四回目高知1

5月18日

朝5時20分、私は家を出た。

ジャパネット高田で29800円で買ったカシオの電子辞書に

よれば、家出の項目その①家を出て他へ行くこと。

外出とある。

その②ひそかに家を抜け出ることとある。

ひそかも何も、私は一人暮らしである。

外出するに誰に遠慮がいるものか。

したがって私は書き出しを訂正したいと思います。

5月18日

朝5時20分、私は家出をした。

前日に、森永牛乳も中日新聞も5日間配達をしないように

連絡をして、たっぷりの花の水やりと猫の餌やりを

して、私は我が家を後にした。

 

 

見て下さい皆さん、これがゴデチャですよ。

去年花が終わった後に採っておいた種で育てました。

 

 

今年はカンパニュラがご覧のように見事に咲きましたので、

また来年はこの種も利用したいと思っています。

突「おい、早くしないと電車に乗り遅れるぞ」

例によってまた、突っ込みがうるさいので駅に

向かいます。

散歩していると、時々我が家の猫に出くわすことが

ありました。

遭った瞬間のフックンの表情は野生の猫そのものです。

つまり私以外の人が、フックンを見た時、フックンは

こんな顔をしているんだなと感じました。

数秒後、フックンは私が主人であることに気がつきます。

そして猫撫で声で、私に甘えてきます。

厳しい、まるで野生の豹のような顔が、飼い猫のそれに

変わる瞬間です。

ここから豹変という言葉は生まれたのです。

5時40分駅のホームに立つ。

目の前に田園風景が広がる。

ようやくこの辺りの田植えも終わりました。

それにしても、田植え直後の田んぼは美しい。

日本の原風景だ。

予土線のことを、さんざん虚仮(こけ)にしたが

豊田市も広い。

人口40万の都市と言えば聞こえは良いが

街もあれば、山もあるし、田んぼだっていっぱいある。

名古屋よりはるか広大な土地での40万であるから

やはり田舎である。

私の同僚に唐津市出身の男がいた。

彼は憧れの豊田市にやって来たら、自分の所より

田舎だったのでびっくりしたと語った。

電車は東海道53次の39番宿知立で終点を迎え、

私は名古屋本線の急行に乗換えた。

三回目の時と全く同じ便である。

JRきっぷ売り場で高知までの乗車券と「ごめん」までの

特急券を購入する。

乗車券は途中下車出来るが、特急券には途中下車の

特典はない。

したがって高知までの特急券を購入して「ごめん」で

降りれば没収となり、再び高知までの特急券を

購入しなければならない。

しかし抜け道がない訳ではない、と思う。

名古屋から高知までの乗車券と特急券を購入し

多度津で、普通に乗換え善通寺で「途中下車です」

と乗車券だけを見せれば特急券を没収されずに済む。

悪いことを教えてしまったな、決して実行すんじゃないよ。

勿論、私はやりませんよ、真夜中の横断歩道の赤

でも一度も渡ったことのない男ですもの。

それに「ごめん」の前の特急停車駅「土佐山田」ではね、

次のワンマンカー発車まで1時間以上もある。

その間ホームでじっと待っていれば駅員に怪しまれてしまう。

そこまでしてやるほどのメリットはないということですわ。

 

毎度お馴染みのスーパーエクスプレスのぞみ97号は定刻

通り7時06分発車した。

私は今回3号車のDA席(DE?)に座った。

いわゆる4列目の左窓側である。

何か目新しいものでもみつかるかと思っていたら

みつかった。

やたらと古い家が駅周辺には多いということだ。

築60年以上といった、指で押せばぶっ倒れそうな家が多い。

しかも庭も駐車場もない建ぺい率100%の家だ。

なぜこのような家が多いのだろうか。

私は考える、調べれば答えはすぐに出るかも知れないが。

しかし私は考える、結果などどうでもいい。

林修なら正しい結果を求めるであろうが。

しろひ猫にとっては考えることが一番大事なことなのだ。

謎を解くカギは建ぺい率100%である。

60年以上前に建築基準法に建ぺい率などという言葉は

なかったのであろう。

そのため土地の高い駅前では所有地に目一杯の家を

建てたのだろう。

庭園、そんなもの腹の足しにもならん、駐車場、

ここは駅前だ、電車、バス、地下鉄を使えば

どこでも行けるから必要なしとね。

ところが現代では建ぺい率なるものが出来た。

今、同じ土地に家を建てようとすれば半分くらいの面積に

削られてしまう。

同じ居住空間を確保しようとすれば4階建ての、鉛筆の

ような家を建てなければならなくなる。

こら、突っ込み、出て来て早くギャグをやらんか。

突っ込み、寝ぼけ眼で登場、猫とヒソヒソ打ち合わせ

を始める。

鉛筆のような家を建てなければならなくなる。

突「これが本当のペンション」

間が悪かったから55点。

その他、居住者が高齢のため建て替える気がないのかも

知れないし、空き家になっていて、壊せば膨大な宅地税を

課せられるのを恐れて放置していることも考えられなくもない。

なんで私はお遍路に来てまで、こんなことを考えるのだろうか。

それは考えることがとても大事なことだから。

時として文明の利器は人間を退化させる。

ただし医学の進歩を私は大歓迎をしておりますけどね。

7時43分京都駅に着いた。

京都駅近くの民家も見た。

やはり赤茶けた瓦の、かなりくたびれた家が多い。

少なくとも農村にある民家の方がずっとモダンである。

その民家の向こうに東寺の五重塔が見える。

この東寺を背景に新幹線を横切らせれば、刑事ドラマの

京都へ着いたという表現になる。

考えた奴は仲々のアイデアマンである。

一瞬にして誰にも理解できるし、それ故いろんなドラマ

で使われている。

8時12分新神戸に着いた。

車窓から神戸の街が見えた。

今までは屋根付きの暗い新神戸駅ばかり見てきたが、

席を変えることによって新しい神戸が見えてきた。

突「これが本当の新神戸なんちゃって」

さっきよりタイミングがいいから60点。

しばらくすると西明石付近で美しい海岸が見えて来た。

きっと地元では人気の海水浴場であろうことは私にも

想像できた。

8時43分のぞみは岡山駅に着いた。

席を左側に移すだけで全く新しい世界を見せて貰えた。

勉強になった。

私は急いで列車を降り8番ホームへと足早に進んだ。

目指すは8時51分発「南風3号」中村行きである。

これに乗り遅れると今日1日のスケジュールがまるで

狂ってしまう。

結果的に、8分の時間は旅慣れた私には余裕のある

ものであった。

列車はアンパンマンであった。

 

 

私はこういうものには全く関心がなかった。

いつだったか名鉄電車のボディーに又吉直樹の

写真が貼ってあったが、あれは悪趣味である。

それよりかはまだアンパンマンの方がましだとは

思うが。

列車は3輌編成で、すぐに発車をした。

当然気動車、わかりやすく言えばディーゼル車である。

が、私は文面では文字が少ない気動車を採用している。

JR四国は高松、松山までは電化されているが、それ以外

ではすべてディーゼル車が使われている。

情報によれば電化をする気もJR四国ではないと

いう話であるが私にはどちらでもよいことである。

宇多津、多度津、金蔵寺の踏切と、ほんの1か月前の

思い出が甦って来る。

善通寺、琴平、阿波池田と列車は進む。

空は雲一つない快晴、並走する吉野川のブルーグリーン

が美しく、以前渡った池田の赤い鉄橋の出現に感動した。

ん、吉野川って、あの野牛の群れの吉野川か。

しかしここなら、本当に野牛の群れが出て来ても不思議

ではないぞ。

突「そんなもの出ません」

前回ここを通った時、夕暮れ時だったから随分と秘境の

ように感じたが、国道32号線も高知まで走っているし、

まばらではあるが、川と山の間の猫の額ほどの平地に民家

は続いている。

隣の家が1キロほど先だというほどの秘境でもない。

しかし、ここらの人たちがどんな暮らしをしているのか、

一度1か月ほどホームステイして見てみたい衝動にかられる。

列車は山間の緑の中を走り抜けたり、トンネルに入ったり

吉野川とランデブーをしながら進む。

乗客のほとんどは観光客で、平日にもかかわらず観光地が

多いせいか出入りが激しい。

11時21分後免駅到着。

駅を出てバス停をさがす。

普通、バス停というものは、駅に隣接しているもので

あって、駅前のちょっとした空き地がバス停となって

いることが多い。

にもかかわらずここにはバス停のバの字も感じられなかった。

確か後免駅前というバス停名だったのに。

通りかかる近所の住民に訊いてもわかる人はあまりいない。

いつも言うが地元だからと言ってバス停を知っている

とはかぎらない。

5人目に訊いた人はこの道(駅前の道)を左に行き、踏切を

超えてしばらくするとバス停はあると言う。

彼の言葉を信じて進み、やがて私はバス停を

見つけ出した。

信じる者は救われる、か。

バス停名は農業高校通り、ベンチに座ると農業高校

は目の前に見えた。

東京靴流通センターの店も見えている。

この店も日本全国どこに行ってもあるんだな。

11時45分発植田行きに乗り国分寺通り駅に

51分に降りる。

5分で札所に着き10分でお参りを終え

5分でバス停に戻って来た。

田んぼをシマヘビが泳いでいた。

どうやら「いらっしゃい」と私を迎えてくれて

いるように感じた。

幸先のいいスタートに私には感じられた。

写真も撮ったが読者に薄気味悪がられると

いけないのでカットした。

スクーターに乗った男性がやって来た。

お遍路かと訊くのでそうだと答えるとお接待

という名のお菓子の詰め合わせを下さった。

 

 

ほんのちょっとしたものではあったが、その心根

の優しさが嬉しい。

お遍路装束はしていないが、やはり同行2人の

このお遍路バッグがきいている。

12時24分高知病院行きにのり農業高通りで降りる。

後で調べ直してみたら後免駅前というバス停は

土佐電鉄後免駅の駅前のことであった。

これに乗りたきゃ土佐電に乗れってことか。

12時39分発の高知行き鈍行に乗るつもりだったが

土佐くろしお鉄道のホームで待っていたため危うく

乗り遅れるところであった。

幸いにも、先にくろしお鉄道の気動車が入線し

行先が安芸だったので気がついたのですが。

しかし、ついでと言っては何なんですがそのホームに

いた、くろしお鉄道の女性乗務員さんにブログの

メモ用紙を渡してきた。

間違えたホームにいた乗務員さんであるのだから

これはお大師様が渡せと言われたと解釈しても

いいのではないのだろうか。

突「となりに男性職員もいたじゃないですか」

いいんだ、私は男は嫌いなんだ。

JR後免駅にはホームが2本あり、その1本をくろしお鉄道が

使っているので注意をして下さい。

12時49分土佐一宮に到着。

愛知県ではいちのみやと呼ぶが、ここらあたりでは総て

いっくと呼ぶ。

駅前に3人の女性お遍路さんがいた。

皆、一様に太っていた。

きっとこの女性達も十代の頃にはスリムで、それなりの

美しさは有していたはずであろうに。

いまではすっかりトドの体型である。

喰っちゃ寝、喰っちゃ寝を続けると、つまるところ

このような体型になる。

このことから「とどのつまり」という言葉は生まれた。

前からやってみたかったこのギャグ、やっと使えました。

3人の女性の皆さん槍玉にあげてしまってごめんなさい。

彼女達に道を聞くと駅前を斜め左に出ている道を真っ直ぐ

行けば辿り着くと大雑把に教えてくれた。

私が心の中で悪口を言ってるとも知らないで。

言われた通りに行き、県道384号線を渡り、なおも

300mほど細い道を行くと右手に善楽寺はあった。

気温はすでに30度を超えている、が夏のそれとは違い

木陰では涼しい。

納経を終え、来た道を引き返す。

再び出会った384号線を右に向かう。

暑い、自販機でコカ・コーラの赤い奴を買う。

甘党の私にとっては黒い奴はイマイチ好きになれない。

しかし、お遍路と言うのは金がかかる。

鉄道、バス、タクシー、納経料、賽銭、宿泊費、お土産、

おまけにこの水分補給だ。

今日これで4本目の飲料水である。

それにも増してお遍路は頭を使う。

あらゆる公共交通機関の時刻表を調べ、その時刻表に

合わせてスケジュールを組んで行く。

自動車の街で自動車を思う存分乗り回していた人間

には耐えられない苦痛である。

更に、そのスケジュールをスケジュール通りにこなして

行く体力も必要となってくる。

最後にお遍路に必要なものは、これが一番大事なもの

かも知れないが時間である。

つまりお遍路とは時間を使い、金を使い、頭を使い、

体力を使う人生の一大事業なのである。

それ故に、きっと結願した時の達成感は金で買える

ものではないのだろう。

人間としても成長できると思う。

まだ結願してない私の、あくまでも想像ではあるが。

1,5kmほど歩き市道44号線と交わるあたりにとさでん

交通バスの一宮営業所があった。

いつも言うが車庫だ。

13時57分発の宇佐行きに乗った。

次に向かうのは33番札所雪蹊寺である。

バスに乗る前に知り合った女性にとさでんバスに

ついて色々訊いた。

市内に北はりまや橋と南はりまや橋があるが、

近いのですかの質問に、彼女はかなり距離がある

と答えた。

私のイメージでは同じ場所であり、バス停が数メートル

離れているだけかなって思っていたがどうも違うらしい。

このバスは北はりまや橋経由の宇佐行きで、雪蹊寺へ

行くには北はりまや橋で降りて、南はりまや橋まで

歩くしかないと言う。

料金は北はりまや橋まで290円と言う。

これだけでも非常に助かる情報である。

彼女は「頑張って下さい」と言って北はりまや橋の一つ

手前の駅で降りた。

北はりまや橋14時12分着。

10分ほどで南はりまや橋に着く。

向かいにあるセブンイレブンでパンとコーヒーを

買って遅い昼食とした。

14時39分南はりまや橋から長浜営業所行きに乗る。

何度もくどいが車庫である。

14時57分着、営業所の人に雪蹊寺の行き方について訊く。

次の信号を右に曲がって200mほどで着きますと言う。

町中にある、こじんまりとした寺であった。

お参りを終え、時計を見ると15時を少し過ぎていた。

そろそろホテルに予約を入れようと、お寺の人に近所に

公衆電話はないかと尋ねた。

寺の人は境内にあると指さした。

ただドアが錆びついていて、開けるのに幾分の力を

要すると助言を受けた。

私は駅前のコンフォートホテルに電話をした。

英語で言うとカムフォート、安楽と言う意味である。

すると6番札所安楽寺は英語ではカムフォートテンプウ

となるのか。

いらんことを言ってるものだから電話番号を

間違えてしまった。

ここで予約の仕方を説明しておきます。

まず部屋が空いてるかどうか尋ねる。

空いてないと言われればそこでジエンド。

空いていれば向こうが予約者の名を訊いてくる。

次に電話番号を訊いてくる。

そして最後にホテル到着予定時刻を訊いてくる。

なぜ電話番号なのかはわからない。

が、また私の好きな推理によれば電話番号を

入力すれば住所氏名が出てくるようなシステムが

あるんじゃないですか。

部屋は空いていて、予約はとれ、ほっと一安心であった。

15時50分の春野町役場前行きまでまだしばらくの

時間がある。

私は木陰のベンチで暇をつぶした。

小学生の男の子が二人来て、手水場で手を洗い

本堂をお参りしてた。

しばらくして、今度は女の子が来て、やはりお参りを

して帰って行った。

いずれも地元の子で学校帰りのように見えた。

仲々このあたりの子は信心深い子が多いようで感心した。

春野町役場前行きのバスがやって来た。

停留所の立札はないが乗り場は向かい側である。

何らかの理由で設置を出来なかったのであろう。

行く読者がいたら充分注意するように。

乗客は3人グループと私の4人である。

15分ほどで春野町役場に着いた。

私に続いて予想通り3人グループも降りた。

お遍路衣装は着ていないが、雪蹊寺から乗って

春野町役場まで行くといえばお遍路さんしかいない。

私は3人に着いて行くことにした。

たまにはこういう展開も楽でいいですね。

10分で種間寺に着いた。

地図でも、とてもわかりやすい寺であった。

すなわち役場を背に前に進み279号線を左に折れ、

500mも行けば右手に見える。

10分でお参りを終え境内を出る。

すると茶トラの猫ちゃんがすり寄って来た。

私は嬉しくなって、5分ほど撫で回していた。

撫で回しながらも私の視野の片隅にアイスクリンなる

ものが飛び込んできた。

早速私は金200円也をはたいて味わった。

特にコメントはない。

こういう所へ来たから勢いで食べたという感じ。

あとは36号線まで出て、15時37分発のバスで

ネギ谷口から横浜経由で高知駅まで帰るだけだ。

時刻は16時40分、ガイドブックによるとネギ谷口

まで30分とあるので楽勝で間に合うはずだ。

と思ったが私はここでまた18番の迷子になった。

オリンピックに迷子なる競技があったら間違いなく

私はゴールドメダリストになるであろう。

突「そりゃ、どういう競技じゃ」

道に迷う原因は「四国八十八カ所」という「るるぶ」の

ガイドブックの地図の不備にあることが最近

やっとわかってきた。

この地図の悪い所は、通り道だけが描いてあり、それ

以外の道は省略してある。

あたかも一本道であるかのように。

しかも省略してある道の方が太いというのもかなりある。

これで私が間違うのである。

るるぶというのは悪質な情報誌であると、しろひ猫は

怒りを露わにするのであった。

今回も春野中学の左を抜けなければならないのが、

いつのまにか37号線に入り、中学の右の道路を歩いていた。

そんな道路は地図には載ってないので、自信を持って

歩いていたらこの有様だ。

自転車でやって来た春野高校の女の子に、地図を

見せて現在地を尋ねた。

彼女はしばらく地図を見ていたがわからないと言う。

こらー、地元に10数年住む女の子もわからない

ようないい加減な地図を作るんじゃないよ。

しかし彼女は、これが春野中学だとするのなら、多分

この道を西に向かい信号のある交差点を右に曲がれば

36号線に出れるんじゃないかなと、自信なさそうに答えた。

途中でもう一人の人に道を尋ね、何とかネギ谷口のバス停

に辿り着いた。

17時20分だった。

目の前に新装開店間近のコンビニがあった。

孫を連れたおじいちゃんが通った。

私の目の前で何か紙切れのようなものを落とした。

落としましたよ、と私が言うと、有難うございます

これを届けにいくために出かけて来たのですよ、と

おじいちゃんは言った。

やがて数分後、おじいちゃんは用事を終えて

帰って来た。

バスの便数が少なくて大変ですね、とおじいちゃんは言った。

先程の女子高生といい、おじいちゃんといい、もう二度と

逢うことはないだろう。

これを一期一会という、また楽しからずやといったところか。

バスは私一人を乗せて市内まで走った。

お遍路で初めての女性の運転手さんだった。

市内に近づくほどに乗客は増えてきた。

私は南はりまや橋で降りてホテルへと向かった。

歩道はやたらと自転車の高校生や歩行者が多い。

途中のコンビニで夕食と朝食を買った。

コンフォートホテル駅前館(店?)は文字通り、駅から右へ

300mほどの所にあった。

フロントで住所と氏名を記入し、連泊の承諾もとり

610号室のキーを貰った。

ここへ来れば私の正体はバレるはずであるが、フロント

にも守秘義務があるので大丈夫であろう。

なにっ、誰も関心がないって、さもありなん。

フロントから、大きめの部屋がとってあること、フロントの前に

ある飲み物は飲み放題であること、明朝のバイキング料理は

料金に含まれていることなどを聞いてエレベーターに乗った。

部屋に入ってカーテンを開けると、しんせひんがやすい、で

お馴染みのケーズデンキがあった。

振り返ると、フロントの言ってた広めの部屋の意味が

わかった。

なんとそこはツインルームであった。

 

 

おそらくシングルは満室であったのだろう。

ツインルームにシングル料金、なぜかとても得した気分。

旅装を解き、2Fのフロントに降りオレンジジュースを

2杯飲んだ。

そしてフロントでバスに関するいくつかの質問をした。

禅師峰寺へ行く路線名M1の市内での通過駅、竹林寺から戻って

来る路線名N1の通過駅、高岡高校通へ行く路線名Y4の

通過駅とその所在地である。

フロントの、多分チーフの女性の人は、地図を持って来て

懇切丁寧に教えてくれた。

その結果M1、N1の通過駅は、はりまや橋、Y4の通過駅は

堺町であることがわかった。

さらにはりまや橋は駅から南へ10分ほど行ったはりまや橋

交差点の所にあり、堺町はそこより500mほど西へ

行った所にあることがわかった。

私は安心して、三杯目のオレンジジュースを片手に

部屋に戻った。