猫、108寺を歩く。その1

3月29日

5時53分の電車に乗る。

今日は5番札所の隣の森本屋に宿泊の予定

なのでそんなに慌てていない。

名鉄三河線、単線のローカル線である。

昔この路線に特急が走っていたことは、今の

若者は知らないであろう。

通過駅よりも停車駅の方が多く、単なる

田舎者いじめの特急だった。

当然バンブーヴィレッジも通過駅で停車駅

の連中に馬鹿にされたものだ。

当時は車内での喫煙は許されていた。

中には名古屋に通う私学の不良高校生も

しゃあしゃあと喫煙していた。

今では絶対考えられない光景である。

もっとも私たちも隠れて吸ってはいたが。

やがて特急は廃止され、スピード化が図られ

1時間2本だった便も4本に増便された。

きっとここにもコンピューターの力が

寄与しているのでしょうね。

6時35分名古屋着。

始発の「のぞみ」を待つ。

「のぞみ」は西の方向の車庫からやって来る。

車庫と言っても屋根はないのだが。

例の、大阪地震に新大阪駅で遭遇した便だ。

のぞみも数多く乗った。

以前は旅の楽しみでもあったがもはや私に

とって単なる移動手段でしかなくなった。

新大阪を通過すると、いつもの車内販売が

やって来る。

しかし名古屋大阪間では一度も見たこと

がない。

この前東北新幹線が車内販売を廃止したと

ニュースで報じていたが、東海道新幹線は

とっくの昔に廃止しているのかも知れないね。

岡山駅が近くなると車掌の、乗り換えの

案内がある。

8時52分中村行き南風、9時05分高松行き

マリンライナー、9時25分松山行きしおかぜ。

もうすっかり覚えてしまった。

私はマリンライナーに乗った。

特急券も要らない快速列車なのでとても

人気があり、高知、松山方面から来て坂出

経由で岡山へ行く人も結構いると聞く。

9時58分高松着。

10時02分の鈍行徳島行きに乗り換える。

ホームが違うのでぼーっとしていると乗り

遅れます。

気動車は結構混んでいたが何とか空席を

見つけて座る。

目の前にお年寄りが座った。

彼は子供の頃この辺りに住んでいて、何十年

ぶりかで屋島を見に来たのだそうだ。

子供の頃、よくケーブルカーで山頂まで

登ったが今でもあるのかと私に訊く。

確か15年前に廃線になった筈ですよ、と

私は答える。

わたしは心臓が悪いので歩いて登ることが

出来ない、何か他の交通手段はないものかと

私に尋ねる。

屋島駅から一時間に一本シャトルバスが

出てますよと教えてあげる。

栗林北口に停車すると車窓に桜が見えた。

やっぱり四国は早いですなと彼は言った。

うちの方でもまだ蕾ですよと私は言った。

彼は屋島駅で降りて行った。

一期一会である。

すぐに目の前におばあさんが座った。

とても可愛らしい、多分若い時は美人で

あっただろうと推測できるおばあさんだった。

今日は津田の松原を見に行くと言った。

おばあさんは讃岐津田で降りて行った。

これも一期一会である。

気動車は12時18分板東駅に着いた。

走っている時間よりも停車している時間の

方が長いような便であった。

たしか以前は11時48分には着いていたは

ずだがダイヤ改正で30分延びた。

それじゃ、ちっとも改正じゃないじゃん。

きっと改正のために犠牲になった便では

ないかな。

板東駅は1番札所のある駅なのだから、是非

とも特急停車駅にして欲しいものである。

さすれば11時12分には到着できる。

駅を出て突き当たりの道を左に行く。

いつもの接待所の主人は今日は見当たら

なかった。

昼ごはんでも食べているのかな。

勿怪の幸いとばかり急いで通り過ぎる。

 

 

いよいよ1番札所である。

お馴染みのマネキンさんが迎えてくれる。

お参りを済ませ売店に寄る。

また今年もポンチョを買う。

1800円で88寺、いや108寺を廻れるの

だから安いものである。

2番札所へ向かう。

その時一台の軽トラが近付き私の横で

止まった。

車にはおじいちゃんと5歳くらいの孫娘が

乗っていた。

ドアを開けて、これお接待ですと女の子が

饅頭のようなものを差し出した。

 

 

ありがとうございますと私は受け取った。

とても幸せな気分だった。

これがあるからお遍路はやめられないのである。

チコちゃんのような可愛い、この女の子が、

一生大過なく過ごせますように、と心の中で

祈った。

お大師様有難うございます、モチベーション

があがります。

2番、3番と廻り納経所に着いた時14時20分

だった。

今日中に5番札所まで廻れますよね、と尋ね

ると、頑張ればぎりぎり間に合いますと

納経所の人は言った。

しかし確実に間に合わせたければ、5番を

先に廻り、それから4番へ行って下さい

と続けた。

私は札所を出た。

ここで私は前回と全く同じミスをした。

大通りの手前を右折して突き当たりを右に

曲がってしまったのだ。

と言うのも右にも左にもへんろ道の矢印が

出ているのだ。

近くで草取りをしていた男性に訊くと

右だと言うので右へ行った。

しかしこの道は大窪寺へ向かうへんろ道で

あることが地図でわかった。

同じミスを2度する奴は本当の愚か者で

あると、西洋の諺にある。

まったく恥ずかしい限りである。

大日寺へのへんろ道を進む。

途中で白人男性に抜かれる。

1番でも2番でも逢った男性である。

コンニチワと挨拶をしてくる。

こんにちわと挨拶を返す。

彼は赤信号を無視してどんどん進み、やがて

見えなくなった。

やっぱり外国人は行儀が悪い。

徳島自動車道を過ぎた辺りから右へ

行くのがへんろ道であるが、私はそのまま

羅漢の大通りまで進み民宿森本屋へ向かった。

女将が出て来たのでリュックを玄関に置か

せてもらって、まず地蔵寺をお参りする。

15時20分であった

5番のお参りが終わり、4番へと向かう。

途中の東屋の辺りで外国人とまた逢った。

恐らく、彼の5番での納経時刻よりも、私の

4番での納経時刻のが早いであろう。

もし5番までの納経時刻がヤバかったら、

このルートを使うことをお薦めする。

あまり褒められたことではないが。

納経さえ終われば次に進めるが出来

なければ足止めを喰らう。

4番を打ち終わり、五百羅漢像へ寄った。

過去3度お遍路はしたが一度もここへ

立ち寄ったことはない。

今日は5番まで終わり、宿も森本屋なので

ゆっくり出来る。

入り口の枝垂れ桜が美しかった。

 

 

ただかと思ったが200円の入場料が

いるらしい。

躊躇していると出て来た人が200円

出して見る価値はあるよと言うので入った。

厳つい顔した男が500人いただけで

なにも面白くなかった。

これなら500人の女性の裸像の方がよほどか

受けるであろう。

 

釈迦如来 南無阿弥陀仏

 

宿に着く前に地蔵寺門前の公衆電話から

民宿富士に電話をする。

空いていると言うので予約をする。

森本屋には17時前に戻った。

とてもきれいな部屋で気持ちが良かった。

 

 

風呂に入り、18時に食事をした。

理知的な夫婦と、男性と私の4人だった。

旦那さんはスペインのへんろ道を、奥さんは

5000m級の山を数多く登ったと言っていた。

旦那さんが5回目、奥さんが3回目の完全歩

き遍路だとも言っていた。

奥さん曰く、へんろ道で登山だと言えるのは

横峰寺ただ1ヶ所、あとは山道だとは言えない

と豪語していた。

えら、えら、えらそーに。

私も今までのへんろの中で面白いエピソード

を沢山話した。

彼らは大いに笑った。

やはりコツコツとブログに綴って来たことが

とても役に立った。

1時間ほどの談笑の後私は部屋に戻った。

すでに女将がふとんを敷いてくれていたので

ふとんにもぐってテレビを見た。

チコちゃんが朝ドラ番組の司会をしていた。

明日は早いので少しだけ見て眠った。

本日の歩行距離18,55km。

 

3月30日

4時半に目が覚めた。

普段はだらだらとして起きられないが、やはり

お遍路となるときっちり起きられる。

人間やる気になればなんとでもなるってことだ。

一番気になるのは今日の天気である。

テレビを点けると昼頃から雨らしい。

ということは大山寺はなんとかポンチョなしで

行って来られそうである。

旅支度を整え5時少し過ぎに宿を出ようとす

るが、玄関の戸が開かない。

途方に暮れていると女将が出てきて開けてく

れた。

県道12号線の手前の道に、つまり金泉寺から

来た道のつづきに入る。

この前のお遍路の時に、この辺りで男女の

中学生がチューをしていた。

田舎ではあるが、そういうことは三河よりも

はるかに進んでいる。

ゲームよりも健全だから、大いに愛し合って

もらいたいものだ。

八坂神社を過ぎた辺りで道に迷った。

真っ直ぐ行く道が消え左右に行く道しか

なかった。

早朝で、人にも訊けず一旦12号線へ降り

西へと向かった。

これがあるから私はへんろ道が嫌いなのである。

へんろ道保存協力会の皆さん、できれば電柱

の一本一本にでもシールを貼って下さらんか。

あなたたちには熟知した道でも、初めて通る

お遍路さんは右も左もわからないのです。

地図でもそうです、あるべき道を省略しな

いで下さいな。

次の道を右へ行くのだなと曲がって行くと、

それが省略されていた道だなんてのは

ざらにある。

しばらく12号線を進み神宅(かんやけ)の

派出所を右折北上する。

後は比較的わかり易い道で神社の所まで

やって来る。

打ち戻しなのでこの神社の境内のどこかに

リュックを置いて行こうと思ったが小さな

祠があっただけだった。

仕方なく、草むらに隠し本格的な山道を

登る。

そして寺も近くなった所で、民家の犬に

吠えられた。

大きな犬で、庭とはいえ、放し飼いであわや

囲いを飛び越えて来そうな勢いであった。

もし飛び越えたなら、間違いなく私は噛まれ

失血死していたであろう。

飼い主さんが現われ、何とか制止してくれて

私は一命をとりとめた。

大山寺へ行く歩き遍路さんは年間でも50人

くらいのものだろう。

だから飼い主さんも放し飼いにしていたのだろう。

これから大山寺へ歩いて行く方がいらしたら

くれぐれもご注意ください。

犬に噛まれて死んだら無意味な死だ。

ひょっとしたら「犬死に」と言うのはここから

出たんじゃないかな、ねぇ林先生。

飼い主さんだって業務上過失致死罪で3年

くらいの実刑でしょう。

さらにしっかり者の私の姉なら、飼い主相手に

5000万円の賠償を求めるであろう。

裁判の争点は払う払わないではなく、5000万円

の根拠であり、それについて姉は、弟はやがて

直木賞を取り文壇のエースとして活躍して行く

筈だからと主張し、直木賞選考委員の面々が

参考人として招致される。

ところが委員たちは、こんなちゃっちい小説が

直木賞なんてちゃんちゃら可笑しい、味噌汁で

顔洗って出直して来いと言う結論に達する。

インタビューを受けた姉も、あんな小学生の

作文に毛の生えたような文章が、と思ったけど

ダメもとで言っただけとペロッと舌を出して

この一件は幕を閉じる。

馬鹿なこと言ってるうちに大杉に出くわした。

徳島県出身の大杉漣さんはこの大杉から芸名

を貰ったのかも知れないなと思ったが、大杉が

それは君の考え杉だよと囁いた。

突「16点」

大杉を左折すると大山寺はすぐだった。

7時40分だった。

 

 

しかし山門からまだしばらく階段が続く。

札所によくあるパターンだ。

いわゆるぬか喜びと言うやつだ。

突「つべこべ言わずにさっさと登れ」

はい。

お参りを終え納経所へ向かう。

いつもの納経帳を出して、お願いします

と言うと、この納経帳には余白が20ページ

ありません。

なので20の別格はすべてこの一冊に納めら

れませんがどうしますかと言う。

最初から20の余白を作っておけば良いものを

多分別格に忖度したのだろうね。

突「つべこべ言わずにさっさと買え」

私は別格の納経帳を買った。

2000円とは割高ではあるが、八十八箇所に

比べればお参りする人も少ないので仕方な

いでしょと思う。

お寺は別格と言うくらいでワンランク上

なので維持費もかかるでしょうし。

8時07分、下山を開始する。

また怖い犬の家の横を通る。

玄関に猛犬に注意と書いてある。

表札には犬咬(いぬがみ)とある。

もしかしたら、あの「犬神家の一族」の

モデルとなった家かも知れない。(冗談)

私は猛犬は嫌いだ。

盲導犬のラブちゃんなら好きだけどね。

9時リュックの場所に戻り、順調に9時50分

安楽寺に到着する。

宿坊として人気のある寺である。

きのう宿であった夫婦も、道中で知り合った

東南アジアの女性2人がこの宿に泊まろうと

したが満室で十楽寺へ行ったと言っていた。

その後、十楽寺、熊谷寺と廻り、法輪寺へ

着いたのは12時を少し回っていた。

雨は熊谷寺の少し前で本格的に振り出し

ポンチョのお出ましとなった。

法輪寺のお参りを済ませ、いつもの門前の

お店に入る。

毎年ここへ寄るんですよと女主人に言うと

とても嬉しいと言った。

嘘でない証拠に過去の私のブログを読んで

みるがいい、三度店に入り、一度道を

尋ねている。

小汚い店ではあるが、小汚い私にはとても

居心地が良く、ついつい引き寄せられてし

まうのだ。

メニューはうどんが二種類あるだけ。

早く食べて早く出発したいと言うと女主人

はたらいうどんではない方を作ってくれた。

窓の外を見ると車から一人の男が降りて来た。

見覚えのある男だ。

男は窓を開け、女主人を呼んで欲しいと言う

ので呼んだ。

男はビールを女主人に渡した。

多分頼まれていた品なのだろう。

私は男の正体を訊いた。

民宿富士の主人だと言う。

やっぱり、と思う。

私を覚えているかと訊くと、彼も覚えている

と言う。

ついでだからと、宿までリュックを運んで

もらうことにした。

お大師様、いい所で逢わせてくれました、

有難うございますと感謝する。

12時半切幡寺に向けて出発する。

雨はいよいよ本降りとなってきた。

十楽寺から139号線に出るまで両側の民家

はきれいな花で飾られていた。

みんなこの辺の人は、私に負けず劣らずの

花好きな人が多いのだろう。

こうして見るとこの辺りは春訪れるのが

ベストかも知れませんね。

美しい花街道である。

切幡寺へ向かう途中に荷物を預かってくれる

接待所があったが今年はやってなかった。

雨のせいなのか、お遍路さんが少ないせい

なのか定かではない。

いつものように333段の階段を登る。

きっと設計をした人は大のパチンコファン

ではないのかな。

お参りを済ませ納経所に寄る。

いつものおばあさんが居ないのでどうしたと

訊くと亡くなったと言う。

一昨年の10月に来た時は元気だったのにと

言うと、あの年の12月に亡くなりました

と納経所の人は言った。

私がヘンな冗談を言ったのがいけなか

ったのかな。

13時50分切幡寺スタート、向かうは民宿富士。

今日は疲れたし、雨も降っているので

藤井寺は断念することにした。

どうせ明日は焼山寺だけだから明日廻ればい

いと思って。

139号線を横切り、四国電力の横を行くと

この前テレビでやっていた「家ついて行って

イイですか」に出ていた大坂さんが泊った

へんろ小屋があった。

名を「空海庵」と言う。

 

 

2012年の落成と言うから、私は3度この前を

通っているはずだが気が付かなかった。

これじゃ、お遍路のもぐりだと言われかねない。

いつもの神社のところから右折した。

選挙演説がやかましかった。

出来そうもない公約を並べ立てている。

豚糞の臭う田園を抜け、川島橋を渡り、無料

宿泊所から藤井寺方面へターンした。

この地域には空海庵とこの宿泊所とその他にも

2つほど泊まれそうな休憩所があった。

きっと朝一番に霊山寺をスタートすると

切幡寺で17時を迎えるために、こんなにも

あるのだと私は推測している。

雨は15時には上がった。

脱げば荷物になるので私はポンチョを

着たまま歩いた。

きっと体温と風で民宿富士に着くまでに

乾くのでないだろうか。

徳島線を渡り、192号線を横切り、240号線

をひたすら歩き続けると16時半富士に着いた。

早速大将の車で夕食を買いに行く。

アサヒスーパードライ500mlが245円

だったので2本買い寿司とから揚げも

買って宿に帰った。

風呂に入り、ビールを喰らい、8時には

眠りに着いた。

本日の歩行距離40,17km。

心地よい疲労感だ。ZZZZZZZZZZZ

 

3月31日

平成最後の日だ。

突「違います。まだ1ヶ月あります」

そうだ明日は新元号発表の日だったよね。

勘違いしてた。

身支度を整え、朝6時過ぎ藤井寺まで

車で送ってもらう。

同宿の夫婦も一緒だ。

現在富士には夫婦2組と私が泊っている。

水曜日に豊田から電話した時、長期滞在者が

いると言ってたのはこの2組の夫婦だったのだ。

木曜日に泊まった人が1泊か2泊で去ったため

土曜日から私が泊れるようになったのだ。

大将はいつも言う。

うちは予約の出来ない宿だ、と。

例えば5月30日に予約をとろうとする。

しかしその前日に泊まった人が3連泊する

となると30日の人はお断りしなければ

ならない。

だから予約は受け付けてないと。

6時半登山開始。

リュックの中身は納経帳、線香、蝋燭、

おにぎり1個、ポンチョ、ペットボトル

2本と至って軽装である。

今日は気温は低く、おまけに風も強い。

そのせいか順調に登っていける。

しかしすぐに女性二人組に追い抜かれる。

どうも私は自律神経の関係で朝はとても

弱いようだ。

多分呼吸器系がお眠りモードのまま、登山

をしているので息苦しいのだと思う。

しかし時の経過とともにだんだんと体も

温まり調子が上がって行く。

やがて二人組を抜き返し、置き去りにする。

ふふふ、私に勝てると思うなよ。

などというギラギラとしたものを私は

持ち合わせてはいないが、肉付きのよい

二人組だったので勝手に向こうがバテ

たみたいである。

長戸庵8時着、柳水庵9時20分着。

大将はいつも言う。

焼山寺の登山道にはトイレがないと。

柳水庵にはトイレがあります。

今回大将にも私のブログを教えて来たので、

これから来る女のお客さんには知らせて

おいて下さい。

柳水庵を過ぎた辺りに無料宿泊所がある。

 

 

注意書きが添付されている。

原則として休憩はOKだが宿泊禁止。

ただしやむを得ない場合は一泊は認める

が連泊するようなら直ちに警察に通報

する。

きっとホームレスに住みつかれるのを

嫌ったんでしょうね。

しかし真っ暗なこんな宿泊所に誰が

泊るんですかね。

それこそ悟りを開いた人しか無理でし

ょうね。

10時10分浄蓮庵到着。

10分という、私にとっては大休止の後

スタート。

今度はひざが笑い出す、急激な下り坂が

待っている。

これはこれで辛い。

いつもの道標までやって来た。

前回道を間違えた所だ。

左に矢印が出ているので左に向かう。

数メートル行くと今度は右に矢印が出ている。

おちょくられているような気がしたので

無視して左に進むと軽トラの男性が通り

かかり、右へ降りて行くのだと言う。

よく見ると道路の端から、細い道が

下っていた。

この前、私はこれを見落としていたのだ。

軽トラの人に出逢わなければ私は前回と

同じミスを繰り返していたことになる。

西洋の諺で言うと私はアホですわ。

それにしてもめったに通らない軽トラに

こんな所で逢えるなんてやはりお大師様の

お蔭だと思う。

車道まで降りて一服やる。

3台のバイクが走って行く。

最後のライダーが手を振ったので、私も

手を振った。

こういうのも楽しいもんだね。

11時20分だった。

下り坂だから早く降りられるかと思ったが

案外時間がかかつてしまった。

道はまだ下りが続き、底を打ってから登り

に転じた。

ここの登りはやはりきつい。

歩いては休み、を繰り返し何とか平坦な

場所まで辿り着いた。

焼山寺は近い。

不動明王も迎えてくれた。

 

 

そして12時10分焼山寺山門に到着。

所要時間5時間40分で前回よりも

10分短縮できた。

本当はこんな事にこだわってはいけない。

このこだわりこそが煩悩なのである。

なんちゃって。

線香蝋燭を立て、時間もたっぷりあるので

珍しく般若心経を唱えた。

ハンニャ―ハラミタシンギョウ・・・・・

ギャーティーギャーティー・・・・・・

ボジソワカハンニャシンギョウー。

お参りが終わるとうどん屋さんに

入った。

焼山寺に来たからには、ここのうどんは

必須でしょう。

200円と廉価で量もたっぷりとある。

しかし客は私1人である。

この前は可愛い女性もいっぱいいて、とても

楽しかったが、今回は運が悪かったとしか

言いようがない。

私はうどん屋さんが見える位置に席を変えて

話しかけた。

無料宿泊所の一覧に焼山寺通夜堂というのが

ありますが、どこにあるのですか。

畑の中にあるのですが今は使っていません。

維持管理もしてないのでハチの巣が出来て

しまいとても寝るような所ではありません。

宿坊はあるのですか。

春の3、4、5月と秋の9、10、11月だけ

営業しています。

こんな山頂なので皆さん運送屋さんに

荷物だけ先に送ってもらうんですよ。

逆打ちする人もいるんですよね。

こちらから藤井寺に向かうと下り坂が

多いので一時間は速いんですよ。

このうどん屋の営業時間は。

11時から14までですね。

それ以外ではお遍路さんもあまり来な

いし来てもどこかで食べて来てるので。

忘れてしまったが、その他にもいろいろ

話し楽しい時間を過ごしました。

ぼーっとしてちゃ損ですものね。

納経所に向かう。

日曜日なので結構参拝客は多い。

納経が終わると車ですかと納経所の人は

尋ねる。

いえ歩きですと誇らしげに言う。

快感ではあるが、自慢も煩悩である。

さりとて謙虚すぎるのも、これまた

煩悩である。

突「どうせよちゅーの」

自慢もせず謙遜もせず、そんなことは

どうでもいいじゃんと言う感じで「歩き

です」とさらっと答えよう。

一緒に来た夫婦の姿はまだ見えない。

外は寒いので納経所の中で夫婦を待つ。

納経所の人がストーブ付けましょうか

と言うが大丈夫ですよと言う。

20分ほど待って現れなかったので下山

を開始した。

どうせ降りなければならないのだから

降りて待った方が賢明だと思って。

それに麓の方がいくらかでも暖かいの

ではないかと思って。

佐野酒店の駐車場に着いたのは13時

40分だった。

隣には観光バスの駐車場がある、

ここで乗客は寄井観光のマイクロバスに

乗り換えるのだ。

山道は狭いので観光バスでは無理なのだ。

ただひたすら大将を待つ。

空のマイクロバスが帰って行く。

きっと500円渡して、寄井まで乗せてっ

てよと頼めば85%の確率で乗せてくれる

ような気がする。

いつか、歩き遍路でない時にやってみよう

と思う。

成功した暁には私は運転手さんの肩を

叩いて言うだろう。

「お主も悪よのう」

突「キャインキャイン」

どこからともなく女性が現われた。

バスを待ってるのと訊く。

いえ、宿の迎えを待っているんですと言う。

その宿って富士ですかと言うのではい

と答える。

女性は佐野酒店の女主人でこの空き地を

富士に待ち合わせの場所として提供して

いるのだそうだ。

店はすでに廃業しているが今でも夜遅くに

尋ねてくる人がいてとても恐怖を感じる

と言っていた。

7年前に夫と長男をなくし、今は1人暮らし、

大阪に住む次男が月に一度帰って来ると

言っていた。

この辺宿が少ないから民宿でもやったらと

言うと、物騒な世の中でしょ、男の人が

1人だけ泊まったら怖いから宿なんて

考えられないと言っていた。

そんな世間話をしていると夫婦が降りて来た。

待った、と奥さんが言うので、私も少し前に

降りて来たとこですよと忖度をする。

しかしこのブログ、夫婦にも伝えてあるので

バレバレである。

やがて富士の大将が現われる。

誰かに似ているとずっと思っていたが、

笑福亭笑瓶に似ていることに気付く。

ちなみに私、若い頃長髪のアフロヘアで

鶴瓶と呼ばれていた。

言うなれば大将は私の弟子のようなもの

である。

突「キャ、キャイーン」

時刻は3時50分、一路宿へと向かう。

夫婦はスーパーで降ろし、私と大将は

藤井寺へと向かい私はそこで降ろされた。

ここでお参り、納経を済ませ富士まで歩いて

帰ると向きこそ違え歩き遍路は成立する

のである。

宿に帰り、スーパーで夕食を買い、今日も

8時頃に寝た。

やはり心地よい疲労感に包まれて。

本日の歩行距離23,35km。

 

4月1日

エイプリルフールである。

今日、新元号が発表されると言ってたが、

まさか嘘の元号ではないだろうな。

もしやったら、安倍総理は間違いなく

退陣を余儀なくされるだろう。

私はやって欲しいと思うが。

6時半宿を出発、鍋岩に向かう。

大将がいきなり乳酸の話を始めた。

いわゆる健康のサプリメントである。

どうやら大将はこのサプリメントの販売も

やっているらしい。

要約すれば大将曰く、細胞の中にミトコンド

リアがいる、このミトコンドリアは乳酸を

栄養分として生きている、年を取るとこの

乳酸が少なくなり、人間を形成している細胞

が元気がなくなり、ありとあらゆる病気の

発生の要因となってくる、故にこの乳酸を

体内に取り入れミトコンドリアの餌を増やして

やることで細胞が活気づき元気を取り戻せる

のだ。

主に大将は夫婦を相手に話していた。

私はまだ若いし、こういう類のものに

とんと興味もない。

車は20号線から橋を渡って21号線に入り

やがて438号線をひた走った。

途中で車に轢かれた鹿が死んでいた。

どうして20号線を走らないのかと問うと

大将は道が狭いからと答えた。

でも以前20号線を走っていたじゃないかと

言うと、鍋岩からの降り口を教えるために

敢えてあの道を走っただけだと言った。

鍋岩に7時20分に着いた。

大将はこの後、もう一組の夫婦をここまで

送って来て、近くのコンビニで下山するまで

待っているのだそうだ。

口にこそ出さないが、この夫婦に振り回

されているようだ。

私は本来のへんろ道に登らず、なべいわ荘

からの道を選んだ。

夫婦も私に従った。

しかし朝は調子が悪いのでいつの間にか

追い越された。

きつい玉ヶ峠の坂を登っている最中に

私は別格の納経帳を忘れて来たことに

気付いた。

玉ヶ峠の休憩所に着いてその話をすると

夫婦は携帯で大将に連絡をしてくれた。

大将は別夫婦を送って行った後で

追っかけると言った。

夫婦と、九州から来た男性と4人で

20号線を目指す。

夫婦は静岡県から来ていると言う。

愛知県で万博があった頃、瀬戸に1年

住んでいたと言った。

彼らは最初の日は2番までしか廻れな

かったらしい。

やはり愛知より少し東なので、板東に

着くのも私より遅くなるので無理はないと思う。

そんなとりとめのない話をしながら20号線

には9時20分に着いた。

下り坂だったし、へんろ小屋での休憩も

しなかったので随分と早かった。

だからと言って、この次の焼山寺の時に

ここまで歩こうとは思わない。

鶴林寺、太龍寺、平等寺はセットで1日行程

なのである。

つまりスタートの鶴林寺の麓から逆算すると

ここは中途半端な位置になってしまうからだ。

3人は休憩をすると言った。

私は別格があるのでと別れを告げた。

20号線を歩く。

徳島特有の屋根が見えて来た。

 

 

大将の言うには、これは茅葺屋根に被せて

あるトタンなのだそうだ。

茅葺も時間が経てば傷んで来る。

葺き直しても瓦屋根にするにしてもお金

がかかる。

そこで一番安上がりなトタンにしたのだろう。

これは大将の言葉ではありません。

私が勝手に推測しただけです。

桃や桜の花が咲き乱れている。

乱れると言う言葉もこんな時に使うと

きれいですね。

 

 

大将のことを気にしながら歩く。

途中にトイレがあったので寄る。

ついでに地図を見る。

地図にはここのトイレは載っていた。

この先の歯の辻のバス停あたりから右

に分岐する道があるけど20号線は真っ

直ぐだな。

確認をする。

雨が降ったり止んだりなので黄色い本が

出し辛いのだ。

道路の左側を歩く。

歯の辻を越えた辺りで犬が吠え出す。

うるさいので右側に変更するが遅かった。

そこら近辺の犬が一斉に吠え出した。

鎖につながれた犬、ケージに入れられた

犬など20頭以上いただろうか。

そのいずれもが咬みつきそうな凶暴な

顔で私に向かって吠えていた。

ブリーダーが飼っているのだろうか。

足早に立ち去る。

すぐに新童学寺トンネルにさしかかる。

もうすぐ新学期だ。

ピカピカの一年生の新学童もこのトンネルを

通るのかな。

雨が降っていたので、このトンネルには

助けられた。

しかし出てもなお雨は続いたので、とうとう

この旅2度目のポンチョのお出ましとなった。

大将はまだ来ない、別格はもうすぐだと言う

のに私はどうすればいいのだろうか。

もし来なければ、一応お参りだけ済まして

大日寺へ向かおう。

そして明日ここへ車で寄ってもらって

納経をすればいいと考えた。

童学寺への道を折れると、間もなく大将は

やって来た。

あたかも正義の味方の月光仮面のように。

私は納経帳を受け取った。

大将は夫婦に振り回されたのだろうか。

しかし私はみじんも腹を立てていない。

私のことが後回しになるということは、

大将が私を信頼しているからだと善意に

解釈しているのだ。

○○さんなら怒ったりしないだろうと。

12時30分童学寺到着。

 

 

ここは2年前に本堂他を焼失する大火事に

逢ったのだそうです。

仮本堂の太子堂をお参りする。

やはり仮設の納経所で納経を済ませる。

納経所の人は2時間もあれば大日寺に着く

と言う。

時刻は13時少し前だ。

何としても今日中に観音寺までは打って

おきたいと、先を急ぐ。

雨は止んでいるがポンチョは着た。

今日はここまで降ったり止んだりを繰り

返している。

そして晴れるたびに、もう今日は雨はない

だろうというくらいの快晴になっている。

今日の天気には何度も騙されているのだ。

また犬の吠えた辺りにさしかかった。

最初の犬に吠えられたから、連鎖反応で

全部が吠え出したのだ。

何故吠えられたのだ。

きっと杖のカチカチと言う音が耳障りだった

のじゃないかな。

そんな訳で、杖は手に持って、忍び足で

歩いた。

すると犬は全く鳴かなかった。

どうだい、私はボーっと生きてないぞ。

歯の辻あたりから123号線に入り、入田春

日橋を渡る。

コンビニでサンドイッチと缶コーヒーを買い

大日寺に着いたのは15時少し前だった。

腹ペコだったのでまずはサンドイッチを

コーヒーで流し込む。

然る後にお参りをして納経所へ行く。

宿坊のことを少し訊く。

団体さんが主で、個人はあまり歓迎されて

いないような口ぶりだった。

団体さんも観光客ではなく信者の団体さん

と言う感じだった。

ま、近所に旅館も沢山あるのでいいですけどね。

大日寺を出るとまた激しく雨が降り出した。

手袋が落ちていた。

見覚えのある、黄色のツブツブの滑り止めの

付いた軍手だ。

これは紛れもなく民宿富士の軍手である。

夫婦のどちらかが落として行ったものだろう。

私は拾ってポケットに入れた。

一の宮橋を渡り500mほど行って、207号線

から左折し、すぐに右の方へ行く道を選ぶ。

しかしどこにも遍路シールはない。

道なりに行き突き当たりを左に曲がり

進むと通りかかった人がここから右へ

上がって行くのですよと教えてくれた。

言われなければ前回同様もう一つ向こうの

辻から右折していただろう。

お大師様有難うございます。

こうしてだんだんとお遍路のベテランに

なって行くのですね。

常楽寺に着くころにはすっかり晴れていた。

境内には沢山の猫がいた。

縁側には3年半前に逢った「雪ちゃん」もいた。

私は縁側に座り、雪ちゃんを膝に乗せ

撫で回した。

 

 

お参りを済ませ納経所へ行き、猫が一杯

ですねと言うとみんな近所の猫ですよ、雨が

降ったもんだから軒下に集まって来た

んですよと納経所の人は言った。

それにしてもこの常楽寺は私にとっては1番

思い出深い寺である。

パニック障害が起きたのも、血だらけのレスラー

事件も、車いすの女の子を連れた夫婦に逢った

のもこの寺だった。

その後国分寺、観音寺と廻り納経を終えると

16時40分だった。

公衆電話がなかったので納経所の人に富士まで

電話をしてもらい迎えに来てもらうことにした。

私は納経所の前で佇んでいた。

やがて17時を迎え、本日の納経は終わった。

その直後一人のお遍路さんが駆け込んできた。

まさに駆け込み寺だ。

こういう場合厳しいお寺では納経を拒否される

と聞いたが、ここではやってくれた。

お寺の人が賽銭の回収を始めた。

賽銭箱の底は引き出しになっていて、布が敷いて

ありごそっとまとめて袋に入れられるように

なっていた。

なにか生々しいものを見てしまったような

気がした。

少したってから大将はやって来た。

192号線を通りいつものスーパーでビールと

夕朝食を買い宿に戻った。

今日は富士で最後の日となる。

一杯やりながら、大将から借りた黄色い本の

巻末の宿一覧表の評価のコピーを始めた。

以前コピーした本は種間寺の電話ボックスに

忘れたからだ。

自分の泊まった宿の評価は特によく見た。

民宿くももは○○◎、いやしの宿八丁坂は

◎◎◎◎○、民宿みよしは○、ビジネス旅館

小松は◎◎△△△、宿坊では仙遊寺◎◎○、

最御崎寺は◎○、安楽寺は○と評価はほぼ

正しいと私は思った。

一通りコピーを終えると、テレビを点けた。

元号は令和と決まったらしい。

日本中が大騒ぎをしている。

たかが元号が変わっただけじゃないか。

何も変わりはしないんだよ。

こんな事で大喜びしている日本人て、あんまり

幸せじゃないんだろうね。

他に心底喜べるような事がないんだろうね。

ビールを飲み終わり寝る。

大将のお母さんのお接待の「味噌汁」と「白和え」

は美味しかった。

特に味噌汁の味は絶妙なおふくろの味だった。

それにお母さんはとても若く見えて、大将の

奥さんかと思った。

きっとこれも乳酸のお蔭だと思う。

これって決してエイプリルフールじゃ

ありませんからね。

本日の歩行距離35,10km。

 

4月2日

おにぎりを食べ終わると、私は土間のロビ

ーに向かった。

このロビー、おそらくお遍路さん同士が

夕食をともにし談笑をする意図をもって

設けられたものだと思う。

しかし素泊まりの宿なので、皆部屋に籠って

出て来ない。

まだ私は一度もここでお遍路談義をしな

がら酒を酌み交わすシーンを見たことがない。

そういう意味では出会いを楽しみにやって来る

お遍路さんには不向きな宿かも知れない。

しかし同じ行程を進む場合、車内その他で

それは挽回できるかもしれない。

現に昨日は鍋岩から植村旅館まで夫婦とは

十分な会話を楽しんだ。

すぐにその夫婦もやって来た。

今日は何時のスタートなんですかと訊くと

6時半だと言う。

焼山寺の時はやや早いスタートだったが、

民宿富士は基本的には6時半の出発だと

思っておけばよい。

荷物をトランクに積み、いざ出発だ。

大将は今後の予定を私に訊いた。

今日は「鮒の里」明日は「鶴風亭」に荷物を

預け慈眼寺まで行って帰って来るつもりだ

と話した。

大将は「ふれあいの里さかもと」を盛んに

薦めるが、鶴林寺に近い方が平等寺にも

早く達すると拒否をした。

何かある度に大将の口から「ふれあいの里

さかもと」の名が出て来る。

余程親しい人がやっているんでしょうね。

しかし、鮒の里には気を付けるんですよと

大将が言う。

何ですかと私が訊く。

あそこは客が多い時はプレハブの横屋に

泊らされる。

部屋にエアコンもテレビもなく、夏冬はドアを

開けて隣の部屋(テレビの置いてある部屋)の

エアコンを利用するしかないのだ。

私は大将の言葉を他人事のように聞いていた。

一方、夫婦は富士にもう一泊つまり全部で

6泊するようで今日は徳島ラーメンを食べて

どこかのコンビニあたりで終わると言っていた。

前回も6泊した女性がいたが、その人は

立江寺まで打って鴨島までJRで帰っていた。

きっとこの辺りで宿が取れなかったので

しょうね。

このように民宿富士は現在泊っている人に

優先権があるので宿が取れなければ何泊

でも出来る利点があるのです。

それにお遍路の順番を変えることも出来る

のです。

例えば雨の焼山寺は嫌だと思えば、鍋岩

から井戸寺に予定を変更し、晴れた日に

焼山寺に登ればいいんです。

なんか私、富士の宣伝ばかりしているな。

そうこうするうちに観音寺の駐車場に

着いた。

荷物を降ろし、私は大将に言った。

来年は閏年、逆打ちしますから11月頃

またお世話になります。

すると大将は、逆打ちは良くないことが

起こる、お大師様だって一度も逆打ちした

ことはない、やめたほうがいいと言った。

時々迷信ぽいことを言うのが玉に瑕の

大将である。

根拠のないことだから断じて私はやる。

大将と夫婦に別れを告げ私は井戸寺を

目指した。

192号線を東に向かう。

3つ目の信号から左折し、すぐに右折し、

井戸寺への道標のある所から左折して

井戸寺に着いた。

お参りを済ませ、境内の公衆電話から

姉に近況報告の電話をする。

つづいて「鮒の里」の予約をとる。

部屋は空いていた。

現在8時05分、立江寺に17時までに

着けばいいのだから楽勝である。

お遍路と言うのは毎日がハードスケ

ジュールだとバテる。

時々、こういう少なめの日もこしらえて

おかないと体がもたない。

路線バスの道を歩いて30号線に出る。

右には並行して192号線が走っている

ので、右折すればいつでも国道に出られる。

ファミマの辺りから右折し、藏本駅の

横を通り国道に出る。

そのまま突き進めばへんろ道に出られ

るが街中の風景を楽しみながら歩く。

それにしても私が初めてお遍路のガイ

ドブックを読んだ時、17番から18番へ

歩く人がいるなんて信じられなかった。

それが今では、今日は楽勝のコースだ

なんて言ってるのだから変われば変わ

るもんです。

ご利益ですよね。

23番~24番、37番~38番、43番~44番

を経験した人ならまさに楽勝ですよね。

途中の信号から右折し、赤い線のへんろ道

に入る。

更に136号線を右折し、眉山ロープウェイ

乗り場の前を通り、JR二軒屋駅を過ぎた辺

りから左折し55号線に合流南下する。

後は道なりなので、黄色い本はバッグに

しまう。

55号線はやけに橋の多い通りだ。

ついでに車の交通量も多い。

いやここに限らず、徳島の幹線道路はどこ

でも交通量は多い。

それは山が多く、道路が少ないからだと

私は思っている。

時刻は11時、腹が減って来たので早めの

飯にしようと飲食店を捜しながら歩く。

ところが飲食店は向かって左側ばかりに

あった。

恩山寺が右側だからと右側通行ににした

のがいけなかった。

道路は片側二車線で中央分離帯もある。

おまけに信号は滅多にない

お腹の虫も私も泣けて来る。

やがて反対側を歩くお遍路さんを発見。

しかしお遍路さんは素通りを続ける。

よく見ると定休日とか準備中の立札

ばかりである。

つまり今日は火曜日で徳島の飲食店の

多くは定休日だったのです。

左に行かないで良かったと思った。

しかし火曜日以外はここらを昼頃歩く

人は左側を通った方がいいですよ。

定休日とはいえ、どこかやってる店

は必ずあるもんで、チキンカレーの

専門店が現われた。

この先に飲食店があるという保証はどこ

にもない。

私は迷わず飛び込んだ。

インド(だと思う)の人が営む店だった。

きっと飲食店の組合に入っていないのだ。

私はメニューを見てもよくわからないので

レカメンドと言って薦めてくれたものを

頼んだ。

味はカレーの味がした。

カレーは美味しい食べ物だから美味しい

としか言いようがない。

まずいカレーなんて食べたことがない。

だから私に出来るコメントはそれしかない。

12時が少し前だった。

これから昼休みだし、他店が定休日だから

混みだすぞと756円を支払って早目に店を出た。

ご飯もたっぷりとあったので腹も太った。

しばらく行って橋を渡ったところに徳島ラ

ーメンの店があった。

アチャー、スマホがあったらこんなことには

ならなかっただろうにね。

でも私は絶対に持ちませんよ。

カレーも美味しかったんだからそれで

いいじゃん。

途中で休憩所があった。

小休止をした。

 

 

缶コーヒーの空が置いてあった。

お遍路さんの中にも心無い人は

いるものだ。

私は缶をバッグに入れた。

いいですか、缶を置いて行く人も、それを

片付けない人も同罪なのですよ。

なんて言う私も普段は片付けないけど、

今日はバッグを持っているから片付けます。

やがて小松島警察署を過ぎ、芝生川橋を

過ぎ、右へのへんろ道が待っている。

恩山寺前のバス停から右の恩山寺への道を

登る。

いつもは山門から山道を登るが今回

は車道を通る。

この方が距離は長いが楽である。

牛舎が見えた。

お参りを済ませ、納経してもらって境内へ

帰って来ると外国人と日本人が話していた。

外国の人はフランス人で、二人は同じ

「鮒の里」に泊まるので立江寺まで一緒

に行くのだと言う。

が、私は私も今晩は「鮒の里」だとは

言わなかった。

二人は去った。

私は境内のベンチでしばらくのんびりしていた。

たまにはいいもんだね、この余裕。

立江寺までの道を1ヶ所間違えてしまった。

鳥居の所から左に曲がって事なきを得た。

立江橋を渡って、立江商店街を歩いた。

いつかアヤコさんが居た飲食店があった。

よく見るとこの店、ロシア料理店である。

道理で聞いたこともないようなメニューが

並んでいた訳だ。

月曜日が定休日なのに今日も店は閉まって

いた。

潰れたのかも知れないね。

立江寺を打って、鮒の里に着いたのは

4時半だった。

玄関を開けて今朝予約した○○ですと

言うと女将は部屋に案内しますと言う。

私は明日の宿の予約がしたかったので

公衆電話は近くにないですかと訊いた。

女将は、ないけどどこに予約したいと言う

ので鶴風亭だと言うと電話をし携帯を私

に渡した。

鶴風亭は満室だと言う。

それでは「さかもと」と言うとさかもとも

満室ですと言うので富士の大将の名を

出すと、最近出来た民宿「みかんの宿」という

のがありますがそこに当たってみたらと言う。

みたび女将に電話をしてもらうと、「みかんの宿」

は満室ですがとお先真っ暗な返答。

が私は、この最後の「が」と言う否定接続詞

に一縷の望みを託した。

「が、居間でよかったら空いてますけど」

と女将らしき人は言った。

背に腹は代えられないので私はそれで

了承した。

女将は部屋に案内しますと玄関を開けた。

ちょっと待て、玄関を開けるとはこれは

一体どういうことだ、私は母屋に泊まれ

ないのか。

不安が心をよぎった。

女将はプレハブの横屋のドアを開けた。

不安は見事に的中した。

競馬は少しも当たらないのに。

部屋は三畳くらいのが二つ、エアコンも

テレビもない。

横の、憩いの間というような所に小さな

テレビとエアコンがあった。

大将の言ってることと寸分の狂いもない。

これで料金は母屋と同じ7000円。

これじゃぼったくりじゃないかよと嘆く。

風呂と洗濯場に案内される。

風呂は簀子のような所で体を洗い、隣に

あるシャワー室には風呂場を通って行く。

まったく劣悪な設備である。

つべこべ言っても仕方ないので、風呂に入り

洗濯を始める。

やがて夕食が始まる。

今日の泊り客は男が6人、すべてお遍路さん

である。

ま、このような場所にお遍路さん以外が

泊ることは考えられないが。

しかし料理は美味しかった。

これなら母屋に泊った客には納得できる

料金かも知れない。

でもプレハブに泊まる私には合点がいかない。

我々にはテレビもエアコンもないのだから

公平を期すために母屋のテレビもエアコン

も取っ払えと言ってやりたくなる。

皆さん、私の言ってること本気にしないで

下さいよ。

あくまでも皆さんを笑わすためのギャグ

なんですから。

私、そんなに小さい男ではありません。

女将さんには明日の予約のために尽力

していただきましたし、洗濯も最初だけ

洗濯物を投入しましたが、後はご主人が

乾燥までして部屋まで持って来てくれました。

テレビなんてあっても見ないし、冬中

エアコンなんて付けたことない私には

そんなものどうでもいいことだし、外の

トイレも私26歳まで実家で経験して

いますのでへっちゃらですし。

何よりもこれだけユニークな宿だから

ブログの材料に事欠きませんし。

悪いことも考えようによっては良く

受け止められる。

これこそが仏の教えなのですよ。

有難うございます、お大師様。

突「ちょっと無理してない?」

ちょっとね。

私はビールを頼んだ。

男ばかりの夕食のなんと味気ないことか。

昔の私の職場を思い出し、心が凍り付きそ

うになった。

話題はお遍路の宿から、やがて源義経が出て

来て静御前が出て来て佐伯善通が出て来て

小難しい話になって来た。

面白くないので早めに退席し、部屋に戻った。

途中の自動販売機で買って来たスーパード

ライを飲みながら明日の予定を立てた。

この辺りではビールを自動販売機で売ってる

んですよ。

我々の地域では考えられないことです。

まず「みかんの宿」に寄って荷物を置かせ

てもらおう。

きっと所在地は同業者が知ってるはず

だから「鶴風亭」によって教えてもらおう。

慈眼寺まで行って帰って来ると15時

くらいかな。

それにしても居間とは、足元を見られたな。

どんな陰険な女将が現われることやら。

ビールを飲み終わり私は眠りに陥った。

本日の歩行距離それでも30,16km。

 

4月3日

5時に宿の人が食事ですよと呼びに来た。

玄関を開けてスリッパを脱ぎ食卓に座る。

この宿に来て、何度この玄関を開けたこと

だろう。

朝もそこそこの食事だ。

すでに二人の人が食事を始めていた。

ここから平等寺まで打とうとするなら早く

旅立たなければ無理である。

何人かの人は、宿の車で生名まで送って

もらうとは言ってたが。

フランス人と一緒にいた丸顔の人もいた。

この人曰く、良い宿は玄関に杖を洗う

ための水が用意されていると言った。

果たして彼は用意してなかったこの宿を

どう評価したのだろうか。

私はこの人にブログのことを伝えた。

サイト名で検索しても絶対出て来ないので

ドメイン名でお願いしますと言うと、それは

何か根本的に設定が間違っているような気

がすると言った。

宿賃を払い宿帳に名を書くと、夫婦の名が

あった。

どうやらこの夫婦、私が去った後にやって来

たらしい。

急いでプレハブに戻り出発した。

5時半であった。

ま、一番悪いのは当日予約という横着をした

私だ。

しかし宿もプレハブの横屋ですがいいですか

と念を押さなかったのはトラブルの原因

になるかも知れない。

突「もしそう言われてたらどうしてます」

きっと私なら構いませんよと言うだろう。

宿坊じゃ朝のお勤めがあって、とても慈眼寺

まで行って帰って来られない。

しかしそれが気に入らない人は、「プレハブで

ない部屋」と断って予約した方がいいですよ。

ひょっとしたら宿は客を見てから部屋を

決めているかも知れないから。

28号線のへんろ道を進む。

もう4月だ、世間は明るい。

何もないが、わかり易い道をひたすら歩く。

法泉寺の無料宿が見えて来た。

すぐ近くには屋根付きのバス停もある。

この無料宿からあぶれた人は多分ここに

泊るんでしょうね。

やがて22号線と交わり右へ行く。

色んな道が誘惑して来るがあくまでも

22号線を貫き通し、勝浦橋方面から

やって来る16号線と合流する。

その手前にもへんろ小屋のようなものが

あった。

なぜ私がこのようなものにこだわるのか

と言えば、どうしても宿がない場合には

利用することも考慮しているからだ。

16号線に入ると電話ボックスがあった。

早目に明日の宿がとりたくて予約を入れた。

宿はパンダヤ、やはり新しく出来た民宿

で富士の大将もお薦めの宿だ。

予約は取れた。

これで今日明日の宿の心配をせずに歩ける。

「ふれあいの里さかもと」の看板がある。

以前見た時は電話してくれれば車で送迎

しますと書いてあったような気がするが

、今はなくなっている。

私の見間違いだったのか、宿の方針転換

なのか。

読者ならどう見る。

生比奈の道の駅が見えて来た。

次の信号を左折して旧街道へと入る。

以前泊った鶴風亭に寄り、呼び鈴を

四度押したが返事がなかった。

こうなったら直接みかんの宿へ行くし

かない、確か宿の人は歩きでも車でも

通る道だと言ってたので車道(283号線)の

入り口のスズキの整備工場で道を訊いた。

集会所の白い建物を過ぎた辺りの左側に

それはあった。

うっかりすると見逃すかも知れないから

気を付けて下さい。

玄関まで行く。

奇しくも苗字は大将と同じである。

私は郵便配達よりも多い、三度のベルを

鳴らした。

その都度家人は返事をするが、一向に出て

来る気配がない。

仕方なく立ち去ろうと玄関が視野から消える

所まで来た時家人は出て来た。

私は玄関まで戻った。

玄関に座っていると女将らしき人が来た。

居間に通され、リュックを置いて慈眼寺

へ向かった。

15時くらいには帰れるだろうと女将に

告げて。

8時40分だった。

16号線に合流して西へ進む。

橋の手前に交番があったので慈眼寺への

道を尋ねる。

おまわりさんは車で行く道を教えてくれた。

多分、へんろ道は知らないのだ。

人の好さそうなおまわりさんで、とても

楽しかった。

橋を渡ると道は二手に分かれていた。

酒屋さんに来ていた運送屋さんに訊くと

よくわからないというので16号線を進む。

しばらく行くと橋があり、渡ってへんろ

道に入る。

道沿いに家が並ぶ。

今にも倒れそうな廃屋も結構ある。

坂本大師堂あたりから坂道はきつくなり

本格的な山道に入って行く。

所々にコンクリートの道も現れる。

再び山道に入った所に無料宿があった。

 

 

恐る恐る中に入る。

畳があり、電灯もある。

布団も二人用あり、そこそこの設備はある。

しかし電灯は点かなかった。

コンセントもあるが電気は来てないみたいだ。

落書帳があり最後に記されたのは外国人で

今年の1月4日、こんな宿を提供して下さって

感謝してますと英語で書かれていた。

どちらも薄気味悪い宿ではあるが柳水庵と、

ここと、どちらかに泊まらなければ死刑だと

言われたら私なら柳水庵を選ぶだろう。

けもの道を行く。

タケノコが頭を出している。

やがて私は恐ろしい鳴き声を聞いた。

ガーガーと、文字にするとそんな音を出す

生き物の声だ。

ブタによく似ているが山奥だ、近所に豚

小屋などない。

ブタの親戚と言えば何だ、そうだ猪だ。

近所に猪がいるのだ。

額から汗が出て、私の体はこわばった。

このままでは猪突猛進されて私はけもの道

から滑落し死ぬかも知れない。

猪相手だけに姉も損害賠償も請求出来ない。

いや姉のことだから、へんろ道保存協力会を

相手取って訴訟を起こすかも知れない。

そんな馬鹿なことを考えながら、抜き足差

し足でその場を逃れる。

すぐに車道に出る。

右に上がって行く。

まだ猪の声がする。

後はアスファルトの道がお寺まで続く。

12時35分慈眼寺到着。

 

境内

境内から見た眼下

 

お参りを済ませ、境内で宿のおにぎりを

頬張る。

帰り間際、もう一度納経所へ寄り、猪の

件を話す。

あの辺りに豚小屋はないし、猪に襲われた

という話も聞いたことがないと納経所の人

は言う。

そこへお寺さんが現われ、それは罠にかかった

猪ではないかな、いずれにしても気を付けて

帰って下さいよ言うことでチョンとなった。

13時、下山を開始、来た道を引き返す。

再び例の場所を通りかかった時、猪は鳴い

ていた。

どちらかと言うとそれはお寺さんの言う通り

悲鳴に近いものだった。

同じ所で真昼間少しも移動せずに、猪が

鳴いている。

罠にかかった猪みたい いやだわあなた牡丹鍋♬

しかし、この猪、巣に帰れば10頭の

うり坊が待っているかも知れない。

それを考えると切なくなってしまいますね。

途中で慈眼寺へ向かうお遍路さんと遭遇する。

この先に猪の声が聞こえますが、罠にかかって

いるから大丈夫ですよと教えてあげた。

川の北側を酒屋の所まで歩く。

途中にとてもきれいに花を飾ってる家が

あった。

 

 

家の人が表に出ていれば是非ともお話が

したかったが姿は見えなかった。

16時半みかんの宿に帰る。

予定よりも遅くなってしまった。

黄色い本では慈眼寺まで7,8kmとなってい

るがもっとあると思う。

ごちゃごちゃとした山道なので実際には

計測していないだろう。

10kmはあると見た。

居間にあがると女の子が寝そべってテレビを

見ていた。

朝見た男性もいた。

ある家庭の日常の中に私が入って行った

という感じである。

なんかえらい所へ来てしまったと少し

後悔をした。

私は買って来たスーパードライを飲み始めた。

やがて女の子たちも男性も居間から消えた。

女将はみかんと、つまみのちりめんじゃこ

のようなものを持って来た。

女将は姉と同い年だと言った。

随分若く見えますねと言うと喜んでいた。

決しておだてたわけではない。

私はインディアンと同じで嘘はつかない。

男性は兄で女の子はその孫だと教えてくれた。

現在女将は1人暮らしで、娘の建てた家に

居住していると言った。

娘は東京に住んでいて月に2回は帰って来

るらしい。

飛行機で一時間、むしろ空港から家までの

方が時間がかかるらしい。

風呂が沸いたので入る。

久し振りに頭も洗う。

風呂も家もまだ新しくきれいだ。

居間に戻ると女将は夕食の支度をしている。

 

居間です 立派なテレビ

 

居間の隣が台所となっている。

本当はこの間は衛生法により戸を設置しな

ければいけないことになっているらしいが

まだつけてない。

このブログ保健所の人は読んでないだろうな。

そのため私は夕食を作る女将と話が出来る。

もう一人の客は部屋にいるが、私は居間で

よかったと気持ちが変わって来た。

夕食を作る女将さんだから、言ってみれば

ディナーショーみたいなのものだ。

夕食が始まった。

部屋の人は横浜の人だが、出身は愛知県の

蒲郡市だと言った。

あの蒲郡競艇の、竹島水族館の、第51代横綱

玉ノ海の蒲郡である。

彼は71歳まで働き続け、やっと仕事から

解放されたのでお遍路にやって来たと言っ

ていた。

焼山寺は坂道がきつく救急車のお世話に

ならないといけないかと思うほど苦しかった。。

それでも何とか12時間かけて登ったと言った。

でも救急車は山の中まで救出しに来てくれま

せんよ、道まで出て来て下さいと言いますか

らねと私は釘を刺した。

彼は今でも中日ドラゴンズを応援しているし

今回の東邦高校の優勝もとても嬉しかったと

言った。

穏やかなジェントルマンであった。

夕食が終わり彼は部屋に戻って行った。

私は引き続き女将と話した。

この宿は3月半ばにオープンしたばかり

なのだそうだ。

部屋は一つなので基本的には一部屋しか泊まれ

ないが、居間でもいいからと困ってる人が

いれば泊めるとのこと。

中には廊下でもいいからと言う人もいるが

さすがにそれは断っているらしい。

ただし部屋が男性で居間が女性の場合は、

居間は断るのだそうだ。

何かあったら大変ですものね。

それが目的で来てるような若いお遍路さんも

いるそうですからね。

明日は用事があるので宿泊は断ったと

言っていた。

忙しくて満足な対応が出来ないと申し訳ない

のでお断りすると言うことだ。

恩山寺の芝生町は甥の嫁の出身地ですよ

と言うと女将も次女が芝生町に嫁に

行きましたと言った。

なにかやはり縁があるのですね。

女将は後片付けが終わると、娘の家に戻って

行った。

私も布団を敷いて速やかに眠りに就いた。

本日の歩行距離39,50km。

 

4月4日

新しい朝が来た、希望の朝だ。

別に私はラジオ体操をやろうとしている

のではない。

5時に起きて布団をたたんだ。

そして寝間着から私服に着替えた。

テレビを点け、いつものように天気予報

を見る。

徳島の気温3,7℃、豊田市のそれはマイナス

0,3℃だった。

4月にしてはここのところ低い気温が

続いている。

しかし高い山を沢山登る今回のお遍路

には有難い天気である。

すぐに女将も起きて来た。

早いんですねと女将が言う。

早寝早起きなんですと私が言う。

少なからず民宿と言うものに関心の

ある私は、そのいきさつから認可に

至るまでの経緯を女将に訊いた。

娘が将来のためにと敷地に家を建てた。

そして私がそこに住み、母屋が空いた。

そこでかねてから民宿をやってみたいと

いう希望もあったし民泊の規制も緩められた

ので始めることにした。

でも規制緩和といっても結構厳しい条件

をクリアーしなければならない。

例えば火事が起きた時の避難経路だとか、

一階は良かったんだけど二階はそれで

ひっかかって使えなくなったんです。

他にも台所には手洗いの蛇口だとか、手摺り

だとか、客以外に管理人が寝泊まりしなけ

ればいけないので夜は近くの兄がやって来る。

兎に角役所には行くたびに1つ、いちゃもんを

つけられ、その都度足繫く通い、何とか

認可をいただいたと女将はうんざりした

顔で言った。

すいません、うんざりした顔と言うのは

私の付け足しです。

そりゃそうでしょうね、そんなに簡単に

出来るのなら誰でも民宿やってますよ

ねと私は言った。

部屋の人もやって来て朝食となった。

昼食のおにぎりとペットボトルの水も

置いてある。

食事が終わり、私はブログのことを女将に

告げた。

ギャグ満載ですからねと言うと女将は

ギャグ大好き、だってわたし若い時

吉本新喜劇に行きたかったくらいだ

ものと言った。

なにか、女将をやるために生まれて来た

ような人だった。

私はとても好きなタイプだ。

向こうはどう思ってるか知らないが。

また次もここに泊まりますと言って

私は宿を出た。

もし先客があったら、大事なお客さんが

来たからあんた達出てってと、客もリュ

ックも表にほかして下さい。

突「そんな事したら新聞に載りますよ」

単なる吉本ギャグでんがな。

ちゃんと予約して行きます。

6時半であった。

「みかんの宿」のキャッチコピーを

考えてみました。

「泊るなら、居間でしょ」

電話番号090-1324-8952

秋には、ミカン狩りという農業体験

も出来ます。

読者は、このブログを読んで知り

ましたと女将に言って下さい。

女将は、それが何か、と冷たく言い放ち

ますが、それも吉本ギャグです。

翌日の朝食に焼きのりが1枚サービス

に付きます。

突「しょぼ」

それだけではありません、昼食の茹で卵

が一般客の「中」に対して「大」となります。

突「どうやって見分けるんだ」

卵の殻にマジックで「大」と書いてあります。

突「ハラホロヒレハレ、キャイーンキャイン」

舗装路の急坂を登っていく。

外国のおばさんが二人休んでいた。

私はモーニンと挨拶をし追い抜いて行く。

途中に鶴林寺の名が入った杖が置いてあった。

私は二刀流で行くことにした。

一本の杖がすべっても、もう一本で支えら

れるので安心である。

2人連れの若いスリムな方に追い抜かれる。

やがて太った人にも抜かれる。

どこから来たと訊くとニュージーランド

だと言う。

この前のテロは大変でしたねと言おうと

したが気の利いた言葉が思い浮かばない。

そのうち向こうがどこから来たと言う

のでTOYOTAと答えた。

これだけでは理解できないかと、オートモ

ビールという言葉を付け足すと彼女も

頷いた。

水呑大師まで来たところで小休止。

私の感覚では鶴林寺はここまでがきつい

と思う。

それでもきつい坂道を登って行く。

何度か車道を横切って7時50分境内に

到着する。

納経所の人が車でやって来る。

そう言えばみかんの宿の女将も以前

鶴林寺の納経所で働いていたと言ってた。

すると達筆なんですねと私が言うと、

あんなものくずした文字だから誰にも

わかりませんと言った。

杖を置く場所で、私この前平等寺まで

この杖持って行ってしまったんですよ

と言うと名前があるので大丈夫ですよ

と意に介さない。

本堂までの長い階段を登り、お参りを

済ませ降りて来た。

やはり山寺の境内は狭い。

納経を済ませ境内から右へのへんろ道を

降りて行く。

ここの下りはかなり辛い。

階段が高いので短足の私は、股関節

脱臼を起こしそうである。

またしても若い方が私を追い抜いて行く。

外国人は足が長いから楽だろうと、

よく見ていると、何と彼女は高い階段

は横向きに降りていた。

なるほどこれなら前に滑落して行く

危険性はかなり減る。

おまけに楽であることも知った。

車道まで降りると外国人は休憩をしていた。

もう少し行けば休憩所があるというのに

と思いながら私は追い抜いて行く。

休憩所で休んでいると、二人の外国人は

また追い抜いて行った。

抜きつ抜かれつである。

しかし向こうの方が荷は重い。

10kgくらいはあるかと思う。

ま、遠い所から来ているので荷は重く

なるのでしょうね。

誰かが言ってた。

荷の多さは煩悩の多さだ。

衣類はパンツは2枚いるがそれ以外は

1着で良いと。

洗濯代を惜しまず毎日選択する気に

なればと。

これ前に話しましたかね。

そうすれば野宿を余儀なくされた時の

寝袋と蚊取り線香が入れられる。

下山時刻9時10分、しばしの休憩の後

太龍寺に挑む。

地図によると50mの標高からスタートして

いるように見えるがここからかなり

降りて行く。

車がやっと通れるくらいの舗装路が続く。

脱輪事故が多いので危険と立札がある。

他人事ながら、どこで向きを変えるのだ

ろうと心配になって来る。

車道が途絶えてからかなり勾配のきつい

坂となる。

鶴林寺よりもきついのは確かである。

休み休み上り駐車場からの道に合流

したのは10時50分であった。

しかし舗装路、階段とまだ坂道は続く。

掟破りだとは知りつつ納経所に入り

納経を済ませる。

そして階段を登り、太子堂、本堂と

お参りしロープウェイ乗り場への階段を

降りる。

正しいルートとしては納経所の辺りから

この階段へ回り、本堂、太子堂、納経所

へと行くことになっている。

ロープウェイ乗り場の前のベンチで

おにぎりをパクつく。

茹で卵もある。

我々団塊の世代の遠足と言えば、茹で卵と

言うのは定番であった。

そうですよね、女将さん。

11時50分、舎心ヶ嶽経由阿瀬比行きの

ルートを行く。

途中に一番から八十八番までの札所の

石像がある。

これを拝めば八十八ヶ所結願と同じだけ

のご利益があるのだ。

体の弱い人、時間のない人、お金のない

人はこれで済ませている。

やはり八十八ヶ所、歩いて廻れる人は

それだけ幸せなのである。

舎心ヶ嶽にやって来た。

お大師様は高野山を見つめているので

後頭部しか見えないが写真を撮る。

 

しゃしんヶ嶽である

 

決して親爺ギャグではない。

お大師様、八十八ヶ所歩いて廻れる

幸せを有難うございますと感謝する。

山道を行く。

午後2時を過ぎたら、危険ですので

通らないで下さいと断り書きがある。

ここも鶴林寺とは違った危険な下り坂

がある。

鶴林寺は階段が高く、太龍寺は滑りやすい

急激なスロープがある。

その他にも、落ちている木の枝を片足で

踏みつけ、もう片方でその枝に躓く。

地表に浮いてる小さな根にひっかかる。

雨で濡れてる大きな根で滑る。

落葉で滑る、など山道は危険がいっぱい

なのである。

阿瀬比ルートも終わりに差し掛かると

滑りやすい下りが待っている。

2本の杖でゆっくりと慎重に降りる。

平坦な道に出る。

もうすぐ

阿瀬比である。

珍しい花があったので写真に撮る。

 

 

阿瀬比のへんろ小屋に着くと15時だった。

鶴林寺の名が刻まれた杖が数本

置いてあった。

落書帳があったが鍵のかけたケースの

中にあり鍵はなかった。

大根峠を抜ける。

ここの坂もなかなか侮りがたかった。

大根の遍路小屋に寄り、鶴林寺の

杖を置いて行く。

来年は逆打ちの年になる。

きっと鶴林寺までこの杖は戻って行く

ことになるであろう。

16時、平等寺到着。

お参りを済ませ、納経所に寄り。パンダヤへ

迎えの電話を入れる。

最近私は他人の携帯をチャッカリ利用する

要領の良さを身に付けた。

10分もすると迎えの車は来た。

宿まではすぐだった。

ご主人はもう一度平等寺までの道を走った。

明日の朝のへんろ道までのルートを教えるために。

簡単な道だった。

もう一度宿へ戻った。

 

 

2階の洋間に通された。

畳の部屋にベッドが置いてあるだけ。

これを果たして洋間と言えるのだろうか。

でもご主人は洋間と言う。

郷に入れば郷に従わなければいけない。

テレビもみかんの宿の1/50くらいの画面

だった。

風呂とトイレの案内をされた。

風呂もトイレも1階にしかなかった。

私の予約は最後の方であることがおぼろ

げながらも分かった。

きちっと予約をとってからの旅が一番

ではあるが、それではドラマチックな

ブログは出来ない。

今後も極力予約はしないぞと心に誓った。

夕食になった。

客は私を含め男5人だった。

おいおい地球上には雄しかいないのかよ。

これでこの旅、宿で出会った人の性別は

男性14名女性4名で女性は全て夫婦の

婦であった。

ひょっとしたら1年で一番悪い日に

私はデビューをしてしまったかも知れない。

翌日が一番いい日だったりして。

スーパードライの500と350を飲んでる

うちにおかずがなくなった。

でもお代わりのおでんならいくらでも

あった。

ほろ酔い気分で2階へ戻る。

階段に手摺があった。

ここも最近出来た民宿である。

きっとこの手摺りも設置を義務付けら

れたに違いない。

今日は疲れた。

焼山寺一山登るコースよりも、鶴林寺、

太龍寺、大根峠のこのコースの方が

ハードであると私は思う。

今回の予定は室戸岬まで考えていたが、

ダミッジが残らない腹八分の日和佐で

終止符を打とうと思った。

ベッドに入るとあっと言う間に夢の

中へ吸い込まれて行った。

本日の歩行距離25,39km。

 

4月5日

5時に起きる。

夕べは21時に眠り一度も目が覚めなかった。

やはり疲労こそは最高の睡眠薬である。

使用済みの衣類を袋に詰め、洗濯済みの

シャツを着る。

今日が最後になるのでもう洗濯の心配は

しなくていい。

きれいに身支度を整え、いつでも旅立てる

ようにして食堂に向かう。

食堂には昨日より1人少ない3人がいた。

既に一人は午前3時に旅立ったらしい。

テレビではゴーン被告の再逮捕を伝えていた。

お金持ちなのにどこまで欲の深い男だろう。

1人が言った。

食っていくお金があれば充分だろが。

私が言った。

僕なんかお遍路に来て贅沢しても、せいぜい

1日一万円ですよ。

誰かが言った。

結局心の貧しい男なんでしょうね。

初めて発言する人が結論を下した。

23番を打って名古屋へ帰ります。

私がそう言うと主人は時刻表を調べに

行った。

確か、日和佐の駅にはお土産売ってま

すよねと女将に訊いた。

売ってますよと言う。

やがて主人がメモ用紙を持って帰って来た。

12時38分日和佐発14時11分徳島着

14時27分徳島発うずしお15時31分高松着

15時40分高松発マリンライナー16時32分岡山着

なんとか今日中に家まで帰れるな、と

メモ用紙を見ながら私が言うと、静岡の人も

それなら私も帰ろうと言い出した。

鶴林寺の水呑大師で逢い、その後も何度も

逢った人だ。

この時刻表を見て、完全に私の気持ちは固まった。

先程まではまだ牟岐駅までは行こうという

未練が少しはあったのだが。

朝食を少し残し私は2階に戻った。

逆流性食道炎の私はあまり食べると、歩いて

いて吐きそうになるので申し訳ないとは

思うが残した。

勘弁して下され。

6時半宿を出た。

鳥居をくぐって通りに出た。

何か釈然としないものが心に残っている。

そうだ宿泊料金を忘れてる、と気付き宿に

引き返した。

静岡の人は黙って行っちゃえばいいのに

と笑った。

再びへんろ道へと進む。

昨日食事が終わった時点で清算すれば

いいものを、やらなかったからこういう

間違いは起きるのだ。

多分、明日から主人は改めるだろう。

それにしても気が付いたから良かったも

のの、引き返せない地点まで行って

たら私はどうしていただろうか。

きっと家まで帰ってパンダヤに電話をし、

現金書留で送っていただろう。

道を東に進む。

郵便局の前を通り、銀行の前を通り

へんろ道との交差点を右に曲がり

へんろ道に入る。

交差点とは言え、信号はない。

事故多しの貼り紙のある電柱が目印だ。

284号線を進む。

怪我をしたうり坊のいた通りだ。

もうこの辺りでは田植えが終わっていた。

 

 

我が地方よりも1ヶ月も早い。

少しだけ山道を登って国道55号線に出る。

通りが少ないので左側の歩道に渡る。

 

 

鉦打のトンネルを抜け、へんろ小屋で

しばしの休憩をする。

静岡の人がやって来た。

なんとか12時38分に乗れれば今日中に

家に着くと、彼は休憩もとらずに行って

しまった。

私で20時だから、彼は恐らく24時近くの

帰宅になるであろう。

東海道線は遅くまでやってますからね。

私も後を追いかける。

が、見る見る間に彼の姿は小さくなっていく。

平等寺からの距離約20km、6時半の出発

だから、余程のヘマをしない限りは間に合う

だろうと机上の計算をしながら歩く。

相変わらず、コンビニも、ガスステーション

も自販機もない襟裳の春のような通りだ。

トンネルもいくつかあったが歩道は設置

されていない。

車がほとんど通らないのでそうなったの

だろう。

勿体ない話だ、いっそ麦でも栽培

して土地の有効活用をしたらどうだ。

名前も、穀物の穀道55号線にしたらいいと思う。

さすがの私もこの通りだけは書くことが

なくてお手上げだぜ。

ブロガー泣かせの不毛地帯だぜ。

日和佐街道と交わる。

地図を見ると薬王寺は近い。

2つ目の信号を右に行くと薬王寺である。

11時40分の到着である。

いつものように蝋燭に火をつける。

その火を線香に移す。

賽銭箱に賽銭を入れる。

南無大師遍照金剛と唱える。

いつものお願いをする。

最後に池江璃花子さんの白血病が完治

しますようにと祈願する。

オリンピックには出られなくてもいい、

元気になって生きていくことが一番

大切なことだ。

納経を終えて、駅へと向かう。

売店で名古屋までの乗車券と徳島高松間と

新幹線の特急券を買う。

13900円であった。

ついでにお土産を買う。

徳島ラーメンと鳴門のタルトだ。

徳島ラーメンを俄かブランド品だと言えば

大将が怒るだろうな。

ま、私も食べてないので何とも言えない。

この次来た時に食べてみます。

いつものようにたこ焼きを買いホーム

へ上がる。

日和佐の蛸が入っているんだと。

突「どうして見分けるの」

きっと蛸に「日和佐」って書いてあるん

じゃない。

山上に城が見えた。

 

 

おばあさんにあれは何という城なんですか

と訊いた。

あれはただの郷土資料館の建物なんですよ

と言った。

私は「日和佐城」かと思ったと言ったら

隣のおじさんが笑った。

あれは城の形をしているが郷土資料館なのだ。

こうして私はお遍路のベテランになって

行くのだ。

16時42分の「のぞみ」に乗れた。

座席は空いていた。

さあ、座って今回の総括に入ろう。

宿泊費42300円 であるような気がする。

運賃29000円 のあたりかな。

納経料7800円 これだけは確か。

賽銭8億4000万円 言うだけならタダや。

ペットボトル代1000円以下 寒かったからな。

その他9000円 今回はスーパードライで

通したからな。

出逢った猫8匹 殆どが常楽寺。

吠えられた犬 無数。

出逢った鳶14羽 テキトー。

ブログを告げた人5人 夫婦を含めて。

出逢った外国人6人 少なかった。

出逢った一人旅の女性お遍路さん0人 この悪い

流れを断ち切るためにも早めに切り上げた。

訪れたお寺

1番ー2番ー3番ー4番ー5番ー別格1番大山寺

ー6番ー7番ー8番ー9番ー10番ー11番ー

12番ー別格2番童学寺ー13番ー14番ー15番

ー16番ー17番ー18番ー19番ー別格3番慈眼寺

ー20番ー21番ー22番ー23番

お世話になった宿

森本屋、民宿富士、鮒の里、みかんの宿、

パンダヤ。

総体的に徳島の宿はお遍路さんを対象に

しているので良い宿が多い。

(夜遅くまでバタバタする客がいない)

使用した鉄道と路線

東海道山陽新幹線、瀬戸大橋線、高徳線、

牟岐線。

名鉄本線、三河線。

総歩行距離 240kmくらい。

やはり別格を入れると想像以上に

きつかったです。

これからは平坦なコースで楽出来ますが、

出逢うお遍路さんが極端に減って来ます。

追い越されるお遍路さんともすれ違う

お遍路さんとも束の間の交流しか

ありません。

その分、海の景色を楽しんで頑張りたい

と思います。

次回はゴールデンウィーク明けに、日和佐

からスタートします。

皆さんもゴールデンウィークにお遍路

なんていかがですか。

車やバイクなら十分結願できますよ。

それでは次回も乞うご期待。

じゃあね!