O.Hen-ro その1

10月31日

午前4時50分、目覚ましのセット時刻より10分も早く目が覚めて

しまった。

久々のお遍路の旅なのでゆうべは興奮して仲々寝付けず朝立ち

もしてしまった。

おっと、いきなりの下ネタすいません、お大師様がたまには

下ネタも入れなさいと言うもんだから。

突(お大師様の声色で)「わしゃ、そんなことは言うとらんぞ」

朝食を済ませ、猫の餌をやり、森永牛乳の配達箱に「旅に出ます、

火曜木曜分は土曜日に配達してください」と張り紙をして

我が家を後にした。

「それじゃ行ってくるよ、とーちゃん(本名○○トーマス・エジソン

)きんちゃん(本名○○金四郎左衛門尉)すーちゃん(本名○○

助三郎東京特許許可局局長)」

私の呼びかけを3匹の猫は無視して朝食を貪った。

あたりはまだ闇である。

私は5時53分の電車に間に合わせるべく駅への道を急いだ。

また、猫の話でもして行きましょうか。

私がしゃがんで庭の草を取っていると、猫が背中に飛び乗って来る。

取った草がバケツ一杯になると、ゴミ捨て場に捨てに行こうと立ち上がる。

猫を落としては可哀想と背中を丸めて歩く。

はい、突っ込み、ここで一言。

突「これが本当の猫背なんちゃって」

このギャグが出来るために必要なもの。

草を取る庭、草を取る律義さ、草を取る時間、バケツ、ゴミ捨て場、

猫、私、そして最も大事なものは猫への愛情、これらの材料からなる

現実の行動の中でこのギャグは誕生したのです。

ええい、邪魔だと猫を振り落としていればこのギャグは考えつか

なかったでしょうし、私を好いてくれてなかったら猫は私の

背中に乗りません。

極論するならばギャグの原点は愛なのです。

4か月半の間、競馬の研究ばかりをしていました。

その間このブログは一度も開きませんでした。

前もってギャグぐらい作っておけばと思うかも知れませんが、

ギャグも紀行文も頭の中では書けません。

体験して初めて書けるのがギャグや文章です。

頭の中だけで書いた文章は死んでます、面白くありません。

それが言いたくて一発目の猫ギャグを載せてみました。

駅まであと5分、もう一つ猫の話題を。

いつか、とーちゃんが調子が悪くなりました。

ごはんはまったく食べないし、元気もなくうずくまってばかりいました。

鳴き声も小さく、呼んでもただ口を開けるだけという感じでした。

鼻水を垂らし、熱っぽく、あごの下を触ってみるとリンパ腺が

腫れている感じで、呼吸も苦しそうでした。

このままごはんを食べない日が続けば、死んでしまうだろうと

私は動物病院へ走りました。

医師は風邪だろうと言いました。

二本の注射と、薬を飲ませてもらい明日また来てくださいと言われました。

薬の飲ませ方も実践してもらいました。

「両方の奥歯のあたりを指で押さえると口を開きます。いや、

あなたがやっても仕方ないでしょう。そしたら舌の

奥の方へ薬を落とします。舌先に落とすと吐きますからね。

そして鼻に息を吹きかけます。すると本能的に猫は口を閉じ

薬を飲み込みます」

行きも帰りもとーちゃんはバスケットの中で暴れました。

翌朝、とーちゃんに医師の指示通り薬を飲ませました。

とーちゃんは嫌がりましたがなんとかうまくいきました。

でも、それっきりとーちゃんは私に近寄らなくなりました。

バスケットや薬で、すっかり私は嫌われ者になってしまったようです。

とーちゃんは私を見ると一目散に逃げるようになりました。

とーちゃんの命を救おうと、8850円もの治療費を払いながら

この理不尽な結末。

しかし、背中にどっぷりと抗生物質の注射を打ってもらったので、

とーちゃんは日に日に元気を取り戻していきました。

が、私との仲は取り戻してはくれませんでした。

3週間ほど顔を合わすたびに呼び掛けていたら再びとーちゃん

は私の元へ返って来てくれました。

愛さえあればいつか動物でもわかってくれるんですね。

そうこうするうちに駅に着きました。

和製英語で言うと「バンブービレッジ」です。

いつものように600円で名古屋までの乗車券を買う。

最近は競馬でも名鉄を使うことがあるんですよ。

400円です、で競馬場から名古屋までも400円です。

乗車券はこのように距離が長くなればなるほど割安に

なるのです。

ちなみに名古屋まで一駅ごとに乗車券を買うと、計算

したことはないけど数千円かかるんじゃないですか。

「ヤングウッド」を過ぎ「エイトブリッジ」を過ぎ

「知立」に着いた。

突「なんでそこだけ漢字なんだ」

猫「知立は知立、訳しようがないもの。敢えて言えばチリュー」

突「駄目だ」

猫「知はノウリッジ立はスタンドだからノウリッジスタンド」

昔、この駅の裏に洋裁学校があった。

私は二級下の女の子に恋をした。

そしてアプローチを試みた。

突「どうでした」

見事に振られた。

当時は凄く落ち込んだけど、今思えばそれで良かった。

もしOKだったらこんな楽しいお遍路の旅が出来てなかった

かも知れないからね。

突「ひょっとしたらお大師様が彼女の口を借りてNOと

言ったのかも知れないよ」

そうか、それがここへ繋がっているのかな。

将棋で言うところの「これも一局」ってやつだな。

皆さん、何度も言いますが、これが仏の教えですよ。

何事もポジティブに捕えましょう。

6時10分発の急行一宮行きに乗った。

実は、この旅の前にジャストシステムさんにこのブログ現在、

全体の領域の何パーセントくらい使っているのかたずねた。

それによると、まだ2パーセントしか使ってないのだそうだ。

あれだけめったやたらと書きまくったのにたったそれだけでした。

心配して極力写真は控えていたがこれでバンバン載せられる。

1回のお遍路で2パーセントだから50回は載せられるという訳だ。

ちなみにお遍路の遍は「何遍でも」と言うときに使う遍です。

五十遍路は出来るということですね。

6時37分名古屋到着。

突「名古屋は英語でなんと言うのかな」

猫「えーとね、名はネーム古はオールド屋はハウスだから

ネームオールドハウス。なんじゃこりゃ、意味不明な英語だな。

もうこれ以上言わすなよ。読者もあきるからな」

早朝とはいえ、駅構内はごった返していた。

「日和佐までください」

「往復はいかがですか」

「帰りはJR高速バスで新神戸まで行きますので結構です」

私は13300円を支払い新幹線ホームへと向かった。

そしてキオスクで、一時期撤去された「うなぎパイ」を買った。

一番安いやつを買ったがそれでも結構な値がした。

「のぞみ97号」は名古屋が始発駅で西の方からやって来た。

恐らく西の方に車庫があるのだろう。

始発駅だから、がむしゃらにならなくても座れる。

もう、のぞみで確実に座れる列車はこれくらいしかない。

だから私はいつもこの列車に乗る。

それでも発車間際には七割方は埋まる。

7時6分定刻通り「のぞみ」はのっしのっしと動き出す。

精神的にホッとする瞬間である。

1回目のお遍路が終わった直後、ある読者から、とても

面白かった、更新をいつも楽しみにしていた、という

棒読みの言葉をいただいた。

突「それじゃ本当は面白くないんじゃない」

冗談ですがな。ちょっと笑いを入れたかっただけ。

立場上、社交辞令の感も無くも無い人だが、素直に信じて

頑張るぞという気持ちになった。

初めてのお褒めの言葉だった。

これで地球上に一人は私のブログを待っていてくれる人

がいることがわかった。

それでこそ生きている甲斐があるというものだ、

と創作意欲を掻き立てられる、しろひ猫であった。

新大阪を過ぎた辺りで、車内販売のホットコーヒーラージ

340円を注文した。

ブログには書いたことはないが、いつも頼むやつだ。

ラージと言うぐらいで、どっぷりと入っているし、ホット

と言うぐらいで、口の中に水膨れが出来そうなほど熱い。

三河弁で言うところの「ちんちんに熱い」ってやつだ。

これをフーフーと吹きながら岡山に着くまでに飲み干す

のが最近では車内で一番の楽しみだ。

車窓の景色もちょっと食傷気味ですしね。

今朝はこの秋一番の冷え込みで最低気温は8度だった。

熱いコーヒーが体を温めてくれる。

でも、車内は暖房は効いていますけどね。

8時44分岡山に着いた。

何度来ても素通りしてしまう岡山には申し訳ない気持ちで

一杯ではあるが、今回もそそくさとマリンライナーに乗った。

たまには岡山で定期観光バスに乗って名所巡り、次の

停車駅広島でも原爆ドームや厳島神社を観て廻りたいのですがね。

時には京都から山陰本線で出雲大社を訪れ、そこから伯備線で

岡山経由でお遍路に入るというプランも頭をよぎるんですがね。

いつもなにかに急かされているようで、今の私には

できません。

ここが私の魂の未熟なところでしょうね。

何遍か巡礼の旅を続けて、成熟していけることを願っています。

8番ホームへ降りる。

時刻は8時50分、ホームに列車は入っていたが、9時05分発の

マリンライナーかどうかは定かではない。

周りを見渡しても駅員らしき人は見当たらない。

列車に乗り込み恐る恐る乗客に尋ねるとマリンライナーで

あることが判明した。

私は刑事か。

早速荷物を降ろし、トイレに駆け込む。

なにせ、今朝の最低気温は8℃で先程のラージコーヒーが

もう出て来るのかなと思った。

突「ビールじゃあるまいし」

マリンライナーは定刻通り動き出した。

車内に差し込む陽光が心地よい。

列車の旅の良さを満喫できる瞬間だ。

眠りたければ眠ればいい、新聞も読める、ビールだって

飲みたければ飲める。

そう言えば7月10日以来飲んでないことを思い出した。

眠っていてはもったいないし、ビールを飲めば動きたく

なくなるし、私は瀬戸大橋から眺める景色を選択した。

大きな船がはるかかなたを行く。

航跡が大橋の下辺りまで、まだ残っている。

車内に瀬戸大橋に係るアナウンスが流れてきた。

以前にも一度だけ聞いた記憶があるので、このアナウンスは

マリンライナーだけのものであろう。

「しおかぜ」や「南風」では聞いたことがない。

それによると大橋は完成までに100年の歳月を要したのだそうだ。

以前私は宇高連絡船の話をした時、瀬戸大橋はまだ母親の胎内

にもいなかったと説明したが、全くの勉強不足でした。

大変申し訳なく思っておりますだ。

完成間近だったのですね。

四国では、これで沢山の企業を誘致でき、雇用の創出もでき、

発展していくものだと大いなる夢を抱いたことであろう。

しかし、皮肉にも、入って来やすいということは出て行きやすい

ということでもあり、若者はこの国を見捨てた。

何かあればすぐに帰って来られるのだからと、就職先近辺に居を

構え家庭を持つようになった。

人口の減少、消費の減少、と言った悪循環からこの国は次第に

疲弊していった。

雇用の創出どころか雇用の喪失になってしまった。

突「それって冗談ですか」

馬鹿、こんな深刻な問題を前にして冗談なんか行ってる場合ですか。

 

坂出を過ぎてから、動いてる列車とすれ違った。

私は席を立ち右側の窓から下を見た。

そこには線路が並行して長く長く走っていた。

私はJR四国の複線は瀬戸大橋線だけかと思っていたので

びっくりした。

調べてみたら高松多度津間と徳島佐古間は複線だということが

わかった。

幾つかの路線が重なるところは複線になっているのですね。

それでなければダイヤのやりくりが出来ません。

9時59分高松駅に着いた。

10時02分発の普通と11分発の「うずしお7号」がある。

私は普通を選択した。ジャブジャブ。

きょうび、こんなギャグ小学生でも笑わないだろうな。

突「洗濯とジャブジャブが結びつきませんよ。そりゃ桃太郎

のおばあさんの時代のことですよ」

猫「も、桃太郎・・・」

突「始めますか」

猫「いや、まだできてない」

 

特急は目的地坂東駅には停車しない。

早く行っても板野駅で、この普通を待たなければならない。

特急券がもったいない、ということで普通を選択した。ガーガー

突「君はどういう洗濯機を使っているのだ」

猫「10年前に買ったやつ」

突「そんな旧式捨てて新しいのを買えよ」

 

志度を過ぎてから景色は段々と田舎になってきた。

でも土讃線阿波池田土佐山田間よりは、今後開けて行く

余地は残している。

そもそも阿波だとか土佐だとか駅名の前に冠が着くところは

田舎だと思っておけばまちがいない。

ただし鉄道会社名のつく場合はこの限りでない。

○名鉄一宮 ×三河八橋

11時48分板東駅に着いた。

去年、大麻中学の女の子に案内してもらった駅だ。

なぜ板東と言うか知ってるかい。

それは板野群東部地区だからだ。

我が名古屋で活躍した某大物タレントもこの地の出身なのだろう。

恐らく鳴門市の名誉市民かなにかになっていたはずだと思うが

、あの悪質脱税事件以来不名誉市民になりさがっているらしい。

突「そんな事するか。それなら除名処分になってるはずだ」

駅前の道を行く。

突き当たりの、すでに閉店となったスーパーの、降りているガレージ

に祈願四国88カ所巡り世界文化遺産登録の貼り紙が悲しく映る。

なぜか「閉店ガラガラー」のギャグを思い出した。

左へ曲がると、1人の男性が道路に出ていた。

私は霊山寺への道を尋ねた。

男性はこの緑のラインに沿って行けばいいですよと教えてくれた。

病院と同じだ。

ついでにコーヒーでも飲んでいきませんかと誘われた。

どうやら私は接待所の人に声をかけたらしい。

嬉しかったが、急いでいるのでと、礼を言いながら

丁重にお断りをした。

今日はどこまで行くのですかと訊くので安楽寺までです。

と言うと彼は腕時計を見ながら、それじゃぎりぎり一杯

ですねと私を誘うことを諦めた。

彼の言う通りに進み県道12号線の信号を横切って霊山寺に着いた。

まず門前のお遍路用品販売所で、納経帳と般若心経の本と、この前の

結願の大窪寺で知り合った屋島在住の森田さんお薦めの黄色の

地図帳を買った。

門前で一礼そして合掌。

さあ、いよいよ2回目のお遍路の始まりである。

いやがうえにも心は高揚する。

別にいやだけど我慢して行くという意味じゃないですよ。

陽気が良かったせいか参拝する人は去年より多かった。

お参りを終え2番札所へと向かう。

12号線沿いのコンビニで昼飯のおにぎりとお茶を買って

道路に出ると霊山寺門前で追い越した娘さん二人に追い着かれた。

しばらく歩くと右手に極楽寺は見えて来た。

駐車場に青色の名鉄観光のバスがとまっていた。

境内で私は団体さんの一人に声をかけた。

やはり名古屋から来ているらしい。

今朝名古屋を出て来たみたいだ。

高速乗り合いバスが名古屋BCから7時40分に出ている。

それに乗ると徳島に12時45分に着くから、恐らくこのバスは

名古屋を7時くらいに出て来たものと推測される。

乗り合いバスと違って観光バスだから目的地に一気に行ける

だけ早く着けるはずだ。

お参りを済ませ納経所へ寄る。

時刻は12時40分。

予定では14時06分の2番札所前のバスに乗るはずだったが、

1時間半近くも待つ間に金泉寺まで到着出来そうなので

急きょ変更、歩くことにした。

金泉寺へは、次の信号を右に曲がって下さいと言われた。

次の信号で12号線に別れを告げ、遍路道に入る。

とは言え車も十分通れる広い道である。

猫がいた。

呼んだが逃げられた。

表札に坂東というのがあった。

本来は板東と言う名字であったのだろうが、あの事件以来

同じ姓を名乗る屈辱に耐えがたく市役所に改名届を提出したが

認められず、せめて表札だけでもとこの名字になったものだと

思われる。

突「随分と○○さんに絡むじゃないか」

猫「ああ、大好きなタレントさんだっただけに、ひどく裏切られた

感じがする」

やがて周囲からひどい悪臭が漂ってきた。

強烈と言うより激烈な悪臭である。

多分農業用の化成肥料かなんかであろう。

地元では嗅いだことのない臭いである。

まだ肥溜めの肥料の方が私には苦痛でないような気がする。

それにしても近所の住民はよく耐えているものだ。

この辺りで飲食店を経営してもすぐに潰れるだろうなと思う。

道は結構枝分かれしているがわかりやすい。

今まで気が付かなかったのか、それともここだけなのか、

遍路道には道路標識、カーブミラー、電柱、と赤い矢印が

ついている。

四国中の遍路道すべてに付いていてくれたら、道に迷わずに

済むのにと思う。

14時、金泉寺到着、例によってチャラチャラした山門だ。(失礼)

線香をあげ、蝋燭をあげ、賽銭を投げ入れておもむろに、

般若心経を唱え始めた。(よっ、待ってました)

ぶっせつまーかーはんにゃーはーらーみーたーしんぎょう

かんじーざいぼーさーぎょうじんはんにゃはーらーみーたーじー

たった二行で私は唱え終えた。

後はうろ覚えであるし、たくさん荷物は持っているのできりあげた。

山門を出て、板野駅への道を左に折れ、私はひたすら12号線へと向かった。

目指すは板野南バス停である。

踏切を渡り、信号を渡り、郵便局を過ぎ、スーパーマルナカを

しばらく過ぎた所にバス停はある。

去年はみつけるのに苦労したが、一度来たところは絶対に私は

忘れない。

時刻表を見ると、アスタムランド経由鍛冶屋原行きが13時52分にあった。

時刻は13時45分、幸先の良い第一日目となった。

予定ではここを15時02分に乗り、大日寺、地蔵寺とお参りをして

17時39分のバスで安楽寺へ向かうはずだった。

バスの乗客は私を含めて4人であった。

バスは12号線から右折して山の中に入り色んな公共施設を廻って

アスタムランドに着いた。

母娘はここで降りた。

座席に菓子袋が残されているのに気付いた私は運転手さんに

バスを停めてもらい「菓子を忘れましたよ」と声をかけた。

お母さんは「それは私が乗る前からありました」と言った。

アスタムランドは子供の遊び場、親子連れが一杯来てました。

みんな車だけど。

大日寺口に着いた。

私は大日寺への道を急いだ。

あわよくば15時02分のバスに乗れるかも知れないからだ。

しかし長い、去年通った時はもっと短かったような気がするが。

途中で、極楽寺であった名古屋観光のバスが地蔵寺に向かう

のが見えた。

きっと、私が声をかけたお遍路さんは、あの人足の速い人

だわねとか喋ってんじゃないのかな。

お参りをして納経所へ向かう。

地蔵寺までどれくらいかかるかと訊くと30分と言う。

時刻は14時30分、15時02分のバスには到底間に合わないな

と諦める。

歩を緩めて極楽寺へと向かう。

そう言えばまだ、今日の宿が決めてない。

予定より早く事が進めば徳島駅近くのホテル、遅くなれば

6番札所安楽寺宿坊、もしくは7番札所十楽寺宿坊に素泊まり

とそれだけは決めていた。

15時、極楽寺に到着。

納経所に寄り、次の東原へのバスの時刻を訊いた。

「15時09分があるけどもう出ちゃうわね。次は15時59分

があるわ」と言う。

ここで私は勘違いに気付いた。

15時02分は板野南の時刻表であるのだ。

羅漢までの7分を足すのを忘れていた。

わかっていれば急げば09分のバスに間に合っていたはずだ。

でも、これを逃せば次は16時54分と思っていた私には

思わぬ朗報。

15時59分があったのだ。

いくら調べてもそんなのなかったはずだけど、不動経由

鍛冶屋原行きというのがあるらしい。

訊いといてよかった。

ついでに今日の宿がまだ決めてないことも告げた。

「今からでも遅くないから安楽寺さんに電話して予約

しなさい。携帯がないなら門前に公衆電話があるから

そこからしなさい」と電話番号の書いたメモ用紙を

手渡された。

そうだな、今さら徳島駅まで戻ってまた明日ここまで来るのは

バス代のムダになるよな。

などと独り言を言いながら私は安楽寺に電話をした。

午後3時過ぎの予約である、素泊まりを覚悟していたが

なんと直前に2名のドタキャンがあったそうで、2食付き

でオーケーとなった。

アスタムランド経由のバスといい、安楽寺宿坊といい、やっぱり

私はお大師様に愛されている、と感謝するしろひ猫であった。

まだ少し早いと思ったが門前で徳島コーヒー100円を買い

バス停へと向かった。

これで16時09分東原に到着、遅くとも30分には安楽寺に着き

納経も済ませられるだろう。

そうすれば明日の朝7時の納経時間まで待たずに旅立てる

というものだ。

予定より一寺早い旅程に私は心ウキウキであった。

バスを待っていると一人のお遍路さんがやって来た。

「安楽寺へ行くんですか」と尋ねるので

「そうです」と答えると

「地蔵寺の納経所で、あなたと同じようにバスの時刻を尋ねる

人がさっきいましたと言うんでとんできました」と言う。

彼は、東京から来たんですかと、私に尋ねた。

奇しくも去年、3番札所に向かう途中でも同じ言葉を吐かれた。

一度ならずも二度までも、よほど私って垢抜けて見えるのかな。

悪い気はしない。

彼は今朝、一番札所から歩き遍路でここまで来たと言う。

私は昼に板東駅に着き、彼よりも早くこのバス停に着いた。

一度だけバスは使っているがいかに私が効率よく廻って

いるかが、おわかり頂けるだろう。

早ければいいってものじゃないですけどね。

要領のいい、味わいのない遍路旅と言えなくもない。

彼は近くのコンビニにアイスクリームを買いに行くので

荷物の見張り番をしていて欲しいと言う。

あなたもアイスクリームを食べないかと言われたが、今

コーヒーを飲んだところだからいらないと言った。

彼は高松の住人で、一宮寺のすぐ近くに家があると言う。

「ああ、あの高松南校の近くですね」と私が言うと

「よく知ってますね」と驚いていた。

彼は今日は十楽寺近くの民宿に泊まると言っていた。

今日はお接待にバナナを貰ったと、シナシナになったバナナを

私に見せた。

いつぞやはお接待ですと封筒を貰ったことがあると言う。

中を開けると千円札が入っていたそうだ。

いつしか話題は、道に迷った時の話に変わっていった。

私が女の人は客観的にものを見るのが苦手なのか、要領を得ない

道案内が多いと言うと、その通り、あの道を東に向かってなどと言う

不案内なものにとってはどっちが東かわからない、せめて右か左か

と言ってくれればわかるものを。と言っていた。

同感、特にお年を召された女性はそうですね、と意見は一致した。

バスはやって来た。

16時過ぎに東原バス停に着いた。

降りたのは私と彼と一人の女性の三人だった。

金剛杖を持っているところからしてお遍路さんらしい。

「お遍路ですか」

私が尋ねると

「そうです。これが十遍目となります」

と言った。

「私は二遍目になります。三遍目は完全な歩き遍路を

目指しています」と言うと

「三遍は絶対まわった方がいいですよ」と言った。

「一遍目は先祖のために、二遍目は家族のために、そして

三遍目は自分のために」彼女は続けてそう言った。

「今日はどこで宿泊されるのですか」私が尋ねると

「安楽寺宿坊です。素泊まりなので、コンビニでおにぎりを

買ってきました」と言った。

一遍廻れば納経料だけでも26400円、この人の場合だと

10遍目だから264000円もかかる訳だ。

結局切り詰められるところは食費くらいしかないですものね。

わかりますよ。

3人でガヤガヤペチャクチャお遍路談義などしながら、

16時半安楽寺に着いた。

納経を終え、高松のお遍路さんと別れを告げた、が、女性とは

その後一度も顔を合わせることはなかった。

宿坊へ行き、所定の手続きをとり、部屋に通された。

畳の部屋だった、が、いつか泊まったホテルの和室と違い

六畳の部屋だったので、そんなに不快な感じはしなかった。

やはり和室の場合狭い方が落ち着く。

「食事は6時からです。館内で放送がありますので、そしたら

食堂へ来てください」

案内の女性はそう言った。

私は押し入れからふとんを出しシーツを被せ、枕を出し枕カバー

をつけ、ベッドではないが、自らベッドメイクをした。

そして浴衣に着替え布団に寝転がりながらテレビを点けた。

今夜から雨になるらしい、とテレビは告げていた。

6時、館内の放送に誘われて食堂に行く。

宿坊の食堂は座る場所が決まっていて名前が書いてある。

恐らく宿坊の人が客の年齢、性別、などを考慮して

席を決めているものと思われる。

出来るだけ話が盛り上がるようにと。

グループは当然グループでひとかたまり。

一人旅の人は、やはり同世代で1テーブルと言った感じである。

思い返せば最御崎寺の宿坊でもそうだった。

私のテーブルは3人の同席者であったが、一人は全く無口な人で

もう一人は食事の時間に2本もビールを飲むのんべえで、完全な

物見遊山のお遍路さんであった。

いいんですよ、日本国憲法では覚せい剤の自由は保障されて

いませんけど、飲酒の自由は保障されていますからね。

彼は今日、切幡寺から安楽寺までお遍路をされたそうで、

明日は霊山寺まで廻って徳島駅前のホテルに泊まると言った。

私も明日は徳島駅近くのホテルに泊まると言ったら、

どこかの飲み屋でバッタリ逢うかも知れませんねと言った。

逢う訳ねえだろうが、私は酒飲みは嫌いだ。

食事の最中、お坊さんが出て来て、7時から安楽寺のお勤め

があるから是非出て欲しいとのお話があった。

強制ではないので、疲れているから勘弁して欲しいと、少し前

までの私だったら欠席したであろうが、そこはそれ、お遍路を

重ね、少しばかりは魂も成長した私は参加することにした。

セレモニーはまず、全員で般若心経を唱え、お坊さんの

説教を聞いた。

そして灯篭流しのようなものや、自分の願い事を書いた短冊

をくくりつけた木の枝を祀り、同じく願い事のお札を燃やし、

最後に数々の仏をお参りしてお勤めは終わった。

昔はお遍路の宿坊は88カ所の半分くらいはあったそうだ。

というのも昔は結願するのに今の倍の100日くらいかかった

からだそうだ。

今ほど橋がなく、ちょっと雨が降ると川を渡るのに

何日も足止めを喰らっていたから、それだけの宿が必要

だったのだそうだ。

講話の中ではそんな話が印象深かった。

いい経験をさせてもらった。南無阿弥陀仏。

風呂に入り9時前には床に就く。

相変わらずの早寝だ。

当たり前だ、今朝4時50分に起きたのだから。

本日の歩行距離15,02km   つづく