4月15日
5時に目が覚めた。
テレビを点けると地震関連のニュースが流れていた。
ゆうべ、もう一度大きな揺れにまどろみをブレイクされた。
テントの中のテントさんは二度の揺れを、どう感じ
たのだろうか、とふと思う。
地下はあまり揺れを感じないというから、それに近い
地べたも、大したことはなかったかも知れない。
避難生活する人も皆テントで暮らしますしね。
朝風呂に入り、ベッドに横たわって今日の計画を練る。
と言っても、今日のスケジュールは単純明快、足摺岬
まで行って金剛福寺をお参りし、いなか村に戻って来て
窪川の岩本寺をお参りし、そのままJRで一気に善通寺
まで移動する。
貧弱な紀行文しか想像(創造)出来ない旅程であるから
私は初めて1日の全スケジュールを前もって公開した。
7時20分ホテルを出る。
バスの出発時刻まで1時間もあるが、性格だから
仕方ない。
駅構内の売店で弁当を買い、そこでたいらげる。
今日も、昨日に引き続き好天だ。
天気予報がいい方にはずれてくれた。
いい事はすべてお大師様のお蔭だと考えればいい。
悪い事はすべて自分の不徳のいたす所だと
考えればいい。
バス乗り場に向かう。
昨日平田から一緒だったお遍路さんがいる。
バスは駅前の道路を東に向かい、56号線と合流して
進路を右に向けた。
そして橋を渡ってから左折をし、しばらくは四万十川
と並走する。
四万十橋を過ぎ、河口近くなった頃、バスは山の中
へと入って行く。
しばらく走るとバスは再び海岸沿いに出る。
以布利港辺りから半島を横断し、清水パルコ前で
小休止する。
清水パルコとはこの地方のスーパーマーケットで
乗客の大半はここで降り、また新たな客が乗って来る。
2キロほど行くとバスは348号線から離れ、狭い道に
入って行く。
港町の、いわゆる生活道路だ。
足摺岬に行きたいのなら348号線の観光道路を走る方が早い。
このバスはあくまでも土佐清水市の市民の足だ。
主たる目的は市民を運ぶことであり、その延長線上に
あるのが足摺岬なのである。
この路線バスでは足摺岬はそのように位置づけられている。
したがって便乗させて貰っている私たちに、遅いだの、
時間がかかり過ぎるだのと、文句を言う筋合いはない。
タクシーを使えば15000円くらいかかるところを
3600円で済んでるのだから。
バスは民家の屋根や、電柱、ガードレールなどを
ギリギリのところで除けながら進んで行く。
やっぱり餅は餅屋だ。
突「いえ、プロドライバーです」
途中にジョン万次郎の生家があった。
ジョン万次郎を大河ドラマにする会の立札もあった。
出漁中に漂流し、アメリカの船に助けられたという人だ。
ある意味非常に幸運な人だと思う。
それ以上のコメントはない。
途中で非常に眺めのいい場所にさしかかった。
運転手さんはよかったら写真を撮ってくださいと停車した。
私も、もう一人のお遍路さんも撮った。
すいませんねえ、私、写真がとても下手なもので。
このブログで生まれて初めて写真というものを
撮ったんですよ。
足摺中学校前を通り、足摺国際ホテル前を通り、足摺
小学校前を通り、足摺亜熱帯植物園前を通りそして
とうとう足摺岬に到着しました。
なんじゃこりゃー、猫も杓子も足摺ばかりやないか。
10時05分やっとバスから解放される。
山門を過ぎると、石の亀が迎えてくれた。
境内には池があり、絶滅危惧種のめだかが
沢山泳いでいた。
突「あっ、それってごはんにかけて食べるやつでしょ」
それはシラス。
突「その、右から3番目の、それって、池野めだかさん
じゃないですか」
彼は一昨日までここで泳いでたけど、昨日から
難波花月に出てるんで、ここにはいないんだって。
お参りを終えて納経所へ行くと、看板犬のコーギーがいた。
が、私には看板犬という可愛らしさは感じられなかった。
こんなことを言うものだから犬に抗議されました。
「居ても犬」と親父ギャグを言うと犬はこけてました。
JAを済ますと私は通りのお土産屋さんに向かいました。
突「何ですかJAって」
あっすいませんでした、納経の間違いでした。
すまんのう突っ込み、わざとらしい突っ込みさせて
しまって。
お土産は足摺岬の文字の入ったキーホルダーのような
ものだった。
バス停に戻りベンチに座り時刻表を見た。
英語で cape Ashizuri 中国語で足折岬、日本語で
足摺岬と、この地が明記されていました。
ここで足を折った中国人がいたんでしょうね。
そんなことを考えていると一人の女性のお遍路さんが、
足を引き摺りながらやって来ました。
きっと「これが本当の足摺岬」なんてギャグをやるぞと
期待してたが、何もやらず彼女は私の横に座った。
「どうしたんですか」
と訊くと、歩き遍路に来たが途中で足を痛めて
しまったと言う。
でも折角来たんだから、このまま帰るのはもったいなく
バスの遍路に切り替えたと言った。
遍路道 足を引き摺り 泣く女 野菜炒めろ
足痛めるな 猫
突「こらーっ、人の不幸で歌作るな」
すいませんでした。
そこへ一緒に来た人も加わり、また3人でお遍路談義。
女性は28番札所を皮切りに海岸廻りで宿毛へ行くと言い、
お遍路さんは中村経由で宿毛へ行き、観自在寺を目指すと言い、
私は窪川の岩本寺へ行くと言った。
女性は私にあたな荷が少ないわねと言うので、ええ
一人旅なのであんまり着替えは持って来てないんですよ
と言うとしかめっ面をされた。
人間、あんまり正直なこと言わない方がいいですよね。
今回、3回目のお遍路ですが、回数を重ねる毎にお遍路が
面白くなっていく。
それは、こんな、バスや電車の待合室で他のお遍路さんと
親しくなれるからではないかと思う。
今までの地元の人との触れ合いに、更に楽しみが
増えたからではないでしょうか。
あの山寺の坂道はきついとか、今どこどこのトンネルが
工事をしていて危険だとか、あそこのレンタサイクル
には電動自転車が置いてあるとか結構役に立つ情報も
得られる。
と言ってずっと一緒だと、それはそれでまたうっとうしく
なりますけどね。
一人お遍路の人はきっとみんなそんな風に考えている
と思いますよ。
だからみんな話が合うのだと思います。
ああ、段々とお遍路の魅力に取りつかれて行くがわかる。
今に抜け出せなくなってしまうかも知れない。
「これが本当の蟻四国なんちゃって」
11時03分足摺岬出発で12時55分中村駅着。
駅前の四国銀行キャッシュコーナーで3万円をおろす。
しかし相変わらずコンビニはなかった。
突「当たり前でしょ、昨日なかったものが今日ある
訳がないでしょ」
今度私が来る時までに作っておけよ。
突「お前は金正恩か」
駅の売店でたこ焼きを買って、これを昼飯とする。
となりのレストスペースで頬張っていると、チラシの
ようなものが目の前に置いてあった。
ジョン万次郎大河ドラマ実現のための署名用紙だった。
私は住所氏名を正直に書いた。
ただ年齢だけは10歳さばよんだ。
何の意味もなかった。
駅の窓口で名古屋までの乗車券と窪川までの特急券、それに
窪川善通寺間の特急券をまとめて買った。
14700円の出費だ。
窪川までの特急券はくろしお鉄道のもので手書きであった。
あとはお馴染みのブルーのJRのそれである。
13時24分「南風20号」はゆっくりと東に向かって動き出した。
この列車には今まで経験をしたことのない特徴があった。
それは乗務員さんが頻繁に乗車券の確認にやって来ることだ。
正確に言うと新たに乗って来た客の特急券の確認に
やって来るのだ。
特急は特急の止まる駅からしか乗車出来ない、特急の
止まる駅には駅員がいるから乗車券がなければ入場
出来ない。
しかし、逆に入場は出来るのであるから特急券はなくても
特急には乗れる。
特急の止まる駅は普通も止まるのであるから、あたかも
普通に乗ってきたかのようにして乗車券のみで
改札を出ることは可能である。
つまり特急券なくして特急に乗ることはそれほど
難しいことではないということです。
多分、あの、乗務員さんの執拗なまでの行動の意図するものは
この不正の阻止ではないかと思われます。
では、新たに乗った客をどのように見分けるのか。
私はチラッと見てしまったんです。
乗務員さんの持っている座席表のようなものを。
あそこに乗客の現在位置が書き込んであるんです。
そして何号車に何人乗ったか、停車駅で確認するのです。
それから新たに埋まった座席をみつけて特急券の
確認に来るのです。
とっても疲れる仕事だと思いますよ。
その時私の中に、ある悪だくみがふつふつと湧いてきたのです。
そうです、ドッキリカメラです。
勿論犠牲者は乗務員さんです。
停車する度に乗客の殆どが座席を変わるのです。
そして困惑する乗務員さんの表情をカメラが追うのです。
乗客は全員がスタッフ、その列車を貸し切りとし鉄道会社
には事前に承諾を戴いてやるのです。
これで乗務員さんは停車駅数×乗客数の確認をしなければ
なりません。
でもこれを最後の駅までやったら乗務員さんは発狂しますので
二駅過ぎたところで青いプラカードをお願いします。
そんな空想をしていると列車は14時02分JR窪川駅に着いた。
ホームでは土佐くろしお鉄道からJRへの駅員さんの交代
が行われていた。
私は駅を出て、目の前の道路を左に向かって歩を進めた。
そう言えば、きのうの7時18分に出た気動車は窪川には
着いたのだろうか。
えっ、あの便は近永で終わりなんですか。
そうですか、でも仮に窪川まで直通だったとしても着くのは
明日の3時頃ですよね。
そんなアホな。
予讃線と土讃線をつなぐ鉄道だから予土線か、安易な名の
付け方だ。
まるで関口宏の宏と西田佐知子の知をとって関口知宏にした
いきさつによく似ている。
それでも工場前よりかましか。
5分ほど歩くと大きな道路に突き当り、右に曲がって
しばらく行くと岩本寺は左側にあった。
二組ほどの団体さんが来ていた。
やはり去年の秋に比べると陽気がいいせいか、お遍路さんの
数はぐんと増えている。
お参りを終えて、来た道を引き返す。
なかなか雰囲気のあるいい町だね、と褒めると
「いいわーもっと言って」と岩本寺が囁いた。
そんなアホな。
駅前まで戻ると電話ボックスがあった。
私は朝メモしておいた二つの電話番号に電話した。
まずは善通寺ステーションホテル、駅からすぐと
ガイドブックには書いてある。
最初にこちらにかけるのは人間なら当然ですよね。
しかし満室ですと断られた。
次はグランドホテル、空いてますと言われた。
今回の旅から私、当日でもいいからホテルに
予約の電話を入れるようになった。
全てではないが、ホテルが少なくてヤバそうな所では。
現在の時刻が午後3時、今空いてるホテルも、私が到着する
までに、予約してない客で一杯になってしまうことは十分に
考えられる。
宿が確定してないままの旅も不安なものであるが、これで
楽しく旅が続けられる。
窪川駅構内に予土線にかかわる川柳があった。
私も作ってみた
「死ぬまでに 辿り着くだろ 窪川へ」
「窪川へ 急がば回れ じぇいあーる」
短歌でも一作
「たまにいる 無賃乗車の 狸さん 出口求めて 車内ウロチョロ」
このお遍路が結願した暁には、ぜひとも予土線全線乗車
をしてみたいものだ。
ただし通り抜けるだけ。
各駅降車の旅をすると、私の計算では2泊3日の旅に
なってしまうから。
そのうち団体のお遍路さんがやって来た。
肉付きのよい、中高年の、いわゆるひと昔前の
言い方で言うところの小畑利庵である。
「中高年 はるか昔は 中高生」
逆もまた真なり
「中高生 ぼさっとしてたら 中高年」
夢を持って、具体的なプランを持って、コツコツと
それを具現化して行って心豊かな人生を送って下さい。
ボーっと生きていると、この私のような、旅に出て
しょうもないギャグばかりやる、何の存在感もない
クソジジイになってしまいますよ。
私は楽しいですけどね。
15時45分私はホームにでた。
先程の団体さんが私服に着替えてやって来た。
初めて見るJR利用の団体お遍路さんだ。
団体さんの話を聞いててその理由がわかった。
言葉からして団体さんは地元の人で、ツアーでは
なく、有志で来ているみたいだった。
15時51分、南風24号に乗る。
やはり車名のある列車ってのは風情があっていいね。
予土線にはトロッコ1号、2号しかない。
どうせ1日10数便なんだから全便に車名をつければ
いいと思う。
いちいちブログに、気動車と書き込む私の味気無さ
をどうかわかってやって欲しい。
JRは私のためにも全便車名を付けるべきだ。
突「お前はヒットラーか」
例えば、その、のろさから「亀1号」「かたつむり2号」
田んぼから来るイメージで「たがめ3号」「とのさまがえる4号」
夏の暑さからくる「熱風5号」田舎のイメージから「牛舎6号」
「肥溜7号」なんてのはどうかな。
しかしこんなのが実現したら私は住民から、肥溜めの肥えを
ぶっかけられるだろうな。
突「大丈夫ですよ、環境保全のために3年前に、市の条例で
肥溜めは廃止されたそうですから」
更に、老朽化した車体の屋根から漏れる雨で「雨森8号」
乗客は全員傘をさしている、更に閉まらないドアから
「しまらんと9号」枯葉が車内に入って「落葉10号」
その落葉でサツマイモを焼く乗客がいて「焼芋11号」
その乗客が出すおならで「メタン12号」今日は
これくらいで勘弁しておいてやるわ。
これでもうすぐ出来る笑点の欠員補充の、最有力候補者
にのしあがったな。
笑点のレギュラー、利権としてはとてつもなく大きい。
誰もが数億円出しても手に入れたい利権だろう。
国民的人気番組、しかも終身雇用、その知名度からほか
の仕事も一杯舞い込む。
だから皆、命ギリギリのところまで手放さない。
突「猫さん、何を真剣な顔して語っているのですか。
そんなにお金になるのなら金のない好楽さん、とうに
うっ払っていますよ」
金のある奴に限って金がないと言う、頭のいい奴に限って
バカだと言う、そんな話を真に受けてはいけない。
突「でも皆さん、猫さんがブ男だというのだけは
本当ですからね」
キャイーン。
話はどこまでいったっけ。そうそう、レギュラーが
決まったらまず白い猫の覆面を作らなければならない。
ついで白い着流しも作ってと、それからサインの練習
もしっかりしとかなきゃ。
突「真顔で言う猫さんが怖い。それに白い着流しなんて
まるで幽霊じゃないですか」
キャイーン。
田園風景の中を「南風24号」はたんたんと走る。
だからといって狸など出て来はしない。
17時、列車は高知駅に着いた。
駅前に3人の銅像がこちらに背を向けて立っていた。
幾分、屁っ放り腰なその体勢からして、これでもくらえ
とばかりにメタンガスを放出しているのかも知れない。
先程の予土線の仕返しだとしたら甘んじてうけるしかない。
列車は12分の停車の後、再び動き出した。
目の前の高知駅に降り立つこともなく私は素通り
してしまう。
なんという贅沢な旅だろうと思う。
おそらく3人は海をみつめながら語っているのであろう。
坂本、中岡、武市の3名が何を語っているのか。
このブログを仕上げてしまわないことには次回の
お遍路に旅立てないので「竜馬の海岸物語」として
次回までの宿題としておこう。
ごめん先を急ごう。
琴平まではトンネルの多い、JR四国全線の中で
一番の秘境であった。
少なくも沿線風景だけはそう見えた。
18時51分善通寺に着いた。
私は左ドアからホームにおり、改札を抜けキオスク
で夕食を買った。
ついでにグランドホテルへの行き方を尋ねた。
グランドホテルは20分ほどかかりますよと言った。
店員さんは駅にある市内の地図の前まで私を連れて
行き事細かに教えてくれた。
言われた道を歩いて行くと、はるかかなたにグリーン
のネットの張った施設が見えた。
ゴルフの打ちっぱなしか。
ホテルに着き、名を告げるとフロントはキーをくれた。
お遍路の寺について訊くと市内の地図をくれた。
朝食の予約もした。
これで今回は3度目のホテルでの朝食となる。
部屋に入り、旅装を解いて、テレビを点けるが
壊れていて点かなかった。
ま、こんな物見なくっても命までとられるものでも
ないと帰るまでほおっておいた。
ベッドの上に大の字になった。
今日廻れたのはたった二寺、触れ合う人も少なかった
のでちょっぴり淋しい。
これで今回は4日間で11のお寺、過去の2回に比べると
かなりのペースダウンだ。
移動距離の長い札所ばかりが残ったから仕方ないのかも。
部屋の灯りをすべて消し、カーテンを開けて
街の灯りを取り入れて眠る。
これが私のスタイルだ。
一番落ち着いて、しっかりと眠れる。
ああ、明日はいくつ廻れるかな。