徳島編その3

11月21日

 

6時に目が覚めた。

一昨日が睡眠不足だったのでぐっすり眠ってしまったようだ。

今朝は6時09分の電車に乗る予定だったがもう出てしまった。

次の電車は6時35分、しかしこれだと目的地の鴨島には

7時31分に着く。

今日の予定が遂行しきれるか不安な時刻である。

急いで歯を磨き、顔を洗い、髭を剃り、朝食を済ませて

ホテルを出た。

切符売り場で鴨島までの特急券を買い改札口を出よう

としたところで駅員に呼び止められた。

どうやらきっぷに異常があるらしい。

よく見ると徳島経由鴨島行きではなく、私のそれは

阿波池田経由鴨島行きであった。

なんてこった、あれほど徳島経由だと言ったのに。

ま、確認しなかった私にも責任の一端はあるが。

駅員は改札で忙しいので運賃の誤差の清算は電車

の中で車掌にやってもらいなさい、と言って通過を

認めてくれた。

6時48分「剣山1号」は徳島を離れた。

しばらくして車掌がやって来た。

私は事情を話すと、車内ではそのような業務は

やってないと言う。

「じゃ、鴨島の駅でやってもらえばいいんですね。

鴨島の駅って無人駅じゃないですよね」

と言うとしばらくの間があった後に車掌は

「ええ」

と言った。

電車は軽快に山間部を走った。

山間部とはいえ、結構広い平野である。

国道192号線も一緒に走っている。

私の好きな風景である。

私が今まで一番好きだったのが大糸線のそれであるが

徳島線はそれ以上に気に入ってしまった。

7時06分特急列車は鴨島駅に着いた。

一本早い6時35分発の到着が7時31分であることを

思うと、やはり特急は便利だ。

320円の特急券は高くないと思う。

ま、そう思わせるような時刻表に作ってあると

言えないこともないが。

痛いところを突いてしまったかな。

でも本当に軽快で気持ちがよかったことは確かだ。

改札口で女性の駅員が待っていた。

別に私を個人的に待っていた訳ではないが。

「名古屋駅で徳島経由鴨島行きの切符を買ったんです。

同時に高松板野間の特急券も買ったんです。あとで

私が高松で特急券を買ったのなら私の間違いだと

疑われても仕方ないですが、発行駅を調べてもらえば

わかるでしょ。こんな組み合わせの切符が存在しては

いけないでしょうが」

事の成り行きを私は駅員さんにまくしたてた。

 

突「急に駅員さんて、さんがつきましたね」

 

ええ、ちょっと若いかわいい駅員さんだったもので。

彼女は計算をしますのでしばらくお待ちくださいと

言った。

他に改札の業務も忙しそうだったので私はしばらく待った。

計算の結果徳島経由の方が200円高いと彼女は言った。

私が不足分を払おうとしたが、こちらのミスですので

いただけませんと言う。

たしか徳島の駅員さんは誤差の清算云々と言っていたが

こういうものは駅員さんの裁量でどうにでもなる

ものかと思った。

私は鴨島駅を出た。

空は晴れていた。

風もなく、昨日に引き続いて小春日和となりそうである。

ポケットから例の地図を出し、11番札所藤井寺のありか

を捜す。

そう言えばクイズの設問は3日目の最初に訪れるお寺

でしたよね。

昨日までに11のお寺を廻り多くの脱落者を出し、可能性の

ある人は13名となっておりました。

ちょっと調べてみます、えーとですね、藤井寺・・・・

あっ、ありました、1名いらっしゃいました。

な、なんと奇しくも今回も山梨県大菩薩峠在住の

机竜之介さんです。

机さん、お見事でございます、20億円はあなたのものです。

もう一度確認をいたします、あっ、ルビがふってありますね

かもしまのふじいじ・・・・・。

机さん、ここはかもじまのふじいでらですよ。

近鉄の準フランチャイズ球場のふじいでらですよ。

残念ながら20億円は没収となりました。

それではみなさんごきげんよう。

 

突「後出しじゃんけんみたいで姑息だ。それにこんな

茶番劇もう見たくない」

 

それを言うな、よこやま、今度は少し趣向を変えるから

許せよ、よこやま。

 

地図はとても見やすかった。

一目で寺の大方の位置がわかった。

いつも言うが四国の平野は文字通り平野で、はるか

かなたの山のふもとの民家まですべてが見える。

とりあえずその方角に進み、近くでまた住民に訊けばいい。

途中で国道192号線と交差した。

まだ私が若かりし頃、この道を通ったことを思い出した。

もう少し行くと左手に「学」と言う駅があり、立札も

出ていた。

その名から、この駅は当時とてももてはやされていた

のでよく覚えている。

少し行くと高校野球で有名な阿波池田がある。

よくこんな田舎の高校が全国制覇をしたものだと

感心した。

やはり高校野球は監督だなというのがよくわかる。

そして池田の赤い鉄橋を渡り(今もあるかな)川之江で

11号線と合流したことも昨日のことのようによく

憶えている。

 

突「じゃ、一昨日の板野のことは」

 

あっ、突っ込み、そんな所にいたの、勿論昨日の

ことのように憶えている。

すいませんね、突っ込みがどうしてもこの親父ギャグが

入れたいと申しますんで。

私は受けない、受けないどころか風邪をひく人が数名

出るからよそうと言ったのですが・・・・。

 

池田の手前だったのか、過ぎてからだったのか、記憶は

定かではないがお腹が空いたので道路左側にあった

食堂に入った。

たしか山中であったと思う。

脂ののった塩サバの焼いたのが、すごくおいしかった。

店主はおじいさんだったが、私の手を握り

「気を付けて行きなされ」

と釣銭を渡してくれたのも三日前のことのようによく憶えている。

今、生きていれば恐らく日本最高齢者になっているであろう。

が、この辺りにそのような人物がいるという噂も

聞いたことがないのでもはや極楽浄土へ行かれたか。

 

かっこいいことを言うけれど、本当は「大」がしたかったんだ。

それで食堂へ駆け込んだのさ。

山の中で用を足していて、おけつをまむしにかまれたなんて

しゃれにもならないですからね。

 

まむしーにけつをかまれてこのまましんでしまいましたー

よーがあけるひーがのぼるあさのひかりのそのなかでー

つめたくなったわたしをみつーけてあーのひとはー

はーらをかかえてわらうでしょうかー

 

たびたびすいませんね。

かっこいいことや、綺麗ごとが言いきれるほど自分は

立派な人間ではないのですよ。

後ろめたさが私にこんなバカなことをやらせるのですよ。

 

「アカシアの雨が止むとき」の替え歌をくちづさみながら

私は一路藤井寺へと向かった。

 

「おや、もう焼山寺はお参りになさったんですね」

納経所のおじいさんは納経帳をみながら言った。

「ええ、きのうタクシーで行きました。行き当たり

バッタリのお遍路なもんで」

「それでいいんですよ。そんなに形式張らなくても」

おじいさんはにこやかに笑いながら言った。

帰り際、藤井寺の広い駐車場の横を通った。

インターネットではここでタクシーを拾った

ような事が書いてあったのだが、タクシー

はいなかった。

いればここから切幡寺までタクシーで行こうと

思ったのだが残念、駅まで戻ることにする。

途中の民家の門にこんなものがあった。

 

 

われらが愛知県の名古屋城のシンボル鯱である。

思わずカメラに収めてしまった。

駅まで来た道を引き返すことにした。

早朝の歩き遍路はとても気持ちがいい。

それにしても何故あのJR職員は切符を間違えた

のだろうか。

私に言わせればJRの教育がなってないからだと思う。

もっと駅名をしっかりと覚えさせてから業務につけ

させなければいけないと思う。

日本の全線全駅を完全に覚えろとは言わないが、

せめて駅名を言われたとき○○線のどこどこにある。

例えば「浜田まで下さい」と言われたとき、ああ、山陰本線の

九州寄りの駅だなと浮かばなければいけない。

そしてそこへ到達する手段としてはその①京都まで行き

山陰本線で行く。その②広島まで行き、芸備線、三江線

と乗り継いでいく。その③新山口まで行き、山口線に

乗り換えて行く。

ここまでが瞬時に思い描けなければいけない。

そうしたうえで、次のお客さんの言葉に耳を傾ければ

こんな間違いは起きないはずだ。

あまりにもパソコンに頼り過ぎているから起きる

間違いだ。

おそらく「鴨島」という駅名は生まれて初めて

聞く名だと思う。

切符売りが切符を間違えて売るなんて、弘法も筆の誤り

である。

うっ・・・・・・・・・弘法・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

ひょっとしたら、お大師様がこの駅員さんの脳の働きを

一時的に止めてこのような切符を売らせたのかも知れないな。

奇しくもこれは、私が愛媛編で言ってた、けったいな路線

(予讃線、土讃線、徳島線)をそのまま踏襲している。

それにもまして、何故私は鴨島までの切符を買ったの

だろうか。

当初、私は徳島までの切符を買う予定でいた。

鴨島という駅名は頭の片隅になくもないが、バスは

徳島からいくらでも出ている。

「徳島行きを下さい」と言うところを「経由鴨島」の

四文字を追加したのも、お大師様の仕業ではないのか。

ましてJR広報係派遣社員を名乗る私に間違い切符を

売りつけるのも偶然にしては出来過ぎている。

そして新幹線の改札では名古屋鴨島間の切符に異常の

みつけようもなく、マリンライナーでは改札はなく、

特急うずしおでは特急券しか見ないし 、板野駅では

特急券と一緒に提示すれば細かなとこまで見ない、

最後の徳島駅改札でも、こんな間違いがここまで

発覚しないはずがないと思い込むからパス。

そして前述のような経緯で鴨島駅まで辿り着いた。

そんなことを考えながら歩いていたら鴨島駅まで

辿り着いた。

駅前にタクシーがたくさん止まっていた。

ふっと、先程の女性の駅員さんのことを思い出した。

なんでもこの駅は7時までは無人駅なのだそうだ。

もし私が6時09分の電車に間に合っていれば駅員

さんと出会っていなかったかも知れない。

これはお大師様のお導きではないのか。

私は急いでメモ帳に私のブログのタイトル名を書き

「お遍路の紀行文ですが、是非読んで下さい」

と彼女に手渡すことを考えた。

が、彼女は忙しそうに仕事にはげんでいた。

私は仕事の邪魔をしてはいけないと計画を断念した。

仕事をしている時の女性は美しいと私は思った。

頑張ってJR四国の社長を目指しなさいよ、と

心の中で応援の言葉をささやいた。

 

突「口先だけの応援じゃ駄目ですよ」

 

勿論、彼女が社長になれるなら、吉野川を野牛の

群れの背に乗って渡り切ります。

これが本当の、

 

突「対岸成就でしょ」

 

いいえ、彼岸達成です。

 

突「でも、その話が現実のものとなったらどうするんですか。

どうせ今から渡りますので野牛の群れを用意して

下さい、とでも言うんだろ。それじゃ一休さんのトラ退治

と同じじゃん。でも野牛が用意されたらどうするの」

 

此岸に餌を一杯ばらまき

「野牛が彼岸まで行ってくれないので今日は中止」

と言います。

 

突「此岸だの彼岸だの吉野川は三途の川じゃありません」

 

彼女にメモ用紙を手渡せたら、四国では観音寺の棟梁に

次いで二人目、全国で九人目の「不思議の国のしろひ猫」

ファンクラブ会員になってもらえたのにな。

 

突「勝手にファンクラブ会員にすなー」

 

でも読んでくれてるのが確認できてるのは一人だけ。

あとの7人は読まずして永久欠番会員になっているかも。

彼女にはまたいつか、ここへ来た時に会員になってもらおう。

なにせ彼女はJRの社員、私も派遣社員、
言ってみれば同僚のようなものだからね。
私もJRに対してはいろんな意見を持っている。
それを吸い上げてもらうために会員になってもら
えたらいいなーとも思う。

そして何よりも彼女には200円運賃をまけてもらったものね。

200円の恩義はお大師様の愛と同じくらい深いものね。以上。

 

ギャグの悲しい性(さが)、同じギャグは2度と通用しない。

しかし敢えて私は2度使わせてもらう。

「徳島線で200円とくしました」

これ、徳島線のキャッチコピーにならないもんだろうか。

 

突「よっ、弘法も筆の誤りからここまで持ってくる

あたり、さすが天才的三流作家。こじつけもはなはだしい」

 

だまらっしゃい。

 

駅前のタクシー乗り場へ出た。

一台のタクシーが戻って来た。

私はそのタクシーに乗ろうとした。

すると運転手さんが窓を開けて

「すみません、お客さん。一番前の車に乗って

戴けませんか」

と言う。

どうもルールがあるみたいで、私はそのルールに

従った。

でも中には、特に女性なら、

「わたしがどの車を選ぼうと自由じゃないの」

と言って松坂桃李のような男前の運転手さんを

選ぶかも知れないな。

その時、果たして桃李はどう対処するのだろうか。

「すみません、お客さん。これは会社のルールで

ございますので、あの車に乗ってあげて下さい」

と、さわやかな笑顔で答えるのだろうな。

そのさわやかな笑顔に免じて女性客も従うのだろうな。

仁義なき戦いをしたらやっていけないものね。

 

「切幡寺まで、やってください」

私はシートベルトを着けながら運転手さんに言った。

ここから藤井寺へ行くお客さんは多いが、切幡寺へ

行く人は滅多にいないと言う。

「運転手さん、何か変わったお客さんを乗せた

ことはありますか」

「この前、イタリア人のお遍路さんを乗せましたよ。

全部で10人、2台の車で廻りましたが、さすがイタリア人

ですね、にぎやかでしたよ」

「言葉はどうでしたか」

「私はイタリア語はわかりませんけど、彼らは札所の

番号を指差し、ここへ行ってくれと言うんでそんなに

苦労はしませんでしたよ。とにかくにぎやかで言葉が

途切れることはありませんでした」

と運転手さんは盛んにイタリア人のにぎやかさを強調した。

「他には」

「まだ私が徳島駅前で個人タクシーをやってた頃の話

なんですが、お客さんと同じ名古屋から来た人で、

一番札所から行けるところまで行ってくれと言われた

ことがありました」

「で、どこまで行けました」

「朝早かったですね。そう徳島駅を6時半に出て納経所

の閉まる夕方5時までに19番札所まで行きました」

「料金は」

「そうですね、24000円かかりましたね」

「19番まで行って24000円なら、それは安いですね」

「その人、昼ご飯にうどん屋に入って、運転手さん

酒飲んでもいいかなってきくんですよ。お客さんが

運転する訳じゃないからどうぞと言っときましたが」

変なところで気を遣うのがいかにも名古屋人だと笑った。

「徳島県の札所が3つ残りまして、この次来た時も

あなたを指名すると言ってましたがそれっきりでした」

「88ヶ所を全部タクシーで廻るといくらくらいかかるん

ですかね」

「時間にして1週間、金額にして15万くらいですよ。

後は宿泊費と飲食代ですね」

そうか、美女のひざまくらで、酒をぐびぐびやりながら

のお遍路か。

そんな奴はけつまずいて、手水場の水たまりに

頭を突っ込んで、溺死するに違いない。

 

タクシーは切幡寺の売り物、234段の階段のふもとに着いた。

「息を切らして、この階段を登るからこそご利益

があるんだそうですよ」

運転手さんは捨て台詞、いや失礼、決め台詞を残して

去っていった。

本当に失礼ですよ、捨て台詞なんて。

「いち、にい、さん、しい・・・・・」

私は一段づつ踏みしめるようにして階段を登った。

「はちじゅうく、きゅうじゅう、きゅうじゅういち」

階段を半分ほど進んだ時、足元に1円玉を発見した。

余った賽銭を捨てていくお遍路さんがいるんだ。

なんという粗末なことをする人がいるんだ。

私はその1円玉を1個づつ拾った。

しかし、その1円玉は階段を登れば登るほど増えていく。

138枚拾ったところで、私はその作業を中止した。

線香、ろうそくを立て、賽銭箱に先ほどの1円玉を

放り投げた。

勿論、私も自分の財布から賽銭を出した。

人の褌で相撲を取る気など毛頭ない。

「どうか○○○○○ように」

相変わらず虫のいいお願いをした。

カブトムシよ、お前は虫のいい奴だな。

納経所へ行って階段の1円玉の話をした。

おばあさんだったが、にこにこしながら

「あれは厄落としの1円玉ですよ」

と説明してくれた。

「そうですか、知らなかったもので拾って賽銭箱

に入れてしまいました」

私がそう言うと、おばあさんは

「ありがとうございました」

と言った。

遅かれ早かれ、あの金は賽銭箱に入る宿命だったのだ。

私は切幡寺の壮大な目論見の片棒を担がされた訳だ。

ちょっと大袈裟だったかな。

切幡寺の結構急な坂を下り、やがて大通りに出た。

向かうは9番札所法輪寺、ガイドブックによると

アスファルトの道4km、一時間とある。

暖かい、太陽も出ている、最高の舞台の中を

私はコカ・コーラを飲みながら進んだ。

時々出会う人に道をきき、法輪寺からやって来る

お遍路さんと挨拶を交わし前に進む。

やがて突き当たりに左へと言う案内を見た。

左に曲がると、すぐに右に曲がる道とまっすぐ行く

道があった。

またこれだ、大日寺の時と同じだ。

すぐにクリーニング店があったので訊こうとしたら

車がやって来た。

乳飲み子を抱いた若いお母さんだった。

やはり彼女はこの土地のことはあまり知らないと

言うので店の人に訊いた。

右に曲がった道だと言う。

これでも行けないことはないが、正解はまっすぐ行く

道だった。

まっすぐ行けば道路沿いに寺があったのに、右に行った

ばかりに5分ほど道に迷った。

法輪寺を出た所で商売をしている女性に、次の寺への

道を尋ねた。

「熊谷寺へはどう行ったらいいですか」

「あの山の上に鉄塔が見えるでしょ。その真下に屋根が

見えるでしょ。それが熊谷寺の山門です。その山門に

向かって、斜め右方向にずーっと進んで行ってください。

そうすると高速道路を越えた所にあります」

見事なまでの説明であった。

毎日同じ事をお遍路さんに訊かれているので

こんなにうまくなったのだろう。

なるほど、よく見ると女性の耳にも口にも熊谷寺ダコが

出来ていた。

それでも一度道を間違えて、なんとか熊谷寺に辿り着いた。

 

 

まずは四国八十八ヶ所中一番大きな仁王門。

田園の中に風格ある山門が立つ。

県の文化財に指定された仁王門は、重厚な三間重曹

の構えで、貞享4年(1687)に中興開山の長意上人が

建てたもの。和式と唐式を折衷した建築様式で、高さ

13,2m、桁行9m、梁間5mで四国随一の規模を誇る。

二層広間の東西2本の丸柱は東が昇り龍、西が降り龍

になっている。大看板の「普明山」という額は安政

大修理の際に寄付されたもの。駐車場から200mほど

手前に位置する。門前に咲く桜の花が満開の頃は、また

風情がある。

 

ガイドブックから仁王門の説明文をそっくりそのまま

パクりました。

88ヶ所このようなパクリのお遍路ブログにしたら

さぞ楽でしょうね。

でも、ぼたもちが3つくらい入りそうな大あくびを

しながら「それがどうした」と読者は言うに違いない。

 

納経を済ませ、そそくさと熊谷寺を去った。

法輪寺といい、熊谷寺といい、田舎にある割には

探し難い寺だった。

地図に従い、7番札所十楽寺を目指す。

高速道路をくぐりしばらく行くと左へ曲がる道があった。

止まっている車がいたのでドライバーに訊いてみた。

「十楽寺はどう行けばいいんでしょうか」

「本当は高速道路をくぐってすぐ左へ行く道がお遍路道

なんですが、道も狭くて危ないですからこの道(2本目の道)

を進んで行って下さい」

とドライバーは親切に教えてくれた。

道中お遍路さん3人と逢った。

切幡寺から数えると7人目であった。

何故か同志という気持ちが働くせいか、挨拶にも

力がこもる。

この世の8つの苦しみを乗り越え、極楽浄土の10の

楽しみが得られるようにと名付けられた十楽寺に

着いた時、お昼を少しばかり越えていた。

 

 

なんかこの山門を見ると十楽寺というよりチャラク寺

と言う感じ。

お遍路さんも物見遊山気分で来るのだから、観光色

を打ち出していても、まいいか。

でも中は本当のお寺です。

駐車場には何台かの観光バスが止まっていた。

少しいやな予感がした。

が、珍しく私の予感は不的中であった。

いやな予感とは、そう、読者にもわかると思うが

団体さんの納経である。

これに遭遇したら30分くらいは待たされるであろう。

幸いにも来た時刻がよかった。

皆さん、これから大型レストランかなんかで昼食でも

いただくのであろう。さようなら。

 

観光バスを見て、今日が土曜日であることに気づいた。

ひょっとすると次の札所もヤバいかも、と恐る恐る

進む。

やはり駐車場には3台のバスが止まっていたが、団体さん

は丁度帰るところで私は安楽した。

 

突「もし満員だったら」

 

とてもアンラッキーだった、とでも言っただろ。

 

突「限りなく親父ギャグに近いから50点」

 

安楽寺も10分ほど滞在し、近くの東原バス停に向かった。

13時04分の「徳島駅行き」までしばらくの間があった。

バス停は片側にしかなかった。

私が乗る側のバス停を捜したが、どうしても

みつからなかった。

が、反対側に少しスペースがあったのでここでいい

だろうと、バスの来る方角を見ながらバスを待った。

すると反対車線でクラクションが鳴った。

運転手さんが窓を開け、

「どちらへ行きますか」

と訊く。

「徳島駅です」

「このバスが徳島行きです。早く乗りなさい」

と催促する。

私は降り口から乗せられ、一番前の席に座らされた。

「素通りしようかと思ったが訊いてよかった」

と運転手さんは言った。

「だって徳島駅に行くのだから反対車線で待つのが

当たり前じゃないんですか」

「いや、ここの運行経路は複雑であって、これで

いいのです。よく間違えるお遍路さんがいるんで

多分そうじゃないかと思ったんです」

もし行くようなことがあったら、東原のバス停は

一つだけだという事を肝に銘じて下さい。

とても話好きな運転手さんだとみえ、始発駅で他に客も

いないので私を横に座らせたみたい。

私も話好きなのでとても嬉しかったが。

「どこから来ました」

「名古屋からです」

「2年くらい前に女房と行ったことがありますよ」

「奥さんが名古屋の出身だとか」

「いや、女房は地元の人だが、若い時に都会に憧れて

名古屋で働いていたんですよ。それで久し振りに友達に

逢いに行くことになったんですよ。駅前で工事か

なんかやってましたよ。さすが名古屋はすごいですね」

駅前・・・工事・・・。

「あっ、名古屋ビルヂングですか」

「そうそう、名古屋ビルヂングです」

タクシーの運転手さんとはたくさん話すが、路線バスの

運転手さんとこんなに話したのは初めてで楽しかった。

しかし、客が増えるにつれて口数は少なくなっていった。

業務に支障をきたしてはいけませんからね。

バスはアスタムランド経由徳島行きで、一昨日寄った地蔵寺

の「羅漢」や大日寺の「大日寺口」や金泉寺の「板野駅南」

を通った。

だったら今日お参りすればいいのにと思う読者もいるかも

知れないが、そんな単純なものではないですぞ、

お遍路と言うのは。

バスはお参りして帰って来るまで待っててはくれない。

したがって例えばこのバスで「羅漢」13時10分着、お参り

をして次の14時20分に乗り「大日寺口」14時25分着、お

参りをして15時05分に乗り「板野駅南」15時22分着、お

参りをして16時29分に乗り「徳島駅」17時14分着となる。

たった3つのお寺を廻るだけで半日仕事だ。

初日、私は板野駅に12時に着いて、5つの札所を廻り

終えた時15時30分だった。

効率よく廻らないと仲々お遍路は進みませんよ。

大都会のように5分に一本くらいバスが出ていれば苦労は

しないですけどね。

でも苦労するから楽しいのでもありますけどね。

観光バスのお遍路ツアー、あんなの私に言わせれば

楽過ぎて地獄みないなものだ。

毎日時刻表や地図とにらめっこ。

「路線バスの旅」の太川陽介さん、さぞ楽しいことだと

思いますよ。

と言って、完全な歩き遍路をする心構えはまだ出来て

いませんけどね。

子供の遊び場「アスタムランド」を通り大型スーパー

「ゆめタウン徳島」を通り徳島駅に14時11分に着いた。

ちなみに、ゆめとは、YOUMEだって、いかにも地方都市

のネーミングだなと笑っちゃう。

あっ、許してくださいませ、徳島県民様、鴨島さん。

 

この先のことはまだ決めてなかった。

選択肢は二つ、14時20分発の太龍寺行きと14時40分発の

恩山寺行きだ。

熟慮の末、私は恩山寺行きを選んだ。

太龍寺は少し遠く、情報的にも不確かな要素が多すぎて

危険だと判断したからだ。

下手をすると、19時28分に徳島駅に戻る羽目にも

なりかねない。

少し時間があったので遅い昼食をセブンイレブンで

買って食べた。

バスは県庁前を通り昭和町、津田橋を通り抜けた。

ここらあたりも変わった地名が多い。

論田(ろんでん)中田(ちゅうでん)なんてね、地元で

ちゅうでんと言えば中部電力ですものね。

やがてバスは日赤病院玄関前までやって来た。

ここで運転手さんは交代したが、乗る人は一人も

いなかった。

南千歳橋を過ぎ、55号線を横切り、突き当たりの

道路を左折した。

チラッと視野の片隅に恩山寺まで700mの案内を

しろひ猫は見逃さなかった。

「つぎは脂肪のお腹です」

とテープの案内嬢が告げていた。

ここら辺りは三段腹の女性が多いのかなと料金表

の駅名を見ると「芝生中」と出ていた。

あっ、いけない、私はおしくら三段腹で

窒息死するかも知れない。

15時16分「恩山寺前」到着。

恩山寺まで10分。

すぐ右に上がっていく道路を数百m進むと、赤い欄干

が見えて来た。

そのまま舗装路を進んでもいいが、そこで出会った

お遍路の母娘が

「こちらのお遍路道の方が近いですよ」

と言うので逆らわずに従った。

ガイドブックで、恩山寺まで歩いて10分をイメージした時

未舗装の、草ぼうぼうの、蛇がうじゃうじゃいそうな

そんな田舎道しか思い浮かばなかったが、実際はそんな

ことはなかった。

蛇はせいぜい5,6匹しかいないだろう。

 

恩山寺は結構大きな、というか由緒あるお寺であった。

だから蛇の件は許して。

なんでもお大師様の母上が剃髪され、出家をされた

お寺だそうで、その名もフルネームで母養山恩山寺という。

お参りを終え納経所へ向かった。

ここで般若心経の書かれた金色のカードがあったので、

私にふさわしいように、二枚買った。

 

突「そりゃ、どういう意味だ。英語で言うと

What do you mean? 何ドーユーイミー」

 

深く追及せんでくれーよこやま。

私はハンカチを噛み、しなをつくった。

 

「次のバスで立江寺まで行くと16時49分着なんですよね。

17時の納経所のdead lineまでにmake itできますかね」

「バスが遅れない限り充分間に合います。多少遅れても

多分大丈夫です」

納経所の女性のお墨付きをもらい、安堵の気持ちでバス停

に着いた。

そう言えばこの辺りに、甥の嫁の実家があると聞いた。

家捜しの名人の私なら捜すことは造作も無いことだが

今回は時間もないのでやめとくことにした。

行けば陽だまりの縁側で田舎饅頭と渋茶くらいは出して

戴けると思うが・・・。

 

突「なんだ、その点、点、点は。それにきょうび田舎

に行ってもモダンな建築ばかりだ。失礼なことを言うな」

 

夕闇が迫って来た。

定刻の16時41分が来てもバスは来なかった。

もう一度ガイドブックの立江寺のページを開いた。

歩いて5分とあった。

定刻の49分に着いて、54分、17時の締め切りから

逆算すれば6分の遅れまで許されるのだ。

バスは5分遅れて16時46分にやって来た。

バス停は右側にしかないので、私は道路の左側に移り、

手を挙げて運転手さんに合図をした。

乗客は年配の女性が一人だけだった。

ひょっとして私の時計が遅れているのかも知れない

と思い、その女性に時刻を尋ねた。

私の時計は正確であった。

「どうしたんですか」

気ぜわしそうにしている私を不審がった女性が

私に訊いた。

「実は17時締め切りの立江寺の納経に間に合わない

かも知れないんですよ」

農協なら18時まで開いてますよ。

などととんちんかんな返答はおばあさんはしなかった。

なぜならば、おばあさんは立江寺の近所の人

だったから。

「随分、道中渋滞してましたからね。いいですか、

立江寺は立江小学校前を降りて、橋を渡らずに

左に曲がって商店街を進むとすぐにあります」

「すいませんね、お客さん、出来るだけ急いで

間に合うようにします」

と運転手さんも言った。

こうして3人の連係プレーで、私は下りかけていた

納経所のシャッターを押し戻し、思いを果たす

ことが出来た。

これは言葉の綾で、本当にシャッターなどいじって

ませんからね。

器物損壊罪で捕まってしまいます。

 

空にはこうこうと月が照っていた。

17時13分の徳島駅行きのバスに乗った。

運転手さんは先ほどの人で

「立江寺、間に合いましたか」

と私に訊いた。

「ええ、何とか間に合いました。有難うございました」

と私は言った。

おばあさんと、この運転手さんに助けられて何とか

19番札所をお参りできたことを感謝した。

と同時に一人旅の面白さも改めて知った。

1人だと周囲のいろんな人と係り合う。

助けてもらうことも数多くある。

大勢の旅は大勢の日常性の空間が非日常性の中を

旅しているだけなのでつまらない。

困ったことがあっても、みんなで話し合って

解決するだけ。

現地の人と接触することさえない。

おまけにペチャクチャ喋ってばかりいるから

何も見てない。

「えー、そんなものあったー」

というばかりのつまらない旅になってしまう。

あたりは完全に闇となり周囲の状況も伝えられない

のでこんな話をしているうちに徳島駅に着いた。

またまた駅前のコンビニで夕朝食を買い込んで

ホテルに戻る。本日の歩行距離28,6.km。

つづく。