猫、ついに歩く。その3

3月26日

5時20分、私は家を出て、玄関の鍵を

かけた。

あたりはまだ暗い。

「おぢさんはこれから長い旅に出る。

君たちには申し訳ないが、これも修行

だと思って我慢し、おぢさんを許し

てくれたまえ」

私は猫たちを撫でながら、しばしの

別れを告げた。

近所に迷惑をかけてはいけないと、

杖は手に持って駅へと向かった。

それにしても玄関から始まり、玄関

で終わる紀行文って私くらいなもの

だろうね。

私は好きだが。

この旅で私が最初にしなければ

ならない仕事は現金の引き出しである。

コンビニに寄って旅資金の調達をしよう

としたが、ATMからは取引時間外だと

いう愛想ない文面が出て来た。

この前、同じ時刻に引き出せたのに

おかしな話だ。

財布の中身は3000円しかない。

一応、名古屋までは行けるので行くこ

とにした。

駅へと向かう。

時計を見る。

ななななななななんと、万歩計の表示

部分に「B」という一文字だけが浮かん

でいるではないかいな。

えーーー、昨日までは確実に作動して

たのに。

なんて日だ。(すいませんハゲ)

いきなりお大師様に2つの難題を突き

付けられてしまった。

私は5時53分の知立行きに乗った。

そして6時10分急行一の宮行きに乗

り替えた。

まだ席は空いていたので座った。

後からお年寄りが乗って来た。

お年寄りは座りたいなーと言う感じ

に私には見えたが、座っている若者

は誰一人席を譲る者はなかった。

何百というほど、似たようなシーンを

見て来たが、若者が席を譲ったのを

私は見たことがない。

私も若い時、お年寄りに席を譲った

記憶は全くない。

きっと若者はスマホに夢中なので

目の前のお年寄りのことなど眼中に

ないのだと思う。

それにお年寄りになったことがないので、

お年寄りの疲れ具合を把握できてない

と思う。

それ故に一概に若者を悪く言えない。

私の座っているシートは5人用である。

が、4人しか座っていない。

私の隣も少しばかり空きスペースがあった。

「ここに座れますよ」

私はお年寄りに声をかけた。

他の乗客たちも少し詰めて一人分の

スペースが誕生した。

立ち上がって席を譲るのは簡単だ。

しかしそれをやると、他の座り客に対して

イヤミになる。

総てに心を配ってあげると、これが最善の

方策になるのです。

突「自分も楽したかっただけじゃないか、

この偽善者め」

へへへ、ばれたか。

JR名古屋駅構内に入ると愛知銀行の

キャッシュコーナーがあった。

が、やはり営業時間外ということで拒否

されてしまった。

キャッシュコーナーの在処を、所々で

人に訊いても誰も知らないと言う。

この駅の構内にいる人の大半は旅人だ。

私だって人からこの辺りにキャッシュコ

ーナーはありませんかと尋ねられたら

知らないと答える。

こんな時は売店の人に尋ねるのが

一番だ、と訊いてみた。

「西口の突き当たりを左に曲がると、

うまいもん通りというのがあります。

その通りの突き当たりにありますよ」

お金をおろし、切符を買い、のぞみ97号

には7時01分に乗車できた。

お大師様の課した試練も何とか1つ

クリア出来た。

7時06分いつものように発車したのぞみ

は8時43分岡山着。

8時50分発の南風3号に乗り換える。

自由席は予想した通り満席であった。

私は座席がよく見える、最後尾のデッキ

に立って行くことにした。

私はどこが最初に空く席かと予想を

始めた。

きっと、あの営業マンが丸亀辺りで

降りるぞ、と私は睨んだ。

そして私は丸亀から営業マンの後釜

に座った。

これぐらい競馬も当たれば、なお楽しい

のだが。

琴平でも、大歩危でも、いつものようには

乗客は降りず多くの人が高知まで行った。

春休みが影響しているのかな。

それでも子供連れの旅人もあまり見かけ

なかったし、卒業記念旅行も時期的に

遅いけどね。

高知で大半の人は降りた。

しかしまた多くの人が終点の中村駅まで

乗って来た。

高知で夕べ一泊し、今夜足摺岬に泊まる

観光客であろう。

車窓から高知市内を見る。

そしてあることに気が付いた。

大きな山があって海は見えない。

「3志士の海岸物語」がうそになってしまう。

まいいか、どうせ嘘の塊なんだから。

13時24分中村着、6分後に宿毛行きは出る。

改札口には出ずに、そのまま階段を登

ってホームを移動する。

この車輌も高校生で一杯であった。

やっぱり春休みなんでしょうね。

13時50分土佐くろしお鉄道平田駅到着。

昨年11月28日、2回目のお遍路を

終えた駅である。

駅を出て56号線へと向かう。

コンビニでおにぎりと、万歩計用の

乾電池を買う。

乗り継ぎが忙しかったし、南風には

車内販売がないので昼飯も食べてなかった。

延光寺へと向かう。

去年は浪速のおっちゃんと、一昨年は

テントさんと一緒に歩いた道だ。

今年は1人なのでちょっぴり淋しい。

お参りを終え、境内でおにぎりを食べた。

もう後は宿毛まで行って寝るだけだ。

時刻はさっぱりわからないが何も

慌てることはない。

去年「ぶさ男くん」とあった道を通って

56号線に戻った。

後は西へ向かって歩くだけである。

1時間ほど歩くと面白い看板を

発見した。

 

場外馬券売り場だ。

公営競馬が主であるが、JRAのG1も

売っているらしい。

ただし、換金はここでしか出来ないそう

だから注意して下さい。

突「猫さんにはその心配は必要ないですね」

だまらっしゃい。

撮影を終えて本道に戻ると、幼子を二人

連れたママさんに逢った。

こんにちわと彼女は言った。

こんにちわと私は答えた。

「歩いて廻っているんですか」

「そうですよ」

「大変ですね、わたしもこの前一つだけ

お参りしたんですよ。高松の81番だっ

たかな」

「ああ、山の中のお寺だったでしょ」

「そうです」

「しろみねじとかいう名の」

「そんな名前でした」

もちろん彼女に私のブログは伝えた。

モタモタしながらも何度かのトライの

後に彼女のスマホに「不思議の国の

しろひ猫」の画面が出現した。

あの時のママさんこんにちは、あの時

のおぢさんですよ。

どうですか、おぢさんはおぢさんだけど

、おぢさんじゃないでしょ。

だって私は永遠の「心の美少年」なんだもーん。

突「脳みそは」

微小ねん・・こら、何言わせんねん。

また1人私の読者が増えました。

とっても嬉しい。

私にとって読者は「心の恋人」そして

ブログは「ラブレター」のようなもの。

男性の読者も一部にいますので競馬コーナー

も設けましたがおまけみたいなものです。

こう思うことで私はモチベーションを高めて

頑張っていけるのです。

本当は1人の読者もいないのかも知れま

せんけど。

やっぱり女性との出会いは楽しい。

暗くなりかけてた気持ちがパッと

明るくなった。

男にとっては元気の出る存在である。

女性にとって男はどうなのか知らないけど。

途中、1人の老人に道を尋ね、17時

「上村ビジネスホテル」に着いた。

早速私は万歩計を見せ、このネジに合い

そうなドライバーはありませんかとフロント

に尋ねた。

しかしフロントの持って来てくれたドライ

バーはワンサイズ大きいものであった。

部屋に入り、荷物を置いて私はホテルを

出た。

そしてホームセンターでドライバーを買い

、スーパーでビールと晩飯を買った。

ホテルに帰り万歩計を設定し、82日ぶりの

アルコールを口にした。

テレビを点けるとNHKのローカルニュース

をやっていた。

真ん丸の顔をした愛くるしい山北アナが

映っていた。

久し振りに見る、癒される女子アナウ

ンサーである。

本日の歩行距離13km(推定)

 

3月27日

朝6時かっきりにホテルを出た。

道路を隔てて秋沢ホテルがある。

本当はこのホテルを予約したかったの

だが満室だと断られていた。

上村はまったく人気がないホテルだった。

夕べの宿泊客は私1人だけだったかも知れない。

コトリとも物音がしなかったし、人の声も

聴いていない。

フロントの人が、実は社長であり部屋の

掃除もしているのかも知れない。

ひょっとしたら地元では幽霊の出るホテル

で有名だったりなんかして。

でも私が社長だったら、この幽霊を売り物

にして団体客を集めるだろうね。

幽霊の出るホテル でも皆で来れば

怖くない 修学旅行は当○○ホテルで。

56号線に出て一路観自在寺を目指す。

ポツンポツンと店が点在するだけで

あとは空き地といった街である。

これからまさに伸びて行かんとした

瞬間にバブルがはじけてしまった、

そんな感じの街である。

地理的に本州から一番遠いのも辛いなぁ。

しばらく行くと遍路道案内図というのが

あった。

見ていると後ろから一人の遍路さんが

やって来た。

彼は遍路道を行くと言っていた。

私は56号線を行くと言った。

しばらく一緒に(数十メートル)歩いて

彼と別れた。

「また会いましょう」

「きっとまた会うと思いますよ」

56号線を行く。

文章になるものは何一つない道路である。

壊れかけた元ラブホテルがあった。

そしてトンネルがあった。

 

 

少し行くとまだ現役のラブホテルが

あった。

宿毛から7Kmの地点である。

ラブホテルというのは別に旅人が泊まっ

ても何ら問題はないんですよね。

延光寺から宿毛では終了時刻が少し早い

ので次回には参考にさせて貰おう。

やがて左手に一本松温泉あけぼの荘が、

右手にはホテルセレクトが見えて来た。

随分と古い建物で、耐震性が心配である。

少し行くと右側への遍路道の標識が出ていた。

遠回りになるので真っ直ぐ進む。

かなり長く歩いて蓮乗寺と城辺の二つの

トンネルを抜けると一気に観自在寺は近

くなった。

御荘中学の手前の信号を右折し、橋を渡り

門前の通りを左に曲がる。

道が狭いので車には注意しなくては

いけない。

郵便局の手前を右に上がって行くと観自

在寺の山門に辿り着く。

11時40分であった。

去年立ち寄ったうどん屋は今年は閉まっ

ていた。

週三日の営業であるらしい。

去年はたしか土曜日だったからね。

本堂へ向かう途中に、寄付金の多い順に

地元名士の札が並ぶ。

私と同姓同名の人はないかと探すが

なかった。

同姓ですら一人もなかった。

お参りを済ませ、またもや境内でおにぎり

をパクつく。

やはり今日も柏坂まで行くだけなので、そ

んなに慌ててはいない。

帰り道、いつもの生絞りジュースの店が

視野の片隅に入った。

今年は素通りしようかと思ったが、ベンチ

の白髪の老婆が私の心を捉えて離さない。

私は抗いがたく、吸い込まれるようにと

店に入って行った。

私はジュースを頼み老婆の横に座った。

名古屋から来ているらしい。

27回目のお遍路だとも言った。

今日は宇和島に泊まろうと思ったが、満室

だったので義理のある札掛の宿に泊まるこ

とにしたと言っていた。

宇和島なら泊まる所はいくらでもあるで

しょと言うと、満室だってことはお大師様が

札掛の宿に泊まれと仰ってるんだわと言った。

私と同じような考えを持っていらっしゃる。

しかし札掛の宿なんてあるのかな、私は

記憶にないのだがと言ったら老婆は黄色い

地図で教えてくれた。

ホテルセレクトを過ぎた辺りから入って行く

遍路道にある宿だ。

そう言われて、いつか読んだ遍路日記を思い出

したので老婆に話した。

「ある時お遍路さんがこの宿に泊まろうと

予約の電話を入れたんだって」

「ほうほう」

「そしたらちょっと用事があるので5時頃来て

欲しいと言われたんだって」

「ほーかね」(そうですかと言う方言)

「お遍路さんがゆっくりと道を歩いていると、

ある所で餅投げをやっていたんだって」

「へぇー」

「それでお遍路さんも参加して餅を拾って

宿に着いたら、同じ餅がそこにあったんだって」

「つまり女将は餅を拾いに行くからゆっくり

来いと言ったわけだな」

老婆は笑いながら言った。

「宿に着いたらこの話女将にしてやると

いいですよ」

「是非そうする」

私は老婆にブログの話をした。

老婆は携帯は持っているがパソコンもスマホ

もチンプンカンプンだと言った。

私の最年長の「心の恋人」になってもらえる

かと思ったが残念。

しかし二人の会話を聞いていた女主人は

是非読みたいと言って下さったので伝えた。

老婆からお接待の饅頭を2ついただき別れを

告げた。

老婆は、いつぞやの遍路の途中で知り合った

車遍路の男性と遍路を続けるようになった

のだそうな。

その人が東京の人で、遍路の度に名古屋に

立ち寄り乗せてってくれるようになったの

だそうな。

七回も運賃タダで東京人をアッシー君として

使いやがって。

なかなかやるじゃないか老婆。

長生きしろよ、アバヨ。

楽しい時間を過ごさせてもらった。

やはり人との触れ合いがないとブログが

面白くならない。

通りに出ると公衆電話があったので明日

の宿の予約を入れる。

何時に来れると言うので6時と言う。

食事はと言うので遅くなるので朝食

だけでよいと言う。

宿は民宿三間、務田駅のすぐ近くだ。

ついでに姉に電話を入れる。

親戚に死人は出ていないか確認のためだ。

いれば即遍路を中止して葬儀に参列

しなければならない。

しかし姉は出なかった。

旅を続ける。

何もない山道を黙々と歩く。

さすがの私もお手上げである。

しかしただ一つ面白いものを発見した。

いつもここをバスで通るたびに見ていた

崖っぷちのパチンコ屋だ。

まさか現役のパチンコ屋だとは思いも

寄らなかった。

駐車場には車は数台、果たして経営は成り立つ

のでしょうか。

八百坂、菊川、室手そして外室手にさし

かかった頃この旅初めての海を見た。

なにか歌でも入れようか。

 

マイボーニーライズオーバージオーシャン

マイボニーライズオーバーザシー

マイボーニーライズオーバージオーシャン

オーブリンバックマイボニートゥーミー

やがて民宿ビーチが見えて来た。

民宿富士の大将によれば東のワーストが

金子屋ならば西のワーストがここだという

宿である。

ヒオウギガイの養殖をしていると看板

には書いてあった。

そんな難しいことに成功した人がやってる

宿がワーストとは私には到底思えない。

やはり宿の良し悪しは泊まる人の主観である。

もうあまり大将の言う事は信じない方が

良いと思う。

柏坂に予約を入れた時、主人から宿が近く

なったら電話して下さいよと言われて

いたのを思い出した。

迎えに行くからと言っていた。

地図で見ると道路際にあり、そんなに

わかりにくい所でもないのだがと思うが

公衆電話があったので素直に電話した。

宿に向かって歩いていると山の頂に

風力発電機がいくつかあった。

 

 

しばらくするとご主人らしき人が歩いて

迎えに来た。

観自在寺の信号から10数kmぶりの信号

機を越えると左側に「柏坂」はあった。

やはり道路際であった。

が、入り口のドアの上に「柏坂」とある

だけで他に看板らしきものはなかった。

これでは初めてこの宿に泊まる人は案内

を必要とする訳だ。

ご主人は、洗濯機、乾燥機、風呂、トイレ

の説明をし夕食は18時からだと言った。

料金は一泊2食で4000円と破格の安さだ。

早速私は洗濯物を洗濯機に放り込み、

風呂場で汗を流した。

風呂から上がると時刻はまだ17時。

腹が減ったので発泡酒(500cc)をだして

もらいソラマメ菓子で一杯やった。

私はこの民宿にブログを伝えて来た。

なのであまり悪くは書けないが事実は

事実として伝える義務が私にはある。

部屋にはテレビがない。

そしてエアコンもない。

スマホのない私には何の情報も入って

来ないので辛い。

地図を見ながら明日の予定を確認する

くらいしかない。

今日はまだ暖かいからいいが、冬なら

夕食まで布団にもぐってなきゃならない。

夕食の声がかかった。

行ってみるとテーブルには、予想に反して

品数も多く、どれもおいしそうな料理が

並んでいた。

これで一泊2食4000円は反則だろうが。

2つの不備を差っ引いても余りあるよい

宿であると思う。

私の他にいた客は鳥取の人だった。

明日は柳水大師、清水大師のあるへん

ろ道を歩くと言った。

私は56号線を行き民宿三間に泊まると

言った。

へんろ道のが30分は早いですよ、と

女将は言った。

無視して崖っぷちのパチンコ屋の話を

した。

税金逃れでやってるだけのパチンコ屋

なので儲かろうが儲かるまいが何とも

思ってないんですよ、あそこの社長は、

と女将は言った。

2本目の発泡酒を飲み干し、お開きとした。

あまりに料理が多く、少し残してしまっ

たことを女将に謝罪した。

こんなことならソラマメなんか食べなきゃ

よかった。

女将から明日の朝食用のおにぎりを貰い

部屋に戻った。

明日は務田まで行かなければならない。

地図の上では40kmだが国道を歩く私は

45kmは見ておかなければならない。

そのため5時に出発しようと早めに

眠りに就いた。

本日の歩行距離36,55km。

 

3月28日

4時半に目が覚めた。

エアコンがないのでとても寒い。

着替えて朝食のおにぎりを1個だけ

食べて5時に出発する。

あたりはまだ真っ暗である。

気温は7℃といったあたりか。

56号線を西へと進む。

すぐにトンネルにさしかかる。

歩行者専用の内海トンネルだ。

 

 

859mのトンネルを抜けるとあたりは

少し明るくなっていた。

しばらく行くと歩道に何やら蠢いている

ものがあった。

近付くとそれは車道へと逃げて行った。

犬よりも猫よりもそれは小さかった。

いたちの動きとも違っていた。

ピョンピョンと飛び跳ねるウサギの

ような感じであった。

断言は出来ないが。

須の川に入った。

海では漁船が数隻、灯りを点けて動

いている。

網を引き揚げているのかな。

温泉があった。

鳥越トンネルがあった。

それを抜けると大きく湾曲した道があった。

湾に沿った道だ。

それで湾曲と言うのだ。

お遍路に来たからこそ発見できた語源だ。

きっとこれもご利益だと思う。

突「じゃ訊くが、なんで歌のことを

曲と言うんだ」

きっと紆余曲折しながら出来上がるから

じゃないの。

向こう岸まで橋をかければ近道になる。

でも私は掛けて欲しいとは思わない。

地元の人もそう思うだろう。

人も車も我が家の前を通らなくなって

淋しいと。

やがて西遊漁センターが見えて来た。

西遊記にちなんで西遊漁(さいゆうぎょ)と

読むのかと思ったが、にしゆうぎょセンター

であった。

ここも宿の候補にあったがあまりにも

遠いのでやめた。

主に釣りを楽しむ人のための宿泊施設

であるらしい。

しかしラブホテル同様、お遍路さんが

泊まってもなんら差し支えはないようだ。

嵐を通り、畑地(はたじ)を通り津島へ着いた。

津島大橋を渡り津島病院、津島郵便局、津島

高校の前を通り松尾トンネルの近くまで来た。

途中で白い猫を見た。

 

この旅でみつけた唯一の猫だ。

やっぱり白い猫は飛び抜けて可愛い。

道路沿いに甘い物の店が見えた。

甘い香りに誘われて私は蟻のように

その店に吸い寄せられて行った。

「なにか美味しい物はないですか」

「まだ作り始めたばかりなもので」

「あのショウケースの中のものは」

「あれは今日納めることになってる

商品なんです。今食べられるものと

言えばこれだけですが」

と店の人は小さな饅頭を出して来た。

1個130円というその饅頭を私は3個

買った。

おまけに1つ違う饅頭をサービスして

くれた。

父と息子でやっている内村とかいう

和菓子店であった。

いよいよ松尾トンネルに入る。

手前にへんろ道はあるがパス。

1710mのトンネルはさすがに長い。

途中で自転車に追い抜かれた。

いつか私は「馬日記」の中で追い越す時

はベルを鳴らして欲しいと言ったが、それは

道路交通法で禁じられた行為なん

ですってね。

たしか五万円以下の罰金か、一年以下の

懲役だとか、言ってました。

もし違反者が懲役に服します、と言っ

たなら警察はどう対応するのでしょうかね。

ベルを鳴らしただけで本当に懲役

になるんでしょうかね。

誰か暇な人がいたらやってくれんかね。

一泊2食付きますよ。

もし自転車が追い越す瞬間、私が斜行

したら私は肘を骨折するかも知れない

し、反動で自転車は車道に倒れ後ろから

来た車に頭を潰されるかも知れない。

道交法を見直すべきだと思います。

トンネルを出ると街が近いのがわかる。

ケーズデンキ、西松屋、しまむらと

全国チェーンの店が登場する。

こんなポスターもあった。

 

闘牛大会、4月1日正午よりとある。

日程的に無理だが、いつか行ってみたい

と思う。

こんな看板もあった。

この辺りの蒲鉾は道路を走るみたい

・・・・ですね。

そりやたしかに車輪をつければ

走るわな。

愛媛県人を敵に回したかな。

冗談の大好きな男だから許してやって

下さいな。

警察署の前を通りさらに56号線を行く。

反対側にうどん屋、ラーメン店が

立ち並ぶ。

時刻は昼飯時、道を横切ろうとするが

車の往来が激しく出来ない。

何度か挑戦したがどうしてもラーメンに

ありつけなかった。

これは老婆流に考えるならば、ここで

食べるなということだ。

明倫小学校を過ぎた辺りの信号を

右折する。

右手に大きな公園がある。

子供たちがサッカーの試合をしてる。

やっぱり春休みだなぁ。

次の信号を左折しエネオスのスタンド

を右折する。

そのまま突き当たりの道まで進み、

左折して次の交差点を右折する。

320号線の下をくぐり突き当たりを

左折、次を右折、ハローワークの手前を

左折して踏切を渡り「洋服の青山」の一本

手前の道を右折し、再び踏切を渡る。

あとは道なりに進みもう一度線路を

横切り橋を渡って右折すると務田まで

一本道の57号線である。

3回も踏切を渡ることからもわかる

ように、10番から11番よりも難解な

道である。

黄色い本がなかったら多分私は一日中

この迷路から抜け出せなかったであろう。

ただし、「洋服の青山」だったか「洋服の

青木」だったかは定かではない。

猫のヤロー間違えてるじゃんなんて

文句を言わないように。

大勢に影響はないんだから。

それにしても「洋服の青木」よ、紛らわしい

名前つけんじゃねーよ。

青山と間違えて買ってくれたら儲けもの

だと考えてんだろが。

突「しょうがないじゃん社長の名前が

青木だったら」

昔、「のりたまご」という「のりたま」と

絵柄がそっくりな袋に入ったふりかけが

あった。

私は間違えて買って、その味の違いで

気が付いた。

あれを思い出した。

突「違法行為ではない。間違えたあんたが

悪いんだ」

57号線を進む。

私の大好きな予土線が横を走る。

走ってない予土線

 

緑の中を走り抜けてくアンパンマン列車

昼間はガラガラでも朝はとっても混むの

電車の中では隣のヒロシが足踏まれたと

怒鳴っているから私もついつい大声になる

 

馬鹿にしないでよそっちのせいよ

あんたがわたしの靴の下に

足を入れて来ただけじゃないのplay back

 

予土線は悪魔 私をとりこにする

やさしいのろ魔

レースのカーテン越しに

自転車通学のヒロシが見える

窓から手を振り電話すると

先に行って学校で待ってるよと

ヒロシは消えて行った。

AH!AH!DEVIL

MY SWEET LITTLE DEVIL

Woo・・・・

やさしいのろ魔

 

今朝のニュースで、明後日を限りに三江線

が廃線になると言っていた。

予土線も近い将来ヤバイらしい。

なので私のポケットマネーで買収しよ

うかと目論んでいる。

近いうちにJR四国の社長と話し合おう

と思っている。

突「おい誰か救急車を呼んでくれ」

16時民宿三間に着いた。

到着寸前きのう柏坂で一緒だった

人に先を越された。

私の話を聞いて三間に決めたようだ。

夕食は頼んでなかったが早く着いたので

作ってもらうことにした。

おいしい料理とビール2本で満足の

行く夕食だった。

本日の歩行距離46,34km。

 

3月29日

6時に頼んであった朝食が部屋に

運ばれて来た。

部屋で食べる民宿はこれが初めてである。

どちらかと言うと私は皆で食べる

方が好きである。

ホストホステス共々。

歩き遍路を始めるようになってから私の

好みは変わった。

当然ビジネスホテルよりも民宿が好きにも

なってきた。

しかし昨日は男ばかり3人の宿泊客で

あったからそれでよかったのかも

知れない。

鳥取の一見真面目そうだが、くそ面白くも

ない男とよぼよぼのおじいさんじゃな。

料理は生卵、納豆、味付け海苔、味噌汁、

アジの焼いたやつと、平均的な宿の朝食

であった。

昨日の柏坂でも小さなアジが出た。

この辺りの特産品なのかな。

どうせなら大きいやつを出してくれれば

いいのに。

突「きっと大味なんじゃないですか」

鳥取の奴と同じくらい面白くない、60点。

一泊2食、それにアサヒスーパードライ

の大びん2本で7500円を払って宿を出た。

6時20分であった。

歩き慣れた田園の道を通り龍光寺に

着いた。

去年はおっちゃんと二人で電動自転車

でやって来た。

境内に鳥居があり、おっちゃんはあれは

神社じゃんと鳥居を指差して言った。

 

私も初めて来た時、間違えたのかと人に

訊いた覚えがある。

たしか天皇寺あたりにも境内に鳥居が

ありましたよね。

わかっていたのにうっかり私は神社

まで行ってしまった。

しかし蝋燭や線香を立てるところが

なくて、何てしみったれたお寺だと

怒鳴ったところで気が付いた。

階段を降りて行くと、登って来る

地元の男女中学生に逢った。

みんなおはようございますと挨拶する。

クラブ活動の生徒さんだ。

青龍寺の朝青龍を思い出した。

この中から朝青龍のようなビッグな人が

出るといいですね。

納経を終え、階段途中から右へのへん

ろ道に入る。

墓の間を通り、山を登りそして下り

31号線へと出る。

へんろ道は嫌いだがこの道は大幅に

距離短縮出来るので使った。

仏木寺への道を進む。

チューリップが咲き始めていた。

 

 

この辺りはチューリップ街道とも呼ば

れているのだ。

去年は遅すぎて花はすっかり終わっていた。

仏木寺に着いた。

駐車場でお寺さんと檀家の人だろうか、

2人が軽自動車から降りて来た。

二人は私に挨拶をした。

お寺さんも檀家さんも女性だった。

お参りが終わり、寺を出ると8時を

過ぎていた。

引き続き31号線を歩いた。

途中で年の頃なら70代の女性に逢った。

どこから来たと尋ねられた。

いつものように名古屋からだと言った。

うちの娘は豊川に住んでいると言った。

愛知に働きに出て、仙台から来てトヨタ

自動車豊川工場に勤める人と結婚した

とも言っていた。

時々は豊川にも出向く、その時は名古屋

まで「のぞみ」で行き「こだま」に乗り

換えて豊橋まで行くと言った。

話は急にお大師様に関することに

変わった。

太龍寺の山の中で修行した話、衛門三郎

の話、あんなのわたしは嘘だと思っている、

と女性は言った。

だってお大師様はこの道(31号線)も通った

ことになっているけど、わたしがお嫁に来た

頃この道はなかったもんと言った。

女性よ、それを言っちゃおしまいよ。

レジェンドなんてのは後々に彼を崇拝する

人達によって創られたものなんだ。

大人だったら、嘘でも信じてあげようよ。

よく喋る女性であった。

私は、今日は大洲まで行きますので、この

辺で失礼しますと話を打ち切った。

本当は話したいだけ話させてあげる

べきであったのだが。

たとえそれで大洲まで辿り着けなかった

としてもそれでいいではないか。

そう思うのが大人である。

まだまだ修行が足りなく未熟な私を

許して下され。

民宿とうべやの辺りからへんろ道に入る。

池を通り越し、高速道路のあたりから

本格的な山道に入る。

まずは小便をして、それからジャンパー

をリュックにしまい腕まくりをする。

まだちょっと肌寒いが山道を登る

うちには暖かくなるだろう。

30分ほど歩くと再び31号線と合流する。

そのまま北へと歩を進めると工事現場

にさしかかった。

交通整理をしているおじさんに、何を

やっているのかと尋ねると土砂崩れを

防ぐ工事をしていると言う。

あの高い所にひもが張ってあるでしょ、

あそこがへんろ道なんですよ、あのすぐ

横のあたりから土砂崩れが起きたんですよ

、これ以上崩れないための工事をしてい

るんです。

おじさんはそう言っていた。

崩れた時にお遍路さんがいたらヤバイ

ですね。

特に雨の日のへんろ道は気を付けた

方がいいと思います。

ここも松尾トンネル同様、へんろ道と

トンネルと2つの選択肢があった。

私は迷うことなく�歯長隧道をチョイス

した。

トンネルというのは山の底辺をくりぬいた

ものである。

したがって道はほぼ平坦である。

何も疲れる山道を登る必要はない。

それにしても地図を見るとトンネルだ

とか隧道だとか呼び方はまちまちである。

どうして呼び方が違うのか、この差って

なんですか流に私も考えた。

きっと古い時代に作られたものが隧道で

近年に作られたものがトンネルではないか

と思って調べたがそうでもないらしい。

トンネルと隧道、文字数でいうと二文字

違う。

となれば作家なら原稿料稼ぎにトンネル

を使うであろう。

現に川端康成先生も「雪国」の出だしで

国境の長いトンネルを抜けると雪国で

あった、と書いている。

何度も使えば原稿の2枚くらいは

水増し出来る。

突「アホー、ノーベル賞作家が、そんな

セコイこと考えるか」

冗談好きな男の冗談ですがな。

隧道を抜けると東屋があった。

 

案内には西予市とある。

私は和菓子屋で買った最後の饅頭を

口に運んだ。

中には甘い梅干しが入っていた。

上品な味である。

この後はへんろ道を下り再び31号線に

入り橋を渡って29号線へと入る。

途中に高速道路へ入って行く道がある

ので間違えないように。

29号線を明石寺へと向かう。

いつものように集落の方へ入って行く

へんろ道があるが無視する。

入って行ってもなにもない。

29号線を進むと公衆電話があったので

今日の宿の予約をする。

一番近い「ビジネスホテルだいいち」に電話

をしたが出なかったので、「ビジネスホテル

オータ」にした。

きっと社長はホテルニューオータニに

憧れてこの名をつけたのだと思う。

突「違う、社長が太田さんでカタカナに

しただけだ」

スーパーショッパーズの次の信号を

右折する。

勿論明石寺の道標はある。

去年おっちゃんと、一昨年はタクシー

で来た道を歩む。

宇和高校を過ぎて左折し、すぐに右折

をして門前のきつい坂を登り明石寺

に着いた。

11時50分であった。

お参りを済ませ右手に登る遍路道

を行く。

20分も歩くと56号線に出た。

今日の宿泊地、大洲へと向かう。

すれ違う女子中学生がこんにちわと

声をかけてくれる。

たくさんたくさん声をかけてくれる。

やはり田舎はいいなと思う。

でも高校生くらいになると挨拶も

なくなる。

声をかけてくれたのはこの学校の

生徒さんたちでした。

 

道路の反対側に、私好みの食堂が

見えて来た。

いかにも昭和の食堂と言った風情がある。

こんな食堂で昼下がり「カツ丼」を食べる

のが私の夢であった。

店に入ると案の定、かつどんの品書き

はあった。

630円である。

めしは180円、味噌汁は130円、セット

では300円である。

めしと味噌汁別々に頼む奴はいる

のだろうか。

ご主人がどう対応するか誰か試しに

やってくれんかのー。

突「それじゃベル鳴らして懲役刑と

同じじゃん」

玉子味噌汁180円、うどん370円、玉子

うどん420円。

要するに玉子は50円ですよってことな

んですよ。

このお品書きを書いた主人の純朴さが

私はたまらなく好きだ。

注文して17分後にカツ丼はやって来た。

今日はビジネスホテル泊なので構わな

いが、やはり四国はのんびりしてる。

この店はお遍路さんよく来ますかと

尋ねると昔は多かったけど今はポツン

ポツンですねと女将は言った。

お遍路さんが減ったのですかと訊くと

、いや今でも昔と変わらないくらい

目の前の道路を歩いていますよと言った。

他の飲食店が増えたということか。

さっき来たお遍路さんは大洲まで

行くと言ってましたよと女将は言った。

まさか鳥取のくそ面白くない男では

ないだろうか。

昭和の匂いのするこの食堂に寄り、今日中

に大洲まで行くという頑張りようは、きっ

とくそ面白くない鳥取男だと思う。

会わなくて良かった。

突「それじゃ、あんたもくそ面白くない

ことになる」

キャイン。

13時30分高原食堂を出る。

56号線を行く。

公衆電話をみつける。

明日は小田に泊まる予定でいる。

あまり宿のない所なので予約の電話

を入れる。

部屋は空いていた。

ほっと一安心したが、どうも予約日を

1日間違えて3月31日にしてしまった

ことに気が付いたのはボックスから

200mほど離れてからである。

戻れば往復400mかかる。

次の公衆電話からにする。

信里のあたりに酒六冷蔵とかいう会社

の休憩所をみつける。

無料と書いてある。

まさか休憩するだけで金とるわけも

ないから無料宿泊所なのだろう。

よう知らんけど。

泊まる気もないし。

なにせ予土線を買収できるほどの

財力がある私だからな。

突「救急車」

鳥坂隧道の手前に公衆電話発見。

予約日を30日に変更する。

空いててよかった。

鳥坂隧道(1220m)を歩く。

歩道がない。

車の2割がライトも点けない。

四国のドライバーの交通マナーは

非常に悪い。

ここだけは車の街豊田市よりも格段

に悪い。

生きた心地はしないまま、生きて

トンネルを通過。

しかし大洲市街まではまだまだ遠い。

ここらあたりはやたらと橋が多い。

それでいて川はない。

谷を渡る橋が多いのだ。

途中で56号線のややこしい部分にさし

かかった。

丁度いい具合に通行人がいた。

大洲へ行くにはどうしたらいいのかと

尋ねた。

すると通行人は、豊田市から来たのか

と言った。

なぜこの人が私が豊田市から来たことを

知っているのだろうかと聞き返した。

今度は豊橋から来たのかと聞こえた。

再度訊き返すと十夜ヶ橋(とよがはし)

へ行くのかと言った。

まったく、とんだ笑い話だぜ。

高速道路の下の信号を左に曲がるのが

56号線らしい。

やがてもう一つの、歩道のないトンネルを

抜けると大洲であった。

右手にビジネスホテル「だいいち」

が見える。

左手に大洲城が見える。

川にはボロボロの屋形船が見える。

まさか鵜飼い見物の客があれに乗る

わけはないだろう。

すると鵜匠たちの乗る船か。

いや若手の訓練船だろう。

首に縄をくくりつけ、魚を捕らせる。

せっかく捕ったものを吐き出させて

横取りする。

初めて鵜飼いと言うものを見物した

人はきっとこう言っただろうね。

突「なんて」

ウッソー(鵜匠)

突「鳥取男より面白くない、50点」

鵜が吐き出した魚を食べることに、人々

は抵抗があっただろうね。

でも鵜匠は、釣りや網で捕獲したものに

比べてストレスがないから美味しいんで

すよと言った。

人々はその言葉を鵜吞みにはしなかった。

突「92点」

18時過ぎにビジネスホテルオータニ

着いた。

私はフロントに、スーパーフジグランは

今も経営をしていますか、と尋ねた。

フロントのお姉さんは怪訝そうな

表情を浮かべた。

四国は潰れてるスーパーが多いんです

よね、窪川では3軒回ったスーパーが

すべて潰れていたんですよと言うと、

彼女は大丈夫ですちゃんとやってますよ

と答えた。

部屋に入り荷物を置き、フジグランで

ビールと晩飯を買ってホテルに戻った。

バーサス嵐を見ながら食事をし、21時

眠りに就いた。

本日の歩行距離43,56km。

 

3月30日

5時に目が覚めた。

昨夜は何度も寝汗で目が覚めた。

布団をはねのけると今度は汗が

体を冷やす。

実は2日目の頃から、鼻の奥がツンツン

と痛く、3日目の頃から唾を飲み込むと

喉が痛く民宿三間から寝汗も始まっていた。

それでも、おにぎりを食べて6時にホテル

を出発した。

56号線を内子へ向けて歩く。

1時間も歩くと十夜ヶ橋に辿り着いた。

線香と蝋燭をつけお参りをする。

橋を渡る時杖をついてはいけない、なぜ

ならば橋の下でお大師様が眠っている

からと言われていたが、うっかり杖を

ついて渡ってしまった。

お許しくださいませ。

それにしても大洲の街は56号線に沿って

随分と長い。

その分奥行きはない。

西予市と同じである。

9時、五十崎のJR線の下をくぐる。

 

「いそざき」ではなく「いかざき」である。

片道2車線の56号線をそのまま進むと

いつの間にか歩道は消えている。

後ろから来た歩行者に訊くと、このまま

行ったら危険だ、わたしについて来なさい

と言うので従った。

本道から右へ降りて行く道があり、やがて

その道はまた本道と合流するように

なっていた。

内子交番を通り過ぎる。

もうこの辺りではつばめが飛び交っている。

スーパーのショッパーズを過ぎた辺りから

左に降りて行く道があり交差する道を右に

折れ、56号線の下をくぐると379号線の

始まりである。

右から降りて来る道があった。

地図で見ると56号線の右側を歩けば、

そのまま来れる道であった。

馬鹿を見た。

橋を渡るといきなり「道の駅からり」が

あった。

かなりの賑わいをみせていた。

やはり何もない田舎だから賑わうの

であろう。

私は昼食用にと大判焼きを2個買った。

小田へと向けて川沿いの道を進む。

上り坂なのか下り坂なのか、よくわか

らない道だ。

朝も早かったので木陰で1個目の大判

焼きをパクつく。

生地が固く(水分が少ない)粒あんで

ないので私の好みではなかった。

よくグルメ番組なんか見てると、リポーター

はなんでもかんでも美味しいと言う。

作った人への思いやりなんだって。

それじゃ貴様、視聴者への思いやり

はないのかと言ってやりたくなる。

まずいものはまずいとはっきり言えば

いいんだよ。

私がリポーターならくそまずいと言って

やる。

それでいいんだよ。

どれくらいまずいものかと、視聴者が

殺到するはずだ。

最初のトンネルを抜け、バス停「田代口」

の手前に善根宿があった。

扉を開けて見ると畳が6枚敷かれ布団も

用意されていた。

すごく田舎なので怖いけど、数人のお遍路

さんで泊まれば大丈夫と思う。

私は泊まらないけど。

阿部君が土下座さえすれば、財政赤字の

一千兆円くらいポケットマネーから

出してやるくらいの財力だからな。

突「大風呂敷」

和田トンネルを抜ける。

大洲のあたりと違ってここらのトンネルは

歩道がついている。

少し進むと左側にへんろ道と出ている。

無視して379号線を進む。

へんろ道を進む意味が私には全く

見出せない。

強いてあげれば一軒宿があるから、それの

呼び込みだろう。

山の麓を通るへんろ道だ。

雨の日なんか土砂崩れが起きそうで

止めた方がいいと思う。

やがてへんろ道は379号線と合流する。

これを古い言葉でいうと、元の鞘に収

まると言う。

再び左にへんろ道は現れる。

私は新しい道を進む。

さらに進むと左に行く道が現れる。

これが379号線で、真っ直ぐ行く道が

380号線の始まりとなるのです。

花が咲いていた。

こんな崖っぷちの家もある。

 

進むこと1時間で「道の駅せせらぎ」に着いた。

私は飲み足りなかった時のための酒を

買おうかと思ったがなかった。

何もない、日本で一番みすぼらしい道の駅

であった。

今まで立ち寄った道の駅の中ではと

注釈をつけておこう。

宿の主人からはここから電話して下されば

迎えに行きますと言われていた。

しかし私は歩き遍路ですぞ。

真っ正直な私はそれが出来ず、歩いて

宿まで行くつもりだ。

しかし、「山宿お食事処むらや」はなかなか

みつからなかった。

おばあちゃんに訊いても、言ってることが

地図とは全然違っていて信用出来なかった。

とりあえず道路際の東屋に座って、2個目の

大判焼きを食べながら地図を開いてみる。

東屋から南に行って突き当たりを西へ

向かえばすぐにむらやだ。

私は黄色い本の54ページ最下段の枠の

中の地図を見た。

となりの富士屋旅館とは123mくらいしか

離れていない。

私は田んぼを耕している青年に訊いた。

知らないと言う。

子供に訊いた。

やはり知らないと言う。

井戸端会議をしているおばさんにも

訊いた。

名前は聞いたことはあるが、どこに

あるかは知らないと言った。

一応富士屋旅館の方へ行くが「むらや」など

影も形もない。

4人目に訊いた人が、ずっと東の方へ

2kmほど行ったとこにあるよと教えて

くれた。

四苦八苦しながら16時過ぎに「むらや」

に着いた。

ご主人の迎えに行きますと言った意味が

わかった。

あの54ページの最下段の、枠に入った

地図は間違っていたのだ。

地図で見るとたしかに富士屋旅館とむらや

さんは123mくらいの距離ではあるが、実際

には1674,2mくらい離れていた。

しかしあの地図の製作スタッフが実距離で

作ったら、枠が大きなものになってしまい

地図が隠れてしまうと思い誤魔化したのだ。

だったらせめて距離でも書いておいて

くれたらいいのに。

本当にこの地図書いた人は不実だと思う。

とにかく宿の人には責任はない。

きっと来る客がみんな不満たらたら

だと思うが。

早速風呂をすすめられる。

大きな浴槽のいい風呂だった。

そして洗濯もした。

乾燥機はないと言う。

部屋の中に干した。

エアコンをバンバンにかけた。

風呂に入ったせいか、激しい悪寒が

してきた。

18時に食堂に行った。

しかしあまり食欲が沸かなかった。

ビールもまったく飲む気が起きなかった。

料理を少し残して部屋に戻った。

一刻も早く寝たい気分だ。

が今日1日の情報を知りたくテレビを点けた。

昨夜大洲市長が亡くなったと報じていた。

18時半まで職務を遂行し、帰宅してすぐ

に脳出血で急死したという。

私は市長とは面識もない。

当然私が昨夜大洲を訪れることも知らない。

したがって私の訪大と市長の死とは

何の因果関係もない。

悪寒がする。

場合によっては明日コミュニティバスに

乗って内子駅まで戻り、家に帰るかも

知れない。

明朝の体調次第だが。

布団にもぐって寝る。

本日の歩行距離39,59km。

 

3月31日

5時に目を覚ます。

やはり昨夜も寝汗で何度も目が覚めた。

しかし体調は昨夜より良さそうだ。

これなら何とか旅は続けられそうだ、と

洗濯ものをリュックに入れる。

渇いている物もあればそうでない物もある。

湿っている物はプラスチックバッグに

入れる。

6時から朝食である。

私は総てを食べた。

そしてご飯も2杯食べた。

同宿した福岡の人はそれを見て、風邪じゃ

なくて花粉症じゃないのと言った。

はっきり言って私は今日まで、風邪をひいた

ことも花粉症にかかったこともないので

どちらとも断言出来ないでいた。

ひょっとしたら、ご飯が2杯も食べられたの

だから花粉症かも知れないなと思った。

昨日までの5日間、私はスギやヒノキの花粉

が飛び散る山の中を歩いて来た。

言うなれば花粉症のメッカだ。

だから花粉症であって欲しいと私は願った。

ちなみにここでの朝食にも、小さな鯵が

出た。

きっと大きな鯵を出せば、品数を減らさな

ければならないので魚肉、いや苦肉の策

だったんでしょう。

突「80点」

いや、ここは点数出すとこじゃないぞ。

何時に出かけますかと主人は訊いた。

私は出来るだけ早い方がいいと思ったが、

自己主張は避け、どうしますと福岡の

人に訊いた。

彼は7時にして下さいと言った。

部屋に戻って支度をし、エアコンとテレビ

を切って玄関へと向かった。

そして玄関で杖を持とうとしたら、それは

わたしのですと福岡の人に言われた。

よく見ると手の部分のカバーが私と

全く同じであった。

これって、ひょっとしたら「民宿あずま」

のお接待じゃないですかと私は言った。

その通りですと彼は言った。

同じ宿に泊まり10種類くらいあるカバー

の同じ物をいただいて来るなんて、縁が

あるんですねーと私が言うと彼もそうです

ねと答えた。

車は東屋の所で止まった。

私は宿の主人に礼を言って380号線を

東へ向かった。

途中で福岡の人に抜かれた。

早朝の山道で肌寒い。

車は滅多に通らない。

三島神社で福岡の人は休憩をしていた。

私は休まず、しばらく行った所からへんろ

道に入った。

それほどきつい坂でもない。

10分ほどで380号線に出た。

しかし次のへんろ道は通らず380号線

を行くと、前を福岡の人は歩いていた。

やはりへんろ道は速い。

この次は両方ともへんろ道を通ろう

と思う。

彼はまたまた、畑峠遍路道の手前で

休憩を始めた。

彼は休憩をしながらメモ帳に何か

書いている様子だ。

私は再び彼を追い越した。

彼がウサギなら私はカメだ。

のろいけど休まないから私はどんどん

先に進める。

しばらくして真弓トンネルに入る。

昔、阪神に真弓という選手がいたこと

を思い出した。

交通量は少なく700mのトンネルを

抜ける間に出会った車は7台であった。

3月31日土曜日晴れ9時現在。

これなら布団を敷いて寝てても、5分

くらいは死なずに済みます。

が、決して実践しないで下さい。

真弓のトンネルを抜けると公衆電話

があった。

今日の宿を予約しようとしたがカード

専用の電話であった。

 

380号線を東へと向かう。

この道で初めてのバス停を発見する。

馬野地(うまのじ)と言う。

いつか路線バス乗り継ぎのお遍路も

企てているので記憶に留める。

ここから小田まで3時間弱で着く。

後は小田、内子、卯之町、宇和島、仏木寺

、札所前、宿毛、寺山口、足摺岬と繋がる。

父野川を歩く。

途中からへんろ道に入る。

僅かだが距離を稼げる道だ。

42号線に出る。

菜の花が咲き蝶々が飛んでいる。

ここらにもバス停はある。

馬野地から久万高原は一本しかないが、この

通りだと3本ある。

真っ直ぐ進んだこの道も、途中から大きく

左に曲がる。

その曲がり始めた箇所にへんろ道の

入り口はあった。

大寶寺まで6,8kmとある。

しばらくは車の通れる道は続く。

坂道もそんなにきつくはない。

へんろの札はないが、私が見ても迷う

ことはない、少なくも農祖峠までは。

 

 

しかし、その後は道標は一切なかった。

そしてアスファルトの道に出る手前に

1つだけあった。

へんろ道保存協力会というのは、平均年齢

80歳くらいの団体ではないか。

へんろ道は保存したい、でも維持管理は

出来ない。

次の世代も協力的でない。

へんろ道を通るたびに、そんな現状が

垣間見えてしまう。

やがてへんろ道は荒れ果て、草木が繁茂し、

人々はアスファルトの道を通るだろう。

それでいいじゃないか。

観自在寺で老婆に聞いた話では、黄色い本の

編集者はへんろ道で亡くなっていたそうな。

これはお大師様が、楽な道を歩けよ

と示唆しているのではないかと思う。

アスファルトの道を歩いていると枯葉の

上をガサゴソとシマヘビが動いていた。

春の陽気に誘われて巣穴から出て来た

ようだ。

そろそろマムシにも警戒が必要だ。

再びへんろ道に入る。

途中で大寶寺と岩屋寺の分岐点があった。

岩屋寺に先に行き、帰りに大寶寺による

という手もあるのだ。

これだと一筆書きのようで理に適っている。

が、私は理に適わない方を選択した。

消防署の辺りから33号線に降りる。

喉が渇いたので自販機をもとめて

そのまま歩く。

ないので繁華街の道へと移る。

飲み物を買い、公衆電話から宿の予約を

する。

宿の名は「八丁坂」。

選んだ理由は特にない。

強いてあげれば旅の途中で見た看板が

潜在意識の中に残っていたからかも

知れない。

だとすれば看板も馬鹿にならないと

いうことだ。

宿はOKだった。

久万小学校の前を通る。

これが小学校だとは思えない不思議な

建物だ。

次の信号を右に曲がり町立病院の横を

通り、橋を渡り突き当たりの道を

左に折れる。

「近いうちに有害鳥獣駆除を行います」

久万高原町役場のスピーカーが町内に

向けてお知らせをしていた。

やっぱり田舎だなー。

私の村も昔は公会堂のスピーカーが

昨日○○の○○○○さんがお亡くなり

になりました、とか○○さん、東京から

お電話がかかっておりますとか○○

さんの家の牛が逃走し○○方面に向

かっています、○○方面の方お気を

つけ下さいとか流していたもんだ。

でもこの前散歩していたらどこかから

曲が流れて来た。

時刻は丁度7時だったから、いまでも

放送をしている所があるのかも。

次に交わった道を右に行けば大寶寺は

私を待ち構えていた。

結構きつい坂を登って本堂太子堂と

お参りをする。

納経所へ行く。

もう2度と来るかこんなとこ、と罵声

を浴びせるお遍路さんがいた。

そんなこと言うもんじゃないと、奥

さんがたしなめていた。

きっと酔っ払いだろう。

納経所で遍路道を訊く。

階段を降りて左だと言う。

13時である。

遍路道を使わないと岩屋寺の納経時刻

に間に合わないかも知れない。

この道は農祖峠よりもきつかった。

おまけに気温も上がっているので、

汗もたっぷりと掻いた。

それにいつもより息苦しい。

やはり風邪の影響があるのかも知れない。

途中で数人のお遍路さんとすれ違った。

山道で人とすれ違ったのは神峯寺以来

のことである。

12号線を行く。

去年寄った下畑野川の公民館で、今年も

接待の声がかかった。

私は、今から岩屋寺まで行って八丁坂の

宿まで戻らなければなりません。

と立ち寄れない理由を述べ、許しを

乞うた。

じゃ明日の朝でも寄って下さい、8時半

からやってますとおばあちゃんは言った。

ここのお接待はゴージャスである。

本当は寄りたかったのだが。

14時40分八丁坂に着いた。

ロッカーにリュックを預け、すぐさま

岩屋寺に向かった。

やはり体が少しだるく感じる。

花粉症ではなく風邪だなと思う。

少し歩くと、道路上に岩屋寺まで6Km

の表示がある。

何も考えず黙々と歩く。

足元がふらつく。

しかし意識だけはしっかりしている。

桜吹雪が舞う。

ゴルフ場前を通り、温泉前を通り、清瀬橋

を渡る。

古岩屋トンネルを抜ける時四台の車に会った。

3月31日16時土曜晴れ現在。

バス停の小屋を過ぎ右への橋を渡り駐車

場を過ぎていよいよ岩屋寺の坂にかかる。

まだまだこれからじゃ、岩屋寺の坂と人生は。

去年寄った大判焼き屋が店じまいを始

めている。

少し行くと山門がある。

初めて来た時、もうすぐ境内だとぬか喜び

したことを思い出す。

ここと清滝寺の山門には気を付けろ。

さらに続くきつい参道を行く。

息も絶え絶えである。

16時20分本堂に着く。

境内に居る人はまばらである。

納経所へ寄り、手拭いを買う。

星野のおばあさまへのお土産である。

参道を下りて来ると案の定、大判焼き

はおばあちゃんとともに去っていた。

バス停で一服やる。

目尻が17時40分久万高原行を

捕える。

ただそれだけだ。

16時50分八丁坂に向けて歩き出す。

宿に着くのは18時30分くらいか。

真っ暗にはなっていないだろう。

疲れただろ、バスに乗れば。

どこかから声がした。

きっと鬼の声だと思ったら、突っ込み

だった。

いやだと私は言った。

誰も見てないんだからわかりゃしないよ。

突っ込みが更に誘惑してきた。

お大師様が見ている。

何も全部バスに乗れと言ってる訳では

ない。

丁度時刻の良いバス停まで歩けばいい

じゃん。

そんな事をしたら自分が自分を責苛む。

自分の事が嫌いになりそうだ。

意志が固いですねぇ。

そりゃそうです、岩屋寺のご本尊は

不動明王ですもの。

「歩け、猫」より一部抜粋。

18時半宿に到着。

部屋に案内してもらう。

食事は少し時間がかかるので10分後に

なりますと主人は言った。

風邪をひいているので風呂はやめた。

洗濯も昨日したのでやめた。

食堂に行く。

客は私を含めて4人だった。

女性2人と外国人である。

女性はすぐに席を立った。

外国人にどこから来ましたかと

英語で訊くとスペインからですと答えた。

後は日本語も英語も一切通じなかった。

スペイン人もすぐに去った。

私は風邪をひいているにも拘わらず

ビールを一本頼んだ。

やはりビールは旨い。

常日頃は発泡酒を飲んでいるから

その違いがよくわかる。

突「資産家じゃなかったんですか」

いやー、四酸化マンガンについて

少し知っていると言っただけだよ。

食堂の若い人が出て来た。

去年も久万高原町へ来たこと、ひな祭り

の最終日だったこと、女性ボーカリスト

が「悪女」を歌っていたことなどを話す。

最後に彼にブログを告げた。

四国に来て、男性としては7人目である。

もうこうなった以上、この次からは

ここを素通り出来ないかも知れない。

部屋に戻りテレビを点けると、タモリと

山中教授の人体とかいう番組をやっていた。

病気にも拘わらず、好きなものだから

最後まで見て眠る。

本日の歩行距離、マラソンより45m

長い42,24km。

 

4月1日

6時に目を覚ます。

改めて部屋の中を見回す。

建てて間もない家なので当然きれいである。

畳の部屋で大きなテーブルが置いてある。

テーブルの上には「いちご大福」が置い

てあった。

私は来るや否や瞬く間に食べてしまった。

落書帳もあった。

私はこの旅で伊予西条まで行くと

書いた。

着替えて荷物をまとめドアの近くに

置いて食堂へと向かった。

玄関で昨日のスペイン人と逢う。

すでに旅立とうとしていた。

私はバーイと言った。

彼もバーイと言った。

フロントの近くの部屋のドアが開いた。

ここは大広間ならぬ中広間で中学

野球部の諸君が朝ご飯を食べていた。

どうやらこの久万高原に合宿に

来ているようだ。

やっぱり野球部の子だから、しっかり

と挨拶してくれる。

春休みなのですね。

朝飯を食べ、清算をして、部屋付きの

トイレで用を足し7時半に宿を出る。

体調は悪化してるのか良化している

のかさっぱりわからない。

が今日はのんびりと長珍屋まで行こう

と思っている。

距離にしたら23kmくらい、ゆっくり

行っても3時には着くだろう。

そして46番、47番とお参りして、

明後日早朝に旅立てば伊予和気と今治

の中間まではその日のうちに行けるだろう。

その間に体調は良くなって旅は続け

られるだろうという算段だ。

下畑野川公民館の前を通る。

まだ8時前だ。

とても8時半まで待っていられないので

素通りする。

本当に申し訳ありません。

お詫びとして来年は行きも帰りも

御馳走になります。

突「そんなのお詫びになってない。

2度と来るな、厚かましいと言われます」

来た時通らなかったトンネルが

待っていた。

峠御堂トンネルである。

なんと呼ぶのか知らない。

地方の名は難しい、けどフリガナが

ないので苦しむことが多い。

ちなみに上浮穴群久万高原町は

かみうきなぐんくまこうげんちょうです。

八丁坂の若い衆に教えてもらった。

去年歩道のないこのトンネルを通った時

恐怖を感じたので今年は夜光塗料の

タスキをかけて行こうと思った。

ところがタスキ入れには、一本の

タスキもなかった。

どうしたことだろう。

こんな所を歩くのはお遍路さんしか

いない。

と言うことはお遍路さんがそのまま家

まで持って行ってしまったのだろうか。

不安を抱きつつも、なんとかスルー

出来た。

そして反対側のタスキ入れを見ると、

一杯あった。

これは何を意味するのか。

岩屋寺へ行く人よりも、久万高原町へ

帰る人が圧倒的に多いということだ。

つまり今回の私のように、行きはへんろ

道を使い帰りはトンネルを使用する人が

多いということではないか。

担当者は時々点検をして、うまい具合に

配分をしておいて欲しい。

八丁坂の人、担当者に言っといて下さいな。

トンネルを抜けると公衆電話があった。

何故にトンネルの近くに公衆電話が

多いのか私は知らないが、宿の予約を

入れる。

長珍屋はOKだった。

ついでに姉に電話をした。

この旅3回目の電話である、が

過去2回は不在であった。

姉は出た。

風邪を引いた、調子が悪くなれば近い

うちに帰る、誰か親戚で亡くなった者は

いないかと訊くといないと言う。

電話を切って33号線へと向かう。

33号線に出ると懐かしい久万中学前の

バス停が見えた。

私は信号を渡りバス停まで行った。

まるで何かに導かれるように。

時刻表を見た。

そこへお遍路さんがやって来た。

いいところへ来ましたね、もうすぐ

バスはやって来ますよと彼は言った。

時刻は8時50分、バスは9時01分にやっ

て来る。

それを逃すと次は12時01分だ。

実は旅の途中で私、風邪を引いて

しまったんですよ。

それはいけない、こんなタイミング

のいいバスがあるってことはお大

師様が早く帰りなさいって言ってる

んですよ。

そうだろうな、お大師様がこの人の

口を借りて仰っているんだ。

残りはまた次の機会にすればいい。

あまり執着するな。

私は急遽帰宅を決めた。

言葉遣いからすると二人組は名古屋

の人だろう。

これから浄瑠璃寺に行くと言っていた

が行き方がよくわからないらしい。

私は塩ヶ森と言うバス停で降りると、

3km歩けば着きますよ。

そうでなければ森松まで行って、伊予鉄に

乗り換えれば浄瑠璃寺の前まで行けます、

歩かなくても済みますよと言った。

バスへんろの経験がここでものを言った。

いや多少は歩いても構いませんから、

塩ヶ森で降りますと言った。

バスは来た。

久し振りに整理券をとった。

一番前の、運転手さんの近くに座った。

すぐに知的障害者の方が5円玉を出して

何か言っている。

私には聞き取れないが、そばのおばさんに

よればお接待と言ってるらしい。

私は有難く受け取った。

確かに私には財力はある。

しかし彼のお遍路さんに対する

その心持ちがとても嬉しかった。

やがて塩ヶ森がやって来た。

私はお遍路さんたちに合図を送った。

彼らは止まりますボタンを押した。

しかしバスに慣れていないのであろう、

降りるまでに2分を要した。

バスの運賃表を見て、事前に用意して

おけばこんなことにはならないのに。

お遍路さんが降りて行って急に、宿の

キャンセルをしなければならないこと

に気が付いた。

私は運転手さんに松山駅には何時に

着きますかと訊いた。

10時05分だと言う。

私はJRの時刻表を出した。

岡山行きの特急が10時21分発だ。

16分でキャンセルをして、お土産を

買ってキップも購入しなければ

ならない。

松山には3分遅れの10時08分に着いた。

交番の前の公衆電話から長珍屋へ

電話する。

女将らしい人が出る。

風邪がひどくなったので帰りますと

言うと、お大事にして下さいと言う

言葉が返って来た。

是非とも一度会ってみたい女将だと

思ったが、スケジュール上ここに

泊まることは不可能であろう。

お土産を1分で買い、切符を4分で買い

なんとか列車には間に合った。

岡山には13時10分に着いた。

新幹線乗り場へと急ぐ。

ここは8番ホームを駆け上がり、更に

新幹線ホームへと駆け上がり、自由席

まで走るので結構きついのである。

13時16分発の東京行き「のぞみ」に乗る。

当然満席である。

デッキで過ごす。

新神戸でなんとか座る。

しかし今日はいつもに増して混む。

京都を出ても座れない人がいた。

赤ちゃんを抱いたお母さんだった。

私は替わってあげようと席を立ち、

デッキまで行った。

案の定、母子は新聞紙を敷いて座っていた。

席を空けました、どうぞ座って下さい

と私は言った。

いいんですよ、そんなに気を使わなくても

と彼女は言った。

依然として立っている私を見て彼女は

それじゃ座らせてもらいますと言った。

しばらくしてパーサーがやって来た。

席を変わって下さいまして有難う

御座います、よろしかったら2号車

の方に空席が御座いますがと彼女は

言ったが、大丈夫です名古屋で降ります

からと彼女の言葉を遮った。

この旅最高のシーンだ。

私がブ男でなかったら、スカッとジャパン

で取り上げられるところだが・・・。

さあ今回はデッキでの総括といきましょう。

全日程6泊7日。

廻った寺7つ。

延光寺、観自在寺、龍光寺、仏木寺、明石寺

、大寶寺、岩屋寺。

宿泊費38150円おおよそ

運賃34000円どんぶり勘定

飲食費3000円約(今回2食付きが多かった)

納経料2100円間違いなし。

賽銭4億6000万円うろ覚え、夢だったかも

しれない。

突「夢じゃ、夢じゃ、幻じゃー」

使用した交通機関 JRA-A、JRバス、土佐くろ

しお鉄道、名古屋鉄道。

お世話になった宿 上村ビジネスホテル、柏坂、

民宿三間、ビジネスホテルオータに、山宿

お食事処むらや、癒しの宿「八丁坂」。

お土産代 3170円

他に乾電池250円、ドライバー270円。

出逢った猫1匹 鳶7羽 ウサギ1羽

小鯵3尾。

一番印象に残った人 宿毛のママさん

一番嫌いな奴 鳥取の男

一番迷惑をかけた事 賽銭を入れすぎて

賽銭箱を壊してしまった事。

わかっていると思いますが、皆さん

冗談ですよ。

今回学んだこと 突き進む事も勇気なら

断念することも勇気。

それと生まれて初めて風邪をひき、

馬鹿でないことが医学的(?)に証明

されました。

皆さん私、風邪をひいたんですからね。

16時、私は我が家に無事帰還した。

トーマスとカーリーが私をみつけて

飛んで来ます。

帰宅後私は散歩を4日間休みました。

早目に帰ったことは正解であった

と思います。

仕切り直しは今月中にも行いますので

次回も乞うご期待。

全歩行距離230,49km。