猫、108寺を歩く。その3

6月9日

朝5時10分に家を出る。

読者の皆さんも既にご存知だとは

思いますが決して家出ではありません。

タイトルの通り今年3回目のお遍路に

いそいそ出掛けて行くのーでーす。

外は雨、ポンチョを使うのも厄介なので

折りたたみ傘をさしていく。

5時35分名鉄BV駅に到着する。

濡れた傘を持って行くのも荷物になる

ので草むらに置いてホームに駆け上がる。

ホームには3人の人がいた。

その中に知ってる人がいた。

昔、我が家に新聞を配達してくれてた人だ。

しかし、ただそれだけの関係の人でもない。

以前ゴミステーションの当番で一緒に

なった時、遅れて来た彼女が、もう帰っても

いいですよと言ってくれた。

そして家に入るとガスコンロから1mほどの

炎が上がっていた。

焼いてた魚のことを忘れて外出してしまっ

たのだ。

しかしそこは機敏な私のこと、グリルを抜き

出し事なきを得た。

もしあの時、彼女が「帰ってもいいですよ」と

言ってくれなかったら私はホームレスに

なっていただろう。

言うなれば彼女は「命の恩人」ならぬ「家の

恩人」なのである。

どこ行くんと言うのでお遍路ですと答える。

歩きかと言うのでそうですと答える。

1人かと言うので勿論と答える。

向こうへ行けば友達出来るよなと言う

ので、それがお遍路の楽しみなんですよ

と答える。

気を付けて行っといでと言うので有難うご

ざいますと答える。

去年も同級生のK君と逢った。

どうもお遍路に行く日には縁のある人に

逢うものらしい。

5時40分に電車に乗る。

知立で特急岐阜行きに乗り換える。

相変わらず、この地方はスマホをいじる

乗客が多い。

スマホも大事なのは認めるが、そんなに

一日中係わらなければならないほど必要

とする情報はないはずだ。

そんなものに頼らずもっと自分の頭で考え

ればいいのになと思う。

車内を見渡す。

三角形のつり革がある。

なぜ三角形なのだろう。

きっと4本の指が通せてはずれにくいか

らだろう。

神宮前駅で特急は停車した。

ここで私は一大発見をした。

神宮前駅より熱田神宮の方が先に出来て

いたであろうことを。

でなければ神宮前という駅名はつかなかっ

た筈であろう。

この後熱田神宮がどこかへ移転してしまっ

たらこの駅名はどう変わるのだろうか。

そうだね、元神宮前かなー。

しかしこの駅名、名鉄側から見て名付けら

れたものですよね。

つまり駅の前に神宮があるから神宮前であって

神宮の前にある駅だから神宮前ではないですよね。

ひょっとしたら神宮は駅に対してお尻を向けて

居るかも知れない。

だとしたら神宮から見れば駅は「神宮後(じんぐう

うしろ)」になるはずだ。

「つぎはじんぐううしろー、じんぐううしろでーす」

などと馬鹿なことを考えているうちに名古屋駅に

着いた。

馬鹿なことでもいいから考えた方がいいですよ。

人間は考える葦であると言いますものね。

人間であることを放棄しない方がいいですよ。

「伊予大洲まで乗車券と特急券を下さい。

新幹線も予讃線も自由席でお願いします」

と私は駅員に丁寧に告げた。

6時35分、私は名古屋発ひかり491号の車上の人

となった。

岐阜羽島の近くの川面に雨は落ちていなかった。

どうやら雨は上がったらしい。

京都駅でどっと人が乗って来た。

それでも乗客は五割にも満たなかった。

やはり「ひかり」は空いている。

急ぎの旅でないのなら私はこちらを

お薦めしたい。

7時30分新大阪着、日が照って来た。

7時47分新神戸着、青空が広がった。

始発なので追い抜いて行くのぞみも少なく、8時

24分岡山に着いた。

8時32分「しおかぜ3号」で一路松山を目指す。

いつものように宇多津で高松からの列車を

連結する。

この便は詫間駅にも停車した。

左手に工事を終えた本山寺の五重塔が見える。

伊予小松を過ぎた辺りから大きく右に曲がる。

香園寺入り口の神社が見える、桜井漆器会館

が見える、そしてポンジュースの工場が

見える。

これらは、夢の中にも時々出て来る、私にと

っては印象深い場所である。

11時15分松山着、うどんが食べたかったが

、そんな時間もなく、宇和海11号に飛び乗る。

実は私は大洲市内の「ときわ旅館」に連泊の

予約をとった。

今日はご主人は用事があるらしく17時に

帰って来ると話していた。

なので今日のチェックインは17時なのである。

そこで私は一計を案じた。

その一計を推し進めるために11時53分、私は

内子駅で汽車を降りた。

四国ではディーゼル車を汽車と呼ぶ。

それは電車ではないからだ。

四国では東は高松、西は松山までしか電化

されていないし、これからも電化されるこ

とはないそうです。

内子の駅舎を出るとタイミングよくバイクの

お巡りさんがやって来たので道を訊く。

教えられた通り、左に向かうとすぐ道があり、

その道を左に行く。

逆打ちになるので仲々遍路シールが見つからず

苦労するが、その都度お巡りさんが助けてくれる。

別に私について来てくれているのでなく、たま

たま通りがかっただけのことであるが。

そんなこんなで何とかへんろ道に入ることが

出来た。

池に白鳥が泳いでいた。

 

風邪をひいたみたいで「ハクチョー」とか

言っていた。

やはり黒鳥もペアでいたが、親父ギャグですら

思い浮かばなかったので掲載しなかった。

運動公園があった。

中学生が野球の練習をしていた。

ベンチにはお遍路さんが座っていた。

若い人だった。

お遍路さんの教えてくれた道を進む。

暑いが、ぶっ倒れるほどのものでもない。

30分程で国道56号線に出る。

ちょうどデイリーヤマザキの所で、左には

五十崎駅近くの高架が見える。

しかし地図にはデイリーヤマザキは載っていない。

きっと前回この道を見逃したのも、これが

理由だと推察される。

いつか民宿富士の大将が言っていた。

この地図の改訂版を作るのはとても無理だと。

私も不可能だろうと思う。

なので自分で地図を訂正して行くしかないのだ。

読者がお遍路するなら、内子駅へのへんろ道は

地図にはないがデイリーヤマザキからですよ。

そのデイリーヤマザキで昼食のパンを買おう

と思ったら定休日だった。

以前にも今治でお土産タオルを買おうとしたら

定休日だった。

ともに日曜日であったから愛媛県は日曜定休

の店が多いのかも知れないね。

心に留めておこう。

と言ってこのおっさん、すぐに忘れるぞ。

途中のコンビニでサンドウィッチとコーヒー

を買いイートインした。

十夜ヶ橋に差し掛かった。

お大師様がこの下で野宿をされたと言う

橋である。

お大師様に失礼であるということから

橋の上では杖をつかないというルール

の出来た橋でもある。

ま、私の場合ここ以外の橋では杖をついて

いますけどね。

きっとお大師様も堅苦しいこと言うなと

おっしゃっていますよ。

本堂は昨夏の大洪水で水に浸かり取り壊された。

左にあった本堂は今はない

 

辛うじて残ったお堂でお参りをする。

お堂の半分くらいの高さまで水は押し

寄せたと表示されている。

これでは取り壊さざるをえませんね。

裏の仮設納経所で納経してもらう。

途中で3人のお遍路さんに逢う。

内1人は外国人であった。

みんな順打ちだから挨拶だけで終わる。

15時半大洲に着いた。

チェックインまであと1時間半である。

日除けが合ってベンチのある所へ行って

時間を潰そうと大洲駅へ行く。

 

1時間ほど経ってからスーパーへ行って

ビールと晩飯を買ってときわ旅館へ着く。

すぐに風呂に入り、温まらないうちに

ビールを飲む。

ご主人が明日の出石寺へのルートを説明し

てくれると言うのでロビーに行く。

地図と写真で説明を受けた後、それらを

いただいて部屋に戻る。

残りのビールを飲んで20時に眠る。

本日の歩行距離17,46km

 

6月10日

予定通り6時に宿を出る。

人生一寸先は闇である、何が起きるかわか

らないから早目にスタート。

ご主人の助言でポンチョも持った。

ここらで晴れてても山の上は雨が降ってる

こともよくあるそうな。

旅館を出て56号線を南に向かう。

肱川を渡り右折して中一商店街を通る。

地図では信号があるが実際にはないから

気を付けるように。

そのまま1,5kmほど歩き続けるとコメリ

の信号がある。

 

 

そこを右折し西大洲駅方面に向かう。

踏切を渡ると横切る道があるが無視して

真っ直ぐに進む。

 

 

後はくねくねとした山道をほぼ道なりで

行く。

姑息なへんろ道も今は土砂崩れで使えな

いので黙々と車道を進む。

やがて写真のような道案内があるので

左折する。

 

 

地図で言うと7,3k、H230の少し上の分岐

である。

時々枝分かれした道もあるが王道を進む。

よほどひねくれた人でない限り王道は

わかると思う。

途中で見事な棚田があったのでカメラに

収めた。

猫の額ほどの棚田だ。

 

 

高度は120m、190m、230m、330m、

390m、560mとじわじわと上がって行く。

が、ここで一転、道は下りへと向かう。

折角登って来た道なのに勿体ないと

思うが、泣く子と道には勝てず妥協する。

そのうちインターネットでもよくお目に

かかる三叉路に到着する。

 

 

右が上須戒村、左が出石寺車道、私が行く

のはその間のへんろ道である。

同行二人の地図では2,5km、道標では3km

になっている。

時刻は9時30分、地図には上り4時間、下り

3時間と書かれているが私にはとても無理

だと思う。

そもそも距離は誰が歩いても同じだが、時間は

個人差があるのだから書くのはおかしいと思う。

こんなものを書くものだから、なんとか時間

内に収めようと頑張って倒れる人が出たりす

るのです。

マイペースで行きましょうね。

坂はそんなに急ではなかった。

道もよく整備されていて、分かり易く、この

道で迷う奴はよほどのとんまだと思った。

あと400mの地点まで来た。

 

 

ここからがきついと噂に聞く。

しかし思ったほどでもなかった。

赤い帽子のお地蔵さんがいっぱいいた。

幻想的なシーンだ。

 

 

あっと言う間に道路に出た。

10時42分だった。

坂のきつくない理由がわかった。

まだ境内まで階段が沢山あるからだ。

お寺の標高は境内の高さなのである。

牛がいた。

 

 

鹿もいた。

霧も少し出ている。

お参りを済ませ納経所へ行く。

誰もいないことを予想していたが境内には

5、6人のお遍路さんはいた。

 

ふっと、視野に食堂が入った。

地図には美人女将のお出迎えがあるかも、

と書かれていたが打消しの線が引かれている。

離婚でもされたか。

食堂に入る。

わかめうどん、とろろうどん、出石寺うどん

とお品書きにある。

ここまで来てわかめやとろろを頼む奴は、

ダービーの日に京都競馬場でちまちまと

勝ち星を稼ぐジョッキーと心情が似てな

くもない。

当然私は出石寺うどんを注文した。

世界中でもここにしかないのだ。

泣こうが喚こうが出石寺うどんはここで

しか食べられないのだ。

記憶は定かではないが、800円だったよな。

大きなあげさんの乗った美味しいうどんでした。

出石寺には素泊まりの宿坊がある。

ここで夕ご飯を食べて、いなり寿司を翌朝

食べればいいのだ。

テイクアウト出来るいなり寿司に食堂の

魂胆が見え見えである。

11時30分、下山開始、来た道を戻る。

はずだったが私は道に迷った。

いわゆるとんまである。

行く道行く道が行き止まりなのである。

行っては戻りを繰り返し最後に残された道

は長く続いた。

が記憶にはないような道だった。

このまま降りて行ってまた行き止まりだっ

た場合ダミッジが大きい。

戻る道は覚えている。

原点に立ち返って原因を究明しようと

来た道を戻る。

間違いの原因がわかった。

道を隔てて真っ直ぐ降りて行く道を間違

えて左に行ってしまったのだ。

登って来る時は真っ直ぐの道だから道標

は真横しか見えない。

そこで少し右に寄って道標を見た。

この時の記憶が私の脳裏に焼き付いてしま

ったのだ。

当然私は帰る時、左から来たものだと思い

込み左へ行ってしまったのさ。

思わず「出石山死の彷徨」になるところ

だった。

天は我を見放したなんてね。

突「出石寺うどんのあげさんがいけなかっ

たんじゃないですか。きつねにつままれた

んですよ」

そんなこと言ったら食堂の人に失礼じゃないか。

売り上げが落ちたらどうするんだ。

突「大丈夫ですよ、あんなくそまずいカレー

初めて食べたなんて言ってごらんなさい。

どれくらいまずいのか知りたくてお客さんが

殺到しますってば。現に猫さん生還できたの

だからいいじゃないですか」

13時下山再開、1時間半のロスタイムだ。

やはり本物のへんろ道は歩きやすい。

所々にへんろ札も吊るされている。

へんろ道ではない道には、この道はへんろ道

ではないですよという札をつけておいて

もらえると有難いですね。

三叉路の車道に戻る。

木陰が多く、風もあるので快適な道である。

むしろ炎天下の平坦な道よりいいかも。

鉄骨製造会社の所まで来た。

地図で言うと大洲へ向かうへんろ道との

分岐点だ。

ここには札所以来の自販機が設置されている。

炭酸飲料水を買い、一気に半分くらいは空けて

しまう。

やはり喉が渇いている時は炭酸飲料が旨い。

ちなみにこのへんろ道も現在通行止めに

なっている。

午後4時西大洲駅に到着する。

もう歩きたくないので大洲までJRで行く

ことにした。

今回私は内子駅から西大洲駅まで歩いたこと

になる。

したがってこの次卯之町から来る場合は西大

洲駅から内子駅まではJRに乗れることに

なる。

西大洲駅には駅舎はない。

四国でもこんな駅は初めて見た。

勝手にホームに上がって時刻表を見ると

次の便までに1時間以上ある。

歩いた方が旅館には早く着くが、死の彷徨で

滅茶苦茶疲れていてその気になれなかった。

近くに子供の託児所があった。

賑やかな声がした。

午後5時半、旅館に着いた。

風呂に入って食堂に向かった。

掘りごたつの上のテーブルに料理は並んで

いたがお膳は一つだけだった。

この時期お遍路さんは少ないのかな。

寂しく1人夕食を終え、部屋に戻った。

それにしても今日の出石寺、とても印象に

残るお寺だった。

2度と行くことはないと思うが、惚れてしま

えば千里も一里というから余談は許さない。

境内の臥牛を思い浮かべているうちに、いつ

しか眠りに陥った。

本日の歩行距離33,28km

 

6月11日

朝6時前、伊予大洲駅に向かう。

駅前にレンタサイクルがある。

電動もあるから出石寺の三叉路のあたりまで

乗っていけるかも知れない。

でも560mだからね、いくら車道でも

ちょっと無理かな。

駅には駅員はいなかった。

とりあえず近くの駅までのきっぷを券売機で

購入する。

6時16分松山行き特急に乗る。

意外にも高校生が沢山乗って来る。

定期代が大変なのだろうなと余計な心配を

してしまう。

車掌さんがまわって来た。

乗車券を見せて、伊予三島までの乗車券と

壬生川までの特急券を求めた。

実は昨夜まで私は、今日のスケジュールを

決めかねていた。

昨日の出石山の死の彷徨で結構スタミナを

消耗し横峰寺が不安であったからだ。

しかし私は決心した。

横峰寺には登山バスがあるのだ。

どうしても疲れ切って登れない時はこのバス

を利用すればいいのだ。

往復の料金を払う気で手を上げれば、上り

の最中でも止まってくれる。

それが壬生川までの特急券となったのだ。

乗車券と特急券で5000円近く払った。

しばらくすると車掌さんは料金を取り過ぎ

たとお金を戻しに来た。

大洲から壬生川まで一括で購入すると1830円

で、大洲~松山、松山~壬生川で分けて

購入すると1700円なのだそうだ。

これは特急券の話ですが。

そんなことがあるんですね。

黙っていればわかりゃしないものを、と思うが

多分職務終了後カバンの中のきっぷを確認

するとわかってしまうのでしょうね。

「君、この大洲壬生川の特急券は何だ、おかし

いじゃないか」ってね。

松山6時58分着。

コンビニで梅干しと明太子のおにぎりを買い

、7時20分発の特急を待つ。

ホームに何かのキャンペーンの旗が立っている。

そこに書かれている文字に私は顔を赤らめた。

何というはしたない、お下劣な言葉でしょうか。

そこには「えひめちんちん物語」とあったのだ。

しかし次の瞬間、風によって旗は翻った。

旗は「えひめさんさん物語」という正体を

現したのだ。。

私は安堵の胸を撫でおろした。

私は「しおかぜ8号」に乗った。

たしか5号車だったからそのはずだ。

車窓には昨年私が歩いた道が見え隠れする。

浅海の海岸、菊間の瓦、コンビナート・・・。

後は思い出せないので点点点で誤魔化した。

8時08分、壬生川に着いた。

にゅうがわと読む。

8時26分の鈍行を待つ。

改札口へ行って、不要となった特急券を女性

駅員さんに渡し、この辺りに公衆電話は

ないかと訊くと、駅を出たとこにあると言う。

私は小松ビジネス旅館に予約の電話を入れた。

女将の応対ぶりから宿がガラガラだと感じた。

一応三島駅近辺の宿も考えたが17時の鈍行

までに戻れるかどうか確信が持てなかったの

で小松にした。

昨年連泊した時の印象が良かったのもあるが。

ホームに戻ると荷物のそばに娘さんが立っていた。

西条方面はこのホームでいいんですよね、

と私は娘さんに訊いた。

ここでいいですよと娘さんは言った。

唐突に私は、私お遍路のブログやっているん

ですよ、読みませんかと言うと彼女はあまり

乗り気でなかった。

99%文字のブログなんでみんなに嫌がられ

るんですよ、と出したメモ用紙をカバンに

戻した。

歩いているんですかと彼女は言った。

私は昨日出石寺山中で迷った話、今朝伊予大洲

を出て来た話、これから横峰寺に登る話など

をした。

ついでに松山での旗の下ネタもやったがイマイチ

受けなかった。

多分彼女は理解できてなかったんだと思う。

壬生川の真面目な娘さん、これで理解出来ま

したよね。

初対面の娘さんの前でちんちんなどと言う

下品な言葉を口走ってしまった。

人間、羞恥心をなくしたらもうおしまいだぜ。

ちなみに彼女のお母さんは25番札所津照寺で

働いていると言った。

あんな遠い所まで通っているのですかと訊くと

はいと彼女は答えた。

お母さん自家用機かなんか持っているんじゃ

ないだろか。

ひょっとしたら納経所で働いているのでは。

いつか納経所の人とのやりとりをした記憶

があるので、その人がお母さんなら私の

ブログ史上初の別場面での母娘登場という

ことになる。

電車がやって来た。

あと三駅で私は降りる。

お話に夢中になり乗り過ごす恐れもある

ので彼女とは別の席に座った。

楽しい出会いだった。

流れからいってお大師様がお膳立てして

くれた登場人物だと思う。

もちろん、メモ用紙は受け取ってくれた。

ちなみに彼女は学生で、今日は旅行の

ためこの電車に乗ったとのことです。

8時38分、伊予氷見駅で降りた。

リュックは自販機の前の木の茂みに隠し

いざ横峰寺に向けてスタート。

8時40分だった。

国道11号線に出て左折し、次の信号

を右折した。

後は道なりである。

松山自動車道の下をくぐり、石鎚神社鳥居

をくぐり12号線を右折する。

 

 

200mも行くと横峰寺への登山口が待っ

ている。

ここでお茶のペットボトルを買う。

先は長い、一本では心許ないので二丁

ボトルだ。

 

途中でワンちゃんにあう。

いつも道端で寝そべっている人懐っこい

ワンちゃん達だ。

こういう穏やかなワンちゃんなら私も

大好きである。

地蔵寺へ行く道が見える。

地蔵寺だから間違えることはない。

有料道路の入り口にやって来た。

 

料金所の人に軽く会釈をして通させてもらう。

段々と坂道はきつくなってくる。

しかしへんろ道のように休み休みという

ほどのきつさではない。

時々車が通る。

お遍路さんもいれば、木材運搬車もせとう

ちバスも通る。

降りてくる車に「三河ナンバー」を見つける。

手を上げて止める。

どこから来たと訊いたら、碧南だと言う。

お互い頑張りましょうと言って別れる。

彼は車を停めて、流れ出る水をボトルに

詰めていた。

あんまり生水飲まない方がいいですよ。

更に進む。

へんろ道との合流点、分岐点まで辿り着く。

あと1kmでお寺だ。

しばらく行ってへんろ道に入る。

道は広いがロープが張ってあり、関係車両

だけ通れるみたいである。

山道を行く。

可愛いリスが道を横切る。

ここまで登って来た私をリスペクトして

くれているんだ。

駐車場から来る道と合流する。

12時15分、伊予氷見駅から3時間と35

分であった。

お参りと納経を済ませ、おにぎりをパクつく。

昨日の感じでは横峰寺は無理ではないかと

思ったが、壬生川の娘さんに逢って俄然

元気になってしまった。

やっぱりお大師様の差し金だぜ彼女は。

横峰寺には四度来ているがまだ山門を一度も

見たことがない。

納経所で訊いてみると納経所に向かって左

の方へ行くとあると言う。

 

 

12時50分下山開始。

下りは楽かと思いきや、違う筋肉を使い

とても疲れる。

ワンちゃんを撫で撫でし、142号線を歩い

ていると赤い車に乗った女性が止まり、

乗って行きませんかと声がかかる。

歩き遍路ですので、どうも有難うございます

と丁重にお断りする。

どこかの宿坊で泊った時、ベテランお遍路

さんに言われたことがある。

人間、乗せてって欲しいなと思うと、体から

乗せてってオーラが出るのだそうだ。

そうするとドライバーがそれを感じて停まっ

てくれるのだそうだ。

私にはそんな気持ちはないと思うのだが、

まだまだ修行が足りないのかな。

16時20分伊予氷見駅到着。

下山時間3時間と30分。

下山も登山もほぼ変わらない時間だ。

氷見のバス停に向かう。

次の便は16時53分まだ時間はたっぷりある。

吉祥寺もお参りしようと思えば出来ない

ことはない。

しかしいずれまたこの道は松山から伊予

三島駅まで歩くのだ。

その時このお寺を素通りするのは失礼な気

がするので今回は寄らない。

道の反対側を二人のお遍路さんが歩いて行く。

こちらに向かって手を振っている。

私も振り返した。

お遍路さん同志、心が通った。

いいものですよ、お遍路って。

17時過ぎ小松に着いた。

早速3日分の洗濯をする。

その間に自分自身も洗濯する。

着るものは4日分持って来た。

全工程が6泊7日であるのだから、これで

もう洗濯はしないで済むことになる。

18時食堂に行く。

今日の客は3人である、がまだ1人来てない。

目の前で食事している人は埼玉県から

来ていると言った。

逆打ちであるが、完全な歩き遍路でも

ないらしい。

3日ほど前に箸蔵寺を打った時は白地荘に

連泊したと言った。

名前だけは地図を見て知っている宿だ。

白地郵便局の所まで送り迎えしてもら

えるらしい。

いい情報を得たと思った。

やがて3人目の宿泊客がやって来た。

やはり埼玉の人だった。

今、埼玉が流行ってんだよね。

彼も言ってることがよく把握できなかった。

が明日は香園寺の方から横峰寺に登り、

この宿に連泊すると言った。

先輩風を吹かして、この宿は連泊すると

すき焼きが出るんだぞと教えてやった。

なぜお遍路にやって来たと訊いたら、その

気はなかったが何かに突き動かされてやっ

て来たと言った。

それじゃ私といっしょですね、私もいやで

仕方なかったのですけど宇宙の目に見えな

い何かが行け行けというものだから来たの

です。でも来たその日にお接待を受けて

すっかりお遍路に魅せられてしまったの

ですと私は言った。

きっとそういう人はお大師様から選ばれた

エリートなのだと人から聞きました、と

彼は言った。

彼もここまでの道中、いろんな神がかり的な

体験をしたと語った。

午後7時20分お遍路談義もお開きとし部屋に

戻った。

いい1日だった。

本日の歩行距離28,78km

 

6月12日

6時に食堂に行くと埼玉県人たちはすでに

食事をしていた。

おかずに焼き鯖があった。

これを食べると願いが叶わないと、鯖大師

の教えにある。

無視して鯖を食べる。

あれはきっと逆説なのだと思う。

そう言われて食べない奴こそ願いは叶わぬ

のであって、努力して願いを叶える奴は

食べる。

鯖大師はテストしているのだ。

6時半宿を出てJR伊予氷見駅に向かう。

時刻表を見ると次の電車は7時51分だった。

おいおい、この通勤通学時間帯に冗談だろ。

しかし現実だから仕方がない。

駅前のバス停に行く。

次のバスは6時53分だった。

この辺りはせとうちバスの本数が多く、JR

の少ない本数を補っているようだ。

バスに乗る。

毎度おなじみの加茂川が見える。

やーさーしーいあめーの ぎおんまち

かもーのながれにうつるー あなたーのすがた

雨が降らないので川は完全に干上がっている。

橋を渡り左折して伊予西条駅に着いた。

高架橋を渡り7時20分の鈍行に乗る。

混んではいたが席は空いていた。

高校生はみんな輪になって雑談するのが

好きだから座らない人が多いのだ。

ゲームやるなら雑談の方がよほどか良い。

乗客は新居浜で大部分が降りた。

8時02分伊予三島駅に着いた。

私はこの駅のどちらが裏か表かわからない。

がタクシーの居る側を表とするならば裏の

郵便局の通りを左に進む。

目の前を高校生がぞろぞろと歩いている。

スーパーハローズの交差点を渡り更に東に進む。

去年夕食を買ったスーパーだ。

右手に小さなお店があった。

地図を見ると、私が進むこの先に店は何

もなかった。

私は店に入った。

パンが4つだけ置いてある店だった。

私は一つだけ買った。

おばあちゃんは2つ目の信号を右に行くん

ですよと言った。

松山自動車道の下をくぐり戸川公園の横を

通り、やがて道は2つに分かれた。

へんろ道と車道である。

私は昨年誤って車道を行ってしまった。

楽ではあったが距離差があまりにも大きい。

こういう場合、私でもへんろ道を選ぶ。

10時三角寺到着。

懐かしい東屋があった。

いつぞやここでくつろいでる女性に逢った。

一体あの女性はなぜ八十八カ所を廻って

いたのだろうか。

家族の病気の治癒か、はたまた別れた彼を

一日でも早く忘れるためか。

ちなみにここは断りを入れれば宿泊出来る

そうだ。

ここなら強盗は来ないから安心である。

お参りを終え、納経所へ行く。

納経所で平山のバス停まで山道は通れる

のかと尋ねた。

と言うのもインターネットで一旦三角寺口

のバス停まで降り、平山まで登るお遍路

さんの紀行文を読んだからだ。

お坊さんは、一時期土砂崩れでそういう

こともあったけど今は大丈夫ですよと

言った。

ついでに仙龍寺へのへんろ道についても

尋ねた。

お坊さんは危険だからやめた方がいい、

行くなら山道を1kmほど行くと右に行く

道があるからそれにしなさいと言った。

納経を終え、急な階段を降り、駐車場を

右に行く。

そんなに広い道ではないが車も充分に

通れる道だ。

日陰が多く、風も吹いているので快適に

歩を進める。

たまに車が通る。

その内の一台が私に車で三角寺まで行け

ますかと訊いた。

大丈夫ですよと私は答えた。

やがて左に降りて行く細い階段がある。

へんろ道とあるので素直に従う。

大きな通りに降りると少し左に戻り右の

道へと入って行く。

平山のバス停が見える。

更に進むと右へ行く道に椿堂の道標がある。

ちょうど通りかかる人がいたからいいも

のの、とんまな私1人だったら迷っていた

かも知れない部分です。

今回時間的に無理なので仙龍寺は行かない。

しかしここまで来ているので平山バス停

まではバスで来れる。

後は仙龍寺まで歩いて往復し、ここから

バスで帰ればいいのだ。

なにせ往復ですからね、往復のメリットは

何でしょうね、ハイそこの君。

そこの君「リュックを草むらに置いて行ける

ことです」

椿堂に向かってひたすら歩く。

もはや日光を遮るものは何もない。

容赦なく真夏に近い日差しが私に降り注ぐ。

途中でお遍路ハウス毛利荘なるものがあった。

近くで農業をする人に訊いてみた。

善根宿ですよ、お金はとりますけどねと

言っていた。

時刻も早いし泊まる気などは全くありませ

んけど一応情報として流しておきます。

12時30分椿堂到着。

小さなお寺だ。

納経所に行くと境内の掃除をしていた人が

今行きますと言った。

従業員一人の零細企業といったところか。

納経帳に令和のスタンプを押して下さった。

これ他でも押してもらいましたかと彼は

訊いた。

確か8番札所でと言うと、20ある別格の中でも

8番とここだけなんですよと言った。

今、別格では開創五十周年記念のお札がついて

来る。

それも今月で終わりだとか言ってたが、求め

れば年内は戴けるそうです。

私も年内には終わりそうなので何とか20枚

揃えられそうです。

歩き遍路ですかと訊くのでそうですと

答えるとお接待のリンゴジュースを

下さった。

椿堂を出てしばらく歩くと192号線に合流する。

昨日や一昨日に比べると今日はかなり暑い。

37番へんろ小屋でしばしの休息。

実はこの時点で私はまだ宿が決めてない。

岡田にするか白地荘にするか。

もし15時前に岡田を通過するようであれば

途中の公衆電話から白地荘に予約を入れ、

白地の郵便局まで迎えに来てもらおう。

15時を過ぎていたら民宿岡田に泊まろう。

へんろ小屋で私はそんな結論を出した。

私はまた歩き出した。

とにかく暑い。

自販機があるだけまだ救いであるが。

川之江からの最後のバス停があった。

一日1往復だけど。

 

続いて境目トンネルがあった。

 

トンネルの真ん中あたりが愛媛県と徳島県

の境目なのでこの名が付いたそうです。

所々に潰れた飲食店がある。

四国中、山間部に行くとよく見られる光景だ。

岡田に差し掛かった。

時刻は15時を5分過ぎている。

この暑い中まだ8km近くも歩かなければ

ならないのかと思うと幾分速度は落ちたかも

知れない。

民宿岡田に寄る。

親父さんは庭で盆栽の剪定をしていた。

あのー予約はしてないですけど今日部屋は

空いていますかと尋ねた。

空いてるけど予約なしでは晩飯がないぞと

親父さんは言った。

いいですよ、ビールと漬物があればと

私は言った。

親父さんは近所にラーメン屋があるから

そこへ食べに行くかと電話をした。

ラーメン屋から昼で店を閉めたと返事があった。

とりあえずは風呂に入った。

夕食まで随分と時間があり何もすることが

なかった。

しかし時にはこんな早いチェックインも悪く

はない。

翌日のスタートまでたっぷりと時間があるのだ。

フル充電が出来る。

毎日5時スタート6時チェックインを繰り返すと

3日くらいで充電量は60%くらいにまで

落ち込む。

そうなると元気がなくなってくるから、時々は

こんな日があってもいいのかも知れない。

18時になったので食堂に行く。

本来素泊まりの場合、コンビニで夕食を買い

部屋で食べて寝るだけなのだが、どこにも

コンビニはない。

買うとしたら三島駅近くとなるが朝買った

夕食は炎天下を歩くうちに腐るだろうし

ビールは熱燗になっている。

食堂に行くと私のテーブルにはビールと

小皿にのった漬物があった。

何という正直な親父さんだ。

客は私の他に3人いた。

どうしたんですかと一人が訊いた。

飛び入りだったんですよと私が答えた。

少し食べて下さいとおすそ分けを下さった。

こうして宴は始まった。

この宿はかつて菅さんが泊った宿である。

親父さんもお遍路さんの間では名物親父と

して有名である。

徳島新聞に載ったこともあると、新聞も

見せてくれた。

親父さんは明日登る雲辺寺のコースを

説明した。

どこで間違えやすいか、目印は何か、距離

時間はどんなものか等々アドバイスしてくれた。

またいい宿悪い宿も教えてくれた。

お遍路についての歴史なども語ってくれた。

きっと親父さん毎日同じこと喋っている

のだろうな。

そのうち他の二人もおすそ分けを下さった

し追加のビールも注いで下さった。

結局、一番飲んで一番食べたのは素泊まり

の私ではないかと思う。

なんて阿漕な男よのう私は。

読者は決して真似しないで下さい。

一度くらいはいいけど何度もやるとすごく

嫌われると思います。

でもお遍路さん同志、仲がいいでしょ。

私も困ったお遍路さんがいたら、おすそ分け

しますからね。

いつも言う、愛はカムアラウンドですものね。

親父さんの話もとても面白い。

ただお遍路さん同志の交流をもっと

楽しみたいと思う人にはちょっと不満に

思う部分もあるかも知れません。

私は大いに楽しみましたけどね。

味噌汁とご飯ならいくら食べてもいいぞ

と言うので思いっきり食べて食堂を

後にした。

うちへ予約なしで来たのはあんたが初めてだ

と言われた。

前回は大阪北部地震でドタキャンするし、

本当に申し訳ありませんでした。

今度来る時はきちんと予約しますからね。

部屋に戻り21時就寝。

本日の歩行距離23,92km

 

6月13日

朝起きると寒かった。

気温12℃の山間部の朝である。

食堂に行くと皆ご飯を食べていた。

3人は今日雲辺寺に登るのだ。

私は箸蔵寺を目指す。

ご飯を食べ終わると親父さんが箸蔵路へ

の地図をくれた。

部屋に戻り旅支度を整えて玄関を出ると

親父さんと息子のお嫁さんが見送って

くれた。

またしても私が最後である。

やっぱりこうして見送られると、また今度も

ここへ泊まろうという気になる。

ただ、見送りだけ頑張っても効果はないが。

民宿岡田にも他のお遍路さんにもブログの

ことは知らせなかった。

みんな真面目な方ばかりなので、私のブログを

読んでお遍路を冒涜していると、お叱りを

うけそうな気がして。

じゃなにかえ、壬生川の娘さんは不真面目

だとでも言うのかえ、と突っ込みを入れられ

そうですが奴はまだグースカ寝ています。

そうではなくて、お遍路を出来るだけ楽しい

ものとして伝えたい私の真意をくみ取って

もらえないのではないかと思ったからです。

その点若い人は脳みそも柔軟なので理解して

もらえると思うのです。

でもいいじゃないですか、いつかこのブログ

が世に広まった時、おすそ分けしてやった

内の1人は俺だぞと自慢できるかも知れません。

振り返ると二人はまだ立っていた。

まるで映画のシーンを見ているようだ。

親父さんは92歳だと言っていた。

慈眼寺の穴禅定に入った時、その苦しさに

3000円はいらないから、ここから出して

くれと叫んだと私たちを笑わせた。

わがままな人だが面白い人だと思った。

ある意味わがままは長所だと思う。

皆と同じように、とりあえずは雲辺寺へ

の道を歩く。

そして途中から192号線に出る。

親父さんの言ってたラーメン屋があった。

果たして私をここまで乗せて来て、その後

宿の人はどうするつもりだったのだろう。

まさか置いて帰ることはないだろう。

となると食べ終わるまで待つことになる。

忙しい最中、大変迷惑をかけることになる。

しかしそんなことまでしてくれる民宿岡田は

やはり四国屈指の名宿であろう。

ちーと、褒め過ぎたかな。

192号線は国道である。

山間部の道路と違って周囲に平坦な土地は

多くあり民家も結構ある。

決して熊とか猿が出るような田舎ではない。

いや、猿なら少しくらい出るかも知れないな。

また潰れた食堂があった。

通りは大型トラックが多い。

境目トンネルは狭く、とても怖い思いをした

からよく覚えている。

きっと昔に比べると運転手さんの懐具合が

悪くなったので潰れたのだろうと私なりに

分析している。

つまりコンビニのおにぎりで我慢しようと。

しかし小さな喫茶店ならある。

奥さんが趣味で始めた喫茶店といった

感じである。

これならお客さんが少なくてもそんなに

痛手は被らないであろう。

白いバスが走った。

三好市バスとあった。

バス停で調べて見るとそれは「佐野」と

「JR池田駅」を結ぶ路線バスであった。

佐野と言えば岡田のある所だろ。

私は歩き遍路なので関係ないが、いつか

利用することもあるかも知れないと思っ

て心に留めておく。

と言ってこのおっさん、すぐに忘れるぞ。

左手にYショップがあった。

雲辺寺の登り口である。

が利用する人は皆無ではないだろうか。

西から来る人は民宿岡田から登るし、東から

来る人は白地郵便局から登る。

2つの短いトンネルを抜けると大きな橋が

見えて来た。

道路工事の旗振りをしている人がいたので

箸蔵寺の行き方を訊いた。

彼の弁によれば、2つ前の信号を右に曲がる

とのこと。

どうやら私は白地郵便局を見落としていた

ようだ。

ボーっと歩いてんじゃねぇよ。

戻って白地郵便局を右折する。

吉野川に沿って267号線が続く。

そうだ、この川はあの川島橋にも、大歩危

小歩危にも通じているのだ。

池田ダム近くに公衆電話があった。

今朝出て来る時、私は箸蔵寺を打って善通寺

で一泊、翌日神野寺まで行って戻って塩江

で一泊、翌々日大滝寺を打って帰宅の予定

でいた。

しかし急に気が変わった。

私は民宿白地荘にTELした。

部屋は空いていた、女将はいまどこにいると

訊くので池田ダムの近くの公衆電話だと言う。

では白地郵便局まで迎えに上がりますと

女将は言った。

267号線を進む。

 

 

この辺りもバス停がある。

皆行く先は池田駅である。

土讃線の鈍行があまりにも少ないがこれで

何とかカバーしてるみたいです。

歩き遍路でないのならこのバスは大いに利用

する価値はあると思います。

四国中央橋と合流する。

資金が底をついたのでJAのキャッシュコーナー

でおろす。

そこの信号から左の脇道に入る。

次の信号を左に上がる。

右へ行くとまた国道に出る。

お遍路シールはないが左だ。

結構きつい坂を登り小さな橋を渡り左に行く。

その手前に線路を渡るへんろ道があるが、ここ

には遮断機はない。

そればかりか、危険ですので渡らないで

下さいと言うJRの立札もある。

今まで死亡事故はなかったかも知れないが、

これから起きる可能性は十分ある。

同行2人の地図は訂正しておくように。

へんろ道が分からなくなった。

ロープウェイ乗り場で訊くとすぐ隣が

へんろ道だと言う。

今は使ってないタバコの自販機の所です。

へんろ道を登る。

何度か車道に出る。

かなりきつい上り坂だ。

水平距離2kmに対して垂直距離390mだ。

途中に山門があり、しばらく歩いてから

長い階段が待っている。

 

11時55分境内に到着。

 

ロープウェイ乗り場で言われた1時間カッ

キリだった。

お参りをし納経をしてもらう。

お昼の時報がどこかから聞こえてくる。

境内の長いベンチで岡田のおにぎりを

食べる。

こういうのって昼食代が助かるので

有難いですよね。

少しばかりうたた寝をする。

気持ちがいいですね。

12時50分下山開始、来た道を引き返す。

四国中央橋までは日射しが強いが、その

後は木陰が多い。

池田のダムが見える。

ダムは徳島を向いている。

まだまだ分水嶺は先か。

16時白地郵便局に着き、ひたすら宿の迎

えを待つ。

しかし待てど暮らせど一向に迎えは来ない。

宿の人だから電話した場所や時刻から

郵便局に着く時刻もわかるだろうと

考えた私が甘かった。

これはひょっとしたら宿の人は私の電話

を待っているのかも知れないなと公衆

電話を探したがどこにも見当たらなかった。

郵便局に入って訊いた。

どうしたんですかと言うので事情を話すと

白地荘へ電話をしてくれた。

郵便局員も手慣れたものです。

宿へ着くと5時過ぎだった。

崖っぷちの秘境だった。

民宿にしては珍しく部屋にバスがついていた。

お決まりの18時、食事のTELが入った。

豪華な料理だった。

客は私と、単身赴任で常宿している人の二人

だったがまだ帰って来てなかった。

私はこの宿で今まで最高の瓶ビール三本を

飲んで酔っ払っちまった。

ご主人はあしたはどちらへと訊く。

雲辺寺ですと答えると、じゃ明日岡田まで

送りますと言う。

いや、白地の郵便局までで結構ですと言うと

みんな岡田まで行きますよと言う。

それじゃ歩き遍路が成立しないじゃないです

かと言うと立派に成立してますよとご主人

は言う。

ここらは見解の相違でしょうか。

いままでどんな人が泊りましたかと訊くと

イギリス人女子を殺害し部屋のベランダに

遺棄してた男の両親が泊ったと言った。

最初は何も喋らず暗い感じでしたが、

ポツポツと話し始めました、きっと誰かに

聴いてもらいたかったのでしょうね。

そりゃ親御さんとしても辛いですね、

罪滅ぼしにお遍路に来たという訳ですか。

そうです、それから少しして息子さんは

掴まりましたとご主人は言った。

話は変わりご主人は最近の男子の40%は

女性に興味がないのだそうですねと言った。

そりゃどういう意味でですかと問うと、

性的な意味でですと言った。

今まで精神病院を脱走した患者が女性を

襲った事件は皆無だそうです、みんな心を

病んでいるんですねと私は言った。

それで最近はおかしな事件ばかりが起きるの

ですねとご主人も言った。

結局ゲームをやり過ぎて現実と非現実の境界が

わからなくなってしまったんじゃないでしょうか、

その結果自分にとって不利益な存在は消せばい

いのだと罪悪感も持たずに行動に走る人が多くなっ

たんでしょうねと言う結論で夕食は終わり私は

部屋に戻った。

ビールを飲み過ぎて何度も小便に起き、23時

眠りに就いた。

本日の歩行距離31,23km。

 

6月14日

5時半に朝食の電話があった。

今日は昼から雨の天気予報なので有難かった。

食卓には女将さんが畑で作ったという野菜も

沢山出ていた。

夕べは単身赴任者は帰って来なかったようだ。

夕べの料理がそのまま残っている。

毎日同じものを出す訳にはいかず大変なので

すよと女将はこぼした。

お遍路さんだけなら最低2つのメニューが

あれば民宿はやっていけるがと、女将の言う

事に同情する。

朝はいつもパンを少々食べるだけの私なので

少しおかずを残して朝食を終える。

女将さん、申し訳ありませんでした。

すぐに出かけますからと言って食堂を出る。

今年は雨も少ないので野菜の出来が悪いの

ですよ、と運転をしながら女将は言った。

突き当たりの192号線を左折する。

すぐに白地の郵便局である。

この辺りの宿で送迎をしてくれるのは

「白地荘」だけです。

小松ビジネス旅館で一緒だった人は、頼みも

しないのにロープウェイ乗り場のうどん屋さん

まで迎えに来てくれたそうです。

ここまで来てくれるということは、恐らく

箸蔵駅や池田駅から電話しても迎えに来て

くれると思います。

箸蔵寺や雲辺寺をお参りする際は、是非とも

「白地荘」をご利用ください。

それじゃ気を付けて行って下さい、と

女将は言った。

5時50分だった。

少し歩くと「笹緑」という看板があった。

この地方の日本酒の銘柄だろう。

これを私が見逃す訳がないだろうが。

しゃみーとー おどーりーはー ならいもー

するーがー ならわーなくても おんなー

はーなける

すぐにネタにした。

車の通れる上り坂をぐんぐんと行く。

30分も歩くとYショップからやって来る

車道と合流する。

それにしても私は納得がいかない。

どうして岡田まで車で送っても歩き遍路が

成立するのか。

岡田から登るのなら岡田まで歩くのが歩き

遍路ではないのか。

でなかったら金剛福寺まで歩いて行ったら

帰りはバスに乗ってもいいことになる。

みんなズルしてる、私には合点がいかない。

ちなみに、ご主人によると私と同じルート

を辿る人は年に3人ほどいるそうだ。

雨が近いせいか空は曇っている。

この長い上り坂、やはり私はお大師様に

守られていると感じた。

結構きつい坂道を登る。

しかし道は広いし、荒れた所もない。

車にとっても快適な道である。

民家も道沿いに沢山ある。

小松旅館の埼玉の人はこの道を狭くて車も

めったに通らないひどい道と評したがそん

なことはない。

第一彼はこの道を通っていないのだ。

誰かからの又聞きだったのだろう。

やがて道は緩やかに変わった。

空は曇ってはいるがまだ当分は降る気配

はない。

民家も車も徐々に減ってきたが、うっそうと

した道ではない。

道が広く日光も入るので気分良く歩ける。

雲を通した日光だが。

私より下に雲を見つけた。

 

つまり私は雲の上の人になるのだエヘン。

更に登り続けると右に登って行く道があった。

が、行ってはいけない。

更に500mほど進むと右へ下って行く道が

あった。

道標には太興寺へとあった。

つまりこれが268号線の本線である。

が、行ってはいけない。

真っ直ぐ進もう。

道はここから狭く、坂もきつくなる。

が、へんろ道に比べれば可愛いものである。

更に歩くこと20分、ついに曼陀トンネルからの

車道と合流し、雲辺寺へのへんろ道に入る。

更に1kmほど歩いて9時15分雲辺寺境内に着いた。

実に白地郵便局から3時間と25分である。

お参りを済ませ納経所に寄る。

 

 

身に付けるお守りを買い、ロープウェイ乗り場

へのへんろ道はわかり易いですかと訊いた。

わかり易いですが、物凄い下り坂ですよと

念を押された。

9時40分境内を出る。

厄介な下りを雨が来ないうちに終わっておきた

かったからだ。

分岐へやって来た。

私は地図を開いて確認した。

どこかからブーンという虫の飛ぶ音がした。

夢中になって地図を見てたら目の前数センチを

スズメバチが飛んだ。

私は急いで逃げた。

スズメバチは去った。

気が立っている時期のスズメバチでなかったから

良かったものの、時期が悪かったら私はいちころ

である。

ロープウェイへんろ道を行く。

言われるほど悪い道ではない。

坂もなだらかだし、岩もなければ落葉もない。

トレッキングの若い男女に逢った。

最近へんろ道でトレッキングする人によく出会う。

焼山寺でも大山寺でも逢った。

お互いに、頑張って下さいと声を掛け合った。

そのうち段々と札所の人の言う通り危ない道

になって来た。

坂は垂直に近く、岩も落葉も枯れ枝も多く

気を使わざるを得ない山道へと変貌した。

私はここで完璧な遍路転がしに三度あった。

柔道で言うならば一本いや三本である。

やはり暖かい今のうちに済ましておいて

正解であった。

平面的に見るとロープウェイと交わる辺り

までくると穏やかな下り坂となった。

途中で二手に分かれる道があり、私は真っ直ぐ

進んだ。

そして蔓のような根に足を取られて倒れた。

四度目の一本である。

なぜか私はそこでお大師様に行くなと言われた

ような気がしてV字型の道を引き返した。

それが正しかったのだ、11時20分ロープウェイ

乗り場に着いた。

過去に2度私はここから雲辺寺に登った。

正確に言えば登らせてもらった。

その時、将来歩いて登るというプランは私の

脳裏のどこにもなかった。

それどころか極力歩かないで済むお遍路ばかり

を研究していた。

例えば次の札所まで歩いて4km、バスだと2時間

待ちとなれば、間違いなくバスをとった。

こんな私ではあったが今は歩いている。

これをご利益と言ったらおかしいのだろうか。

私は人間的成長だと見ているのですが。

歩き遍路の出来る人は、金があって暇があって

健康な人だと私は常に言っている。

でもその条件を満たしている人の中でも歩き

遍路に来ている人は1%にも満たない。

出来たらそんな人たちにお遍路に来てほしい

なと、この前、私の脳野に降りたお大師様が

仰ってました。

皆さん四国に遊びに来ませんか。

お遍路は高尚な遊びです。

そんなに堅苦しく考えずに苦行をエンジョイ

しましょうよ。

などと戯言を言ってたら萩原寺に着いた。

 

 

12時を少し過ぎていた。

本堂太子堂とお参りし、白地荘の弁当を食べた。

やはり宿のお弁当は心を捉えて離さない。

残ったご飯を握るだけでリピーターが増える

のならお安いものだと思うが。

納経をしてもらって377号線を太興寺に向かう。

雨がパラパラと降って来た。

しかし小雨なのでそのまま歩く。

14時、今夜の宿四国路に到着。

リュックを置いて太興寺に向かおうと

思ったが家人は居なかった。

そのまま置いていってトラブルが起きても

いけないとリュックを背負って太興寺へ向かう。

この近くにおおひらと言う民宿があるが現在

お休み中である。

経営者の具合が悪いのだそうな。

やはり経営者の高齢化に伴いやめていく

民宿も増えている。

跡を継ぐ人もいないので我々お遍路さんも

心配である。

太興寺に着く。

 

納経所では今年も茶トラの猫ちゃんがいた。

かわいい、たまらなくかわいい。

猫ちゃんは私が撫で続けている間も眠り

続けていた。

随分と神経の図太い猫ちゃんである。

太興寺の眠り猫である。

納経が終わり時計を見ると15時である。

もう宿へ帰るだけである。

境内のベンチに座ってのんびりする。

今回のお遍路はのんびりすることが多かった。

やっぱり楽ですね。

通しのお遍路をするならやはりこれですね。

納経所を見ると女の人が猫ちゃんを撫で

ている。

16時宿に着く。

2時間前に宿に着いたことを告げるとご主人

は孫のことで小学校に行ってたと言った。

風呂に入り晩ご飯を食べる。

客は私1人だった。

淋しい。

理想を言えば5人くらいいて男3人、50代と

20代の女性が一人づつといったところか。

淋しいのでご主人が少しだけ相手をして

下さった。

色んな、宿の不具合なんかは全部自分で直す

のだそうだ。

いちいち業者に頼んでいたら宿をたたむしか

ないとの事。

歩き遍路さんもどんどん減っている昨今、

民宿の経営も仲々苦しいのだそうだ。

だから皆さんお遍路においでよ。

四国をパラダイスにしようよ。

部屋に戻り窓から外を見る。

雨は本格的に降っている。

明日はポンチョのお出ましかと覚悟を決めて

眠りに就く。

本日の歩行距離31,25km

 

6月15日

朝5時に目が覚める。

最初に目が行くのは窓の外である。

かなり激しく降っている。

雨どいからも溢れている。

ご主人、忙しくて雨どいの掃除も出来ないのだ。

こんなにつぶさに観察する客っていやですね。

でも私の家も汚いですよ。

もう7年くらい掃除をしたこともない。

ゴミで懸躓きそうになることもしばしばである。

NHKの気象情報を見る。

それによると6時から9時までは曇りとなっている。

この先止むのかな。

身支度を整えていると本当に雨は止んだ。

朝食は6時半からだったが、無理を言って

早めてもらった。

ご主人 わがまま言って ごめんね

去年泊まった時徳島の人が仕事で長期滞在

していたがどうされたと訊いた。

あれから鳴門の方へ移られましたよと

ご主人は言った。

工事関係の人で、1人だけ受け入れたのだ

そうです。

部屋の数だけ受け入れると、お遍路さんが

泊れなくなり、それが続けば誰も泊まって

くれなくなるというのがその理由です。

いつ雨が降って来るかわからないので

急いで朝食を済ませ部屋に戻って荷物を

持って玄関までやって来た。

するとご主人が、味噌汁出すの忘れてました

と持って来た。

今頃持って来るご主人もご主人なら、それを

靴を履きながら食べる私も私である。

想像して御覧なさい。

ユーモラスな光景である。

私はご主人のことがとても好きになった。

6時40分宿を出る。

空が明るくなり雨は当分降りそうもない

気配だ。

やはり私はお大師様に守られている。

私がお遍路で初めて訪れた観音寺を目指す。

街はかんおんじだが寺はかんのんじである。

街中で自転車に乗った東南アジアの娘さん

たちに出逢う。

豊田市にも沢山いるが、観音寺とは驚きだ。

賑やかに喋りながら行く。

きっとみんな仕事仲間なのだろう。

8時少し過ぎ観音寺に着いた。

観音寺

 

神恵院

2つのお寺を参り600円を払って納経して

もらう。

トイレに寄り観音寺駅を目指す。

晴れていたら本山寺まで行こうと思ったが

途中で雨が落ちて来そうなので止めた。

腹八分で足ることを知る。

ここらも少し成長したような気がする。

9時05分観音寺駅到着。

時刻表を見ると9時09分のサンボート

南風リレー号という長ったらしい名の

電車があった。

目の前には3人の切符を買う乗客がいた。

間に合うのか、私は焦った。

坂出経由で名古屋まで下さい、新幹線を

利用しますと私は駅員に告げた。

よく覚えていないが1万2000円は越えて

いないと思う。

電車は手前のホームに入ったのでなんとか

間に合った。

しかしこのサンポートとか言う電車がとんだ

食わせ物で、快速とは名ばかりの各駅停車

だった。

少なくとも私が乗り替える坂出駅までは。

多度津駅のホームでハッピを着た人たちが

旗を持って客を迎える準備をしていた。

ナニナニ、辿り着きたい多度津だと、私の

親父ギャグよりひどいな、突っ込み点数

をつけてやれ。

突「3点」

坂出で降りた。

改札口で、お土産が買いたいんで降ります

と切符を見せた。

やはりここらでお土産と言えば「讃岐うどん」

でしょう。

すぐに引き上げて来て24分のマリンライナー

に乗る。

やはりこの列車は人気がある。

11時03分岡山着。

今日は土曜日なので「のぞみ」は混むだろうと

11時23分の「ひかり468号」に乗る。

始発駅だけにガラガラだ。

そこらにガラガラヘビが潜んでいないかと

心配になって来る。

突「2点」

名古屋への到着時刻は40分ほど遅れるが、

それを補って余りあるほど快適だ。

今まで気が付かなかったが1時間に一本、

ここを始発とする「ひかり」があるのだ。

腹が減ったので車内販売の幕の内弁当を

食べた。

見た目は少ないようだが、充分満腹した。

さあそれでは恒例の総括と行きましょうか。

宿泊費 44000円くらい

それ以外の飲食費 8000円うろ覚え。。

運賃 34000円のような気がする。

納経料 3300円 11のお寺で間違えようがない。

お土産代 3000円だったと思う。

記憶喪失分 2000円であるよなないよな。

賽銭 41億8352万6701円夢だったかもしれない。

利用した公共交通機関

名鉄三河線、本線、JR東海道山陽新幹線

瀬戸大橋線、予讃線。

廻ったお寺(全行程)

名鉄BVー名鉄知立ー名鉄名古屋ーJR名古屋

ー新幹線ーJR岡山ー予讃線ー内子ー別格8番

十夜ヶ橋ーときわ旅館泊ー別格7番出石寺

ーJR西大洲ーJR伊予大洲ーときわ旅館連泊

ーJR伊予大洲ーJR伊予氷見ー60番横峰寺ー

せとうちバス氷見ー小松駅前ービジネス旅館

小松泊ー小松駅前―伊予西条駅ー伊予三島ー

65番三角寺ー別格14番椿堂ー民宿岡田泊ー

別格15番箸蔵寺ー白地郵便局ー車で民宿白地荘

泊ー白地郵便局ー66番雲辺寺ー下山ロープウェ

イ乗り場ー別格16番萩原寺ー67番太興寺ー

民宿四国路泊ー68番観音寺69番神恵院ーJR

観音寺ーJR坂出お土産ーJR岡山ーJR名古屋

名鉄名古屋ー名鉄BV

喋った人(含む挨拶のみ) 70人くらい

出逢ったお遍路さん(除く境内) 10人

出逢った猫 1匹(太興寺のチャー君)

出逢った犬 6匹(横峰寺の麓)

出逢ったリス 1匹

出逢った蛇 1匹

渡したブログのメモ用紙 3枚 ときわ旅館

、民宿白地荘、そして壬生川のお嬢さん。

全走行距離179,55km

今回は行き当たりばったりのトリッキーな

お遍路になってしまった。

しかし今までで一番楽しかったのは何故だろう。

決められた順番通りのお遍路よりも、わがま

まに振舞う方が私には合っているからだろう。

これで高い山は大滝寺のみとなった。

冬が来る前にこの山も片付けておきたいと

思います。

2日目の山中で帰りたくなったが、壬生川の

娘さんに逢って元気をもらった。

もらい過ぎて、勢い余って、予定してなかった

雲辺寺山頂まで押し上げられてしまった。

男は幾つになっても娘さんが好きだね。

突「ただの助平ジジィじゃねえか」

それを言っちゃお終いよ。

少なくとも私は精神異常者でないのだから

それでいいじゃないか。

なお、後3回のお遍路で結願するのはきついか

も知れません。

なので次回は9月の、涼しい日が続くころに動き

始めるかも知れません。

乞うご期待。

それでは明日から馬日記を再開いたします。

よかったらそちらもご愛読くださいな。

じゃあね!