四回目高知3

5月20日

5時に目が覚めた。

アイ ウォーク アップ アーリー イン ザ

モーニング なのである。

「昨夜」は英語で「ラストナイト」と言う。

そう言う今日は、まだ終わっていない。

だから地球最後の夜は昨夜なのである。

他に最新モデルを「レイテストモデル」と言う。

「レイト」とは、遅いとか遅れたとか言う意味で

日本人の感覚では一番遅れたモデル、つまり古いモデル

と感じてしまう人が多いのではないか。

一番遅れて出て来たモデル、だから最新モデル。

言葉とは生活の中から生まれたものだと思いませんか。

突「えらそうに、INを忘れたくせに」

しつこい突っ込みを無視して食堂に向かう。

予想はしていたが、メニューは昨日と同じだ。

ホテル側としては安く済むし、同じレシピだから

誰でも作れる。というメリットがある。

何も私はなじっている訳ではない。

利潤を追求するホテル側としては至極当然

な事だと思う。

私が経営者でも同じ事をするだろう。

これって、どさ回りの芸人のネタのようなものだ。

突「何ですか、それ」

日本中廻ればネタは一つで食っていける。

突「すると猫さんはどさ回り芸人の追っかけですか」

キャイーン。

お世話になったチーフの女性はいなかった。

昨夜は遅くまで働いていたので、遅番なのでしょう。

また6月の半ば頃に来ますと、心の中で囁き

ながらコンフォートホテルを後にした。

心の囁きだから私以外の誰にもわかりはしない

ですけどね。

突「キャイーン」

 

 

高知駅に着いた。

 

 

坂本、中岡、武市ははるかかなたの海をみつめていた。

慎「最近は高層ビルが増えて、なかなか海が見づらく

なった。昔はここからでもよく見えたもんだが」

竜「まあ、そんなに邪険にしなさんな。それも

この地の繁栄の証なんだから」

慎「あの辺りでジョン万次郎さんは毛唐の船に

拾われたんだろ」

中岡は西の方を指差して言った。

竜「おお、そうじゃ、甲板から縄を投げられてな。

これに掴まれとばかり」

武「しかしよく毛唐の船に乗ったもんだな。どこの

馬の骨ともわからないものの船に」

竜「そりゃ、溺れる者藁をも掴むと言ってな、命が

惜しいから万次郎さん藁にすがったのだろう」

武「そのあとどうなったんだい」

竜「万次郎さん、渾身の力を込めて登り始めた。

ところがあまりにも力んだがために、屁がプー

と出て、ついでに身まで出てしまったんだ」

慎「それでもやっとこさ甲板まで辿り着いたわけだ」

竜「万次郎さん、屁がプーで身まで出てしまった

無礼を毛唐に謝った。屁プー身、ヘープミー、これを

聞いた毛唐ども、おお、こやつ片言の英語が話せる、

見込みがあるから本国に連れ帰り英才教育を施そう

ではないかと言うことになった」

慎「ちなみに、その時万次郎さんが海に落とした「身」

がジャポンと音をたてた。ここから我が国をジャパンと

呼ぶようになった。とわしは聞いたことがあるぞ」

竜「左様。それで本国への旅の途中、万次郎さんは

度々、毛唐どもにおにぎりを作ってやった。奴らは

おにぎりに、異常なまでに興味を示した。食べるの

ではなくキャッチボールの道具として」

武「後日万次郎さんが、毛唐どもの国を米国と紹介

したのは、ここからきているのだ」

慎「ジャパンも米国もすべて万次郎さん絡みなんだね」

三人は向きを南へ向けた。

武「水平線がきれいだなぁ。竜ちゃん、海の水はあそこ

まで行くと滝のように落ちていくんだろ」

竜「そうだ、だから毛唐どもの国はいつも雨降り

状態なんだ」

慎「だから雨りかと言うんだな」

武「ペリーの船は、あの滝を苦労して登って来たんだな」

慎「だから黒船と言うんだ」

武「慎ちゃん、先に言っちゃだめだよ」

竜「そして浦賀に錨を沈めて航海を終えた。人間と真逆だ」

慎「どういう意味なんだ」

竜「人間は怒りが鎮まると、後悔が始まるという意味さ」

武「おっ、山田氏が座布団をもってこっちへ来るぞ」

慎「そして「ぶんめいかいか」か。何なんだ竜ちゃん

それって」

竜「文明化烏賊と言ってな。この烏賊は墨ではなく

インクを吐く烏賊でな、そのインクを西洋筆につけて

毛唐どもが言うのさ」

武「なんて」

竜「This is a pen」

慎「山田氏がまた座布団持って走ってますぞ。なるほど

それが英語教科書の第一声となったんだね」

武「そして散切り頭。そもそもなんであんな世界的に

見ても不思議なちょん髷なんてヘアスタイルが

できたのかな慎ちゃん」

慎「私に振らないでほしいな武ちゃん」

武「なんで慎ちゃん、竜ちゃんなのに私だけ

武ちゃんなのだ」

慎「半ちゃんだと、麻雀みたいだからだよ。ねえ

武ちゃん、どうして出来たのちょん髷」

武「世間一般ではいくさの時、兜を被ると蒸れる

からだという話だ。どうせまた竜ちゃんに振って

一本取られるのが関の山だろうが」

慎「そんな林修のようなまともな答えじゃ、

ちっとも面白くない。それではご期待に添いまして

、竜ちゃんはどう思いますか」

竜「ヒントは断髪令が出たにも係らず、従わなかった

輩が多数いたところにある」

慎「どういうことか」

竜「つまり断髪をしても剃髪部に髪が生えない者は

見苦しい頭になってしまう」

慎「単刀直入に言いますと」

竜「時の権力者の頭頂部にも毛髪がなかったので

あろう。権力者ゆえに当時珍しい鏡も所持していた

であろう。鏡を見ては、なんてみっともない頭だ、

皆の者に陰で毛無(けな)されているだろうと悩んだ。

そしてその悩みを解消するために浮上したのが

武ちゃんの言ってた兜説だ。このような大義名分

をつけて自分と同じ頭頂部にしてしまえば、自分の

悩みも解決する。権力者に、もっともらしい理由を

つけられれば、皆の者も従わざるをえなかったのだ。

もともと美意識の高い権力者だったとみえ、側頭部の

髪を伸ばし、これを束ねて頭頂部へ持ってきた。

こうして一応見られるちょん髷スタイルは完成

したのだ」

武「でもそれだったら髪のふさふさした権力者に

変われば、またヘアスタイルもかわるのではないか」

竜「一旦そのスタイルに変わり、それがしばらく続けば

普通になる。例えばアフリカの土着民の女性は

おっぱい丸出しなのが普通である。生まれた時から

その姿を目の当たりにして生きていればそれが

当たり前なのである。思春期を迎えた娘さんだって

何の恥じらいもない。誰も異論を唱える者などいない。

それに権力者を取り巻く重鎮たちも似たような頭を

していた訳だし。第一慎ちゃんの説が正しければ、

手入れの簡単な坊主頭ですましてるはずだ。これだと

権力者は困るだろ」

慎「いや、見事なまでの竜ちゃんの推理力、おそれ

いりました」

竜「わしの知り合いで、このちょん髷が大嫌いな男が

いた。登城の時だけ、被り物のちょん髷で出勤して

いたが、その男が誰だかわかるかな」

慎、武「かつら小五郎」

三人は東の海に目を移した。

武「日本の夜明けは近いなぁ。ところで竜ちゃん

どうしてお日様は昇って来るんだ」

竜「それはお日様が希望するからだよ。これを

昇りたいよう、と言うんだ」

慎「すると夕陽は沈みたいよう、と言う希望だ」

竜「ま、休みたいようでも、どちらでもいいけどね」

武「しかし、どうして西へ沈んだ太陽がまた東から

昇ってくるんだい」

竜「太陽は姿を消した後、この地のへりを回って

東へ戻るんだ。南へ回って帰るのが南回帰太陽

北が北回帰太陽と言うんだ」

武「そのままじゃないですか。でもそんな遠回りして

いて翌日に間に合うのかい」

竜「何を言ってるのですか。実は太陽というのは

31個あるんだ。アランドロン主演の太陽がいっぱい

というのもあったでしょ。月に一度の出番だから

大丈夫なんだよ」

慎「じゃ出番でない太陽はどこにいるんだ」

竜「陽だまりで日向ぼっこしてますよ」

武「おっ、山田氏が出ようかどうか迷っておられるぞ」

慎「しかし、どうして2月は28日までなんだ。31日までの

月もあるのだから、2月にもってくればいのに」

竜「勝手に日の移動は出来ないよ」

慎「なぜ」

竜「子供たちが8月を60日にして夏休みを倍にするから」

慎「おっ、山田氏がやって来ますよ。何か叫んでます。

えっ、座布団は二枚、僕は二枚目だとか」

竜「ああいうのを四枚言(よまいごと)と言うんだ」

武「ところで毛唐どもの国は日も当たらず

真っ暗らしいな」

竜「それでカポネとかいう暗黒街のボスができたらしい」

慎「おまけに我々の裏側で生きているから、大地に

逆さまに立っている」

竜「だから頭に血が上って、毛唐どもは赤ら顔をして

いるのだな」

三人は空を見上げた。

慎「唐突だが、なぜ弘法大師は空海と名乗ったのだろう」

竜「お大師様は修行のかたわら、色んな事を勉強されて

いる。言うなれば科学者的側面も持っている方だ。この

お遍路の大地に千年後、空を飛ぶ乗り物でやって来る

巡礼者を想定してつけられたものだと思う。空からも

海からもってね」

武「だとしたら陸伝いにやって来る者だって想定された

はずだ。なぜ空陸海と名付けられなかったのだ」

竜「当然お大師様は千年後、この国を守るための組織

空陸海の自衛隊が出来ることも予想されていた。となると

空陸海では紛らわしい。そこで混乱を防ぐために陸を

抜かれたのだ」

武「なぜ大師は陸を抜かれた。慎ちゃんわかるか」

慎「私に振るなよ。空と海の間に陸があったら

船が漁に出られないから」

武「悪い答えではないな。では竜ちゃんお手本をどうぞ」

竜「深い意味はないさ。どれを抜くか、ただくじ引き

で決めただけさ」

武「で、どんなくじ」

竜「仏だけにあみだくじなんちゃって」

慎「山田氏が何か叫んでおられるぞ。なになに

座布団が十枚たまったので食事券が出ておるそうな」

竜「それじゃ、今夜はかつおのたたきで一杯やるぜよ」

三人は台座から降り、唄いながら繁華街へと消えて行った。

 

すーきなんだー すーきなんだー さかだちしたいほどー

だめなんだー だめなんだー ぼくさかだちがー

でーきないー そのかわりー きーみをだきー

よぞらをとびたいー ぼくたちはー ながれぼしー

いつでもあえるー  ララララララ・・・・・・・

 

三志士の海岸物語

 

7時03分土佐山田行きの普通に乗った。

2輌編成の気動車は立ち客も一杯だった。

7時16分後免駅に到着した。

御免ではありませんぞよ。

と言って後逸(こういつ)でもありません。

土佐くろしお鉄道の奈半利行きは反対ホームで

待っていた。

やがて2分後に発車した気動車は3つ先の、のいち

駅に10分後に着いた。

今日中に日和佐まで着きたい。

そのためは8時54分までに戻って来なければ

ならない。

しかし私はここでまた、お得意の迷子を演じて

しまった。

道路沿いで働いてる人に「るるぶ」の地図を

見せて、現在地を尋ねたが、その人は理解に

苦しんでいた。

やっぱり「るるぶ」の地図は良くないようだ。

が、男性はとにかくもう一度駅前に戻った方が

いい、と言った。

戻ってあの道を左に行った方がいい、と言って

行くべき道を指差した。

スタートに戻ろう、駅を出る、目の前に大きな

道路がある、信号が青になったら渡り歩道を

右に500mほど歩く。

すると、さらに大きな道路に突き当り、そこを

左に曲がる。

目印はガソリンスタンドだ。

あとは道なりである。

途中に「のいち動物公園」があるが、いくら動物が

好きだからと言って、寄ってはならない。

30分ほど歩くと大日寺の道標はあったが、山道を

登り、先はまだ遠そうである。

山門前のお遍路用品を売ってる店に寄る。

前日、切らしていた蝋燭を買うために。

どちらから来ましたと店主が訊くので名古屋から

だと言うと、やはりここでも最近は名古屋の人が

多いと言った。

景気のいい名古屋が景気の悪い高知にお金を

落としていく、理に適っているんじゃないですか

と言うと女店主は笑っていた。

それにしてもバスツアーが多いですね、これじゃ

修行にもならないと言うと、それでいいんですよ

結願することが一番大事なことなんですから、と

バスツアー客をかばった。

店主にしてみればバスツアー客も客だ、沢山

来てくれるから一番のお得意さんかも知れない。

そして、歩き遍路をしていても悪い事していちゃ

何にもなりませんものね、と言った。

何かあったんですか、事件の匂いを感じた

私は質問をした。

店主によると少し前に、この店で歩き遍路の人が

万引きをしたそうな。

警察にしょっ引いて調べたところ、このお遍路さん

は万引き行脚のお遍路をしていたことがわかったそうな。

本当に、この人こそ何のためのお遍路だったのか。

境内での一連の所作が終わり、山門を出ると8時30分

だった。

ガイドブックによると駅から30分とあるが、急いでも

35分はかかると私には感じられた。

私はこの時点で8時54分の奈半利行きをあきらめた。

あきらめたと言う言葉は明らかにすると言う意味

であって、この場合ですと私は8時54分発の

気動車には乗りませんと宣言することらしい。

いや、まだ頑張れば間に合うかも知れない、駄目かも

知れないけどと態度を明らかにしないのを、あきらめない

とか、あきらめの悪い奴と言うらしい。

そうですよね、林修先生。

最近、あんたと松岡修造が銭の亡者のように

見えて来たが。

やっぱり修なんて字の入った奴に、碌な奴は

いないってことか。

途中でお遍路さんに出会った。

手に一杯のパンを持っていて、お接待でパン屋さん

に貰ったと言う。

こういう物は、お遍路さんに出会ったらお裾分け

するのがしきたりだとかで、私は大好きな揚げ

アンパンを二つ貰った。

駅に着くと9時だった。

駅前に、行く時気が付かなかったレンタルの

自転車が三台置いてあった。

が、電動自転車はなかった。

次の便まで1時間近くある。

私は乗り遅れたことで、今後の予定の変更を

余儀なくされた。

今日は最御崎寺で打ち止め。

早速、宿坊が空いているかどうか構内の

公衆電話から訊いてみた。

空いていると言う返事にまずはほっとする。

次に駅の窓口で唐浜の駅前にはタクシー乗り場が

あるかどうか訊く。

ないが駅到着時刻を告げて頼めばその時刻

に来てくれるとのこと。

売店の人に電話してもらう。

9時14分の安芸行きがやって来た。

私がこれに乗らないのは唐浜まで行かないからである。

途中の駅で待つくらいならここで待つ方がましだ。

昨日高岡高校通から青龍寺まで一緒だった

人が降りて来た。

彼は売店でパンを買い、ついでに自転車を借りた。

私も定年退職を迎えたので、今まではこの道は

歩きだったが、今年から自転車に乗るんだと言った。

昨日は青龍寺の近くの旅館に泊まったという。

頑張ってください、と別れを告げ、ジュースと

唐浜行きのきっぷを買ってホームへ出た。

9時54分発の奈半利行きに乗った。

一輌ではあるが、ちゃんとトイレがついている。

名鉄でも、ないのに。

しかしこれはあんまり自慢できるものでも

ないのかも知れない。

なぜならばトイレに行きたくて、トイレがなかったら

どうする。

降りて駅のトイレでするしかない。

1時間に一本の気動車ですよ。

寒い冬なら2度しなければならないかも知れない。

しかも、その殆どが無人駅。

夕暮れの無人駅で、しかもそれが娘さんだったら

危なくてしょうがない。

だから車内トイレなのだと思う。

ベンチシートの向かい側にお遍路さんらしき

人が座っていた。

リュックとバッグを持っているが、そのバッグが

お遍路バッグくさい。

仲々しゃいな人で、同行2人の文字を隠している

ように私には見える。

西分の辺りまで来た時、私は背後の海岸を、振り

向いて窓越しに見た。

 

 

今まで見たこともないような素晴らしい砂浜だった。

私は見とれた。

しかし誰も見ようとはしない。

日射しがいやで皆カーテンを閉めたままだった。

もったいない、なんで皆見ようとしないんだろう。

皆疲れているのかも知れないな。

この砂浜に立つだけでも、四国に来る価値はあるな。

いつか西分で降りよう。

唐浜駅が近づいた。

目の前のお遍路さんぽい人に動きがみられた。

リュックから白衣と菅笠を取り出した、バッグも

表替えすと、やはり同行2人の文字があった。

案の定、私と彼の二人だけが唐浜の駅で降りた。

神峰寺の坂はきつい、そして長い。

私は彼に乗って行きませんか、と声をかけようと

思ったが、それはタクシーを見てからにしようと

彼の後をついていった。

広場に出るとタクシーは来ていなかった。

彼はどんどんと行ってしまう。

5分が過ぎた。

まだタクシーは来ない。

私は待合室に貼ってあったタクシー会社に電話を

してみた。

女の人が出てすみませんもうすぐ着きますと言った。

さらに5分が過ぎて、やっとタクシーはやって来た。

1時間も前に予約しておいたのに、と腹も立ったが

、恐らく直前に仕事が入ったのだろう。

めったに仕事の来ない田舎のことだからと

許してあげた。

[神峰寺にやって下さい」と私は告げた。

途中でさっきのお遍路さんに遭ったなら

乗って行きませんかと誘うつもりでいたが

到頭彼には遭わなかった。

タクシーは駅から通りに出ると進路を左に切り、

しばらくすると右に切って登山道へ入った。

運転手さんはこの道は最近出来た道だと言う。

私は地図で確認した。

なるほどるるぶの地図では通りに出てから

右折して500mほど行ってから左折する道

しか描いてなかった。

決してるるぶの描き忘れではない。

なぜならばこのガイドブックは2009年11月1日

発行で、買ったのも確かそのころだから新しい道は

存在していなかったはずだ。

あのお遍路さんは旧道を行ったのだろう。

運の悪い人だ。

もっとも彼が誘いに乗ったかどうかはわからないが。

確かに新道だけに広い。

運転手さんも運転が楽であると言った。

10分ほどで駐車場に着いた。

しかし、そこからがまた大変であった。

とても急な上り坂がくねくねと続き、それが

終わると今度は階段が手ぐすね引いて待っている。

お参りを終え、納経を済ませ、駐車場へ戻って

来るのに15分を要した。

なにせタクシーのことだから、待たせている間も

どんどん料金が上がって行くもので思わず

知らず急いでしまう。

駅へ戻って2640円なりの料金を払った。

あれだけのきつい坂を下から登って行くことを

考えたら安いと思った。

ホームへ出た。

線路わきに外来植物のオオキンケイギクが咲いていた。

生態系を変えてしまうとかで、今、全国的に除去

が叫ばれている。

元々は園芸種として輸入されたのに、人間って

勝手なものだ。

にんげんなんてラララララララーラ。

昨日は雲一つない天気だったが、今日は雲がひとつ、

ふたつ、みっつ・・・・・全部で13個あった。

気温は30度を超えているかも知れない、が不快な

暑さではない。

唐浜11時49分発奈半利11時59分着。

後免のいち、のいち唐浜、唐浜奈半利と乗り継いだ

から料金がかかる。

後免奈半利直通では1070円だが上記の乗り方を

すると250+910+400=1550円も かかる。

しかし一日乗車券1640円より90円安いから

これしかない。

高知東部交通の奈半利バス停は、土佐くろしお

鉄道の奈半利駅前にあった。

やはりこうしてみると、とさでん交通バスの

JR後免駅前バス停がないというのはとさでんの

意地悪以外の何物でもないと思う。

おっとこれで、今度高知へ行ったとき、とさでん

の乗車拒否にあうのかな。

 

なにか元気のない町だった。

隣に座ったおばあさんに活気のない町ですね

と言った。

仕事がないので若い者はおろか、中高年の人

でも町を出て行く人が多いと言った。

そう言えばくろしお鉄道も東へ向かうほど

耕作放棄地が多くなっていくのが車窓からわかった。

廃屋なんかも多いのでしょうねと訊くと

、いやレギュラーのが多いですよとお茶目な

ことは言わず、その通りだと言うし、新たに家を

建てる人も殆どいないと言った。

南海トラフ地震が起きたら、この辺りは津波で

壊滅的な被害がでるのでしょうねと言うと

わたしが生きてる間は来ない事を祈るだけです

と言った。

本当は土佐くろしお鉄道は当初室戸岬まで敷か

れる予定だった、が途中の住民の猛反対にあって

取りやめになった話もおばあさんはしてくれた。

12時16分のバスに乗った、おばさんも乗った。

4つ目のバス停でおばあさんは降りた。

ご無事を祈っておりますと言うので私も地震が

来ないことを祈っておりますと答えた。

相変わらず窓から海は見える、がいささか

食傷気味である。

今度は山側を見る。

頻繁に緑地に白文字の津波避難場所の

表示板が出て来て、実に生々しい。

山へ登れということだろうが、お年寄りばかり

で本当に間に合うのだろうかと心配になる。

家も土地も捨てて、今さらどこへ行けと言うのだ

という住民の悲痛な心の叫びが聞こえてくる

ようで心が痛い。

12時元橋バス停到着。

バス停から来た道を50mほど戻り、橋を渡って

から右へ曲がり道なりに進む。

やがて交差する道に出会うが、無視して

真っ直ぐ進み山道に入る。

いわゆる遍路道というやつで、結構きつい。

車道はゆるやかなつづらおりであるが、遍路道は

直線に近い。

当然距離が短い分、勾配はきつく、お遍路さん

への負担も大きい。

札所の帰りの階段で観光バスのツアー客に沢山会った。

「こんにちわ」と、その殆どの人と挨拶を交わした。

ガイドブックでは片道1時間とあったが、

50分で往復できた。

どないなってんねんな、るるぶさん。

どうせ机上の計算しかしてないのでしょう。

14時05分発のバスに余裕で乗れた。

うれしい誤算というやつですわ。

14時18分室戸着。

25番札所、津照寺を目指す。

通りかかった女性にお寺への道を訊く。

本当は探せばいいのですが、地元の一般人

とふれあいたいので敢えて訊くのです。

女性は近道を教えてあげると言った。

天ぷら屋を右に曲がり車も通れない路地に入る。

女性は孫娘が大阪のアニメの学校に行ってる事、

来年卒業だが、なかなかアニメ関係の就職先が

なくて困っている事、自分は長野県の出身だが

子供の頃、一家で宮崎に引っ越した事、19で

この地にお嫁に来て小姑が7人いて苦労した事

などをとうとうと語った。

別に聞いていて辛いということはないですよ。

これだって小説を書く時の参考になるかもと、

楽しく聞かせてもらいました。

密集した飲食街を通り抜け、札所近くで私は女性に

お礼を言って別れを告げた。

津照寺を目の当たりにすると、正面に、長く続く

階段があり、その先の方に山門が見えた。

右手に納経所が見えたので、失礼とは思ったが

まず納経を済ませた。

そして、気合を入れて124段の階段に挑んだ。

高知の札所は坂が多く、もはやこの程度の階段

など、(私の大嫌いな言葉ではあるが)赤子の手を

捻るようなものである。

お参りを終え、振り返ると眼下に海が見えた。

土佐の海も三度、と、言ったところか。

帰りは海沿いの道を通ったら、倍の時間がかかった。

やっぱり地元の人はすごいと思った。

ただし、一緒に歩いてもらう場合に限るけどね。

15時29分のバスに乗った。

15時40分に今日の最終目的地室戸岬に着いた。

納経所のクローズまであと1時間と20分、這って

行っても充分間に合う。

バス停の前に売店を兼ねた観光案内所があった。

一応最御崎寺の場所を訊いた。

この道をしばらく行くと左に札所への道標がある

のでそこから山道を20分ほど登るとありますと

案内所の人は言った。

ついでに明日一番の甲浦行きのバスについて訊くと

女性は時刻表をくれた。

私は言われた道を室戸岬から北上した。

しかしお寺まで20分と言う話は聞いてないぞ。

ガイドブックでは最御崎寺、室戸岬バス停より

徒歩5分とある。

などとブツブツ不平不満を言いながら歩いていると

左に入る道をとうに過ぎていた。

原因はすぐに究明できた。

 

 

逆方向から来たので見逃したのだ。

前にも私は言ったような記憶があるが、逆打ちに

道標はない。

観光案内所で聞いてなかったら、どんどん行って

しまうところでありました。

左に入ると空き地があり、奥の方に、右に登って行く、

いかにも遍路道という道があった。

後は枝分かれする道もなく札所まで一歩道、実に

表示価格の5倍の25分もかかった。

ゆえに、この道は這って行ったら3日はかかるな。

いや、その前にまむしに噛まれて死ぬな。

るるぶの地図によると、バス停札所間の道のりはせいぜい

2cm、距離にして800mほどだ、確かに平坦であれば

徒歩5分は可能であろう。

だから、現地に行きもせず平坦だと決めつけてこの

数字をはじき出したのだろう、この横着者めが。

838円返せ。

なんてケチなことを言う男ではありませんよ私は。

ボロボロになるまで7年間充分楽しませてもらって

どうも有難う。

私ね、好きなものほどケチョンケチョンにけなす

癖があるんですよ。

(ここだけの話、こう言っとけば安心して人をけなせます)

皆さんも真似するといいですよ。

山門をくぐり平坦な境内のその奥に本堂はあった。

蝋燭を立て、線香を立て、賽銭を投入し、一心不乱

に私は祈った。

私の願い事というのは、実は、私を含めた親戚一同

が大過なく生きていけますようにというものであった。

こうしてお遍路が出来る幸せも感謝した。

ただそれだけのことで、いつも言うカブトムシのような

虫の良いことは祈っていません。

虫のいいお願いをしても仏は叶えてくれませんもの。

一生懸命頑張って、最善を尽くして、あとは

天命を待つのが人の道というものです。

えっ、いまいちカブトムシの意味がわからないんですって。

じゃ一口ギャグをやります。

「カブトムシよ、お前はなんて虫のいい奴なんだ」

 

納経所へ行き、そして宿坊へと向かった。

74番目の札所にして初めての宿坊である。

坊とは寺である。

寺の主が坊主であり、寺を宿とするのが宿坊である。

かるたに「犬も歩けばぼうに当たる」というのがあるが

、これはまさに坊であり、めったやたらと寺の多い町を

歌ったものである。

もっとも林修に言わせれば、くさりをちぎって逃げ出した

雌犬が男風呂に紛れ込んで、めったやたらと棒に当たった

と講義をすることだろう。

こらっ、林、下ネタやるんじゃない。

私、好きな人ほどいじめる癖があるんです。

 

フロント(宿坊でフロントはないと思うが確かフロントと

書いてあった)で名を告げる。

一泊2食で6300円を支払う。

部屋に案内される。

一応カギはかかるが、立て付けの悪いドアだ。

ここもベッドが2つ置いてあった。

多分2人部屋であったが、今日は平日なので泊まれた

のであろう。

旅装を解いてベッドに横になる。

まず一番にやらなければならないのは明日朝のバスの

時刻表の確認だ。

元橋でも室戸でも朝一番のバスを調べてみたが、それぞれ

7時41分、7時55分であった。

ということは室戸岬は8時過ぎが一番だろうと見てみると

なんと6時37分発というのがあった。

岬の一つ手前の室戸営業所を6時31分始発とする

バスがあったのだ。

やっぱり時刻表はこまめに見た方がいい。

これもお大師様もお蔭だ、有難うございます。

たった1時間半の違いで廻れるお寺が3つくらい

違ってくる。

それにしても部屋が蒸し暑い。

エアコンをいじったがウンともスンとも言わなかった。

しかし難所の高知が終わり、気分はすこぶるいい。

テレビを点けると稀勢の里が白鳳に敗れた

ニュースをやっていた。

気分が悪いのですぐに切った。

食堂に夕食に向かう。

部屋は駄目だが、夕食は豪勢だった。

かつおのたたき、えび、てんぷら等々、ビジネスホテル

の料理とはちょっと違った。

フロントの人に、明日は早いバスに乗るので朝食は

キャンセルさせて下さいと断りをいれてから食事

にとりかかった。

目の前に私と同じ年恰好の人が二人いた。

2人は知り合いであるらしい、が同行ではない

ようである。

時々宿坊で一緒になるから、知り合いになったようである。

吉幾三に似た人は大阪府出身で三重県在住、もう

何度も歩き遍路をやっていると言った。

右の人は以前は歩き遍路をしていたが、辛いので

今は車遍路をしていると言った。

左の人は以前は毎日42キロほど歩き、29日で結願

したこともあると言った。

昔と変わったことは、高知県の田舎を歩いていると

自販機が殆どなくなってしまったことだと言う。

人がいないので白昼堂々と外国人が荒らしに

来るからみんな撤去してしまったのだそうだ。

お蔭でのどが渇いても水分補給ができないので

辛いと言った。

お遍路をしていて「乗って行きませんか」と車に誘われた

ことはないですかの私の質問に達人は

誰か乗せてくれないかなと言う気分になると人間

そういうオーラがでるもんだ、するとドライバーも

声をかけたくなるんだと解説をした。

俺は歩き遍路だから誘われても乗らないが、一度だけ

どうしても歩きたくないくらい疲れ切ってた時に誘われて

乗ったことがある、多分その時乗せてってくれオーラが

強烈に出ていたんだろうなと言った。

まだまだ一杯彼らとは話したが誌面の関係で割愛させて

頂きます。

女将が膳の片づけをしたそうだったので、ここでお開き

とし、私たちは部屋に戻った。

お客さんは全部で8人くらい、でも皆静かに食事して

そそくさと部屋に戻ってしまった。

宿坊に泊まっていつもこんなに楽しく語らいが

できるかどうかは疑問だが、とにかく楽しいひと時だった。

これもお大師様のお蔭だと感謝している。

部屋にはバストイレはない。

が、ふたつ隣にシャワー室があったので今日の

汗を流し、早めに床に就く。