが苦痛となってくる

のは経験から明らか。

駅前のコインロッカーで300円払って一休みしてもらう

ことにした。

意味もなく重い荷物を背負って右往左往するのは愚の骨頂。

もしここへ帰って来るのならロッカーを利用しない手はない。

旅をする時には参考にするように。

 

バスは定刻よりほんの少し遅れてやって来た。

「雲辺寺に行くバスですか」

私は念のため車外から運転手さんに聞いた。

「谷上なら行くよ」

私はバスに乗った。

いわゆるコミュニティーバスだ。

我が街にもある。

どこまで乗っても100円だ。

ガイドブックによると観音寺からロープウェイ乗り場

までのアクセスは車で20分とある。

しかし、これだけの広い街に公共交通機関が何も

ないというのはおかしい、と踏んだ私はインターネットの

検索に観音寺駅周辺のコミュニティーバスと入れてみた。

そして、このバスがあることを知った。

コミュニティーバスは時刻表にもガイドブックにも掲載

されていないことが多いため、一応調べておいた方がよい。

これもテレビの「路線バスの旅」でよくコミュニティーバスを

利用しているのを見ていたから出来たこと。

たまにはテレビも役に立つことがあるんですね。

コミュニティーバスは本当に有り難い。

タクシーに乗ったら3300円、バスなら100円、よほどの

お金持ちでなければバスですよね。

一緒に観音寺駅前から乗った夫婦がいた。

「お遍路ですか」

と私が聞くと彼らは萩原寺をお参りすると言う。

残念、一緒だと道中心強いんですがね。

運転手さんにこのバスをお遍路に利用する人はいるんですか

と尋ねるとちょくちょくいるとのこと。

でも殆どの人はもう一本早い8時49分のバスを使うそうです。

そりゃそうだ、太興寺まで今日中に回ろうと思うなら絶対

それでなければ無理であろう。

自家用車もしくはレンタカーなら3時間あれば楽に

回れるんですがね。

我慢、我慢、修行なんだから。

バスは公民館、駅、JA、集会所など主に公共施設を回る。

だが、コミュニティーバスだからどこでも乗り降り自由だ。

いい風景だ、見知らぬ街を走るのは気持ちいい。

もしお遍路を考えなかったら私は一生、この知らない町

のこの風景を見ることはなかったであろう。

運転手さんは最適な場所で私を降ろし、地図をくれた。

「帰りは16時19分、反対側の停車場で待ってて下さい。

いいですね、16時19分ですよ」

彼は私に念を押した。

 

地図を見ながら私は歩き始めた。

「今、12時56分、片道3キロ、40分として1時間20分、

ロープウェイが7分として15分、お寺までが5分で10分

ロープウェイが20分に一本だから、出た直後だとしても

あと20分足して2時間ちょっと」

私は机上の計算ならぬ山道の計算をしていた。

その結果、私の健脚をもってすればお茶漬け、いや、

お茶らけ、いや、お茶の子さいさいで帰りのバスに間に合う

ことが判明した。

ちょっといやらしいですね、このわざとらしいギャグ。

本番がダメな時はフォローで笑わせればよし。

ただし、何事もなければという条件はつくが。

地図に従って歩き続けたが、どうも私の歩いている道が

地図に示されている道とは違うような気がしてきた。

私は畑で草取りをしているおばあさんに道を尋ねた。

私はおばあさんの教えてくれた道をどんどんと進んで

行くと段々と山の中へ入って行き、道も狭く

辺りも暗くなってきた。

そして雲辺寺頂上まで600メートルという道標に

出会った時、私は道の誤りを確信した。

バスを降りてからはや40分、計算通りならすでに

ロープウェイ乗り場は視野に入っているはずなのに。

折角来た道を引き返し、先ほどのおばあさんに

もう一度尋ねた。

おばあさんの答えは先ほどと同じであった。

あたりを見回すと近くにもう一人おばあさんがいた。

そのおばあさんの指図通り進んだが、おばあさんの

言うような道は先にはなかった。

AおばあさんもBおばあさんも要領を得ない話だった。

あたりを見るとCおばあさんがいた。

私はCおばあさんに賭けた。

が、やはり要領を得ない道案内であった。

結局私はこの辺りを1時間半もさまよい何も得られなかった。

このままではロープウェイにも乗れず、下手をすれば

帰りのバスにも間に合わなくなる可能性も出てきた。

私は選択を迫られた。

ロープウェイをあきらめるか、バスをあきらめるか。

そして結論を出した、ロープウェイをあきらめることを。

3人の老婆に振り回され、おもちゃにされ、翻弄されて、

傷心を抱いて帰路を急ぐ私の視野に建築現場と作業員

が入った。

「すいません、ロープウェイに行く道わかりませんか」

「俺たちは遠くから来ているのでこの辺りは不案内だ」

と全員が言う。

やっぱり駄目か、首をうなだれ、肩を落として歩くこと

10分、先ほど道を尋ねた大工さんが通りかかり、停まった。

「ロープウェイ乗り場まで乗せて行ってあげるよ」

私はロープウェイ乗り場に確実に行けるなら帰りのバスは

捨ててもいいと思い「お願いします」と言った。

早速カーナビに、乗り場の電話番号を入れ走り出した。

「どこから来たんですか」

と尋ねるので

「名古屋からです」

と答えた。

豊田からです、と答えても地方の人は豊田など知らない。

だから私は旅に出た時、いつも名古屋と答える。

私は今日四国に着いたこと、お遍路をしていること

今から回るのが三つ目のお寺であることなどを話した。

大工さんも、以前より仕事は増えたけど鉄鋼の値段が

高くなってしまい、しかしそれを価格に反映させる訳

にもいかず儲けが少なくなったこと、東北地方にも

出かけるが宿泊代や飲み食い、それに遊んでしまうので

一銭も残らないこと、いつも安定して仕事がある訳でも

なく従業員も雇ってあげられないことなどを話した。

まだ四十代半ばくらいの男気のある棟梁でした。

送ってもらった上に、ポカリスエットまでごちそうになった。

もう死ぬまで逢うこともないであろうがありがとう。

これを一期一会というのだろう。

この旅で、ただ一人私のブログのドメインを伝えた人だ。

棟梁読んでくれているだろうか。

 

 

 

3時発のロープウェイに乗り7分で頂上に着いた。

雲の辺りにあるお寺、山頂はその名の通り雲がかかって

いて気温は16度を示していた。

まるで私のギャグのように寒かった。ブルブル。

お寺までの参道には五百羅漢の像が薄気味悪く並んでいた。

こんなの夜道で歩いていて、その内の一体が急に動き出す

ドッキリがあったら怖いであろう。

見ている方は面白いけど。

お参りも納経も早めに切り上げ、山を下りたのは

3時50分であった。

もうバスには間に合わないだろう。

その覚悟で棟梁の車に乗ったのだから後悔はしていない。

私はただひたすら観音寺の駅を目指して歩いた。

しかし、この近辺、私の想像していたイメージとは随分と違う。

猪や熊が出没しそうな秘境かと思いきや豊田のちょっと

田舎といい勝負でした。

 

「腹が減っただろ、何かくうかい」

空から声がした、私の身勝手な空耳であろうか。

海の幸の入ったおにぎりとお茶をコンビニで買った。

今日は時刻表とにらめっこの一日だったのですっかり

ご飯のことは忘れていた。

おにぎりをほおばりながら万歩計を見た。

万歩計はバッテリー上がりを起こしていた。。

いつも乾電池が切れる時は10日ほど前から警告

が出るのにいきなりこれだ。

まだ換えて間もないので予備もドライバーも持って来なかった。

ケーブルカーに乗る前は正常に動いていたことを

考えると、雲辺寺にケーブルカーで上がったことが

何か関係しているのだろうか。

やれやれ、明日からは携帯はないわ、万歩計はないわ

時計はないわの旅になるのか。

 

駅に着いた時6時半は過ぎていた。

あたりはすでに闇が支配していた。

私はコインロッカーの荷を取り出し、駅員に観音寺

グランドホテルの所在地を尋ねた。

ホテルは駅から7分くらいのところにあった。

フロントに、空き部屋はあるかと尋ねると煙草の吸える

部屋が一つだけ空いていると言う。

意味不明の応対であるが、つまりみんな煙草臭い部屋が

嫌いなんで、それが一つ残ってますが、それでも

かまいませんかと言う意味らしい。

私煙草吸いませんので、それでかまいませんよ、と

私も意味不明な返答をした。

一部屋だけでも残っていたのはラッキーだった。

でないと、またこの暗闇の中一時間くらいは宿を

求めて彷徨わなければならなかっただろう。

住所と氏名と電話番号を書き部屋の鍵をもらった。

ここでビジネスホテルの部屋の中を覗いてみよう。

まずドアがある。当たり前だ。

狭い通路があり、奥が広まっていてそこにベッドが

置いてある。当たり前だ。

部屋には窓もある。当たり前だ。

デスクがあり上にテレビが置いてある。

デスクには他に電話がありフロントに通じるようになっている。

ただし、使ったことがないので定かではない。

冷蔵庫がある、が中には何も入っていない。

昔は飲み物が入っていてチェックアウトの時に清算する

ことになっていたが、おそらく採算が合わないために

やめたのだろうと思う。

今は自動販売機で買ってきたペットボトルの保温に

使われている。

また入口の通路が狭いのはバストイレが陣取っている

からである。

 

非常に疲れたのでいきなりベッドに横になる。

ロープウェイ乗り場あたりですでに16キロを万歩計は

示していたので今日は30キロくらい歩いただろう。

テレビのスイッチを入れる。

NHKの6時台のニュースをやっていた。

時々ローカルで東京にいたアナウンサーを見かけることが

あるが今回はそういうことはなかった。

民放に替えると、いつもの番組をやっていた、がいつもと

違うものを感じる。

私はテレビを切って今日の反省会を開いた。

テーマは雲辺寺ふもとでの迷子事件。

バッグからバスでもらった地図を出し開いた。

そして観音寺観光案内所でももらった地図があったのを

思い出したので二つを見比べてみた。

原因がはっきりした。

明らかに私のミスだった。

いきなり私は間違った道を歩いていた。

最初にもらった地図で行けば間違いなかったのだ。

バスの地図はとても見にくかった。

大体、地元の人は地理を熟知している。

こういう人の描く地図は、見る旅人も自分を想定して

描いているのでいい加減なのが多い。

初めてこの地を訪れる旅人の気持ちになって描いて

ほしいものだ。

でも最終的には私が悪い、断じて悪い。

なぜならば私は今日だけでも四回道を間違っている。

方向音痴のおっちょこちょいかも知れないな私は。

それにしてもあの3人の老女は一体何者だったのだろうか。

ひょっとしたら乙姫のたたりかな。

今日の教訓、お年寄りはいたわる者だ、決して道を

尋ねる者ではない。

でも最後は棟梁に助けられた。

人間万事塞翁が馬を地で行く1日であった。

やはりお遍路をする者は大師様に守られている。

私は確信をしつつ、早いが眠りに就いた。

ああ、快い疲れだ。

 

9月22日

5時に目が覚めた。

夕べは風呂に入っていなかったので、朝風呂に入った。

まずは熱湯を入れ、続いて冷水を入れ湯温を調節する。

ゆったりと湯船に浸かり、今日の計画を練った。

きのうチェックインする時、フロントから朝食は980円

でございますが、どうなさいますかと尋ねられた。

私は何時から食べられますかと聞くと7時からだと言う。

それで私は断った。

私は伊予三島を8時30分に出るバスに乗るためにホテルを

6時30分に出なければならないからだ。

風呂からあがり、着替えをして、散らかり放題の荷物を

カバンにもどした。

テレビで天気予報を見てから、忘れ物はないかと

部屋中をチェックして部屋を出た。

フロントで5900円を払い私は観音寺グランドホテルを後にした。

 

駅の売店で朝飯とスポーツ新聞を買い改札を出た。

伊予三島までは鈍行で行くので特急券は要らない。

ホームに立って電車を待っていると駅員がやって来た。

伊予西条行きの電車は目の前に止まっている電車で扉は

開のボタンを押してくださいと教えられた。

私は言われたとおりにして車内に入り、閉のボタンを

押してドアを閉めた。

乗客は私一人しかいなかった。

早速座席に座っておにぎりをパクついた。

そしてスポーツ新聞の競馬欄に目を通した。

話はややこしくなるが、実は日曜日に前日発売で昨日

の馬券を買っていたのだ。

この旅行の費用を稼ぎたくて。

果たして結果は。

 

 

お、お見事、大当たり、さすが、さすらいの勝負師、しろひ猫。

これはセントライト記念のミュゼエイリアンの複勝馬券です。

3着までに入ればお金が貰えるという馬券です。

10000円という金額が自信の度合いを示しています。

820円の配当なので純利益は72000円です。

うちのノラ君でも計算できます。

ちょうど雲辺寺の五百羅漢を見ていた頃走っていたレースです。

きっと五百羅漢はエイリアンだと思います。

ちなみにこの馬は2着で1着はサブちゃん(北島三郎)の馬

キタサンブラックでした。

これで私がビッグマウスでもミッキーマウスでもなく

ホワイトキャットだという事がわかっていただけたでしょうか。

ハハハ、自画自賛。

 

電車は動き出した。

乗客は私を含めて3人になっていた。

完全に赤字路線だ。

これでは1日数本の運行であっても文句は言えない。

いい天気だ。

左手には結構高い山がそびえ立つ。

このあたりは平野からいきなり、まるでおっぱいのように

山ができる。

そして平野はあくまでも平野だ。

まるっきりでこぼこがない。

鈍行はゆっくりと走る。

特急や対向電車待ちで停車時間も長い。

それが味といえば味なので苦痛ではないが。

電車は7時34分伊予三島駅に到着した。

 

私は開のボタンを押し、階段を昇ったところにある改札

で三角寺へ行くバスの乗り場を聞いた。

駅員は怪訝そうな顔つきで三角寺の次の発車時刻は11時

だと言う。

私が「8時30分じゃないのですか」と問うと

それは去年の9月までの時刻表だと言う。

私はガーンとバケツで頭を叩かれたような衝撃を受けた。

別にフライパンでもいいんですけどね。

時刻は7時40分、まだ3時間以上の待ち時間がある。

私は伊予三島の駅を出た。

タクシーが数台止まっていた。

いくら何でも3時間以上の待ち時間は受け入れられない。

そう決断した私はタクシーの運転手さんに

「三角寺までやって下さい」と言った。

私ははっきり言って悔しかった。

楽したら修行の意味がなくなる。

と言って三角寺まで往復歩いたら6時間はかかるだろう。

出来るだけ多くののお寺を回るためにはタクシーで

妥協せざるをえないこともある。

これも私が悪いのだ。

インターネットで調べた時刻表が古過ぎたのだ。

お遍路のブログを見ても2008年なんてのもありますものね。

私の勉強不足でした。

片道だけとも思ったが8時55分の帰りのバスに間に

合わなければ次は12時52分になってしまう。

運転手さんの待ち時間はチャラにしますから帰りもどう

ですか、の誘いにのることとした。

年寄りは若い人とくらべて持ち時間が少ないからお金

より時間を重視する。

8時過ぎ三角寺駐車場に着いた。

駐車場は寺のすぐそばにあった。

 

 

バスはまったく違う道の三角寺口までしか来てないが、

なぜこの駐車場まで来てくれないのであろう。

そんなに道は狭くないし離合場所もいくらでもある。

ははーん、これはタクシー運転手の死活問題だから

ではないかと推測するのは私だけであろうか。

 

きつい山門の階段が続く。

もし目の前をミニスカートの女の子が歩いていたら

パンツは丸見えになるであろう。

 

突「見たいですか」

 

あー、びっくりしたないきなり。

そりゃ・・見たいに・・・決まってるじゃないですか。

内閣総理大臣だって、最高裁判所長官だって、警視総監だって、

お寺さんだって、学校の先生だって、産婦人科医だって

見たいに決まってるじゃないですか。

もし見たくないという奴がいたら私はそいつを信用しない。

借金しに来ても絶対貸さない。

 

突「見たい人が借りに来たら」

 

やっぱり貸さない。

 

それは神が創った男のDNAだから。

女には到底理解出来ない男のDNAだから仕方ないじゃ

ないですか。

理屈ではない、DNAだから仕方ないじゃないですか。

が、しかし同時に神は理性という名のDNAも創った。

男どもが何食わぬ顔してちらっとスカートの奥を覗こう

とする所作は、このDNAの仕業以外の何物でもないのだ。

スカートの中を盗撮したという事件が新聞紙面を

賑わしている。

こういう人たちは、神が理性と言う名のDNAの書き込みを

忘れた人たちだと思う。

欠落しているのだからはっきり病気だ。

ある意味彼らは被害者なのだから許してあげてほしい。

「まっ、いいか。減るもんじゃなし。これもわたしが

可愛すぎるからなんだ」

と、あつかましくも寛大な心をもって、見られていて

見られていぬ振りをしてほしい。

なんかちょっときみまろさんぽくなってきたな。

このような論理の展開を世間一般では詭弁と言う。

 

チラッと目を上にやる。

私の目に白い三角の布が・・・・・・・・・・・・。

そうか、この奇妙な寺の名の由来が見えてきたぞ。

息を切らせて階段を昇り、手水場、ろうそく、線香、賽銭

納経の一通りの作業を終えた。

よく超えた若い女の子が息をゼーゼーさせていた。

10分ほど境内にいたがこの子は10分後もまだ

ゼーゼーしていた。

やっぱり肥えていることは問題がありますな。

 

競馬が大好きでパソコンで馬券を買っていたが、ちっとも

当たらなくて最近はやめている事、車が古くて50万キロも

走っているので山道を登ってくれない事、など運転手さんと

世間話をしながら三島駅に着いたのは8時半であった。

参考のために書いておくが5300円であった。

金は天下の回り物少しは四国に落としておいてあげたいからね。

 

特急券1800円を払い8時43分発の松山行き「しおかぜ1号」に

乗った。

やはりシルバーウィークだ、ここも観光客で賑わっていた。

列車は山の中を走り、町の中を走り、やがて海岸線に出た。

 

さあ、ちょっと古いけどサザンの「チャコの海岸物語」の

メロディーが流れてきました。

ちょっぴり恥ずかしいけど海辺の恋にはいっていきましよう。

 

 

平助の海岸物語

 

「ねえ、見て見てあんなところを大きな鳥が飛んでいるわ」

「あれはかもめっていうんだよ」

平助とキャサリンは海辺を寄り添いながら歩いていた。

「かもめ。あ、わたし知っている。小さい頃歌ったことあるもん」

「へぇーすげぇ。どんな唄」

「かもめのすけべーさん、ならんだすけべーさん」

平助はずっこけ砂浜で顔面をしたたか打った。

「ほら、あそこをポンポン船が行くよ」

平助はキャサリンの肩を抱いた。

「一体どこへ行くのかしら」

キャサリンは天真爛漫な笑顔で訊いた。

「きっと鬼ヶ島でも行くんだろ」

「すると、あの船には金太郎さんが乗っているのね」

平助はずっこけ砂浜に足首までめりこませてしまった。

「見てごらん。夕陽がとってもきれいだろ」

「まあ、きれいな地平線。海の水はあそこから滝の

ように落ちて行くんでしょ」

平助はずっこけ、砂浜に足首までめりこませ、わずか

地表に出ている足をばたつかせた。

「そうじゃない。あそこまで行くと雨どいがあって、また

戻って来るようになっているんだ」

平助は砂を払い、砂浜に腰おをろしながら答えた。

キャサリンも隣に座った。

「あんなところに夏の名残りが」

「あっ、ほんとだ、ピーチパラソル」

平助は困った娘だと思った。

「あそこに、なにか動いているよ」

「キャー、大きな蜘蛛。横に歩いてる」

キャサリンは平助の腕にすがり、怖がりブリッコをした。

かすかに化粧の香りが平助の鼻をくすぐった。

「あれは蟹って言うんだよ」

「どうして真っ直ぐ歩かないの」

「真っ直ぐ歩くと小石でお腹をすってしまうからだよ」

「するとカニさんはシャコタンなんだ」

「そうだよ、カニさんの故郷は積丹半島」

平助は柔らかなキャサリンの手を握った。

「だからカニさんの目は左右がよく見渡せるんだよ」

「するとカニさんの特技は」

「カンニング」

キャサリンも平助の手をそっと握り返した。

「ねえ、平助さん。どうして海の水はしょっぱいの」

「それはね、魚達がおしっこをするからだよ。それに夏に

なれば人間たちもね。キャサリン、魚や人間がおしっこに

あがってきたの見たことないだろ」

「うん」

「キャサリンだって海の中でおもらししたことあるだろ」

「いやーん。アイドルはおしっこしないもん」

平助はずっこけ、砂浜、地殻、マントル、地核を経て

ブラジルのリオデジャネイロまで突き抜けて行きそうに

なるのを両腕で必死に食い止めた。

「どうして海は青いの」

キャサリンは頭を平助の肩にあずけた。

「昔、神様があやまって青いペンキをこぼしてしまったからだよ」

「じゃ、どうして波頭は白いの」

「僕たちの話を聞いて白けてるのさ」

二人は砂浜に寝そべった。

青空が目の前にひろがった。

平助はキャサリンに手枕してやった。

「じゃ、空が青いのは」

「海の青を写しているからだよ」

「じゃ、雲は」

「魚の影を写しているんだよ。ほら、よく言うだろ、いわし雲って」

「じゃ入道雲は」

「あれはタコ入道が動いている影なんだよ」

「ふーん、じゃ太陽は」

難しい質問に平助は寝たふりをした。

「ねえ、平助さん、太陽は」

「あれは大洋漁業のマグロを写してるんだよ」

「でも太陽は真っ赤よ」

「まぐろも腹を裂くと赤いんだよ」

平助は真っ赤な嘘をついた。

「ふーん」

キャサリンは起き上がり、バスケットから平助の

大好物のハムサンドを出した。

「平助さんって、何でも知っているのね」

キャサリンは尊敬の眼差しで平助を見た。

平助もキャサリンを愛くるしいと思った。

二人は愛を確かめるように見つめあった。

「ブーッ」

突然キャサリンが吹き出し、ハムの切れ端が平助の

低い鼻にひっかかった。

「おいおい、何するんだよ」

平助は腰にぶらさげたタオルで顔を拭いた。

「だって平助さんの顔って面白いんだもの」

当たっているだけに平助はプイと横を向いて

すねてみせた。

「でも、とっても楽しい」

「そうかい」

「平助さんをからかうのって面白い」

「走ろうか」

二人は砂浜を駆け抜けた。

夏も終わりの海岸物語ごっこであった。

 

1985年糸魚川の砂浜にて

 

キャサリン以外は原文のままです。

ひぇーっ、なんて破廉恥な文章を私は書いていたんでしょうね。

顔から火が出そうな恥ずかしいストーリーだ。

こんなのを実名で書いていた私は世界一の恥知らず男だ。

なにがシャイだこのヤローと自分に言いたくなる。

私の正体を知っている、この世で数名の皆様には

合わせる顔がない。

 

おっ、10時02分最終目的地の松山に着いたなぁ。

つづく