三回目の3

4月14日

やはり朝5時に目が覚める。

今日も朝食の予約がしてある。

窓を開ければ港は見えなかったが、雨は上がっていた。

ゆうべは駅前の闘牛が私をめがけて突進してきた。

牛若丸よろしくひらりと体を交わすと、観客席の手すりで

弁慶の泣き所をしたたか打った。

夢だった。

歯を磨き、顔を洗い、私はもう一度ベッドに横たわった。

そして時刻表を開いた。

今日は宇和島駅8時29分発のバスに乗り8時55分仏木寺着、

9時59分発に乗り、石ヶ鼻で降り龍光寺に行き、再び石ヶ鼻で

12時39分発に乗り12時57分宇和島駅着。

もしくは龍光寺から予土線で宇和島駅という手もなくはない。

と時刻表を見ていると務田発12時01分宇和島着12時17分が

あった。

これならバスより40分も早く到着すると思った瞬間、ひよっと

したら予土線で、宇和島発のバスよりも早い電車があるかも

知れない、とひらめくものがあった。

時刻表の68ページを開くと7時18分発の気動車がそこにあった。

まさに、このひらめきこそ、お大師様のお告げだと私は信じた。

誰ですか、平目だなどと言う人は。

務田に7時34分着、龍光寺をお参りして8時49分石ヶ鼻のバス

を拾えば宇和島駅に10時22分に帰れる。

前案より更に2時間も早く帰れる。

私は部屋からフロントに電話をした。

朝食はもう出来ていますか、7時18分の気動車に乗りたい

んですがと言うと出来てますと言う。

私はお遍路バッグとリュックを持ってレストラン

へと急ぐ。

焦っていたせいか、食事の内容はまったく覚えていない。

私はホテルを出て駅前の闘牛の横を通った。

「もう、ゆうべは突進してしまってごめんなさい」

と牛が言ったような気がした。

駅できっぷを買い改札口を出る。

ホームは線路のむこうにある。

私は左へ進み、突き当たりを右に曲がり、更に突き

当たりを右に曲がった。

逆コの字である。

この説明でいいですよ・・・・ね、皆さん。

 

 

黄地に黒い丸はここがJR四国最西端の駅、

行き止まりを示しています。

ホームには高校生が溢れていた。

すぐに一輌の気動車がやって来た。

私は急いで席に座った。

車内はたちまち高校生で一杯になった。

私を除けば、すべて高校生である。

私はいたたまれない気持ちになった。

こんな気恥ずかしい思いをしたのは、人生で初めてである。

もしわかっていたなら私は、例えバスの便が1便

遅れたとしてもこれに乗らなかったであろう。

お大師様も人が悪い。

実は私、もう一度勉強をし直して東京大学理科三類を

目指そうという野心を持っていたが、無理だとわかった。

学力的にではなく、こんな若い子と1日一緒にいるだけで

過労死してしまいそうだから。

突「inを忘れたくせに」

結構お前は粘着質な奴だな。

私は粘着テープで突っ込みの口を封じた。

 

斜め右前に藤田菜七子ちゃんによく似た子がいた。

私の隣の女の子は盛んにスマホを使っていた。

その時、私にひらめくものがあった。

そうだ、この子にメモ用紙を渡そう。

お大師様がこの気動車に私を乗せたのも、隣にスマホを

駆使する子を座らせたのも、そのためだったのだ。

このひらめきこそ、お大師様のさしがねだったのです。

誰ですか、カレイと言う人は。カレイならまだ平目のがいい。

一駅が過ぎ、次は務田ですと車内のアナウンスがあった。

車内は結構混雑しており、気恥ずかしさと、降り遅れの不安

が私を席から立たせた。

そして私は大胆不敵にも大衆の面前でメモ用紙を

となりのサッチャンに手渡そうとした。

サッチャンはスマホに夢中で、しばらくは私の呼びかけ

にも気付かなかった。

隣の子がサッチャンの袖を引っ張ったので、サッチャンは

やっと気付きメモ用紙を受け取った。

メモ用紙には「よかったら国語の教材に使って下さい」

と一言添えておいた。

私は急いでその場を立ち去り車輌の先頭部へと移動した。

突「なんでサッチャンだとわかったの」

突っ込みが粘着テープを剥がしながら訊いた。

お大師様が彼女はサッチャンだと囁いたのだ。

突「彼女、読んでくれるかな」

大丈夫、早速彼女画面を切り替えて、私のドメイン名を

打ち込んでいたもの。

私は大仕事を終えたような気持ちで、前面の景色を

眺めていた。

それにしてものろい、私は初めてこの時、予土線の

のろさに気が付いた。

運転席の速度計を見た。

時速30キロを針が指していた。

「なんじゃ、こりゃー。これじゃ原動機付気動車じゃん」

突「もしかして始動はキックスターターじゃねえのか」

「曲がるのも2段階右折だったりして」

突「定格出力4,5馬力だったりして」

私達は予土線をさんざん小馬鹿にして、務田駅に降りた。

でも、本当は私、この時予土線が大好きになったのです。

抱きしめて、頬ずりしたくなるほどの愛おしさを感じました。

ホームへ降りるとベンチにお遍路さんが座っていた。

おそらくこの人は龍光寺のお参りが終わり宇和島へ

向かうお遍路さんだろうと思った。

私は龍光寺への道を尋ねた。

彼はわざわざ道路まで出て「右に曲がって歩道橋を

渡って後は道なりですよ」と教えてくれた。

 

あれほど多くの高校生に出会うと、ひどく緊張も

するけど、でもすごく元気を貰ったような気もした。

いいもんだね若者ってのは。

やはりこの国も、もっと若者が増えて活力ある国に

なってほしいと言う人の気持ちがよくわかった。

でも皆、この宇和島の風土に溶け込んだカントリー

ガールだったよな。

突「そんなこと言うと敵にまわしますよ」

大丈夫、皆、自分のことそんな風に思ってないから。

突「じゃ、どう思っているんですか」

うちの学校の女子はぁー、わたし以外はぁー、

みーんなブスなんだからぁー。

でもブスでもいいんです。

きっと愛してくれる人が現れますから。

橋本環奈しか愛せない男よりも、近藤春菜でも愛せる

男の方が優しい。

突「深いですね。でも北宇和高の女子が叫んでますよ」

「何て」

「近藤春菜じゃねーよ。ついでに近藤春菜も

言ってますね」

「何て」

「橋本環奈じゃねーよ」

私、そこまでは言ってないですけど。

 

しばらく行くとまた道に迷った。

数人の人に訊いて、何とか参道をみつけた。

途中でまた豊田交通のマイクロバスに抜かれた。

参道を進んで行くと正面に鳥居が見えた。

また何か間違えたのかと思ったが、とにかく

進んで行く。

そこは龍光寺に間違いなく、境内にあった神社の

鳥居が話をややこしくしていたのだ。

境内には一組の団体さんしかいなく、きっとこの

人達が豊田から来たお遍路さんだろうと読んだ私は

どこから来たのですかと尋ねた。

案の定、団体さんの一人が名古屋からですと言う。

向こうから同じ質問が返って来た。

腹を割って話そうぜ、とばかり私は「豊田からです」

と言うと向こうも実は豊田からですと腹を割って来た。

話を聞くと、どうやら私とは住んでる所も離れている

みたいで、共通の知人もみつかりそうもないので適当な

ところで打ち切った。

一人でたいへんですね。頑張ってください。

そう言って団体さんは去って行った。

龍光寺をお参りし、納経をしてもらって私は石ヶ鼻の

バス停へと向かった。

時刻は8時ちょっと過ぎ、4月14日とは言え、炎天下

では結構暑い。

私はジャンパーをリュックにしまい込んだ。

 

さっちゃんはねー さちこじゃないんだ

ほんとはねー だけどしろひ猫が言うから

みんなはさっちゃんて呼ぶんだよ

おかしいねさっちゃん

 

さあ、これで彼女はさっちゃんと呼ばれるはずだ。

ああ、高校生の頃を思い出しちゃったよ。

突「ネタに入りますか」

猫「俺が高校生の頃、名古屋のある高校に殴り込み

をかけたことがある」

突「なんて高校ですか」

猫「それは内緒だ、で、校門を通る一人の生徒に、ここの

番長をよんで来いと言った」

突「ほうほう、それで」

猫「やがて女生徒の肩を抱きながら男がやって来た」

突「軟派じゃないですか」

猫「男は俺が番長だが何か用かと言ったので、

俺は、今日はいい天気ですねと軽くジャブを放った」

突「それって、ビビッてるだけじゃないですか」

猫「男は用件を早く言え、と熱い息を女の耳たぶに

吹きかけた。俺は、そうだカップヌードルのお湯を

かけたままだったのでこの勝負は預けておくと言った」

突「小便ちびって、遁ヅラしやがったな」

猫「そして数年後俺は男の正体をテレビのブラウン管

で知った」

突「誰だったんですか」

猫「舘ひろしだった」

突「そりゃ、ビビるわな」

猫「やい、舘、あの時の勝負はまだ決着していない。

今こそ決戦の時だ、でてこいやー」

突「もし出てきたらどうするんですか」

猫「俺が負けても失うものは何もない」

突「そりゃそうだわな」

猫「しかし奴が負ければ全てを失う。したがって奴は

きっとこう言うだろう」

突「何て」

猫「チキンラーメンのお湯がかけっぱなしだったのを

忘れてた。失敬するよ」

 

突「舘さんがチキンラーメンなんか食べますかね」

日清食品さんに対して失礼なことを言うな。

舘だって撮影の合間に小腹がすけば食べるさ。

すぐおいしー、すごくおいしー。

突「大丈夫なんでしょうか、ネタに実名を使っちゃった

りして、石原プロに怒られますよ」

だって素人のブログだからいいんじゃないですか。

舘に万が一遭うことがあったら奴はきっとこう言いますよ。

突「何て」

「猫、久し振りだな」ってね。

それぐらいのことが言えなきゃ、あれほど女にモテません。

 

そんな戯言をいってるとバスはやって来て、私を仏木寺まで

運び、10時22分 宇和島駅まで快適に帰してくれました。

途中、工場前という強引かつ乱暴なバス停名がありました。

何ですかあれ、世の中、工場なんてゴマンとあります。

せめてパナソニック大洲工場前とか、つけようがあるじゃ

ないですか。

突「何ですかそれって」

やっぱり昔一緒に働いていた同僚が勤めている会社。

そんなことはどうでもいい、俺が工場前と言ってる

んだから工場前でいいんだ、慣れてくればみんなも

あそこが工場前だという認識を持つだろうという傲慢さ

がみられる。けしからん。

突「あなたの「さっちゃん」と同じじゃん」

「キャイーン、キャイン」

 

となりのレーンから10時35分城辺営業所行きが出ます。

それにしても衝撃的な出逢いだった予土線。

全線乗車は今回なりませんでしたが、今年中にもう一回

(二回かも)来てその夢は叶えるつもりです。

それでは予土線の歌を作ったのでご披露

いたします。鯉のぼりのメロディーで。

亀よりのろい予土線で

はるばる行きます窪川へ

時にはスピード出し過ぎて

田んぼで楽しく泳いでる

 

次はどんぐりころころで

予土線ころころどんぶりこ

田んぼにはまってさあたいへん

どじょうが出てきてこんにちわ

さっちゃん一緒に遊びましょ

 

城辺行きのバスが動き出した。

このバスは宿毛行きでございます、と車内のアナウンス

が流れた。

ちょっとおかしいなと思っていたら次のバス停から

乗った客が行き先が宿毛になっているよと指摘があった。

運転手さんはどうもすいませんと謝った。

どうやら行先明示とアナウンスは連動しているみたいだ。

ひとつ勉強をさせてもらいました。

バスはバスセンターに寄り、荷物をのせた。

城辺営業所へ届けるのだろう。

バスセンターというから大きなものかと思ったが、

ちょっとした駐車場でしかない。

乗客も一人もなかった。

バスは海岸沿いの道を走り、嵐というバス停と、断崖に建つ

小さなパチンコ屋(多分営業はしていない)以外私の興味を

ひくものもないまま、平城札所前バス停に着いた。

バスを降りて10メートルも歩くと左へ上がって行く道が

あり20メートルで山門という、とてもわかりやすい札所

であった。。

いつもこうだと有り難いですけどね。

時刻は12時少し前、線香、蝋燭、賽銭、合掌、納経

と一連の作業を終え、私は昼食をとろうとした。

サンドイッチはあるが、しかしお茶がない。

私は自動販売機をさがした、がどこにもなかった。

ふと、駐車場の向こうにジュースの立札が見えた。

桜の木が邪魔で上半分の文字が読めなかったが、

近づいてみるとそれは生絞りジュースであった。

常識的に考えればここらあたりに自動販売機が

ないのはおかしい、にもかかわらずそれがなく、

しかも駐車場の向こうに生絞りジュースの立札を

私はみつけてしまった。

そもそも私はこういう所には絶対立ち入らないもの

だが、つい足が向いてしまった。

こういう時運命的な出逢いだと感じることがある。

ジュースの材料は柑橘系のものであったが、よくは

わからなかった。

私の前の夫婦のジュースが終わると順番が廻って来た。

どこから来たかと女主人が訊く。

名古屋からだと答えると、最近は名古屋からのお遍路さん

が凄く多いと言う。

多分私の精でしょ、と軽く冗談を言うが彼女には

意味不明だ。

女主人は、名古屋だか東京だか聞きそこなったが、

この前トヨタ自動車主催のねあるイベントに招かれたと言う。

社長が愛媛の名物生絞りジュースが飲みたいとかで。

写真もあるんですよ、と店に飾ってある写真を

女主人は誇らしげに指した。

なるほど豊田章男社長と彼女ら3人のフォーショット

写真だった。

とても気さくでやさしい人でした、と彼女は言った。

豊田市民としては社長が褒められることはとても

嬉しいことだった。

私は椅子とテーブルを借り、昼食を済ませ、ごちそうさま

と言って店を出た。

私の運命の予感は当たらなかったが、それでもまるっきり

はずれていたとも思わない。

山門に向かってもう一度合掌をし、観自在寺を後にした。

バス停に戻ると一人のお遍路さんがいた。

降りる時私一人だったから、それより早いバスで

ここに来られたのだろう。

ここに降り立ってから丁度一時間後の12時48分のバスに

私達は乗った。

やはりバスの移動が続くと、話題も少なくなる。

どこへ行っても山があり、海があり、川があり、

乗って来る客もお年寄りが多く、降りる停留所は

病院かスーパーマーケットが大半と毎度同じ

話題になってしまう。

そんなことをぼやいているとバスは城辺営業所に

着いた。

このバスは宿毛行きだから引き続き乗車出来る。

運転手さんが山口正二さんから伊井剛さんに

替わった。

突「よく覚えていますね」

別に私の記憶力がいいからではない。

覚えやすい名前だったからである。

これが勅使河原源五郎左衛門(てしがわらげんごろうざえもん)

さんから柿木坂忠助越前守(かきのきざかただすけえちぜんのかみ)

さんに変わっていたなら私は確認のため宇和島自動車株式会社

人事部に何度となく足を運ぶこととなるだろう。

おまけに何度も書き直しをしたために、本来1日で

済むブログ作成に1か月を要することだろう。

そしてあまりの腹立たしさ故に、私は名付け親のもとを

訪れるだろう。

「お前のおかげで私は散々な目にあった。殴ってやる」

とパンチを繰り出そうとしたその時、男の前歯が一本も

無いことに気付くであろう。

「どうしたんだお前、その前歯は」

という私の質問にその男は

「あなたと同じ理由でわたしのもとを訪れた人が168人

いました。そして169発のパンチを喰らった結果この

ようになってしまいました」と言うだろう。

「一発勘定が合わないじゃないか」というと男は

「一人で2発殴った人がいました。確かチョッチュネーとか

言ってました」と答えるだろう。

あまりの惨めな姿を見た私は、そいつの手首をつかみ

わかば歯科医院の門を叩き「こいつに入れ歯を作って

やってくれ、金ならいくらでも出す」と言うだろう。

どうだ、ワイルドだろ。

突「だまされちゃいけませんよ、その男に。そいつ猫さん

の話を聞いてるうちに、話を作ったんですよ。歯のないのは

単なる歯周病です」

「して、奴の名は」

突「確か、歌丸とか言う歯無し家ですよ」

すると山田君が自らの意志で座布団を三枚持ってやって

くるだろう。

おあとがよろしいようで。

 

13時27分バスは宿毛駅に着いた。

やどげじゃありませんよ、すくもです。

周防灘(すおうなだ)とか指宿(いぶすき)とか日本語

って難しいですよね。

私は高知西南バスの時刻表を見た。

次の中村行きは16時30分発だった。

「バスで中村へ行こうと思ったら、まだ3時間

もありました」

私は一緒に降りたお遍路さんに背後から声をかけました。

2人で宿毛駅構内に入り、土佐くろしお鉄道の時刻表を

を見ました。

一番早い便で14時34分でした。

その時お遍路さんが

「あなた今朝、務田駅で声をかけて来た人ですよね」

と言った。

「はい、たしかに務田駅で龍光寺への道を尋ねましたが」

「それが私ですよ。どうもよく似ているなと観自在寺

のところからずっと思ってたんですよ」

と言った。

お遍路さんは白装束に菅笠それに金剛杖と、殆ど皆

同じスタイルなので私はわかりませんでした。

おそらく彼の、この言葉がなかったら私は別れるまで

朝の人とは別人だと思っていたことでしょう。

「それにしても、あれから龍光寺、仏木寺と廻った割には

速かったですね」

と驚いていた。

そこで私はあの後の彼の行程を推理してみた。

7時40分発の気動車で7時57分宇和島着、8時35分発

宿毛行きのバスで9時48分平城札所到着、そして

12時48分発の宿毛行きとなったのだと思う。

つまり彼はこの観自在寺に3時間もの長き滞在を

余儀なくされた訳である。

この後2本のバスがこの札所前を通った。

しかし2本とも終点は城辺営業所である。

彼にとっては運が悪かったとしか言いようがない。

逆に私はお大師様のお告げで運が良かったという事だ。

ちなみに私の場合一案二案とも宿毛着16時07分である。

その後くろしお鉄道を使えば平田着16時21分、南西交通

バスを使えば寺山口16時45着である。

どちらにしても息を切らせて辛うじて滑り込みセーフ

と言ったところか。

それを思うとやはり7時18分の予土線は正解だったと思う。

さっちゃんにも会えたし。

14時34分発のくろしお鉄道に乗った。

くろしお鉄道は高架線である。

眼下の田園はすでに殆どの所で田植えが終わっていた。

我が地方よりもおよそ3週間ほど早い。

やはり南国土佐なのであろう。

こんなことを言うから歳がバレてしまうのだろう。

バレてもいいのだ、そのため舘ひろしのネタを

作ったのだから。

14時44分平田着、次の便は16時21分である。

1時間と37分でここまで帰って来なければならない。

初めてのことなので、急ぐことにする。

一緒に来たお遍路さんは下の待合室のような所に

大きなリュックを置いて、いきましょうと言った。

リュック置いていって大丈夫ですかと言うと、どうせ

大したもんは入ってないから大丈夫と言う。

おそらく彼はいつもこのようにしているのだろう、

それで問題が起きたことがないんだから大丈夫なのでしょう。

彼の話によれば中に入っているのはテント、ホテルには

泊まらずテントで寝起きのお遍路だそうです。

そう言えば私今回のお遍路で二人ほどのバイク(正確には

カブとメイト)のお遍路さんを見ました。

やはり二人ともテントを担いでいました。

私にはとても出来ません。

冬は寒いし、夏は蚊が出るし、雨も降るし、山だったら

野犬を含む獣も出るかも知れない。

それにも増して一番怖いのは強盗とか、暴走族です。

テントさんも掛軸はお金になるのでよく盗難に遭う

とは言ってました。

駅から出た道路を左へ行ってしばらくすると宿毛街道

に突き当る。

信号を渡って歩道を左に向かう。

彼は身が軽くなり、リュックとお遍路バッグを持った

私との距離は少しずつ開いていく。

天気はいい、気温も段々と上昇し汗ばんでくる。

時々札所の方からやって来るお遍路さんに出会い、

挨拶をする。

寺山口のバス停辺りから右へ入り田んぼ道を進む。

ガイドブックでは35分とあったが私の感覚では

25分と言ったところか。

団体さんも結構多かったが、納経は個人の方が

優先的にやってくれるので割と早く寺を出ることが出来た。

寺山口のバス停で時刻表を見る。

宿毛を出たバスが16時45分に到着する。

現在15時33分まだ1時間以上待たなければならない。

私は迷うことなく平田駅へと向かう。

16時少し前にテントさんより早く平田駅に着いた。

彼は駅近くのコンビニに寄り夕食ならびに朝食

を買っている。

帰って来たテントさんは前回のお遍路でテントを張った

場所を教えてくれた。

彼は宿毛駅構内にあるバス案内所でもらった時刻表

でプランを練り、今日中に足摺岬まで行く腹積もりらしい。

金剛福寺近くにテントを張り、納経所が開くのを待って

駆け込み7時10分のバスで帰って来ると私に語った。

私に一緒に行かないかと言ったが、今日は予定より一つ

多く廻れたし早くホテルに入ってゆっくりしたいと

断った。

ホームに上がり待合室に入ると他に二人お遍路さんがいた。

いろいろお遍路談義をしている時、焼山寺の話が出た。

私が7500円払ってタクシーに乗った話をすると、ある人は

焼山寺バス停までタクシーで行って、あとは頂上まで

歩いた。

しかしあまりにも疲れたのでもう一度タクシーを呼び、

今から降りて行くから出会ったところで乗せてくれと

頼んだ、そしたら4400円で済んだという話をした。

とても参考になるいい情報だと思った。

気動車が来た。

ワンマンだったので整理券をとった。

私とテントさんは同じシートに座った。

「こうしてあなたと出会ったのもお大師様のお蔭ですよね」

と言うと彼も

「私もそう思います」

と言った。

「パソコンは持っていますか」

「いいえ、私はああいうものは一切苦手なんでね」

「でも息子さんは持っていらっしゃいますよね」

「ああ、持ってますよ」

こうして私は彼にお遍路のブログの詳細を告げた。

「じゃ、帰ったら息子に頼んで読ませてもらいます」

ギャグや下ネタも入っているので少し気は引けたが

とても嬉しく思いました。

私達は自己紹介はお互い一切しなかった。

名前なんかどうでもいい、楽しい思い出を

共有できたのだからそれでいいと思う。

きっと彼も私と同じことを考えているだろうと思う。

そしてまた、彼とはどこかで逢えそうな予感もしている。

16時41分中村駅到着、テントさんとは駅前で別れる。

そして駅前の第一ホテルへと向かう。

予約はしてなかったが、部屋はとれた。

旅装を解いて早速夕食を買いに行く。

しかし中村駅周辺には一軒のコンビニもなかった。

公衆電話だけは二基もあったのに。

「これじゃー、いなか村じゃん」

などと悪口をいいながら駅構内で焼きそばとおにぎりを

買ってホテルに帰った。

今日は一日いろんな事があったな。

予土線、北宇和高、テントさん、豊田交通のお遍路さん、

観自在寺の生絞りジュース、土佐くろしお鉄道。

私がそれらを一つづつ、記憶の海に沈めていると、にわかに

ベッドが揺れて来た。

地震だとすぐにわかった。

かなり強く、長い地震だった。

私の部屋は三階だった。

窓を開けると、丁度目の高さの街路灯が左右に

一メートルほど揺れていた。

これは南海トラフ地震かも知れない、とテレビを点けると

すでにNHKの地震情報は流れていた。

熊本は震度7、この地方は震度3と伝えていた。

震度4くらいに感じたのは多分3階のせいだろう。

と私は安心して、すぐに寝た。