猫、ついに歩く。その4

5月14日

朝7時50分私は家を出た。

私としては遅い旅立ちの時刻である。

花の水やりは昨日の豪雨のお蔭でサボら

してもらい、猫たちの餌だけはどっぷり

と与えて、まずは隣の家に立ち寄り、呼び

鈴を押した。

「隣の○○ですが、回覧板は来てます

でしょうか」

「まだ、来てません」

「しばらく旅に出ますので次の回覧板は

○○さんの方へ送っておいてもらえませ

んでしょうか」

「はい、わかりました」

こうして今回の紀行文は隣の家との回覧板

にまつわるやりとりから始まった。

勿論、来てればすぐにもらい、チェックして

○○さんに届けてから行くつもりでいた。

次に私は新池公園前のファミマに向かった。

いつもの散歩コースを金剛杖を持って歩く

のは少々気が引けたが。

週刊競馬ブックをキープしておいてもらう

ため電話番号と名前を書いて 頼み、ついでに

旅行の費用を卸してバンブーヴィレッジステー

ションへと向かった。

8時41分の電車に乗った。

車内は思ったよりも混雑していたが、

何とか座れた。

知立で、57分発快速特急「新鵜沼」行きに

乗り換え9時17分名古屋に着いた。

やはり名古屋本線は混んでいて座れ

なかった。

9時49分発の「のぞみ」に乗り、岡山から

「しおかぜ9号」11時35分発に乗った。

空いた席はないかと探した。

空いた席はいくらでもあったが、2席とも

空いた席は一つもなかった。

見事に一つづつ埋まっていた。

一人旅の人が多いのでしょうね。

私は通路側の席に座った。

宇多津あたりまで来た時、通路を挟んだ

隣の席の女性から、お遍路ですかと声を

かけられた。

きっと金剛杖を見てそう思ったんだろうと

思う。

お遍路に興味のある人、あるいは経験の

ある人はよく声を掛けて下さる。

普通の観光客ではまず経験できないことだ。

まさに金剛杖の威力だ。

彼女も一度だけバスツアーの遍路をした

ことがあると言った。

今は足を悪くして出来なくなったとも言った。

今日は観光の旅ですかと問うと、伊予三島

の実家に里帰りだと言う。

今日は道中、電車の事故がいくつかあって

予定より遅れてしまったと言った。

どういうことですかと訊くと、安城の踏切に

人が侵入したということで電車が止まり、

刈谷駅を過ぎた辺りで容体が悪くなった人

が出て大府駅で待機する救急車に乗せるため

しばらく止まり、合計で40分ほど遅れたと

言った。

彼女は伊予三島から安城市にお嫁に来た

人だとわかった。

実は私も隣町の豊田市から来たんですよ

と告げた。

急に親しみが沸いた。

「しおかぜ」は海岸寺あたりを通りかかった。

昔はこのあたりは鉄道のすぐそばまで海

だったんですよ、風の強い日は波が車輌

にかかるくらいでした。

詫間までの海岸線は埋め立ててあるん

ですよと彼女は言った。

へーっ、知らなかった。

私、ボーッとして生きてました。

まさに「埋めよ増やせよ」だったんですね。

もうじき左手に本山寺の五重の塔が見えて

来ますよ、と彼女は言った。

私も注目して見ていたが五重の塔は現れ

なかった。

高い建物が立つようになって、いつの間にか

見えなくなってしまったのだろう。

若い時は見えたのにねと彼女は言った。

いいじゃないですか、それだけ繁栄した

と思えばと私は彼女を慰めた。

やがて伊予三島が近いことを車内アナ

ウンスが告げた。

「じゃ、頑張ってくださいよ」

彼女はそんなセリフを残し、降り遅れ

ないために早めに席を立った。

杖をついてゆっくりと歩を進めた。

その様子から見て、かなり足が悪いのが

わかる。

こんな状態にもかかわらずたった一人で

彼女は安城から伊予三島までやって来た。

彼女との一期一会に何か、お大師様に、

お前も頑張るんだぞと言われているよう

な気がした。

製紙の伊予三島を過ぎ、タオルの今治を

過ぎ、道後温泉の松山に14時13分に

着いた。

久万高原行きのバスは15時50分発だ。

駅の構内にある飲食店で中華そばを食べる。

ごってりとしたラーメンより、さっぱりと

したこれが私は好きだ。

きっと宿の夕食は18時だろうから、これ

くらいにしておいた方がいい。

店を出てJRバス乗り場のベンチに座る。

まだ14時半である。

お遍路に来て、こんなにのんびりする

ことは珍しい。

しかし私は、この松山駅前の風景が好き

なので退屈をすることはない。

高松行きのバスが来る。

徳島行き、高知行き、続いて大阪行きなど

次から次とJRバスがやって来る。

勿論名古屋行きもここから出ている。

が乗る気など毛頭ない。

視線をタクシー乗り場へと移す。

待機タクシーが4台いる。

他に待機場所があり、さばけた台数だけ

後に続く。

が、なかなかさばけない。

一列車到着するたびに、せいぜい3台

くらいか。

これじゃ1日5人くらいしか客がとれない

かも知れないな。

走っていない間は寝ててもいいわけだから

悪い商売ではないかも知れないが。

久万高原行きのバスは定刻より10分前に

やって来た。

始発駅であるから何の問題もない。

車内に一日乗車券1400円という貼り紙が

あった。

久万中学前まで1340円なので私には

関係のない話である。

昨年は、おっちゃんと利用した記憶はあるが。

途中で降りたことのある立花駅が見えた。

弁当を買ったJA森松が見えた。

綱義にお土産を買ってもらった砥部焼の

店が見えた。

16時58分バスは久万中学前に着いた。

4月1日、3回目のお遍路を終えた場所である。

正確に言えば断念した場所である。

1回目をくろしお鉄道「西分」で終わり

2回目を同じく、くろしお鉄道「平田」で

打ち切り、3回目を久万高原バス「久万中学前」

で断念した。

そして今ここから4回目のお遍路がスタート

する。

誰も見てないから、塩ヶ森で降りて、長珍屋

へ向かえば随分とショートカット出来るん

ですがね。

冗談は大好きな私ですが、嘘のつけない

性分なもので、予約しておいた宿へと向かった。

宿の名は言えない。

言えない理由はやがてわかる。

5分も歩くと右手に宿が見えた。

ここまで具体的に言うとほぼ言ってる

ようなものだが。

部屋に通され、旅装を解く。

鍵もなく、中からも掛けられない部屋だ。

常に財布は持っていた方が無難だ。

定石通り夕食は18時からだった。

またしても食卓には小鯵が登場した。

これも定石通りだ。

他にもイノシシ鍋が出た。

私の隣には神奈川県から来た初心者がいた。

途中まで歩いていたが足を痛め、札所間の

長い所は公共交通機関を使っていると言った。

よくあるパターンだ。

今まで幾人も見て来た。

向かいに座るは福岡から来たと言う夫婦

だった。

8日間かけて今日廻り終わったと自慢げ

に話していた。

あんまり自慢できることでもないと思うが。

実は私は5km先の「桃李庵」に昨日予約

の電話を入れたんですよ、ところが携帯

電話を持っていないんで断られました、と

皆に話したら奥さんはまあ何ででしょうね

と言った。

旦那さんは、ドタキャンされると困る

からだと思うよと言った。

明日は石手寺まで行きたいので5時に出発

します、と言い訳し私は夕食の席から早めに

消えて、風呂に入り8時には床に就いた。

うつらうつらと寝息を立て始めた頃、何やら

ガサゴソと乾いた音がどこかから聞こえて来た。

ふっと、障子に目をやると黒く長いものが

蠢いているではないか。

メガネを外していた私にはそれはヤモリに

見えた。

ま、ヤモリなら悪さもしないからいいだろう

と引き続き眠っていた。

しかしいつまでたっても音が収まらないので

追い払おうと電灯を点けて見るとそれは

10cm以上もあるムカデであった。

これはヤバイと主人を呼びに行ったが、どこ

にもいない。

部屋に帰る途中のテーブルの上にムカデ退治の

殺虫剤が置いてあった。

常にこの宿では出るのだろう。

それを黙っている主人は悪質だと思う。

私は障子のムカデに向かって思いっきり

スプレーをかけた。

畳に落ちたムカデは身悶えしながら5分程で

息絶えた。

お遍路に来て殺生はいけないが、相手が

ムカデでは仕方がない。

私の知り合いに靴の中に潜んでいたムカデ

に刺された人がいた。

とても痛かったと言っていた。

ムカデも死んだので安心してスヤスヤと眠った。

まだいるんではないかということは全く

考えもしなかった。

本日の歩行距離4,47km。

 

5月15日

4時半に目が覚めた。

旅の支度を始めた。

昨夜の障子の部分を見た。

スプレー跡がしっかりと残っていた。

障子の張替代を請求されることはないだろうか。

宿が用意したスプレーで、宿で出たムカデ

を退治したのだから文句を言われる筋合い

はないはずだが。

文句を言ってくるような宿であればしっかり

としたムカデ対策もとっているであろう。

予定通り5時に宿を出た。

濃い霧が立ち込めていた。

早速、向かいにあるコンビニでおにぎりと

お茶を買った。

高原である。

肌寒い。

黙々と三坂峠を目指す。

途中で動物の死体を発見する。

狸であった。

車に轢かれたらしい。

「ナンマンダブ」

4kmも行くと三坂道路と旧の33号線に道は

別れていた。

右側の旧道を行く。

しばらくすると桃李庵があった。

私が宿泊を断られた宿である。

この一件で私は松坂桃李がいっぺんに嫌い

になった。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってやつだ。

恨むなら桃李庵を恨め。

少し行った東屋で休憩をしているお遍路さん

にあった。

おはようございます、と挨拶だけはした。

更に歩を進める。

道は緩やかな上り坂となっている。

車は殆ど通らない。

みんな三坂道路の方を通っている。

やがて先程の東屋のお遍路さんに追い

着かれた。

100%野宿の遍路をしていると言った。

しかしテントは持たないとも言った。

雨露をしのぐ場所で寝袋で寝ているらしい。

夕べはさっきの東屋で寝たんですかと訊くと

東屋は風も来るので小屋風のバス停で寝ます

と言った。

そう言えば少し手前にそんなのがありまし

たねと私は言った。

年の頃なら五十前後、意志の強そうな、精悍な

面構えをした髪の長い男であった。

そんな話をしていると反対側の歩道から入る

へんろ道が見えて来た。

私たちは道路を横切りへんろ道へと入って

行った。

三坂峠は標高710mである。

ここから標高85mの浄瑠璃寺へとへんろ道

は続く。

当然、最初の休憩所までは急激な下り坂

が続く。

足の指で踏ん張り、太腿に力を入れて

降りて行く。

そうしながらも彼との会話は続く。

安楽寺の山門で泊った事、立江寺近くの

無料宿、今は無くなってしまった日和佐

付近の廃車バス、種間寺や雲辺寺の通夜堂

等々。

この前の遍路の時、内子の田代口あたりで

無料宿を見ました、畳も敷いてあり布団も

用意されていましたよと言うと彼は、そこも

泊まりました、ただ布団は臭いましたと

言った。

そりゃ汗を搔いたお遍路さんが風呂も入らず

寝るんですからね、仕方ないですよと私は

言った。

やがて最初の休憩所に着いた。

私たちはテイクアブレイクをした。

彼はストレッチングを始めた。

私は朝飯のおにぎりをパクついた。

食事が終わると彼はタバコを吸い始めた。

どうせすぐ追い着かれるだろうと私は

先に歩き始めた。

ここからは舗装された道路であった。

しかし依然として急な下り坂は続く。

時々ふらついて倒れそうになる。

 

 

しばらくすると2番目の休憩所に着く。

トイレが用意されている。

坂本屋というかつては旅館であった所だ。

なぜこの旅館やめてしまったのだろう。

久万高原と浄瑠璃寺の中間にあり場所的

にはとてもいい所だと思うが。

例えば大寶寺宿坊に泊まった人が、岩屋寺

を打って浄瑠璃寺に向かう時、絶好の宿泊地

になるんではないかと思う。

桃李庵では近すぎるし長珍屋では遠すぎる

ってね。

なんなら私がこの土地買って建て直しても

いいんですがね。

なんて冗談ですよ、田舎すぎて切なくなって

しまう。

きっと経営者が老齢化してしまったか、リフォ

ームするお金がなかったのでしょうね。

休憩所からすでに40分経過、一緒に来た人の

足ならとうに私を追い抜いてもおかしくないの

だが彼の姿を見ない。

このあたり、道が幾つもあるので、きっと違う

道を行ってしまったのだろう。

207号線を行く。

伊予鉄バスの終点地丹波に着いた。

 

浄瑠璃寺は近いぞー。

2本あるへんろ道に翻弄されながらも9時40分

なんとか浄瑠璃寺に着いた。

 

 

浄瑠璃でも演じて私を歓迎してくれたら

言うことはないのだがなー。

この前泊まり損ねた長珍屋もある。

こんな田舎にしては結構大きな宿だ。

今日もいくつかの団体さんが泊まっているようだ。

浄瑠璃寺を後にして八坂寺に向かう。

通りからかなり奥まった所に八坂寺はある。

 

境内には極楽通り、地獄通りなどがある。

あの世には地獄なんてありませんからね、

皆さん心配しないで下さいよ。

ここで私は星野のおばあさんのお土産の

手拭いを買った。

お参りを終え、珍しくへんろ道を行く。

地図で見るとかなり距離短縮になるからだ。

池の横を通り194号線に出るとすぐに別格

9番札所文珠院が左手に見える。

境内を見ると女の人が1人納経所へと入って

行くのが見えた。

私も境内に入り、線香と蝋燭を灯した。

そして出て来た女の人に、この納経帳で

納経出来るんですかと訊いた。

後ろの何もない所にしてもらえばいいで

すよ、と言われた。

私も納経所へと入った。

高野山へ行って納経してもらう時、どこに

すればいいのですかとお坊さんに尋ねた。

やはり後ろの余白にして下さいと言われた。

初めての別格の納経に感激しつつ文珠院

を後にした。

194号線を北へと進む。

恵原のバス停に着いた。

時計は10時40分を示している。

久し振りに、元同僚の綱義の家を訪ねる

ことにする。

元気な姿を確認出来たらすぐ帰る予定なので

そんなに時間はとらないだろうと思って。

綱義の家は今リフォーム中であった。

ひょっとしたら一人娘が婿養子でも迎える

準備かも知れないな。

きっと私の憶測はものの見事に外れて

いると思うが。

今日は火曜日、美容院はお休みかと思いきや

営業をしていた。

私は客用の入り口のドアを叩いて奥さん

を呼んだ。

「まあ、どうしたの」

「いま、歩き遍路の真っ最中なんだ。綱義が

元気でやってるか知りたくてちょっと寄った」

「元気でやってるよ」

「そうか、それがわかればいい。じゃ

行くよ」

「ちょっと待ってよ。折角来たんだから

綱義に会って行ってよ」

「畑か」

「畑よ」

2年ぶりに綱義にあった。

金もないので農作業に明け暮れている。

と言うよりも稼ぎ頭は奥さんなので小さく

なっていると言った方が正しい。

きっとお遍路に明け暮れている私を彼は

羨ましく思っているだろうな。

免許を取り直したかと訊いたら、もう年だし

必要ない、ちょっと不便だけどと言った。

前の奥さんの墓参りがしたいと案内をし

てもらいそこで別れた。

ありがとうと、綱義は言った。

ありがとうと私も言った。

県道40号線を西林寺へと向かう。

時刻は11時半を過ぎていた。

しかし今日中の石手寺は大丈夫だろう。

23号線を横切り松山自動車をくぐり193号線

を抜けて西林寺に着く。

ここらあたりはうどん屋が多い。

しかし昼だから客は多い。

混んだ店は嫌いだから昼飯は1時過ぎと

することにする。

境内に入り、いつものようにお参りを

済ませ日陰のベンチで一服やってると

外国人がやって来た。

外国人はベンチに荷物を置き辺りを見回

している。

その視線が私を捕えた。

彼は荷物を持って私の方へやって来る。

ウェアデッジューカムフロム

彼はドイツからだと言った。

どうも私は外国人に好かれるようである。

この私の、自由奔放さが、オーラとなって

出ているのかも知れない。

初めて来たのは3年前、単なる旅行であった。

そこで目にしたのが白装束のお遍路さんだった。

彼は国に帰りお遍路について調べた。

そしてお遍路のとりこになったと英語で話して

くれた。

突「嘘、日本語だったじゃない」

彼は名古屋に友達がいる、その彼とは日本と

ドイツを行き来するほどの交流がある、今は

1人で廻っているけどその彼ともうじき合流

するとも言っていた。

彼は私にどこから来たかと訊いた。

私は、愛知県のトヨタからだと言うと彼は、

実は友達も岡崎なんだと言った。

しおかぜで知り合った人も安城の人だし、なにか

みんな縁があるんですね。

彼はこれからどちらへ行くと訊いた。

北条、今治、西条と行きます、と言うと、じゃ

これからも何度も逢いますねと言った。

程よい所で彼と別れ、納経をしてもらい

浄土寺へと向かった。

県道40号線を西へ進む。

国道11号線と交わる。

思い起こせば30数年前西条方面から来た私は

ここを曲がり綱義の家を目指したものだ。

思い出の交差点だ。

伊予鉄道の踏切を渡り、突き当たりの道路を

左へ1kmも歩くと浄土寺である。

 

お参りを済ませると、ドイツ人の予言通り

また彼に逢った。

グーテンターク。

40号線を進む。

途中からへんろ道に入る。

舗装路を通ると2倍以上の距離がかかる

から当然である。

わかりやすいような、わかりにくいような

へんろ道を通り2時半に繁多寺に着いた。

門前でアイスクリンを売っている。

無視して山門へと進む。

一礼して境内へと入る。

手水場で手を洗い、蝋燭に火を点ける。

その火を線香に移し線香立てに立てる。

賽銭を投入し願をかける。

私の一通りの所作というものは、こんな

ものである。

般若心経は最初の観自在菩薩と、途中の

色即是空、空即是色と、最後の羯帝羯帝

波羅羯帝般若心経くらいしか知らない。

まったく申し訳ない、4回目からは完全に

覚えて来ますのでお許しくださいませ

お大師様。

納経を済ませて出て来ると公衆電話

があった。

急に出て来た訳でもなく、前からあった

のですが・・・。

家から予約を入れたのは今日泊まる民宿

みよしまでである。

円明寺までが13kmでそこから20kmが

菊間である。

菊間が距離的には妥当であろうと地図を

見るとただ一軒のホテルがあった。

海辺のホテルマリーナシーガルである。

予約の電話を入れた。

平日だし、そんなにお遍路さんもいる

訳でもないから菊間でもなく泊まれるだ

ろうと高を括っていたらあっさりと断

られた。

どうも、この親父ギャグがいけなかった

らしい。

これはヤバいことになった。

このお遍路のスケジュールが根底から

覆されるような一大事である。

しかしここで悩んでいても仕方ない。

とりあえず石手寺まで打って、宿に着いて

から、その先のことは考えようと進む。

門前のアイスクリン売りの爺さんはまだいた。

私はくださいなと言った。

さっき冷たい態度をとったのはアイスクリン

が溶けてしまういけないと思ったからですよ。

突「80点」

チミ、ここは点数つけるところではありませんよ。

今日は暑いねと爺さんは温度計を

見せてくれた。

パラソルの下なのに30,4℃もあった。

県道40号線には飲食店は殆どなかった。

たまにあっても道路の反対側だったり、私の

好きでない中華料理店やカフェであったり、

やっと適当なのがみつかったと思ったら、

15時09分にみつけた15時00分から休憩の

店だったりとかしました。

石手寺には15時40分に着きました。

 

いつものようには賑わってはいませんでした。

観光客は今頃、お風呂に入っていると

思います。

納経をする訳でもないからその後やって来る

んではないでしょうか。

日も長くなったことだし。

所定の所作を終わり戻って来ると参道入り

口付近に食堂がありました。

中華そばと飯をしっかりと食べ、民宿みよし

に向かいました。

民宿みよしは石手寺からすぐそばにありました。

フロントは明日の宿は決まってますかと

尋ねました。

私は菊間の一件を話しました。

フロントはそうですかとだけ答えました。

なぜ満室なんでしょうかね、私には解せま

せんと言うと、彼は、実は菊間には石油コン

ビナートがあるんですよ、そこで定期的な

メンテナンスがあって業者さんがたくさん

やって来るんですよ、きっと今その時期なん

だと思いますと言った。

結局運が悪かったんですね。

フロントに宿に通され、早速一番風呂を

浴びた。

きれいな八畳の部屋でトイレまでついている。

民宿にしては珍しく冷蔵庫もあり、中には

水の入ったペットボトルもあった。

是非今度来た時も泊まりたいと思った。

これで4000円ならお買い得ですぞ皆さま。

布団を敷いて寝そべり今後の予定を立て直した。

明日は菊間の手前の北条に宿をとろう。

歩行距離は30kmにも満たないが、その分

朝はゆっくり出来るし、楽した分、翌日

しっかり歩けばいい。

そんな結論が出ると急に強い睡魔に襲われた。

今日はこれで寝ます、睡魔せん。

突「35点」

本日の歩行距離35,50km

 

5月16日

5時に目が覚めた。

夕べはよく寝た。

やはりよく歩くことが最高の睡眠薬に

なる。

歩き遍路を始めてからそれがよくわかる

ようになった。

眠れないのは心が疲れているから。

くたくたになるほど体を酷使してやれば

死んだようになって眠れますよ。

近所のコンビニでサンドイッチとコー

ヒーを買ってくる。

旅館の駐車場で豊田ナンバーの車を

みつける。

部屋に戻りNHKの天気予報をみながら

食べる。

明後日までは晴天だが金土日は文字通り

雲行きが怪しいらしい。

今日は7時の出発である。

それまでゆっくりとNHKのニュースを

見ていられる。

たまにはいいものですね、こんなのんび

りするのも。

使用済みの衣類はプラスチックバッグに

入れリュックの底に置く。

歯を磨き顔を洗い7時に出発する。

同じ頃、宿を出発した人が豊田ナンバー

の車に乗り込んだ。

彼らは夫婦で観光ドライブ旅行をしている

と言った。

地域医療センターの近くに住んでいるらしい。

彼らの激励を受け、地図の指示通り187号線

を進む。

義安寺を過ぎた辺りから右へ行く道を

登って行く。

公衆電話があった。

早めに宿を決めておきたいと思い電話

をする。

宿は太田屋ビジネス旅館である。

選定理由は196号線沿いであり、みつけやす

かったからである。

返答はOKであった。

やはり宿が決まるとホッとする。

しかしこのあたりで道に迷う。

通りかかった老人に道を尋ねる。

私について来なさいと言う。

ついて行く。

本来行くべき道の2,5倍は歩かされた。

迷った理由は黄色い地図の悪さであった。

この本は掲載した旅館から掲載料を頂いて

いる。

したがって掲載料を頂いていない旅館は

掲載していない。

本来地図上にあるべきものがないのであ

るから読者は悩む。

おいこら、編集者よ、読者だって大枚

2700円の金を払ってこの本買うとんのやで。

お前ら、読者と旅館とどっちが大切やねんな。

あるものはちゃんと掲載しろ、電話番号

だけ載せないようにしておけばいいのである。

読者の意見は次の改訂版で生かさな駄目ですよ。

でも基本的には人を頼った自分が悪い。

ファミリーマートのあたりの信号を右に

曲がり後は道なりに進む。

歩道のない道路である。

愛媛県は結構こういう道が多くて怖い。

スーパーフジグランの信号で右折し、196号

線に入る。

3Kmも歩くと左から来た道と合流する。

本線はこちらであるから、左から来た道が

合流すると言った方が正しい。

次の信号を左折し、予讃線を越えるまで歩く。

途中にポンジュースの本社ビルがある。

 

皆さんも飲んだことがあるでしょ。

あのポンジュースの総本山ですよ。

だんだんと交通量も少なくなり人影も

まばらになって来る。

予讃線の踏切を越えてすぐに右折する。

団地の前を通り突き当たりを左に折れる。

やがて右へ折れる道が二本ある。

どちらでもいいから右へ折れる。

私は遍路道を行く。

自販機で水分を補給する。

池の横を通る。

ミシシッピアカミミガメが沢山泳いでいた。

松山北中学の横を抜け、大将軍神社の前

を通り、伊予鉄バス停「片廻り」の前に出た。

そして183号線をしばらく進み右に別れた

道を入って行く。

一ノ門がある、更に進むと山門がある。

右には車道がある。

 

歩く人は横着をせずに、ちゃんと山門を

通ろう。

11時本堂に到着。

国宝だそうです

 

納経をしてもらい円明寺へと向かう。

11時半円明寺到着。

 

お参りを済ませ、杖のないのに気が付く。

捜していると手水場の柱にもたせ掛けて

あった。

杖を持って境内を出る。

北条までここから11km。

電話をした時、宿主に3時半過ぎに来てくだ

さいと念を押された。

きっと近所の餅投げを拾いに行くのだろう。

このまま行くと3時には着いてしまいそうだ。

そんな事を考えていると、私の右目尻がこんな

ものを捉えた。

 

 

私は中へ入った。

こんな田舎にしては珍しく6人の客がいた。

丁度お昼ということもあるのだろう。

昼間から二人のおっちゃんはビールを

飲んでいた。

ここの中華そばは滅茶苦茶美味しいよ、と

おっちゃんから声がかかった。

じゃ、中華そばとご飯を下さいと私は

オーダーをした。

まさにそれは私の好きな昭和の食堂であった。

それもまだ幼かった頃にあった、それである。

座布団も小汚いし、多分調理場はゴキブリが

横行していることだろう。

壁に貼ったお品書きも数えきれないほどあり

、おばちゃんが真心こめて料理している。

こんな食堂が近所にあったら私は足繫く

通うことだろうと思った。

中華そばは15分程で出来上がりご飯と沢庵

を従えてやって来た。

ここの中華そばは一度食べたら止められな

くなるよ、腹が減ったらまた戻って来るはずだ。

おっちゃんの掛け声が昭和食堂のムードを

さらに高めている。

満足して店を出る。

地図の通り進む。

比較的わかり易い道だ。

347号線を進むと海に不思議なものが

浮かんでいた。

 

 

見ていると自転車の若者が、あれはなん

ですかねと話しかけて来た。

私は、わかりませんとだけ答えておいた。

動いてないから船でないことだけは確かだ。

ひっとしたら宿泊施設かも知れないな。

女性が喜びそうだな。

豪華客船の真似事なんかして。

今日も30℃近い炎天下を歩いて16時、

太田屋ビジネス旅館に着いた。

またしても一番風呂に入り、おにぎりを

食べて明日の計画を練る。

計画1、泰山寺まで打ってアーバンホテル

に泊まる。

計画2、仙遊寺に泊まる。

計画3、仙遊寺まで打って伊予富田付近の

ホテルバリ・インに泊まる。

この三案が浮かんだがどこまで行けるのか

見当もつかないので案だけに留めた。

その時私はあることに気が付いた。

53番札所の納経所へ寄った記憶がない

ことに。

私は納経帳を開いた。

やはり53番札所は空白になっていた。

食堂で酔っ払いがまたここへ戻って来たく

なると言った時やけに私の心は動いた。

それに道中ずっと、漠とした不安に襲われ

続けていたのはこれだったのだ。

しかし戻る気にはならない。

また次の機会で構わないと思った。

そんな事を考えていると眠気に襲われた。

それでは皆様、おや睡眠なさい。

突「親爺ギャグにも程がある」

本日の歩行距離 28,89km。

 

5月17日

5時に宿を出ようとしたが玄関が

開かない。

フロントの電話で呼び出すと女将が

開けてくれた。

今日は仙遊寺でお泊りですかと訊か

れたが、アーバンホテルに泊まるつもり

です、と答えておいた。

179号線を北に向かって進む。

橋を渡りスーパーマルナカの信号を

右折し次の信号を左折しようとしたら

右側にコンビニがあった。

私は歩行者用の押しボタンを押した。

しかしいつまで経っても信号は青に

ならなかった。

業を煮やした私は一計を案じた。

赤信号の横断歩道を渡るのはルール違反

である。

しかし道路を横切るのは違反ではない。

私は全く車の通らない午前5時20分の

国道196号線を横切った。

コンビニでおにぎりとお茶を買った。

以下、上記と同文。

舗装路の遍路道を進む。

196号線よりもかなり距離が短縮できる。

途中で鎌大師への遍路道があったが、王道

を進む。

坂道を登っているとジョギングの人が

歩き遍路ですかと声を掛けて来た。

はいそうですと言うと頑張って下さい

と言って去って行った。

やっぱりお遍路はいいね。

普通の観光客なら誰も声など掛けて

くれない。

休憩所を過ぎると左へ降りて行くへんろ道

があった。

地図では未舗装路となっているが舗装路で

ある。

軽トラックにも一台あった。

下り坂を下り切ると民家がポツポツ

とある。

庭に猫がいた。

やせ細っている。

 

 

外飼いの猫で、あまり餌も貰ってない

みたいだ。

私は前回の遍路で買って、カバンに残

っていたチーズを彼に与えた。

発酵食品だから大丈夫だろう。

猫は「ウミャー」と鳴いた。

なんでも先祖は名古屋出身だそうだ。

100mも行くと池があった。

オシドリのような鳥がいたのでカメラに

納めた。

 

 

しかしメスを三羽も従えているので

オシドリではないみたいだ。

お前は一体何者だと問うと奴は

いちにーサンバ にーにーサンバ

お嫁お嫁三羽

と歌いだした。

馬鹿なことを言ってると196号線に

合流した。

浅海の街並みを歩く。

あさなみと言う。

海岸が見えて来た。

 

唄でも歌おうか。

浅海の海岸散歩する 貫一お宮の二人連れ

 

貫一とお宮は許嫁(いいなずけ)の関係に

あった。

ところがお宮は彼を裏切ってお金持ちに

嫁いでしまった。

憤懣やるかたない貫一は、この売女と

お宮を蹴った。

男尊女卑のこの時代だからいいものの、

今だったら貫一は炎上していることだろう。

まず売女とののしった、これは名誉棄損

罪にあたる。

そして彼女を下駄で蹴った。

衣服に泥がついて器物損壊罪である。

さらに彼女は転び、腕に擦り傷を負った。

疑うこともない傷害罪である。

懲役3年6か月の実刑は免れないだろう。

ちなみに間寛平は貫一の孫にあたる。

お宮の恨みを買って、あのような馬鹿の子

としてこの世に生を受けた。

「こら、犬、どけ」と言う、犬を蹴るギャグは

まさに隔世遺伝と言わざるをえない。

寛平「誰が猿やねんなー」

さらっと次へ行こうか。

町のはずれの自販機の前で朝飯の

おにぎりを食べた。

通勤ラッシュの時刻だ。

車がひっきりなしに通る。

制服を着た小学生の男の子と女の子が、

おはようございますと言って自転車で

去って行く。

とっても可愛いかった。

再び196号線を歩き始める。

左は海岸線が続き、右側はJRが寄り添う。

「しおかぜ」が何本通ったことだろうか。

やがて左手に泊まれなかった、海辺のホテル

マリーナシーガルが見えて来た。

街中に入る。

この辺りは瓦造りが一大産業となっている

ようで、あちらこちらに瓦工場がある。

というより、芸術的な瓦作品も多いので

工房と言った方が正しいのかも知れない。

 

 

家の解体工事をした時に出た瓦も多く

見られた。

一体何に使うのだろう。

謎を残したまま進むと太陽石油のコンビ

ナートが現われた。

 

 

これが菊間での私の宿泊を拒ませたのだ。

私の心にもメラメラと恨みの炎が燃え上がる。

亀岡辺りでサイクリングの男性に声を

掛けられた。

大阪の堺から来て海岸線の風景を楽しみ

ながら一周していると言った。

今日が誕生日で私と同い年になったと

言った。

五分ほど話し、お互いの健闘を祈って

別れた。

やっぱり人との出会いは滅茶苦茶楽し

いですね。

星の浦海浜公園の辺りから196号線の

歩道が消えた。

路側帯も狭く、大型トラックもよく通る

のでへんろ道へと進路を換えた。

なぜ196号線がへんろ道になっていない

のか不思議に思っていたが納得出来た。

196号線の下をくぐり予讃線を横切り

大西駅近くを通って再び196号線と合流

する。

お遍路シールも多くわかり易い道だ。

196号線、38号線と歩を進め延命寺

への道標を左に入って行く。

11時半延命寺到着。

 

お参りをして納経所へ行く。

今日中に仙遊寺まで行けるでしょうか

と尋ねると、栄福寺までは保証できます

が仙遊寺は微妙ですねと言う。

この時点で伊予富田付近のホテルは無理

であることはわかった。

理想は仙遊寺の納経時刻に間に合い、宿坊

に泊まれることである。

が結論の出せないまま私は南光坊を目指した。

へんろ道を進み、少し道に迷って13時に

着いた。

 

やはりへんろ道は苦手だ。

お参りを済ませ納経所へ行く。

境内に公衆電話はないかと尋ねるが、最近

撤去してしまい、ないと言われた。

泰山寺へと進む。

今治駅の近くを通りかかったので公衆電話

を捜すがなかった。

構内に入ると2機もあった。

右側の電話で仙遊寺に予約を入れる。

なんとか部屋は空いていた。

しかも夕食もOKだと言う。

いまどこにいると言うので今治駅だと

言うとギリギリセーフですねと言う。

13時30分泰山寺を目指す。

14時10分泰山寺到着。

お参りを済ませ15時栄福寺到着。

へんろ道がコンクリートの道路に変わって

いた。

15時10分栄福寺出発、すぐ近くの商店に

アイスクリームの貼り紙があった。

喉も渇いていたので買った。

繁多寺で食べたアイスクリンであった。

しかし価格は半額の100円であった。

アイスクリンを舐めながら車道を進む。

途中で農作業をしているおばさんに会った。

去年ここで道を尋ねた人ではないですか、

と訊くとああそんな事がありましたねと

彼女は言った。

恐らく彼女はその人であろうと思われるが

そんな事覚えている訳がない。

適当に話を合わせているだけであるが

私はこんなユーモアのある人が好きだ。

私が左側を歩いていると彼女は右側を

歩きなさいと説教をされてしまった。

事故に遭った時何も言えなくなりますよ

と言った。

楽しいおばさんだ、きっと来年もこの時期に

この場で会うような気がする。

厳しい坂道を登る。

仙遊寺まであと0,1kmの道標をみつける。

しかしそれは山門までの距離で、まだまだ

これからでした栄福寺の坂と人生は。

 

 

突「それって岩屋寺のパクリじゃないですか」

16時20分栄福寺に到着。

境内で、三坂峠で知り合った長髪のお遍路

さんに再会した。

長髪さんは今日はどこに泊まると訊いたので

この宿坊だと答えた。

あなたはと訊き返すと国分寺あたりの

神社に宿をとると言った。

お参りを終え宿坊に向かう。

早速4日分の洗濯をするため洗濯場へと

向かう。

そこには先客が一人いた。

もうここに3日も泊まっていると言った。

彼女に洗濯機乾燥機の使い方を教わり

滞りなく洗濯は終わった。

気さくで感じのいい女性であった。

18時から夕食であった。

今日の宿泊者は10名ほどであった。

オーストラリアからの外国人が1名いた。

が私を含め英語に堪能な人ばかりだった

ので孤立することはなかった。

突「聞き捨てならないセリフだな、今の」

私の前には奈良県から来た30代半ばの

女性が座った。

雰囲気からして独身だろう。

斜め右の人は北海道からだと言った。

初めて逢った、北海道のお遍路さんに。

1人、若い女性がいて盛んに外国人と英語

で話している。

座談会の内容をすべて話していたらキリが

ないので部屋に戻る。

20時灯りを消して眠りに就く。

山の上だと言うのにウシガエルがやけに

うるさい。

しかしいつしか夢の中へと引きずり込ま

れて行く。

さがしものはなんですかウウウー。

本日の歩行距離41,40km

 

5月18日

5時に目が覚める。

みんなが起きる前に早めに歯を磨き

顔を洗う。

身支度を整えて本堂に向かう。

ここでは朝のお勤めが必須なのである。

つまり朝の5時に旅立つことは出来ない

のである。

したがってここに泊まる人は納経時刻の

17時までに到着する必要はないのである。

夕食の18時に間に合えばいいのである。

本堂に行くと洗濯場で知り合った女性が

僧侶の衣を着ていた。

道理でただ者ではなかったはずだ。

彼女は英語もペラペラである。

全員で般若心経を唱える。

知らない私は口パクで、お茶を濁す。

それが終わると焼香である。

そしてメインイベントは住職の講話である。

仏壇には女性の遺影が飾ってある。

まずは全員の自己紹介から始まる。

私は、車の街豊田から来ましたが、歩いて

いますと言った。

それに対して住職は実は私も名古屋の

出身ですと言った。

空手が五段であること、お遍路を世界遺産に

の提唱者であること、狩猟の免許も持っている

ことなどを話された。

仕事と言えば、この朝の講話くらいで、普段は

農業をやっている。

がイノシシやシカの食害がひどい。

なのでやむなく銃で撃ち殺していると言った。

坊主が殺生とはとんでもないことだが、

しかしやらなければ死活問題だとも言った。

よそで修行をすれば何百万と要るが、うちは

タダで修行僧を引き受けている。

事実をありのままに語れば自慢話に

なってしまう、そんなスーパー住職でした。

でもまったくイヤミのない話でした。

そして遺影の女性は住職の奥さんで最近

肺がんで亡くなられたそうです。

同じ大学で知り合ったのがきっかけで、

自分の好みではなかったが惚れこまれて

しまいボランティアで一緒になった

と言っていた。

まさに死人に口なしである。

住職の話から、とても寂しい現在の境遇

が伝わってきました。

住職は私に独身ですかと問われました。

私が「はい独身です」と答えると、[その方

が幸せかも知れませんね」と言いました。

私は失うものがないと言う意味で「はい」と

答えました。

全面的に独身を肯定したわけではありませんが。

最後に住職は夫婦がうまくやって行く方法は

お互いの欠点は許し合うことだと言いました。

すべてを許し合っていたら多分家庭は

崩壊するでしょう。

7時20分講話は終わりました。

私は宿坊の公衆電話から「同行民宿すず」に

電話をしました。

2分たっても出ないので、今度はビジネス旅館

小松に電話しました。

連泊したいのですがと言うとよろしいですよ

と返事がありました。

粟の雑炊を食べて7時半に宿を出発、一路

国分寺を目指しました。

帰りは境内の奥の方にあるへんろ道を

利用しました。

手摺のついた急激な下り坂を下りて行きます。

でも先の見えないワインディングロード

よりは安全です。

やがて車道に出ました。

振り返るとそこは山門でした。

 

すみませんね2度も同じ写真を出して

しまって。

車道を少し行き右手にあるへんろ道を

降りて行きます。

わかり易い道です。

想像してたより田舎道でした。

それにしても住職は毎日同じ講話をして

いるわけですよね。

3日も連泊している女性僧侶がいる訳だ

からとてもやりにくかったんじゃないの

かな。

同業者だから目をつむるけど。

やがて麦秋がありました。

 

ペットボトルの補充をしているシーン

にも遭遇しました。

歩き遍路をしているとよく出くわす

シーンです。

コカコーラを買いました。

「やっと追い着いたわ」と背後から声が

かかりました。

昨夜泊まった仙遊寺の一番若い客でした。

名前も、どこから来たのかも訊くのを

忘れました。

まなちゃん(仮名推定年齢22歳)は前回

36番札所で終わり、今回37番から始めた

そうです。

私の前にいた奈良県の女性も同じことを

言ってました。

やはり36番というのは区切りのいい所

なんですね。

元気のいい活発でお茶目な女の子でした。

宿坊では席が遠く一度も口を利く

ことはありませんでしたが。

私はお遍路のブログをやっている、99%

文字の、若い子には嫌われそうなブログ

だけど読む、と訊くと彼女は読みたい

と言った。

私はドメイン名を伝えた。

彼女はすぐに不思議の国のしろひ猫の画面

を出した。

やはり若い人はこういうことは素早い。

年配者はドメイン名と言う言葉すら知ら

ないので検索にフクスケドットネット

とか入れていく。

彼女はどんなことを書いているんですか

と訊くので、あったことをありのままに

書いているだけですよ、例えばさっき

あなたと出逢ったでしょ、振り返ると

そこに若く美しい女性がいた、とか

書く訳なんですよと説明をした。

彼女は笑った。

そのシーンは10日もすればブログに

載りますからね、楽しみにしてて下さい

と言った。

彼女は今日中に横峰寺を打ち、伊予西条

に宿泊すると言った。

JRと瀬戸内バスを使えば十分可能な

スケジュールだろう。

じゃ雲辺寺はと訊くと豊浜駅からバスに

乗って行くと言った。

観音寺市のコミュニティバスは本数が

少ないからやめた方がいい、観音寺駅の

近くに観光案内所があり、そこで電動

自転車を貸し出しているのでこれを

利用するといい、9時に開くけどそれ

からでも1日あれば雲辺寺、太興寺、本山寺

、観音寺、神恵院と周辺のお寺はすべて

廻れるとアドバイスをする。

今までの経験がここで生きた。

弥谷寺についても詫間駅からバスが出て

いる、本数が少ないから行き返りに利用

は出来ないが片道は使えますよと言って

おいた。

私のギャグによく反応する子でとても

楽しかった。

年頃になった我が娘とデートする

お父さんはきっとこんなに楽しいのだろ

うなと思った。

これも菊間のホテルが満室だったから、

あるいは足の遅い私が先に宿を出たから、

といろんないきさつが絡み合っての

出会いだと思う。

お大師様にもまなちゃんにも感謝する。

至福のひと時を有難うございました。

国分寺の階段を上がった所で彼女の

スマホでツーショットの写真をとった。

えらいことになってしまったと思った。

振り返るとそこに握手修行大師がいた。

まなちゃんは握手をし、なにやらお願い

をしていた。

私は手水場で手を洗い、蝋燭線香に火

を灯した。

後からまなちゃんがやって来た。

いい就職口がみつかりますようにって

お願いして来たのと私が問うと彼女は

「内緒」と言った。

ふふふ。

実は彼女は前の会社を辞め、今就活中

なのだそうだ。

次の就職が決まるまでにと、お遍路に

やって来ているのだそうだ。

本堂をお参りする。

まなちゃんは小冊子のような般若心経

の本をとりだし唱えている。

いつしかのアヤコさんのことを思い出した。

それに比べると自分はなんて適当な男

かと思う。

申し訳ありませんお大師様、次回からは

覚えて来ますからお許しくださいませ。

名残惜しいがまなちゃんとお別れする。

修行の身だ、いつまでもぬるま湯に

浸っている訳にもいかない。

まなちゃんが手を振る、私も手を振る。

最後に私も大師と握手をする。

突「何をお願いしたの」

猫「まなちゃんと同じこと」

突「キャインキャインキャイン・・・バタッ」

猫「おい、突っ込み、どうした」

突「猫さんの強烈なギャグに即死しました」

国分寺を後にし、156号線を南に向かう。

国分寺前の自販機のコーラが130円だった。

世間より30円も安い。

1000本買ったら3万円のお買い得だ。

突「豊田までの輸送費が10万円かかりますよ」

猫「コーラ、駄目だ」

伊予桜井駅前を通り38号線と合流、さらに

196号線に呑み込まれて行く。

左に桜井漆器会館、右に道の駅が続く。

 

しかしここら辺りから急に田舎になって行く。

196号線は田園の中の一本道だ。

道路沿いに民家もない。

いつか通った平等寺から薬王寺の国道

によく似ている。

きっと別の道に繁華街はあるのだろう。

 

 

このあたりはカブトガニの繁殖地で

あるらしい。

生きる化石とも言われ、大昔からその

姿を変えていないらしい。

デイリーヤマザキがあった。

店内に焼き立てのパンがあるらしい。

コロッケとハンバーグのパンを買った。

ボリューム満点で120円と安かった。

もちろん1個の値段ですよ。

ながらパンで2個を平らげた。

さらに道を進む。

壬生川に着いた。

 

来る時「しおかぜ」の窓から火事が見えた。

その後どうなったのであろうか。

196号線はまだまだ続く。

やがて予讃線をくぐり、11号線と交わる。

「しおかぜ」からも見える神社の横を通り

次の信号を右に曲がり左への道を入って行

くと香園寺が出迎えてくれる。

今、本堂へのお参りは禁止されている

みたいで正面の礼拝所で合掌する。

納経を済ませベンチで一休みしていると、

仙遊寺で一緒だった女性がやって来た。

軽く会釈をすると向こうも会釈した。

そのうち3人連れと話をしだした。

こんな所で知り合いに会ったのかと

思ったらカメラの撮影を頼まれていた。

さっさとその場を去り、駐車場の宝寿寺の

仮の納経所へ行く。

そして16時ビジネス旅館小松に到着した。

以前の小松は私は知らないが新館らしい。

六畳の部屋でテレビとテーブル以外は

何もなくてすっきりとしていて気持ちがいい。

客がない時は家人が使っているだろうと

いう民宿は置物がゴチャゴチャと多く

ムカデも出るはずだ。

御多聞に洩れず、ここも夕食は18時

からだった。

私のテーブルは男性4人だった。

料理は豚肉のしゃぶしゃぶであった。

他にも野菜はごってりと用意されてい

たし茶碗蒸しもあった。

男ばかりなので話も弾まなかった。

まるで空気の抜けたボールでのキャッチ

ボールみたいなものだ。

こちらが投げる、そのまま地べたに落ちる。

返事だけで向こうからの投げ掛けが

ない。

向こうのテーブルでは私の前にいた

奈良の女性と、まなちゃんの向かいに

いた男性が楽しくお話をしていると

言うのに。

食べるものを食べ終わるとサッサと

食堂を去った。

部屋に戻る。

雷鳴が轟いている。

激しく雨も降っている。

テレビを点けて明日の天気予報を見る。

明日の明け方には小降りとなり昼前には

雨は上がるでしょうと言っていた。

私は雨を晴れに変えてしまう男だ。

今までも何度も良い方に天気をはずさせて

来た。

言うなれば私は三波晴男(はれお)で

御座います。

まなちゃんなんか本家本元の三波春夫で

すら知らないだろうな。

したがってこれは何がおかしいのかすら

わからないだろうな。

切ないなぁ、このジェネレーションギャップ。

明日は5時出発なので20時に眠りに就く。

おやすみなさいと、西条市に向かって囁く。

本日の歩行距離30,34km。

 

5月19日

4時に目覚める。

目覚ましはなくても自然と出発の1時間

前には起きてしまう。

前日にもらっておいたおにぎりをカバンに

入れてポンチョもリュックから出して

持って行く。

午前5時かっきりにスタートする。

やはり玄関が開かない。

朝食を作っている人に開けてもらう。

雨は小降りだが振っている。

早速ポンチョを着る。

しかしいきなりから道を誤る。

駅に向かっているはずが、つまり北へ向か

っているはずが東へ向かっていた。

最初から方角を90度間違えていたのだ。

それでも地図を見て進むと、それらしい道が

あるから不思議だ。

雨が降っているのであまり地図は開けない。

べとべとになって終いには破れてしまう。

所々で人に道を尋ねる。

一応私の行く道はへんろ道らしい。

しかしどこを歩いてるのかは皆目見当が

つかない。

やがて割と大きな道と交わった。

その道の行く先は道の駅石鎚山SAであった。

それを横切る道がへんろ道である。

不安ではあるがへんろ道の印があるので進む。

地図を見ると本来目指していた道と随分と

かけ離れてしまっている。

しかし今更戻れない。

大変な時間のロスになってしまう。

道は車が通れるくらいの幅はある。

現実にタイヤの跡もある。

おそらく木材を運び出す道路であろう。

兎に角この道、訳が分からない。

もう一度この道を歩けと言われても

私には出来ないし、現実に存在しない

道ではないかと思ってしまう。

何か今日1日だけの、私が歩くために

お大師様が作って下さった道では

ないかと思う。

突「病院へ行きましょうよ」

この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。

危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道と

なり、その一足が道となる。迷わず行けよ。

行けばわかるさ。

川沿いの道を行くと、やがて車も入れない

山道となる。

しかしそんなに急な上り坂でもない。

へんろ道の印も所々にある。

そして1時間も歩くと横峰寺から香園寺への

へんろ道に出た。

こんな道標がありました。

 

 

信じてよかった猪木さん。

時刻は7時05分だった。

左へ行くとすぐに道は二手に分かれていた。

当然右手へ行く。

しかし道は下り坂である。

横峰寺へ行くのに下り坂はないだろうと

引き返し、左の道へ行く。

行けども行けどもへんろ道の垂れ札は

なくどんどん道は狭くなっていく。

もう一度引き返し、やはり右の道を行く。

ロスタイム20分。

幾つかの山を渡り歩けば下りもある

だろう、といい経験になった。

下ってから、長い登りが待っていた。

雨は止んだのか、まだ降っているのか

よくわからない。

樹木からしずくが落ちて来るからだ。

そして8時50分、ついに車道に出た。

雨は止んでいた。

ポンチョをたたみ、プラスチックバッグに

入れてバッグの肩紐にくくりつける。

少し車道を歩き、へんろ道に入って10分

も歩くと駐車場から来る道と交わった。

一回目も二回目も私が歩いて来た道だ。

ついに私は横峰寺も自分の足で到達

したぞと感動にワナワナと震えた。

本堂をお参りし納経所へ行く。

この旅2本目の手拭いを買う。

そして納経所の隣のベンチでおにぎりを

食べていると三坂峠で一緒だった長髪さんが

やって来た。

栄福寺でも逢っているので4度目の邂逅

である。

彼はこれから香園寺に向かうと言った。

私は車道を通り前神寺に向かうと言った。

激励をしあい別れた。

大きなおにぎりだったので1個で満腹

になりベンチから腰を上げる。

9時37分であった。

太子堂をお参りしようと思ったが

団体さんに陣取られてしまったので

後ろからのお参りだけに留めた。

途中で、仙遊寺で一緒だった北海道の

人に逢った。

お遍路をしていると何度でも同じ人に

逢う。

これもお遍路の楽しみの一つでもある。

みんな友達だもんね。

来た道を引き返す。

今日は土曜日である。

結構、車のお遍路さんが多い。

くねくねとした山道を下りて料金所

に着いた。

万歩計を見ると地図と同じの5kmである。

さらに下って行くと、登山バス発着所

の近くの道路で子犬が4匹昼寝をしていた。

そして私をみつけると飛んで来た。

しっぽを振って撫でてくれと言っている。

滅茶苦茶可愛かった。

しかしこのままではいつかこの子たちは

車に轢かれてしまうぞと思った私は近くの

民家の呼び鈴を押した。

が誰も出て来なかった。

子犬たちが無事に生きてってくれることを

祈りその場を去った。

行き違った車は29台、歩きお遍路さんは

3人連れ一組、そして自転車で来た人

にも逢った。

漕いで登るのかと訊いたら、漕いで登る

と言っていた。

横峯登山口のバス停まで来た。

次の西条駅行きは12時半だ。

確認してからベンチに座り、残りのおにぎり

を食べた。

乗りもしないのにバスを止めては申し訳

ないからだ。

きっと昨日まなちゃんもこのベンチに

腰掛けてバスを待ったことだろう。

そんな事を考えていると彼女に言い忘れて

いたことを思い出した。

11号線を走るバスに乗って加茂川橋で

降りて登山口行きのバスに乗り換えれば、

あえて西条駅から乗る必要はないんですよと。

彼女、気が付いただろうか。

スマホと言う便利なものがあるから大丈夫

だとは思うが。

万歩計を見る。

料金所からここまでが3,3kmである。

黄色い本にはここの距離が載ってな

かったので知らせておく。

12号線をほんの少し歩き、142号線に入る。

そのまま11号線まで出て左に少し行くと

吉祥寺である。

襟裳岬のように、142号線は何もない。

行ったことはないから、よう知らんけど。

夜中歩いたら怖い道でしょうね。

バス停から前神寺までがやはり5kmでした。

12時55分に着きましたから、横峰寺から

ですと3時間と18分で着きます。

ただし、登りは時間がかかるので往復

8時間はかかるとみておいて下さい。

ああ、私でも少しはお役に立てる情報が

発信できたと思います。

13時15分前神寺を目指し11号線を進む。

一回目のお遍路の時、私はJRに乗って

石鎚山駅まで行きました。

軟弱なオヤジだったのですね。

見てみなさい、3回もやると人間こんなに

も強くなるんですよ。

これがお遍路のご利益なんですよ。

14時過ぎ前神寺に到着、門前でドイツ人

と逢う。

今日はビジネス旅館小松に泊まると言う。

しかし私は敢えて私も同じ宿に泊まると

言わずに別れた。

まだ岡崎の人とは合流していない

みたいだ。

お参りを終え、遍路道を東に進む。

まだ14時半だ、時間はたっぷりある。

私は明日のために、加茂川橋のバス停

まで歩いておきたかったのだ。

11号線に出て右へ2kmも行くとバス

停はあった。

15時10分であった。

8分後にやって来たバスに乗って15時

30分小松駅前に戻った。

客は私1人しかいなかった。

信号を渡って明日朝のバスの時刻を

確認してからビジネス旅館小松に向かった。

目の前を見覚えのある男が歩いている。

彼は旧館に立ち寄った。

新館の所在位置が貼り紙してあるが、

日本語が読めないので迷っているようだ。

私は彼に声を掛けた。

フォローミー(私について来なさい)

15時50分私と彼は小松旅館に着いた。

風呂に入り、大相撲を観て、18時食堂

へ行く。

昨日と打って変わって宿泊客は多かった。

私のテーブルも6人が座り、真ん中が

女性、両サイドが男性という理想的な

配置であった。

理想的と言うのは私個人の感想ではあるが。

料理は豚のしゃぶしゃぶ、連泊の人は

すき焼きが出た。

やはり横峰寺へ登るのであるから、これ

くらいスタミナはつけなきゃいけない。

6人はすべてお遍路さんで、ドイツ人も

入っていた。

みんなビールを飲んだ。

私もこの旅で初めてビールを飲んだ。

話題はもっぱら泊まった宿の品評会

である。

どこどこの料理はまずかった、どこ

どこの朝食はご飯と漬物が少々だけ、

どこどこのトイレは扉がしっかり

閉まらない、どこどこの宿は隣の

部屋の話が筒抜け等々。

具体的な宿の名を挙げると営業妨害

になるので差し控えるが。

知ってる宿、知らない宿の名が飛び

交って、懐かしくも楽しい時間であった。

私の隣の女性は四国の人で、65回も

廻っていると言っていた。

知り合いの人は100回も歩き遍路を

していると言うがあれはウソだ、わた

しは何度もバスや電車に乗るのを見てる

と人間臭い話もジャンジャン出て来る。

やっぱり女性はこの世の太陽だ、いないと

昨夜のようなお通夜になってしまう。

やっぱりお遍路さん同志の会話は

回を重ねる毎に面白くなっていく。

楽しい時間を過ごし、2日分の清算を

して部屋に戻る。

明日の朝は今朝ほど早く起きなくても

いいのでブラタモリを見て21時に寝る。

無意味な夜更かしなんかしても仕方がない。

本日の歩行距離32,67km。

 

 

5月20日

5時に起きた。

旅立てる準備をして食堂に行く。

味付け海苔、卵、納豆、塩サバ、味噌汁

とお決まりの朝食が出る。

サッサとかっ込み、駅前のバス停へ行く。

6時24分のバスに乗るためだ、がバスの

時刻表は29分だった。

私が見間違えていたらしい。

バスを待つ。

その間に2台の観光バスが目の前を

通り過ぎた。。

バスが来た。

整理券をとって乗ると結構な乗客がいた。

やがて加茂川橋に着き、私は最後の乗り客

であり最初の降り客となった。

6時42分だった。

ここから伊予三島駅まで地図によると

38kmもある。

小松旅館からここまでが7kmだから

暇な昨日のうちに距離を稼いでおいた。

もしそれがなければ朝食抜きで朝の

5時から夕方5時まで歩くことになる。

出発ーーー。

天気はとてもいい。

一昨日までの蒸し暑さはなく快適だ。

7時西条駅あたりを通過する。

明屋(はるや)書店がある。

宿毛付近からこっち、よく見かける店だか

らチェーン店だろう。

今日は日曜日、バイクでツーリング

する人たちをよく見かける。

ハーレーダビッドソンもちらほらと走る。

1年でも一番よい行楽の季節だ。

9時20分県立新居浜病院を通過。

歩道が右にあったり、左にあったり

と目まぐるしく変わる。

これは卯之町あたりから続いている

愛媛県の特徴だ。

こんなのはずっと歩いてる私にしか

発言出来ない言葉だ。

ちょこまかと遍路道は出現するが無視して

11号線を進む。

ずっとバス停は存在するが直通ではない。

所々に営業所と言う名の車庫がある。

例えば伊予西条駅から伊予三島駅という

バスはない。

バスは地域住民の足だからである。

直通で行きたければJRに乗ればいいの

である。

新居浜の市街を過ぎて橋を渡ると左手に

ハタダタルトでお馴染みの畑田本舗が

見えて来た。

 

 

工場見学をすればタルトの一本もくれる

かも知れない。

なんてことはないでしょうね、この世知

辛い世の中。

タルトは甘いが、当社はそんなに甘くな

いって追い払われるでしょうね。

爽やかとはいえ、昼も近くなってくると

暑い。

私は着ていた薄手のジャンパーを

リュックにしまい込んでTシャツ

1枚になった。

だんだんと民家もなくなり上り坂が

続く。

関の戸あたりから下りに転じる。

しかし依然として民家のない状態が続く。

やがて旅館五葉松荘が見えてくると共に

民家も増えて来た。

サイクリングの若者がこんにちはと

声を掛けて行く。

しばらくするともう一人の若者も声を

掛けてくれた。

大分経ってから白髪の老人が、やはり

声を掛けて行く。

若者二人は先の方で待っている。

どうやら3人の関係は孫二人とおじい

ちゃんのようで自転車遍路をしている

らしい。

それでお遍路の私に声をかけてくれた

のだと思う。

滅茶苦茶、嬉しいじゃあーりませんか。

すぐそばをJR予讃線が走る。

しばらくしてスーパーバローズ土居店

が現われた。

店頭に公衆電話があったので宿の予約

を試みた。

ホテルリブマックスに電話を入れる。

満室だと断られる。

信じられない、今日は日曜日ですぞ。

仕方なく(失礼)つるや旅館に電話を入れる。

空いてますよと言う嬉しい返事が

頂けた。

午後2時半のことである。

安心して、バローズに入り、大盛りの

炒飯を買った。

途中のバス停ベンチで半分ほど食べ、さらに

11号線を進む。

右手には山が見え、左手には海が見える。

本州にも近いし,津波の心配もない。

住むならここだ、というような土地でした。

JRで知り合った女性は、昔は製紙工場の

臭いが苦痛であったが今は公害対策が進み

快適に住めるようになったと言っていた。

JR伊予寒川駅を過ぎ、スーパーマルナカの

辺りまで来た時、アラフォーくらいの女性

が私に近付いて来た。

彼女はお接待ですと言って私に200円を

差し出した。

お接待は拒否してはいけないと誰かに

教わっていたので私は素直に頂戴した。

四国中央市の人口が8万8000人、全市民が

下さると1800万円と、私は巨万の富を

手にすることが出来るのにと強欲なこと

は微塵も考えなかった。

有難うございました、あなたから受けた

愛はまたどこかで誰かに受け渡すこと

でしょう。

愛は天下の回りもの。

リターンではなくカムアラウンドです

ものね。

ちょっと気取り過ぎたかな、まなちゃん。

そう言えば受けると言う字も授けると

言う字も、愛と言う字に似てますよね。

きっと愛は授けたり受けたりするもん

なのでしょうね。

ばっちり決まりましたね。

次の大きな分岐を左に行き、つぎの分岐も

左に行き予讃線を越えてスーパーグラン

フジで寿司とビールを買ってつるや旅館に

到着した。

17時であった。

風呂に入り大相撲を観ながらビールを

飲んだ。

お遍路さんと語れるような宿ではなか

ったし、お遍路さんもいなかったので

早めに寝た。

本日の歩行距離41,45km。

 

5月21日

5時半に目が覚める。

6時に朝飯を食って、6時20分フロント

に行く。

三角寺口へ行くバスの時刻表はないかと

尋ねるとないと言う。

代わりに女将はメモ帳のようなものを

持って来て朝一番のバスは7時43分です

とだけ言った。

たしか以前は7時前の便があったんじゃ

ないですかと問うと去年の10月に改正

になったと言った。

ええい、なにが改正じゃと腹の中で思い

つつも、帰って来るまでリュックを置かせて

くれないかと冷静に言った。

パソコンの前に置いといて下さいと言う

ので素直に従い宿を出る。

伊予三島駅に寄り、時刻表を貰おうと

したが駅員はいなかった。

営業は午前7時からだと断り書きがあった。

バスを待ってても仕方がないので三角寺

を目指す。

6時半であった。

郵便局の前を通り、警察署の前を通り、

11号線の手前のへんろ道へ入って行く。

そして11号線の信号機の所に出る。

お遍路さん用の押しボタンがある。

押すとすぐに青になり渡る。

後は遍路シールに従って進み、松山自動車

の下をくぐり、左に行く。

700mも行くと右に曲がれと言う遍路

シールがあるので従う。

自転車の中学生に逢う。

地図によるとこの子は三島東中学の生徒

さんであるらしい。

坂道を登り発電所の横を通って行くと

道案内があった。

右へと、案内にはあるが真っ直ぐという

シールも電柱にはあった。

去年はどちらへ行ったのか記憶になく、

私は右へ曲がって行った。

舗装路の急な上り坂をグングンと行く。

途中で去年とは道が違うことに気が

ついたがもう引き返せない。

横峰寺と同じで大きなロスタイムが

出てしまう。

戻るなら、まだ行った方が速い。

しかしここで私はまた道を間違えた。

行けども行けども遍路シールが見当た

らないのだ。

私は最後の遍路シールがあった所まで

戻った。

間違えた理由がわかった。

こんないい加減なことしてたら世界遺産

なんてほど遠いですよ。

気を取り直してへんろ道を行く。

山道の遍路道は数百メートルで終わり、

再び車道に出た。

黄色い本でいうと42,1kmの地点から

上に行く道だ。

時刻は8時07分だった。

「ほととぎす」とホトトギスが鳴いた。

「ホーホケキョ」とうぐいすが鳴いた。

去年上がって来た道を発見した。

やがて、去年悩んだ分岐点に三角寺

と道標が立っていた。

ひょっとしたら私のこのブログを見た

人が「へんろみち保存協力会」に連絡

してくれたのかも知れないな。

豚小屋の番犬ダルメシアンどうしてい

るだろうか。

ちぎれんばかりにしっぽを振っていた

が、あのあとポテッとちぎれたり

なんかして。

駐車場を通り、長い階段を登り、三角寺の

境内に足を踏み入れた。

いきなり、ゆうべ同じテーブルで食事

した女性とバッタリ会った。

大阪の人で、私のギャグでよく笑う人だった。

どこに泊まったと訊いたらリブマックス

だと言う。

私も電話を入れたが満室だと断られたと

言うと団体さんが泊まっていたと教え

てくれた。

本堂へ行こうとしたが団体さんがやって

来たので東屋へ逃げる。

とそこに外国人がいた。

「メニーピープル」と私が言うと彼も

「メニーピープル」と言った。

どこから来たと訊くとオーストラリア

だと言う。

歩いているのかと訊くとそうだと言う。

私も歩いていると言うと荷物が少ない

じゃないかと言う。

ホテルに預かってもらっていると言う

とグッドアイデアと言った。

これはあなたの荷物かと大きなリュック

を指差して言うとそうだと言う。

持ち上げて見ると、13kg以上はありそ

うな重量だった。

イッツ ベリー ハード(難儀なこっちゃ)

と言って私は本堂へ向かった。

彼は日本語はまったく駄目だったが、

適当な英語でも結構通じる。

お参りを済ませ戻って来ると、豪人は

もういなかった。

実は、まなちゃんは今、英語を勉強

していると言った。

出来るだけ、外国人と逢ったら話しかける

といいですよ。

初心者なんだから下手なのは当たり前。

間違ってれば、訂正してくれます。

日本語を英語に訳すのではなく、英語を

英語として覚えた方がいいと思います。

言葉なんて生活の中から生まれたものだ。

根本的に生活様式が違うのだから訳し

ようがないと思います。

一番いいのは使わなくては生きていけ

ない環境に身を置くことです。

なんて偉そうなことを言うと生意気だ

と反感を買うだろうな。

納経をしてもらいに行く。

三角寺口から三島駅に行くバスは何時

ですかと訊くと12時52分だと言う。

最初の便は8時57分で、今まさに出んと

している。

9時05分、仕方なく歩くことにする。

今回のお遍路はここで終了である。

次回はこの三角寺からスタートする。

帰りは去年来た道を逆行する。

距離が短いだけに坂はきつい。

しかし下り坂だから楽であるが、逆方向

のわかり難さで相殺されてしまう。

途中で、ドイツ人とこの旅六度目の遭遇

をした。

お供を一人連れている。

きっとこの人が岡崎の友達なのだろう、

と訊いてみると安城の人だった。

もう少しお話がしたかったが、特急の

時刻が差し迫っていたので早めに

切り上げた。

しかし道に迷い、宿に着くと11時15分

で結局特急には間に合わなかった。

こんなことならもう少し安城の人と

お話をすればよかった。

ちなみに安城と言えば日本のデンマーク

としてつとに有名である。

えっ、そんなの知らんですって。

柔道で二大会連続一本勝ちで金メダル

を取った谷本といえばおわかりだろうか。

豊田と言えばカヌーで銅メダルを取った

選手が出た街である。

道に迷わなければ行きが2時間10分、

帰りが1時間50分といったところか。

リュックを背負い、挨拶をして宿を出る。

駅で名古屋までの切符と新幹線の特急券、

それに多度津までと岡山までの特急券を

分けて買った。

11時51分発「しおかぜ14号」に乗り

多度津でお土産を買い、12時58分発の

「南風12号」に乗り岡山に13時40分に

着いた。

「のぞみ」は今日は珍しく空いていた。

名古屋には15時30分頃に着く。

おそらく家には17時前には着いている

だろう。

それでは総括といきましょうか。

宿代41500円 おぼろげながら

飲食代8000円 いつのまにか

運賃20000円 ややもすると

バス代2080円 不覚にも

土産代2700円 持ってけドロボー

納経料金6000円 たしかに

賽銭24億6000万円 勘違いかも

出逢った猫一匹 愛媛県は少ない

犬6匹、鳶3羽、オシドリもどき1羽

その妻3羽。

道を尋ねた人、6人。

ブログを告げた人 1人

まなちゃんだけで取れ高充分。

総歩行距離274,37km

使用した公共交通機関 名古屋鉄道本線

三河線 JR東海道山陽新幹線 瀬戸大橋線

 予讃線 JRバス久万高原線 瀬戸内バス

廻った寺の数 21

46番浄瑠璃寺⇒47番八坂寺⇒別格9番文珠院

⇒48番西林寺⇒49番浄土寺⇒50番繁多寺

⇒51番石手寺⇒52番大山寺⇒53番円明寺

⇒54番延命寺⇒55番南光坊⇒56番泰山寺

⇒57番栄福寺⇒58番仙遊寺⇒59番国分寺

⇒61番香園寺⇒62番宝寿寺⇒60番横峰寺

⇒63番吉祥寺⇒64番前神寺⇒65番三角寺

前回7寺廻ったところで風邪で帰りました。

体力的な衰えかと懸念しておりましたが

今回は元気いっぱいで善通寺まで行けそう

でしたが、長く家を空ける訳にもいかず

やむなく帰ることとしました。

まだまだパワーがあることを確認でき

、ホッとしました。

今回遍路宿に多く泊まり、お遍路さん

同志の交流にとても喜びを感じました。

今までビジネスホテルばかりに泊まって

いたことをとても勿体なく思いました。

残るは23寺です。

数は多いが距離は短いので、あと一回で

結願出来ると思います。

引き続き、私めのブログを読んでやって

下さいまし。

それではこの辺で失礼します。

少し、撮った写真が出て来ないので調子が

良い時に載せます。

次回も乞うご期待。

来月になると思います。